15
「……しまった、少佐のことを忘れていた」
ひとまずホテルを出た僕は、ライモンシティの地に足をつけた瞬間に、そのことを思い出した。
無論、少佐のことだ、ある程度のところで折り合いをつけて僕たちと別れることを決め、奥さんの元に向かったのだろうけれど……連絡先くらい聞いておくべきだったんじゃないか、という気持ちが先行する。
「ご実家なのかな?」
「流石に帰ってはいるんだろうけどね。少佐の足取りを掴むとしたら……フキヨセかな? フウロさんが一番詳しそうだし、最悪フウロさんに連絡をお願いしておけば、少佐がジェット機で帰る時に連絡は出来そうだ、けれど……」
「けれど?」
「フウロさんのキャラが濃すぎて、二日続けて会うのは胃もたれしそうだ」
「う、うーん……分からなくもないけど」
「まあ、会えたらでいいか。少佐、用事があれば何らかのネットワークを利用して居場所を突き止めて来そうだし。僕たちは僕たちの予定通りに動こうか」
「そうだねー。とりあえずは、ホドモエ?」
「うん。で、そのまま進んで行こう。そのまま進んで……フウロさんに会ったら会った出」
「りょうかーい」
せっかくライモンシティに宿泊しているのだから遊園地にでも行けば良いのではないか、という話もあったのだけれど、結局僕たちは子どもらしくないデートコースを選ぶことになった。まあ、子どもらしくなくて当たり前なのだけれど。僕は二十歳で、緑葉は十九歳で……遊園地にはしゃぐような年齢でもない。まあ、楽しそうと言えば、楽しそうではあるのだけれど……昨日の一件で、肉体的にも精神的にも疲労してしまったというところはある。
「せっかくだしイッシュ地方のポケモンも捕まえてみたいよね。なんだかんだであんまり野生のポケモンと会ってないし」
「そうだねえ。新しいポケモン……日本に住んでるポケモンも何匹かいるみたいだけど、もう完全に、タイプとか分からないからね……攻撃したら無効だったとかザラだろうし」
「ハクロは旅してる最中そういう経験あった?」
「んー……旅の最中にそういう経験はなかったと思う……というか、僕らが生まれた頃ってもう日本全国でほとんどのポケモンが発見されちゃってたから、タイプ相性とかはなんだかんだで頭に入ってたんだよね」
「あー、確かに」
「でも一回やらかしたかな……頭には入ってたはずなんだけど、コイルを育ててたときに間違えて電気ショックを放ったよ」
「誰に?」
「ヌオー」
「おお……」
「不思議なもんでさ、旅をずっとしてると感覚が鈍るよな……青っぽければ水か氷、っていう感覚が先行するし、何よりウパーは水タイプだっていう半端な知識が邪魔をした」
「でもなんとなく分かるよ。トレーナー戦とかでもたまーにやらかしちゃうし。グライオンに電気技とか」
「キングドラにも等倍になったりね。あれ? 意外と電気が騙される組み合わせって多いのか」
「結構万能だしねえ、電気」
「単タイプなら特にそうか。風船で浮かせておけばほぼ無敵だもんなあ」
タイプ相性……というものがどれほどのものかは分からないけれど、まあよほど有利な組み合わせでない限り、複合タイプは一長一短。むしろ、弱点や等倍が増えることを考えると、弱体化するというリスキーさがある。自分の攻め手が増えるというメリットはあっても、やはり諸刃の剣といったところか。
「タイプ相性と言えばさ、ハクロのハッサムもそうだけど、四倍弱点が怖いよね」
「んー……まあそうだね。今の例で言えば、ハッサムは毒が無効化になってる代わりに、炎にすこぶる弱い、か……緑葉のワタッコも、氷が四倍かな?」
「うん。結構、単タイプの多いパーティではあるんだけどねー……キュウコンとか、デンリュウとか、シャワーズとか……」
「おお、そう言われれば……」
そう言われてみると、やっぱり緑葉のパーティはバランスが良い。炎、電気、水、それに複合タイプとは言え、草と飛行のワタッコ……偏りがちな僕と比べれば、トレーナーとしての適正は緑葉に軍配が上がりそうだ。無論、強さとしてではなく、正しさとしてだが。
「ハクロの単タイプは?」
「と言われると思って考えてみたら……驚くべきことに、単悪タイプが三匹もいた」
「うわあお」
「あとは、複合飛行が二匹に、前述の通りハッサム……その複合も毒と氷だからなあ」
「ハクロ、悪タイプとか、ちょっと不良っぽいタイプ好きだよねえ」
「これはね、思春期に少年が陥る病気の一つだと思う」
「ハクロはもう二十歳なのにね」
