9
さてさて。
超絶ドラムソロを演奏し切った少佐に対して、ドラム担当の方が「マジで半端ねえこいつのドラムはクールすぎる」というようなことを言っていたり、ギター担当の方が「今のは俺のソウルにズドンと来やがった。やつがバスを踏む度に、俺は蘇るんだ」というようなことを言っていたり、ホミカすらも「こいつは理性も出戻りするぜ……」というようなことを英語で言ったりするくらい、少佐の演奏は凄まじかった。まあ僕が聞いても凄まじいと思うのだから、素人が聞いてすごいのなら、本職の方たちが聞いてもすごいのだろう。
一通りの演奏を終えたあと、どこで習得したんですかという僕の質問に対して、「俺にも若い頃があった」というだけの謎の返答をした少佐は、ホミカ率いるバンドメンバーの皆さんとセッションをしていくことになったらしい。「ポケウッドでの観光が終わったら呼びに来てくれー」と僕に言ってから、すっかり英語しかしゃべらなくなってしまった。日常会話くらいなら英会話も可能な僕ではあるが、流石にディープな会話にはついていけない。ジム戦も終わり、既に用なしとなった僕は、大人しくタチワキジムをあとにすることにした。その前にポケセンに寄って……と考えつつジムを出ると、出口のところで見送りに来てくれたホミカに、
「なああんた……悪態ついて悪かったな。いい戦いだったよ。最初だけはな。次は最後までいい戦いにしようぜ」
と言われ、曖昧に微笑んで別れた。というのも、それはホミカ自身がどうにかしなければならないことだったからだ。いくら僕が頑張っても、一人だけでは良い試合は作り上げられない。次に会う約束もしないまま、僕はタチワキジムをあとにし、ポケモンセンターで傷ついたポケモンたちを回復させた。
そして。
ようやく『ポケウッド』なる施設に足を踏み入れた僕だったが――予想に反して、というか、流石は海外、というべきか、人口密度が半端ではなかった。敷地は広大なのに――それを埋め尽くすように、人が存在していた。しかしながら、果たして『ポケウッド』なるものに大して興味もなかった僕は、マップを見ることもなく、お土産売り場を見るわけでもなく、とりあえず一番わかりやすそうな人から――と思い、とにかく人だかりを探した。
そして、見つけた。
黒髪の美人を中心に、人だかりが出来上がっていた。謎のポーズをとっている、ライモンジムリーダー。写真撮影をされまくっていた。いいのだろうか、モデルがこんなに安売りをして……。
人ごみをかき分け、中心人物を連れ出して、僕とカミツレさんはオーディエンスから逃げるようにして、なんとか座れる場所まで移動することになった。結果、カミツレさんオススメの、お土産売り場のすぐ近くにあったアイスクリームショップに入ることになった。ブラッキーアンドクリームやら、ポッピングシャワーズやらというフレーバーがあったが、僕は『抹茶』と漢字で書かれたアイスを注文した。日本人の心である。
「あらあら、デートに誘われてしまったわ」
アイス(ポッピングシャワーズ)をぺろぺろと舐めながら、カミツレさんは淡々とおっしゃられた。どうにもおかしな人だと思っていたが、このカミツレさん、いわゆる天然ボケであるらしいことが判明した。狙ってやっているとは思えない。いや、狙ってやっていることは、逆にことごとく寒い。
「他の皆さんが見つからなかったので……一番目立つカミツレさんをと思いまして」
「フウロちゃんはとりあえず一番奥まで行ったと思うわ。そういうタイプの子だから」
「水平線の彼方に……って感じですか」
「そうね。緑葉ちゃんはフウロちゃんに連れて行かれたわ。しばらく帰ってこないんじゃないかしら」
「はあ……」
「あのクマは知らないわ」
「少佐ですか……少佐はなんか、タチワキジムに入り浸っています。ご存じですか? なんか、スタジオみたいになってる……っていうか、ライブハウスか」
「ああ、なるほど。じゃあそっとしておきましょう」
むしろ好都合だとばかりに、カミツレさんは言った。少佐の日頃の行いが分かろうという言動だった。
