第四章 転回【2】
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壁を破壊した先には通路があった。石畳に階段が続いている。あとから壁が付けられたのだろうか、見た限りでは丁寧に作られた丈夫な階段だった。
「よかった……これで上に行けるよ」
ユウがスワンナの上でマダツボミのようにへなへなとしおれていった。
「まだ安心はできないな。アイを助けなきゃだろ」
「アルにしては珍しくいいことを言うね。まずは助けなきゃな」
すぐに方針を決めて五人は部屋を出た。湿っていない床に降りて、階段を照らしながら慎重に上っていく。ウルガモスを戻してシャンデラを出し、先頭はケイが切る。意外にも階段の幅は広くて、シャンデラが腕を広げても問題ないほどだ。
「ここが天井みたいですよ」
登り切ったところでケイが立ち止まった。ケイの頭上には木の板がはまっていて、隙間からわずかに光が漏れている。
「よっし、俺に任せろ」
イオが嬉々とした足取りで後ろから階段を上ってきて、ケイのすぐ横に立つ。
「うおりゃああああ――――!」
派手な掛け声と供に突き上げた右手が、木の板をあっさりとぶっ飛ばした。抵抗があると思っていたらしいイオは、拍子抜けした表情で右手を突き上げたまま固まっている。
柔らかい人工的な光が、五人を出迎えた。
「やぁ、遅かったじゃないか、少年たち」
聞き覚えのある声がした。事の発端は全てこの声の主によるものだった。母親を人質にとったかのような発言でアジトにおびき寄せ、罠に嵌めてアイを人質にとり、それでいてこの尊大な態度を取る。ケースケは自制がきかなくなりそうだった。階段を一つずつ踏みしめて、固まっているイオとケイの横を通って、人工的な光に充ちた部屋に上がる。旧車輌基地とは思えないような内装だ。大きな扉が部屋の入口で、そこから中央を通って部屋の奥まで赤い絨毯が敷かれている。奥は少し高い壇になっていて、その上にある豪奢な椅子に三元院が座っている。まるで謁見の間。城の一室であるかのようだった。
「……嘘なんかつきやがって」
顔が熱い。
「嘘? なんのことだい」
これは挑発だ。落ち着け。挑発だ。挑発なんだ。
「まったく、君たちが勝手に勘違いしただけじゃないか」
挑発――――。
「エテボース!」
奥歯を噛みしめてボールを放った。
「まあ、そんなに熱くならないでくれ」
ケースケが今すぐ攻撃の指示を出してやろうかというところで、三元院は微笑をたたえて指を鳴らしてみせた。頭に上っていた血が思考をぼんやりとさせている。機械が動き出すような音が部屋の中に響いて、冷静になろうとする頭からだんだん血が下がってくる。
「何が起こるんだ」
そう言ったのはアルだ。
ケースケの出てきた入口から四人が出てきていて、部屋の中には五人の子どもたちが揃った。しかし、一人だけ足りない。
「子どもたちが揃うのさ」
三元院は豪奢な椅子に背を預けて、楽しそうに言った。
檀の両端が動いている。壁がずれて、しばらくすると扉が現れ、壇のちょうどいい位置について止まった。扉が開いて、二匹のレパルダスが入ってくる。二匹は息を合わせて互いに歩幅を揃え、間の距離を一定に保ちながら壇の上を歩いてくる。その背には、子どもが乗っている。
「アイ……」
子どもたちはそれぞれの反応を示す。ぐったりとした状態のアイが、二匹のレパルダスの背に乗せられていた。
「安心するといい。彼女は寝ているだけだ」
「何が目的だ」
ケースケが三元院を睨んだ。
「話が早くて助かるよ。じゃあ、こちらも単刀直入に言うとしよう」
二匹のレパルダスが三元院の横でアイを降ろした。
「君たち六人は相当な実力者だ。それを見こんでビジネスの交渉をしたい」
「……交渉じゃなくて脅迫だろ」
小声で言ったものの三元院にもしっかり聞こえたことだろう。しかし三元院は無視して先を続ける。
「君たち一人ずつにサンゲン団の団員を何人か率いてもらうから、それでポケモンセンターを襲撃してほしいのさ。意外とあっさり陥落することは分かっている。同じ日にまとめてやってほしい。分かりやすいだろう?」
「そんなことをして、なんになるっていうんだよ」
「少なくともはイッシュ地方でポケモンセンターの使用ができなくなる」
「はっ、馬鹿だな」
アルが鼻で笑った。
「ポケモンセンターが使えなくなったところでな、回復の手段なんていくらでもあるんだよ。やるだけ無駄だってことが分からないのかよ」
「分かってないのは君たちの方だ。いいかい、ここに人質がいるんだ。君たちは大人しく従うだけでいいのさ」
子どもたちは黙る他なかった。三元院に従わなければ、アイが危険にさらされる。かと言って要求を呑むわけにもいかない。
「とりあえずポケモンをボールに戻してくれないかな」
ケースケが渋々エテボースを戻し、ケイも続いてシャンデラをボールに戻した。
「ふふっ、やっぱり子どもだね」
三元院が笑ったかと思うと次の瞬間には勢いよく大扉が開け放たれた。子どもたちが扉に視線を向けると、何十人もの団員が入ってくる。傍らにはレパルダス、ワルビル、もちろんそれだけじゃない。様々なポケモンが並ぶ。思わず息を呑んだ。
「さぁ、もう一度交渉だ! どうする、子どもたち!」
「くそっ……」
苦虫を噛みつぶしたところで何も起こらない。戦闘で役立つ能力を持っているのはケースケくらいなもので、その能力もポケモンが出ていなければ全く意味がない。
子どもたちは一言も発せなかった。
「だんまりかい? この状況が分かっているのかな」
そう言って三元院は行儀良く座っているレパルダスの頭を撫でる。
「こんなところで人生を終わらせたくないだろう? こんな短い人生なんて嫌だろう?」
――――君たちの人生は、子どものまま終わるのかい?
