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『ラガニアの遺書』
 一

「すごい、参ったよ」
 僕は十歳は年が離れているであろう少女に言った。戦いの終わりだった。僕の手持ちは全滅し、戦闘はこれ以上続けられないことが分かった。少女は上品に礼をする。きっと育ちが良いのだろう。
「どうもありがとうございました」
「こちらこそ。良い戦いだった」
 その言葉に、少女は怪訝そうに表情を歪めた。僕はもう二、三年もすれば三十歳になる。こんなに年下の少女に負けて腹を立てる時代は過ぎ、代わりによく人間を観察する目を養った。どうやら彼女はプライドと自信に裏打ちされた信念を持っているようだ。彼女の価値観では、僕の粗末な戦いは、「良い戦い」にはカウントされない、と言いたいようだ。
「失礼。あまりにお粗末だったね」
「あ、いえ、そういうわけでは」
 少女ははっとしたように俯いた。表情に出した自覚がなかったのだろう。そして「すみません、表情に出ていましたか?」と訊ねた。それは訊ねない方が良い質問なのだが、彼女は正直者なのだろう。
 僕は賞金を払う代わりに、彼女を食事に誘った。年齢差もあるし、ナンパ目的でないことは彼女も分かっているようだった。僕たちは当たり障りのないファミレスに入って、向かい合って座った。
「君は強いんだね」
 彼女は、ええ、と頷いた。謙遜が嫌味になることを知っている、というタイプの肯定だった。
「僕は弱かっただろう?」
 彼女は最初答えにくそうにしていたが、続いて「あの、本気で戦っていらっしゃるんでしょうか」と、控えめに訊ねた。全然控えてはいなかったが、彼女なりの遠慮は見えた。
「どう答えたら納得してもらえるか、分からない」
「言っていただかなければ、判断出来ません」
「そうだね、例えば……何事にも熱意というパラメータがあるとしようか。僕は今食事をすることを、ながらでやっている。話しながらとか、考えながらとか。一方で、食事に命を賭けている人間がいるとする。これはどういう組み合わせで、どういう調理方法で、作られたのか」
「あなたにとっての戦いは、その程度だということですか?」
「いつからかそうなってしまった」僕は何故こんな少女に半生を語ろうとしているのだろう。「僕も最初から、こんなに人生を見下した、斜に構えた男だったわけじゃないさ。けれどね、いつからか、こうなってしまった」
「夢を諦めたということですか?」
「諦めなければならないんだな」咀嚼するように、言葉を紡ぐ。「本来であれば、熱意がなくなった時点で、夢は諦めるべきなんだ」
「そうでしょうか?」
「そう思うよ。長く夢を追えば追うほど、その夢の、漠然とした、限界というものが見えて来る。無知は勇気だ。けれど僕は勝ち続けられない。勝率は八割ってところだろう。けれど、戦いの途中でぼうっとしてしまうことがある。早く終わらないかなと考えることがある。それはとても美しくない。熱意がないんだ。先のことばかり考えるんだよ」
「先のことを考えることは悪いことではないと思います。例えば、夢が叶ったらどうしよう、どんな素敵なことになるんだろう、と考えることは、悪いことではないのではないですか?」
「そういう、生産的な考えなら良いかもしれないね。でも、僕が考えるのは、負けたらいくら払うんだったか、それを払ったらいくら残るのか、そうしたら夕飯のグレードが少し下がるな、やっぱり月にいくらかは安定した収入が欲しい、そう考え始める」
「心が弱っていては、勝負にも勝てません」
「うん。つまり、だからこそ、僕は熱意がない」
 何も考えないうちに、食事は終わる。僕が先の対戦の内容を覚えていないように、料理をどんな順番で、どんな風に食べたかも、思い出せない。
「熱意がなければ、夢は諦めた方が良い」
「それでも続けていらっしゃるんですか?」
「そう、僕は続けている。何故ならそれ以外に能がないんだ。戦うことしか出来ない。けれど、トップに立とうという気概もない。未来を変えたいと思わなくなった。そうしているうちに、こういう生活が染みついた」
「けれど、続けていられるということは、勝てているということですよね。賞金で暮らしているわけですから」
「そうだね」メニューを眺めて、食後のドリンクを選ぶ。「何かデザートは?」
「いただきます」
「遠慮がなくて素敵だね」
「私の賞金ですよね?」
「ああ、そうだ。君に奢ってもらっているんだな」
 注文を終えて、五分もしないうちに飲み物とパフェが届く。夏だったが、ホットミルクティーを頼んだ。
「君が言う通り、僕は賞金で生計を立てている。暮らして行くには十分だ。割と勝てる」
「ならば、上を目指せば良いではありませんか」
「変化を求めなくなった」
「何故ですか?」
「熱意がないんだ。向上心が欠けたんだよ」
「それは……あの、なんていうか」
「率直な感想を聞きたい」
「……つまらない人、ですね」
 泣きたくなったが、堪えるのは慣れていた。

