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ティータイム 4th time-風-
25杯目 おかえりのいっぽまえ

 季節は春。
 あれから変わらぬ日常をおくる。
 けれども。
 ちょっとしたことで。
 その日常は。
 何でもないような日常は。
 その装いをかえる。



   *



「はいっ、つばさちゃんっ!新鮮な野菜仕入れてるよっ!」

 そう言って、どかっと渡されたのは。
 両手で抱えきれないくらいの野菜。

「八百屋のおばさん……いつもいつも有り難いですけど、これは、ちょっと多いです……」

 すでに前が見えない。
 そして。
 ごとりこどり、と。
 幾つかの野菜が、つばさの両手から転がり落ちる。
 うわっ、落とす。
 慌てるけれども、手は動かせない。
 せっかくの野菜を地面へ落としてしまう。
 そう思ったけれども。
 転がり落ちた野菜は、地面へ落ちる前に。
 その場でぴたりと止まる。
 否。
 浮遊しているのだ。
 浮遊させた主はもちろん。

「あ、ありがと、りん」

《ああ》

 つばさのパートナー、ブラッキーである。
 彼の”サイコキネシス“が、野菜を中空に留めさせている。
 それはそのまま。
 八百屋の女主人のもとへ舞い戻る。

「あらあら、悪かったね。つばさちゃんにりんちゃん」

 舞い戻った野菜を籠へ戻した女主人は苦笑する。

「それくらいがちょうどいいかね?」

「そうですね、これでも食べきれるか……」

 あはは、と少し乾いた笑みがもれたつばさ。
 でも、喫茶シルベで提供する分の野菜も考えれば。
 これくらいがいいのかもしれない。

「イチ、お願いしてもいい?」

―――もっちろーんっ!

 隣にいたファイアローを呼ぶと。
 彼は喜んで、嘴で咥えていた大きなバッグの口を広げた。
 そこへ受け取った野菜を入れる。
 喫茶シルベ自慢の運搬係なのである。

―――これでお買い物おわり?

 小首を傾げて問う彼に。
 そうだよ、と頷き返して。
 つばさは八百屋のおばさんに向き直る。

「今日もお野菜ありがとございました!」

 ぺこりと軽く頭を下げると。
 おばさんは破顔した。

「いいのよ、いいのよ!つばさちゃんのためだもの。これくらい、大したことないよっ!」

 どんっと、胸を一つ叩く様は。
 とても心強かった。
 何かと世話をやいてくれる存在は。
 つばさにとって。
 とても有り難い存在なのだ。

「困ったことがあったら、何でもあたしに聞いとくれよ」

「はい、ありがとうございます!」

「レモさんには困ったものだけど、あたしもできる限りの協力はするからね」

 苦笑混じりのおばさんに。
 つられて苦笑をもらすつばさ。
 八百屋のおばさんとレモは、昔馴染みらしく。
 レモという人となりも知っている。
 そして。
 つばさがここに至るまでの経緯。
 事情もある程度は把握してくれている。
 喫茶シルベのご近所さん達は。
 レモの昔馴染みが多くて。
 そして、つばさのことも可愛がってくれる方々ばかりで。
 つばさが今のつばさで居られるのも。
 きっと、彼女らの存在も大きい。
 そのことに気付いたのも。
 やはり、つい最近のことだ。

「レモおばさん、今、アローラ旅行中なんです……」

 つばさの言葉に。
 八百屋のおばさんは思わず。
 あれま、と驚きの声をもらしてしまう。

「あれでも、カロスに行くって、あたしゃ聞いた気がするけどねー……」

 記憶をたぐるようなしぐさをするおばさんに。
 つばさはわざとらしく、盛大なため息をついてみせた。

「そうなんですけどね。知らないうちにアローラに行ってて、まだ暫くは帰る気がないみたいなんです」

 困った叔母ですよ。
 と、つばさが諦め気味に言うものだから。
 違いないね、と。
 おばさんも呆れを含んだ笑みで答えた。



   *



 街の大通り。
 石畳の上を。
 朝方だというのに。
 すでに、それなりの人々の往来がある。
 仕事のために街の外へ出る者。
 逆に、仕事のために外から街へ来る者。
 つばさのように、買い物で歩く者。
 様々な理由で行き交う人々。
 賑わう大通り。
 つばさはその端に寄り。
 なるべく。
 急いて歩く人々の邪魔にならないようにと。
 その端を歩く。
 その傍らにはブラッキー。
 その少し後ろを、バッグを咥えたファイアローが続く。

