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ティータイム 3rd time-追憶-
12杯目 追憶 穏やかな川下り
 川に沿う形で密集する森。
 その木の影で蠢く者。

「目標、確認」

 タブレット端末の無機質な光。
 それに照らされた彼女が、ぽつりと呟く。
 画面に表示されるのは。
 依頼者から転送された目標の画像。
 のりものポケモンと呼ばれる。

「ラプラスを捕捉する」

 ラプラスの画像。
 ラプラスといえば、希少なポケモンとして有名だ。
 人の乱獲による影響だと言われている。
 無感動にそれを眺めたのち、木の幹越しに川の方へと目を向ける。
 たった今、そこを通り過ぎたのは。
 子供を背に乗せた目標。
 呑気に川下りをするラプラス。
 と、そのトレーナーと思われる子供。

「こんな寒い時期に川下りとは」

 若者は元気なものだ。
 何となくそう思った。
 けれども、自分としては好都合。
 口の端が僅かに持ち上がる。

「狙いやすい」

 速やかに依頼を完了。
 そして報酬を得る。
 ただ、それだけ。
 ポケモンの違法的な売買は犯罪。
 そう、自分は世間で言う犯罪者。
 けれども、それが何だ。
 こっちの生き方の方が、スリルがあっていいじゃないか。
 楽しければそれでいいのだ。
 さあ、今回もまた。
 楽しくなりそうな予感がする。
 彼女は口で弧を描くと、静かに姿を消した。



 それは密かに、動き始める。



   ◇   ◆   ◇



 ばしゃん。
 一つ跳ねる度、しぶきは舞い上がり。
 踊るしぶきが天の光を弾き、きらきらと煌めく。

「ちょっと、ライ!はしゃぎすぎっ!」

 注意を促す声はつばさ。
 だが、言葉とは裏腹に、その声音に非難する響きはない。
 ラプラスの首にしっかりとしがみつくつばさは、どこか楽しそうで。

《ふふっ、ごめんなさい。水の感触が久しぶりで、つい》

 そう答える声は、少女のようにも聴こえる声で。
 けれども、大人びた印象を持つ、落ち着いた声音にも聴こえる低い声。
 そんな不思議な声だった。
 ポケモンであるラプラスが、人の言葉を解するとは。
 その上、人の言葉を扱うとは。
 もしかしたら、実際には扱えていないのかもしれない。
 けれども、つばさと心が交わせる。
 その事実だけで、彼女達は十分なのだ。
 ふふっと笑ってごまかすラプラスの声は、耳に直に届くのではなく。心に直に届く。
 だから、聞こえるではなく。聴こえる。
 だから、てへっと笑うラプラスの声も聴こえた。

《てへっ。と言う場面でしょうか》

 子供みたいに弾んだ声音。
 ラプラスが楽しければ、別段、自分は困らないのだが。
 つばさは自分の上着に視線を落とした。
 先程、ラプラスが跳ねた途端。
 舞い上がるしぶきを嫌い、イーブイが懐に潜り込んできたのだ。

「りんが嫌がってるの」

 そう言うと、ひょこっと顔がつばさの首もとから出てくる。
 イーブイの顔である。
 その瞳が不機嫌に煌めき。
 そんな彼に、ラプラスは目だけを向けて。

《あら、気付きませんでした。ごめんなさい、りんりん》

 全くだ、と言わんばかりに。
 イーブイは、ふんっと鼻を鳴らした。

「でも、濡れたら風邪ひいちゃうかもしれないし。この先は落ち着いていこっ」

 ラプラスの首筋を撫でながら、つばさはそう言った。

《それもそうですね》

 確かに、水の他に氷を司る力を持つ自分ならば、こんな寒さは平気だ。
 だが、そうではないイーブイや。
 まして、人間であるつばさにとっては堪える部分もあるだろう。
 そんな彼女達に風邪をひかせてしまうのは、自分がこの旅に同行している意味から大きくそれてしまう。
 それこそ、本末転倒なのだ。
 だって。彼女達に、元気に旅をしてもらう。
 それが、自分が一緒にいる理由なのだから。

