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「ほー……」
いろいろあって、時刻は午後十時半。だというのに、ライモンシティはまったく眠る様子を見せなかった。どこもかしこも無休で稼働しており、唯一遊園地が大人しくなったくらいで、他の施設は日中と変わらなかった。僕と緑葉はお互いに服を着替え、心新たに、サブウェイに来ていた。どうやら正確には『ギアステーション』という名前であるらしい。なるほど、その名前通り、施設は歯車のような構図になっていた。中心に昇降用の階段があり、そこが筒状になっている。ギアステーションは円形で、そこから歯車の突起の部分に、各ホームが繋がっているようだった。
「すごいな……山吹のリニアとは規模が違う……」
「アトラクションみたいだねー」
ギアステーション内部にも何人かの利用客がいた。何故かひたすら歩き続けている人もいる。円形だから、行き止まりがない、という利点があるのかもしれないが――何故歩き続けるのだろう。そこに道があるからか。
「さて……えーと」入口で手に入れた案内図を開く。「ダブルバトルの利用は、『マルチトレイン』……か。『スーパーマル チトレイン』ってのもあるみたいだけど……どっちがいい?」
「スーパーは参加出来るのかな?」
「ん……あ、だめだ。通常の『マルチトレイン』で連勝しないと参加出来ないのか。ふーん……まあ、棲み分けみたいなもんか」
「棲み分け?」
「見た感じ、連勝を重ねて行くのがこの施設の主な利用法みたいだからさ、『スーパーマルチトレイン』に初心者が参加したら、運次第で連勝しやすくなることもあるじゃん。だから、『スーパーマルチトレイン』には上級者しか参加出来ない……ってことだと思うよ」
「でもそれだと、『スーパー』の実力を持ってる人が普通の『マルチトレイン』に参加したら、勝ち続けられちゃうんじゃない?」
「うーん、まあそうだね。連勝することで気持ちよくはなれるかもしれないけど……でも、あんまり旨みがないみたいだよ」案内図に書かれているポイント制度を見る。「連勝するごとに、ポイントが取得出来るらしい。で、豪華アイテムと交換……だってさ。当然、『スーパー』な電車に乗った方が、取得ポイントは高い、と。だから、『スーパー』に挑戦出来る強さを持ってるのに、普通の『マルチトレイン』に参加するのは、時間の無駄」
「なるほど」
「まあ僕はアイテムには特に興味ないけどね。せっかくだし、試しに参加してみようか」
「そうだねー」
僕と緑葉は案内図通りに、ひとまず『マルチトレイン』に参加することに相成った。七両編成の電車に乗って、そこでバトルをする……という娯楽施設らしい。受付にて、『マルチバトル』に参加するポケモンを、二匹ずつ選ばされることとなる。一人二匹で、計四匹を利用してのダブルバトルであるようだった。
「タイプ相性とかどうしよっか」
「ダブルバトルは……恥ずかしながら、経験がないんだよな、僕」
「私は何度かあるかなー」
「そうなんだ? へえ、旅の途中でとか?」
「うん。ポケモンの密集地帯だと、一人で抜けるのは大変だから、短期的に組んだりしたことがあるよ」と、緑葉はポケモントレーナーらしいことを言う。「私はこんこんと……うーん、そうか、攻撃の相性もあるもんね。単体攻撃と、複数攻撃と、全体攻撃と……」
「まあお試しだし、負けてもいいんだから、適当に選ぼうよ」とは言うものの、やはり六匹から二匹だけを選ぶというのは、なかなかに難しいものがある。「とりあえずトップバッターはハッサムで……うーん、こっち来てから使ってないし、アブソルにしておこうかな」
「攻撃タイプとか、あんまり意識しなくてもいいのかな?」
「最初だからね。あ、でも、僕にまで被害が来るのは勘弁ね。自己回復系の技は覚えさせてないからさ」
