第73話 死闘の先に
ひと度動き出せば、破壊の限りを尽くすと謳われるギャラドス。伝承に幾度と名を記されたその力はまさに暴虐の限りを尽くしていた。
一撃一撃が必殺の威力を持ち、強靭な鱗はあらゆる技を通さず、通常の攻撃は勿論のこと効果抜群の技ですら沈められなかった。今のジュンヤ達が倒すことが出来たのは幾度と幸運に恵まれた……奇跡に近いと言っても遜色は無いだろう。
だが、その奇跡を引き寄せられたのは、紛れもなく彼らが勝利を信じて闘ったからだ。崩れ行く巨体を前に、安堵で大きく息を吸い込んで……ジュンヤはしばらく肩で息をしてから、疲れた頭を休めるように目頭を抑えて上向いた。
「ジュンヤ、だいじょうぶかな。けっこう疲れてるみたいだけど……」
「バトルはただでさえ体力も集中力も激しく消耗する。それがフルバトルともなると……尚更だろうからね」
心配そうな眼差しで見下ろすノドカと、苦々しげに呟くソウスケ。
大きな深呼吸を数度繰り返し、なんとか呼吸を整えてから帽子をかぶり直す。そうしてやっと息が落ち着いたジュンヤは再び対敵ツルギに向き直るが……彼は息一つ切らさず、冷徹な眼差しで酷く荒れた戦場を俯瞰していた。
「でも、ツルギさんは全く疲れてませんっ! く、悔しいけどすごいです……!」
「ふふん。だってツルギは、きたえてます、からっ」
「黙れ」
「……はい。いいです、どうせわたし、ただのツルギのどうぐ、ですからっ」
「ふふ、私からしたら大切な友達よ、サヤちゃんっ」
やや複雑な面持ちで素直な感嘆を漏らすエクレアに、まるで自分のことかのように得意気に返したサヤをツルギは一蹴し、彼女は不貞腐れたように口を尖らせる。ノドカは珍しくそんな年頃の姿を見せるサヤに思わず笑みをこぼしてしまうが……すぐに、戦場に向き直った。
ジュンヤから向かって左手側にある小さな湖は黄昏の果てに輝く月を映し、砂利の敷き詰められた戦場が一面に広がる湖畔のバトルフィールド。
其処に向かい合うのは……未来の存亡を賭けた熾烈な戦いに身を投じた二人の少年。
「……ギャラドスの眼は、最後までツルギのことを想っていた」
溢れ出す凄まじい力を振るい暴虐の限りを尽くした龍は、最後には天に見放され一矢の下に討たれた。怒りのままに全てを焼き付くした彼は……しかし果てるその時に瞳に浮かべていたのは、屈辱でも怨嗟でもなく、己の不甲斐なさを嘆く想いであった。
ツルギの顔色を伺うが……相も変わらず、壁のような無表情を崩していない。主を想うギャラドスの心には気が付いているはずだ、それなのに彼は……!
