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ティータイム 5th time-親と子-
42杯目 波紋

「は? カフェの母親がここに来る?」

 声を上げるすばるに、つばさは慌てて口元に人差し指を当てて、静かに、の意思を伝える。
 あ、わりい。と、すばるも慌てて声量を抑えた。

「話を聞かれちゃったって、スマートなお姉さんから連絡あったの」

 カウンターを挟んで向かい合う二人。
 すばるは毎度の如く、カウンターを布巾で拭く作業。
 対するつばさは、カウンター席に座ってすばるの作業を眺めていた。
 喫茶シルベ、ただいま開店中。
 朝の混雑時間を過ぎた頃。二人はようやく一息つき始めたところだった。

「それで? その母親については訊いたのか?」

 ちらり。すばるの視線が階段へ向く。
 階上では、幼子がすやすやと寝息をたてて眠っている。その傍らで、ファイアローが面倒を見てくれている。
 昨夜、どこかの元気な白色毛玉に付き合わされて夜更かしな茶の毛玉。
 それはつばさも、その膝上にいるブラッキーも同じなわけだけれども。
 こちらは眠っているわけにはいかないのだ。
 ちなみにファイアローは、眠る時間が訪れれば、自然と睡眠に突入し、そのまま朝まで起きることはない。
 どれだけ周りが騒がしくても起きることはなくて。全く羨ましいことである。
 つばさは、ふわあ、と欠伸をしたところで、半目で睨むすばるに気づく。

「あ。ああ、ごめん。そ、そのことね」

 膝上ではブラッキーがくわあと欠伸を一つ。

「眠くて仕方なかったから、途中で通話きっちゃってさ」

 えへっと、ごまかすようにつばさは笑う。

「詳しくは訊いてないんだ」

「……なっ」

 何してんだよっ。と、すばるが詰め寄る前に。

《嘘をついてどうする》

 ブラッキーの冷静な声が滑り込む。

《存在を明確にしたくないからと、忙しいと言い訳をして、通話を切ったのはお前だろ》

 つばさを見上げる彼の視線が突き刺すように痛い。

「つばさ、お前なあ……。まだ逃げるか……」

 すばるの視線も非難めいたもので、居心地が悪くなる。

「だって、まだ心の準備ができてないもん」

 口を尖らせてうつ向くつばさ。
 そんな彼女の様子にため息をつくのはすばるで。
 つばさへ腕を伸ばして、ぽんぽんと軽く頭に手を置く。

「俺が居てやるから、お姉さんに連絡してみろよ」

 すばるの言葉に、つばさが目だけを動かして見上げる。所謂、上目遣い。
 揺れる橙の瞳に、どきりとすばるの鼓動が響いたのは内緒だ。
 それを隠すために、彼女の頭に置いていた手をおろし、くわっと彼女の頬を挟んだ。
 コアルヒー口。瞬時に橙の瞳に怒りの色が滲む。

「おっと。早く連絡してみろっつーの」

 ぱっと手を離し、そっぽを向く。
 そんな彼へ口をへの字にして睨んでいたつばさだが、やがて諦めたのか嘆息を一つもらして。

「りん、降りてくれる?」

 視線を膝上に落としてブラッキーに声をかける。
 連絡を取るためのスマートフォンは階上にある。取りに行かなければ。
 だが、彼女の言葉を受けたブラッキーは、ゆっさゆっさと尾を振るだけで、動こうとする様子はない。
 またもや、つばさの口がへの字になる。

