17
「ポケモンには歴史がある」
僕は青藍兄さんとの会話を思い出す。
「それも、人間以上に長い歴史がある。まあ、そんなものは他の動物にしてみても同じことだが……いっそ、世界の始まりはポケモンにあり、と考えている学者もいるくらいに、ポケモンの歴史は長いわけだ。つーか、俺もその一人だけどな。深奥神話に至っては、生物は愚か、物体の始まりすらもポケモンだとしている記述がある。まあ規模のでかい話だ」
「ああ……澪市にある大きい図書館で、小さい頃読んだことがあるかも、深奥神話。ていうか……あー、当時一緒に読んだ深奥昔話がめちゃくちゃ怖かったの思い出したなあ……僕は皮を脱いで人に戻るポケモンの話が死ぬほど怖かった。眠れなかったよあれ」
「おお、懐かしいな。俺も小さい頃に行って読んだよ。そういやハクロ、幼少期は深奥で暮らしてたんだっけな。俺もよく行ってたし、小さい頃にニアミスしてたかもなあ」
「かもね。で、なんだっけ。深奥神話?」
「ああ、ポケモンの歴史の話だったな」
青藍兄さんはコーヒーを一口飲んで、足を組み替える。
十八歳の時の僕は、豊縁地方の研究所に寝泊まりしていた。青藍兄さんが利用している研究所で、空き部屋がいくつかあったので、青藍兄さんの提案で、しばらく泊まり込んでいた。
そんな当時の、日常の記憶。
「元を正せばタイプ相性の話だったよな」
「ああそうそう。飛行タイプに何故ノーマルタイプ複合が多いのか……というか、純粋な飛行タイプがいないのか、って話」
「いや、厳密にはいるはずだ。まあ、極端に少ないせいか、伝説扱いだけどな。史実上の存在でしかない」
「へえ……? いるんだ、飛行単タイプ」
「飛行っつーか……あれは風かな。日本の伝承に、風神雷神ってのがいるだろ。ああいうのの海外版みてーなやつだ。風と雷よ。日本じゃサンダーが一匹で担ってるけどなあ」
「へー、そんなのいるんだ。全然知らなかった」
「図鑑の問題なんだろうなあ。日本のポケモン図鑑はほとんど日本のポケモンしか記載しねーからな……日本じゃ幻扱いされてるミュウだって、とある地方にゃ山ほどいるらしいぜ?」
「うっそ」
「って噂だ。信憑性はねーけどな」
「いや……でも普通に考えたら、こんなにコミュニケーションの発達している時代においてさ、海外のポケモンの情報がこっちに渡ってこないって、あり得ない話だよね」
「んーにゃ、そうでもねーんだぜ? まあ俺ら研究職で、尚且つ専門職くらいになると別だが、一般には情報ってのはなかなか下りないんだ。各国どころか、各地方でポケモンに関する情報をどの程度まで流出させるか……っつーことを考える機関がある。そこでゴーサインが出なきゃ、結局情報は流通しない。個人個人の連絡までは流石に規制出来ないけどな」
「へえ」
「それに、日本はことポケモンに関してはほとんどトップクラスの環境にあるからなあ。古代ポケモンが眠っている――いや、現物を視認した俺にとっては古代ポケモンが暮らしている、だが――そういう日本は、他国のポケモン事情にあんまり興味がないっつーところもあってな。この国の情報ですら、全部覚えきってるトレーナーは少ないわけだし、他の国にかまけてる場合じゃねーってのがほとんどだ」
「まあ言われてみればそうだね……僕も十年はポケモンと触れ合ってるし、ポケモンにマジになってから数年経ったけど――長く住んでる関東ですら、まだまだ知らないことだらけだ」
「だから海外でのポケモン事情は日本ではあんまり浸透しねーんだ。……っと、また話が飛んだな」青藍兄さんはコーヒーの中身を飲み干した。「飛行タイプの話だ」
「そうそう。ダメだ、ここに来てからというもの、脱線話に花が咲きすぎてる」
「久しぶりの兄弟水入らずじゃねーか」
「僕と兄さんは義兄弟ですらないけどね」
「おいおい寂しいこと言うんじゃねーよ。唯一の家族じゃねーか」
「そろそろ結婚したら?」
「ハクロ、結婚しよう」
「いやだなあ……」
「まあ話を戻して、だ」
「はい」
ここまで息が合ってたらもう血縁関係になってしまっても良いような気がするけれど。ともあれ。
「ハクロの疑問を解決するには、そもそも『ノーマル』タイプっつーのは何なのか、って話になるわけだが……あれはその昔、ポケモンがただひとつの存在だった頃の名残だ」
「へえ?」
「例えば……人間って生き物は今でこそ道具を使うし、知識を増やすし、様々なことをするわけだが、元々はただのお猿さんだったわけだ。いや、ある種ポケモンだったわけだな」