「戻れ」
彼の翳したモンスターボールから紅い閃光が放たれて、龍の巨体はたちまち光子となって飲み込まれていく。そしてそれをベルトに装着すると、そのまま他の紅白球に手を伸ばして。
「……それだけなのか」
ジュンヤがあまりに淡白な一連の動作に 一瞬躊躇うように口ごもって、しかし意を決して言葉を紡ぎ出した。その振る舞いからは……ポケモンに対する愛情なんて感じられないから。
「ギャラドスは最後まで、お前の為に戦っていたんだ。それでもお前にとっては……ただの道具なのか」
「ああ、こいつらも承知の上で俺に従っている。想いなど必要ない、ただ剣であればいいとな」
月下に照らされた二つの影は、その内に譲れぬ意思を掲げて。
冷徹なまでに鋭く、全てを貫く剣のごとき彼の瞳は、此処ではない彼方を見据えて瞬いている。
ツルギは強い。きっと、此処に居る誰よりも。絆も想いも投げ捨て……迷い無くただ強さだけを求めた彼は果たして道程に何を見い出したのか。
「そうか、分かったよ。きっとオレ達とお前達は相容れない、だから……絶対に勝つ」
彼の成すべきとは何なのか、分からないが……一つ言えるのは、彼と己の目指す道が交わることはなく、自分にも譲れない想いがあるということだ。
手を伸ばして、いつか描いた未来を掴み取る為に絶対に諦めない。負けたくない、負けられない……オレ達の信じる強さを証明する為に。
「諦めろ、お前の刃は俺に届かん。 出てこいギルガルド!」
現れたのは紫の剣帯を靡かせ、金の柄を妖しく輝かせる一振りの霊剣。白銀の刃は月光を浴びて幻想的な輝きを放ち、金工象嵌の施された円盾を構え、鍔に嵌められた宝玉の瞳が眼下に並ぶ者を睥睨した。
「ギャラドスだけじゃない、多くの強力なポケモンを従えている上に今度はギルガルドと来たか……。どうやらツルギ君は、相当な覚悟でオルビス団との戦いに臨んでるらしいぜ」
ルークの言う通りだ。月下に刃を瞬くそれは自ら資格ある者を主に選び、王を選定する剣。容易に仲間にすることは出来ず、振るうには相応の意思と願いを必要とする。
王の素質を持つ人間を見抜き、認められた者はやがて王になると言われ、霊力で人やポケモンの心を操り従わせる……おうけんポケモンギルガルド。
「……気を付けようファイアロー。ギルガルドははがね・ゴーストタイプ、相性だけなら有利だけど、攻守共に優れた強力なポケモンだ」
遠い地方では四天王がエースに据えて並み居る挑戦者達を易々と蹴散らしており、エイヘイ地方に於いてもかつて戦争を終結に導いた英雄と共に居たとされている。その高名と気高さは広く知れ渡っていて……そんなポケモンを相手にしては容易く勝利を掴み取れない。
「……ファイアロー、オーバーヒート!」
ギルガルドは強固な盾を持っている、下手に攻めれば返り討ちに遭うだけだ。
攻守に優れた強敵を相手にどう攻めるか、僅かな逡巡を見せるも意を決し攻勢に出て……しかし、そう易々と攻め入ることをツルギは許さない。
「悪いな、先手は貰うぞ。かげうちだ」
指示に応じて、全身を滾らせんと火炎袋に火を点けると同時に眼下から漆黒の影が鋭い刃となって迫ってきた。
完全に不意を突かれた。慌てて身を翻すが避け切れず、翼を撃たれて体勢を崩してしまい……彼らがその隙を逃す筈が無い。
「ラスターカノン!」
霊剣の柄に嵌められた瞳が瞬き、目が眩むような一瞬の閃光。放たれた白銀に光線は煌めきと共に眼前に迫り……。
「急降下で回避だ、そのまま攻撃に移ってくれ!」
先程は不覚を取ったが、次こそはそうはいかない。持ち前の負けん気で直ぐ様体勢を立て直し、半身を切って紙一重で躱すと火炎袋を滾らせる。