「何? りんまで私をからかうの?」

 不機嫌を含んだつばさの声。
 彼が動かないのならば、自力で降ろしてやると。つばさが彼を抱えようとしたとき。

《今日はここに居る。お前も俺やすばるの傍から離れるな》

 やや硬めな声音が聴こえてきた。
 その声には、そっぽを向いていたすばるもブラッキーの方を向く。

「どういう、意味?」

 いつもとは少し違う空気をまとうブラッキーに、つばさは不安気な表情を浮かべる。刹那。

「大丈夫だっつーのっ」

 ぱちんっと、音が響く。
 つばさが額を抑えて、涙で揺れる橙を持ち上げると。
 そこに、笑む桔梗色を見つけて。

「俺が居てやるからさ」

 にっと、その表情は笑っていた。

《俺”達“だからな》

 間髪を入れずに滑り込む声に。
 はいはい。と、軽くあしらうすばるの声。
 金と桔梗色の瞳が火花を散らす横で、つばさは仄かに笑う。
 自分は恵まれているな、と感じるのはこういう時だ。
 一人ではないし、道を間違えそうになったら、それを正してくれる存在がある。
 だから、頑張ろうと思えるのかもしれない。
 さて。と、思考を切り替えて。
 この火花を散らす一人と一匹をどうしようかと、つばさの思考が傾き始めたとき。
 ふいにブラッキーの両耳がぴんっと立ち上がった。
 次いで、すばるの視線が硬くなる。
 両者のまとう空気が色を変え、敏感なつばさは顔を強張らせた。
 息を詰めたとき、からんからん、とドアベルが響く。
 いつもなら、挨拶をしなければとすぐに立ち上がるつばさ。
 けれども。この時はそれが出来なくて。振り返ることが出来なくて。
 心の奥がすっと、急激に冷えていく錯覚さえした。
 こっこっ、と。ドアを押し開けた存在が、こちらに歩んでくる音が聞こえる。
 気配がすぐに後ろへ迫って来て。どくん、と鼓動が響いた。
 それでも、振り返ることは出来なかったけれども。
 膝上で警戒の気配をまとっていたブラッキーを、両腕で抱き締めたことで。

「いらっしゃいませ」

 ようやく、振り返って言葉を発することができた。
 振り返って見上げて、感情の見えない赤紫の瞳を見た。
 赤紫の瞳はこちらを見下ろしていて、威圧的な目付きだと感じたのは、気のせいだったかもしれない。
 赤紫の瞳を持つ、紺の髪の少女。
 彼女の傍らにはグレイシアの姿。
 そのグレイシアをちらりと見て、すぐに分かった。
 ああ、この子だ。この子達があの子の。
 そこで思考は止まる。

「ねえ、ここって」

 少女が口を開く。
 ここって。その続きを聞きたいような、聞きたくないような。
 今すぐに耳を塞ぎたかった。それでも。
 見下ろす赤紫を、橙で見上げる。
 と。肩に手を置かれた。置かれて、すぐにそれは横を通りすぎて。

「ここは喫茶シルベです。お客様は観光でこちらに?」

 笑顔を貼り付けたすばるが、ちらりと少女の手に握られている観光マップを見る。
 それにつられた少女もちらりと視線を向けて。

「え、あ、まあ……」

 と、曖昧に笑った。

「当店自慢のカフェラテ、飲んでいきます? 席にご案内いたしますね」

 そのまますばるは、少女とグレイシアを一番奥のテーブル席へと通して行く。
 少女と引き離されたことに対し、安堵している自分に気が付いて、つばさは唇を咬んだ。
 ブラッキーを抱える腕に力がこもり、その腕を彼はぺろりと一舐めする。

《つばさ》

 彼の発する声に一つ頷く。

「大丈夫。私がやらなきゃね」

 ブラッキーの後頭部に顔を埋めるつばさの、そのくぐもった声が聞こえた。
 遠くでやり取りする声が聞こえる。
 注文の確認が終わったらしいすばるの足音。
 それが近付いてきて、横を通りすぎるとき。
 ありがとう。と、静かに言葉を紡ぐ。
 足音はそのまま通り過ぎたけれども、笑った彼の気配は伝わってきた。



   *



「さすが俺、うまそうなカフェラテだな」

 ふふん、と得意気に鼻をならすすばる。
 立ち昇る湯気を満足そうに眺める彼のその後ろ。突如、がばっと。何かが腰に腕を回してきた。
 うおっ。飛び出そうとした声を無理矢理に飲み込んで。
 代わりに、瞬時に頬に熱が帯びたのを自覚するすばる。
 腰に回された腕。それにぎゅうっと力を込められて。
 背に感じる自分とは違う体温。触れ合う部分から、熱がじわりと広がって。
 それが気持ちをちりりと焦がし、鼓動を響かせる。
 けれども、その中で見つけた息づかい。
 それが次第に、熱で焦げる気持ちをすうと鎮めて行く。

「つばさ、どーした?」

 腰に抱きつかれたまま、ぽつりと吐息のように呟く。

「ん」

 すばるの背に顔を埋めていたつばさ。
 そのくぐもった声が返事をする。

「ちょっと充電」

 それから暫く、両者は動かなかった。
 すばるが呼吸を十程数えたくらいで、つばさが動き出した。
 お互いの身を離し、つばさがすばるの方を向く。

「カフェラテ、私があの子に持っていくね」

 ふわりと笑むつばさ。傍にあったトレイを手にする。

「大丈夫なのか?」

「うん。パワーもらったから大丈夫」

 トレイにカフェラテのカップを乗せながら頷く。

「ここは私が行かなきゃいけないと思うの。私はあの子のトレーナーだから」

 すばるに真っ直ぐ向く橙の瞳。
 そこに力強い何かを垣間見た気がして、すばるは目を細めて仄かに笑って。
 そうか。とだけ呟いた。

「それにね」

 少し恥ずかしそうに笑うつばさ。

《大丈夫だ》

 突然の声に、すばるの視線が落ちる。
 つばさの傍ら。ブラッキーがすばるを見上げる。

《俺“が”いる》

 仄かな笑みを残したままのすばる。
 その頬がわずかにぴくりと動く。

「りんが居てくれるから、私は大丈夫」

 握り拳をぐっと突き出して、すばるの胸を軽く小突く。
 小突いて、小さくはにかんで。

「だから、すばるはここにいて」

 そそくさと、カフェラテを乗せたトレイを手にしてカウンターを出ていく。
 そのあとに続くブラッキーの尾が、ひょんひょんと揺れていた。
 彼がカウンターを出る直前。ちらりと振り返ったのが見えた。