「りょーかーい」
結局、僕はハッサムとアブソルを、緑葉はこんこん(緑葉の代名詞とも言える、キュウコンである)とワタッコを、選んだ。『虫・鋼』と、『悪』単一。それに『炎』単一と、『草・飛行』か。割とどんなタイプにも対応出来る――のだろうか? まあ、得意なタイプがいれば、極端に相性の悪い組み合わせもある――というのが、ポケモンバトルの醍醐味である。そう簡単に解決出来るような問題ではないし、完璧というものは、求められないだろう。ならばいっそ、適当に決めるのも、また正しいあり方かもしれない。
「じゃあ、すみません、これで」と、僕と緑葉は、ボールを二つずつ、受付に差し出す。「他のボールはどうすればいいですか?」
「こちらでお預かりいたします」
基本的に、ポケモン関係の施設は、ほとんど全ての場所において、日本語に精通した方がいらっしゃるようだ。楽と言えば楽でいいのだけれど、あんまり、海外に来たという実感はない。ポケモン大国日本の、弊害か。
「それと――お選び頂いたポケモンのボールは、こちらの装置の上に」
「はあ。これはえーと……なんですか?」
「施設専用の装置となっておりまして、ポケモンのレベルを共通させるものです」
「レベルをですか」
「『バトルサブウェイ』では、ポケモンの力量差ではなく、トレーナー様の『育成力』と『判断力』を競っていただく施設となっております。そのため、ポケモンの成長度合いを一律五十とさせていただきます。加えて、トレーナー様が戦闘中に道具を利用することも出来なくなっております。純粋なポケモンバトルの強さで競っていただきます」
「へー……すごい、本格的なんだね」と、緑葉は装置を手に取りながら言う。「ポケモンに道具を持たせるのはいいんですか?」
「問題ありません。もっとも、普通のポケモンバトルとは違い、ポケモンを繰り出しての戦闘とはなりますが、半分は仮想戦闘システムを利用していただくことになりますので」
「仮想……?」
「こちらの装置が、ポケモンのデータを読み取ります。どのような能力を持っていて、どのような技が利用出来るか――ということを認識するのです。『バトルサブウェイ』の専用トレインでは、その情報をトレイン自体で読み取ることで、攻撃やダメージ等は、デジタルデータとして処理されます。戦闘も、そのデータを基にした情報戦という形になります」
「へええ! 進んでますね!」
「ありがとうございます」受付のお姉さんはにっこりとほほ笑んだ。「ですので、使い切りの道具――例えば、木の実や、ジュエルといったものは、車両を移るごとに、回復します。もちろん、ポケモンたちのダメージも実際に傷ついているわけではありませんので、車両を移り、次の戦闘をする際には全回復している状態です」
「へー、すごい! ゲーム感覚なんだ」
「すごいなあ、イッシュ……いや、関東の『バトルフロンティア』もこれと似たようなシステムなのかもしれないけど……なるほどなあ。なんとなくわかりました。ありがとうございます」
「とんでもありません。それでは、間もなく『マルチトレイン』がホームに参りますので、線の内側にてお待ちください」
僕と緑葉は、二つのボールを装置の上に乗せた。装置にはアルファベットも振ってある。僕たちは『F―1』と書かれていたので――恐らくは、そのまま『F―1』と書かれた車両に乗り込めばいいのだろう。
「なんだかドキドキするね!」
「ポケモンの仮想戦闘システムってのは一時期流行って、今もひっそりと愛好家たちが続けているみたいだけど――うーん、こういう、しっかりした施設でも使われているんだなあ。確かに、ドキドキしてきたぞ」
「でも、レベルが共通ってことは――これはもう、負けちゃったら、言い訳出来ないね。タイプ相性が悪かったら、打つ手なしかも」
