『影絵とクッキー』
この話をする前に、電気を消そう。
そして、蝋燭に火を灯そう。
うん、いいね。それじゃあ、話を始めよう。
昔の話になる。小学生の時分、尻尾の生えた少年が転校してきた。先端に火が灯っている。私が彼に、それは何? と訊ねると、生まれた時から生えてるんだ、と答えてくれた。
火蜥蜴という妖怪に呪われたんだと彼は説明していた。火蜥蜴というのは紅い身体をした、尾の先に火を点した妖怪だ。普通に生活していて見ることなど滅多にない。私は彼が興味深かったのもあって、親しくなろうと努力した。もっとも、努力などせずとも、子ども同士はすぐに仲良くなれる。私と彼はすぐに打ち解け、親友と呼んでも差し支えのない関係になった。お互いあまり裕福ではないことや、少し頭が悪いことも、仲良くなる秘訣だったのかもしれない。
しかし、人間に尻尾が生えていて、尚且つ火が灯っているともなれば、おかしな目で見られるのは必至だ。彼は当然好奇の視線を浴びることとなった。彼は学校ではずっと後ろの席にいたし、水泳は出来なかったし、雨の日には学校に来なかった。身体的におかしいだけならまだ救いがあったのかもしれないが、そうした、集団から外れた行動を多く取っていたこともあって、次第に疎まれることも多くなった。それでも、私は彼と友達だった。彼と一緒にいることで、今まで付き合いのあった少年たちと疎遠になることもあったが、私はそれを受け入れた。彼は優しい少年だったのだ。そんな少年を、見た目の悪さや、行動のおかしさで仲間外れにすることは、良くないことに思えた。
彼が転校してからしばらくが経った頃、私と彼の仲がぐんと深まる事件が起こった。彼の家は非常に遠くにあり、学校から歩いて一時間ほどがかかる距離にあった。ある日、私と彼が一緒に下校していると、ぽつぽつと、雨が降り始めた。夕立という季節ではなかったので、単純に天気が崩れたのだろう。私の家は学校から二十分もかからぬところにあり、雨が降り始めた頃には、丁度近所だった。傘でも貸してやろう、と思い、私が彼を見ると、彼は人生の終わりだとでも言うように、顔面蒼白になり、立ち尽くしていた。
何が起きたのかを訊ねるより先に、私は彼を家に招いた。それまでにも、彼を家に上げたことはあったので、母は別段驚きはしなかった。少し濡れた頭を拭きながら、彼と部屋で向き合うと、彼は少しずつ、秘密を話してくれた。
彼の尻尾に灯った火は、生まれてからずっと絶えず燃え続けているらしい。そして、彼に尻尾が生えているのは、呪いではなく、彼が火蜥蜴の子どもだからと言った。どういうことか、と訊ねると、彼は半妖なのだと言った。親が火蜥蜴と人間なのである。私はひどく驚いたが、嫌いになろうという考えは起こさなかった。彼は、その話をしたら私に嫌われるのではないかと随分心配していたらしい。しかし、当時の私にとってみれば、親の話など、どうでもいいことだった。
また、彼はさらに、尻尾の秘密も話してくれた。彼の尻尾の火が消えると、命は尽きるというのだ。親から強く教えられていることだという。本来であれば、火蜥蜴たちは外の世界には出ないのが普通だという。人里は愚か、森にも出ない。ず-っと奥深くにある洞窟の中に住み、そこで一生を終える。何故なら、雨に打たれたら、そこで命が消えてしまうからだ。彼が絶望していたのはそういうことだったのか、と私は合点がいった。また、彼が雨の日に学校に来なかったり、水泳の授業を休むのも、納得することが出来た。
しかしあとに残ったのは疑問だ。そんなに危なっかしいのに、何故学校に来るのか。彼の答えはこうだった。友達が欲しかったんだ、と。半妖とは言え、半分以上は人間である。妖怪らしいところは、尻尾があることぐらいなのだから、人間の友達が欲しいと思うのも当然だろう。曰く、洞窟内での遊びと言えば、岩壁に手足を投影して影絵を作ることぐらいであるらしい。しかし、人間である彼は、もっと身体を動かす遊びがしたいし、少年らしく遊びたかったのだそうだ。彼は私が友達になってくれて嬉しかったと言った。そして、秘密を知っても嫌わないでくれてありがとう、と言った。この秘密を知られたら、人間とは一緒に暮らしてはならないと教えられていたそうだ。だからこの秘密は誰にも言わないでくれ、と言われた。私は固く約束をした。決してその秘密を漏らさないと、握手を交わした。
ところで、噂というのは風に乗ってやってくるという話があるが、どうやらそれは事実であった。私と彼だけが共有していたはずの秘密が、何故か学校に知れ渡っていたのだ。
大雨があってから一週間ほど過ぎた頃、級友の一人がこう言った。こいつ、尻尾の火が消えると、死んじゃうらしいぜ。私は耳を疑った。何故それをこいつが知っているのだろう。あとになって思い返せば、水を避ける生活をしているのだから、そうした考えに至っても不思議ではない。しかし当時の私は、そんなことを冷静に考える余裕がなかった。