《つばさ達に風邪をひかせてしまうと》

 この子達を頼むな。
 彼はそう言って、自分を送り出した。

《私が怒られてしまいますからね》

 それを聞いて、つばさが動きを止めた。
 誰に。
 とは、聞かなくても分かっている。
 それは、つばさもよく知る人物なのだから。

「お父さんは心配しすぎなの」

 頬を膨らませたのはつばさ。
 それを、楽しげに見下ろすのはラプラスだった。

「りんがいるから大丈夫なのにさっ」

 つばさは中学卒業後、しばらく経ってから旅を始めた。
 本当はすぐにでも始めたかったのだが、それを両親が反対をした。
 主に父が。
 せめて、高校卒業後にしなさい。
 そう、父は言った。
 分かっている。
 世間一般では、高校卒業後で旅に出るトレーナーが多いことも。
 トレーナーとして旅立っても、その大半は、後に別の道を歩む者も多い。
 もし、ポケモントレーナーという道に挫折したとき。
 中学卒業よりも、きっと最終学歴が高校卒業の方が有利だと思う。
 父なりに心配してのことだとは分かっていたが、譲れないものがつばさにもあった。
 イーブイも一緒だから大丈夫。
 そう、何度も説得を試みて。
 つばさの熱意に折れた母も仲間に加えて。
 ようやく、父の許しを得たのだ。
 予定よりも時間がかかったが、晴れて旅立ちを迎えることができる。
 けれども、それは条件付きで。
 仕方なかったので、つばさは条件を飲むことにした。
 その条件というのが。

「今ならイチもいるし、ライがいなくても大丈夫だよ」

 そう、ラプラスも連れていくこと。
 ラプラスのライラは、もとは父のポケモンだ。
 父がポケモントレーナー時代に旅をしていた際、旅先の浜辺で保護したのがきっかけで。
 それ以降、ずっと一緒だという。
 ポケモントレーナーを引退したあとも、ずっと父のもとに残っているのは。彼女だけ。
 その分だけ、父からの信頼もあつくて。彼女もまた、そんな父を慕っている。
 そしてのちに、父は母と出会い結婚。
 そして、つばさが生まれた。
 つばさとしては、ラプラスはお姉さんのような存在で。
 家族みたいなものだった。
 だから。旅に出るということは、彼女とも離れるわけで。
 それを少し寂しいと思っていた。
 だから。父の条件に、ラプラスの同行が提示されたとき。
 嫌、という感情よりも単純に。嬉しい、という感情の方が勝っていた。

《あら。じゃあ、私は帰っても平気ですよね?》

 ラプラスがわざとらしく呟く。
 ちらりと目を向ければ、え、と面食らった顔のつばさがあって。
 くすりとラプラスは笑う。

《ふふっ、冗談ですよ》

「も、もうっやめてよっ!ライラがいなくてもいいって、一度も思ったことないからっ!」

《あら、嬉しい》

「いなくても大丈夫とは思うけど。いなくてもいいなんて、思ったことないもん」

 口を尖らせるつばさに、笑みを深くするラプラス。
 その言葉を聞けただけで、ラプラスは十分だった。
 生まれた頃から知っている彼の子供。
 それが、随分と成長したものだ。
 傍でその成長が見守れる。
 自分には、彼の代わりにこの子の成長を見守る役目がある。
 彼のもとに戻ったとき。
 あの時はどうだった、この時はこうだった。
 一つもこぼさず、彼にこの子の成長を伝えるのだ。
 彼がこの子を大切にしているのを知っている。
 だから、自分がこの子を護って。
 その穏やかな成長を見守って行くのだ。
 それはこの先もずっと。ずっと続くこと。
 そう信じて、疑わなかった。



   *



「ところで、りん」

 つばさの視線は、自身の懐へと落とされる。

「いつまで潜り込む気なの?」

 じとっと、顔を覗かせるイーブイを凝視して。
 少し威圧的に睨んでみた。
 けれども、当のイーブイにとっては、痛くも痒くもない。
 ふんっと顔を背けて終わりだった。
 出る気はなさそうだ。

「ふふっ」

 彼の反応があまりに予想通りだったので、思わず笑ってしまう。
 だが、それに気分を害したらしいイーブイが、こちらを見上げた。
 その瞳を不機嫌に煌めかせて。
 つばさはそれを、一つ瞬かせて見つめると。

「前から思ってたんだけど」

 耳を傾けていたラプラスが、こちらに視線を投じたのが気配で分かった。

「りんって、何でそんなに目付悪いの?」

 今度はイーブイの片まゆが跳ねた。

「イーブイってもっと、こう、きゅるんって可愛い目をしてた気がするんだけど」

 昔、学校の図書館でみた図鑑。
 そこに、イーブイの記述を見つけて読んだことがある。
 そこに写真も載っていたのだが。
 あまりの可愛らしいイーブイの姿に、目を疑った。
 図鑑を借りて家に持ち帰った際、目の前のりんと見比べて。
 図鑑が間違っている、と結論した。

