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ティータイム 1st time-苦味-
5杯目 ティーセットの用意を
 赤レンガを基調とした、それほど大きくはない家。
 庭は白い柵で囲われ、ハーブ農園がある。
 ブースターの家だ。
 白い扉の前に、二匹はいた。

ありがとうございました

 そう言ってブースターは、ぺこりと丁寧にお辞儀をした。
 それに対して、ブラッキーはふさりと尾を一つ振って返す。

《じゃあな》

 そう言って踵を返そうとしたとき。

少しは、私もお役に立てましたか?

 ブースターの言葉に、ブラッキーの足がぴたりと止まる。

《何のことだ?》

 振り返らずに聞き返すと、問いかけているのは私です、と少々不機嫌な言葉が返ってきた。
 ちらりと目だけで背後を見る。
 すると、にこりと微笑まれて。
 嵌められた。
 そう気づいたときには遅く、そろりと近付いてきたブースターの顔が眼前に迫る。
 彼女の瞳が、それは甘く細められて。

何があったのかは聞きません。ですが、あの場に居たくはなかったのでしょう?

 ふふっと甘く、彼女は笑む。

もしかして、私と居たかったのかと、少し、期待をしてしまいました

 そう言いながら、ブースターは頭をブラッキーの首もとへ押しつけて。

少しは気晴らしになりました?

 彼らの尾と尾が絡まりかけて。
 ばしっと鋭い音で、ブラッキーはブースターの尾を弾いた。
 驚いた彼女が一歩引いたとき、冷たく鋭い金の瞳が向けられていた。

《あまり調子にのるな。俺はお前に興味はない》

 近寄るな、と言われたのだ。
 だが、それにくすりとブースターは笑う。
 ブラッキーの瞳に鋭さが増す。

冗談ですよ。でも、本調子ではなかったのですよね?

 とっさに目を反らしてしまい、ブラッキーはすぐに後悔した。
 それに対して、ふっと笑みをこぼした彼女は続ける。

でなければ、りん様自ら、荷物を持つなどと仰るはずありませんもの

 ふむふむと頷くブースターに、ブラッキーの眉間にしわが寄る。
 何か言い返したい衝動にかられるが、図星のために何も紡げなかった。

《………もう行く》

 くるりとブースターに背を向けるが、すぐに目だけを再び彼女に向けた。
 びしっと鋭く音を響かせ、尾で彼女を指し示す。

《あまり距離が近すぎると、互いに妙な誤解を招く》

 小首を傾げるブースターに向ける金の瞳が、少し優しげな光を携えた。

《お前も早く、仲直りしろよ》

 そう言って目を反らす。

誰のことですか?

 彼女の声が聞こえた気がして。

《さあな》

 と返した。



*



 遠ざかってゆくブラッキーを見つめ、彼女は思う。
 全て見抜かれていた。
 そう気づいた途端に、羞恥が彼女を襲う。
 自分は顔のいい殿方が好きだ。
 それは間違いなく、そして今のお気に入りがブラッキーなのも間違いない。
 ブラッキーの心に居るのが、あの方だということも知っている。
 そして、顔のいい殿方が好きでも、自分の心に決めた殿方は一人と決めている。
 彼だと決めている。
 彼じゃないと駄目なのだ。
 けれども、その彼と喧嘩の最中なのは事実で。
 いや、悪いのは彼なのだけれども。
 だからその腹いせに、今日はいつにも増して、ブラッキーに迫っていた。
 けれどもブラッキーは、その理由も見抜いていて。

嫌だわ、りん様

 思わずこぼれた言葉は風に溶け、そして自覚する頬の火照り。
 無意識に前足が頬へと伸びる。
 はしたないと思われただろうか。
 そして途端に会いたくなる、彼。
 今からでも、謝りに行こうか。
 いや、悪いのは彼なのだけれども。
 でも。
 それよりも。
 ほおっと呆けた瞳で、道の角に消えたブラッキーを見つめる。
 あの冷々としたブラッキーの金の瞳。
 見つめられると、びくりと震え上がってしまうような、凍てついた金の瞳が。
 とても美しかった。
 
