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ティータイム 2nd time-カフェ-
8杯目 何かを失い、何かを得る


 これは夢なのだろうか。
 それとも、自分に刻まれた記憶の断片か。
 いや、これは夢だ。
 自分に刻まれた記憶が視せた夢。
 いや、それならば夢ではない。
 夢ではないが、夢なのだ。



*



 夜。
 はっとして目が覚めた。
 きょろりと見渡して、自分がいつも眠っているふかふかクッションの上だと思い出す。
 いつもの部屋。
 皆が眠る頃の部屋。
 部屋を照らす橙の灯りが、優しげに灯る。
 この頃よく視る夢だ。
 今更になって、なぜあの頃の夢を視るのだろう。
 茶イーブイはふるふると頭を振った。
 何だか分かる気がした。
 きっと、揺れる自分の心が視せた夢。
 誰かが言っていた。
 幸せは見えないと。
 けれども、自分が知っている幸せは息をしている。
 目を閉じても聞こえる息の音。
 ベッドで眠るつばさの息。
 その枕元で丸まって眠るブラッキーの息。
 部屋の隅、机横で眠るファイアローの息。
 そして、いつも自分の隣で眠る白イーブイの息。
 ほら、目を開ければそこに在る。
 自分の知っている幸せは、息をしている。
 満たされる。
 不満なんて何一つない。
 なのに。揺れる心が在る。
 あまりにも満たされているから、それが突然無くなってしまった時が怖いのだ。
 またいつかは。あの頃のように、環境が変わってしまうのだろうか。
 いや。環境が変わってしまっても、皆が居てくれるなら大丈夫。
 けれども。けれども、もし。
 皆も居なくなってしまったら。
 ぴしっと。
 視てる風景に亀裂が走る。
 くりんとした大きな瞳が、それ以上に見開かれて、震えた。
 ぱりんぱりん、と音をたてて崩れ行く。
 待って。嫌だ。
 そう思ってもどんどん崩れて行き、そこに残ったのは闇だけ。
 誰もいない。自分が在るだけ。
 目頭が熱くなり、何かが溢れ出す。
 目をぎゅっと瞑ったら、それがこぼれて。

―――…………っ!!

 叫んだ。
 誰かは分からない。
 脳裏に様々な顔が浮かんでは消えて。
 誰かの名を叫んだ。
 と、ふわり、さらり。
 何かが頬に触れた。
 それが目尻の涙を拭ってくれて。
 はっとした。
 目を見開いて映る風景は、先程崩れ去ってしまったもの。
 でも、確かに目の前に在る。
 では、あれは夢だったのか。
 では、どこからが夢だったのか。
 瞳が揺れた。
 そしたら、声がして。

―――よんだ?

 ぶるり。
 心が震える。
 のろのろと顔を向けたら、眠そうで、とろんとした瞳が在った。
 目が合ったら、ふわあっと欠伸を一つ。
 隣で眠っていた白イーブイが、小首を傾げた。

―――ねむれないの?

 再度、彼女の尾が頬に触れた。
 ふわり、さらり。
 そこから伝わる熱さ。
 せっかく彼女が拭ってくれたのに、また溢れ出す熱いもの。
 思わず、彼女の尾にしがみついた。
 お願いだから、どこにも行かないで。
 ぎゅっと、息する幸せにしがみつく。
 どこにも行かせない。
 手離さない。
 絶対に手なんか離してやるものか。
 いつから自分は、こんなに強欲になってしまったのだろう。
 それは。
 孤独を知っているから。
 孤独を知ってしまったから。
 一つ得て、一つ失う。
 それが自分の弱さとなる。
 以前の自分ならば、きっとあの闇にも耐えられた。
 否。何も感じずに済んだだろう。
 けれども、もう、あの頃と同じではない。
 今の自分ならば、絶対に耐えられない。
 だから。だから、だから。
 この幸せは絶対に手離さない。
 初めて飛び込んだ。
 初めて手にしたいと思った。
 この幸せは、この場所は、誰にも渡さない。
 そう思いながら、茶イーブイの意識は次第に、夢の世界へと誘われて行った。
 すーすーと、穏やかな寝息が聞こえてきて、白イーブイは知らずのうちに安堵する。
 茶イーブイの頭をぽんぽんとしていた前足を下ろす。
 何だか呼ばれた気がして、今夜も目を覚ました。
 彼女は気付いている。
 この頃彼は、あまり夢見が良くないことを。
 夜中、彼のうなされる声で目を覚ますことが多い。
 うなされるというよりも、あれは。
 何かにすがっている声にも聞こえて。
 無意識に、彼の頭に前足を置く。
 優しく、ぽんぽんと撫でるように置いてやると、そのうちに穏やかな寝息が聞こえてくるのだ。
 けれども、それに反して強くなるものがある。
 彼が抱き寄せる、白イーブイの尾。
 それにしがみつく力が増すのだ。
 何だかそれが、求められているようにも感じて、ちくりと胸が小さく痛む。
 結局、自分に出来るのはこれくらいで。
 これで少しは、伝わるといいのに。
 自分はどこにも行かないよ。
 君を置いては、どこにも行かないよ。
 だって。君の笑う顔が見たいから。
 君の笑顔を見ると、心がぽっとあたたかくなるんだ。
 だから。
 絶対にその手は離さないよ。
 君の笑顔を一番近くで、一番多く見るのは自分でありたいから。
 それが、この前足を通して、少しでも君に伝わっているといいな。
 そう思いながら、彼女もまた、次第に夢の世界へと誘われ行く。
 まぶたの重さに耐えきれずに目を閉じると、そのまま彼の上に覆い被さるように身を落とす。
 穏やかな寝息だけが、その場に残された。



