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ティータイム 4th time-風-
26杯目 浮気者っ!

 聞きなれない音がした。
 初めて聞く音だった。
 硬い何かが、石畳の上を叩く音。
 それを後から。
 蹄の音だよ。
 と教えてもらった。
 けれども。
 その音が聞こえたから。
 駆け出したわけではない。
 走り出したくなる、何かを感じたから。
 気付いたら駆け出していた。
 そして、今。
 目の前にしているのが。
 それ、なのかな。
 喫茶シルベの前。
 店の出入口である扉の前。
 薄藤の体毛包まれた身体は、すらりとしていて。
 額を飾る赤の宝玉が、きらりと光を弾いた。
 見上げると。
 きらきらとした紫の瞳が数度瞬いた。
 そのきらきらとした瞳は。
 どこか、懐かしさを感じて。
 きゅんっと、胸の奥が優しく痛んだ。

《キミはもしかして……ラテ、ちゃん?》

 白イーブイの耳が跳ねた。
 自分の父と同じ質の声。
 けれども。
 父の声よりも、幾分か高い声。
 高い声だけれども、落ち着いて聴こえるその声は。
 聴いていて、夢心地な気分になる。
 記憶を手繰っても。
 このポケモンに会った鮮明な記憶はない。
 けれども。
 初めてではないと。
 記憶が語っていた。
 朧気な記憶が語っていた。
 そして。
 一つの結論にたどりついて。
 白イーブイの胸の奥で。
 とくん、と小さな音が響く。

―――もしかして……

 その結論が。
 たどりついた結論が。
 どうか合っていますようにと。
 胸の奥で祈りながら。
 それを言葉にする。

―――ラテの……ママ、ですか?

 少し震えるその声に。
 薄藤の体毛に身を包んだそのポケモンが。
 瞳を揺らしたのに気付いた。
 そしたら。
 ふわりと。
 彼女の前足が。
 白イーブイを引き寄せようにして。
 そのまま。
 ぎゅっと、抱きしめてくれた。

《そうだよ。ボクはキミのママだよ》

 白イーブイの耳元で、そっとささやくその声に。
 白イーブイは大きな瞳を瞬かせて。
 にへらっと笑った。

―――ママ!

 次いで。
 自身の頬と、母のそれを重ねて。
 すりすりと何度も。
 それを擦り合わせた。
 えへへ、ともれる幼子の声に。
 母改め、エーフィもふふっという声がもれた。

《ラテちゃん、大きくなったな》

 顔をよく見ようと。
 エーフィが白イーブイの両頬に。
 前足を添えようとしたとき。
 どたどたと駆けてくる音がして。
 その場にいた者達の視線が、一斉にそちらへ向いた。



   ◇   ◆   ◇



 喫茶シルベの一階。
 カフェ空間が広がるその階のカウンター席。
 そこにもたれて腕を組むのが。
 栗色の短髪に桔梗色の瞳を持つ少年。
 顔立ちはそれなりの、整った目鼻だなと。
 つばさは密かに思っている。
 つばさと同い年になる彼は。
 正確には、少年というよりも青年の頃合いだろう。
 けれども。
 顔立ちにまだ幼さが垣間見える。
 だから、少年と評しても構わないだろう。
 その彼の隣。
 カウンター席の椅子に座るのはつばさ。

「今日は、店は開かねーのか?」

 カウンター席に背を預けながら、彼が問うと。
 つばさが橙の瞳を細め、片眉が跳ねた。
 その瞳に不機嫌の色が滲む。

「すばるが連絡もなしに来るから、今日は臨時休業ですー!」

 口を尖らせて答える。
 そこについては。
 彼改め、すばるも自覚はあるので。
 何となく桔梗色の瞳があちらこちらに彷徨う。

「野菜をぶら下げたまま、イチも戻ってこないし。どうしたものか……」

 べしゃっとつぶれたように。
 つばさはカウンター席へ突っ伏す。

「ま、俺もあるば探さねーとだし。どうすっかねー……」

 彼が紡いだ名に。
 ぴくり、とつばさが反応する。
 あるば、というのは、すばるの手持ちポケモンの一匹。
 その彼女を探すとは、何かあったのだろうか。
 少し不安を感じながら、つばさは口を開く。

