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「気持ちええなあ〜……」
ヒトカゲはアルティオ大陸行の船で一人、潮風に当たっていた。展望デッキの柵に身を委ねている。
彼にとって生まれてはじめての船だ。心が躍る。
もし彼が空を飛べたなら、このような思いをすることはなかっただろう。彼は、自分がヒトカゲであることに感謝する。
今回の船旅の到着時刻は、普通に行けば午前二時になってしまう。そのため、多少迂回したルートを通り、午前六時になるように調整するそうだ。
この船はリーズナブルであるのに、設備が充実していた。アルティオとイスティオの間を往復するだけ船なのだが、今回のように、場合によっては日を跨ぐこともあるので、船客にはそれぞれ部屋が用意されていた。その部屋にはベッドと空かない窓があるだけだが、そのベッドの寝心地が非常によい。昼間でもまどろんでしまいそうになる。窓からは、海の中を見ることができる。
さらに、食事が出る。リンゴと、客に合わせたグミが三つ。
そして広い展望デッキと、客室の上には闘技場もある。300Pにしては豪華だった。
ヒトカゲは遠くなってゆくイスティオ大陸を見つめる。
あの大陸に来て五日。本日で六日目だ。こんなに早くあの大陸を出ることになるとは思っても居なかった。都合が良いとはいえないが、休暇と思えば悪くなかった。比較的のんびりできるのだ。
しかし、本来の目的を忘れてはならない。己の腕をつねり、夢のような気分から現実に引き戻す。
今回の目的はプクリンに頼まれたお使いの達成、そして炎技を使えるようになることだ。
あのタイミングで現れた、ということはプクリンも、ヒトカゲが炎技を使えない、というカミングアウトを聞いていたはずだ。その上でこのおつかいを頼んだ。
つまり、アルティオ大陸に行けば、炎技の特訓ができるということだろう。
ヒトカゲは、自分の小さな手を見る。自分と同じタイプの技が使えないことが不便なのは、ここ数日の探検でしっかり身にしみた。とくに昨日の探検ではそう感じた。
――いつまでも頼っていては、いつか
ばれてしまう。その前に習得しなければ。
久しぶりにヒトカゲは、無力さによる「焦り」という感情を覚えたのだ。
ぎゅっと空気を握り締めると、彼は展望デッキの柵から身体を離し、自分の部屋へと向かった。
――強くなるのだ。もう二度と、誰にも負けないように。
☆☆☆☆
正午を過ぎた頃。ガルーラは家に辿り着く。優しいログハウス。何十年か前、それこそガルーラがまだ子供だった頃に、中年のバシャーモに建ててもらった家だ。
その部屋には、丸テーブルと食器棚、本棚に、ベッドがあるだけだった。
そんなベッドの上で一人身体を起こし、本を読んでいるエンペルトが居た。そのエンペルトは重傷を負っているらしく、羽や頭など至る所に包帯が巻かれていた。
紛うことなきリコの姉、ウォリーだ。
「お姉ちゃん!」
リコはウォリーを見るなり、彼女に駆け寄る。
ウォリーはというと、自分の目を疑っていた。何度もこすって確認するが、そこに居るのはリコ。間違えるはずがない。
「ど、どうしてここに!?」
「ガルーラさんに無理行って連れてきてもらったの」
命に別状がないと知ってか、リコは心底安堵した笑みを浮かべていた。
「なかなかやんちゃだね、アンタの妹も。そっくりだよ」
ガルーラの言葉に、ウォリーは苦笑することしかできなかった。
「ねえ、お姉ちゃん」
ウォリーはリコのほうに目をやる。真剣な目をしていた。
「盗まれちゃった……ん、だよね」
もう知っているのか。
彼女自身も現実逃避をしたかった。だが、こう言われてしまうと、現実を受け止めるしかない。
「……ええ。私の力不足よ」
ウォリーは申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめんなさい」
「なんでお姉ちゃんが謝るの!」
その様子に納得がいかないらしく、リコは眉を顰める。
「悪いのは盗んだやつでしょっ!」
リコもわかっているはずだ。悪いのは、依頼を遂げらなかった自分であることくらい。相手が強かった、ではすまないのだ。
だから、誤魔化すことにした。これ以上、気を使わせぬために。