   ◇   ◆   ◇



―――だから、はなしてよおおっ!

 そんな白イーブイの声で、茶イーブイは現実に引き戻される。
 はっとして声の方を向けば、ファイアローの足に、がっしりと尾を掴まれた白イーブイがいて。
 小さな四つ足で、ファイアローへ向け、懸命に打撃攻撃を繰り返していた。
 当のファイアローは特に気にすることもなく、呑気に一つ、欠伸をしていた。
 そうだ。
 今は、ポケモンセンターと呼ばれるところのロビーにいたんだ。
 始めはどうしたものか、と気を揉んでいたもので。
 けれども。ずっとこの調子だったので、段々と意識が思考の海へと落ちていったのだ。
 どうして、不安を覚えるのか。
 それをずっと考えて。
 考えて、ああ、そうか、と一つのことにたどり着く。

「ん?カフェ、どうしたの?難しい顔をして」

 声で天を仰ぐ。
 仰げば、つばさの橙の瞳とぶつかった。
 腰かけた彼女の膝の上、茶イーブイの尾がゆらり、一つ揺れた。
 そんなに難しい顔をしていたのだろうか。
 慌てて、その顔に笑みをのせた。

―――なんでもないよ

 へへっと笑った。

「そっか…。なら、いいや」

 そう返したつばさの瞳が揺れる。
 茶イーブイの嘘を見逃す程、つばさは落ちぶれてはいない。
 けれども、それが彼なりの精一杯の見栄だとも分かっている。
 心配をかけまいとしているのだ。
 だから、それを突き破る事は出来なかった。
 揺れた瞳はすぐに瞬いて。
 言葉の変わりに、彼の頭を一つ撫でた。
 自分には分からないことなのかもしれない。
 茶イーブイは、形式上では保護ポケモン。
 彼の過去に何があったのか。
 それは彼にしか分からない。
 それを、彼も話そうとはしない。
 だから、いつか。
 彼の言葉で聞けたらな、と思っている。
 それまで待とうと決めた。
 彼が完全に心を開いてくれるまで。
 だから、そのために自分に出来ること。
 ずっと一緒だよ。
 それを伝えるため、形で示すため。今、自分はここにいる。
 そっと、膝上の茶イーブイを腕で包むと、きゅっと抱き寄せた。
 腕の中で、茶イーブイが身動ぎしたのを感じた。
 きゅっと抱き寄せられた彼は、それが何だか、いつもよりも強く感じて。
 ちらりとつばさの顔を見た。
 目が合ったら、にこり、といつものように笑ってくれて。
 あれ、気のせいだったのかな、と思った。
 彼女には心配をかけたくない。
 自分が考えてたどり着いた答え。
 それを知ってしまったら、彼女はきっと悲しんでしまう。
 それは嫌だから。
 何よりも嫌だから。
 だから、何も言わない。
 これはそっと、奥にそっと、しまっておくんだ。
 と、その時。

―――つばさちゃんっ!避けてっ!

 声が聴こえた。
 この、少年の頃のような少し高めの声は。
 ファイアローの声だ。
 そう思ったとき。

「!!?」

 つばさの視界が白に染まった。
 何かがつばさの顔面に貼り付いたのだ。
 柔らかで、あたたかな肌触り。
 そして、もぞもぞと動くそれ。

―――つまんなーいっ!おうちかえろっ!

