/新規作
『リグレットと回顧録』
 飽きてしまったのだ。
 理由を聞かれても、すぐに説明出来ない。急に飽きてしまったのだ。それだけで、他に言葉がない。育てることも、楽しむことも、笑い合うことも、みんなみんな、飽きてしまった。その世界にずっといることは出来ても、自分がその中で一番になりたいとか、誰よりも強くなりたいとか、もっと上になりたいとかいう熱意が消えてしまった。それはしようと思ってしたことじゃない。ほんの一瞬だったのだ。ガラスのコップを落として割ってしまうように、急に電球が切れてしまうように、きつく結んだはずの靴紐がほどけてしまうように、いきなり終わってしまった。
 私はこの生き物たちに、この戦いの世界に、飽きてしまった。
 最初の出会いは私の十歳の誕生日だった。プレゼントされたのは大きくてタマゴ形の、ピンク色のお友達。私は名前を一文字変えて、ハッピーという名前をつけた。ハッピーは耐久性が高くて、体力も多くて……ああ、もう、こんな言い方をするのにも、なんだか疲れてしまう。とにかく、打たれ強い。家の近くで蠢く生き物たちと戦っても負けることはなくて、近所の男の子たちと戦っても、攻める一方の彼らとは相性が良くて、勝率は上々だった。私はそれで、自分が強いと勘違いして、この道に進んだ。
 戦いで食べて行こうと思ったのだ。
 最強になろうと思ったのだ。
 私は、比較的裕福な家庭に生まれた。そして最初に与えられた武器であるハッピーが、そのまま私の才能、能力として直結すると思ってしまった。愚かしいことだったのだ。それは私の才能ではない。それは私の能力ではない。私は、ただのプログラムだったのだ。彼らを働かせるための、司令塔。彼らを動かすための、電気信号。たったそれだけの存在であったことに、気付いてしまったのだ。
 けれどバカな私は、自分に才能があると、やっぱり信じていた。だから戦いの世界に身を投じた。その世界は男女平等だから、男でも女でも関係なかった。強ければ良い。ただその一点だけで明瞭に開けていた。トッププレイヤーには女性も多くいた。そして何より、競技人口が圧倒的に多かった。まさに圧倒的だ。信じられないくらい。全人口の、九割が、その戦いに興じている。だからその世界で生きて行こうと考える者は少なくなかったし、私の両親も、それを止めはしなかった。
 私は十二歳で旅に出た。女の一人旅は危ないかもしれないが、武器があれば話は別だった。そもそも一人旅をする人口があまりに多いために、どこに行っても、大抵人がいた。そして人気のない場所には、人気がないだけの理由があった。つまり、人間が足を踏み入れて、無事でいられない場所ということだ。だから十二歳でも、旅に出ることが出来た。国立施設は無償で利用可能だった。そこにあるパソコンを使えば、お金の引き下ろしも、物資の移送も簡単だった。私は旅に出ても、実家にいるのとあまり変化のない暮らしをしていた。変化と言えば、寝床が硬くなったことと、食事が粗末になったことくらい。両親とも、通信機器を使えば毎日だって話が出来たし、顔を合わせることも出来た。街にはどこに行っても、通信機器の充電が無償で出来る。私は恵まれていた。その恩恵は、事実としての恩恵だったのだ。
 間違った恩恵は、才能に関する誤解だ。私は、十二歳で旅を始めてから、哀しいことに、勝利を続けてしまっていた。耐久性のあるハッピーは、長期の戦闘にも向いたし……ああ、なんだか思い出すと、あまり楽しくない。とにかく、旅のパートナーとしては最良の存在だったのだ。回復薬がなくても、自分で体力を回復出来たし、非常にフラットな性質を持っていた。私は財力を利用してハッピーに無理矢理技を覚えさせて、その快適さをさらなるものにした。当然、ハッピーだけで旅をしていたわけではない。念には念を入れ、規定の六匹で旅をした。愚かにも、一匹だけを育てるとか、三匹を満遍なく育てるとか、非効率的な戦い方をしている旅人が多かったせいで、私の猛進は止まらなかった。また、公認リーグ……なんだかアホらしく聞こえる単語だけど、国家に公認されたリーグで勝ち星を挙げることが、多くの旅人の目的の大部分を占めていた。リーグが制定する試合に勝利して、バッジを得る。そのバッジを八つ集めれば、最高峰に挑戦出来る。そういう決まりになっていた。
