ようこそ、喫茶シルベへ









小説トップ
ティータイム 2nd time-カフェ-
7杯目 カフェとなるまで

 これは夢なのだろうか。
 それとも、自分に刻まれた記憶の断片か。




*


 これは、自分の最初の記憶だ。
 優しそうで、穏やかにこちらを見つめる視線。
 タマゴの殻を懸命に押し破って、やっと光溢れる世界へ顔を出した自分に向けられた、初めての視線。
 だから、それに応えるように、はじめまして、と笑った。
 けれども。

「生まれた!生まれたよ!」

「本当だ!これは儲かるぞ!」

 そう、人間が鳴いた。
 これが人間の発する、言葉、という音だと知るのは、これからずっと先のこと。


*


「お前は可愛いな」

 くしゃりと頭を撫でられて、音が聞こえた。
 どうやら人間は、こう鳴くことでコミュニケーションをとっているようだと気付く。
 けれども、意味は分からなかった。
 それでも、音としてはよく覚えている。

「当たり前だろ。こいつはイーブイコンテストのチャンピオンの子なんだから」

 もう一人が捲し立てるように続ける。

「血統がいいだけあって、一段と愛くるしい見目に、毛づやは最高、性格も大人しときた。これなら、たんまりと金を落としていってくれるさ」

「よく盗ってこれたな、お前」

「おいおい、誰だと思ってる?天才的な裏の仕入れ屋だぞ」

「そうでしたね。けど、大金を落としてくれれば、それだけこっちも儲かるわけだ」

 意味はよく分からない。
 今でも、それは分かりたくないと思っている。
 きれいにされた部屋に、栄養を考えられた、美味しいけれども美味しくない食事。
 お風呂にも入れてくれてたし、ブラッシングもしてくれた。

「元気に育つんだぞ」

 そうして、少しずつ大きくなっていった。
 幸せな環境だったといえば、そうなのかもしれない。
 愛はあったかもしれない。
 けれども、自分が欲しかった愛ではなかった。
 だって誰も、“ボク”は見てくれなかったんだもん。


*


 気が付けば、たくさんの人間がいる場所にいた。
 鉄の格子の間から見える風景に、皆は何をしているのだろうかと首を傾げた。
 自分と同じように、鉄の格子に入れられたポケモンもたくさんいた。
 初めてみるポケモン達。
 そのポケモン達を見て回っては、目に留まったポケモンを舐めるように見て。
 人間は懐から紙の束を積み上げていく。
 けれども、その隣の人間がさらに高く紙の束を積み上げ、先程の人間がさらに高くそれを積み上げて。
 それの繰り返し。
 そんなことをして、何が楽しいのか。
 他の場所では、紙の束の高さに満足したらしい人間が、鉄の格子に入れられたポケモンを差し出して。
 受け取った人間は、嬉しそうに三日月に笑った。
 それを見て、ぶるりとした。
 何だか、心がすっと冷えた。
 そしたら。

「おいおい、頼むから愛想よくな。お前は可愛いんだからさ」

 今まで、自分の世話をしてくれた人間が鳴いた。
 やっぱり言葉の意味は分からず、けれども、その口が三日月の形をしていた。

「お前は金の種なんだから」

 初めて自分に向けられた、三日月の。
 心が、寒い。
 ああ、でも。今までも、ところどころで向けられていた気がする。
 それを初めて、分かった気がした。

 どさ。
 どさどさどさ。

 その音にはっとする。
 振り向けば、自分の鉄の格子の前にも、紙の束が積み上げられていた。

「おお、積み上げてくれますねー!」

 世話をしてくれた人間が鳴く。

「そりゃ、こんなに血統のいいイーブイもあまり手に入りませんし」

 別の人間が一旦鳴き止み。

「ところで、本物でしょうね?」

 声を低くして、小さく鳴いた。

「大丈夫ですよ、これが血統書です。本物でしょ?」

 そう鳴くと、世話をしてくれた人間はその人間に紙を見せた。
 するとその人間は、やはり三日月の口で笑うと。
 自分を舐めるように見た。

「この私には相応しいっ」

 声を高くして笑う。
 そっと人間が鉄の格子の間に手を伸ばしてきて、頬を撫でた。
 それは、愛おし気な手つきだったのだが。
 自分には、そこからすっと体温が奪われるような錯覚がした。
 その手を振り払えば良かったのかもしれないが、そんな勇気はなかった。
 それに、今まで世話をしてくれた人間を困らせたくはなかった。
 自分の欲しかったものはくれなかったが、たくさんのものをくれた。
 恩は感じていたのだ。
 そして、いつの間にか自分の前には、幾つもの紙の束が積み上げられて。
 一番始めに紙の束を積み上げた人間に、何かが決まったらしい。

「これでこの子は、私のもの」

 声高らかに笑った。
 三日月に笑い、その瞳の奥に。
 奥に。どす黒い何かを見付けた気がして。
 ぶるりと震え、心が凍てつく。
 この先、自分はどうなるのか。
 ねえ、助けて。
 そう思って、世話をしてくれた人間を振り返った。
 けれども。