力強い羽撃たきは風の如くに舞い躍り、忽ち地表に近接するとそのまま翼を折り畳んだ。
「……流石は疾風の翼と呼ばれるだけの速さか」
「ああ、誰も追い付かせやしないさ。ブレイブバード!」
超低空飛行で放たれた一矢の突撃。風を切り、瞬き程の暇すら与えない高速の矢が霊剣目掛けて突き進み、次の瞬間には甲高い音が響き……火花を散らして衝突していた。
「僅かに届かなかったな。キングシールド」
防壁展開。光を集約させて堅牢と化した盾を掲げて構えるギルガルドに、一矢は届くことはなかった。ファイアローの嘴は突き出された光盾に遮られ……その奥に佇む霊剣に届かない。
ギリ、ギリ、と火炎袋を燃やして必死に押しても、僅かも揺らぐ気配は無く……。
「……っ、やっぱり強い……!」
一切の攻撃を通さぬ最強の盾。王の盾、そんな大仰な技名を付けられているだけのことはある。
続けてギルガルドは盾を薙ぎ払うように突き出して、貫かんと押し続けていたファイアローはその勢いに仰け反ってしまった。
「続けてせいなるつるぎだ」
霊剣起動。蒼白の耀きをその身に纏う退魔の一閃が振り抜かれた。
避けられない。無防備な胸を袈裟切りに裂かれ……一振りで地に切り伏せられてしまう。
「ファイアロー、大丈夫か!」
傷は深い。効果は今一つだというのに酷い痛みがこの身を襲うが……当たり前だ、この程度で倒れるわけがない! 仲間がここまで繋いでくれたんだ……倒れられるわけがない。
対峙する剣を射貫くような眼差しで睨み付けるファイアローは、心火を燃やして身体を持ち上げた。
「ねえ、ギルガルドに弱点はないの!?」
「あるさ。一つだけね」
あまりに攻防共に隙が無い。焦りを浮かべて叫ぶノドカに……ソウスケも、神妙な面持ちで答える。
「ギルガルドの特性はバトルスイッチ、キングシールドによって攻撃に特化した形態と防御に特化した形態を切り替えて戦う。つまり形態ごとにどちらかが疎かになるということだ」
「……なるほど。なるほど? ……でもソウスケ、ツルギくんがそんな簡単に隙を突かせてなんてくれないよね!?」
その通りさ、と難しい顔で頷く。相手は強敵ツルギだ、相性の不利すら容易く越えてくる。……そんなトレーナーを相手にするのだ、ジュンヤが頑張るしかないだろう。
「意地だけは立派だな、だが……下らない、戦いは常に非情だ」
「……だとしても、オレは仲間を信じてる! まだだ、はがねのつばさで攻め立てる!」
「信頼などで勝てるようなら苦労は無い。受け止めろ」
自慢の脚力で地を蹴り付けて、低い跳躍と共に眼前に躍り出ると鋼鉄と化した翼を振るい、その刀身に叩き付けた。鋼鉄同士のぶつかり合う高い金属音が響き、鋼の翼と不毀の刃がぎり、ぎり……と鬩ぎ合い。
「防御態勢を取っていない今なら行けるはず、とでも考えたか」
「相手はお前だ、そんなに思い上がっちゃいないさ。だけど、今を逃がすわけにはいかないからな……!」
「お前では俺の刃を崩せない。残念だが……所詮は徒労だ」
押しも押されぬ刃と翼。否、霊剣は技も使わず……ただ刃向かうものを受け止めているだけだ。
「力の差は歴然だ、王剣の威力を見るが良い。ギルガルド、せいなるつるぎ!」
再び起動した霊剣は、先程よりも強く激しく瞬く。
「……っ、はがねのつばさで受け止めるんだ!」
避けられない、立ち向かうしか道は無い。
迸る蒼白の耀きは天を衝く。夜宙の煌めきを束ねた星光の刃が今、輝きの中で振り下ろされた。
迎え撃つように突き出した鋼鉄の右翼は、しかしその威力はあまりに重い。まともに受け止めるなど出来ず、弾かれると同時に左翼で辛うじて凌ぎ、と両翼で必死になって防ぎ続けるがいつまで保つかも分からない。