「何か、ちょっとムカつくな」

 すばるの小さな呟きだけが残った。



   *



「お待たせ致しました。カフェラテです」

 そう言って、ことりと少女の座るテーブルへ置く。
 少女は足元で座るグレイシアの首筋を撫でながら、カフェラテを運んできたつばさを見上げた。

「ねえ」

 少女の口から声が飛び出す。
 ぴくりと小さくつばさの肩が跳ね、トレイを抱える腕に力がこもる。

「あなたがつばささん?」

 赤紫の瞳が鋭くなった気がした。

「そう、だけど」

 首肯すれば、それは鋭く細くなる。

「じゃあ、スマートなお姉さんから聞いてると思うけど、ここにいるカフェってイーブイに会いにきたの」

 そこで言葉を一旦きる。
 けれども、さらに言葉を並べようとする少女。
 それを、片手をあげて制する。
 正直言ってしまえば怖い。怖いけど。
 傍らのブラッキーが尾で背を叩いてくる。
 少し離れたところからすばるの視線を感じる。
 先程触れた彼の体温は、まだ覚えている。だから、大丈夫。
 彼らの存在が、気持ちを押してくれる。支えてくれる。
 真っ直ぐ少女を見据える。

「るいちゃん、だよね?話は確かにお姉さんから聞いてるよ」

 橙の瞳が瞬く。

「聞いてるけど、今はあまり関わらないで欲しいの」

「――どういう意味?」

 瞬間の間を置いて返される言葉。

「今はあの子を混乱させたくない」

 その言葉に、るいの足元で座るグレイシアがつばさを見上げた。

「でも、そのカフェは」

 がたん、とるいが席を立ち上がると。
 咄嗟にブラッキーがつばさの前へ一歩踏み出した。
 るいが鋭い視線をつばさに向けながら。

「本当は私が育てる予定で、本当は“カフェ”って名前じゃなくて、本当は“ぶいのすけ”って名前で、本当は、ほんとうは」

 本当は。それを繰り返してばかり。
 つばさが鋭いと感じたるいの視線も、本当は違ったのかもしれなかった。
 彼女の赤紫の瞳。
 そこに。彷徨うような、迷子のような、そんな色を見つける。

「そうだよ、“カフェ”じゃない。“ぶいのすけ”だっ!」

 るいから発せられた言葉。必死だと思った。
 一瞬、彼女の言葉の勢いに圧された。
 ぐっと、トレイを抱える腕に力がこもってしまった。
 それでも、それでも、だ。

「“本当”なら、そうだったかもしれない。けどね、今のあの子は“カフェ”で、あの子のトレーナーは“私”なの」

 “今”あるものは、“本来”あるべきものじゃなかったかもしれない。
 それでも、あの子は自分の傍に居てここに在るものなのだ。
 そのカタチを簡単に壊していいはずがない。
 自分もあの子のカタチを壊そうと思ってしまったのだから、彼女に偉そうなことは言えないけれども。
 それでも、きっとあの子のカタチを護れるのは自分だけだと思うから。

「……っ、だからっ!」

 尚も言葉を並べようとするるい。
 彼女の瞳に一瞬、別の色が混ざったのをつばさは見た。
 けれども。それはすぐに、るいの傍らからの声で掻き消える。

「――――ッ!」

 グレイシアの声に音が遠退き、その場を一瞬だけ支配する。
 瞬き一つで日常の音が帰ってきたけれども、固まった身体はそのままで。
 しばらく、赤紫と橙の瞳は交差していた。
 途端。赤紫の瞳が下を向く。
 るいの服の裾。それをくわえて引っ張るグレイシア。

「帰ろうって言ってるの? ヴィヴィ」

 服の裾を引っ張り続ける。それが彼女の肯定の意。
 ちらり。るいはつばさを見やって。
 その向けられた瞳に、つばさはわずかに眉をひそめる。
 先ほどから見え隠れする感情の色はなんだろうか。
 とても、頼りない不安気なそれ。