「違うわ、そうじゃなくて」
ぽん、と自分の手を、優しくリコの頭に乗せる。
「心配かけて、ごめんなさいね」
その声に、リコの目が潤んだ。
彼女の黄金の瞳から、ほろりと涙が零れた。
「……うっ……うえぇ……」
ずっと我慢していたものを、リコは吐き出し始める。
彼女らの様子を見て、ガルーラはそっと、家を出た。
☆☆☆☆
のんびりと、目的地までの道を歩くカイとハルキ。
途中でダンジョンを通ることもあった。レベルがあまり高くない二人にとって、手ごわい敵も多かったが、大きなダメージもなく切り抜けていた。
もしダンジョンを迂回していれば、こんなに早くここまで辿り着くことはできなかっただろう。
現在はお腹が空いたので、岩陰で休憩中だ。リンゴを食べている。
甘酸っぱさと水分が身体に染み渡る。
食事中だというのに、カイは地図を確認していた。
カイも休憩すればいいのに、ハルキはそう声をかけようかとも考えたが、やめた。兄弟を思う気持ちはわかるからだ。
「オイラたちがいるのはこの辺だな」
そういいながら地図を指して、カイは説明する。トレジャータウンから鍾乳洞までの道のりを四分の三進んだところを指差した。
「時間にして、あと一時間ってところかな。ダンジョンを経由してだけど」
やはり、ダンジョンの存在は大きいようだ。
「やっぱり手強いと思うけど」
「ちなみに、迂回したら?」
「三時間くらい」
ハルキは迷わずダンジョン経由ルートを選択する。なんとか、ではあるが、今までも突破してきた。今度も大丈夫だろう。
「なんとかなるだろ」
リンゴを頬張りながら、カイは頷いた。
しかし、口の中のものをごくりと飲み込んで、不機嫌そうな顔でカイは言う。
「でも、一つ気がかりがあるんだよなあ」
「なんだ?」
ハルキは食べながら、その話を聞こうとしていた。
そんなことができないと、まだ知らなかったからだ。
「ハルキさ」
「おう」
「何か大事なこと隠してない?」
驚いて口の中にあったものを吹き出す。
「うわっ、きたねえ」
かからなかったことを密かに喜ぶカイ。
一方のハルキは、まごついていた。
「か、隠し事? 俺がかよ?」
「嘘つけないなあ、ハルキ」
軽く笑い飛ばすカイ。そして、
「言ってくれよ」
真剣な目で、言った。
逃れられない。そう感じた。
「あーわかったよ、降参だ」
蔓を高く上げる。腕を挙げて降参をすることができないためだ。
そこから彼は、信じられないかもしれないが、と前置きをして話し出した。
自分は、たまに何か物に触れると、自分と関係のあるものの未来のようなものが見える。だが何故か、不吉なことしか見えない。そして、それがいつ起きるかはわからないが、近いうちに起きるということも話した。
ハルキがこの話をしているとき、カイは真剣に聞いていた。
そして今朝、見えたものについても言わなければならなかった。
「なんか、俺とカイで洞窟みたいなものに入ってさ。その洞窟の様子をみたカイが、驚きすぎて声も出ないって顔してた。なんでかはわかんなかったけど」
「……それで?」
まだ続きがある。それに気づかれたハルキは言い淀んだ。カイの勘が良いことを、ハルキは恨んだ。
「……そしてその後、何かを見つけて、表情は絶望の色に染まってたんだ」
カイは眉間に皺を寄せる。
「何を見つけたんだ?」
「そこで終わったから、俺は知らねえ」
「そうか……」
俯いた。
ハルキはすぐさまフォローを入れる。
「だ、大丈夫だって! 今ンところは百発百中だけど、どうせまだ二回、今日で三回目だし! 外れるだろ!」
「いや」
だがそのフォローを、カイは否定する。
「オイラも嫌な予感はしてるんだ」
自分の勘が恐ろしく的中することは、自身がよく知っていた。兄にも認められていた。
そして今も、隠し事をしているという勘が的中した。
深く深呼吸をする。
「大丈夫。何があっても、受け入れる準備は整った」
きっとこの様子を、兄やリコ、そしてヒトカゲが見れば、目を白黒させるだろう。
それほどまでに心強い返事だった。
「ありがとな、話してくれて」
カイは確実に、成長したのだ。
だがそれがハルキにわかるわけもない。
「つえーな、お前。俺はそんな風にはなれねーや」
苦笑しつつそう言って、残りのリンゴを平らげるのだった。