16
プクリン。
ノーマルタイプのポケモン。
ベビィポケモンであるププリンがトレーナーと一定以上の信頼関係を気付いた上で成長することでプリンに進化し、そのプリンに『月の石』を与えることでプクリンに進化する、一般的な方法とは異なる進化経路を持つポケモンである。つまり、理論上、ほぼ生まれたばかりの状態でもプクリンにまで進化出来るという、希有な二段進化ポケモンと言える。似たところだと、ライチュウとか、ピクシーとかがそうか。まあ、大抵の場合、ベビィ種が存在するポケモンは三進化目への条件が『石』の使用であることが多いため、そうした現象が起こるわけだ。成長度合いに関係なく進化出来るため、それなりの強さを早いうちから手に入れることが出来る。
一方、『石』を進化条件とするポケモンの大半が、一度進化してしまうと、自力で技を生み出さなくなるという欠点を持つ。技マシンの利用等で技を覚えさせることは出来るが、自力での成長は見込めない。だからこそ、『石』で進化するポケモンと対峙する場合、とくに注意しなければならないのは、『そのポケモンは既に完成されている可能性がある』ということなのだ。
覚えるべき技は既に覚えており、
調整の余地もなく、
あとはただ場数を踏むばかり。
そんな状況であることを、考えなければならない。
「……一対一なら、負けてたなあ」
そんな、負け惜しみとも思えるようなセリフを吐きながら、僕は次に出すべきポケモンを考察していた。
この原因不明の恐怖は――一体、何なのか。
相手がイッシュ地方のポケモンであれば、何が怖いのかは分かる。タイプが分からないとか、使って来る技が未知であるとか……そういう、知識に対する恐怖。実際、ポケモンたちには『土地柄』というものが根強く関連してしまう。関東地方にしか出現しないポケモンがいることや、深奥地方でしか生まれない技があること――もちろんそんなのは、人間だって同じことだ。日本人が特有の技術や性質を持っているのと同様に、このイッシュでもその独自さを垣間見ることが出来る。同じ人間でも、やはり違う。それが『土地柄』で……こればかりはどうしようもない性質だ。言葉の通じない異国の人間を本能的に恐れるように、常識の通用しない異国、他地方のポケモンには、恐れをなす。
だからこその、違和感。
けれど、今回の場合は勝手が違う。僕が恐れている相手は、プクリンだ。
プクリンは――よく知っているポケモンの一匹だ。関東ではそれなりにメジャーなポケモンであったから、事実、ポケモントレーナーとなり、実家を拠点として旅をしていた頃には、戦う機会が多かったし、自分で育てたこともあった。特殊攻撃に優れ、耐久は、装甲よりも体力に秀でている。分かりやすくいえば、それ以上でも以下でもないポケモン。
だからと言って、『剣の舞』で攻撃力を底上げしたハッサムの『馬鹿力』を耐えるほどの耐久はあり得ない。
ノーマルに格闘は、抜群なのに。
……だからこそ、怯えている。
このプクリンは、一体何なのか、と。
「おにーいさん、お次は何を見せてくれるのかなあ」
帽子のつばを人差し指で弾いて、男は笑ってみせる。その笑顔が、海外特有の彫りの深い表情ではよく映える。
その隣で、プクリンは暢気に何か食べていた。青い果実。攻防の隙を突いての食事、というわけではないだろう。
……ああ、オボンの実、か。
どうやら体力を回復したらしい。
体力特化のプクリンだ。その回復量もばかにはならない。少なくとも三分の一以上の体力まで戻っているようだ。
……うーん。
いかん、飲まれている気がする。
雰囲気とか、土地柄に。
「ふう」
一つ溜息をついて、考える。
一対一なら負けていた。
それは抗えない事実ではある。
そしてあれは僕の知っているテンプレートなプクリンでもないらしい。
そこまでは、理解出来た。
けれど――別にこれは、一対一を前提としたバトルじゃないのだから、悩んだり、気負ったりする必要なんて、欠片もない。複数のポケモンを平等に、均等に、育成出来るというのも、またトレーナーの才能。全ての戦いに勝ち続けられるなら別だが、普通はそう簡単にポケモンを育て上げられるものじゃあない。