「ちなみになんですけど……カミツレさん、少佐とお付き合い、長いんでしょうか。なんというか……フウロさんもですけど、親しげですよね。いえ、傍目から見ると親しげには見えないんですけど、一周まわってというか……」
「まあそうね……日本のジムリーダーで海外出身なのは少ないし、イッシュ地方にも詳しいから。それに私とは、共通点もあるし」
「ああ……電気タイプ、ですもんね。共通点がない方がおかしいか……」
「フウロもお空の関係で親しいみたいだし」一つ喋っては、アイスをぺろぺろ。「まあ、顔が広いわよね。なんでも屋という感じだから、誰とでもそれなりに話が合うんじゃないかしら。ポケモンに限らずね」
確かにまあ――そんな感じだ。僕が知る限り、関東地方のジムリーダーとは、趣味云々関係なく、単純に『関東ジムリーダー』として顔見知りという感じだったが、他地方に関して言えば、ワンクッション挟んでいる感じがあった。蜜柑とは、デンリュウを通じて交流があったようだし、恐らく他のジムリーダーとも、何らかの繋がりを含んでの交流があるのだろう。もっとも、柳先生のことは、苦手としていたようだったけれど……あれは単純に、先生の方に問題があるのだろう、と、弟子の僕は思ってみたりする。
「いいですね、そういう……ポケモン以外のところで共通点が見出せるのとか。僕はあんまりそういうのないので、憧れるところもありますけど」
「……困ったわね、これ、完全に人生相談の流れだわ」頬杖をついて、カミツレさんは何を思ったか、僕をじっと見据えた。「そして私がそれにベストな回答をしなければならない流れね。分かったわ、続けて」
「そんなことはありませんが」
「さあ迷える子羊よ、ジムリーダーのカミツレに、悩みを言うが良いわ」
「……いや、あのですねえ……」
僕は今までの人生の中で、人は見た目で判断してはならない、ということを強く理解していたはずだったのだが――特にジムリーダーは変人ばかりなのだから、あまり親しくなってはならないということを、どこぞの金髪のおかげで熟知していたはずだったのだが――何故こうして、カミツレさんと謎トークをかましているのだろう。本当に、心の底から、謎だった。
……まあ、しかし。
そういう流れなら、致し方ない。
さっき思ったことを口にしてみようと思った。
「えー……それでは、迷える子羊、日本男子、二十歳からのお悩み相談です」
「この子ノリが良いわ」
「ポケモンバトルが強いだけで他に能のない僕のような男が魅力的になるには、どうしたら良いでしょうか」
「……あら何これ、重いわ」
重かったらしい。
失敗したか。
「しかし数々の悩みを解決してきた私としては、今回もあなたを正道に導かなければならないわね」カミツレさんも大概ノリが良かった。「じゃあ言うから、心して聞くのよ」
「あれっ、もう答えが出てるんですか」
「真実はいつも一つだけなのよ子羊君」
「なるほど……」
神妙に頷いてみる。
……何がなるほどだ。
「とにかくそうね……そうした悩みは誰しも一度は通る道だと思うわ。何か一つのことにだけ一生懸命に生きていたら、いつの間にかそれ以外に出来ることがない人間になっていた……と言いたいわけよね」
「ええまあ……そんなところですけど」
「むしろ誇るべきことじゃないかしら」と、カミツレさんは言う。「一つのことだけに一生懸命に生きられる人って、なかなかいないわよ。というか……あなたのように、一つのことしか出来ないなんて、と思ってしまって他のことに浮気すると、大抵ろくなことにならないんじゃないかしら」
「ろくなこと……ですか」
「一つのことを努力し続ける人がいて、二つのことを努力する人がいて……どちらが強くなれるかは明白よね。そういうことじゃないってことかしら」
「あーまあ……それはそうなんですが、うーん」
正直ポケモンバトルの強さに関しては十分なんです……なんてことは、ジムリーダーの前で言うべきではないだろう。かと言って、それ以外に僕の現状を表現する方法が考え付かなかった。