「確かにそれはあるな。僕、割と成長差で打ち勝ってきたようなところあるし……ちなみに緑葉のこんこんって、何持ってるの?」
「持ち物? 鉄さんお手製の、木炭だよ」
「ほー……」
鉄さんというのは、僕と緑葉の生まれ故郷である上都地方は檜皮市で、木炭職人の弟子として生活しているお兄さんのことである。僕の人間関係の中では、ポケモンとほぼ無縁の人物と言っていい。まあお弟子さんとは言え十年くらいは修行をしているはずなので、もう一人前の職人になっているのかもしれなかったが。
「ハクロは?」
「えっと……あ、待てよ? まだ持ち物入れ替えられるのかな」
「どうして?」
「さっき、木の実やジュエルは使ってもまたリセットされるって言ってたし……この施設に限って言えば、短期決戦のゴリ押し戦法をしても平気ってことか」
「だね」
「じゃあ、ハッサムの持ち物だけ入れ替えよう」と、僕は肩掛けカバンの中から、宝石を取り出した。「じゃじゃーん、『鋼のジュエル』だー」
「あ、いいなあ。私貧乏性だからあんまり使えてないんだよね、ジュエル系」
「これ、普通の道具に比べて小さくて持ち運びしやすいから、結構たんまり仕入れたんだよね。試合も早く終わるし。緑葉も使う?」
「何を?」
「実は『炎のジュエル』も持ってるんだよね。一応『炎』技が使えるポケモンもいるから持ってるんだけど、使い道はなくてさ」
「あー……どうしよう、木炭より強いかな」
「一回限りならね。もしかしたら、『バトルサブウェイ』の戦闘システムなら、こっちの方がリターンが大きいかも」
「なるほど。うーん、ダブルバトルだし、協力しちゃおう!」
「おっけい」
緑葉に『炎のジュエル』を渡して、それをこんこんの木炭と入れ替えたあたりで、丁度『マルチトレイン』が、ホームにやってきた。僕たちは、『F』の車両に乗り込む。『1』というのは、前の扉のようだった。なるほど、前後に扉があって、その双方向から乗り込み、同じ車両のトレーナー同士がバトルをする、ということのようだ。
「さて……じゃあやりますか」
「ハクロハクロ」
「ん?」
緑葉が右手を挙げて待機していたので、瞬時に何を求められているのか察知した僕は、勢いよく、自分の右手をそれに合わせた。ハイタッチ、である。
「いえーい!」
「よっし、じゃあ、いっちょやるかあ」
「おー!」
威勢よく、意識高く。
僕と緑葉は――初の『ダブルバトル』のチームを組んで、イッシュのトレーナーに、挑むこととなったのだった。
◇
「バレットパンチ」
僕のハッサムの『バレットパンチ』によって、六戦目のトレーナーが繰り出した最後のポケモン、ニョロゾが沈んでいく。装置によってフラットにされた成長度ではあったが――流石に、進化前のポケモンは、進化前のままであった。というか、意外と、そういう、未進化のポケモンを使うトレーナーが多くて――こう言ってはなんだが、期待外れだった。僕のように、かなり育ったポケモンを使っていたら、レベルは下げられる。一方、育成が苦手でポケモンを育てられないトレーナーの低レベルなポケモンは――引き上げられる。レベルが一律かもしれないが、しかし、完成度は低いポケモンが多かった。なので、現状、有り体に言って、退屈な戦闘が続いていた。
「バレパン速いなー」
最終ターン、何もすることがなくなったこんこんは、退屈そうにあくびをしていた。半仮想戦闘システムとは言え、一応、ポケモンたちは車両内に繰り出されている。恐らくこの電車内には、ポケモンの攻撃を無効化するシステムが組み込まれているのだろう。例えばこんこんが火炎放射を吐いたとしても、その『炎』は実際には吐き出されず、情報として、相手ポケモンにダメージとして与えられる。ハッサムの『バレットパンチ』にしてみても、実際に相手のポケモンを殴りつけるようなことはなかった。トレーナーの利用のしやすさと、施設側の運営のしやすさ、良いところだけが組み合わさっている。
