群青色のハロー・グッバイ を読んだ感想 | ||
投稿者:黒須 良太郎 2014/03/13(木) 12:20 | ||
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投稿者:朱烏 2014/03/14(金) 00:19 | ||
読んでくださってありがとうございました。 この話はキャラクターへの投影もそうですが、根底にあるテーマ、舞台設定と、すべてにおいて自己が投影されていると自分では思います。 一次創作寄りの作品になったのもその影響ですね。エアームドもモジャンボも、この世界に登場させたのは僕が好きなポケモンであるからという理由が主です(笑) とはいえ、この二匹を舞台装置にしたつもりは毛頭なく、この二匹じゃなければ僕はこの物語を書かなかっただろうとも思います。 背景に関しては短編用、もしくは掌編用のほぼありえないもので、それ自身は何の情も持っていません。最後の青い夕焼けだって、エアームドが作中で言及していますが空気中に毒が撒き散らされてたせいで、吸収波長とか揺らぎの状態だとかが変わっただけです。そこには一かけらの温かみもない。 ですがそんな冷たいものにすら何かを見いだすエアームドの姿勢、そしてそれにつられるモジャンボは、最後の場面である二匹の生き死に以上にこの物語の本質でした。 確かtwitterでは当時鬱を患っていたみたいなことを書きましたが、それでなくても一月か二月に一回程度のペースで大きな鬱がやってくるので、その時に塞ぎ込んでずっと考えていることを表出させながら書きました。 これはこの作品に限ったことでなく、『回り道は雨』や、他所で書いた『ヒビワレ注意報。』なども、鬱々とした心で書いていた気がします。 クロスさんが僕に抱いているイメージとは違うかもしれませんが、こと小説に関しては鬱っぽくなった方がうまく書けて、評価が高い作品は得てしてそういう傾向がありますね。 もちろんそうじゃない作品も当然あって、ノリノリで書いたものもありますけれど(笑) ごちゃごちゃして何が言いたいか分からなくなる前に、返信はこれで終わります( タイトルセンスはときたま爆裂しますね。僕もこの題名は気に入っています(笑) [04]
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