あるいはそれは――緑葉のような存在にこそ、深く突き刺さる言葉だったのかもしれない。ポケモンマスターを目指し、チャンピオンを目指し、そのバトルとは縁遠い場所でエリートトレーナーの称号を取得した緑葉。
もしかしたら――本当に強くなれる人間というのは、本当に高みに到達出来る人間というのは――そういう保険を一切かけず、不安だらけの中、焦りだらけの中で、意思を貫き通せる人間だけなのかもしれない。
一歩間違えれば、踏み外してしまうけれど。
それでも歩き続けられる人間にだけ、栄光は微笑むのだろう。
「望んでいるような答えではなかったかしら」
「いえ、決してそんなことはないんですけど……まあ、なんていうか……面白くなりたいんですよね。魅力的に、と申しますか……カミツレさんのように、モデルとして成功しながらジムリーダーなんて、末恐ろしい話ですよ。フウロさんにしてみても、飛行機の操縦なんていう技術を持ちながらジムリーダー……ほんと、尊敬します」
「マチスさんもそうなんじゃない?」
「いやあ……あの人は人外ですから」
「けれど、私はあなたには勝てないわ」
と、カミツレさんは、今までのふざけた調子から一転、少し真面目な様子で言う。舐めるアイスももうなくなっていた。
「漠然とそうかもしれないとは思っていたけれど、あなたは多分、日本にいるという天才少年なのよね。以前に電気パイロットから聞いたことがあったわ」
「……もう少年って歳でもないですけどね」
「いいんじゃないかしら、別に趣味がなくても、他に特技がなくても。そのことにだけ熱中していれば、私のようにポケモンが好きな人間には、十分魅力的に映るけれど」
と。
魅力的すぎる眼差しを、カミツレさんは、僕に向ける。鼻が高い。堀が深い。目の造形は、まるで人形だ。
「……しかし、いつまで続くのか」
「勝ち続けている限り、誰もあなたを見捨てたりしないでしょうし、いくらポケモンが強くても、魅力のない人とは誰も仲良くなろうとなんてしないと思うわ。安心しなさい、迷える子羊よ。強いうちは、大丈夫。そして強くあろうとしている間は、弱くても、大丈夫よ」
最後の方は若干芝居がかった感じだったが――しかし、言われて嬉しいことを言われた感じだった。的確に、ピンポイントで、多分僕はそういうことを言われたかったんだろうということを――無意識に言われたかったのであろうことを、言われた結果になった。
「それに、緑葉ちゃんはあなたのなんなのよ」
「なんですかその恋敵みたいなセリフは」
「ただの旅のパートナーなのかしら、それとも、ポケモン仲間?」
「あー……いえ、まあそう意味では、決してポケモンが原因で知り合った関係ではありませんね」
「そういう人がいるなら大事にすればいいわ。大人になればなるほど、趣味以外の部分で付き合いが出来る人間なんていないのだから。大事にしてあげてね」
「……ありがとうございました」
「ふう……パワーポイントが枯渇したわ。相談料としてもう一つアイスを買ってもらおうかしら」
「アイスくらい……いいですけど。逆にいいんですか? いくつも食べて」
「太ってしまうのではないかという心配かしら」カミツレさんは、分かってないわね、というような表情で続ける。「子羊君、太ったらね、痩せればいいのよ」
「…………!」
モデルとは思えない根性論を聞いた気がした。そう、太ったら、痩せればいい。なんだろう、僕のように、ほどよく完璧主義者であるが故に挑戦心を失いつつある保守的な人間には思いつかない考え方である。太ったら、痩せればいい。まあそれは、太っても痩せられる根性のある人間にしか発せられない言葉ではあるのだが……僕のように、太る前に禁欲しようというタイプの人間とは真逆の考え方である。
「そ、そうですね、太ったら痩せればいい。ごもっともです。素晴らしいお答えです」
「それに、思いついちゃったから言うわ」
「なんですか?」
「魅力がないなら、作ればいいのよ」
「魅力を……?」
「魅力は、作れる」
ガッツポーズをして、カミツレさんは斜め上に視線を向け、しばし固まった。
