第1話─旅立ち─
ファルドシア大陸。
千年前、大陸を守る使命を背負う40のポケモンとそのトレーナーと魔の手………当時の記録によると【蒼き衣を纏う者】が激戦を繰り広げた過去を持つ大陸。
大陸の存亡を脅かした【蒼き衣を纏う者】はファルドシア大陸の守り神である【紅き鎧を纏う者】によって深海の海底に封印され、大陸は彼等のお陰で微睡みの様な平穏を取り戻した。
しかし、【蒼き衣を纏う者】の【意思を継ぐ者】が暗躍していることに、大陸の住民は誰一人として知らなかった。
………只一匹、【紅き鎧を纏う者】を除いて………
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アルク村。
人口二千人と都市化の進むファルドシア大陸では小規模だが、温暖な気候とそれによる農業の発展により、それなりの設備が整った住みやすい村だった。
そんな村の中心部には、一つの児童公園がある。
公園の中央には円形の噴水が在り、それを取り囲む様に様々な種類の遊具が点在している。
そんな児童公園から少し逸れた場所に、一つの喫茶店が存在した。
茶を基本とした落ち着いた店構え。
しかし若者でも入れるような近代的な雰囲気も取り入れている。
喫茶店の屋根に飾られた看板には【喫茶ポッポの巣】とオレンジ色のペンキで書かれている。
店内は夏の季節に合わせてか、エアコンや扇風機を所々に設置している。
店内に満ちる涼しい空気を引き裂くかのように、女性の怒鳴り声が二階から聞こえてくる。
しかし店員を含め客達はその事をまるで気にしていない。
中には失笑を漏らす者までいる。
その理由は、その怒鳴り声の主がこの喫茶店の店長であるマリカだからだ。
今年で15歳になる息子のユウを起こす為、怒声をユウに浴びせているのだ。
その為、ここの常連ならばそれは一つのイベントでもある。
そんな客の思惑も知らず、マリカは今年で15歳になる息子を叱っていた。
一応防音効果のある扉を使用しているが、それすらもまるで効果を表していない。
マリカは細い眉を吊り上げ、ベットの上で眠そうに眼を擦っている息子を叱っていた。
「まったく……寝坊するのは日常茶飯事だけど、こんな大切な日に寝坊しないで欲しいわ。」
嫌味にも聞こえるその言葉にマリカの息子ユウは口を尖らせて反撃した。
「うるさいなぁ。【大切な日】てっ言うけどさ、只旅に出るだけじゃ……」
「只旅に出るだけって言うけどね、実際にお母さん、ユウを起こせないよ?それでも良いなら、早く支度して行きなさいよ」
「………」
まくし立てる様なマリカの言葉にユウは押し黙る。
ユウは《外の世界を見て、様々な事を学ぶ》という名目で隣人であり幼馴染みのリサと共に旅に出ることにしたのだ。
実際は、只単にユウが喫茶店の跡を継ぎたくなかったからというだけであって、それを《外の世界を見て、様々な事を学ぶ》に置き換え、マリカに言ったのだ。
そして今日はその当日だった。
だからこそ、ユウはマリカに訊きたい事が有った。
ユウは暫く視線を宙に泳がせた後、意を決した様にマリカに向かって質問をした。
「ねぇさ、最後に聞きたいんだけどさ。僕の父さんって誰なの?」
「…………」
永遠とも思える沈黙が部屋に充満した。
マリカはさっきの勢いが何処かに飛んだ様に黙りこくってしまった。
数秒の沈黙の後、ユウは嘆息を吐いた。
「分かっているよ。どうせ、答えてくれないんだろ。母さんに言ったって、無駄だと薄々感じていたよ。じゃあ、僕はもう行くよ。」
捨て台詞の様に言葉を吐き捨て、ユウは旅に必要な荷物の詰まった鞄とリュックサックを掴み、立ち去っていった。
そんな彼のの立ち去った後をマリカは悲しげに見つめていた。
ユウの放った言葉は、マリカにとって触れて欲しくない内容だった。
しかし何よりマリカが悲しんだのは、ユウが捨て台詞の様に吐いたあの言葉だった。
何も期待していない。
ユウの放った言葉には、その様な意味が滲み出ていた。
マリカは胸に溜まった哀しみを吐き出すように嘆息を吐くと、まるで今はいないユウに謝罪するかの様に言葉を紡いだ。
「ゴメンね。ユウ。でもね、お父さんの事については秘密って言うのは【あの人】との【約束】なの。本当にゴメンね……」
マリカの紡いだ言葉は誰にも聞かれず空しく散っていった………
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「ごめん。まった?」
リサの前で、ユウは金髪の頭を下げた。
「もうっ。遅い!待ちくたびれて、アチャモちゃんが眠っちゃったよ!」
頬を膨らませ、怒りを顔全体で現しているリサ。
しかし、それが控え目だと一目で分かる。
彼女は一匹の小柄なポケモンを抱いている。
オレンジ色の体毛に、黄色の三角形の可愛らしい小さなくちばし。
起きれば愛らしい姿が見れるかも知れないが、こうやって寝ている姿もとても愛らしい。
とある地方の新米ポケモントレーナーが選ぶ三匹のポケモンの一匹で、愛らしい容姿と最終進化した後の一騎当千の強さから、選ばれる事が多い。
リサの父親は各地方に出張で飛び回っており、「子供がポケモントレーナーを目指している」といったところ、貰えたらしい。
リサにも良くなついており、リサも大変アチャモの事を気に入っている。
ふと、リサがユウの顔を覗き込んだ。
ユウがどうかしたかと言うと、リサが首を捻りながら呟いた。
「いや……ユウの顔が何か……その……何か後悔しているような、悲しそうに見えて……」
その言葉に、ユウは思わずマリカに言ってしまった言葉を回想した。
『どうせ、答えてくれないんだろ。母さんに言ったって、無駄だと薄々感じていたよ。』
ユウの胸に、のし掛かる様に後悔と罪悪感が込み上げてくる。
なんということを言ってしまったんだろう。
自責の念に駆られ、思わず瞼を閉じたユウに向かって、リサが心配そうに声を掛けた。
「大丈夫?さっきから苦しそうなんだけど………」
リサの言葉に、思わず笑みを作ったユウは、そのまま誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「大丈夫だよ。それよりも、もうすぐ僕達の乗るバスの時間だよ。早くバス亭にいっちゃおう」
そう言うと、ユウはリサの手を掴み、突然走り出した。
まるで、リサの意識を強引に別の方へ向ける様に。
「キャ。痛いって。もうちょっと優しく掴んでよ」
文句を漏らしながらもリサはユウと共にバス亭まで駆けていった…………
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水晶を見つめながら、影は呟く。
『とうとう動き出したか。【命を創りし者】に使える、忌々しいあの一族の生き残りよ……』
蒼く輝く水晶にはバスに乗り、他愛の無い話をするユウとリサの姿がカメラで撮影したかの様にはっきりと映っていた。
影は水晶に手をかざす。
水晶に映っていた映像が消える。
影は心身共に凍り付く様なおぞましい声で言葉を綴る。
『あの女……ユリアナめ……あの忌々しい光の一族の血を利用して、あの小僧を導きおって……』
微かな苛立ちを含めた言葉。
一度聞いたら、二度と耳から離れない様な言葉。
闇色のローブを纏ったその男は言葉を紡ぐ。
『だが………運命は変わらぬ………絶望と苦痛に彩られた運命に翻弄されるがいい………」
男は暗闇の中、冷徹な笑い声を上げた───