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ティータイム 1st time-苦味-
4杯目 コーヒーは入れなおして
 思ったよりも早めに戻れた。
 これなら、いつも通りに店を開けられそうだ。
 そう思って、安心して帰ってきた。
 なのに。

「上にもラテ達いない」

―――下にもいないみたいだよ

 つばさとファイアローは互いの顔を見合わせた。
 店内に足を踏み入れた瞬間、様子が違うのに気が付いた。
 あまりにも静か過ぎたのだ。
 嫌な予感がして、持っていた荷物を投げ出して階段を駆け上がった。
 案の定、そこにカフェラテ子イーブイの姿はなかった。
 下に降りると、隠れられそうなところを探してくれたらしいファイアローが、静かに首を横に振った。
 ブラッキーの姿もなく、彼らに何があったのか。
 カウンターにハーブがあり、代わりに小さな容器と小太りの瓶がなくなっている。

「これがあるってことは、フィリちゃんは来たってことだから」

―――りんくんが、フィリちゃんを送って行ったとか?

 そんな彼の言葉につばさは、まさか、と返す。
 ブラッキーは面倒事を嫌う。
 自分からそんなことをするだろうか。
 そう思って、否、と返す。
 今日の彼は、少しいつもと調子が違う。
 もしかしたら。

―――りんくんのことだから、わざと考えないようにするためにとか。

 ファイアローの方を見た。
 そうなのだ。
 もしそうなのだとしたら、きっと彼の意識から、子イーブイ達の存在が薄れている可能性の方が高いと思った。
 彼に任せるのではなかった。いや、これは自分達の責任。
 あの子達も日々成長している。
 現に、いくらあの子達で外に出ていてはいけないと言いつけていても、それも破ってしまうほどには成長していた。
 橙の瞳が揺れる。
 朝のことがあった影響か。
 嫌な考えしか浮かばないのだ。
 もう、間に合わないのは嫌だ。
 もう、伸ばした手が、掴みかけたものが、すり抜けていくのは嫌だ。
 無意識に作った小さな拳が震えた。
 だが、すぐに何かが突いてきて、その拳の震えは止まる。
 顔を向けると、にこりと笑った彼の姿が在って。背を向けた。

「イチ?」

 意図が掴めず問いかける。

―――りんくんを追いかけよう。もしかしたら、ラテちゃん達も一緒かも

 確かに、一緒にいる可能性もある。
 万が一一緒じゃなかったとしても、今の自分達ならばきっと、あの子達を探し出せる。
 否、探し出さなければならない。
 あの子達に、同じ想いはさせたくない。

「急ごう。イチ、飛べる?」

 彼女の問いかけに彼は、もちろんっ、と合点承知とばかりに返した。
 あの頃より大きくなった今の僕には、君を運べる大きな翼がある。
 これで、君をどこにでも連れていくよ。
 今度はきっと、間に合わせてみせる。
 僕だってもう、誰も傷つく姿は見たくないから。
 君の悲しそうな顔は見たくないから。
 外へ出ると、ファイアローはつばさがまたがりやすいようにと、身を低く屈めた。
 それに一瞬躊躇したつばさだが、すぐに気持ちを切り替えて彼にまたがった。
 あの日から、彼の背にまたがることはなくなった。
 けれども、いつまでも過去を、大事に、大事に抱え込むのも違うと思っている。
 いつかは手放して、前に進まなければ。
 いつまで抱え込んで、うずくまっているのか。
 手放すのは、きっと。今。
 だって、失いたくないものが増えたから。



  ◇  ◆  ◇



 彼等の存在は近所にも知れ渡っている。
 彼等は知らないが、喫茶シルベの看板ポケモンとして、わりと有名だったりするのだ。
 街の中をそんな彼等だけで闊歩しているのだ。
 それだけで、視線を向けられる理由にもなる。

―――ねえ、ラテ。みんなみてるよ?

 白イーブイの後ろに隠れているのは茶イーブイ。
 やや及び腰気味だ。

―――いまからでもおそくないよ?かえろうよ?

 それに、自分達だけで外に出てはいけないと、つばさから言われていた。
 それを勝手に出てきてしまって。
 けれどもきっと、それを訴えても彼女には通じないだろうことを、彼は充分に理解している。
 その証拠に、先程の言葉も、彼女には届いていないようだった。