 やはり彼女は、何よりも顔のいい殿方が好きなのだ。



 ◇ ◆ ◇



 大通り沿いの道。
 行き交う人々の姿が目に映った。
 そう言えば、あいつとここを歩いたのは、どれくらい前だろうか。
 ブラッキーの脳裏に、霞む横顔があった。
 無邪気に笑ってこちらを向くその顔は、娘にどことなく似ていて。
 娘に、あいつの面影を見ることもある。
 何だか無性に会いたくなった。
 だが、すぐに舌打ちをして苛つきを誤魔化した。
 不覚だ。
 一瞬でもあいつに会いたいと思うとは。
 思ってしまったとは。
 胸の内で、あいつがいたずらっぽく笑った気がした。
 さらに苛立ちは募る。
 忘れてしまおう。
 そうだ、今日は朝の出来事から、本調子ではなかったのだ。
 だから無性にそう思ってしまって。
 帰って、寝て、忘れろ。そうしよう。
 帰路につく足取りが早くなる。
 その時だった。
 それは細い路地から飛び出してきて。
 ぽふっと、ぶつかってきた茶色の毛玉。
 それが鼻と口をふさぎ、一瞬息が詰まった。
 毛玉と一緒に倒れ込み、苛立ちのあまり、“サイコキネシス”で弾き飛ばそうかという物騒な考えが浮かんだ。
 だが、すぐに毛玉の正体に気付く。

《お前、何をしている》

 少々語気が強くなった。
 喫茶にいたはずなのに。
 つばさから勝手に外へ出るなと、常々言われているはずなのに。
 茶イーブイを見下ろす金の瞳が、一瞬鋭利な輝きを帯びた。
 だが、その輝きもすぐに消え失せる。
 つばさの言い付けを守らなかったのは自分もだ。
 現に、彼はここにいる。
 ならば責任は、自分にある。
 つばさにどう言い訳しようか。
 それを考えるだけで、少し気が遠くなった気がした。
 思わず嘆息を一つもらしたあと、気付く。

《ラテはどうした?》

 少し硬いものが声音に滲む。
 かくれんぼか?
 否。
 それは違うと、すぐに打ち消した。
 茶イーブイの姿はホコリで薄汚れ、所々クモの巣が引っ掛かっている。
 どこを通ってきたのか。
 だが、慌てていたのは確かな気がして。
 その姿に、嫌な予感がした。
 こちらを見上げた茶イーブイと目が合うと、彼の瞳は次第にうるうると涙で潤んでゆく。
 その瞳に、ブラッキーは確信する。
 茶イーブイの後ろの首皮を咥えると、そのまま路地へと駆け込んだ。
 そっと物陰に下ろすと、ふるふると震える茶イーブイの姿があって。

《カフェ、何があった?》

 名を呼ばれた茶イーブイが、びくりと身体を跳ねさせた。

―――ラテが、ラテが

 けれども、そのあとが続かなかった。
 早くブラッキーに伝えないと。
 白イーブイが、彼女が。
 だけどだけど、彼女がどこにいるのか、どの方向へ走り去って行ったのか。
 全然分からない。思い出せない。
 早く、早く思い出せ。早く。
 気持ちばかりが加速し、思考が追い付かない。
 言葉にしようとすればするほど、伝えたいことは、思い出さなければいけないことが、遠くに遠くに行ってしまう。
 視界が歪む。
 目頭が熱くなって、瞬きをしたら、大粒の何かがこぼれそうになる。
 泣くな。
 泣くな泣くな泣くな。
 それなのに、意思に反して大粒のものが目から滴り落ちて。
 嗚咽がもれる。

―――ラテが…ら、てが…

 そればかりを繰り返す。
 情けないと、心のどこかで思った自分がいた。
 すると、ふわりと温かな何かが自分の身を包んだ。
 はっとして息が詰まる。

《落ち着け。ゆっくりでいい》

 ブラッキーの柔らかな声音が降ってくる。
 自身を包み込むブラッキーの尾が、ふさりと頬に触れた。
 ぐしゃぐしゃになった思考が、ゆっくりと広がってゆくのが分かった。
 ぽつぽつと、少しずつ言葉にした。
 それをブラッキーは、静かに聞いてくれて。
 そして。