 そのバッジを、私はいとも容易く得てしまっていた。
 もちろん、闇雲に挑んで勝てるほど甘い規定ではなかった。しかしながら、攻略は容易であった。リーグでは、決まった方向性の戦い方を見せる。その裏を掻けば、素人でもバッジを得ることは可能である。私のように、多くのパターンに対抗すべく、効率的に、様々なタイプの生き物を育成していれば――もちろんそれは私個人の力や才能による育成ではなかったけれど――バッジを八つ手にすることは、簡単なことだったのだ。その期間、たったの一年だ。私は十三歳の時点で、四天王と呼ばれる、プロプレイヤーたちへの挑戦権を得た。その時点でもしかしたら、飽きていたのかもしれない。
 私は今、紅茶にはまっている。
 どうしてかというと、飲みたくなったからだ。
 飽きてしまったから、何かを楽しもうと思った。
 それで紅茶を選んだ。紅茶は美味しい。
 猪突猛進的に、夢に向かって一直線という形で突き進んできた私の日記帳は、あまり使われていない。リーグに挑戦する前日とか、新しい街に移動する日、旅立つ日、そのくらいでしか記録をしていない。ちょっと見返してみても、自分の才能に酔いしれているところが見て取れる。恥ずかしくなってしまう。私は愚か者なのだ。あんなに夢中になって、時間が、一秒だって無駄に出来ないと思っていたのに、才能があっても過信しないようにと、自信があっても慢心しないようにと心がけていたのに、今こうして、時間をまったくの無駄にしている。
 つまらなくなってしまったのだ。
 飽きてしまったのだ。
 ずっと熱くなれないのだ。
 なんだかとっても空虚だ。
 それを埋めるようにして、紅茶なんかにうつつを抜かしているんだろうか。誰かを想ってしまうのだろうか。もし何もなくてしてしまえば、私は空っぽになってしまうんだろうか。
 お湯を注いで、しばらく待つ。蒸らすのが大事だ。
 いつかの続きを書こう。
 四天王への挑戦権を得たのは十三歳の時。二十歳を超えても挑戦権を得られない人もいるらしい。私には理由が分からない。リーグの規定は緩い。少し努力すれば誰だって簡単に抜けられる。リーグの本拠地のある街まで向かい、戦いのための最終調整をするために、準備期間に入ることにした。戦いの世界に入ってから、ずっと野宿か公共施設での寝泊まりをしていた私だったが、ようやくベッドで眠る生活を送ることになった。一週間ほどホテルを借りて、戦い方の調整をして――私は何をそんなに熱くなっていたのだろう――完璧だという自信がついたら挑戦をしようと考えていた。
 ところが私は、そこで一人の男性に出会ったのだ。
 その男性は、ある程度の強さを持った人だった。けれど、私の敵ではなかった。私は自分に絶対の自信を持っていた。負けるはずはないと思っていた。だから勝った。それだけのことだった。なのに、その男性は勝負のあとでおかしなことを口走った。
「良い戦いだった」
 私にはそれが良い戦いには思えなかった。男性の戦い方は、劣悪とまでは言わないまでも、気合いが入っていなかった。運任せというか、力任せというか。熟考の感触がない、定跡通りの戦い方だった。そんな私の不穏な感情を読み取ったのか、男性は「失礼。あまりにお粗末だったね」と言葉を続けた。
 それから私は男性に誘われ、昼食を共にした。彼は「自分には熱意がなくなった」というようなことを、長い時間を掛けて喋った。熱意がなくなったから勝てない、という負け惜しみではない。熱意がなくなったから、負けても悔しくなくなった、というような意味に聞こえた。私の二倍以上は生きているであろうその男性は、何か達観したようで、枯れたような印象を持たせた。