「弱ければ強くなればいいし、出来なければ出来るまでやればいいのよ。簡単なことだわ、子羊君。案ずるより産むが易しよ」
「……す、素晴らしい! なんて暴力的なまでの正論ですか……! 完全な根性論……素敵です!」
「そうよ、ないものは作ってしまえばいいの。さあ、私にストロベリーフィアチーズケーキを買ってくるのよ」
「わっかりましたぁ! 行って来ます!」
「コーンで頼むわ」
「はいぃ!」
超絶ポジティブシンキングを受けた僕は、ひとっ走りしてアイスを買いに向かった。しかしながらこの店、ポッピングシャワーズはまだしも、他のフレーバーのネーミングセンスに難があるような気がする。ストロベリーフィアチーズケーキ……実物を見てみたら、赤と白色だ。どう見てもリーフィアではない。というかこれ完全にブースターカラーだろう……! トレーナーズカードで支払いをして、自分用にももう一つアイスを買って、さっさか席に戻り、カミツレさん(心の中ではカミツレ師匠を呼ぶことにする)に手渡した。
「ストロベリーフィアチーズケーキをありがとう」
「ええ……しかしカミツレさん、この店のフレーバーのネーミングですが……」
「ええ」
「どう思い……」
ますか、と僕が尋ねようとすると、若干食い気味に、「私が考えたのよ」という、一瞬では言葉の意味を理解出来ないような発言が、返ってきた。僕は慌ててアイスを口に詰め込む。喋りかけたのなら物理的に塞いでしまえば良いのだ。
「どうかしら、このセンス」
「素晴らしいと思います、カミツレ師匠」心の中に留めておこうと思った呼称で呼んでしまった。「イーブイの進化系限定なんですか」
「そうね。ポッピングシャワーズは特に秀逸だと思うわ」
「同感です」
なんで僕はこの人に服従しているのだろうという疑問はあえて持たない。
「他のフレーバーは見てなかったんですが……そうですか、カミツレさんのセンスでしたか……ああ、だからどこへ入ろうかと画策していたとき、一も二もなくここへ……」
「もともとここのアイスが好きで、よく食べていたら、そういうお話があったの。期間限定キャンペーンらしいけれど、せっかくなので快諾させていただいたわ」
「そうですね、モデルですもんね、そういう仕事が来てもおかしくないですもんね……」
「もんもん言わないで。古傷が疼くわ」
「なんですか?」
「いいのよ、気にしなくて。私も少し、大人になったつもりだから」アイスをぺろぺろしながらそんなことを言われても、説得力はなかった。見た目の若さ指数から言って、どう考えても十代後半だ。「あなたは何を注文したの?」
「『バニラ』です」
「そう……さっきは抹茶だったわね」
「割とシンプル嗜好なので」
「抹茶はどうにもならなかったから諦めたわ。もっとも、日本産のものだから、イーブイたちの名前に合わなかったというのもあるのだけれど」
「そうですねえ……抹茶、か。グリーンティですから、もじるとしたらグリーフィアティ……ティは邪魔だから、グリーフィアとかになりますか。茶葉でも刺したら可愛いですね」
「……!」
「師匠、どうしましたか」
「続けて頂戴」
「続けて……とは」
「例えば他のアイスならどんな風な名前にするかしら」
「い、いや、そう簡単には……」
「仕事だと思って考えて頂戴」
「う……そうですね、しかしイーブイ限定となると……イーブイから始まって、ブースター、サンダース、シャワーズ……ブラッキーにエーフィ、リーフィアにグレイシア……日本で確認出来てるのはこれくらいですけど、他にいましたっけ?」
「他にもニンフィアとかいるみたいだけれど……いいわ、とにかく子羊君の知っている範囲でやってみて」
「そうですね、その中からだと……うーん、まず色を合わせる必要がありますよね」
「色……そうね、色……色は重要だわ。ストロベリーチーズケーキなんて、リーフィアと色が全然合ってないじゃない……!」
手に持ったアイスを睨み付け、わなわなと震わせながら、今更かよというようなことを、カミツレ師匠はおっしゃる。
「グリーフィアの方がよっぽど覚えやすいし、色も合ってるわ……というか、そのくらい短い名前の方が覚えやすいじゃない……!」