「なんて威力だ、防ぐことすらままならないなんて……!」
「俺は目的の為ならば手段は選ばない。強くなる為ならば……己が生きる為ならば、全てを擲つ覚悟で此処まで来た」
幾度と火花を散らしながら金属が衝突する度に、甲高い音が冷たい夜空に無機質に響く。ファイアローは剣戟が折り重なる度に後退を余儀無くされてしまい……必死になって火炎袋を燃やして自身の身体機能を活性化させるが、それでも王の剣に届かない。
「多少マシな目をするようにはなったとは言ったが……所詮、それが限界だ。下らない感情に振り回されたままで勝利を奪い取れると思うな」
「オレはお前とは違う。限界なんてない、心の力と絆を信じて……仲間と一緒にどこまでだって強くなってみせる!」
「意固地だな。その目は何処を見詰めている、お前が俺に勝つなど……思い上がるな!」
瞬間、ギルガルドの出力が更に上昇した。夜空を切り裂くように天を射す一条の蒼耀が溢れる星光を纏って振り下ろされた。
受け切れない。鋼の翼が容易く弾かれ……全身を、とめどなく迸る膨大な光の奔流に焼き切られていく。その威力は凄まじく、大地が深く抉れて大きな亀裂が生まれる程だ。
「……ファイアロー!? 大丈夫か、返事をしてくれ!?」
衝撃で舞い上がった砂塵に視界が覆い尽くされる。静寂が包む視界の中に、光は次第に収まっていき。
「……ファイアロー、ファイアロー!?」
ジュンヤの必死の呼び掛けも虚しく、徐々に晴れていく視界は静寂に包まれていて。そこに佇んでいたのは……盾を携えた王の剣、ただ一振りであった。……否。
「ファイアロー、まだ闘えるんだな……!」
「皮一枚繋がったか、鬱陶しい」
全身が夥しく迸る退魔の光に焼き尽くされたのだ、いくら効果が今一つといえど意識を保っていられるのももう間もなくが限界だろう。
今のファイアローは対する宿敵達への負けたくないという意地と、ジュンヤへの想いだけで辛うじて途切れそうになる意識を繋ぎ止めている。だから……この身が果てる前に決着を付ける。
「随分頑張るな。そこまでして俺に楯突く理由が何処にある」
「何が言いたいんだ」
「お前は何の為に力を求めているのか、ということだ」
「決まってる……ノドカを、大切なものを守る為だ。オレ達の誰にも譲れない願い……その為に強くなるって誓ったんだ!」
荒くなった息を整えて、星空に指差し高らか叫ぶ。命を振り絞り、呼吸を合わせて……最後の力で、立ちはだかる壁を打ち壊す為に!
「勝負を決めるぞファイアロー……ブレイブバード!」
死力を尽くして賭けに出る。
超低空から放たれた矢は迷うことなく一直線に突き進み……。
「何度来ようが無駄なことだ。キングシールド!」
あらゆる攻撃を寄せ付けない王の盾が突き出された。まともにぶつかってしまえば敗北へ一直線となってしまう。だから……。
「そのまま背後に回り込むんだ!」
思わず見開かれたギルガルドの眼と、何としてでも一矢報いると心火を燃やすファイアローの瞳が交差した。
盾を構える真横をすり抜け、すかさず大地に爪を突き立てあまりに無謀な緊急停止。全身が裂けるような痛みに悲鳴を上げる、それでもこれまでの屈辱を胸に掲げて、果てることなく決死の思いで制動を掛けて。
「……随分と捨て身だな、馬鹿馬鹿しい」
「よし、今だ……行くぞファイアロー!」
見事ギルガルドの背面で制止出来た、そのまま振り返り……零距離ならば、外すことは無い。
「キングシールド!」
「おにび!」
二人の声はほぼ同時だった。ジュンヤが拳を握り締めるのも、ツルギが苛立たしげに舌を鳴らすのも。