「バレパンは素早さが取り柄だからね。ま、今回も楽勝だったかな……」
戦闘が終わると、しばらくのインターンがある。この『マルチトレイン』は、七回の戦闘が終わると一旦駅に向かうらしい。一度でも負けたトレーナーは、全戦闘が終わるまで、電車を降りることは出来ないシステムになっているようだ。その間、どうして負けたのか、何がベストな選択だったのかを考えるのだろう。僕には耐えられないであろう時間である。
アナウンスがあり、僕たち『F―1』のトレーナーは、違う車両へと移動を強いられる。全七戦で、七連勝出来るのは一チームのみ、ということは――ん、単純計算で、現在僕と緑葉のように六連勝したチームが二チームあるということになるわけだから、倍々計算すると……おお、全部で百二十八チーム必要ということになるのか。加えてダブルバトルだから、二百五十六人がこの『マルチトレイン』に乗っているということになる。うーむ……どれだけ大規模なんだ、という気がしてきた。いや、もしかしたら、何チームかはシードのような扱いを受けているのかもしれないし、棄権の場所もあるのかもしれない、のか。時間の都合とか、諸事情で、途中でリタイアするチームがいるのかもしれないわけだしな……と、無為な思考を展開するくらいには、結構、待ち時間の多い施設だった。
「次で七連勝?」
「……だね。ようやくこの電車から降りられるみたいだ。正直、疲れて来た」
「結構時間かかるからね、一回の乗車で」
「だね。さっき戦った人から聞いたけど、連勝数はストックされるみたいだから――七連勝で一旦終わらせた方が利口かな。そんで、また明日にでも来て連勝数を重ねる……ってのがいいみたい。『スーパー』に乗るためにも、二十一連勝はしておきたいしなあ」
「ああ、さっきのハクロ、そんなこと話してたんだ……英語だったから全然分からなかった」
「流石に普通のトレーナーさんは、日本語喋れない人が多いみたいだからね。と言っても、僕も日常会話くらいしか出来ないけどね」
「うー、私も勉強しようかな」
「イッシュにいるうちにカミツレさんに教わるのはいいかもしれないけど……いや、なんか怪しい言葉ばかり教えられそうだから、やめといた方がいいか……」
「うん……」
とかなんとか言いながら、次の車両に移った僕たちは――そこで、なんだか、雰囲気の違う二人組に、巡り合うこととなった。今まで戦ってきたペアとは、一見してオーラが違う。強いて言うならば――僕と緑葉のように、ポケモンのペアというよりは、人間的な仲の良さを、そこに見出した。
いや、それ以前に――
――この人たち、日本人だ。
「あの……」なので当然、僕は日本語で話しかける。「突然すみませんけど……日本人、ですよね」
「ああ、これはこれは――」
そのチームは男女ペアだった。女性の方は、僕や緑葉より年下に見える。小柄ではあるが、姿勢が良く、身なりも良く、とても上品な女性だった。隣の男性は――僕と同い年、くらいだろうか。背が高く、細見で、燕尾服を着ていた。銀縁眼鏡に、オールバックの髪型。まあ、なんだろう、僕のイメージだけで言うなら――執事、というのが、第一印象だった。
「ご推察の通り、日本人でございます。本日はよろしくお願い致します。私たちは、『Q―4』のチームになります」
「は、はあ……よろしくどうぞ」
丁寧すぎる発言に、少しだけ困惑する。隣の緑葉も、「どうもー」と、小さく言っただけだった。
「それと――私どもには込み入った事情がありまして……モンスターボールの使用の一切を、私めがさせていただきます。ポケモンの技選択、攻撃対象、交代判断等は、各々でさせていただきますので、どうかご容赦くださいますよう……」
「ああ……ええ、それは別に構いませんけど」
「ありがとうございます」執事風の男はにっこりと微笑んで、恭しく一礼をした。「それでは七連勝を賭けた戦いを始めましょう。お嬢様、準備はよろしゅうございますか」
