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ティータイム 3rd time-追憶-
20杯目 追憶 好きだから

 それは、自分でも驚くくらいに。
 あっさりと。
 喉からすべり出た言葉。



   *



「いらない。ライラなんて、いらない」

 次いで響き渡る。
 ばしんっ、という音。
 咄嗟に手で頬を触れた頃に。
 頬を叩かれたのだと気付く。
 誰に。
 のろのろと視線を向けると。
 揺れ動く枯草色の瞳を見つけた。
 いつの間にか目の前にレモがいた。
 ああ、おばさんか。
 どこかで、冷めた気分になる。

「ライちゃんに謝りなさいっ。今すぐに」

 抑揚のない、その声音。
 レモは怒っている。
 何も知らずに、怒っている。

「おばさんに何が分かるの?」

 つばさの呟いた言葉に、枯草色の瞳が細められた。

「何も知らないくせにっ。ポケモントレーナーじゃないおばさんに、何が分かるのっ!」

 きっ、とレモを睨む橙の瞳は。
 何を感じて揺れ動くのか。
 だが、揺れる瞳は枯草色の瞳も同じで。
 それに気付いたつばさは。
 はっとして、目をそらす。

「もう、放っておいて」

 それだけ言うと。
 目をそらしたまま、つばさはレモの横を通りすぎた。
 レモは振り返り、足を一歩踏み出して。
 けれども、次の一歩が踏み出せなかった。
 追いかけたところで。
 自分に何が出来るのだろうか。
 視線を落として。
 ぽつりと言葉を落とす。

「私も、ポケモントレーナーなら。あの子の気持ち、分かってあげられたのかな?」

 それは弱々しい声音で。
 それを聞いていたのは。
 そんな彼女の、唯一のパートナーだけだった。
 レモを見上げ、ピカチュウは一つ鳴いた。
 レモが彼へ視線を向ければ、にひっと笑う彼がいて。
 あとはまかせろ、とでも言うように。
 つばさが駆けて言った方へと、彼も駆けて行った。

「……ばなな」

 紡いだのは、パートナーの名。
 ポケモンと歩む道を選ばなかった自分に。
 ポケモンと共に在る喜びを教えてくれたのは。
 他でもない、彼だった。
 つばさは彼に任せよう。
 そう思った。
 なら、自分に出来るのは。
 今、手の中にいるこの子。
 全てを聞いていたであろうこの子を。
 支えてあげることかもしれない。



   *



 つばさは膝を抱えていた。
 膝に顔を埋めて。
 通路の先、突き当たりの角で、端で。
 非常口を示す緑のランプが。
 寂しく点灯しているだけ。
 通路を照らす蛍光灯の光は。
 つばさがいるところまでは届かない。
 言ってはいけない言葉を。
 ぶつけてしまった。
 レモは、ポケモンと共に歩む道を選ばなかった。
 ポケモンは、人よりも強いものを持っている生き物だから。
 それを知っていたはずなのに。
 一人で出来るところまでやりたい。
 誰の力も借りずに、己の力だけで。
 それが、彼女が選んだ。
 生きる道。
 それなのに。
 それを否定するような言葉を。
 ぶつけてしまった。
 ポケモンと共に在るのが。
 何も全てではない。
 こんな自分より、レモの方が余程立派だ。
 つばさはそう思った。
 レモは。
 自分の生きる道を見出だし、歩いている。
 それに比べ、自分は。

「私、すごく。中途半端だ……」

 さらに、膝に顔を埋める。
 すると。
 とてぺた、と。
 軽い足音が聞こえてきて。
 顔を上げた。
 そこに居たのは。

「……ばなな」

 ピカチュウがいて。

「……何?文句でも言いに来たの?」

 トゲのある声音がもれて。
 橙の瞳が鋭くなる。
 同時につばさは、そんな自分に嫌気が差す。
 なぜ、こんな態度しかとれないのか。
 やはり、自分の傍に居ては。
 いいことなんて、一つもない。
 目を伏せたとき。
 ピカチュウが動いた。
 つばさの傍まで歩み寄った彼は。
 にこりと笑う。
 口の端と端を、小さな指先で持ち上げて。
 君にそんな顔は似合わない。さあ、笑っておくれ。
 それを、身体で伝えようとする。
 くいっと、指先で口の端を持ち上げて。

「…………ふふっ」

 それを見たつばさは、小さく笑う。
 そして、つばさを笑顔にすることに成功したピカチュウは。
 にんまりと、大きく笑う。
 そのまま、ちょこんと。
 つばさの横へ座り込む。