あれ?
そう口に出したのはケースケ本人かもしれないし、これだけ人が居るのだから他の誰かかもしれない。しかし同時にケースケは内心にひっかかりを覚えた。
どこかで同じような言葉を聞いたことがあった気がするのだ。キーワードは人生だ。君たち、ぼくたち、人生、終わり、すべて、ポケモン。
妙に醒めた思考がぐるぐると答えを探し始める。誰かに答えを求めようとして、ケースケは振り返ってみた。不安げな顔が並ぶ中、ユウだけが目を見開いて全身を震わせている。口を半開きにして、冷や汗がだらだらと流れる。涙がたまり、鼻血が伝っている。崩れそうになるけれど、なんとか堪えて、膝に両手をついて息を荒げ始めた。恐らくユウも同じような感情を抱いたのだろうと思った。何かの引っかかりを感じたのだろうと。
「どうしたんだい? さぁ、答えてもらおうか。ケースケくん」
もちろん三元院がこんなことで待ってくれるはずはない。この場ではアイの命が一番大事に決まっているのだ。本当は最初から答えなんて決まっていた。返事をしようとして口を開く。
「わかった。お前の要求を――」
「待って、ケースケ」
消えてしまいそうなくらい小さな掠れ声が聞こえた。ユウが鼻血を手で拭って、息を整える。
「そんなこと、する必要なんてないよ」
「ははは、まだ分からないのかな。君たちに選択肢なんて、本当は最初からないんだよ」
「ケースケ、みんな、ぼくが合図をしたら手持ちのボールを全部頭上に投げるんだ」
ユウが三元院を無視して小声で話し始めた。残る四人は小さく頷いて耳をすませる。
「何をこそこそしているんだい」
苛立った声で三元院が言う。
「みんなは扉側にいる雑魚を頼むよ」
子どもたちはボールを放る準備をする。
さぁ、
「今だ!」
掛け声を受けて幾つものボールが宙に舞った。赤と白が頭上で回転して、それを見たサンゲン団の団員たちは呆気にとられている。
「何をしているんだ! こっちには人質がいるんだぞ!」
三元院を無視してユウがボールを放ると、出てきたのはスワンナだ。光が形を作り切る前に、スワンナは光を纏いながら一直線にレパルダスへ向かっていく。
「くっ、レパルダス、やってしまえ!」
レパルダスの鋭い爪がアイに振り下ろされる。いきなりの行動に子どもたちは一声も発することが出来なかった。
「当たらない」
誰にも聞こえないくらいのか細い声で、ユウがそう言うのをケースケは確かに聞いていた。その言葉どおり、唐突に命令を受けたレパルダスは無理な体勢を保てずに爪の軌道を逸らしてしまう。そこへスワンナが空気を切り裂いて二匹をまとめて突き飛ばす。ブレイブバードが二匹の腹部に入った。
「よくやった! ユウ! あとは俺たちに任せろ!」
イオが歓喜の声をあげると、動き出した団員たちにポケモンを差し向ける。
「何故、だ……! どうしてこれほどまでの完璧な構図を……!」
三元院が立ち上がってわなないている間に、スワンナがアイを背に乗せて戻ってくる。
「形勢逆転だな!」
ウルガモスに指示を出しつつアルが叫んだ。
「君たちを甘く見すぎていたみたいだ……。撤収するぞ!」
三元院が慌てて団員に指示を出す。しかし、返事はない。
「どなたと撤収するんですか?」
「なっ」三元院が壇上から見渡した光景の中には、何匹もの倒れた味方のポケモンたちがいる。
「よしっ」
エテボースがワルビルを倒した。
「後はお前だけだ、三元院!」
ケースケの声が三元院に突き刺さる。逃げ場があるとしたら、壇の両端にある扉。壇の中央にいる三元院がどちらに行くにしても、逃げている間に攻撃を当てるくらいのことはできる。
「俺たちの勝ちだ。諦めろ、三元院。やったな、ユウ!」
それはほとんどがユウのおかげだった。だからケースケはユウに笑顔を向けたのだ。しかし返ってきた言葉はケースケの想像の範疇ではなかった。
「最初から、こうなることは決まっていたんだ」
ユウの表情からはその感情を読み取ることができなかった。