「この局面でおにびか、あじな真似を……!」
「どうだ、何より意表を突かれただろ!」
そう、ファイアローはあと一撃でもダメージを受ければ……いや、自滅の方が早いかもしれない。それ以前にこれだけの至近距離に持ち込んだのだ、攻撃するには絶好の機であり……だからこそ、あえて奇をてらった。
流石の反応の速さだ。ギルガルドがすかさず振り返り、金工象嵌の円盾を突き出して防御態勢を構えるが、その盾のただ一つの弱点までは防げない。
紅隼の翼に浮かぶ緋色の斑点から紫黒の不気味な火の玉が弾き出される。それは相手をやけど状態にする技“おにび”。頑強にして堅牢を誇る、城塞に匹敵する防御力の円盾を通り抜けて、瞼を引き締める王の剣に接触した。
瞬間、ギルガルドの全身がたちまち炎に包まれ炎上していく。
「……キングシールドはあらゆる攻撃技を防ぐことが出来るが、防げるのはあくまで攻撃だけ。はは、この時を狙っていたのか……やってくれたなジュンヤ!」
「よ、よくわかんないけどそうなんだ! ジュンヤすごーい、やったね!」
「わ、の、ノドカさん……」
ソウスケが思わず興奮で身を乗り出した。ノドカもあまり理解が追い付いていないながらもつい嬉しくてサヤを抱き締める。
そう、キングシールドのただ一つの弱点……それは攻撃技しか防げず、補助技は盾を展開していても食らってしまうという点だ。
「やってくれるな、初めからそれが狙いだったというわけか」
「ああ。こんな場面でもないと、お前がおにびを受けてくれるなんて思えないからな」
初めからジュンヤの頭の中には、この一瞬に持ち込むことだけしか無かった。キングシールドをおにびで空かし、最大の好機を生み出す……ただ、この局面の為に。
「この距離なら外さない、確実に当てられる!」
「……鬱陶しい」
呼吸を合わせて最後の力を振り絞る。
闘士激しく昂り、胸の鼓動は早鐘を打つように加速していく。
最早痛みすら忘却の果てへ。力が漲り、魂が燃える。紅隼が熱く滾る火炎袋を最大限まで活性化させ、全身から凄まじい焔熱が放たれて。
「……ファイアロー、オーバーヒート!」
「もう一度キングシールドだ!」
身体中のあらゆる筋肉が力強く駆動を始める。
燃え盛る業火は瞬間、一点に集約していき……遂に、総てを焼き尽くす極熱光線となって放射された。
同時にギルガルドは盾を翳した。光の結晶が展開して、あらゆる攻撃を防ぐ障壁となって王の剣は守られる。
悉くを灰塵に帰す灼熱の光線は、既に激しく荒んだ戦場をその威力で跡形も残らぬ焦土へ変えていった。
鼻をつく焦げ臭さ、舞い上がる黒煙。灼けて、溶けて、酷く爛れた大地。その中心に……王の剣は、盾を下ろして悠然と佇んでいた。
「……ウソ、防がれちゃった……!」
「これで能力が下がってしまう。ジュンヤ、君はここで終わってしまうのか……?」
……力には代償が付き纏う。オーバーヒートは一度発動するだけでも莫大なエネルギーを要する、疲弊で身体機能は著しく低下してしまい……しかし、ジュンヤとファイアローの目はまだ灰と化してはいない。
「……まだだ! 温存していたのはお前だけじゃないぜ、しろいハーブを使うんだ!」
「奥の手を隠していたか……だが!」
しろいハーブ、それは一度下がったステータスを元に戻す持ち物だ。
ツルギにこのままやられるわけにはいかない。意趣返しと言わんばかりに高らか叫ぶとファイアローが取り出したしろいハーブを頬張って、無理矢理働かない身体を働かせる。
「……オーバーヒート!!」
再び、その全身を天高く燃える灼熱の炎が包み込み、極熱が一点集中すると凄絶な威力の熱線が迸った。