「ふはは!見ろよっこの金額。たんまり儲けたぜっ!」

「だな!これで暫くは金に困らねえ!」

 紙の束を眺めているだけで、自分の視線には気付かない。
 けれども、そのうちの一人がこちらに目を向けた。

「お前には感謝してんだ。ありがとな」

 ひひひ、と笑うその顔に。
 どうやら、人間は喜んでいるらしい。
 なら、もういっか。
 自分のお陰で、この人間達が喜んでいるなら、もういいや。
 どこかで、そう諦めがついた。


*


 次の場所も、暮らしていく環境で言えば、悪くはなかったと思う。
 でも、その頃には特に何も感じることもなく、ただ流れ行く時に、その身をゆだねていただけ。
 そんなある日。
 大勢の人間が押し掛けた。

「裏取引による、違法売買の疑いがあります」

 大勢の人間が一斉に調べ始めた。
 そのうちの一人が、こちらに気付く。
 白桃色の髪に、灰白の瞳を持ったその人は。

「こんな濁った瞳、見たことないわ」

 そっと、自分を抱き上げてくれた。
 その腕が、とてもあたたかかったのはよく覚えている。
 触れられところから、じんわりと何かが広がった。


*


 気付けば、おねえさんの元で過ごすようになっていた。
 今まで見てきた人間と違うその人を、自分はいつの間にかおねえさんと呼んでいた。
 だって、自分が見上げれば微笑んでくれて。
 ふっと小さく笑ったら、優しく頭を撫でてくれた。
 それがとても嬉しく、そして、とても心地のよいものだと初めて知った。
 でも、何かを心が欲していて、満たされることはなかった。
 それから時間は流れて、とある昼下がり。
 自分は出会った。
 運命と出会った。

「お姉さんが言ってたのは、この子?」

 おねえさんが、人間の女の子を連れてきた。

「そうよ。この子の売られたルートが分からなくて、私が保護している子なの」

 おねえさんと女の子が何か話している。
 この頃になって、これが人間と人間が“話す”ということなのだと、理解し始めた頃で。
 もっとこの人達に近付きたい。
 そう思って、その人間の“言葉”を理解しようとしていたのだが、人間の扱う言葉は難しく。
 何を話しているのだろうか。
 首を傾げて、その女の子を見上げた。
 そしたら、その女の子がこちらを見て笑った。
 あ。その真っ直ぐで綺麗な橙の瞳が、好きだと思った。
 それが、自分に向けられている。

―――………っ

 心が、ふわりと舞い上がった気がした。

「………あれ?」

 女の子の瞳が瞬く。
 女の子が首を傾げたら、女の子の金の髪が揺れて、とても綺麗だと思った。
 お日様みたいに、とてもあたたかな光を持っていて。
 でも、ずっと女の子はこちらを見て、何か悩んでいる様子で。
 何か、気に障ることをしてしまったのかと不安になった。

―――………っ

 ふわりと舞い上がった心は、今度はすとんっと落ちて行く。

「………まただ」

 女の子の眉間にしわが寄った。

「どうしたの?」

 おねえさんもこちらを見る。
 何か、悪いことでもしてしまったのだろうか。

「聴こえるの」

 女の子が呟く。

「何が?」

 おねえさんが首を傾げた。

「声が、聴こえるの」

 女の子は言う。

「でも、どこから」

 また、ここにも居られなくなってしまうのだろうか。
 それは、嫌だな。もう、嫌だ。
 想いに触れてしまったから。
 気付いてしまったから。
 気付いてから、初めて知った。
 今までの自分はずっと独りだった。
 それを、おねえさんと出会って初めて知った。
 それを知ってしまったから、もう、前には戻れないし、戻りたくない。
 そして、また初めて知った。
 自分は案外、わがままかもしれない。
 この女の子と一緒にいたい。
 そう、思ってしまった。
 求めてしまった。

―――ボク……たい…

「え?」

 女の子の橙の瞳が煌めいた。

―――ボク、ここにいたいっ!

 ばっと駆け出した。
 ここを追い出される前に、どこかに隠れてしまわないと。

「あら。あの子ちょっと、人見知りが激しいから」

 おねえさんが立ち上がる。

「ちょっと、連れ戻してくるわ」

 苦笑を浮かべるおねえさんに、女の子は言った。

「いいえ、私が行きます」

 頬笑む女の子がちらりと視線を滑らせて、そこにいたのは寝そべる黒の獣。

「りん、お願いね」





 ここに隠れれば大丈夫だろうか。
 部屋を飛び出し、廊下を駆け抜け、始めに目に入った部屋に飛び込んだ。
 その一番近くにあったぬいぐるみ達に潜り込んだ。
 すっぽり身体が収まる。
 これなら、外から見ても見つからない。
 乱れた息を整えようとしたとき、ひたひたと足音が聞こえた。
 そして。