「ねえ、パパ」

 つばさが隣を歩くブラッキーに。
 ちらりと視線を送った。

《お前のパパになった記憶はない》

 ばさりと切り捨てる彼に。

「私だって、こんな目付きの悪いパパはいらない」

《仕方ないだろ、治らなかったんだ》

「治そうとしたんだ……」

 その情報は初耳だったので。
 つばさは思わず、ブラッキーをまじまじと見てしまった。

《あ?》

 そしたら彼に。
 ものすごく悪い目付きで返された。

「いや、なんでも……」

 そっと目をそらしたが。
 あれは。
 治そうと思って治るものではないと思う。
 でも、治そうとしたのか。
 気にしてたのか。
 ちょっと可愛いな。
 そんなことを思っていたら。
 後ろから声がした。

―――僕、昔見たよ。洗面台の鏡の前で、笑う練習してたよね。毎夜してた時期あるよね。

 ファイアローの言葉に。
 がばりと振り返ったのはブラッキーで。
 思わず吹き出したのがつばさだ。

《おまっ……み……》

 二の句が継げないブラッキーに。
 ん、どうしたの、と。
 状況が理解できずに、きょとんとするファイアロー。

―――あっ!どうだったか聞きたいの?

 何かを思い出したようで。
 いや、いい。
 と、それを拒否するブラッキーを余所に。
 ファイアローは無邪気な声音で、言葉を紡いだ。

―――大丈夫だよ!全然目付きの悪いままだったから、安心して

 にこりと笑む彼に。

《それのどこに安心しろと?》

 思わず、そう返すブラッキーだった。
 そんな彼らが可愛くて。
 つばさは静かに笑った。笑って。
 自分の腰辺りの騒々しさに。
 気付いていたが。
 気付かぬふりをしていた騒々しさに。
 ため息をついた。

「ねえ、パパ」

 彼に再度同じ問いかけ。

《お前のパパになった記憶はないっ》

 そしたら、同じ答えを返されたので。
 口をへの字にしてさらに言い返す。

「でも、これのパパでしょ」

 と言って指し示したそれに。
 彼は渋面をつくった。
 ブラッキーだって、つばさの腰の騒々しさには気付いていた。
 気付いていたが、気付かないようにしていた。

「これ、がたがたとうるさいから黙らせてよ、パパ」

《なぜ俺が……》

 ブラッキーの眉間にしわがよる。

「あんたの娘でしょ、ちゃんと言い聞かせなさいよっ」

 と、つばさが歩みをとめて詰め寄ったとき。
 特有の炸裂音が聞こえて。
 白い光が現れた。
 その光の中から姿を現したそれは。
 耳をぴょこんと跳ねさせて。
 ぶるると身体を震わせて。
 大きな瞳を瞬かせて。
 ぷくりと両頬を膨らませた。

―――ラテ、もうまてないっ!じっとしてるのなんてむりっ!

 と、喚いたかと思えば。
 今度は石畳の上を転がり始める白の毛玉。
 否、白イーブイに。
 つばさとブラッキーは同時に嘆息した。

「無理だったか……」

《こいつには無理だろ……》

 再び互いの瞳を見つめて嘆息すると。
 楽しそう、と呟いて。
 白イーブイの仲間入りを果たそうとしたファイアローを制して。
 つばさは転がりまわる彼女に近寄り、膝を折って屈んだ。

「ラテ、もう一度ボールに入ろうか」

 言い聞かすように呟くと。

―――いやだっ!

 短く鋭い一言が返ってきた。

「ボールに入ることも慣れなきゃだめだよ」

 諭すように言うと。
 転がる動きをとめた白イーブイが。
 ちょこんとお座り体勢で。
 尚且つ、上目遣いで見上げてきて。

―――ラテ、がんばったもん

「うん。だから、もう少しだけ頑張ろ?」

 ね、と。
 橙の瞳で方向を示した。
 喫茶シルベの屋根はもう見えていて。
 本当にあと少しなのだ。
 人と共に暮らすのならば。
 モンスターボールに入ることも出来なければいけない。
 今はそれに慣らすための練習中なのだ。

「もう少しだけ、ね?」

 にこりと笑んだら。
 白イーブイの大きな瞳が揺れ始めた。
 うるうると、潤いを含めて揺れ始めた。
 それに対して。
 うっ、と声を詰まらせたのはつばさで。
 ブラッキーは一つ、重い息を吐き出した。