キングシールドはまもると同様に使う度に多大な集中力を要し、連続での発動にはリスクを伴う。三度のキングシールドは流石に不発に終わってしまい……。
灼熱が剣も盾も呑み込んでいく、今度こそ防げない。その全身が炎熱に焼き尽くされて……。
「……これで、どうだ……!」
荒くなった呼吸で戦場を見つめる。己のポケモンの勝利を信じて、全霊を賭した結実を信じて。
「……お前は俺に勝てない。言ったはずだ、所詮お前は口だけだと」
……黒煙の中で眼が光る。その瞬間……ジュンヤは全てを察してしまった。
「耐えられた、のか……!」
「お前は守る為に戦うと言ったな。……瞳に惑いを浮かべておいて、よく言えたものだ。感傷に振り回され、己の発言にすら振り回され……そんな半端者が俺に立ち向かい、勝てると思うな」
彼は呆れたように吐き捨てて、しかしその瞳は彼方を見据えて。
「察しているだろう、ギルガルドの持ち物とその効果を」
……惑い? 何を……いや、それより。ギルガルドは高い防御力を誇っている、効果抜群の技でもそう易々とは沈まない。くわえて先制技であるかげうちも持っているのだ、だから。
「じゃくてん、ほけん……」
弱点の攻撃を受けた時に攻撃と特防を上昇させる弱点保険とはとても相性が良い。ギルガルドは文字の書かれた緑色の紙をすかさず取り出し発動し……。
「その通りだ。ギルガルド!」
「だったら、やられる前に決めてやる! ブレイブバード!」
「かげうちを撃つと思っただろう、読めている。キングシールド!」
「しまっ……!」
最初にかげうちを食らっていた為に先制技には十分な警戒を払っており……しかし、それすら始めから折り込み済みであったのだろう。翳した盾は放たれた矢を易々と払いのけ、
「……言ったろ、戦いは非情だと。終わりだ、せいなるつるぎ!」
蒼き耀きを湛えた霊剣が、天を衝く退魔の光芒を振り下ろした。
既に息絶え絶えだったのだ、その一撃を耐えられる筈が無い。紅隼は一閃の下に切り伏せられ……泥のように倒れ込むとうつ伏せに臥して、燃え尽きた灰のごとく、ぴくりとも動くことは無かった。
「ファイアロー、……戦闘不能!」
むせ返るような熱気が戦場を包む。だが……その熱とは裏腹に、佇む少年の瞳は冷めていて。
「……こんなになるまで闘ってくれて、本当にお疲れ様。お前はよく頑張ってくれたよ、ありがとな」
翳したモンスターボールから迸る真紅の光線がファイアローの肉体を包み込むと、その身体は小さく縮まり光の粒と共に紅白球の中へと飲み込まれていく。
あまりに肉体を酷使しすぎたのだろう、ボールの中に戻っても紅隼は瞼を開くことはなく、
「……本当にありがとな。お前のおかげでギルガルドに勝てる、希望は繋がったんだ」
と瞼も開かず、臥しているファイアローに最大限の感謝を贈った。
……幸いフーディンとケンタロスは手負いなんだ。勝てる可能性は零に近い……それでも、潰えたわけではない。
絶対に諦めない、諦めてたまるものか。此処まで闘ってくれたみんなの為に、最後まで闘い抜いてやる。
最後に残った一匹は、最も信頼を寄せる相棒。ベルトに装着された紅白球に手を伸ばして、掴み取った。
「……勝つぞ、ゴーゴート」
胸元へ翳した紅白球に視線を落とすと、これまでの闘いを見つめ続けてきたゴーゴートは迷い無い真っ直ぐな瞳で頷いた。
九年前ヴィクトル……オルビス団の首領によって両親を、仲間を、安息の地を……あの日、全てを奪われた。そしてノドカに救われ、ソウスケに励まされ……誓ったのだ。大切なものを守り抜く為に、誰よりも強くなってみせると。