「いつでもいいわよ」
「それでは――」
執事風の男の白い手袋から放たれたボールは、片方は紅白のノーマルなボールだったが――もう片方は、値段のべらぼうに高い、言ってしまえば成金趣味の――『ゴージャスボール』だった。
片方から現れたのは、カイリュー。
そしてもう片方から現れたのは――ピカチュウだった。
「おお……関東産かな」思わず僕は口にする。「よし、そんじゃあ僕らも」
「うん」
僕と緑葉も、モンスターボールを勢いよく投擲し――こんこんと、ハッサムを繰り出す。
さて、一瞬にして、僕の頭に描き出されるのは、タイプ相性。『竜・飛行』のカイリューは、目立った弱点を持たない。『氷』タイプの攻撃であれば、『竜』にも『飛行』にも有効であるから、致命傷になるのだが――あいにく、僕も緑葉も、『氷』タイプの技は、持ち合わせていない。同時に、『竜』に対する『竜』の選択肢も、持っていない。
対して、ピカチュウに対する有効手も、実を言えば持っていなかった。『電気』単タイプであるピカチュウは、『地面』以外の攻撃を、有効打として認めない。
「――割と、相性の悪いのが最後に来ちゃったなあ」
「だねー」緑葉はしかし、笑いながら言う。「でも、ようやく二匹目が出せそうかな?」
「お互いね」
そう。
二匹ずつ選んだはいいけれど、あまりに骨のないトレーナーばかりを相手にしていたせいで、僕も緑葉も、先頭の一匹目しか使用していなかった。控える二匹目の、ワタッコとアブソル。彼らはこの六戦、ずーっと暇にしていたのだ。相性が悪いなら、悪ければ悪いほど、戦いとしては――楽しめる。
そんな風に思っていた僕だったのだが――しかし、突如として行われた、目前の二人の会話を聞いて、若干の不安要素を、心の中に芽生えさせることとなる。
「おや――流石は六連勝をされた方々、と言ったところでございましょうか。このお二方、この二匹だけで勝ち進んできたようでございます。特に危険視すべきなのはハッサムでございましょうか――お嬢様、ハッサムのセオリーは覚えていらっしゃいますか?」
「ええもちろん。『剣の舞』による積みと、『馬鹿力』による重たい一撃。それに、属性一致の『バレットパンチ』を『テクニシャン』と『鋼のジュエル』で底上げしてくる型――加えて、『バレットパンチ』が『馬鹿力』で仕留め損ねた襷対策をしてくる……というところでしょう?」
「流石でございます、お嬢様」
「当然、育成の形も、素早さと物理攻撃の底上げでしょうね。となると、こちらのアカッター潰しが映えるかしら」
「そのようでございますね。さて、こちらも当然ご存じかとは思いますが――『剣の舞』『馬鹿力』『バレットパンチ』をほぼ確定と致しまして、四枠目は『羽休め』による自己回復、及び、タイプ一致の『とんぼ返り』による、ダメ押しからの交代の可能性がございます。もっともダブルバトルでございますから、そのようなセオリーに頼らず、タイプ一致の『シザークロス』で対応してくる可能性も十二分にございますので――お気を付けを」
「ええ、そうするわ」
……………………、
………………、
…………、
……悪寒が、走った。
今の、あり得ないレベルの会話を聞いて――僕は、背筋に、冷たいものが走り抜けるのを感じた。この会話は――今の、目前の日本人二人がした会話は――日常会話などではない。専門的で、妄信的な、異常な質の会話。
「……ハクロ、今の……何だか分かる?」
「今のは……うん、聞かなかったことにしよう」
その話を――実を言えば、僕は理解している。
