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ティータイム 3rd time-追憶-
14杯目 追憶 狂い
 狂った何かは。
 そのまま、加速していく。



   *



 どのようにして、ここまでたどり着いたのかは。
 あまり覚えてはいない。
 覚えているのは、ただ。
 ただ。脈打つ何かを、必死に押え込んでいたこと。
 真っ白な頭の中。
 聴き慣れた声が忍び込んでくる。

《……さっ!つばさっ!》

 呼び声にはっとした。
 のろのろと視線を持ち上げれば、そこに真剣な瞳を向けるラプラスがいて。

「ああ、ライラ…」

 それだけ呟いた。
 いや、それだけしか呟けなかった。

《つばさ、いいですか》

 そんなつばさを、ラプラスは真っ直ぐに見る。
 安心させようと、目線も彼女に合わせて。
 それによって、つばさは初めて気付く。
 自分が今、ラプラスの背にいるのではなく、地に足を着けて立っていると。
 川縁にいた。
 いつの間に。
 そう思って、やっと状況が鮮明になり始める。
 そうだ。
 狙われている。狙われたのだ。
 誰かは分からない。理由は分からない。
 けれども、それは。
 それは、つばさが震えるには十分の理由で。

「ライ、ライラ。どうしよ……やだ……私……」

 気付けば、手が震えていた。
 話には聞いたことがある。
 狙われた。奪われた。
 誰を。
 一緒にいたポケモン達を。
 取り戻せなかった。
 探している。
 けれども、足取りが掴めず。
 未だに見つからない。
 旅をしていれば、そんな話を耳にする機会もあった。
 けれどもそれは、自分にとってはどこか別の世界のお話で。
 関係ないと。自分には関係ないと、聞き流していた。

《つばさ、落ち着いて》

 そこで、はっとする。
 思考の海から引き上げてくれたのは、ラプラスの声。
 目線を合わせた彼女の瞳が、真っ直ぐ、力強く向けられている。

《いいですか、つばさ》

 諭すような声音に、一つ、こくりと頷いた。

《このまま、街道に出るのです》

「街道に?」

 反復するつばさに、ラプラスは静かに頷く。

《いつまた、追い付かれるか分かりません。この近くに、舗装された街道があったはずです。その道を通って、街へ行くのです》

 街付近には、街道が整備されていたはず。
 自然豊かな森に囲まれる街。
 自然への影響を懸念し、森の内部までは整備されていないが、街付近までは整備されている。
 そこは人の往来もあり、賑やかなのだ。
 なるべく人の気配が多い道を通った方が、きっと危険は低くなるはず。
 向こうとしても、動きづらい状況になるはずなのだから。
 そう、ラプラスは考えた。
 だが、それが安全を保障するものではないことは分かっていた。
 それでもこれが、きっと今とれる最良の手段。

「街のレモおばさん…」

 つばさの脳裏に、街で喫茶店を営む、叔母の顔が浮かんだ。
 自由人な叔母だが、いざというときには、とても頼りになる人。
 ラプラスに目を向けると、頷く彼女がいた。
 彼女が伝えようとしたことを、つばさが理解した瞬間だった。
 舗装された街道を通り、街へ。
 そして、叔母にこのことを伝える。

《行けますね?》

 それを感じ取ったラプラスが問う。
 それはもう、行くことが前提の問いかけ。
 つばさは頷くしかなかった。
 行かないという選択肢は、もともとないのだから。
 こくりと静かに頷くつばさ。
 だが。不安な色が、瞳から消え失せることはない。
 はっきりと自覚してしまったから。
 今、自分が直面している現実に。
 奪われるかもしれない。
 誰を。
 ラプラスかもしれない。
 イーブイかもしれない。
 ファイアローかもしれない。
 みんなかもしれない。
 誰に。
 それが分かっていれば、こんなに不安にはなっていないかもしれない。
 真っ黒な感情に、心が塗りつぶされていく。
 と、そこへ白が被さって行く。
 かしかし。
 何かを引っ掻くような音がした。
 目を向ければ。
 背に背負ったリュックサック。
 それを、前足で引っ掻くイーブイがいた。
 いつの間にか肩へ乗っていた彼。

「……りん」

 思わず名を紡ぐと、彼の耳がぴくりと跳ねて。
 目付きの悪い瞳が向けられる。
 もっと可愛いくできないの。
 そう言って笑ったのは、ついさっきのことなのに。
 それが、ひどく遠い時間に感じた。
 可愛くないけど、それでも。
 これほどに力強く、頼りになる瞳を知らない。
 ついっと、彼の瞳が動く。
 それを目で追えば。