 不満気味の声。
 それを聴かなくとも、顔面に貼り付くそれの正体は分かる。
 べりっ。
 それを引き剥がす。

「ラテ、もう少し大人しく」

 首根っこを掴まれ、ぷらーんと垂れる白イーブイが、つばさの言葉にぷくっと頬を膨らませる。

―――おうちにかえろっ!ラテ、つまんないっ!

「まだ帰れないよ。パパがトラブってるから」

―――もう、パパのドジっ

 ドジ。
 その言葉に、つばさは疑問を感じた。
 パパのトラブってる原因は、白イーブイではないか。
 でも、待てよ。
 決定打を打ったのは白イーブイだが、そもそも物事を遡っていくと、要因は別にあるような気がする。

《そうだ、よく考えろ》

 つばさに首根っこを捕まれていた白イーブイの顔が、ぱあっと輝いた。
 
 うむ。落ち着いて思い出してみよう。
 引きこもった原因は、まあ、あれだ。
 その次に、ブラッキーは数日間引きこもることになる。

《その間、お前はどうした?》

 もぞもぞと暴れ始める白イーブイ。
 だが、つばさは気付かない。
 
 おもちゃにした。
 引きこもった彼は、引きこもりりんくんは都合がよかったのだ。
 遊ぼうとせがむ白イーブイを、一番手間取らずに大人しくできるから。

《ほお…》

 膝上の茶イーブイが、そっとつばさの影に隠れた。

 そこではたと気付く。
 もしかして、大本の原因は自分か。
 自分が、引きこもりりんくんをおもちゃにしたからか。
 だって、都合がよかったのだ。
 白イーブイを手間取らずに大人しく出来るから。
 彼が文句を言えない状態だったから。

《つまり、原因は…》

「私か…」

 ぽそりと呟いて、背筋がぞくりとした。
 掴んでいた白イーブイが、ぽてりと椅子上に転がり落ち、元気に駆けて行く。

―――パパーっ!!

 笑顔を振り撒いて駆けて行く。
 白イーブイがパパと呼ぶのは、果たして誰のことだったか。
 ぱちくりと、つばさの後方に目をやっていたファイアローがこちらを見て。
 見てから、そっと目をそらし、つばさの膝上にいた茶イーブイを咥えると、その場をそっと離れた。
 あ、逃げた。
 そう思った。

《なあ、つばさ》

 ここでようやく、声の主を思い出す。
 数日ぶりに聴く彼の声。

《こっちを向け》

 でもそれは、記憶の中の声よりも、随分と怒気を含んでいる気がして。

「やだって、言ったら?」

《ほお…》

 声が地を這う。
 刹那。
 身体が何かに縛られた。
 これは。
 そう直感したとき。
 くるりん。

「ひ、久しぶり…り、ん……くん」

 不可視な力で振り向かされる。
 背後にいた彼が、今は目の前にいた。
 金の瞳が光を放っている。
 ブラッキーの“サイコキネシス”。
 なるほど、これは強力。
 顔を逸らそうものなら、金の瞳が細められ、より強く縛られる。
 指すら動かせない。
 金の瞳の奥にある、ちろちろ垣間見る焔は何だろうか。
 引きつった笑みしか出なかった。

《ああ。久しぶりだな、つばさ》

 彼の口が弧を描く。
 物騒な気配を携えて、彼の口が弧を描く。
 不釣り合いだとしたら、彼の首にぶら下がる白の毛玉か。
 白イーブイは絶賛、愛の抱擁中だ。

《さて、分かってるよな?》

 一歩、彼が足を踏み出す。

「何のこと?」

 一歩、また彼が足を踏み出す。

《とぼけるつもりか》

 一歩、一歩。
 縮まる彼との距離。
 これは、本気だ。
 そう、つばさの直感が告げ、古き記憶を呼び覚ます。
 あのときは、何をして彼の。
 ブラッキーの“サイコキネシス”で弾き飛ばされたのだったろうか。
 実は言うと、その辺りの記憶があまりないのだ。
 衝撃で、記憶もどこかに落としてしまったように。
 そう考えている間にも、彼は距離を詰める。
 これはもう。
 ある種の覚悟を決めたとき、救いの女神はすぐ近くにいた。

―――むし、しないでよっ!