二対一でも、三対一でも。
いっそ六対一であろうと、そこに優劣はあっても、卑劣さはあってはならない。手持ちが少ないのは美徳だが、数の暴力は、決して卑怯ではない。
それは、長らく一匹での戦いを続けて来た僕が一番分かっているはずだ。
「そう、そうだよな……うん。よく分からないけど……分からないなら分からないなりきに、セオリー通りに行くしかないか」
押してダメなら引くしかない。
物理でダメなら、特殊技。
「よっしゃ、行くぞ、フリーザー!」
僕は思い切り、ボールを振りかぶり、投げつける。
虚構でも見栄でも、自分を大きく見せようとした。
「おお、こいつは……珍しい」
フリーザーの姿を見て、男は感心したように頬を緩めた。日本の、それも関東地方にしか生息しないはずの伝説を、彼は知っている……らしい。有名だからか? いやそれにしても、この落ち着きぶりは――
「しかし、『大文字』を受けておいてフリーザーを出すってえのも、うーん、気合い入ってるなあ。勇ましい。ねえプクリンちゃん」
「ぷくぅ」
「それはごもっとも……」
とは言え、奇跡的に『馬鹿力』を防いだのが、防御と体力に特化した故の現象だったのかどうかを、僕は確かめなければならなかった。もしそうなのだとしたら、特殊攻撃で沈められるはず。残りの体力が三分の一程度だとしても、プクリンの元々の特殊防御の性能が高いとしても――こちらも特殊攻撃特化のポケモンだ。耐えられるはずはない。
それでも一応、念には念を入れてみようとは思う。
相手は『守る』を持っていた。
こちらの行動を読んで『守る』を張る……と、読んでみる。
「さて、ほんじゃ行きますか」
ブーツで地面をコツコツ蹴って、男は大きく手を伸ばした。
「よし、フリーザー、『悪巧み』だ!」
「プクリンちゃん、『願い事』ー」
ほぼ同時に宣言し、自分の読みが外れてしまったことを知る。
誤算というほどの誤算ではなかったけれど、『守る』でこちらの手のうちを確認してくると思っていただけに、体力回復の『願い事』は痛かった。
……まあもっとも、こちらは『剣の舞』と同様に、特殊攻撃力を底上げする『悪巧み』を積むことが出来た。それは事実。
結局は時間の問題だろう。
次ターンで『守る』が来ることを考えて、もう一ターン分積める。
ここまで来たら、我慢比べだ。
どうせ相手のプクリンに、こちらへの有効打はない。少なくとも一撃は耐えられる。
「いやー……強い人で助かるなあ。素人だったら間違いなく決めに来てたところだもんなあ。もっとも、プクリンちゃんなら耐えられただろうけどね」
「ぷくぷく!」
飲まれちゃいけない。
今完全に流れはプクリンに向いている。
だったら、それに流されないように、心を無にして、セオリー通りに……王道のままに。
しかし、『願い事』と『守る』と『大文字』までが確認出来たところを見ると――残りの一つは攻撃技だろう。ノーマルタイプだろうか。いや、考えすぎるのはよくないか。考えすぎて傾倒すれば、違ったときの対処が遅くなるし――
『願い事』をした以上、次のターンは回復に専念するはずだ。ならばこちらに出来ることは、もはや抗いようのないレベルまで、特殊攻撃力を高めるのみ。一度の『剣の舞』で落とせなかったプクリンだ。今度は二度の『悪巧み』で、力任せに葬ってやろう、と心に決める。
「……フリーザー、もう一度、『悪巧み』だ」
「ほんじゃプクリンちゃん、こっちは『マジカルシャイン』――ゾロアークに」
「…………!」
二つの意味で、恐怖を覚えた。
いや――一つは僕の怠慢だった。というより、もはや甘えと言っても過言ではないものだった。フリーザーなどという、希少価値以前に実在するかどうかも危ういポケモンのことを、一端のトレーナーが知るはずもないという考え方から生まれた怠慢。フリーザーが何を覚え、何を覚えないかを知るはずもないという決めつけから起こった悲劇だった。
そう、知っている人間なら、すぐに分かるフェイク。
フリーザーは、『悪巧み』しない。