《この部屋だな》

 人間の声とは違う声。低い声。
 その声に心臓が跳び跳ねて、早鐘を打つ。
 何で見つかったの。
 たらたらと冷や汗が吹き出る。

《おい》

 口から心臓が飛び出そうになって、慌てて飲み込む。
 気付かれているのだろうか。
 けれども、完璧に隠れたはず。
 なのに。
 ちらりとぬいぐるみの隙間から覗くと、鋭い金の瞳が真っ直ぐこちらを見ていて。
 ぶるりと震えた。
 さっと身を深く沈めて、潜り込む。

《お前…》

 ひた、とそれが一歩踏み出す音が聞こえた。
 どうしよう、食べられる!
 そう思ったとき、別の足音がして。

「りん、怖がってるじゃん」

 あの女の子の声だ。
 その声に、先程とは別の意味で心臓が跳び跳ねた。

《いや、あれで…》

「あの子は必死に隠れてるよ。ぬいぐるみに紛れようとしたんだと思うけど」

《尾は出たままだけどな》

「可愛いじゃん」

 足音が近付いてくる。
 あの女の子の足音だろうか。
 でも、あの黒の獣。
 金の瞳を持った獣のことを思い出すと、ぶるりと震え上がって、怖くて顔を上げられなかった。
 なのに、意思に反して、ふわりと身体は浮いてしまって。
 思わず、ぎゅっと目を瞑って叫んだ。

―――たべないでっ!





《なぜ俺がっ》

 黒の獣さんが、吐き捨てるように言った。

―――ご、ごめんなさい。こわくて、つい…

 しゅんっとして、耳は垂れ下がってしまう。

「りんが怖がらせるから、食べられるって思ったんだよ」

 女の子が、黒の獣さんの鼻先を指で軽く弾いた。
 少し痛そうな音がした。
 ほら、黒の獣さんが射ぬきそうな目で女の子を睨んでる。
 でも、なぜだろうか。
 先程は怖いと感じた、黒の獣さんの金の瞳。
 改めて見ると、とても綺麗だ。
 夜空に瞬く、星の煌めき。
 じっと見ていたら、視線に黒の獣さんが気付いて。

《何だ》

 不機嫌そうに聞かれて、少しびくりとしたけれど、その煌めきの奥に、とてもあたたかい光を見つけたら。
 すっと、怖いものが飛んでいった。

―――ほしみたいだなって、その、おもって

 そう言ったら、黒の獣さんの瞳が瞬いて、一瞬優しい顔になった。

「でね、りん。この子を、うちで面倒見てもいいよね?形式上だと、保護っていう形になるけど」

 女の子の声が降ってきた。
 見上げると、女の子の橙の瞳が笑っていて、心がぽっとあたたかくなった。
 だから、女の子の腕の中で自分も笑った。

《そう聞きながら、今、歩いてるよな》

「そうだね」

《なら聞くな》

「あとは。イチは大丈夫だと思うけど、ラテと仲良くなれるかな」

《知らんっ》

 そう言うと、黒の獣さんが先に歩いて行ってしまった。

「あらら、機嫌悪くしちゃったか」

 女の子がそう呟くも、追いかける気配はなくて。

―――いいの?おいかけなくて

 そう尋ねたら。

「いいの。大丈夫だから」

 そう笑い返してくれて。
 あ、この笑顔がとても好きだな、と感じた。





「これからよろしくね」

 そう言って女の子は、木張りの床に降ろしてくれた。
 けれども、何だか緊張してしまって、すぐに屈んだ女の子の後ろに隠れてしまった。
 ひょこりと顔を覗かせると。

―――ばあっ!

 自分と同じ大きさのイーブイの女の子が眼前にいた。
 自分とは違う白銀の毛色。

―――!!!??

 驚いて、目をぱちくりしていたら。

―――あそぼあそぼ!

 そう言って駆けて行って。
 ちらりと女の子を見上げたら、小さく、こくりと頷いてくれて、そっと背中を押された気がした。
 ふわり。
 駆け出す身体が軽く感じて、背中に翼が生えたよう。
 駆けて行くその後ろで声がした。

―――りんくんのシンクロの影響化にあるなんて

 少年の頃のような少し高めな、驚いた声音。
 大きな鳥さんの声だろうか。

「私も最初に気付いたときは驚いたよ。だから、連れてきたんだ」

 そう、女の子が答えたのが聞こえた。
 そこで初めて気付いた。
 理解が出来ないと思っていた人間の言葉が。
 あの女の子の言葉だけが。
 自分には理解出来ている。
 振り返ってみたら、笑む女の子達がいた。
 その時に、運命に出会ったのだと思った。
 自分に翼をくれた女の子の名を知るのは、このあと少しあとで。
 その女の子からもらった名が、自分にとって唯一無二の至宝となる。
 ここから、“ボク”が“ボク”として生まれ落ちた瞬間。

ばす ( 2018/06/21(木) 00:36 )