04 セブンスターダスト
【名前があって、そこに愛があって】 ゼット
04 セブンスターダスト アーボックに魅入られたかのようだった。
あくまで褒め言葉にて堅物と称されるレッパクは、物質的にもそれはそれは見事な置物となった。重量もそれなりにあるから、漬物石代わりにするとさぞかし美味いたくあんが出来上がることだろう。白い米が進んでご満悦である。さておき、黄色く鋭い耳の先端にまで緊張をみなぎらせている。
謎の空間だった。
一足の間合いで対座しあうレッパクとミリィ以外を、全員が無言で取り囲んでいる。重々しく流れる空気を察するに、それ以上を立ち入るのは野暮だと目で確認を回し、ただの肉壁になることを徹していたのだ。が、レッパクからすれば、結局やることやってたんじゃないかこのスカポンタンめ――という蔑視を含む痛々しさだけを勝手に感じてしまい、まったく立つ瀬がない。現にその通りなだけに、何も言い返せない。ということで、なおも堂に入った石化っぷりを続けている。
固唾を飲み込む音すら立たせるのが惜しい。
神がかった直感でも働かせたのか、まだ何も告げていないのに、ゼットまで主人のパソコンを経由して駆けつけてきていた。
問題。
日常的にこの場にふさわしくないものは、次のうちのどれか。
芯まで固くなったレッパク。
突然の来訪者であるミリィ。
そのミリィが抱えるタマゴ。
おさらいしておくが、よそのトレーナーの、つまりはそのポケモンなのだ。
雰囲気の流れだのお互いに想いが通じ合っただのその場の勢いだの気の迷いだの魔が差しただの原始的な本能だのンなもん後からの醜い抗弁にすぎず、結果はミリィの抱きしめる『それ』なのだ。いかな経緯が繰り広げられたにせよ、束ねられて一点にまとまる『それ』がすべてだった。
「それ、本当に、」
レッパクがようやっと、
巌の口を開ける。
「ええ、そうよ」
ミリィはそこで頬を膨らませ、
「でも『それ』だなんて言わないで。嘘偽りなく、れっきとしたわたしとあなたの『、』なのよ」
――レッパク。
状況を言質にて確認した主人がついに動いてきた。座布団三枚を手にしてぼさりと置いた。いつも以上に無造作なのがひたすら怖い。舞い上がる埃は怒りの炎だと強く感じる。三枚の座布団を結んで描かれるいびつな三角形が魔法陣となって悪魔も死神も闇の眷属もそれ以外も次々と召喚される黒魔術の儀式が今ここで主人の手によって執り行われて自分は生け贄となって七つの大罪
悉に蹂躙する暗黒世界へ飛ばされて
――そこ、座れ。
「あ、主、これは、」
――いいから座れ。……座れ。ミリィ、お前もだ。
繰り言には強引さが添えられていた。音もなく招こうとする手つきと目線で、一枚の座布団への着座をさせようとしてくる。ミリィは口を挟まず、真っ先にそれに従い、タマゴを傍らへ。
観念した。
二番手のレッパクもそろそろとおっかなびっくり、ぎこちない動作で座る。これ以上惨めに逆らったら直々に殺されると思う。
三番手の主人は残りの一枚を選んだ。ズボンの裾をつまみ、衣擦れを抑えて膝をつく。尻の下へと踵を畳んで、正対して正座。こうして対面すると、またちょっと背が高くなったと思う。セッティングもいらないほどの癖っ毛ならいっそ特徴にしてしまおうと決めた前髪。左手首に今も装着されているポケギア。腰に溜めた六つのボール。外出時に必ずかぶっていた帽子は、レッパクの視界の隅っこにて壁にかけられてある。
表情は今もなお読めない。
時計の秒針の音だけが、静寂を一秒ごとに刻んでいた。
千の罵声も万の銃弾も、那由他の洪水も覚悟した。
ところが、主人はすっと両手を床に添えると、鼻が床に付きそうなほど背筋をなめらかにたわませ、頭のつむじをこちらへ晒した。
――おめでとうございます。
え。
まさにあっけにとられた面。対して主人の上げる顔は、朗らかに変わっていた。大きく深呼吸、
――なんていうか、先、越されちまったなあ。主人の俺を出し抜いてゴールインなんざ、お前も抜け目ないよ。
レッパクは主人の表情の移ろいをひたすら追いかけようとするが、もうこれ以上の変化はないようだった。そこにあるのは、ずっと快晴の笑顔のままだった。
大きな手のひらで頭をポンポンと叩かれ、
――いやでも、本当に嬉しいよ。
親人中薬小、五つに分かれて伸びる左右の十本指を、右から一本一本と器用に折り曲げていって、
――誰よりもクールでクソ真面目で賢くて頑固者で鉄面皮で朴念仁で融通利かずで、
最後には残り全部を一気に折り曲げてしまって、
――色々「できすぎた」お前も、やっぱり機械とかなんかじゃなくて、根っからの一個の生き物なんだな、って思ってさ。決め台詞はやっぱりお前から? まさかミリィからってことはないだろ。
人間はポケモン以上の『魔法』を使えるらしい。
うまれてからの五年間、レッパクの中で脈々と築き上げられてきた要害堅固な『城』が、あっという間に崩れた。
緊張していた万物が、弛緩の一途をたどる。
視界が滲んだ。
「――あ、」
声が震えた。
「ありがとう、ござい、ます……!」
足も震えた。
涙声で、わなわなと頭を下げる。
その声色にはもう、自責の念はなかった。