―――りんパパ、ごめんなさい。どうしても、

 そこで涙が溢れた。

―――どうしても、ラテが、どこに、はしっていった、のか、おもいだせない、の

 嗚咽まじりに紡ぐ。
 ブラッキーは、そうか、と一つこぼすと、そっと彼の身体を尾で抱き寄せた。

《大丈夫だ。ラテは強い子だ。だから、大丈夫だ》

 耳元で聞こえたブラッキーの言葉。
 それが、彼の張り詰めた糸を切るには充分だった。

―――ふええ…

 ブラッキーの胸元に顔を埋めると、目から溢れた大粒のものが、ブラッキーの黒い体毛に吸い込まれていった。



 ◇ ◆ ◇



 白イーブイはずっと走っていた。
 どれくらい走ったのか、それはもう彼女にも分からない。
 だけれども、ずっと走っていた。
 大丈夫。まだ走れる。
 走れるけれども、誰か。
 ちらりと目だけを後ろに向ける。
 奇異な二対の眼に震え上がった。
 どうしよう、恐い。
 先程よりもずっと、色濃く染み渡るそれは、幼子を震え上がらせるには充分で。
 もしかしたら、もう帰れないかもしれない。
 どうしてだろう、あれほどに帰る気でいたのに。
 その気持ちが萎んでいく。
 もう、会えないのかな。

―――………

 彼を呼んだが、それは言葉になる前に消えた。
 異様な気配に気付いた彼女が、後ろを振り向く。
 そして、見開かれる瞳に、迫る何かを映しこんで。



 ◇ ◆ ◇



 茶イーブイは、必死にブラッキーの背中にしがみついていた。
 疾走と表現するのに近い速度で、ブラッキーは路地を駆けていた。
 とてもその背に、幼子を乗せているとは思えない速度。
 茶イーブイの存在が、頭から抜け落ちているわけではないのだが、そんなことに構っていられない程には、余裕はなかった。
 声が聞こえた。自分を呼ぶ声を。
 確かに自分は聴いたのだ。
 彼女からの預りもの。
 大切な預りもの。
 彼女のトレーナーが旅に出ると言い出したのは、娘が生まれて間もなく。
 それでも彼女のトレーナーは、彼女のことを考えて、残ればいい、と言った。
 けれども彼女は、迷うことなくトレーナーを選んだ。
 それについて、責めるつもりはない。
 彼女がどれほど、トレーナーを想っているのかを知っている。
 それは自分も同じだから。
 もし逆の立場だったのならば、自分も彼女と同じ道を選ぶだろう。
 彼女にとってのトレーナーは、自分にとってのつばさだから。
 だから、彼女が旅に出るというのならば、自分は彼女の帰る場所になろうと、あのとき初めて思った。
 皮肉にも、自分の心に彼女が居る、ということに気付いたのもこの時だ。
 だから、あの子を護らなくてはならない。
 あの子が笑うと、彼女が笑っている気がして、心に灯りが灯るのを感じる。
 あの子は、自分と彼女を繋ぐ、唯一の存在だから。
 路地の角を曲がったとき、ブラッキーの金の瞳が、呆然と立ち尽くす幼子をとらえた。
 幼子へと伸びる腕に、その向こうで三日月の形に笑うそれ。
 幼子が、白銀の毛色を持つ幼子だと理解した瞬間、彼は全霊で叫んだ。
 走れ、と。



*



 もう無理かな。
 そんな感情が芽生えたとき、自然と駆けていた足は止まり、ぼおっと自身へ伸びる腕を静観していた。
 その向こうで、三日月の形に笑うものを見た。
 全てを諦めて目を閉じたとき、声が聴こえた。
 あれは声ではなかったけれども、確かに声だと思った。
 走れ。
 糸に引っ張られるように、気付いたら駆け出していた。
 伸びていた腕が空を掴む。
 まっすぐ走る自分を受け止めてくれるのは。
 その先にいるのは、きっと。

―――パパァーッ!

