Battlissimo - 前編 Black tar
 03 ミラードライブ


 【体温を奪い去って。代わりに甘い丸薬をちょうだい】 ミリィ


   03 ミラードライブ


 一ヶ月となった。
 この日は、主人に同伴して、みんなと水場へ来ていた。遊びにではない。少なくとも自分は。
 目に見える不発弾というやつで、哀れ主人がついに発狂したからである。
 これだけを書くとややこしくて話が前後するが、

 ――あーもー、毎日毎日パソコン触ってのしゅうしょくかつどーは飽きたー! 俺は外へ行くぞー! じゆーのつばさだーっ! みんなもこーいっ!!

 と、主人が二階で一人叫び、椅子ごと後ろへド派手にすっ転んだのがきっかけだった。レッパクは一階にて、ミリィに作法と定石をせがまれていたため、顛末を見届けることはなかった。が、照明の揺れ具合から、どういう状態で転倒したかが目に浮かぶようだった。伊達に五年は一緒に暮らしていない。
 我らが坊っちゃんがこうなってしまえば誰も止められる者はいないし、あえて止めようとも思わない。一同で外へ出るなど、ここ最近まったくお預けとされていたからだ。当の本人には死活問題の、人間なら誰しもがいつかは衝突する人生のターニングポイント。まさに常世の風物詩を哀れむような気持ちとなり、ガス抜きに付き合うこととした。
 しかし。
 よりによってここか、とレッパクは苦く思う。
 現実逃避の世界として選ばれたのはずばり、家の近所にある水場だった。昔から元々あるのだが、レッパクが頑として意識しなかったため、描写を伏せておいただけである。

 水をばしゃばしゃと弾けさせたり、周囲を駆けまわったりと、みんなが子供のように楽しんでいる。子供か。
「行かなくていいの?」
 そういうお前はどうなんだよ。なんでおれの隣で一緒に座っている。
「水は苦手だ」
 かなづちだし、トラウマだし、めちゃくちゃ嫌いだし、とにかく金輪際ごめんだ、とまでは意地でも言わないのはなぜだろう。実はこいつ、栄えあるサンダースに進化したはいいが、その素早さを制御しきれず、その日のうちにこの水場へ飛び込んで溺れて死にかけたという、聞くに堪えない不名誉な過去を持っている。
 しなる釣り竿を両手に勤しんでいた主人がここで水の中へ鮮やかにどばーん。あっぱれな水柱。マラカッチとムウマージにふざけ半分で背後から突っ飛ばされたからだ。レッパクは内心でひやりとする。帽子が外れ、前髪をぐっしょり垂らして水面から現れる主人はまるで海藻のお化けのよう。声では怒り、顔でははしゃいで、よくもやりやがったなこの、と二匹を掴もうとするが、マラカッチを引きずり込むだけでムウマージには物理的にも距離的にも届かない。

「ご主人、楽しそうね」
「そうだな」
 あの場にいなくて本当に良かった。
「ずっとこうやって生活をしてきたの?」
「一度、いや、二度、旅をしたことがある。主やみんなと」
「それは、サンダースになってから?」
 ?
「ああ、うん。ある意味、それも旅のきっかけのひとつでもあったかな」
 それも前回と同じで、多くは語らずに済んだ。武勇伝をいちいち自慢しても仕方のない事だし、ミリィに言ったところで何かが変わるとも思えない。自分の昔話をしてミリィの記憶が取り戻せるのならば苦労はしない。元々戦闘は得意そうには見えないから、ささやかな日常を重ね、回復の促進をしたほうが有意義に感じられる。
 それでもミリィはこうして、レッパクのそばにいる。主人たちのような羽目を外すことも控え、揃って木陰の暗い涼しさに体温を預けている。
 こころの拠り所がレッパクしかいないのか、レッパクが不動に徹するからなのか。
 以前話した「境遇」という言葉の意味を知ろうとしているのか。
 あるいは、
 あるいは、それら以外か。


   ― † ―


 その数日後、昼寝から起きてもミリィがいなかった。家の中を目で見渡し、足で歩いてもみる。二階にいないし、一階も同じ。
 気にしないはずだったのに、つい訊ねてしまった。
「主、ミリィは?」
 リビングのソファにて、リモコンのボタン上で親指を踊らせていた主は肩越しに振り返って、
 ――あれ、お前と一緒じゃなかったの?
 元々体温のなさそうなレッパクの表情から、更に熱が消える。真っ黒い思考が逆巻き、頭の内側を削った。