限界にまで張り詰めていた空気が、ここでやっと平穏を取り戻した。みんなも安堵と呼吸を思い出し、それぞれなりの表情を浮かべた。
「レッパク、ミリィ。――えっと、」
次に立ち入ってきたのはゼットだった。レッパクも存在は認めていたが、意識するどころではなかった。
「――おめでとう、ございます」
その言葉ももちろん嬉しいことには変わりなかった。体を向き直し、同じように返した。
しかし、なぜかそのままゼットは二階へと上がり、帰ってしまう。涙にかすむ視界の向こうの姿は、浮遊の足取りがどこかおぼつかなくて寂しそう。背中に何か声をかけようと思ったが、そんな気分になれなかったのはレッパクも同じだった。
大きくて柔らかい主人の手に、再び頭をぽーんと叩かれて揺さぶられる。軽い音がしたのは、そこに何も詰めて考えていなかったからだろう。
――でも、ごめんな、ミリィ。俺んとこのたわけが手出しちまって。ミリィに本当の主人が見つかったら俺もレッパクと一緒に土下座するからさ、堪忍してやってくれ、頼む。ぐーで殴られてもいいようにほっぺ鍛えとく。もしも望むなら、その子の親権も譲る。でもそれまでは、俺たちは全力で支援させてもらうよ。
な、みんな――振り返って最後にそう付け足さないのは、他のみんなの気持ちもわかって代弁できる、主人ならではの最高の特技だった。
ミリィも目に涙をたたえ、レッパクとは対照的に笑顔で返礼した。
「はい!」
レッパクは逡巡の果てに、タマゴへ触れることに成功する。殻一枚向こうからの、生命の鼓動を感じる。
朱に焦がれるミリィの肌よりも、ずっと熱かった。
お前のときとそっくりだよ、と主人はまた笑ってくれた。
― † ―
で。
これですべてが終わると思ったら、大間違いだった。あまねく余波がしわ寄せとなり、圧縮の果てにてついに炸裂する、最高の場面だった。
仏の主人に代わって、嬉し恥ずかし、祝杯とは名ばかりの、血の粛清が勃発する。つまりは私刑である。リンチである。村八分である。八つ裂きショーである。一対五。勝てっこない。それでもレッパクはある種の悲壮さも含めて立ち向かうしか道はない。
天井に激突しそうな勢いで高い高いされた。えぐいスキャンダルを起こして報道陣に詰め寄られる芸能人のような気分も味わった。「で、そ、その! ちゅ、ちゅー、しちゃった、ですか!?」「うん」「きゃーっ!」「おいミリィ」「あら、いいじゃない減るもんじゃなし」「何味ー? ねー何味ー?」「そりゃお前さん、ノメルのみの味だろ」「ふふ、悪いけどそれは内緒」「えーそんなー」「というかお前どこからそんな言葉覚えてくるんだ」「秘密事項だぜ」「それは内緒、ですって。私も言ってみたいものです」「まず相手見つけろ」「あっ、ひどいですなんですかその勝ち誇ったようなセリフ! みずでっぽうかけますよ!」「おおやるか? 言っとくが今のおれは誰にも負ける気はしないぞ」「ミリィにこっぴどく負けちゃえば?」「いけー、ミリィー!」「いけー、ミリィ先輩、です!」「レッパク、おいたはだめよ」「む」「はい、一本先取ね」「ぐ」「うわ、なんか二つの意味で甘い」「よお、俺にもちょっとタマゴ持たせておくんな」「ええ、どうぞ」「慎重にな。ばか力で潰すなよ」「しねえって!、って、おおっと」「おい!」「――なんつってな」「まあ」「お前なあ!」「あ、怒った」「怒りましたね」「怒った、です」「そんなにびびるんだったら最初から作らなきゃいいのにーこのすけべー」「お前らなあッ!!」
あまりにくだらなすぎて真面目に書く気も失せ、ただの会話の羅列としてみたが、読者諸氏には内容はもとより煩雑さをひときわお伝えすることとなり、結果としてはオーライなのではあるまいか。六匹と一匹と一個が集まっただけでこの喧騒っぷりである。人間の家なんぞ、ポケモン様からすればハリボテも同然なのだ。主人の――もとい、トレーナーの器の大きさが痛感できる。強く生きてほしいものである。人生は半ば、まだまだ続く。
だから、この底抜け騒ぎも至極当然、朝になるまでやまなかった。酒を口に含み、曲芸師のような火吹きを見せるバクフーンがいる。子守唄だろうがほろびのうただろうがノンストップメドレーにして歌姫がごとく熱唱するラプラスがいる。それに合わせて机の上で跳んで跳ねて踊り出すマラカッチがいる。周囲の悪ノリにいい加減苛立って尻尾をばしばし床に叩きつけるフライゴンがいる。宙へ一斉にばらまいた食器たちを念力で見事に重ねてタワーにするムウマージがいる。こんな中でもどうして終始タマゴが無事だったのだろうかなどと考えてはいけない。
下戸であることもお構いなしに何口も胃に流し込まれ、レッパクは案の定最初に潰れた。薄情にも、ミリィが寄り添ってくれたことの片鱗も憶えていない。同じく強烈なまでに酔いの回ったみんなの誰かが提案し、落描き大会が始まる。お約束のように額に肉と書かれる。二日酔いも落描きも、三日目を終えるまでレッパクの全身をしつこくまとわりついた。
― † ―
やがて誕生したそのイーブイのメスは、レッパクによって『セブン』と名づけられた。
曰く、「主にとって正式な七番目のポケモンだから」ということだ。