あの日からずっと共に戦ってきた相棒。大切なものを守る、その為に戦い続けてきてくれた最高の親友。
「まだ諦めていない、そう言いたげだな」
「当たり前だ、勝負を途中で投げ出すなんて……ポケモントレーナー失格だからな。それにまだ負けたわけじゃない、なら死んでも最後まで食らいついてやるさ」
「死んでも、か、笑わせる。その覚悟も無い、惑いを浮かべたままの奴にこの俺を倒せない」
ツルギの瞳は迷い無く彼方を見据えて閃いて、燦然とその双眸をぎらつかせている。
彼の眼差しは、その意志は研ぎ澄まされた刃のように尖鋭で。きっと、全てを賭して今に至るのだろう。憎しみでもない、怒りでもない、ただ未来を見据えて瞬く瞳。
怯んでしまいそうになる心を必死に奮い立たせて立ち向かう。オレにも……譲れない想いがあるから。
「ツルギ、オレ達はお前に負けたくない、だから全力でぶつかって越えてやる」
これが最後だ。手袋をぐいと引っ張り、次に一度帽子を脱いで、かぶり直す。
準備万端だ、最早後には引けない、何がなんでも最後まで闘い抜いて、勝利を掴み取ってやる。
「任せたぜ、相棒。……行けっ! ゴーゴート!!」
「最後の一匹、あれが奴のエースだ。構えろギルガルド」
赤と白、上下二色の球モンスターボールが夜を切り裂く。夜の帳に星々が色鮮やかに瞬いて、妖しく輝きを放つ月が闇の世界を冷たく照らす。
力強く投擲した紅白球が空中で色の境界から二つに裂けて、内より真紅の光が溢れだした。
酷く荒れて爛れた戦場に一匹の山羊が象られていく。光が弾け、現れたのは歪曲した二本の黒角、首から背、尾にかけて無数に生え揃う深緑の葉。木の幹のような茶褐色の体毛が全身を覆い、逞しく伸びた先には橙色の蹄。
ライドポケモンゴーゴート、ジュンヤの最強の相棒だ。
「やれギルガルド、ラスターカノン!」
「エナジーボールで迎え撃て!」
霊剣の瞳から白銀の光沢を帯びた光線が放たれる。草山羊の口から自然の力を集めた光弾が弾き出される。
二つは戦場の中央で衝突するとどちらともなく爆ぜ散って、直ぐ様次の攻撃に移った。
「リーフブレード!」
「せいなるつるぎ!」
角の先から伸びる、天へ掲げた極光の柱。空へ翳した刃から伸びる星の光芒。
二つの光剣がぶつかり合い、激しく火花と光子とを撒き散らしながら鎬を削る。
両者共に一歩も引かない。目覚ましく舞い散る光の残滓が二匹を包み……しかし、一瞬ギルガルドの身体が炎上すると共に力が僅かな緩みを見せた。
「今だ、押し切れ!」
「キングシールド!」
相手は直ぐ様防御体勢に移り、盾を構えて、炎上が収まると再び退魔の輝きを振り下ろす。
「……っ、やけど状態だっていうのにここまで食い下がってくるなんて」
「……此処が潮時か」
まさしく目が眩むような鍔迫り合い。幾度と目映く闇夜を照らす光の剣戟が重ねられ、その度に弾ける光滓が空に輝き……しかし、やけど状態では力を出し切れない。初めは拮抗していたクロスゲームは次第にゴーゴートの優勢に傾いていき……。
再び、霊剣の身体が炎上しその力がかすかに緩んだ。
「今度こそ決めるぞゴーゴート! リーフブレード!」
「ギルガルド、最大出力でせいなるつるぎだ!」
深緑の耀きを纏う極光の剣が振り下ろされた。ギルガルドはその刀身で溢れ出す光の奔流を受けながら、内から迸る熱に苛まれながら……なおもくず折れることなく剣を空に掲げた。
夜天に瞬く星々の耀きをその身に束ねて、己の霊力の全てを賭して。最期の力で天を衝く。
日昼と紛う程のあまりに眩い耀きが世界を照らし……対峙する敵へ最後の一閃を振り抜いた。
「……ゴーゴート、大丈夫か!」