「言わんとしていることは分かるよ」
「それはポケモンにしても同じことでな、最初のポケモンは、ただの生き物だった。何に強いとか、何に弱いとか、そういうもんじゃない、ただただ普通の生命体だった。そうだ、全ての始まりと呼ばれてるポケモンは、ノーマルタイプなんだぜ」
「あー、聞いたことある。アルセウスだっけ? これも澪の図書館で読んだんだっけな」深奥地方で特に根強い信仰のある、『ディアルガ』と『パルキア』を生み出したと言われるポケモンだ。「それが?」
「だから当然、初期の頃にいたポケモン――特に絶滅したポケモンたちはほとんどが特色のない、タイプを持たない存在だったんだ。にも関わらず、こんなにたくさんのタイプが現れたのは、ポケモンの歴史の中で起きた争いと、それに対する適応力の問題だったと推測されている」
「ふうん。その話、長い?」
「短くまとめても、二十分はかかるな」
「僕もコーヒーをもらおう」インスタントコーヒーの粉を、適当なカップに入れる。お湯は常に湧いている最高の環境だった。「まあ、長くてもいいけどね。知識が増えるのはうれしいし」
「俺も薀蓄が垂れられて嬉しいぜ」
「早い話が、環境に適応しようとして進化を繰り返したってこと?」
「いや、進化というと語弊があるんだよな……つーか、誤解がある。ポケモンにおいての『進化』は、成長に伴う変化を指すだろ。だから俺たちの間では、そうした歴史上の変化を、変異と呼んでる」
「変異……ね」
「ポケモンの最初にタイプがなかったのは今言った通りだ。まあなんの特色もない生き物だったってわけだが……生き物が生き物として暮らしていれば、当然争いが起こる。過去のポケモン同士も、ある日を境に争いを始めた。それが領土の拡大のためなのか、それとも単純に殺して食おうっていう魂胆だったのかは分からんが、今のポケモンの戦いよりもっともっと血なまぐさいものだっただろうな。そんな争いがしばらく続いた頃、片方の軍勢に、驚異的な身体能力を得たポケモンが現れた。変異が起こったわけだ。そしてそれが『格闘』タイプの始まりだと言われている」
「ふうん? なんで『格闘』なわけ?」
「『ノーマル』タイプに強いタイプだからだよ。ポケモンのタイプ増加ってのは、結局のところ相性を有利にするためにあるんだ。だからノーマルタイプしか存在しない世界に、『格闘』が生まれたわけだ。そうすりゃもう無双出来るだろ」
「なあるほど……で、もう片方の変異出来なかったポケモンたちは、駆逐されちゃったわけ?」
「いや、もう片方の軍勢は、その『格闘』から逃げるために『飛行』タイプを備えた。当時は今ほど戦闘が形式化していなかったし、戦闘ではなく、ほとんど逃走に特化した飛行能力だったみたいだけどな」
「あー、なるほど。『格闘』に対しての『飛行』なわけか。随分原始的な気がするけど、ある意味正しいのか、原始的で」
「話が帰結する先はそこだな。気をつけないといけないのは、『ノーマル』が変異して『格闘』になったのと違って、『飛行』は『ノーマル』に追加された形になったってことだ。だから『飛行』タイプは『ノーマル』との複合である場合がほとんど……ってことだな」
「へええ。全然知らなかった。というか、二、三年前まで、空飛ぶポケモンは飛行単タイプだって思い込んでたくらいだからなあ……そういう歴史を聞かされると、なるほどと思うし、体感的に理解出来るよ」
「よくいるよなあ、鳥ポケモンにゴースト技打つやつ。俺も昔やったけど」
「感覚的にはね……騙されやすいよ、あれ」
「まあ総括すると、ポケモンのタイプの増加は、『対抗』のためのものと『抵抗』のためのものってことだ。飛行とノーマルを併せ持つと、格闘技が結局等倍だしな。そっから今度は『岩』が出て来て『地面』が出て来て……となっていくわけだが、これを話すと二時間は軽いから今回はやめとく」
「ふうん……それが繰り返されて現在のタイプ数になったわけか」
「今も変異は続いてるけどな。最近だと……そうだな、『悪』と『鋼』は、まだ俺らの親世代には新しいものとして映るだろう。あれだってそうだぜ? 数百年間、『エスパー』っていう比較的新しいとされていたタイプがポケモン界を制圧してたんだが、それに対抗するために『悪』が生まれたんだ」
「ん……そう言われるとそうか。その二タイプがいなかった時代だと……『エスパー』には『虫』くらいでしか対抗出来なかったのかな。あと『ゴースト』か」