 二

「それじゃあ、もう会うこともないだろうけれど」
「どちらかに行かれるんですか?」
「いや、ここに住んでるよ。アパートを借りてる」
「そうですか。私もしばらくこちらのホテルに滞在する予定です。決戦前に、調整をしようと思っているので」
「決戦?」
「四天王に挑むので」
 バッジ保持者か、と溜息をついた。勝てるはずがない。子どもだからと言って甘く見ないのはプレイヤーとしての鉄則だったが、まさか八つ持ちだとは思わなかった。まあ、若い子と食事が出来ただけでも良かったとしよう。そう思い込めば、悲しみもわかなかった。
「これからどうされるんですか?」
「また違う誰かと戦おうかな。そうして、さっきの負け分を取り返すよ」
「負けたのに、まだ戦うんですか?」
 不思議そうに少女は言う。
「どういう意味?」
「負けたのなら、次に勝てるように、少しは成長させなければならないのではないでしょうか。もし次に戦う相手が私のような者なら、また負けます」
「君のような強い人はね、そうそういない」
「弱い者とばかり戦って、勝つんですか?」
「まあ、そうだね」考え方の食い違いに、苛立ちが生まれる。「安定した勝率を稼ぐためには必要なことだ」
「もっと簡単に安定はできると思います」
「どうやって」
「一番強くなれば良いのではないですか?」
 なるほどね、と言って、僕は彼女から離れた。それ以上会話をしていると、沸点だけが、十代の頃に戻ってしまいそうだった。
 僕はそれから、三回勝負をして、三回とも勝利を収めた。負け分を取り戻して、お釣りが来た。いつもなら、その金で美味いものでも買って、家で祝杯でも挙げるところだった。
 しかし今日はそんな気分になれず、戦闘の定跡指南書などを開いて、早めに眠りに就いた。

 三

 二日後に、僕は彼女に再会した。
「やあ、いつかの」
「こんにちは」
 彼女は僕を探していたようだった。また怒られるのかと内心不安に思っていたが、彼女はすぐに「この前はすみませんでした」と頭を下げた。苛立ちなどは一晩で忘れていた僕は、「君はそれでいいんだよ」と、自分でも分けの分からない言葉で返事を濁した。
 それから会話は続かなかった。普段なら、「一戦どうかな」と持ちかけるところだが、彼女と戦う気にはなれなかった。負けが見えているからではない。彼女はとても気高い剣闘士なのだ。僕のような人間がいては、気力を削いでしまうことが分かっていた。かといって、彼女のような人間に触れることで、自分の中に何か眩しいものが弾けるという感覚も、確かに味わっていた。
「四天王に挑戦するのは、いつ?」
「今週中には、と思っています」
「そうか。応援しているよ」
「ありがとうございます……」
 言葉は続かない。会話は終わっている。なのにお互いに動かないのは、どうしてだろう。馬鹿げた感情はあり得ない。それは僕の中からはなくなってしまった感情だからだ。しかし彼女に至ってはそれがないとは言い切れない。自意識過剰なつもりはないが、常に最善策をとるためには、あらゆる可能性を考慮する必要性があった。
「どこかで座って話をしようか」
「あ、はい、それが良いと思います」彼女は深く頷いた。「あ、私が泊まっているホテルに、一階に、カフェ? 喫茶店があります」
「分かった。そこに行こう」
 僕は、彼女は強いから金を持っているのだと知っていた。この世界では、戦いに勝てば金が手に入る。至ってシンプルだ。彼女の年齢が十三歳であることを、この時知った。まだ遊び方と金の使い方を知らない年齢だ。同時に、実家が裕福であることを教えてくれた。家柄に、才能に、熱意に恵まれたエリート。眩しすぎて目が潰れてしまいそうだった。
「あなたは……どうしたら熱意を持てますか」
「単刀直入な質問だね」
「もったいないと思います」
「そう思うかもしれない。けれどこればかりはどうしようもないことだ」
「強くなれば、もっとお金も稼げますし、仕事も斡旋してもらえるかも……」
「確かにそういう道もある。ただ、その仕事は大変そうだ。今の僕の生活は、気楽で良い」
「失礼ですけど、バッジ、持ってますか?」
「ああ、うん」十年ほど前に揃えたバッジが、七つあった。「一応ね。いくつか」けれど数は伝えない。
「過去には、熱意があったんですよね」
「その通り。狂ったように戦った。負けると三日は眠れなかった。そんな時代が僕にはあった」
「では何故、今は……」
「いつからかは分からない。ただ、上を目指すことが、なんだか魅力的には思えなくなった。説教くさいことを言うかもしれないが……人は、満たされたいと思って何かを目指す。その途中で、ふっと気付く。今自分は満たされている、この生活を変えたくない、と思う時が来る。それが、今の僕だ」
「強くなりたいとは思わないのですか?」
「思うよ。強くなれば稼ぎが安定する」
「それなら、トレーニングを……」
「その熱意が、どうもね」
 僕はまたホットティーを飲んでいた。一昨日の店とは違い、本格的だった。
「……随分、丁寧ですね」
「何が?」
「紅茶を飲まれる仕草が、です」
「ああ」無意識だった。しかし何をどう飲んでいたか記憶している自分がいる。一昨日の店の紅茶を比較している自分もいた。何を食べたかは、もう忘れているのに。「そうだね。紅茶は好きだ。安い茶葉でもちゃんと蒸らせば美味しくなる。かと思えば、高い茶葉でも粗末に入れれば飲めたものじゃなくなる。そういう慎重なところが、好きだね」
「今は紅茶に熱意があるんですか?」
「そう言われると……いや、紅茶の専門家になろうとも思わない」
「夢や、目標はないんですか?」
「ない。この日々が続けば良いと思っている」
「それは……なんだか、寂しくありませんか?」
 君の表情の方が寂しそうだ、という言葉を思いついたが、あえて言葉には出さずに、「僕は満たされているよ」と、嘘をついた。