「あるばちゃんに何かあったの?」

「んー、まー別にー?」

 間延びしたすばるの声に。
 思わずつばさは脱力感に襲われる。

「な、なに?その、やる気のない返事は……」

「だってよー。自分からボールに出ておいて、そのままどっか行っちまうんだから」

 肩をすくめるすばるは言う。
 この街に着いた直後。
 ボールの中からそれを気配で察した彼女は。
 つばさに会える、という想いが急いて。
 ボールから勢いよく飛び出したそうだ。
 それを聞いたつばさも。
 好かれているのは嬉しいと感じた。
 けれども。
 問題はそこからだった。
 そう、問題は。
 彼女が極度の人見知りだということ。
 それを失念していた彼女は。
 行き交うその存在に。
 見たことのない人間やポケモンの存在に。
 急速に頭は混乱して。
 すばるが落ち着かせようとした頃には。
 大空へ飛び去ってしまったあとだったらしい。

「なるほど、ね。あるばちゃんも変わらずのご様子で」

 つばさの言葉に。
 すばるは苦笑しか返せなかった。

「たぶん、どっかの物陰に隠れてんだと思うけどな」

 だから、探しに行かねーと。
 と、すばるが言いかけたときだ。
 きんっと。
 金属が触れあったような。
 高く鋭い音が。
 すばるとつばさの耳に突き刺さった。
 微弱な痛みを感じて。
 わずかに顔をしかめる。
 次いで。
 周りから音という音が消えた。
 己の鼓動も、息づかいさえも聞こえない。
 そして二人には。
 この現象に覚えがあった。
 橙と桔梗色の瞳が合わさったとき。
 互いにこの現象について確信する。
 二人同時に、その方向へ顔を向けたとき。

《りんの浮気者っ!》

 そんな声と。
 ばたんっと。
 勢いよく扉を開け放つ音がした。
 エーフィが飛び出した。
 その事実に気付いた頃には。
 からんころん、と。
 扉のベルの音だけが響いていた。
 呆れた色を瞳に宿したつばさは。
 長年のパートナーの方を向いて。
 これまた同じように呆れた声音で。

「あんた、何したの?」

 と問いかけると。
 ブラッキーは。
 近年希に見る仏頂面で。

《こいつのせいだ》

 と、喜んでいる白の毛玉を。
 ぽふっと前足で踏みつけて答えた。



   *



 時は少し戻る。
 皆で喫茶シルベ内に入って。
 つばさとすばるが話始めた頃。

《ふふっ。ねえ、りっくん?》

 喫茶シルベ内に足を踏み入れてから。
 ずっとエーフィはこの調子だ。
 小さく笑ったかと思えば。
 ねえねえ、と。
 構って欲しそうにブラッキーの名を呼ぶ。
 こういう時の彼女は。
 ものすごく面倒だ。
 もともと刻まれていたブラッキーの眉間のしわ。
 それがさらに深くなる。

《ねえねえ、りっくん?》

 エーフィの紫の瞳に。
 愉しげな色が滲む。
 そして。

―――ねえねえ?

 繰り返される彼女の声に。
 さらに彼女の声が重なる。

《ねえねえ、りっくん?》

 ブラッキーの眉間のしわが。

―――ねえねえ、パパ?

 その声で、一本増える。

―――パパ?

 エーフィの前足と前足の間。
 そこから顔を覗かせるそれ。
 エーフィの懐に潜り込んで。
 彼女の腹下から、顔を出す幼子。
 その幼子の瞳もまた。
 母親同様に、愉しげな色が滲む。
 ちょいちょい、と。
 薄藤と白の前足が伸びて。
 夜闇の彼の身体をつつく。
 彼の尾が、ばしんばしん、と。
 何度も床を叩きつけて。

《何だ?》

 苛立ちを隠しもしない声音で。
 一つ、彼女らに問うと。
 にへらっと。
 笑う二対の瞳を見た。
 そして。

《別に、何でもないよ》

―――ないよっ!

《呼んでみただけ》

―――だけっ!