「加えてその二タイプの野生ポケモンが少ない関東上都を拠点にして、『悪』タイプは生まれたって話だ。あまりに対抗策がない環境においては、変異が始まるってことだな。『虫』ポケモンが猛威を振るっている環境だったら、『悪』が横行することもなかったかもしれん」
「へえ。じゃあ『鋼』の発生は?」
「これは『悪』より後って言われてる。『エスパー』からも『悪』からも身を守るための『抵抗』による変異だ。『飛行』と同じで、防御方面への進化だろうな。当然ながら、一度ポケモン界でその変化が起こると、突然変異を繰り返すポケモンは多いし、人為的に、人工的に進化を促されるポケモンもいるわで、そうなるともうそういう変異論の枠から外れるポケモンも多いけどな。お前のハッサムだって、そういう特殊なポケモンの一部だぜ」
「あー、まあそうなんだろうね。何せ進化方法がメタルコートだし。どう考えても自力で変異した口じゃない」
「進化学は俺の専門じゃないが、もともと素質のあるポケモン――つまり『抵抗力』に飢えていたポケモンがそうした進化方法を採用するということらしい。ハッサムの場合は――まあ大方、住んでる場所が場所だ、鳥への抵抗力を求めたんだろうなあ。一方、野生の炎ポケモンの少ない環境で暮らしていたせいで、炎への脅威は遺伝子情報には組み込まれてなかったみたいだが」
「四倍特化だもんね……不憫な話だ。炎の恐怖を知らない、井の中の蛙的なことか……」
まあそう言われてみれば、ハッサムは炎の四倍弱点を身に着けてしまってはいるけれど、そのおかげで弱点らしい弱点を他に持たない。どころか、ほとんどのタイプに抵抗力を持つ。聞いてみるとなるほど、ポケモンの歴史の話は非常に興味深かった。
「まあそうした歴史をひも解いてみるといろいろと面白いぜ。ハクロも興味があったら研究してみろよ。もっと感覚的にポケモンと付き合えるようになるかもしれない」
「だね……豊縁にいる間に、色々読ませてもらおうかなあ。恐ろしい量の本があるしね、ここ」
「それがいい。知識は無駄にならないからな。どれでも好きに読めよ。どれも役立つ本ばかりだからな」青藍兄さんは大きく伸びをして、首を鳴らした。「さて……ほんじゃ俺はそろそろ仕事を始めるかなあ」
「うん、分かった。そんじゃ僕は散歩にでも行って来ようかな……豊縁のトレーナーは特色があって勉強になるしね。生活費も稼がないと」
「別に修行する必要なんてねーんだろ? さっさと鉄扇さん倒してジムバッジもらってこいよ。おもしれーぞ、あのおっさん」
「いやいや……他のポケモンも育てないとさ。それに、せっかくのジム戦なんだからきっちり準備もしたいし……鉄扇さんに挑むなら、ダグトリオでも連れて行こうかなあ」
「地面タイプ連れてくと泣くぞあのおっさん。勘弁してやれよ」
「いや、ポケモンはタイプ相性ゲーだということを学んだんだよ、僕は……さっきの話じゃないけど、ハッサムを使うようになって、特にね」
「ははは、お前もようやく理解したか。苦しむが良い弟よ。お前みたいに眠らせて殴るだけなんつーあくどいトレーナーは、犬に喰われて死んじまえばいいんだ」
「今まですみませんでした……慢心しておりました」
――なんて話をした記憶がある。
戦闘の最中に何を思い出してるんだって話だが、新タイプ誕生の理由や条件を考えると、なるほど、『フェアリー』が『悪』に対して有効打と成り得ることが、納得出来た。
「あー……タイプ相性とはかくも恐ろしい」
そんなことを思い出したのなら当然、タイプ相性について考え直したのなら当然、僕は『悪』が続くことを避け、違うタイプを選ぶべきだった。あわよくば、現在までの情報――例えば『大文字』をサブウェポンに据えているところから分析して、『フェアリー』に対抗し得るタイプ相性を導き出すことだって、出来たはずだった。
しかし。
それでも。
僕はあえて、次のポケモンにも、『悪』を選ぶことにした。
「ハクカ!」
その選択は――決して意地や熱意からやってくるものではなかった。そして同時に、無鉄砲さが弾き出した結論でもなかった。
どうせ六匹で戦うなら、不利なポケモンであれ、ガンガン使って行くのが定跡。
最後に勝てば良い。
下手なプライドなんか必要ない。