今から防御態勢に移ろうにも、間に合わない。出来るのはただ相棒を信じることだけだ。
逆巻く銀河のごとく、膨大な光の波濤を集約させた刃は低く構えるゴーゴートの全身をその熱で切り裂いて……。
王の剣は、最期まで気高く在った。主に従い、剣として、盾として……その命を全うすると、最期は力無く崩れ大地へと果てた。
「……ぎ、ギルガルド……戦闘不能!」
既に、その刀身に刻まれた傷は許容量を超過していたらしい。当然だ、オーバーヒート、蓄積し続けたやけどのダメージ、くわえて著しく防御力の下がってしまうブレードフォルムで全力の一撃を受けては耐えられるポケモンなど数が限られる。
「戻れ、ギルガルド」
ツルギがモンスターボールを翳すと、その内から真紅の光線が迸る。光はギルガルドを呑み込むと再び紅白球の中へと呑み込まれ……後に残ったのは、たべのこしを頬張りながらも肩で息をするゴーゴートだけだ。
……彼は相変わらず、労うことなくポケモンを戻すと、新たなモンスターボールへと手を伸ばした。
「何か言いたげだな。最早ギルガルドの役割は終わったから捨てた、それだけだ。問題無いだろう」
「……今更文句を言うつもりは無いさ。ただ……」
あの状況のまま戦うならあれが最善で、ギャラドス戦で捨て身の作戦を許したオレに咎める資格は無い。だけど、一つだけ思ったことがある。
ツルギのポケモン達は、彼を心から信頼している。自ら勝利の礎となるのも厭わず、むしろそれを望んでいるかのようにすら思える。
「お前がなんで強いのか、分かった気がするよ。……お前の眼には一切迷いが無い、ただ果たすべき使命だけを見つめて、ポケモン達もそれぞれの役割に徹して」
今になってようやく、彼の在り方が如何に難しいのかを実感出来る。オレはこの旅の中で幾度と惑い、絶望にうちひしがれ、己の信条すらも守り抜けず。
「だから言ったはずだ、お前は俺に勝てない。過去に囚われ、力に惑っているお前にはな」
ツルギは言った、オレは何の為に力を求めているのか、と……。
決まっている、大切なものを守る為だ、誰もが笑顔で過ごせる未来だ。だが……。
「俺はお前とは違う、私情も感傷も必要ない。成すべきを果たす為に必要なのは……強さだ。全てを投げ捨ててでも、誰にも譲らない」
己に言い聞かせるように放ったその言葉には、確かな意志が込められていた。
オレは彼のようにはなれない、きっとあんなに強くは在れない。ツルギの言う通りだ、自分は守りたいと願いながら……今だに、恐れている。ヴィクトルへの恐怖に、奴へ堰を切るように溢れ出す憎しみを掲げる己に。
「……それでも、負けたくない。ノドカに、レイに、自分に誓ったんだ。憎しみの為でも斃す為でもない……大切なものを守る為に強くなるって」
夜空に妖しく美しく輝く月へと腕を伸ばして、力の限り握り締める。胸に抱き続けてきた譲れない決意と共に、己の心に強く誓ったかつてを想って……。
「レイにもう一度会って、いつか必ず“大切なものを守る”……願った理想を真実にする為に、誇れる自分になる為に、オレは今より強くなるんだって」
「良いだろう、ならば俺の全霊を以て葬ってやる」
ツルギは口元に浮かべていた嘲笑を沈め、弓形に固く引き結ぶと……一つのモンスターボールに手を伸ばした。
「出てこいフライゴン!」
彼の放った紅白球は空中で色の境界から二つに割れて、迸る紅光が天に一つの影を象る。
菱形の翼、しなやかに伸びる尾の先には扇形に広がる突端。
歌声のように美しく響く羽音が澄んだ静寂な夜空に響き渡り……天より降りし精霊竜は、光が晴れると共にその雄々しくも美しい勇姿を顕現した。