変わったかたちの石 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/11/09 00:14
- 名前: 天草かける
テーマB:「石」
「駄目だ! こんなのじゃ誰も私の芸術を認めてくれない!」 私はそう叫びながら完成したばかりの画を床に叩きつけた。しかし、無駄に上等なカンバスを買ったせいか壊れることは無かった。 けろりとした顔をするカンバスを見た後、私はため息をついて自分のアトリエを見渡した。 360度、どこを見ても壁に、床に、天井に、ありとあらゆるところに私の『ボツ作品』が飾られてあった。 どの作品も我ながら洗礼されていて芸術的だと思っている。しかし、これら全ては私の先生に認めてもらえなかったものばかりであった。 「君には芸術の才があるんだけどねぇ……。こう、君らしさが無いというか」 新しく出来上がった作品を見せるたびに、先生は顎をさすりながら同じ言葉を繰り返していた。 私らしさとはいったい何なんだ! どれも完璧だと思って提出した作品だというのに、先生は気まずそうな顔をするばかりだ。 私は怒りのままに目の前の絵を踏みつけようとするが、寸前で止めた。 いくらボツでも私が描いた作品には違いない。私はため息をつきながら壁の空いているスペースに無理やりそれを飾った。これで186作品目。どれも世に出していない代物だ。 私は芸術家だ。――といっても、前述のとおり今は先生に教えを乞う素人の素人である。 私の同期のほとんどが先生の元を離れ、有名画家の仲間入りしている。残ったのは私とごく限られた生徒だけだ。 今の先生との波長が合わないのだろうか。私は諦めて別の先生に教えを乞おうと考えたこともあったが、今の先生は私の中で一番尊敬する人物であり、そんな人から認められずに離れていってしまうのはどうにも歯切れが悪い。 絵を学ぶために芸術の都、ヒウンシティへ上京したというのに、ここ数年私はいったい何をしているのだろうか。 「……どうすればいいんだ」 私は思わず心に思ったことを呟いてしまった。 それを聞いた私のポケモン、クルマユは私を心配そうな目で見つめてきた。 「クル……?」 「クルマユ……いや、大丈夫だ。ただ少し落ち込んでいただけさ」 私は気を落ち着かせるためにクルマユの頭を撫でた。クルマユは気持ちよさそうな声で鳴き声を漏らした。 「クル〜」 「……ありがとう、クルマユ。君のおかげで少し気持ちが楽になったよ」 「クル?」 クルマユは不思議そうな顔で私を見つめてきた。これを見るたびに私はこの子をパートナーにして良かったと思う。 私は気を引き締めて、187番目となる作品を描き始めた。 いつか皆に認められる画家になる。その日を信じて。
〆
先生に提出する187品目の作品をどうするか悩んでいる時、友人が久しぶりに私のアトリエにやってきた。 アトリエにやってきた友人は、最初に自分達の周りにある私の作品を見渡した。 「前見たときより、また作品が増えたな。しかもどれも上手じゃねぇか」 「そんなことはないさ。どれも先生からボツを貰った作品さ」 「お互い大変だな」 私たちはこの部屋にいると必ずする会話をした。 彼は私と同期で、先生の元で絵を学んでいる。私が心を許せる、数少ない友人でもある。 そして、彼もまた先生の元から卒業できないでいた。 彼は私とは反対の理由で世に出ることができなかった。 「君は個性的な絵を描くんだけどねぇ……。こう、もう少し基本的なものをというか」 先生の言うとおり、彼の絵は独特である。しかし、とてもじゃないが彼の絵は下手だったのだ。 性格も絵の表現も正反対の私たちだったが、いつしか時々酒を飲むような仲になっていた。 しかし、今回は私のアトリエということでアルコール類は飲まないことにしている。酔っ払って、せっかくの作品を壊したからじゃ後の祭りだからだ。 友人は作品の置いていない床に座り込み、私はその近くにコップを置いた。友人はコップの中身は確認してからそれを少し飲んだ。以前抹茶と間違えて溶かした緑の絵の具を飲んでしまい、それ以来彼はそんなことをしないと私のアトリエで出された物を飲めなくなってしまった。大丈夫だ。私が出したのは確実に麦茶だ。 