『悪』が不利なら――せめて一撃だけでも、食らわせる。そのあとで、『悪』ではないタイプを繰り出して攻めれば良い。簡単な図式。簡単な戦略。王道をそのまま進めば良い。とてもシンプルな選択だった。
「おっ…………とこらしー選択だなあ、お兄さん」男はキザに笑って、僕をそう評した。「それとも、お兄さん、実は悪タイプの使い手?」
「いや、無意識だけど、気付いたら偏ってた、みたいな」
「なるほどね。ふーん、好感持てるなあ。でも、残念。そいつは『フェアリー』の餌食だ」
「それも織り込み済みで、ね」
さて……。
その相性の不利を分かった上で、選ばなければならないのが、こちらの技だ。
流れを変えられるのは、多分、今ここ。
――相手の選択肢は、三つある。
一、定跡通りに『マジカルシャイン』を打って、こちらの体力を減らしにかかる。
二、様子見の『守る』。
三、『願い事』を置いて、予防線を張る。
可能性の高い順に並べると、そうなるだろう。僕がフリーザーに交代する、なんていう万が一にもない可能性を読んでここで『大文字』を打つとは、到底思えない。だったらこちらは、それに対して、何を選ぶか。
プクリンの素早さはあまりにも低い。ハクカがいくら鈍足であれ、いくら素早さに恵まれなかった個体であれ、意味を成さないほどにプクリンは遅い。ならば、ハクカのメインウェポンであるところの『しっぺ返し』は有効打には成り得ないだろう。
ならば順当に『不意打ち』を選ぶのがセオリーだが――もし『マジカルシャイン』を一発耐えられるなら、一度『剣の舞』を積むのもありだろう。三択の中には攻撃技が一つだけ。こちらが積み技を選ぶのも、なくはない選択だ。
その後『不意打ち』が成功すれば、恐らく今一つのダメージとなるだろうが、元来の高火力にして一度舞った一致『不意打ち』なら、そこそこのダメージを期待出来るだろう。
ただ問題は――相手がゾロアークのイリュージョンを読むほどの男だということ。知識があるなら、『剣の舞』と『不意打ち』の存在を知っていて当然。なら、『不意打ち』を読んでの『願い事』は想像に易い。かといって、それを良いことに『剣の舞』を積もうとすれば、『マジカルシャイン』に落とされるかもしれない。疑えば疑うほど疑わしくなるサイコロを振らなければならない。
完全な読み合いを、強いられることになる。
はたまたサブウェポンを利用するか――というところまで考えてみたけれど、考えすぎない方が良い結果が出る、と、僕の本能が告げた。いいや、ギャンブルポケモンらしく、ギャンブルに出るのが良さそうだ。
「……おっし、やるぞ!」
「お、威勢がいいねえ」
「考えても埒があかないし、悔いの残らない選択をする。ハクカ、『剣の舞』!」
「ほんじゃこっちは『守る』で様子見! ……と思ってたんだけど、あらら、積みを選んでたかあ」男は肩を竦めた。「『不意打ち』読みだったんだけどね。なかなかやるやん」
「お互い様だよ。よしハクカ、思う存分舞うがいい!」
僕の指示を受け、ハクカは勢いよく、その場で舞い踊った。自分の攻撃力を高め、ただでさえ高い攻撃力をさらに底上げする踊り。心なしか、いつもに比べて動きが良い。何か神々しさすら感じる。光に包まれているような、いや、ハクカ自身が光を放っているような――
「ん……あれ?」
いや、これ確実に光ってる。後光を感じるとか眩しく見えるとかではない。ただただ、そのもの光っている。ハクカ本体が、光を放っている――いや、違う。反応しているのだ。何に反応しているのか? 僕はハクカから発される光を辿ってみる……と、繋がれていたのは、僕の人差し指。
青藍兄さんから、十五歳の誕生日にもらった指輪だった。
「…………なん、だこれ」
その光が――僕とハクカを一時的に繋いでいた光が、まるで弾けるようにして消えたかと思うと、『剣の舞』を舞っていたはずのハクカは――
ハクカは、変わり果てていた。
「ハクカ……体毛伸びてない?」
体毛伸びてた。
もっさりしていた。
いやいや……もっさりどころじゃない。もっとこう、ぶわっとしていた。片目が見えてないんじゃないかというくらい。加えて背中の体毛が、天使の羽根のように、ぶわっと広がっていた。
――なんじゃこりゃ。
そしてハクカも自身の変化を感じ取ったのか、恐る恐る僕を振り返り、ゆっくりと、首を傾げた……が、申し訳ない、僕にも何なのか分からなかった。
「……何が起きたの」
僕は、不思議そうにしているハクカを尻目に、自分の人差し指に輝く指輪を、ただただ見ているしかなかった。