「…………」

 一緒に集めた、ジムバッジの。
 それが大切にしまわれた、リュックサックのポケットがあった。
 天の光にかざし、鈍く煌めくそれを眺めたのは。
 ほんの少し前。
 自分達は絶好調。
 そう言ったのは、誰だ。
 それは、自分だ。
 俺たちは強い。
 そう、彼が瞳で訴えていた。
 彼とは言葉が交わせなくとも、想いは分かる。
 そう、強い。
 だって、全戦全勝なのだから。
 つばさの瞳に輝きが灯る。
 イーブイがにやりと、不敵に笑った。
 それにつられ、つばさの顔にも笑みが浮かぶ。

「ありがと、りん」

 そう言って、彼の頬を一つ撫でた。
 嫌そうな、けれども、どこか嬉しそうな表情の彼に、くすりと笑う。
 そして再び、ラプラスへと視線を戻す。

「ライラ、もう大丈夫」

 先程とは違うつばさの表情に、ラプラスは驚く。
 揺れる瞳はそこになく。
 在るのは。
 真っ直ぐこちらを見る瞳で。
 ちらりと、彼女の肩にいるイーブイを見やった。
 同じ瞳を向けていた。
 過信もあまりよくない。
 それは先程、彼女達に伝えた言葉。
 まだまだ危うい彼女達の強さ。
 彼女達は確かに強い。
 けれども。
 弱さを知らない。
 弱さを知らない強さは、案外脆い。
 だが、状況が状況だ。
 今は、つばさが己を保つ方が大切。
 それは何でもいい。
 つばさがつばさで居られるのならば。
 だから、ラプラスもまた。
 イーブイの言葉に乗っかることにした。
 きっとこれが。
 この時の最良の判断だったと、今でも思っているけれども。
 違う道があったのではないか。
 そう思っている自分がいるのも、また事実なのだ。

《そう、つばさなら大丈夫ですよ。りんりんの言う通り、強いのですから》

 仄かな笑みを浮かべる。
 そして、真剣な瞳を向け、再度問いかける。

《行けますね、つばさ?》

 今度はしっかりと、こくりとつばさは頷く。
 気付けば、手の震えも止まっていた。

《陸路では、私は同行出来ません。りんりん、つばさのことを頼みましたよ》

 ラプラスがイーブイに瞳を向ける。
 当たり前だ。
 そう返す彼の言葉は、ラプラスにしか伝わらない。
 任せましたよ。
 そう返す言葉もまた、彼にしか伝わらない。
 もし、自分にも陸路を移動する手段があれば。
 それを悔やんでも、仕方のないことだとは思う。
 けれども。
 もし、その手段があればまた。
 違う未来もあったのかもしれない。
 それは、その後。
 何度もラプラスが思うことでもあった。



   *



 狂い始めた何かは。
 止まることはなく。
 さらに狂い始める。



   *



 舗装された確かな感触に、少しほっとした。
 整備もされているらしく、舗装された街道には、雪がほんの少し被っているだけだった。
 これなら足をとられることもない。
 雪道の歩き方は未だにつかめない。
 生まれも育ちも、雪とはあまり縁のない土地だったから。
 その事に心底感謝し、出来るだけ早く街へ。
 つばさは懸命に走っていた。
 その肩にイーブイを乗せて。
 すれ違う人々。
 そんなに慌ててどこへ行く。
 そう問うような視線を感じたが、それには気付かないふり。
 街付近に位置する街道。
 森の中とは違って、人の動きが賑やかだ。
 これだけ人の動きや気配があれば、きっと紛れられるだろう。
 そう思った。
 それになりより、自分達は絶好調なのだから。
 このまま何事もなく、街へたどり着ける。
 ほら、街の入り口が見えてきた。
 そのことで、つばさとイーブイの気が緩んだのは確かだった。
 あと、もう少し。
 その安堵が、事態を招いた。
 否、間が悪かったのかもしれない。
 気が緩んだとき、ちょうど人の流れの切れ間だった。
 人の影に入るよう、たまたま駆けていたつばさ。
 それを。
 その、人の流れの切れ間を。
 待っていた者がいた。

「りん、もう少しだよ」

 ほっと安堵の息を吐いた。
 ちらりと視線を向ければ。
 肩の彼も、そっと安堵の息を吐いていて。
 その一瞬だった。
 何かがふっと、視界の端に。
 黒い何かが。
 無意識下に目で追う。
 ふっと、身が軽くなったような気がした。
 それは、微々たるもの。
 重いものじゃないけど。
 それはとても重いもの。想いもの。
 黒い何かが横切ろうと。
 あ。何かを手にしている。
 煌めく何か。
 声が聴こえた。
 自分を呼ぶ声を。
 煌めく何かは、赤と白で。丸くて。
 にやり。
 黒い何かが、不敵に笑った。
 確かに見た。
 そして。
 その、黒い何かが茂みに消えた。