「ばなな?」

 つばさが訝しげに問う。
 けれども彼は。
 耳をぱたぱたと動かすだけで。
 あとはただ静かに、そこに居るだけである。
 そんな彼を、しばらく見ていたつばさだったが。
 再び、膝を抱えて顔を埋めた。
 そして、ぽつりと口を開く。

「私の傍にいると、みんな傷ついちゃう。いいことなんて、一つもないの」

 ピカチュウの耳が、ぴくりと跳ねた。

「だから、私の中で大切になる前にね。ライラの手を、放そうと思った」

 膝を抱えるつばさの腕に、力がこもる。
 自分の中で、彼女という存在が“当たり前”になる前に。

「大好きだから手を放すの。その方がきっと、ライラのためだから。でも……」

 でも。
 その次の言葉が出てこなかった。
 中途半端だと思ってる。
 わがままだと分かってる。
 それでも、それでも。
 つばさは、ぎゅっと膝を抱えて。
 なかなか続きをこぼさない。
 ピカチュウがそっと、そんなつばさにもたれた。
 突如感じた、彼の体重に。
 とんっ、と背中を押された感じがした。

「でもね、りんとイチは。もう、手を放せないの。その方がきっと、あの子達のためなのに。もう、無理なの。あの子達と一緒に居たい」

 その言葉は、涙で揺れて。
 わがままだという自覚はある。
 けれども、もう。
 あの子達の手は放せない。
 だって、あの子達と一緒に在ることが。
 もう、つばさの“当たり前”だから。

「私は、私が嫌い」

 わがままな自分が嫌い。
 中途半端な自分が嫌い。
 まわりを傷付けることしか出来ない自分が嫌い。
 何より、何も出来ない。
 泣くことしか、哭くことしか出来ない自分が嫌い。
 自分が、嫌いだ。
 と、その時だ。
 つばさに体重を預けていたピカチュウが。
 せいっ、と。
 蹴りを軽くいれてきた。
 別段、痛くはなかった。
 訝しげに視線を投じると。
 小さな瞳をつりあげた彼がいた。

「ばなな……?」

 つばさは小首を傾げる。
 ピカチュウの瞳に。
 確かな怒りを見つけた気がして。
 彼は怒っている。
 そう、感じた。
 だが、何にだろうか。
 もしかして。

「嫌いって、言ったことに……怒ってる?」

 そう問いかけたら。
 こくり、と。
 彼は頷いた。

「何で……」

 それは無意識下でもれでた言葉。
 それを聞いた彼は。
 さらにその瞳を、小さな怒りで煌めかせて。
 けれども、それ以上は何もしなかった。
 小さく一つ、嘆息をもらしただけで。
 そんな彼に、つばさが声を発しようとしたとき。
 声がした。
 二対の眼が、その方向へと向けられる。
 その先に、こちらを駆けてくる桃色の存在を見つけて。
 はっとしたつばさが、その桃色へ向かって駆け出して行く。
 そして、桃色はつばさを誘い。
 元きた道を引き返して行った。
 ぽつりと、その場に残されたピカチュウは思う。
 これはきっと、彼らが伝えなければ意味がない。
 つばさは、自分が嫌いだと言った。
 けれども、ピカチュウはつばさのことが好きだ。
 その好きを否定されたら。
 その好きを持っている存在は、悲しくなってしまう。
 だから、その好きを否定して欲しくはなかった。
 誰かの嫌いは、誰かの好きかもしれない。
 その好きを否定するということは。
 その好きを好きでいる存在そのものを。
 否定することになる気がする。
 けれども、それは。
 自分が伝えることはできない。
 自分は、つばさに近くはないから。
 決して遠いわけではない。
 それでも、近くはないから。
 そんな絶妙な距離の存在同士だから。
 つばさとピカチュウは。
 傍に居られたのかもしれない。
 だから、それを伝えるのは。
 彼らでなければ、意味がない。
 駆けて行くつばさの背を眺めながら。
 彼は静かに思った。


   *


 呼びにきたのは。
 スマートなお姉さんの助手である、パヒナス。
 その彼女が呼びにきた。
 それが意味するのは。
 何なのか。
 それは彼にも分からない。
 だが、彼はただ。
 静かに想うのみ。
 つばさに。
 今は無理でも。
 いつか必ず。
 夜明けが訪れますように、と。



ばす ( 2018/07/16(月) 22:32 )