―――はやくおいつかなきゃ

 先程から繰り返すその言葉。
 白イーブイを突き動かしているのは、早く父のもとへ辿り着かねば、その想いだけ。
 父の相手は母だけなのだ。
 母しかいない。母じゃなきゃ駄目。母じゃなきゃ嫌だ。
 自分が生まれて間もなく、母は母のトレーナーと一緒に旅に出たという。
 だからか、本当は母の顔も朧で覚えていないのだ。
 けれども、一つだけ覚えている。
 それは父と同じで、とてもあたたかな存在だったということ。
 だから。
 母が旅から帰ってきたときに、母の場所がなかったら、きっと悲しい思いをさせてしまう。
 それは絶対に嫌だ。これは自分の使命だ、きっと。
 父にはよそ見ではなく、真っ直ぐ見ていてもらわないと。
 母を。自分を。
 ああ、もう。早くしないと。
 急く気持ちが背中を押し、彼女は駆け出した。
 けれども。

「………っ!!」

 叫ぶような、求めるような声が聞こえて足を止めた。
 慌てて振り返ると、道にうずくまって動かない茶イーブイがいた。
 その瞳が、揺れている。
 彼も驚いていた。
 待って、と言ったつもりが。
 喉を震わせて声が出ていた。
 これは、鳴くというより叫びでは。
 冷静にそう思っていた。
 叫びになってしまった声は、一斉にして、道行く人々の注目を集める結果となる。
 何で叫んでしまったのだ。
 そう自分自身を呪いながら、彼は白イーブイを見た。
 急に彼女が駆け出したから。
 置いていかれそうな気がしたから。
 もう、一人は嫌だった。

―――ラテェェ…

 何と情けない声音だろうか。
 そう思ったのは彼だけでなく、彼女もそう思った。
 何がそんなに怖いのか。
 けれども、彼にそんな顔をさせたのは、無理やり引き連れてきた自分の責任だと思った。
 ゆっくり彼へと歩み寄ると、そっと彼の前へ尾を差し出しす。
 夜。共に眠るとき、茶イーブイは白イーブイの尾を抱き締めて眠る。
 つばさはそれを、寒いからと理由付けているらしいが、白イーブイは違うと思った。
 前に一度、暑苦しくて夜中に目覚めたことがあった。
 眠い目を擦りながら見ると、自身の尾にひしっと抱き付いて眠る茶イーブイの姿があって。
 退かそうと思って、ていやっと蹴りあげたこともあった。
 それでも彼の抱き付きは力強くて、振り解けなかった。
 そいやっていやっと格闘を続けるも、彼は起きる気配もなくて疲れはてた。
 ふと、むにゃむにゃと眠る彼の寝顔が目に付き、何だかどうでもよくなってしまったのを覚えている。
 彼はきっと、ぬくもりが欲しかったのだ。
 それが自分に向けられている。
 そう、何となく思った。

―――いくよ

 一言彼へ向けると、あむっと彼女の尾を彼は咥えた。



*



 白イーブイの尾を咥え、茶イーブイはとことこと歩いていた。
 こうしていると、不思議と気持ちは落ち着いたのだ。
 あれほど気になっていた他者の視線が、それほど気にならなくなっていた。
 “彼女の隣”という場所が、いつの間にかこれほどまでに、安心できる場所になっていたとは。
 ほら、彼女を通して見る世界は、とてもきらきらしている。
 そう気付いたら、何だか気恥ずかしくなってきて、彼女の後ろでよかったと思った。
 今は普段通りの顔で、彼女ときちんと向き合える気がしない。
 だが、その彼女が不意に立ち止まり、振り返ってきた。

―――っ!!

 ぱちっと目が合ってしまい、仄かな頬の火照りを自覚する。

―――な、なに…?

 視線をちらちらと彼女に向けながら訊ねると、その彼女は、にぱあっと笑った。
 それはとても明るい笑顔で。
 彼に不吉な予感がした。
 そしてそれは、彼女の発した一言で確定する。

―――まよった!

 咥えていた白イーブイの尾を放した。
 二の句が継げない。
 彼女にではない。
 自分にだ。
 彼女に心を許してしまった自分が解せなかった。
 落ち着けるために、一つ呼吸をする。
 確かに辺りをきょろきょろと見渡しても、何だか見覚えがある景色。
 この通りは、先程も通った気がする。
 ならば、もと来た道を戻り、そこからきちんとした道を歩いた方がよさそうだ。

―――どこをとおってきたか、おぼえてる?

 彼女に訊ねると。

―――ぜんぜんっ!

 にこにこ笑顔で答えてくる。
 ふむふむ。
 と彼は頷いた。
 予想通りの返答だ。
 では。

―――フィリおねえちゃんのおうちはしってる?

 と訊ねた。

―――しらないっ!

 と彼女は、にぱあっと笑って答えた。
 おっと。
 これは予想外だ。
 要するに、彼女は感情のままに飛び出したわけだ。
 そう、いつも。
 一つ嘆息して。

―――ねえ、まえからいおうとおもってたんだけど。

 にぱあっと笑う彼女に、呆れの息を吐き出して。

―――すこしはものをかんがえて、こうどうしたら?