私達はしばらく苦労話を言い合って互いに互いの愚痴を聞いては零した。話に一区切りして、再び麦茶を口にしていると、友人はふと近くにある棚を見始めた。そこには、昔作った私の彫刻や工芸品が置いてあった。 「――それにしても、お前の作品って色んな物があるな。よく見たら彫刻や陶器まであるし」 「単なる趣味でやったものだよ。今じゃ飽きてそんなことはしていない」 友人は棚に置いてあったそれらを鑑賞し始めた。――なぜだろう。絵ならそれほど思わないが、趣味で作ったものを見られると何だが恥ずかしい気がする。 私の作品を見ている彼は突然眉を顰めて私に質問をした。 「――これも、お前の作品なのか?」 「え?」 友人の言葉に、私は彼が指を示す方向に目を向けた。 指の先にあったのは、棚の隅に置かれていた石ころだった。 どこにでもありそうな、ゴツゴツとした石ころだ。 これを見て、僕はああ、と声を漏らした。 「それは僕の作品じゃないよ。地元の河原で拾ったただの石さ」 「ほぉ、なんでそんなものが棚に置いているんだ。風水か何かか?」 「特に意味は無いさ。ほら、よく見るとクルマユみたいな顔をしているだろ? それが可愛くて可愛くて」 クルマユ――私のパートナーである方のクルマユは自分が呼ばれたのかと思って台所から私たちの様子を伺った。しかし、自分ではないことに気づいたらすぐに昼食のポケモンフードの方に目を戻した。そうか、もう昼なんだな。あとで彼を食事にでも誘おうか。もちろん割り勘で。 「確かにそう見えるな。この石から見ると、お前の地元は川の中流付近にあるんだな」 「よく分かったね。私の町は山のふもとから少し離れた場所にあるんだ」 「石を見れば分かる。上流付近にあった、角ばった石が流されて、下流へ流されていくと角がとれて丸い石になるんだよ」 彼の話を聞いて、私は少し感心しながら頷いた。そういえば小さい頃にそんな話を聞いたような気がする。覚えても豆知識程度にしかならないと思っていたため特に気に留めていなかったが。 友人はクルマユのような形をした石を手にとって、しばらく眺めたあと呟いた。 「――まるで、俺たちみたいな石だよな」 「え?」 彼は私の方へ振り返った。少し明るい顔だが暗い一面も匂わせるような、そんな顔だった。 「ほら、俺たちもさ、色んな波に呑まれて丸くなるんじゃないのかなって思ってさ。どんなに辛い波が来ようとも、もがいていればいつかは角がとれて丸い石になる。――俺たちってさ、今その途中なんじゃないのか」 友人の言葉が不思議と私の心に響いた。言われてみればそうかもしれない。 なるほど、私たちより先に行ってしまった同期は先に丸い石になってしまっただけだということか。 「……つまり、私たちも頑張れば丸い石になれる、ということかい」 「まぁそういうこと」 友人はそう言ったあとその石を元の場所に戻した。 そうだ、私達はまだ変わったかたちの石なんだ。 今は歪な形をしていても、流されていつかは丸くなる。そうなることを夢に見ながら流されればいいんだ、と私はその時思った。
〆
友人が私のアトリエに来てから数週間後、私はたまにはと思って近くの店から新聞を買ってきた。缶詰状態の私は当然社会情勢や世間に疎くなりがちになり、知りたいことすら耳に届かないのがよくあった。 ふむ、トップモデルのカミツレさんがポケモンジムリーダーになったのか。まぁ趣味程度にしかポケモンバトルをしない私にとって関係ない話か。私はそう思って次のページをめくった。
身体が硬直した。
ページを開いた時、見たことのある顔があったためその見出しを見たときに私はゾロアにつままれたような気がした。 見たことある、と思ったのはこの前私のアトリエにやってきた友人の顔だった。 彼の写真とともに新聞にはこう書かれてあった。 【『鬼才の画家現る!』○月×日、ヒウンシティで開催された絵画コンクールにおいて、同所在住のヒューゴさんが金賞を獲得しました。絵の題名は「スワンナの雫」で、審査員は『十年に一人の逸材だ』と好評し……】 ヒューゴとは友人の名前だ。まさかこんな形で彼の名前を見るとは思わなかった。 私の中で、何かが崩れ去った。 まるで彼に裏切られたような、そんな絶望感が重くのしかかった。 