「るいちゃんは、カフェに会って何をしたいの?」

 思わず口からもれた言葉。
 つばさを見やるるいの瞳が震えた。
 彼女の唇がわなわなと震え出し、咬んで、きっ、と睨むような目を向けられた。

「もうっ、いいっ!」

 ばんっ。と、強く机を叩きつけられた。
 かちゃんっと、机上のカフェラテ入りカップが音を立てて弾んで。
 あ、こぼれる。そう思ったけれども、それは中空でとどまっていた。
 気配ですぐに伝わる。ブラッキーの技“サイコキネシス”が発動したのだ。
 彼にお礼を言う間もなく、るいはつばさ達の前をすたすたと歩いて行く。
 どんな表情をしているのか、その横顔は見えなかった。
 彼女のあとに続くグレイシア。
 通りすぎる前。ちらりと背後を省みて、一瞬だけつばさを見やった。
 けれども、すぐにるいのあとを追いかける。
 かたりと中空に放られたカフェラテとカップが机上に戻った頃には。
 からんからん、とドアベルの音がした。
 どっどっ、と。自分の鼓動が自棄に大きく聞こえた気がして。
 ブラッキーに尾で背を軽く叩かれたところで、やっと息を吐き出せた。

《大丈夫か?》

 見上げてくるブラッキーの視線。
 そこに気遣うようなものを感じて。

「う、うん。だいじょうぶ」

 とだけ応えた。
 それでも、視線はドアの方を向いたままで。しばらく呆けるように見つめていた。
 見え隠れしていた彼女の感情の色。
 あれを、自分は知っている気がした。

「なん、だっけ……?」

 知っている。それは直感だった。
 刹那。視界が激しく揺れた。

「おいっ!つばさっ!」

 緊迫した声。すばるの声だ。
 そう思った途端、我に返る。

「ん、なに?すばる」

 つばさの肩を揺すっていたすばるの手がぴたりと止まる。
 次いで、はあ、と盛大なため息。そこに呆れの響きを感じた。

「なに、じゃねえよ。ぼおっとしちまうから、何かあったかと思うだろ?」

 肩から手を離すと、すばるはテーブル席へと歩み寄って。
 机上に残されたカフェラテを見やる。

「あーあ、一口も飲まねえで。ご丁寧に代金は置いてあるけど」

 勿体ねえ、俺が飲む。
 と、カップを手にして口に運ぶ彼の様子に。

「それ、照れ隠し?」

 と呟けば、激しく咳き込むすばる。
背を向けられてしまった。
 心配してくれたのは嬉しいが、心配したことに対して照れる姿は可愛いと思った。
 小さくくすりと笑って、ありがとう、と言葉を紡ぐ。
 と、脚に夜闇が絡んだ。

《つばさ》

 視線を落とせば、こちらを見上げる金。
 本来ならば二対あるその金は、片方が縦一文字で固く閉ざされてしまっていて。
 それは過去に起因していて。そこで、思い出す。

「そうだよっ!りんっ!」

 思わず屈んで、困惑気に瞳を瞬かせる彼の両頬を手で包んだ。
 からんからん、と落としたトレイが床で回る。

「あの子の瞳を、私は知っている」

 知っているのだ。あの、頼りない不安気な色を。
 あれは、拠り所をなくしたときの色。
 あれは、目指していたものを失ったときの色。
 そう、かつての自分と同じ。
 旅をしていた過去。
 そこで起きた出来事。
 そして、自分の中に在ったものが崩れたとき。
 あのときの感情の色と、とても似ていると思ったのだ。
 そうだとしたら、るいが抱えてきたものは。もしかして。もしかして。
 それを自分は。簡単に。彼女の。目の前で。



 崩してしまったのかもしれない。



   ◇   ◆   ◇



 同じ頃。喫茶シルベの二階。
 茶と白の毛玉が重なるように、絡まるように眠る。
 その横では、見守る最中に眠りへ誘われてしまったファイアローも眠る。
 すやすやと三つの寝息が聞こえる中で、毛玉からにょっと白の耳が立ち上がった。
 毛玉に埋もれた鼻を突き出し、ひくひくと鼻をひくつかせて。
 毛玉から這い出た白イーブイは、とててと駆け出したかと思えば。
 助走をつけて窓枠へと飛び上がる。
 飛び上がって、窓から外の景色を見下ろして、窓に顔を押し付けて凝視する。
 頃合いはちょうど、少女とグレイシアが飛び出したところで。
 しばらく彼女らを見つめたあと、ふいに振り返って、まだ眠る茶の毛玉を見つめる。
 じいっと見つめて、窓枠から飛び降りれば。
 とててと彼に駆け寄って、その頬と頬を擦り合わせた。
 くすぐったかったのか、茶イーブイが身動ぎをして身を丸くする。
 白イーブイが瞬きをして首を傾げたあと、彼女は再び彼に身を寄せて、その傍らでくるんと丸くなる。

―――ラテとカフェはかぞくだもん

 そう、ぽつりと呟いて、彼女は再び眠りについた。

ばす ( 2019/03/09(土) 21:57 )