 人間は家の出入り口として、玄関というものを造る。ポケモンは外へ行くのにわざわざそこを通る義務はないし、なによりドアノブというややこしい難敵が存在する。そういう不便さや障害を解消すべく、家でポケモンを飼う人間たちは独自の扉を設けたりして、ポケモンの外出をなるべく自由に叶えられるよう配慮する。この家で挙げるならば、ちょうどリビング先にある今まさに全開の窓だ。
 その瞬間だけ、外の世界がまるで真空状態であったかのような動きだった。
 カタギには到底真似できないほど、すべては一連だった。体内電流を最低限に抑えて、しかし弾ける速度で、レッパクは窓の向こうへと吸い込まれる。背中へ迫る言葉にも耳を貸さず、外へ躍り出る。主人が窓からこちらの様子を目で追ってきて、その時すでにレッパクは五台目の車を追い抜かしていた。人口も決して多いとは言えず、交通量もそれに伴うワカバで、である。車道も歩道もまるで眼中にないめちゃくちゃな走り方を見せつけ、突然のサンダースの爆走に人間たちは何事かとおっかなげに足を振り上げて道を譲ってくれるが、避けてもらう前に避ける。最近までの記憶を全部ひっくり返し、ミリィと一緒に行ったことのある所、話したことのある所、その両方を思いつく限り片っ端から巡っていった。背後から飛んでくるガンも罵声も受け流して一顧だにしない。家の囲いの上も電線も、渡れるところは全部渡り、見渡せる限りのところを全部見渡す。

 地面がやがて石畳に変わり、ワカバの中心部である広場まで走り抜けた。やけくその手順で電磁場を張り、三秒かけてようやっとブレーキを決めた。反動で起きる壮絶なGにめまいを誘発され、その目で噴水の中心に突き立つ大きな時計を見上げると、ざまあみろとばかりに一分だけを刻まれた。当たり前すぎることだが、人混みで匂いが判別つかない。
 喉がひりつく。
 強く後悔する。
 なんであんなことをべらべらと話してしまったのか。
 かつての闘いが済んで一段落ついたとはいえ、油断は大敵だったはずだ。主人の家に住まうよう事を運んだのが自分なだけに、余計に腹が立つ。
 一度疑い、それをやや許し、しかし再び疑ってしまえば、そのやじろべえの傾きはますます深くなる。

 そもそもミリィという字が本当なのかどうかも怪しい。
 それに、それ以外は綺麗さっぱり忘れたというのも怪しい。
 それにそれに、隠そうともしないあの独特のイントネーションも怪しい。
 それにそれにそれに、第一いきなりワカバの森に現れたのだ。役満である。

 誰の差金なのか。
 こころあたりが多すぎて立ちくらみのようなものを覚える。全員を拷問にかけたい。
 主人との旅は有意義であったが、順風満帆だったといえばもちろん違う。前から後ろからと困難はやってきて、多くの血が流れた。前から来れば跳ね飛ばしたし、後ろから来れば逃げてきた。思い返せば、旅路には悪意ある敵が多すぎた。正々堂々と相手を務めてくれる好敵手のほうが少なくて、今にして悲しかった。あの綱渡りをよくも成し遂げて今日までのうのうと生き延びてきたものだ。刃を仕向ける者は一人一匹と残らず叩きのめしてきたはずだが、懲らしめたとは意味が違うことを思い知る。報復はいつどこでどんな形で起きるかなんて誰にも断言できない。
 あのイーブイは、よもや密偵じみた役割を演じていたのではなかろうか。
 現にこうして自分に不自然なくらい接近してきた。そう、自分に、なのだ。他のみんなではなく、自分に。まさか色目のようなものまで使ってくるとは思わなかったが、どんな手にせよ通用さえしたら、向こうからすればなんでもよかったのだろう。主人の右腕であり、みんなのまとめ役でもある自分から潰そうとしてくるのは間違いなく敵意ある判断だ。
 では、あいつは今頃何をしているか。
 本当の主人のところへと戻ったのか。
 自分たちのことを報告しているのか。

 動転が焦りに拍車をかける。
 追わねばならない。
 なんとしても。
 そして、正体を暴かねばなるまい。

 こころのどこかが、隙ありとばかりにこめかみへささやいてきた。
 ――また闘えるぞ――
 押し殺せなかった。押し黙らせた。
 そんな気持ちを振りきりたかったのか、取り返しの付かない事態をなんとしてでも阻止したかったのか。いずれの結論も下せないとなるといよいよ気持ちは八方が塞がり、あてのない道をまたがむしゃらに駆ける。