―――ラテ、そこはすきくないもん

 と、小さな前足で。
 つばさの腰ベルトに備えられたボールを指し示す。

―――でも、がんばったもんっ

 潤み始めたそれは。
 次第に目尻にたまり始めて。
 けれども。
 はたはたと。
 こぼれ落ちない程度には保たれていた。
 そんな絶妙なそれに。
 上目遣いの瞳。
 そして、大きな瞳が揺れて。
 つばさは敗北を悟った。
 言ってはいけない。
 そう思いながらも。
 それは。
 するりとのどから滑りでた。
 出てしまったのだ。

「…………わかったわ」

 ああ、言ってしまった。
 がくりと、その場でうなだれたつばさに反して。

―――わーいっ!つばさおねえちゃん、だいすきーっ!

 白イーブイはその場で、嬉しそうに楽しそうに跳ねた。

「負けた……」

 そんなつばさの呟きを耳で拾ったブラッキーは。

《新たな術を身に付けたか》

 と、どこか感心した風情で呟く。
 つばさが何に対して弱いのか。
 この幼子はしっかりとおさえている。

―――ね、はやくかえろっ!

 跳ね回ることに飽きた白イーブイが。
 項垂れるつばさの膝に、前足をかけて訴える。
 ねえねえ、と。
 繰り返す急かす白イーブイに。
 はあ、と諦めの息をついて。
 つばさはひょいっと白イーブイを抱き上げた。

「そうだね、帰ろうか」

 苦笑をうかべ、そのまま立ち上がる。
 その刹那だ。
 ぴくりと白イーブイの耳が跳ねて。
 首を傾げて、また反対に傾げて。
 これ以上は首の可動範囲外ではないかと。
 密かに心配する程に首を傾げる様に。
 どうしたの、とつばさが問う頃には。
 抱き上げられていた白イーブイは。
 するりとその腕を抜け出して。
 駆け出して行ってしまった。

「ラテっ!待ちなさいっ!」

 咄嗟に飛び出た言葉だが。
 そんな言葉で彼女が止まらないのは知っている。
 だから、すでにつばさの足も駆け出していた。
 駆け出す彼女の上空。
 そこを大きな影が過ぎて行った。
 いち早くに空へ舞い上がったファイアローが。
 白イーブイが駆け出した方角に目を向けて。
 くるるっ、と一鳴き発する。
 何かを見つけたらしい彼の反応に。

「イチ、何か見つけたの?」

 彼を見上げて問うつばさ。
 けれども。
 ばさり、とわざとらしく大きく羽ばたいた彼は。
 つばさの声など気付かなかったふりをして。
 ぐんっと速度を上げて行ってしまった。

「ちょっと、イチっ!」

 そんな彼の行動に困惑するつばさ。
 彼が自分の問いかけに応えないなど。
 今まであまりなかった。
 彼は一体何を見つけたのか。
 眉根を寄せて唸ると。
 隣を並走していたブラッキーが一言発した。

《蹄の音がした》

 その言葉に。

「蹄?」

 思わず反復して。
 つばさの中で、何かが弾けた。
 脳裏に。
 焔の鬣を持つ馬に股がる、一人の少年の姿がかすめた。
 まさか。
 一つの淡い考えが浮かぶが。
 それはないはずだと。
 すぐに打ち消した。
 だって、そんな連絡はもらっていない。
 けれども。
 蹄の音など、こんな文明の発達した時代で。
 そうそう、聞ける音ではない。
 白イーブイとファイアローが向かった先。
 喫茶シルベの外壁が見えてきた頃。
 その蹄の音は。
 ようやく、つばさの耳でもとらえることが出来た。
 そして。
 道の角を曲がったとき。
 喫茶シルベの前。
 そこで、ギャロップの手綱を持つ少年と。
 白の毛玉に飛び付くポケモン。
 薄藤の体毛に包まれ、額にはきらりと光を弾く赤の宝玉を持った。
 太陽ポケモン、エーフィがいた。



   *



 とくん、と鼓動が響いた。
 この感じる鼓動は。
 自分のものだろうか。
 否、とすぐに唱える。
 これは。
 彼とシンクロした鼓動の音。
 自分と彼の鼓動が。
 鼓動の音が重なる。
 だって、あの姿は。
 自分と彼が待っていた存在。
 自分と彼が。
 帰る場所になろう、と決めた存在。

ばす ( 2018/08/10(金) 22:12 )