 声と共に決まる、白イーブイの渾身の“たいあたり”。
 ブラッキーの横っ腹めがけ、それは突っ込んだ。
 ぐふっ。
 これは、ブラッキーの思念の声などではなく、耳に直に聞こえる彼の声。
 突っ込まれた彼は、その場に倒れこんで唸る。
 同時に、つばさを縛っていた不可視の力も、燐光となって四散した。

―――パパーっ!

 嬉々とした声音と共に、白イーブイは再度ブラッキーの首もとへしがみつく。
 自身の頬と彼のそれを重ねて、すりすりと擦り合わせ、気持ちを表現する。
 当のブラッキーは鬱陶しそうに彼女を見やると、これまた不機嫌そうに尾をぴしりと床に叩きつけて顔を背けた。
 縛り付ける力が抜け、ほっと一息ついたつばさは、ちらりとブラッキーを見る。

「プリン」

 そう一言紡ぐと、彼の耳がぴくりと動く。

「それで、どう?」

 背筋に、冷や汗が噴き出すのを感じる。
 つばさの脳裏に過るのは、うちの冷蔵庫。
 その奥に隠されたプリン。
 こっそり食べようと、内緒で買ってきたとっておきのプリン。
 ブラッキーの瞳がついっと細められ、こちらに向けられた。
 真っ直ぐ、つばさを射ぬく。
 そして彼は。

《シュークリーム》

 そう、一言だけ発した。
 それだけなのに。
 つばさを貫くのには、十分過ぎる威力。
 彼女の瞳が、音をたててひび割れる。
 なぜそれを、彼は知っているのか。
 それは、うちの冷蔵庫。
 その奥にあるプリン。のさらに奥にある。
 そこに、そのシュークリームは鎮座する。
 先日、彼に食べられてしまったシュークリーム。
 だから、彼が引き込もっているうちに手入れようとした。
 そして、これまた運よく手入れることができた。
 シュークリームが在るという事実は、彼は知らないはず。
 なのに。どうして。
 あまりの衝撃に思考が散漫する中、つばさはとあることに気付く。
 彼の、ブラッキーの輪の模様が明滅している。
 それを意味するのは。
 彼の持つ特性、シンクロが関係している。
 シンクロの力を借りて相手の心を詠むとき、彼は輪の模様が明滅するのだ。
 つまり、彼に心を詠まれた。
 それは時に、心に浮かんだ記憶も垣間見るというが。

「詠んだんだ」

 紡がれた言葉は、失速して地に落ちる。

《シュークリーム》

 そんなつばさの様子を気にすることなく、ブラッキーは催促を続ける。

《応じないならば…》

 金の瞳が苛烈に光った。
 言外に告げている。
 応じなければ、報復が待っている。
 つばさは悪寒を感じた。
 目がマジだ。
 本気と書いてマジと読む、あれだ。
 これはもう、こちらが折れるしかなかった。

「分かったわよ…」

 何とかそれだけ答えると、つばさは椅子の上に倒れこんだ。
 しくしく。
 失意の悲しみ。
 悲しみのどん底。
 涙で椅子を濡らす。
 さようなら、私のシュークリーム。
 愛しのシュークリーム。
 運命とは時に残酷で。

「うう、シュークリーム…」

 そんなつばさの様子に、ブラッキーがふんっと鼻を鳴らし、顔を背けたとき。

「ねえ、つばさちゃん」

 おそるおそる発せられた言葉に、つばさはのろのろと顔を上げた。

「あ、スマートなお姉さん…いたんだ」

 すっかり忘れていた。

「必死にボールこじ開けたの私なんだしね」

 まだ涙で揺れる声に、スマートなお姉さんが苦笑をうかべる。
 随分とお楽しみな様子だったのだが、こちらも事を進めたいのは事実で。

「手続き、進めるんでしょ?」

 小首を傾げて尋ねるお姉さんに、はっとしたつばさは身体を起こす。
 失意の涙を手の甲で拭う。
 そうだ。
 引きこもりりんくん閉じ込め事件は、本来の目的ではない。
 本当の目的は。
 彼に伝えるため。
 ずっと一緒だよ、と。
 がばりと振り返る。
 と、ファイアローに咥えられ、ぷらーんとぶら下がった茶イーブイと目が合った。
 当の彼は何のことか掴めず、小首を傾げる。
 彼との繋がりの形。
 それを変えるのは、きっと今なのだ。
 大切なものを失った傷はまだ癒えないが、それでも、前へ進まなければならない。
 犠牲になったシュークリームのためにも、前へ進むのだ。
 そんな少しずれた決意のもと、つばさは立ち上がった。

ばす ( 2018/06/21(木) 22:43 )