 石畳がやがて草地へと変わり、森の中を可能な限りの速さで回った。始まりの場所を目指した。結果は言うに及ばず。薄暗くて探索が難しく、出会い頭のやつに次々と訊ねてみるが、オオタチもそれ以外も一言にくくって知らないと返すだけだった。知っていたとしても、電光に染まりかける形相が怖すぎて、つい嘘を選んだと自分でも思う。
 こんなに全力で走ったのは久しぶりだった。体力と時間を大幅に費やし、最後に選んだのは、最後に行った水辺だった。半日駆けずり回ったおかげで、いい加減くたびれた。西に潰えようとする斜陽が、池の水面上で真っ白にほとばしって目にやかましい。周囲に余計なものがないだけに、空は水平線をここぞとばかりに下げ、橙色を広げてくる。
 いよいよ精根尽き果てて腰を落とす。二秒だけ天を仰ぎ、灰色の雲に向かってかすれたため息。今度は鼻先を下に向け、地面を見つめる。体力がなければ悪い思考もできないようで、もう何も考える気力が湧かない。水が飲みたいのに一歩も踏み出せないのは、今に限ってはトラウマだけが理由ではなかった。
 ああ、
 なにやってんだろう、おれ。

「レッパク? どうしたの?」

 イーブイの鳴き声ではなかった。が、それでも反応した。爆発的な勢いで振り返るその恐ろしい顔が、次の一瞬で口をひらけて、そこから一気に毒気を持っていかれた。ぶつけようと用意していた言葉もついでにすべて透明の塵となって霧散した。横向きにぶっ倒れそうになった体を、自分の前足がかろうじて支えた。世界が斜めに見える。
 引き続きミリィはきょとんとした顔で。
 対するレッパクはげっそりとした顔で。
「……………………お、お前こそ……どうしたんだよその格好……………………」
 それもそのはず、声のぬしはやはりミリィだったが、そこにいるのは赤い体と黄色のたてがみをしたブースターだった。うまれてからずっと丹誠込めてここまで育てましたと言わんばかりの、レッパクにも負けない豊かな体毛である。尻尾まで黄色くなってやがった。
 今までの妄想が、木っ端微塵に砕け散った。
「レッパクの進化、どうやって叶ったのかなって気になって、思い切って訊いてみたの。で、昔『けんきゅうじょ』ってところで偶然なったって知って、そこまで行ってきたの。――あ、ごめんなさい、もしかしてまた心配かけた?」
 それもグレンゲか。あるいは主人か。もしくはそれら以外か。
 残り少なかった体力もとうとうここで抜けきったレッパクお構いなしに、以前と同じようにてくてくとまっすぐ近づいてくる。やつれていたレッパクのまぶたが徐々にあがり、やがて緊張した面持ちとなる。斜めに傾ぐ体も、ハイスピードカメラで捉えた起き上がり小法師のような、じわじわした動きで戻される。純度の高いこころそのままを象ったようなミリィの瞳に、レッパクの鋭い目は細く吸い込まれそうになる。

 艶めかしい風が両者に吹き付ける。一欠片の雲がたおやかに流れ去り、夕日が完全な形となった。
 光熱を受けて、ミリィの顔は更に眩しく、そして綺麗に映る。
 同じ屋根の下の間柄とはいえ、ここまでの接近は異常すぎる。
 否。
 同じ屋根の下の間柄だからこそ、だった。
 白状しよう。
 どきどきした。
「これでレッパクと『一緒』になれたね?」ミリィがいたずらっぽく笑った。「これでわたしも、水が苦手」

 心配したぞ、か。疑って悪かった、か。その両方か。
 これほどまでに向こうから『距離』を詰めてもらわないと気づかないほど、レッパクとは、まあ、そういう奴なのである。
 それに対してミリィは、どこまで行ってもミリィだった。
 なんにせよ、こっちの負けだった。


   ― † ―


 あ、ちょっと待ってくれ。
 うん、なあに?
 喉が渇いた。そこで飲んでくる。
 うん、じゃあわたしも。
 ブースターだろ。
 うん、いいのいいの。

 建前であり、本音である。
 喉を潤したかったのと、口をすすぎたかったのと。
 間を置きたかったのと、周囲を確認したかったのと。

 かみなりポケモンとなってからは、電流に関するもののだいたいは体が勝手に処理していた。だから、婉曲的にせよ、「心臓が痺れそうになる」という刺激は、レッパクにとって実に久しい。
 久しいからこそ、味わいがいがあった。
 そばに水辺があるせいか、腹の底がちょっとだけ冷たい。

 雷と炎がちりちりと飛び交って
 ひんやりとして固い地面の上を
 ちくちくとむず痒い芝生の上を
 包み合うようにして転がりあい
 熱くて血が煮えそうなその体を
 痺れて舌が切れそうなその体を
 お互いの想いが何度も交差して

 そうして二匹は、やがてあの「痙攣」に達する。



水雲 ( 2016/04/12(火) 15:24 )