―――だってラテ、かんがえるのすきくないもん

 口を尖らせて答える彼女に、何を言っても通じないか、と諦めに似た感情が芽生えた。
 その時だった。
 彼の心に波紋が生じる。
 茶イーブイは他者の視線に、とても敏感だ。
 だから、気付けたのかもしれない。
 目覚めた街には、道を行き交う人々も増え始めていた。
 道の端に寄る二匹に、何をしてるのだろうと目を向ける者も少なくない。
 けれども、それらとは違う異質のものが、一つ、二匹に向けられていた。
 ぞくりと、彼は背筋が凍るのを感じた。
 思い出す。
 あの頃、自分に向けられていた奇異な視線を。
 あれは、自分を“物”としてみていた目だった。
 かたかたと震える茶イーブイを、白イーブイは心配そうに覗きこむ。
 自分を見上げる彼の瞳に、恐れの色をみた。
 不意に彼女の耳が跳ね上がる。
 そこで初めて、自分達を見つめる一対の異質な視線に気が付いた。
 否。
 そこで彼女の本能が警鐘を鳴らす。
 自分“達”ではない。狙いは“自分”だ。
 なんだ、そうか。よかった。
 そうと決まれば、やることはただ一つ。
 彼が怖がらなくてすむ方法は。
 瞳が揺らめく彼に、彼女はにぱあっと笑って告げる。

―――カフェはここにいて。ここにいてくれれば、カフェはだいじょうぶっ!

 そして、彼女は駆け出した。
 路地へと消えた彼女に、彼は何も言えなかった。
 けれども、そこで彼女が意図したことに気付く。
 異質な視線が消えた。
 彼女のあとを追うにして。
 狙いは、彼女。
 自分に向けられたものではなかった。
 そこで一気に脱力したのを自覚する。
 けれどもすぐに、そんな自分を恥じた。
 このままでは、彼女は。
 その先の結論にたどり着く前に、頭をふるふると振って振り払った。
 なぜ彼女は、感情のままに突っ走るのか。
 先程言ったばかりなのに。
 少しは考えてから行動しろと。
 けれどもそれは、きっと彼女の本質。
 どうあっても、変えられないものだとも思う。
 ならば、それについては早々に諦める。
 自分がすべきことは。
 考えろ。
 自分が出来ること。
 感情のままに突っ走る彼女を受け止められる存在に、自分はなりたいと思った。
 どこまでも走る彼女の隣に在りたいから。
 ならば、考えろ。
 自分に出来ること。
 それは。
 顔を上げて辺りを見渡す。
 その様子を伺っていた人々が、何か言葉を発した気もしたが、何を言っているのかは分からない。
 耳からはいるニンゲンの言葉は、音として聞くニンゲンの言葉は、自分には分からない。
 分かるのは、つばさの言葉のように心で聴く言葉だけ。
 だから、ニンゲンには頼れない。
 かと言って、自分が向かったところで、大したことが出来ないのも分かっている。
 ならば。
 行き交う人の動きから、大通りはあちらかと推測する。
 そして、太陽が昇る方角はあちら。
 前にブースターが教えてくれた。
 大通り沿いに家があり、昇る朝日を眺めるのが好きと言っていた。
 大通り沿いで、朝日が拝める場所は。
 そこを探せば、ブラッキーに会えるかもしれない。
 本当は一人で動くのなんて、怖くて嫌だった。
 でも、彼女を失うのはもっと嫌で怖くて。
 その想いが彼を突き動かす糧となる。
 彼は賑わい始めた大通りへと駆け出した。



*



 茶イーブイから、それなりに離れただろうか。
 きちんとあの異質な視線が追ってきていることを確認し、よしよしと頷いた。
 これなら、彼が怖い思いをしなくてすむ。
 白イーブイは知っている。
 自分の毛色が普通とは違うことを。
 それゆえ、危険に合う可能性があることも。
 そして今、それは現実に起きている。
 茶イーブイに怖い思いをさせたくない一心で彼から離れた。
 だから、この先どうすればよいのか分からないし、考えてもいない。
 自分は、一つのことしか考えられないから。
 その証拠に彼女は、先程まで彼女を突き動かしていた目的をすっかり忘れていた。
 それでも、やはり脳裏を過るのは大好きな父の姿で。
 その姿を思い起こすだけで、不思議と勇気が溢れてくる。
 恐怖がないわけではない。
 けれども、走り続けていれば大丈夫のような予感もある。
 ならばそれまで、自分は逃げればよい。
 かけっこは得意だ。走るのは好きだ。
 まっすぐ走ってくる自分を、優しく受け止めてくれる場所。
 それは。その先にいるのは、きっと。

ばす ( 2018/06/19(火) 22:05 )