「恐らく、少年期をまともにすごさなかった反動が今になって来ているんだろう……」
などという話をしながら、僕と緑葉はライモンシティを西に抜け、『ホドモエの跳ね橋』と呼ばれる橋に差し掛かっていた。イッシュ地方、地図で確認してみるとよく分かるのだが、陸地が川で三つに分断されている。地方なので国とは違うと思うが、まあ国境みたいなもので区切られているだけで、陸地自体は全く別物であるようだ。そのせいか、至るところに橋がある。『スカイアローブリッジ』もその一つであるし、海や川が近いというところを見ても、なんとなく懐かしい気分だった。
今思えば、両親を海の事故で失って尚、港町に住んでいた僕も、大概だってもんだなあと、昔を懐かしんでみたりする。
まあもっとも、あの頃は引っ越すとかそういうことを考えられる精神状態ではなかったし、海への恐怖よりも、両親と過ごした家を離れることを恐れる気持ちが勝ったのだろう。
「わー、ここからでも結構綺麗な眺めだねー」
橋から身を乗り出して、緑葉が南方を眺めた。南方は完全に海に繋がっており、水平線が遠くに見える。あの向こうには何もないようにしか思えないほど、水平線は遠く映る。
「海を見る度に思うけど……なんかわくわくするよなあ。向こうに何があるんだろうとか思っちゃって」
「自然っていいよねえ……」
「道具は便利になれば便利になるほど良いと思っている僕だけど、たまにこんな不自由な自然を見ていると、本当は何もいらないんじゃないか……と思う」
「わあハクロが真面目なこと言ってる」
「僕はいつでも真面目だよ。ほら、行こう」
「うん」
ライモンとホドモエを繋ぐこの橋は、ただの橋という役割の他に、どうやらトレーナー同士の対戦場という役割も担っているようだった。橋のあちらこちらで、ポケモンバトルが散見される。すれ違いの戦いから、知り合い同士の戦い、あるいは一部名物化しているものもあるようだった。町中でのバトルは法律で禁止されているわけではないが、マナーとして自重するトレーナーがほとんどであるし、通りすがりのトレーナーを捕まえてバトルを申し込むいわゆる『待ち』は白い目で見られることがほとんどだ。だから、町に近いこの橋なんかは、血気盛んなトレーナーとしてみると、非常に戦いやすい場所なのだろう。
「うー、戦ってる人たち見るとうずうずする」
「緑葉はいつからそんなにバーサーカー的な嗜好になったの」
「元々そうだよ?」
「そうだっけ。うーん、まあえげつないトレーナーではあったけれど」
「そんな目で見られていたとは」
「褒めてるつもりだけどね」
それなりに距離のある橋だったので、僕と緑葉は途中、休憩がてら対戦を観戦したりしながら、半分ほど進んだ。それぞれのトレーナーがバトルに必要なスペースをお互いに保ちながら戦っている。こうしたマナーは、全国どころか全世界共通であるらしい。
「お……」
進行方向に、完全に橋に腰を下ろしている人物を発見した。浮浪者という風でもないし、休憩をしている風でもない。強いて言うなら、露天商の座り方に近かった。と言って、コルクボードにアクセサリを飾っていたり、自分で書いた似顔絵を展示していたりするわけではない。
緑葉もそれに気付いたようだが、これといって話題に出さずに通り過ぎようとする。触らぬ神に祟りなし。普通でなさそうな人とは関わらないのが、旅の掟である。過度に興味を持つことも、過度に罵倒することもなければ、通り過ぎることが出来るものだ。
「…………おや、お兄さん」
無理だった。
いや、聞き間違い、あるいは別の人を呼び止めたのだろうと思い込んで立ち去ろうとするが、露天商らしき男はわざわざ立ち上がって、もう一度「お兄さん」と言った。
「……はい」
観念して、振り返る。
トレーナーである以上――あるいはエリートトレーナーという肩書きを持っている以上、ポケモントレーナーからの誘いは断れない。
当然、分かっていたのだ。
彼がポケモントレーナーということは。
モンスターボールが視認出来る位置になくとも、バッジを持っていなさそうでも、雰囲気だけで、トレーナーかどうかは、僕には分かる。
「お兄さん、お洒落な人だ」
「はあ」僕には自分の服装がお洒落だとは思えなかった。緑葉にだって言われたことがない。「何かご用ですか」
「いやあなに、ポケモンバトルを一丁」
今回は気付くまでが早かった。彼が話しているのは日本語……というか、最初から日本語で話しかけてきた。ということは、僕が日本人であることを見抜いて話しかけて来たか、日本人が通りがかるのを待っていたか、どちらかだろう。