 多分強いんだろう、多分強かったんだろう、多分強くなれるんだろう、と、私は彼を見て思った。どこかで諦めがついてしまったのだろう、と、私は感じた。彼は、どこかで夢を追わなくなってしまったのだろう。それは何故だろう。不思議だった。強いのに、強かったのに、強くなれるのに、どうして諦めてしまったのだろう。何故か苛立った私は、彼の心を刺激するような言葉を連ねた。男性はしばらく会話に付き合ってくれたが、表情を険しくし始めたかと思うと、挨拶もそこそこに、私の前から消えてしまった。
 私は頂点への挑戦よりも、その男性のことが気になってしまった。そういう人間がいるということを、看過出来なかった。その日はそれ以上戦闘を行う気になれず、私はホテルのベッドで、久しぶりの柔らかい温もりを味わった。
 ……なんという詩的な括りだろう。
 自分で自分を褒めて上げたい。
 今日も私は紅茶を飲んでいる。
 何故紅茶なんか飲んでいるのかと言えば、ある人物の影響だった。言わずもがな、あの時知り合った男性だ。彼は紅茶が好きみたいだった。私は紅茶というものを、一つの飲み物として認識していなかった。たくさんある飲料物の中の一つとして見ていた。どれも同じだという分類の中にある、液体。けれど味に違いがあることを最近知った。その違いは、良質なものを味わうと、悪質な紅茶は飲めなくなるほどの差のあるものだった。
 どうして紅茶のことを書いているのだろう?
 もう、回顧すら飽きてしまったのかもしれない。
 思い出を思いだそう。
 とにかく私は、その翌日、すぐに男性を探した。一日中街を探し回ったけれど、結局見つからなかった。戦闘を行わなかった日は、もしかしたら旅に出てから、その日が初めてだったかもしれない。
 男性を探した理由は、ただ謝りたかったからだった。両親から受けた躾は、私を比較的良質な人間に形成してくれていた。だからだろうか、根底に、失礼なことをしたから直接謝らなければならない、という危機感があった。けれど男性は見つからず、私はどんどん後悔の念に苛まれることになった。しかし諦めの悪い性格である私は、その次の日も男性を探した。
 そして彼を見つけたのだ。
 開口一番に謝って、それで目的は達されてしまった。けれど、それでさようなら、というのも何かつまらなかった。彼は気を利かせてくれたのか、どこかで話をしようと誘ってくれた。ホテルにある喫茶店で向かい合って座り、色々な話をしたように思う。彼が紅茶好きだということもその時に知った。私の身の上話もいくつか話した。そして結局は彼の熱意のなさについての話になってしまって、また私は失礼なことを口走るに至ったのだ。
 彼は、自分は満たされている、と言った。
 なのに、どうしても私は、それが良いことのように思えなかったのだ。
 それから毎日、私は彼と会うようになった。そこに異性としての感情はなかったように思う。何せ彼は三十歳手前のおじさんである。方や私は十三歳の子どもである。恋愛感情に発展することはあり得ないのだ。
 しかし私の関心は、彼に大きく注がれて行った。やはり彼は強かった。そしてセンスがあった。最初に戦った時の印象は、やる気のない、ある程度の実力があるだけの、ありきたりなプレイヤーだと思った。けれど、その時見る彼の姿は、熟練したプレイヤーとしての貫禄に溢れていた。日を追うごとに成長する……いや、日を追うごとに、昔の姿に戻って行く彼の姿は、見ていてとても気持ちの良いものだった。美しく、気高い姿。私は自分の戦いを忘れて、彼の戦いを観戦することに、没頭した。
 けれど、ある日突然、彼は私に言った。
「いい加減、僕から離れないと」