と言うのも、この二年間で――より正確に言えば、初めて『ポケモンを育てる』という行為をすることになってから、僕はその辺の基礎の基礎を、あるいは根底の根底を、学ぶことになったからだ。僕のパーティにおいて、ダークライとフリーザーは、完全に野生のポケモンである。が――木蘭さんという、旧知の女性から譲られたアブソルを含め、残りの四匹は、孵化した状態から、全て僕が育て上げた。一から、十までだ。計画的に、育て上げた。青藍兄さんからの助言がほぼ全てだったと言って良いだろうけれど、とにかく僕は、負けないために、勝ちたいからこそ、育て上げた。専門的な知識をふんだんの利用して。
当然――ハッサムを育てることにしたときも、能力値や技選択のセオリーとは別に、その短所についても――教わった。『鋼』と『虫』の複合タイプに対する『炎』が弱点、というような分かりきった短所ではなく――『素早さ』と『物理攻撃』を底上げするからこそ生まれる、『防御装甲の薄さ』という短所を、教わった。
アタッカー。
言葉通り、攻撃に特化したポケモンだ。特にこの『マルチトレイン』のように、一回の戦闘で全てがリセットされるルールであれば――『馬鹿力』の能力変動は、無視していい。もしポケモンバトルが、数の戦いであるのなら――一匹で二匹倒せる強さがあれば、それでいい。最悪、一匹と一匹で交換出来れば、それでいい。だからこそ、『馬鹿力』と『バレットパンチ』の組み合わせは、凶悪なのだ。
彼らは、それについて、言及していた。
目前の男女ペアは――それについて、口走っていた。
襷対策――なんて言葉。
アタッカー潰し、などという響き。
それらを僕は、日常生活で、聞いたことがない。
「さて――準備も整ったようでございますので、そろそろ、参りましょうか」
執事風の男はそう言って、手を広げた。
「それでは戦闘前に自己紹介を。私、執事の紅々緑青と申します。こちらは朽葉財閥ご令嬢――私の主人でございます、朽葉乱麗お嬢様でございます。以後、お見知りおきを」
「どうぞよろしく」
「……朽葉?」
ああ――その名前は、聞いたことがあった。
子どもの頃、いくつかのパーティに連れ回されていた僕は、そうした世界について、いくつかの知識を植えつけられることになった。知りたくなくても、自然に身についた知識。いわく――僕たちが暮らしている関東の地名は、地名ではなく、もともとは有力者の名前であったということ。
当然、僕の家のある『朽葉市』も、その一つ。朽葉港に停泊する船も、ほぼ全てが『朽葉家』の所有物である。朽葉市や朽葉港の管理をしているのは実質的には少佐だが、しかしそれを所有しているのは――『朽葉家』の人間なのである。
――当然、サントアンヌ号も、『朽葉家』が所有し、『朽葉家』が出港させた。
まあ、だからと言って、この人に恨みがあるわけではない。僕はそんな些細な感情の揺れを、日常的に抱いているわけではない。この人が、事件と無関係なことは、分かっている。それに事件そのものは、船に不備があったとか、船員に問題があったとかいう話じゃあない。単純なテロ行為だったのだ。だから誰かを責めるのは、お門違い。ただ少し――僕は、思い出しただけだ。何人もの死者を出した……僕の両親さえも奪ってしまった、あの『サントアンヌ号沈没事件』のことを、ふと――思い出してしまっただけだ。
その事件のとき、『朽葉』の名前を、よく耳にしたことも。
何を憎めば良いか分からなかった僕が、『朽葉』の名前を、少しの期間、憎んだことも。
「エリートトレーナーの緑葉です。よろしくお願いします」
緑葉の自己紹介のあと――僕は、もちろん、相手がそれを知っているはずなんてないのに、死んでしまった乗客の名前をいちいち覚えているはずなんてないのに――それなのに、名乗ることにした。
廻り合わせなのか。
それとも、気になることが、あったのか。
単純に――名乗りたかっただけなのか。
自分が自分であることを、確かめるように。
「エリートトレーナー――空色白黒」
なんでかは分からなかったけれど。
「よろしくお願いします」
僕は機嫌が悪かった。