「やっぱり、図鑑が間違いかな」

 でも、他のイーブイを直に見たことも何度かあるけど。
 みんな可愛かったんだよな。
 りんの親も可愛かったし、りんが特殊な可能性も。
 ま、でも。可愛いらしい、愛嬌のあるりんも気持ち悪いけど。
 と、ぶつぶつ言っていたつばさだが。
 それはもちろん、彼にもきちんと届いていた。
 そして、最後の言葉を聞いた途端。
 彼の中で何かが弾けた。

「…………っ!?」

 つばさの声なき声が響く。
 ラプラスも思わず目を瞑った。
 彼女がその瞑った目をゆっくりと開くと。
 ひーひー言いながら手を抑えるつばさがいて。
 その目尻に、少し煌めくものがあった気がした。

「噛むことないじゃんっ!」

 ふんっと鼻息荒く、そっぽを向くイーブイ。
 どうやら、反撃にあったらしい。
 噛むと言っても、牙などはたてていないようで。
 つばさの手には、きれいに歯形の跡が刻まれただけ。
 その点は、ラプラスもイーブイを信用しているので、慌てることもない。

《さすがにそこまで言っては、りんりんが怒るのも無理はないですよ》

 一応ここは、年長者として注意をしておく。
 こくりと一つ頷くのは。
 全くだ、と頷いたイーブイだ。
 つばさは口を尖らせて。

「こういう時だけ、お姉さん面するんだから」

 そう言うと、ちらりとラプラスへ目を向ける。

「本当はライだって、可愛いりんは気持ち悪いって。そう、思ってるくせに」

《まあ、そうですけど》

 悪びれることもなく、即答した。
 可愛らしいりん、愛嬌のあるりん。
 それのどれもが気持ち悪いと思うのは、何もつばさだけではなく。
 ラプラス自身も同感なのだから。

「ほら、やっぱり」

 だから、自分だけ噛まれるのは納得がいかない。
 そう訴えるつばさに、イーブイは素知らぬふりだ。
 同意を示したラプラスにも、感じることは確かにある。
 けれども。
 それよりも強く感じる相手は。
 彼女しかいない。
 それに。自分だってわざわざ、ラプラスにたてつこうとは思わないし。
 たてついたところで、敵わないのも分かっている。

「あ、無視した!」

 膨れるつばさに。
 無視を決め込むイーブイ。
 仕返しとばかりに、つばさがイーブイの頬をつまんで。引き延ばす。

「あ、意外と伸びる」

 そんな率直な感想が思わずもれてしまう。
 だが、それを黙ったままされる彼ではない。
 やめろとばかりに、前足でつばさの手を払い除けようともがき始める。
 けれども、悲しいことに。
 体格差により、それは無駄な抵抗となっているようで。

「無駄だよーんっ」

 つばさは勝ち誇った笑みを浮かべる。
 どたばたと、取っ組み合いに発展しかけて。
 イーブイの眉がぴくりと跳ね、纏う空気が色を変え始めた頃。

《二人とも》

 その声で。ぴたっと、両者の動きが止まる。
 ゆっくりとそちらへ目を向ければ。

《私の背で騒ぐのなら》

 目だけを向けるラプラスがいて。
 その瞳が細められたかと思えば。

《冬の川へ、落としてもいいのですよ》

 ぎろりと、苛烈に煌めく。
 つばさ達の背筋がぞくりと震えて。
 二人は静かに首を横に振った。

《ならば、静かにしますか?》

 ラプラスの問いかけに。
 つばさ達は静かに、こくこくと何度も頷く。
 その返答を受けると。

《それなら、良かったです》

 花が咲いたように笑う、ラプラスがいて。
 彼女はそのまま前方へと、視線を戻したのだった。
 その後ろでは。
 かたかたと震えたつばさとイーブイが、密かに休戦協定を結んでいた。
 ラプラスには逆らうな。
 これはまだ、互いに幼い頃。
 記憶が朧な頃のものだから。靄がかかったように鮮明ではない。
 けれども、幼子の心の奥底に、しっかりと刻み込まれた記憶が言う。
 ラプラスには逆らうな、と。
 それはまるで。
 恐怖によって、植え付けられた呪いのようで。
 思い出しかけて、ぶるりと二人は震え上がった。



 こうして、穏やかな川下りは続いていくのだった。
 続いていくのだと、思っていた。



ばす ( 2018/06/21(木) 22:48 )