しかしそんなことを、どれだけのトレーナーが知っているだろう。まして、日本国外のトレーナーが知っているなどと、誰が思うだろう。
その上、それに加えて――現状、フリーザーが『悪巧み』しないにも関わらず、フリーザーが『悪巧み』した場合に導き出される結論が、ゾロアーク、あるいはゾロアの『イリュージョン』でしかないことに、誰が気付くだろう。
こう言っちゃあなんだが――実際、フリーザーをよく知り、ゾロアークの存在を知っているトレーナーだって、騙される。
……ああ、事実、ちらりと振り返った背後では、緑葉が絶句していた。僕と同じように、二つの意味で、なのかもしれないけれど。
そう、恐怖は二つあった。
僕は、やはり戦慄する。
男が命じた『マジカルシャイン』という、僕の知らない技――そんなものが本当に存在するとして――は、その名前の通り、大きな光を、フリーザーに化けたゾロアークに対して放った。
そして――――一瞬だった。
ゾロアークは、その攻撃に耐えることなく、一撃で、沈むことになった。
「…………」
「いやあ、いやあいやあ。運良く読み勝てたよプクリンちゃん。君のおかげかな?」
「ぷくぷく!」
「…………」
…………。
…………。
…………これ、マジなのか。
『悪巧み』を無謀にも二度積んだが――きっと、ゴリ押ししていれば勝てた戦いだった。こんなのは、ポケモンの性能の差ではない。相性の差、ですらない。知識量の差でもない。ただの、運。あるいは――それを予期できなかった、トレーナーとしての、無能さによるもの。
「まあしかし、これくらいテンプレ通りに動いてくれると、こちらも戦いがいがありますなあ」男は帽子を取って、頭を掻いた。『セオリー』ではなく『テンプレ』と、僕の行動を、そう呼んだ。「んー、しかしまあ、ただ相性が良かっただけか。プクリンちゃんより、レベルは低かったみたいだし」
「相性が良かった……か」
それは本来、ハッサムにも言えたはずのこと。
しかしながら――僕はその相性を、有利に進められなかった。一方、この男はそれを味方につけた。ならば――『悪』単タイプであるゾロアークに対して、有利をつけるタイプ相性なんて、何があるだろう? 僕はもはや体感で理解しているタイプ相性を、あえて思い出してみる。
『虫』
『格闘』
その、たった二つ。
あるいは僕こそ、『悪』単タイプのポケモンを使いこなせる自負があった。単タイプであるが故の使いやすさと、無骨さ。『エスパー』タイプを無効とし、『ゴースト』と同『悪』タイプを半減させる。いわゆるメジャーどころのタイプたちとほとんど距離を置いた相性構成となっている。
気をつけるべきは『虫』と『格闘』。
だからこその『虫』対策と『格闘』対策もしてあって、僕はそれらに対する恐怖心だけは人一倍培ってきていたはずだった。
にも関わらず。
「……おかしいな、『マジカルシャイン』とかいう技は、『虫』っぽい技とも思えないし、『格闘』らしいとも思えない……なのになんで、攻撃特化していないようなプクリンに、一撃で沈められたのか……」
「あー、やっぱり、知らない人かあ。ま、それも戦術のうちだけど、本当に、一切合切、欠片も知らない人だと流石に罪悪感があるなあ。お兄さん、強いし」
男は存分に体をほぐしてから言う。
「お兄さん、日本人だよねえ」
「ええ」
「じゃあ、本当に完っ全に知らないかあ。カロス地方の『妖精神話』っての」
「妖精神話……?」
まったく聞き覚えのない言葉だった。
「そ、『妖精神話』っていうものがあってね。まあ土地柄――カロス地方には、『フェアリー』タイプっていうのがね、あるんだよ、お兄さん」
「フェアリー……タイプ?」
「そ、フェアリー」
男はプクリンの頭に手を置いて、ゆっくりと撫でる。
「ほら、マジ妖精さんみたいっしょ、うちのプクリンちゃん。かわいくてかわいくて」
「妖精……」
妖精……?
フェアリー?
……なんだそりゃ。
「さーて、お次は本物のフリーザーでも見せてもらえるのかなあ」
男はそう言って、プクリンの頭を数度叩いた。
『願い事』を叶えたプクリンは、既にほぼ完全に、体力を回復しきっていた。