「いえ……僕もポッピングシャワーズはかなり秀逸だとは思っているんですが……そもそも、せっかくイーブイをキャンペーンのマスコットにしているなら、ダブルで注文したときに進化適応されるとかの方が、特性上理にかなっている気はするんですよ」
「!」
「そうすると相対的に注文時の投資金額が上がるような……って何を真面目に考えてるんですかね僕は」
「それいいわ。ファンタスティックよ」バリムシャとコーンを噛み砕いたカミツレさんは、素早くCギアを取り出した。「今すぐ提案してみましょう。これでヒウンアイスを超えられるわ」
「いえ、あの……」
「はあ……とってもエキセントリック。やはりお国柄のセンスというやつなのかしら」
「あの……そんな何故か大声を出しながら身振り手振りを添えていると、せっかく目立たないように奥の席に座ったというのに外から丸見えですよ……」ちらちらガラス窓の向こうを見る。おいおいあれってスーパーモデルのカミツレさんじゃないのか、みたいな顔をした通行人が何人もいた。日本なら遠巻きに見て写真でも撮るところなんだろうが、イッシュ地方という土地柄のせいか、日和ることなくぐいぐい見に来る。「ほら、いろんな人が見てますよ……」
「いいじゃない、減るもんじゃないんだし」
「それは見られる側のセリフではありません……! ほ、ほら、言わんことではないですよ、近づいてくる二人組が……」
「やっほーカミツレちゃん! やーっと見つけたよー。一緒にアイス食べようね!」
「ハクロー、やっと見つけたあ……」
「緑葉とフウロさんだったよ! この三人がそろったら目立つのは必至だよ! 僕の存在感のなさでもこれは帳消しには出来ない!」
二人掛けの椅子とテーブルを横にずらしてくっつけ、四人テーブルが完成! 僕の隣に緑葉が座り、四人で仲良くおやつタイム! スーパーモデルとハーフとダイナマイトボディが集まったことで店内の視線はこのテーブルに釘付け! 場所が場所だけに、テレビの撮影でもしてるんじゃないかと思われているのかもしれない!
…………なんで!
「ポケウッドすごかったよハクロー……ハクロは何か見て来た?」
「え、ああ……うん」言いたいことは全部アイスと一緒に飲み込んだ。「まあ。というか今の時点でかなりすごいのは実感しているんだけど……」
「そうだねー。奥の方まで行ったら、なんかすごい話しかけられたけど、英語全然分からないから、何言われてるのか分からなかった……」
「あーそれはねえ、ナンパされてたんだよー」朗らかにフウロさんが言う。「お嬢さん可愛いね! ってね!」
「ええ、そうだったんだ……日本人だから珍しいのかな?」
腕を組んだ状態で自分の頬をつまみ、不思議そうに緑葉は言った。そうではないのだ。緑葉の整った顔立ちに日本美人的な性能を兼ね備えた立ち振る舞いが、男の欲求を刺激するのだ。頼むからその日本人特有の気の弱さとか自己評価の低さをなんとかして欲しいと心から願う。やはりフウロさんたちに任せて緑葉と距離を置くのはいけないことなのだと再認識。これからはちゃんとそばにいようと心掛ける。
「話が通ったわ」Cギアをしまいながら、カミツレさんが言う。「子羊君の名前もクレジットしてもらうように言っておいたから」
「結構です」
「あれ? そう言えばマチスさんは……?」
「ああ、少佐はミュージシャンになったよ」
「……?」理解不能らしい緑葉。
「そっか、じゃあ、マチスさんがいないなら丁度良いから、これから四人でひとっとびしてどこかでごはんでも食べようよ!」今まさにアイスを食べているはずのフウロさんがにこやかに言う。しかもさりげにひどいことを言っているような気がした。「どこがいいかなあ。ライモンか、ホドモエか、ヒウンか……」
「そうね、そろそろお腹が空いてきた頃だものね」
「そうですねー」
カップに三つ入ったアイスを食べながら、緑葉はのんびりと言った。やはり何かがおかしい。僕はアイスを二つ食べてお腹がいっぱいだと言うのに。女性陣は臓器が胃袋しかないのかな?