 駆ける足に“でんこうせっか”を加え、白イーブイはさらに加速する。
 そして。
 大好きな父の懐へ飛び込む。
 その衝撃を、ブラッキーは後ろ足に力を込めて踏みとどまる。
 だが、その反動で背にいた茶イーブイがころりんと転がり、近くの木箱に軽くぶつかった。
 懐に飛び込んだ白イーブイの身体が、僅かに震えていて。
 懐に顔を埋める彼女は。
 それに気付いたブラッキーの中で、何かが弾けた。
 彼の身体に刻まれた輪の模様が、感情に呼応するように、仄かな発光を始める。
 瞬間。
 周りの音という音が消えた。
 遠くで聞こえていた、人々が賑わう声。
 自分の鼓動さえも。
 転がったままの体勢で顔だけ上げた茶イーブイが、あまりの静けさに身を震わせた。
 次いで聴覚を支配したのは、きーんという小高い小さな音。
 何かに貫かれる錯覚さえする。
 そして、ブラッキーの金の瞳が苛烈に光る。
 不可視の力が、こちらを見て困惑する男に向けられる。

「………っ!!」

 感情に任せて放たれた力。
 不可視の力。“サイコキネシス”が発動した。
 身の危険を感じ、その場を離れようと一歩後ずさった男を、抑制を知らない力が襲う。
 男を弾きとばし、近くにあった樽や木箱も巻き添えをくらい、文字通りの木端微塵となり舞い上がる。
 弾きとばされた男は、家屋の壁に叩きつけられると覚悟し、目を閉じた。
 叩きつけられれば、命の保証はないかもしれない。
 だが、男が感じた痛みは、予想に反してとても柔らかく、あたたかなものだった。
 そして、耳もとで感じた熱さに目を開いた。
 ばっと振り向けば、射るような視線を向けるファイアローが、唾を吐き捨てる要領で炎を吐き捨てていた。
 そして、その背にまたがる少女を見つけると、全てを理解した。

「なるほど、そういうこと」

 両手を上げて立ち上がった男は、そう呟く。
 両手を上げたのは、戦う意思がないという意思表示。

「街中にいるんだ、野良なわけないか」

 わざとらしくこぼした言葉に、つばさの瞳に険が宿る。

「あんた…」

 ファイアローから降りた彼女が問いかけようとしたが、それを男は遮り答えた。

「オレはコレクターだ」

 コレクター。
 珍しいポケモンを集めるのを生業としている人のことだ、と聞いたことがある。
 珍しいポケモン。
 それはもちろん、色ちがいも該当するだろう。

「と言っても、オレは趣味みたいなものさ」

 だから。
 と、男は紡ぐ。
 険呑な目付きのつばさを向き。

「そいつ、黙らせてくれないかな?」

 ファイアローを一瞥した。
 先程から発している声は威嚇の声。
 その視線を受け、彼はより激しく声を上げ、身体をより大きく見せるように両翼を広げる。

「イチ」

 つばさが短く名を口にしただけなのだが、当の彼はびくりと身体を震わせ、しゅんっと沈んだ面持ちで大人しくなる。

「サンキュ。ああ、安心して。人様のものに手を出すほど落ちぶれてないし、オレ、今丸腰だから」

 男はより両手を高く上げ、腰を指し示す。
 確かにベルトには、モンスターボールを納めるためのホルダーがあった。
 だがそこに、モンスターボールはない。
 戦う意思がないのは、どうやら信用してもよさそうだ。

「なら、行って」

 そう言ってつばさは、塞いでいた路地をあけるように端へ寄る。

「へえ、帰してくれるんだ」

「常識はありそうだし、別に私、あんたを捕まえに来たわけじゃないから」

「へえ、常識ねぇ…」

 男は目を細めると、つばさの腰へ視線を向ける。

「常識ならさ…、ま、いいや」

 わざとらしく、男はため息をつく。
 視線が向けられたのは、つばさのベルト。
 そのベルトホルダーに納まるのは、二つのモンスターボール。
 つばさが不快感を示すように鋭い視線を向けると、男は、おお、こわいこわい、と呟く。
 ゆっくりとつばさとファイアローの間を通っていく男から、彼女は視線を外せなかった。
 そして。

「ああ、そうだ」

 男は立ち止まる。

「見逃してくれるお礼に、一つ忠告」

 そう言って振り返った。

「何?」

 つばさは短く返す。

「在るべき形にするのも」

 橙の瞳が揺れた。

「必要なことだ」

 そう言うと男は、静かに路地の角を曲がり、賑やかな通りへと消えていった。
 在るべき形。
 無意識に呟いた言葉に、つばさはそっと腰のボールへと触れる。
 隣のファイアローが、心配気にくるると鳴いた。
 分かっていた。
 そうしていれば、あの子達が。
 今回のようなものに、巻き込まれなかったかもしれない。
 トレーナーのポケモンは、ある人から見れば、一目で見抜けるものだ。
 それがなかったから、野良だと思わせてしまった。
 在るべき形にしてしまったら、もう、後戻りは出来ないから。
 これ以上、手元に大切なものは増やしたくなかったから。
 何処かに、そう思っていた自分がいて、ずっと足踏みをしていた結果が。
 この光景だ。