「…………え?」

 もれでた言葉は意味もなく。
 ただ、刹那的な出来事。
 想う姿がある。
 彼女の姿だ。
 彼女の背に乗るのが大好きだった。
 気付いたときにはもう、駆け出していた。
 黒い何かが消えた茂みに飛び込む。
 けれども、その手前で。
 雪に足をとられて転ぶ。
 脳裏に過るのは、大好きな彼女。

「ライラっ……!」

 行かなきゃ。
 大丈夫、自分達は絶好調。
 そう思い込んで、ねじ伏せる。
 何を。
 不安を。

「りんっ!」

 鋭い声を飛ばして、吹き飛ばす。
 何を。
 不安を。
 立ち上がり、イーブイへ目を向ける。
 こくりと頷く彼がいる。
 大丈夫、自分達は強い。
 大丈夫。
 焦る気持ちを押さえ込む。
 大丈夫。

「追って」

 短く発した言葉。
 駆け出そうとする彼。
 けれども、そこで止める彼がいた。
 くるるっ。
 声がした。
 茂みの前に立ちふさがる鳥がいた。
 まるで。
 ここから先は、行ってはだめだよ。
 そう、言っているようで。

「イチ」

 名を紡ぐ。

「どいて」

 けれども、ファイアローは首を横に振るだけ。
 この先に進めば。
 その先に在るのは、光とも限らない。

「お願い」

 つばさは言い募る。
 早く行かなきゃ。
 彼女が、遠くへ行ってしまう。

「どいてっ!」

 それは叫びとなって。
 するりと喉を滑り、口から飛び出した。

「ライラがいなくなっちゃうっ!」

 いなくても大丈夫。
 そう言ったのは、それほど遠くない時間。
 なのに、今はすごく遠い時間。
 そんなのは嘘だ。
 本当はいてくれないと。
 いてくれないと駄目なのだ。
 こんなにも不安で、不安で。
 たまらないのだ。
 不安は涙となって、目尻にたまる。
 それにはっとしたのは。
 ファイアローで。
 彼は、一つ、瞑目する。
 そんな姿を見せるとは。
 ずるいではないか。
 だって、痛感をする。
 ああ、やはり自分の中で。
 つばさの存在は、とても大きくて。
 大きいから、大きいからこそ。
 つばさの言葉には逆らえなくて。
 目を開くと。
 ばっちりと合う、イーブイの瞳。
 彼はすぐに茂みへと飛び込んだ。
 追いかけるために。
 追い付くために。
 大丈夫、自分は強い。強いのだから。
 何とかしてみせる。
 俺にまかせろ。
 だから、泣くな。
 その想いが、彼を突き動かす原動力。
 そして。

「私も、行かなくちゃ」

 つばさもまた、歩き出す。
 けれども。
 歩いて、立ち止まる。
 足が動かない。
 なぜ。
 不安だから。
 なぜ。
 もう、彼女に会えないかもしれないから。
 そんな考えが浮かんでは、弾けてを繰り返す。
 不安なんだ。
 なぜ。
 彼女がいないから。
 傍に居てくれたから、安心できた。
 護られているようで。
 彼女は、自分達よりも。
 強いものを持っていたから。
 あ。もう、足が動かない。
 なぜ。
 気付いてしまったから。
 何を。
 弱さを。小ささを。
 自分達は、強くなどなかった。
 無力で、小さくて。
 傍に強さが在ったから、自分は。
 つばさがつばさで在ったのだ。
 でも。
 それがなければ。

「…………はっ」

 白い吐息と共に、声がもれた。
 何も持たない、無力な子供。
 そんなことに、今更気付く。
 そんな自分に呆れた。
 でも、行かなきゃ。
 彼女を取り戻す。
 そうしたいのに。
 もう、足が動かない。
 視界が歪む。
 ただ、泣くことしかできない。
 無力な子供。
 こぼしたくないのに。
 嗚咽がもれそうになる。
 もう、押さえ込めない。
 そう思った。けれども。
 ふわり。
 あたたかくて、柔らかな何かが。
 頬に触れて、擦り寄せてくる。
 くるる。
 そう鳴く声は。
 大丈夫だよ。僕がいるよ。
 そう、言っているようで。
 それに身体を預ければ。
 しっかりとした足で支えてくれる。

「イチは、あったかいね」

 それは。
 今までも、これからも幾度と口にする言葉。
 あたたかくて、いつも傍に在って。
 凍てついた何かを。
 ほんのりと溶かしてくれる。
 あたたかくて、優しくて。
 そう思ったら、足が動いた。
 動いた足はやがて。
 駆け足となり、茂みへと。
 その奥へと、続いて行く。
 隣には、ファイアローが追従する。
 ちらり。
 彼は、つばさに目を向けて、思った。
 つばさが在るから、自分でいられる。
 だから、共に行くのだ。
 その先に。何が在っても。
 共に行く。
 例えそれが、光じゃなくても。



   *



 狂い始めた何かは。
 もう、止まることを知らない。




ばす ( 2018/06/21(木) 22:49 )