 意味が分からない。何も分からなくなった。そんなつもりはなかった。彼に依存しているつもりはなかった。けれど私はそう言われてしまって、はっとした。もしかしたら迷惑だったのかもしれない。もしかしたら私といるのは楽しくなかったのかもしれない。そんな考えが芽生えた。嫌なことは嫌だと、言えない人もいるのだと分かった。嫌なことも楽しそうに、続けられる人もいるのだと。彼はたった数分の会話で、私を切り離した。彼の人生から、私という存在を、恐らく完全に分離させた。
「君がずっと強いままなら、また会える」
 彼が残した最後の言葉は、そんな意味深な言葉だった。ずっと強くなくたって、別に良い。別れる必要なんてないじゃないか。そう思った。けれど彼は一人でさっさと、どこかへ消えてしまった。私は彼の名前も知らない。彼の住所も知らない。彼の連絡先も知らない。知っているのはこの街に住んでいる、三十代手前の、戦いの強い男性ということだけ。
 たったそれだけ。
 たったそれだけだった。
 私はその日、生まれて初めて、落胆と、失意と、喪失と、空虚と、悲哀と、憎悪と、嫌悪と、憤怒の感情を味わった。そして手当たり次第に戦いを挑んで、蹴散らして、挙げ句私は、何の準備も、心の調整もしないままで、この戦いの世界の頂点に戦いを挑んで、
 私は大した実感や喜びもないまま、頂点に君臨したのだ。そしてそれからずっと、或る地方の頂点として、君臨し続けている。
 この生活は嫌いではない。
 頂点に至ったあとの私は、あまり戦わなくなった。戦わなくなったあとは、トレーニングをしなくて済むようになった。私の愛おしいパートナーたちは、この施設の中で今日もトレーニングに励む。けれど私は何もする必要がない。私はただの司令塔。私はただの電気信号。機械さえきちんとメンテナンスしていれば、いつでも戦える。どこでも戦える。私の体調など関係なく、ただ指示を与えれば戦いは進む。そんなことに、まるで当たり前のことに、今更ながらにして、気付いたのだ。
 そしてそれに気付いた私は、飽きてしまったのだ。
 飽きてからの生活を、私は何をするでもなく、ただひたすら消費した。この、たった何ページかの記録と思い出を書くのに、実に一年以上も費やしている。私は戦うことに関してはもしかしたら、少しばかり才能があったかもしれない。けれどそれ以外のことには熱意が持てない。あの人が言っていたことと同じ。それを私はあの人に強制しようとしていた。嫌われて同じだと、今は思う。
 読み返してみると、支離滅裂も良いところだ。書く度に考え方は変わるし、語彙の変化も著しい。いつどこから書き始めて、何日間ブランクが空いたのかも分からない。現在の年齢を記せば、私はもう十六歳になっている。三年間ずっと頂点のまま。たまにやってくる挑戦者を蹴散らすのが仕事。他には何か大きな事件があった時に出張するのだけれど、私が若いせいだろう、大抵の面倒事は年上の四天王の人が処理してくれる。だから私はほとんどやることがない。
 今日、リーグ員の人から知らせを受けた。私は今とても興奮している。バッジを八つ持った人が四天王に挑戦するらしい。なんていうことだろう。信じられない。日程は明後日らしい。早く来ないだろうか。早く明後日になって欲しい。今からドキドキが止まらない。久しぶりの仕事ということもあるけど、久しぶりの戦闘ということもあるけど、私は今とてもドキドキしている。挑戦者は三十歳を過ぎた高齢のプレイヤーらしい。明後日なんて時間がない。もっと遅く来てくれないかな? 負けたら恰好がつかない。トレーニングしないと。思い出なんて書いてる場合じゃない。あの人だったらいいな。あの人に決まってる。練習をしよう。負けたらきっと、もう二度と会えなくなってしまう。だから私はずっと、きっと、頂点に君臨し続けなければならない。ドキドキする。
 明日は勝とう。
 そして謝ってもらわないと。
 三年間、どうして何もしていなかったんだろう。
 戦う場面を想像するだけで、なんでこんなに楽しいんだろう。
 私はまだ、この世界が好きなのかもしれない。

戯村影木 ( 2013/04/29(月) 04:21 )