《よく頑張った、お前は》

 そう言って、懐に顔を埋める白イーブイの背を、ブラッキーは尾で優しく撫でる。
 震える小さな幼子。
 笑顔の絶えないあの子が、こんなに震える様は初めてみた。
 それだけのことを、経験させてしまった。
 その向こうで、転がったままだった茶イーブイと目が合った。
 瞬間、彼の目元にあふれるものを認めて、つばさは慌てて駆け出した。
 急いで掬い上げるように抱き上げると、彼はいよいよ堪えきれなくなったようで。

―――ふええ…

 つばさの胸へ顔を埋め、大粒のものを目からあふれさせた。
 よしよし、とあやすように背を撫でる。
 そう、これが。
 足踏みをしていたことで、自分が招いた結果。

「ごめんね」

 そう呟いて、茶イーブイの頬に手を添えると、目元にあふれるものを指で拭った。
 もう、うずくまるのはやめるから。だから。
 指で頬を撫でたら、彼はくすぐったそうに目を細め、小さく、きゃきゃっと笑った。
 よかった。笑ってくれた。
 安心して微笑んだつばさは、白イーブイの方は落ち着いただろうかと顔を向ける。
 彼女は変わらず、ブラッキーの懐に顔を埋めたままだが、その身体にもう、震えている様子はなかった。
 けれども。

《すまない。俺がこんななりだから》

 そんな呟きが聞こえた。
 子は親を選べない。
 どこかで聞いた言葉を思い出す。
 そしてブラッキーも、その言葉に一理あるな、とも思っていた。
 自分が普通とは違うから。
 そんな自分の容姿を継いでしまった娘。
 自分と同じ、周りとは違う。
 普通じゃない毛色を持ってしまい。
 母親の容姿を継げばよかったのに。
 そう思うこともあって、そして。
 今ほど強く思うこともなかった。

《すまない》

 繰り返し呟く言葉に。

―――ラテ、パパだいすきだよ

 むくりと顔を上げた白イーブイ。
 そこに涙はない。
 父が謝る言葉に、何の関係もない言葉が出てきた気がした。
 けれども、父が謝る意味が、彼女には理解出来なかった。
 だって、難しい言葉を使うから。
 けれども、父が心のどこかで泣いている気がした。
 根拠なんてない。
 ただ、そう思っただけ。
 だから。
 自分は、えへへ、と笑う。
 意味もなく笑っているかもしれない。
 けれどもね。
 そうすると、ほら。
 父の金の瞳が、星みたいにきらきらと輝くのだ。
 そこに星を見つけるのが好きで。
 見つけたくて。

―――パパのおめめ、おほしさまみたいできれいっ!

 そんな言葉に、ブラッキーは息が詰まるのを自覚した。
 そして、懐かしい光景が駆け抜けた。
 頃は、進化を遂げた直後。
 白銀の容姿を眺めながら、少し淡い期待を抱いていたときもあった。
 隻眼となったことで、つばさに見えない傷を負わせてしまった。
 自分が、普通とは違うなりだから。
 それだけで、負のものを呼ぶことだってある。
 もしかしたら。進化を遂げたら。
 普通のなりにだって、なることもあるのではないか。
 そんな、淡い期待を抱いて迎えたその時。
 けれども、結局は普通ではなかった。
 そうか、と密かに落胆した。
 けれども。
 同じ時期に進化を遂げた彼女が言った。
 ただ、無邪気に笑って。
 あなたの瞳、星みたいで綺麗ね。
 何を言っているのかと思った。
 けれども、お前の目にはそんな風に映るのかと、あたたかな気持ちになった。
 周りは、自分を見て普通じゃないと、珍しいねと、先ず誰もが口にする。
 自分を“俺”として見たのは、つばさ達以外の存在ではいなかった。
 そして、目の前にある幼子の瞳。
 その瞳が、あの時の彼女の瞳と重なって。
 何かを感じる前に、身体が動いた。
 前足で抱き寄せて、かき抱くように。
 しっかりと。

―――パパ、くるしいよ

 幼子が身動いだ。

《ああ》

 けれども、力は緩むどころか強くなって。
 白イーブイは仕方ないなと、諦めてあげることにした。
 少し苦しいけど、嫌ではなかった。
 そして、安心したら思い出したことがあった。
 そうだ、父を追いかけていたのは、一つのことが確かめたくて。
 父の心に、誰が居るのか知りたくて。

―――パパはラテすき?