 という言葉が返ってきて。
 彼の中で。
 ぷつり、と。
 何かがきれた音がした。
 付き合っていられない。
 そう思って、彼が立ちあがり背を向ける。
 そこで。
 ぴんっと何かが張った気がして。
 振り向けば。
 あむっと彼の尾を咥えた白イーブイの姿があって。

―――もっといっしょにいようよ

 と訴える。
 その刹那。
 ブラッキーの金の瞳から。
 少しだけ鋭いものが和らいだ気がして。
 エーフィは密かに驚いた。
 彼でも、こんな瞳をするのかと。
 自分が知らない彼の一面に。
 少しだけ、ほんの少しだけ。
 エーフィは寂しさを感じた。
 彼と娘。
 彼と自分。
 流れた時間の長さ。
 流れた時間の質。
 それを体感した気がして。
 つきり、と小さな痛みを覚えた。
 そしてそれは。
 次に聴いた娘の言葉で。
 より大きく膨らむことになる。

―――カフェとよんひきであそぼ?

 カフェ。
 カフェとは誰の事を指す。
 そんな疑問がうまれて。
 エーフィは、腹下に潜り込んだままの白イーブイに訊ねる。

《ラテちゃん、カフェって誰のことかな?》

―――カフェは、ラテのおとうとっ!

 にまりっと笑う娘に。
 その言葉で。
 エーフィはぴしりと固まった。
 頭が冴え渡る。
 そんな感覚を覚えた。

《ねえ、りっくん》

 発した声音に色はない。
 その変容に。
 ブラッキーは。
 ある種の予感を感じてしまう。

《ふう、落ち着け》

《落ち着けって、何が?》

 間髪入れずに応えたその声に。
 その声音の冷たさに。
 ブラッキーは嫌な汗を噴き出した。

《ねえ、りん。ラテちゃんの弟って、どういうことかな?》

 俯かれまたままのエーフィの顔は。
 ブラッキーからは見えない。

《だから、カフェは》

 説明しようとしたとき。
 きんっと。
 高い音が聴覚を支配した。
 それは前兆。
 普段は抑制された彼女の力を。
 彼女がその鍵を外した合図。

《りんの》

 がばり、とエーフィが顔を上げた。
 そこに。
 紫の瞳が揺れているのを見つけて。
 ブラッキーは息が詰まった。
 そこに。

《隠し子なんだ!》

 そんな叫びが飛んできて。

《は?》

 そんな本音がもれてしまい。
 しまった、と内心で焦る。
 そうではない。違う。
 カフェはつばさが連れ帰った子供だ。
 そう紡ごうとしたところで。

―――そうだよっ!

 無邪気な幼子の声が飛び込み。
 さあ、大変だ。
 そんなことをブラッキーが思った頃。
 きんっとする高い音が。
 微弱な痛みを伴い始めて。
 次いで。
 周りから音という音が消えた。
 己の鼓動も、息づかいさえも聞こえない。
 まずい。
 これは自分も扱う力だから知っている。
 だから焦った。
 自分が扱うのは、彼女の片鱗に過ぎない。
 自分の力の根元は、彼女のそれ。
 だから、その強さは自分が知っている。

《ふう!》

 鋭く名を呼んだとき。
 ふっと、音が戻ってきた。
 己の鼓動、息。
 外からの音。
 それに対して安堵したとき。
 涙で濡れた紫の瞳を見つけて。

《りんの浮気者っ!》

 と吐き捨てて。

《なぜ、そうなる……》

 思わず呟くブラッキーの言葉。
 それを聴いたエーフィは。
 涙で濡れた瞳を歪めて。
 外へ飛び出していく。
 視界の端にちらついたそれ。
 彼女の目尻で。
 きらりと光ったそれに。
 ブラッキーは咄嗟に。
 止めることも出来ず。
 追うことも出来ず。
 見送ることしか出来なかった。
 そして。

「あんた、何したの?」

 と、言葉を向けてきた長年のパートナーに。
 面倒な事になったと顔を向けて。

《こいつのせいだ》

 と。
 傍で笑う白の毛玉を。
 ぽむっと、前足で踏みつけた。

《お前、わざとだな?》

 鋭く睨む金の瞳に。
 臆することなく笑う白イーブイは。

―――へへっ

 とだけ、笑って返した。

ばす ( 2018/08/13(月) 14:23 )