咄嗟に彼の方に視線を向けると、彼は、ひどく複雑そうな表情で、私を見ていた。違う、私ではない、そういう類の言葉が喉まで出かかったが、私の喉が動く頃には彼はもう教室を飛び出していた。慌てて追いかけたが、彼はもう見えなくなっていた。そして、その日から彼が学校に来ることはなくなった。
私は彼の安否が心配になり、担任に彼の住所を聞いて、休みの日に単身彼の家を訪れた。一時間ほどかけて歩き、頂き物の缶に入ったクッキーを、そのまま風呂敷に包んで持って行くことにした。
彼の家はとても深い森の中にあった。戸を叩くと、中から背の高い男が現れた。彼の父親であるらしい。そっと中を覗くと、紅いおぞましい皮膚がこっそりと覗いた。あれが母親の火蜥蜴なのだろう。少々怯えながら彼の様子を訊ねると、君とは会いたくないそうだ、と彼の父親が説明してくれた。無理に会っても話せそうにない気がしたので、私はクッキーを預け、家をあとにした。気の利いた手紙でも書けば良かったと後悔しながら家に帰り、居間に向かうや否や母にひどく叱られた。クッキーを無断で持ち去ったことが良くなかった。クッキーの缶はとても有用で、利用のしがいがあったからだ。理由を説明すれば分かってもらそうなものだが、当時の私は、頑なに理由を説明しなかった憶えがある。
それからも彼は学校には来なかった。私はその時にはもはや友達がいなかったので、退屈な時間を過ごした。彼がいなくなったことを嘆く者はほとんどいなかった。ただ、皆彼を傷つけたのだという意識はあったのか、時折私に、彼の様子を聞いてきた。私は、何も知らないよ、と答えるだけだった。
一週間後、彼の家を再び訪れた。しかし、今度は戸を叩いても誰も出て来なかった。昼寝でもしているのかと戸に手を掛ける。鍵は掛かっていなかった。恐る恐る家の中に入り、そこがもぬけの殻であることを知った。彼らは引っ越していたのだ。
休みが明け、担任に話を聞くと、転校してしまったことを内緒で教えてもらった。その事実は広めずにおくように、ということだった。どうやら、私が考えている以上に、彼らの生活は苦しいものだったのだろう。心臓を剥き出しにして生きているようなものだ。冗談で水をかけようものなら死んでしまうのだから。漠然と、もう彼とは会えないのだな、ということを悟り、私はひどく落ち込んだ。それから何日か味気ない日々が続いたが、ほとんど記憶には残っていない。
秋が過ぎ、冬が訪れた。彼がいなくなった心の部屋を埋めるように、私はまた友達を作った。まるで嵐のように彼との日々は過ぎて、消えてしまった。幻だったのかもしれないと思うことだってある。陽炎のような日々は終わった。妖怪はやはり妖怪で、人間とは相容れないのかもしれない、と思い始めた頃だった。
夜更けに、しんしんという音を聞いた。雪の降り積もる音だった。寒さで目が覚めたのだろう、身体を起こすと、手足が凍ったように冷たかった。布団を多くかけようと起き上がったところで、私はあるものを見た。
縁側へ出る障子戸に、彼がいた。いや、彼の影が映っていた。自らの火を明かりにして、影絵のように映り込んでいた。私はあっと声を上げた。急いで近寄ろうとするが、障子戸の影は、ゆるゆると首を振ったように見えた。私は動きを止めた。近寄ってはいけないという、不思議な力を感じていた。
彼はその場で、私に影絵を披露してくれた。彼の影絵を見るのは初めてだった。それはまるで、一つの劇団が行うように、多彩で、美しかった。私は彼が会いに来てくれたのだということをすっかり忘れて、その影絵に見とれた。障子戸の舞台には、しんしんと降り積もる雪の音だけが聞こえていた。
どれくらい見ていたのだろう。あっと言う間だったような気もする。彼が礼をしたのを合図に、幻想は解けてしまった。
私がまた近づこうとすると、彼は今度は口頭で、もう会えないんだ、と言った。どうしてだい、と訊ねると、人間にはなれないからさ、と、悲しそうに答えた。
私は、あの秘密を喋ったのは自分ではないと言うべきか、とても迷った。この期に及んで言い訳をするのか、と思われるのも嫌だったし、かといって勘違いをされたくもなかった。悩んでいると、彼はゆっくりと、君じゃないってすぐに分かったよ、と言った。でも、君が優しくても、君とだけは生きていけないから、と、彼はまた、寂しそうに言った。
クッキーをありがとう。缶は返すね。彼はそう言って、縁側に缶を置いた。乾いた金属の音がした。それじゃ、さようなら。去って行こうとする彼に、私は一つだけお願いをした。どうしても欲しいものがあったのだ。彼はそれを快く引き受けてくれた。クッキーの缶にそれを立てて、彼は去って行った。少しずつ遠くなっていく彼の明かりと、近くの明かりが、幻想的な世界を創り出していた。
私と彼の話は、これで終わりになる。
その後、彼がどうなったかは知らない。私は彼を含め、妖怪とは全く縁のない生活を送り、今に至る。彼は半妖であるから、きっと長寿だろう。私よりももっと長く生きるだろうから、いつかまた会えるかもしれない。それじゃあ、こんなところで、話を終わりにしよう。
ああ、火は消さないでおいてくれないか。
それは、ずっと消してない、大切な火なんだ。