 問いかけたら、少し父が驚いた気配がしたけれども、ああ、と素直に答えてくれた。
 だから嬉しくて、さらに続けた。

―――カフェもつばさおねえちゃんも、イチおにいちゃんもすき?

《ああ》

 これも素直に答えてくれた。
 それが嬉しかった。
 だっていつもならここで、冷めた光を携えた、金の瞳が向けれる頃合いで。
 嬉しさのあまり、さらに続けた。

―――ママのこともすき?

《もちろん》

 その言葉に、彼女はにんまりと笑って。
 微笑ましい父娘をそっと眺め、部外者を決め込んでいたつばさとファイアローが、互いに目を見張る気配を感じとる。
 ブラッキーが己の発した言葉を理解するまで、それなりの時間を要した。
 そして、それを理解した瞬間。
 刹那の速さで。



 ◇ ◆ ◇



 夜。
 キッチンで仕事を終えたつばさは、ふうと一つ息を吐き出した。
 本日空いたミルク瓶をファイアローの鞄へと詰めると、それを抱えて階上へと向かった。
 階段を上がり終えると、目の前を楽しそうに駆けて行く白イーブイがいた。

―――パパ、まてーっ!

 そう言って彼女が追いかけるのは、パパという名の、小さく収縮したモンスターボール。
 自ら転がしては、ひたすら追いかけて走る遊びだ。
 その様子を、あわあわと心配気に見守る茶イーブイ。
 上がってきたつばさを見つけると、慌てて足元まで駆けて来る。

―――りんパパ、あれでいいの?

 ちらりと、パパと呼ばれるモンスターボールを見た。

「いいのよ。きっと今頃、反省会中だから」

―――はんせいかい?

 そう小首を傾げる茶イーブイの頭を一撫でし、つばさは抱えていた鞄を部屋の隅に降ろした。
 よし、と。
 これは明日の朝、ファイアローが牧場へミルクを受取に行く際に、ついでに届けてもらう空瓶だ。
 そのままつばさが、どかりとベッドへ座り込むと、とててと着いてきた茶イーブイが顔を上げる。
 あれはいいの?
 と再度問うてくる瞳に、その光景をため息まじり眺めた。

―――引きこもりりんくん、いつ出てくるのかな?

 近くまで寄ってきたファイアローも同じく、その光景を眺める。
 まてまてと、ひたすら白イーブイが追いかけるモンスターボールは、正確に言うと。
 己の口走った言葉の意味に、あまりの物凄い、凄まじい意味の言葉に、その意味の重さに耐え兼ねた彼の姿だ。
 簡単に言えば、羞恥に耐え兼ねて引きこもったブラッキーの姿だ。
 あの時、刹那の速さで、自らボールの中へと戻った彼は、それっきり出てこない。
 喫茶に帰り、遅れて店を開けた。
 そしていつも通りの時間に店を閉め、ほろ苦い朝から始まった一日も、終わりを迎えようとしている。
 それでも彼は、出てくる気配もなく。
 ああして、白イーブイの楽しいおもちゃと化している。

―――どうしよ、つばさちゃん?

 困った感じでファイアローに尋ねられる。
 けれども、こればかりは。

「りんの気がすむまでは、あのままじゃないのかな?」

 何より。
 口走ってしまったのだから。
 当の彼女にも、直接伝えたことのない言葉を。
 寄りによって娘に。
 つばさは知っている。
 彼女が、彼女のトレーナーである彼と共に旅立ってしまったあとに、ブラッキーが密かに抱いていた気持ちを自覚したことを。
 そして、それを自覚し、認めるまでに時間を要したことを。
 この頃やっと認めたようだったけれども、まだ何処かで足掻いたようで。
 今日の件で、はっきり言葉にしてしまったことで、完全に認めてしまったようなもの。
 これはシンクロの性なのか、つばさにはよく分かった。
 はあ、と大きなため息をつくと、視界の端で、ふああ、と欠伸をする茶イーブイに気付く。
 子供達はそろそろ眠る頃合いか。
 それに、いろんなことがあって今日は疲れた。
 自分も早く寝てしまおう。
 すっと立ち上がると、まだパパを転がして遊ぶ白イーブイを抱き上げる。

「さあ、ラテ。もう寝る時間だよ」

―――やだっ、まだねないっ!