 四

 その日から僕の中の感覚がいくつか狂い始めた。
 やることは相変わらず、旅の途中と思われる人に声を掛け、戦闘をして、金を得る。たったそれだけのシンプルな生活だったのだが、少しだけ、意識が内を向くようになった。勝敗に、勝敗そのものに意味を見出すようになった。それは変化というよりは、回帰と言うべきだったかもしれない。久しぶりの、尊い感覚を、身体の中に味わっていた。
「私と戦いませんか」
 少女とも毎日会うようになった。もちろん戦闘行為には及ばなかった。僕はやはり、彼女は僕のような人間と長い時間一緒にいるべきではないと感じた。だからといって、この恵まれた、一流の存在が遠く離れて行ってしまうのも、妙な寂しさを覚えさせた。
「いや、やめておくよ」
「どうしてですか」
「君は僕より他に戦うべき相手がいるからだ」
 僕は少しずつ、勝負の濃度を上げた。熱意が戻ったという意味ではない。ただ、少女に見られても、恥ずかしくない振る舞い方をしようという、保守的な考え方によるものだった。しかし、それで少女は少しでも満足したらしく、僕を傷付けるような言葉は、吐かなくなった。
「それで、四天王にはいつ挑戦するの?」
「絶対に勝てる自信がついたら」
 けれど、彼女は僕の勝率を見て満足していたのではない。
 僕の戦い方に納得したのではなかった。
 僕は少し思い違っていたのだ。
 そしてその思い違いは、僕を苦しめることになった。

