セキエイに続く日常 > セキエイに続く日常 > 22 184-親子ウォーグル を読んだ感想 | ||
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投稿者:海 2018/01/13(土) 22:20 | |
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投稿者:来来坊(風) 2018/01/15(月) 01:17 | |
海さん、復帰してすぐに読んでいただけて本当にありがとうございます! 今回の短編はこのシリーズでは珍しくわかりやすく伏線のようなものがあった話でした、以前のイッシュエピソードを書きながら、これはいつか回収するんだろうなと思いながらやっていましたね。 自分は原作(ゲーム)でのポケモンバトルに関して「簡単にやっているように見えるけど、それは主人公の能力と才能が凄まじいだけで、基本的にこの領域のバトルをすることが出来ない一般人も沢山いる」という解釈を持っています。ポケモンに個体値があるように、二次創作の中ではトレーナーにも個体値があるべきだと思っています。だからこそ、「トレーナーの肉体の衰え」と言うものはチャンスがあれば書こうと思っていたテーマであり、今回、それを上手く解消できたのではないかと思いました。 目の動き、動体視力というものは衰えが顕著になるものであり、有名アスリートの中でも、技術的にはまだまだ戦えるが、目の衰えが一番きつかったと語る事が多いイメージです。メジャーリーグで禁止薬物であるステロイドが流行っていた時代、打者にとってステロイドで得ることが出来る能力に「動体視力の改善」があったと聞いています。地位と名誉に恵まれたメジャリーガー達ですら、優れた動体視力を求める(再び手に入れる)ために禁止薬物に手を出していたのです。見えるものが見えなくなることは、瞬間に生きる彼らにとってショックだったと思います。 観察眼と決断力で戦ってきたカールにとって、動体視力の衰えはそれこそ自身が自身でなくなるほどの不安をもたらしたでしょう。ここで、自分が自分でなくなる前にもう一度戦うという選択をするというキャラクターとして作っていました。それは見なくても良かった現実を直視することになる選択肢なので、誰もがそれを選ぶことが出来るとは思いません、彼は誇り高い戦士であったと思います。 カールの息子であるジャクソンも、勿論最も近くでカールを見てきた人間の一人なのですから、彼に対するあこがれがあったわけです、だからこそ、彼は過去の自分にケリを付けるために、恐怖を押し殺すことこそが戦士の条件であると考え、モモナリに向かっていったわけです。カールは自分が自分であるために戦いましたが、ジャクソンは自分を帰るために戦います。 この話のプロットを書いたとき、「怖いのが普通、だからこそ強くなる」というこの話の総括は決まっていませんでした、もっと浅いノリのプロットだったと思います。しかし、何のはずみかこの落とし所が浮かんだとき、この話に登場するすべてのキャラクターの立ち位置のようなものが決まったのです。 これは短編の中で表現することが出来ませんでしたが、この話の時系列に存在するカールは、実はモモナリと戦うことが怖くはなかったのです。リーグトレーナーを引退し、弟子もおらず、息子は立派にやっている、つまり彼にはもう背負うものがほとんど存在しなかったのです。だからこそ彼は十中八九勝ち目がないであろう戦いに「死に場所」を求めることが出来ました。 その逆に、ジャクソンはモモナリと戦うことを恐れまくっています。これは当然リーグトレーナーとしての立場もあり、イッシュ人としてのプライドもあり、単純な過去のトラウマもありました。そして、彼はそれを恥だと思っていました。勇敢であることが、戦士の条件であると思っていたからです。 ところが、自らの憧れである父に、恐怖を持つことは悪いことではなく、むしろ強くなる理由であると諭され、彼はそれを受け入れます。最終的には、彼は自らの父の名をも背負うことで、更に強くならなければならない理由を見つけました。 対してモモナリは、戦うことを恐れていませんでした。カールとも戦い、ジャクソンとも戦い、最終的にはギーマに戦いを挑みます。彼はそれが全く怖くないわけです、それはまさに普通の人間とは違う狂人の部分でありますし、彼が背負っているものの少なさも意味していますし、彼の伸びしろの少なさも表しています。 この「戦うことを恐れていない」という感覚を「かっこいい」ととらえるか「愚か」ととらえるかは人によって変わると思います。個人的には、愚かであってほしいのでそういう描写をしています、この考えでかっこいい方に振れるとほんとにカッコよすぎるんで 最後にタイトルについてです。 はっきり言って「親子ウォーグル」というタイトルは「親子鷹」という慣用句の捩りで、あまりウォーグルに対して深い考えがあったわけではありませんでした、と言ってもウォーグルがワシモチーフであり、イッシュにいるポケモンであることは知っていました。 でも海さんの考え方自体が、鷹やワシなどの一部の猛禽類が持っている神聖で勇敢なイメージそのものなので、合ってるともいえますね。 [08]
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