 じたばたもがく白イーブイを、自分の目線に合わせると、めっ、と顔をしかめっ面にしてみせる。

―――ラテ、まだねむくないもんっ!

 ていやっ、と白イーブイのパンチが、つばさの頬に決まる。
 ふにっとした感触に、つばさは思わず天に昇る心地がした。
 が、すぐに手から逃げ出そうとした白イーブイを捕まえる。

「はい、残念でした」

―――いやだっ!

 口を尖らせてぶーぶー言う彼女を、すでに待機していた茶イーブイのいる、彼らの寝床であるクッションへと連行する。
 連行された彼女は、諦め切れずに再度脱獄を試みたが、今度は茶イーブイに、がしっと尾を掴まれて終わった。
 そのまま尾に顔を埋めた茶イーブイに、流石に彼を振り払えない彼女は、ついに諦めた。
 それから彼らが眠るまでに、そう時間は要さなかった。
 それでも白イーブイは、眠るまでぶーぶーと口を尖らせていたのだか。
 すやすやと、穏やかな寝息を立てる二匹を眺めてから、つばさは部屋の灯りを落とす。
 代わりに灯したのは、優しげに灯る橙の豆電球。
 髪を下ろし、寝間着へと着替えたつばさは、静かに床で転がる引きこもりりんくんを拾い上げた。
 そっと部屋の机へ置くと、机の引き出しにしまっていた、真新しいモンスターボールをその横へ並べる。
 それを見ていたファイアローが呟く。

―――それって、ラテちゃんとカフェくんのボール?

「うん。ずっと前に、用意はしていたの」

 まだ、正式には彼らのボールではないが。
 ずっと覚悟が決まらず、ずるずると先伸ばしにしていた。
 けれども、それでは駄目だと思い知らされた。
 在るべき形。
 自分は、彼らのトレーナー。
 トレーナーとは、ポケモンと共に歩むと決めた人の総称。
 トレーナーとポケモンの繋り。
 それは。
 目に見える形でないと、意味がないのだ。
 トレーナーの中でも、バトルと呼ばれる競技に身を置くものを、ポケモントレーナーと呼ぶ。
 自分もかつては、そう呼ばれていた。
 けれども、あの時から。
 戦わせることに恐怖を覚えてから、自分はポケモントレーナーを辞めた。
 それでも、ポケモントレーナーを辞めてからでも、変わらずに彼らは側にいてくれて。
 ただのトレーナーになった。
 そして。
 新たに大切なものを見つけ、それを護れるだけの強さは欲しいと思った。
 あの子達を、在るべき形として迎えるのは、つばさなりの覚悟なのだ。

「よし、寝よう」

 決意も新たに、ベッドへ飛び込もうとしたとき、横からすっとファイアローの首が伸びた。
 首を傾げたら、机の上にあったモンスターボールが四つになっていた。

―――僕のも並べてよねっ

 頬を膨らませるファイアローが、可愛くて愛しくて、自然とつばさの頬が緩んだ。
 そうだ。

「今日は一緒に寝よ、イチ」

 その言葉に、ファイアローの顔が輝く。

―――うんっ!

 元気に頷いた彼は、本当に嬉しそうで。
 その場に沈み込むと、片翼を広げて。

―――ほらほら、つばさちゃん!ここ、ここ!

 と、場所を示す。
 その姿に、ふふっと笑みがこぼれ、彼の示し通りにそこへ座ると、ふわりと翼でつばさを包み込む。
 彼に触れると暖かく、まだまだ冷え込むこの時期でも布団要らずだ。
 ぬくもりに包まれながら、ああ、彼らが居てくれてよかったなと、静かに瞳を閉じた。
 そして、眠っている間にファイアローに抱き寄せられたつばさが、あまりの暑苦しさにもがくも、抜け出すことが朝まで出来なかったのは、また別のお話だ。

ばす ( 2018/06/19(火) 22:06 )