「ハクロ君はどこがいい?」
「僕ですか? 僕は……」どこでもいいです、と言おうとしたが、このままでは存在感がかき消されるような気がしたので、なんとか発言を心掛ける。「じゃあ、ええと……ライモンで」
「おっけー! とんぼがえりになっちゃうけど」フウロさんはいそいでアイスを舐め始めた。「ほら、緑葉ちゃんも急いで食べちゃおう!」
「そうだね、早く食べちゃうよ!」
「まったく……フウロちゃんは子どもね。それに、それを言うならボルトチェンジよ」
「いえ、とんぼがえりで合ってます」語源の意味を理解してないんだろう。「しかし少佐はいいとしても、『ポケウッド』の観光はいいんですか?」
「なんだかんだで二時間ほど滞在していたもの、そろそろ河岸を変えるのも一興だわ」
「ああ、もうそんなに経ってたのか……しかしカミツレさん、河岸を変えるなんてすごい日本語知ってますね」
「ビリビリ空軍に教わったわ。日本ではとってもスマートな表現だって」
「いえ、主に四十代以降が二件目の飲み屋に行く際に使用する言葉です」
「そう……彼とは絶縁した方が良さそうね」
「電気使い同士だけに、ですか」
「! 何そのセンス! 私も欲しい! 他にも何か言って!」
「何か……何かと言われましても」
「仕事だと思って考えて」
「そうですね……では、少佐への抵抗感とかけまして、ネイティブな感嘆と解きます」
「その心は?」
「オーメーガー」
「…………天才だわ」
両手を掴まれ、きらきらと輝く目で見つめられる。やられているこっちが見入ってしまうような瞳だった。
「子羊君、日本語の未来は明るいわ」
「確かに英語はこのような言葉遊びが難しいですからね……心中お察しいたします」
「食べ終わったよーっ!」マイペースの極まっているフウロさんが片手を上げると、二つのミルタンクが揺れた。恐ろしいぞイッシュ地方。「さあさ、ライモンに向かおう! マチスさんが帰ってくる前に!」そして大概ひどい。
「それじゃあ行きましょうか」
「ひゃーうぃごーう!」
来場客の注目を一身に纏いながらさっさと店を出ていく二人をぽかんと見つめながら、僕と緑葉はなんとなく、立ち上がれずにいた。きっとイッシュだからというわけではなく、あの二人が特別におかしいのだろう。
「えーと……緑葉、もう歩ける?」
「急いで食べたから口が冷えてる……けど大丈夫だよ。せっかくイッシュに来たんだし」
「……そうなんだよなあ」
ふと冷静になり、僕は不可抗力であったとは言え、何を一人でタチワキジムに挑戦したりしていたんだろう……などということを思う。そもそも『ポケウッド』にしてみたって、僕がしたことと言えばアイス屋でアイスを食べたことくらいだ。あまりに無意味すぎて頭痛がする。
「まあでも、いつまでいるって決めてるわけでもないし、来たければまた来ればいいか」
「ん?」
大事にしなさいと言われたばかりだったし。
例えば僕がポケモンを失って、何もなくなってしまったとき、自分の周囲を見渡してみると――まあ、それでも何人かは、無償で僕に付き合ってくれる人もいる気はするけれど、一番に思いつくのは緑葉だし、それは恐らくこれからも変わらないであろうことだ。
「行こうか、緑葉」
僕は緑葉の手を取って、立ち上がる。
「わっ……どうしたの急に」
「さっき『ポケウッド』を歩いてて思ったけど、人が多すぎるからさ……はぐれないようにね」
「あ、なるほど……そう、ですね」
「何さ」
「ううん、別に」
「ナンパされても困るしね」
「じゃあ私も」と言って、緑葉は手を握り返す。「ハクロがどこかに行っちゃうと困るしね」
「そうやって繋いでおいてくれた方が助かるかな……気付いたら知らないうちに、どこかへ連れて行かれそうだし」
「今も知らないうちに連れてこられてるけどねー」
「まあね。でも、緑葉と一緒にいれば、ある程度は心配しなくて済むから……出来る限りこうしていよう」
僕は緑葉の手をしっかり握って――もちろん、カミツレさんたちといる間は、手を繋いでることは出来ないのだろうけれど、そのたった数分、数秒の間だけでも、はぐれないように、迷わないように、繋いでいようと思った。
広大な土地で、
見知らぬ土地で、
知らない別世界で、
今のところ、僕にとっての居場所は、緑葉の隣しかないのだということも、強く思い知った。そして、緑葉にとってもそうであることを祈って、僕は手を繋ぐ。手を繋いでいることが、物理的な近さが、これほど大事なことだとは知らなかったのに。それがベストなことだろうと思って、手を繋いだ。
これから起こることに対する危惧なんて、一切なかったのに――その時僕は、そう思っていた。