しかし、この男自身は、日本人というわけではなさそうだった。彫りの深い顔に、ブルーの瞳。日本語は日本人レベルだが、ところどころに妙な訛りがあった。
羽根のついた赤い帽子に、カラフルなシャツに、使い古されたブーツ……お洒落というのなら、彼こそがお洒落だった。僕がどう思案しても思い浮かばないようなファッションセンスをしている。
「うーん……緑葉、いい?」
「いいよー、観戦してるね」
「一つ先の町にもつけないなんて、先が思いやられるなあ……」
僕は少し距離を取って、ベルトに手をかける。先頭に連れているポケモンは――ハッサム。
「じゃ、まあ……よろしく」
「こいつはどうも。そんじゃ早速……」
男はポケットからおざなりにモンスターボールを取り出すと、挨拶もせずに、ポケモンを繰り出した。まあ、挨拶しないのが悪いわけではないけれど。
「ほんじゃ、行きますか、プクリンちゃん」
繰り出したのは、プクリン。
……お世辞にも、強いポケモンとは言い難い。
「ハッサム」
相性が有利に働いた、と思った。
彼から感じられるポケモンの数は、決して多くはないようだ。下手すれば、プクリン一匹なのかもしれない。だからだろう、そのプクリンはそれなりに育っているようだった。とは言え、タイプ相性をどうこう出来るほどの強さは感じられない。ハッサムと、レベルの差はほとんどないだろう。
まあそれでも、タイプ相性の悪さを考えれば恐らく『馬鹿力』で一発だろうけれど、それでも僕は、全力を出すことにする。二兎追わず、半端はやらず、一匹を全力で追い詰める戦い方をしなければ――と、僕は昨日、そんなことを誓ったような気がする。
「ハッサム、『剣の舞』」
「プクリンちゃん、『守る』でー」
「おっ」
相手の読みは完全に外れてしまったようだった。しかしながら、初手『守る』は、相手の技構成を知るという点では優れている。失敗に終わったとは言え、その選択は僕に少し興味を沸かせた。
「あー、いい『守る』だったなあプクリンちゃん。今のはなかなか出せん。過去最高」
手を叩いて、男はプクリンに賞賛を送っていた。それを受けたプクリンも、嬉しそうに跳ねてみせる。なんだか仲が良さそうだし、その入れ込みようから見ても、やはりプクリン一匹しか連れていないという感じがする。
そんな二人を一撃で沈めてしまうのは申し訳ない気がしたけれど、それがバトルなのだから、仕方がない。
「ハッサム、『馬鹿力』」
「戦闘開始みたいだ。ほんじゃプクリンちゃん、こっちは『大文字』」
――一瞬、耳を疑った。が、動揺することはない。こちらの『馬鹿力』で勝負は決する。いくら大ダメージの『大文字』を相手が覚えていたとしても、当たらなければどうということはないのだし……と。
ハッサムが右の鋏を大きく振りかぶり、渾身の一撃を、プクリンに見舞った。プクリンのやわらかそうな腹部に、ハッサムの赤い鋏が、閉じた状態で抉り込まれる。正拳突きのようなその攻撃で、タイプらしいタイプを持たない、ノーマルなプクリンは一撃で沈む。格闘タイプに相性の悪いノーマルは、『剣の舞』と威力特化の『馬鹿力』のコンボで、一撃で沈む。
……はずだった。
「うっそ……」
プクリンは、耐えた。
それも、『襷』や『鉢巻』を身につけている風でもなく、『大文字』という指令が、『堪える』や『守る』を意味していたわけでもなく――ただ、ただ、純粋に、耐えた。
「おーお、危ないところだったなあプクリンちゃん。流石のふくよかボディ」
「ぷく」
「冗談だよ。よっしゃ、反撃!」
呆然としている僕とハッサムを置き去りにして、プクリンは大きく息を吸い込んだかと思うと――辺り一帯が赤で染まってしまうような『大文字』を、ハッサムに吹き付けた。
当然――四倍特化される炎攻撃を、ハッサムが受けきれるはずもなく。
ハッサムは、沈んだ。
「え……かった。かたすぎじゃね?」
「いくら等倍でも、ランクを上げても、馬鹿みたいな威力でも、ハッサムは格闘じゃないもんなあ」男はプクリンの頭に手を置いて、なででやっていた。「ま、それ言ったらプクリンちゃんも炎タイプじゃないけど」
「ぷくぅ!」
理解出来ない現象が、起きていた。
ハッサムの力が足りないわけでもなく、
技の選択が悪かったわけでもなく。
「ほんじゃ続けましょう、日本育ちのお兄さん」
僕はそこで、原因不明の恐ろしい戦いを強いられていた。