 五

 それから彼女は僕と一緒にいることが多くなった。
 最初は、寂しい男である僕に関心を抱いたのだと思った。僕のような人間を観察し、解明することで、美しい人生に抱かれた燻りを、消し去ろうとしているのだと思った。僕という人間をすっかり分かってしまって、なんてことはない、限界に至った、夢を諦めた男の一人だと解釈して、その他大勢のカテゴリに組み分けてしまえば良いと、僕は思っていた。だからこそ、彼女の関心を粗末には扱わなかったし、無言で僕の隣を奪われても、露骨に遠ざけたりはしなかった。
「四天王への調整はどう?」
「まずまずですね」
 彼女と食事をすることが当たり前になっていた。多分、彼女と出会ってから、二週間は経っていたように思う。しかしながら、彼女は依然として、この生活を続けていた。僕は少しだけ、不安に思う。日が経つにつれ、距離が近づくにつれ、彼女という存在を、重荷に感じ始めた。
 嫌だ、という感情とは違う。
 嫌なことになりそうだ、という予感だ。
「随分と強くなったんじゃありませんか」
「まあ、そうかもしれないね。強くなったというよりは、少しだけ、集中するようになった」
「熱意が戻ったんですか?」
「いや……そうじゃないと思うよ。ただ、知り合い――君のことだけど、そういう人物の前では、見栄を張ろうとするのかもしれない。幼い頃から、そういう感覚は、変わらない」
「それだけで強くなれるなら、親密な人を常に隣に置いておけば良いんじゃありませんか」
「それだと疲れる。見栄を張りたい相手っていうのは、一緒にいると、疲れるんだ」
 その言葉の意味を、僕は正しくは理解しなかった。つまり、それは彼女なりの精一杯のアピールだったのだと、僕はしばらく経ってから気付く。
 彼女と出会ってから、一ヶ月が過ぎようとした頃だ。僕は流石に、彼女がどういう理由で僕と一緒にいるのか、その理由がもしかしたら単純な理由ではないのかもしれないということに、気付きはじめていた。
「今日もよろしくお願いします」
「……あの、さ」
 律儀に、決まった時間に僕の元に訪れる少女に、僕は尋ねずにはいられなかった。そうしないと、僕の中の尊い存在が、とても陳腐なものに成り下がってしまうという恐ろしさがあった。
「はい、なんですか?」
「いい加減、僕から離れないと」
 笑顔が一瞬で凍り付く様を、僕は確かに見た。
「え、あ……えっと、え?」
「君、最近、戦ってないよね。僕と一緒に遊んでる場合じゃないんじゃないかな……バッジ八つ手に入れて、これから四天王戦というところで、足踏みするべきではないよ」
「でも、一応その、戦い方の研究というか……」
「僕は君に負けたんだよ」
「今は強くなったじゃありませんか」
「君よりは強くない」
「戦ってみなければ分かりません」
「だから……」
 熱くなるな、と自分に言い聞かせる。子ども相手に口論をするほど、僕は愚かな大人ではないはずだ。言いかけた言葉を飲み込んで、目を深く閉じる。
「君はこんなところで燻っているべきじゃないんだ」
「……! 燻ってるなんて、そんな」
「僕のような、レベルの低い人間と関わるべきじゃなかったんだ。最初に、君を食事に誘ってすまなかった。もう、金輪際君には関わらない」
「あの、待ってください。どうしてですか? なんで急に……」
「さようならだ」
「待って下さい。もう会えないという意味ですか?」
「君がずっと強いままなら、また会える」
 僕はそれだけ言って、彼女に背中を向ける。あまりにひどい仕打ちだと、自分でも分かっていた。大人のする振る舞いではないということも分かっていた。けれど、恵まれ、選ばれた人間を相手に、当たり前の言動は意味を成さないと分かっていた。これくらいしなければ。彼女が僕に依存していることは、見れば分かる。その依存を取り払うためには、このくらいの冷徹な態度が、必要だった。
 彼女が追ってくる気配はない。絶望に打ちひしがれたのか、それとも僕に憎悪の感情を抱いたか。どちらでも良い。僕はこれ以上彼女と言葉を交わしたら、もう永遠に、あの空を見上げられなくなってしまうからだ。

 六

 それで、僕と君の接点は終わった。
 僕のあの時の発言は、ある種の覚悟と言って良かっただろう。もちろん多くは語れないし、あれ以上君にかける言葉はなかった。けれど僕は君に分かって欲しかった。君との日々は、代わり映えのない日々を過ごす僕にとっては、新鮮で、刺激的で、とても楽しいものだった。満たされた、向上心を持たなくなった僕が、その日々以上に、満たされていた。それは事実だ。だからこそ、僕は決別を決意した。その変化は、熱意に他ならない。ぬるま湯のような生活を、自分から、自分の意志で辞めることにした。僕は向上心を取り戻したのだ。バッジを七つ手に入れ、八つ目のバッジを取得する前に何かに諦めがつき、けれど夢と距離を置けずに、四天王に一番近いこの街で暮らし続けた僕は、君と過ごした日々で、熱意と向上心を取り戻した。それはもしかしたら、まだ僕は君と一緒にいたいという願いを持ったからかもしれない。若く、才能と環境に恵まれ、熱意と向上心まで備えた君は、僕の想像を遥かに超えた速度で成長していく。そんな君を、たった数日ですら足止めしてしまったことを、僕は嘆く。けれどそのたった数日で、君は数年かけて乾涸らびた僕の心を満たした。君とまた、最初に一緒に食事をした時のような、対等な関係になりたいと願った。そのために、君を僕のレベルに落とすことは簡単だ。けれど、それでは僕は自分が赦せない。だから僕は君のレベルに向かって行く。僕が対等になりたいと願った君は、恐らく熱意と向上心に溢れ、自信と自尊心に満ちた君だ。まるで恋する少年のような気持ちだけれど、見栄を張りたいという大人としての考え方もある。だから僕は、もう一度熱意を取り戻し、向上心を秘めて、全国を、旅するつもりだ。ある程度の大きさで満足していた僕は、今日、ここで死ぬ。そして、もし君が本当に、僕が願ったような気高い剣闘士であって、頂点に立つべくして生まれた存在なら、僕と君はまた会えるだろう。
 その時、ありがとうと言いたい。

戯村影木 ( 2013/04/29(月) 03:41 )