たしかに彼はこの前私のアトリエに来た時、コンクールに新作を出すと言っていた。だが、まさか金賞を手に入れるとは思いもしなかった。 彼はどうして金賞までとれるような実力になったのだろうか。私は停止した頭を何とか動かして考えた。そして、ある結論に至った。 簡単なことだ。彼は絵の実力を向上させたのだ。 先生が言っていることが正しければ、彼に足りないものは絵の基本的なもの。つまり、彼はそれを習得することが出来たということか。 それでも私の絵の実力は、彼以上だと思っている。なのに、彼の方が先に世間というライトに浴びてしまった。 もはや私は立ち上がることすら出来なくなった。 私は皆よりも絵が上手だ。それは先生だって言っていた。なのに、皆は私よりも先にプロのアーティストへとスタートダッシュしていったのだ。それだというのに、私はまだスタートダッシュすらしていない。まるで速く走れるのにフライングをしてしまい、失格になってしまった陸上選手みたいじゃないか。 悲しみと怒りにくれる中、私は数週間前に友人が言った言葉を思い出した。
『ほら、俺たちもさ色んな波に呑まれて丸くなるんじゃないのかなって思ってさ。どんなに辛い波が来ようとも、もがいていればいつかは角がとれて丸い石になる。――俺たちって今、その途中なんじゃないのか』
そうか、友人が波にもがいて角がとれてしまった石なんだ。 ああ、私は流れなくなった石なのだろう。きっとどこかで引っかかってしまい、波にもがくこともできず角がとれることが出来なくなった石なのだ。 私は次に、先生がいつも口にする言葉を思い出した。
『君は芸術の才能があるんだけどねぇ……。こう、君らしさが無いというか』
先生の言う自分らしさとはいったい何なんだ! 教えてほしい! 私とはいったいどんな存在だというのかを! 私は自分のことが分からない! 何をしようともしないそこらへんに落ちている石ころとなんら変わらないじゃないか! 私らしさとはいったい何だ! 私はいったい何者なんだ! 私は本当に――
本当に、絵を描きたいのだろうか
その時、私の頭の何かががプッツリと切れる音がした。 そうだ、もう絵なんて描かなくてもいいんだ。いつ絵を描かなければという義務を課せられていたと思っていたのだろうか。 他にもっと道があるに違いない。今の年齢なら雇ってくれる会社がわんさかあるだろう。 私はそう決意して、アトリエにそこいらじゅうにある絵を捨てることにした。芸術を辞めるためにはそうした方がいいと思ったからだ。 描きかけの187番目の作品や、今まで大事に保管していた186枚の絵を処分しているところを見て、クルマユは不安そうな顔をしている。 そんなの知ったことじゃない。これは私が決めたことだ。お前に言われる筋合いはない。 一つ、二つと絵を燃えるゴミ用の袋に詰める私を見て、クルマユはとうとう行動を起こした。 クルマユは口に虫ポケモン特有の糸を作り出し、それを私の顔面めがけて発射した。 突然のことに、私は手に持っていた処分品を落としてしまった。 「……何をするんだ」 私はクルマユを睨みつけた。クルマユは若干怯えながらも何かを訴えかけるような目で見つめていた。 「――もう私は絵をやめるんだ。悪いが邪魔をしないでくれ」 私がそう言うも、クルマユは再び糸を吐いた。私の顔面は糸まみれになった。 「――いいかげんにしろ!」 怒りに震える私はクルマユをひっつかんで玄関の外へ放り投げた。クルマユは悲しそうな目をするが、私はそれに構わずドアを閉めた。 ……これで邪魔者はいなくなった。 私は絵をゴミ袋の中に入れながら、そういえばカンバスは燃えるゴミに入るのだろうかと思ってしまった。しかし、まぁ燃えるのだからいいだろうと思い大小かかわらずそのままぶち込んだ。 あらかたの絵をゴミ袋に入れた後、今度は棚の方を見た。そこには私が趣味で作った工芸品が所狭しと並べられていた。 いっそのことこれらも捨てようか。私はそう思って手を伸ばした時、あるものが目に止まった。 この世に二つとないであろう、変わったかたちをした石。 友人が手にとっていたそれを見て、私はふとあることを思い出した。目の前に、昔の記憶が鮮明に映り込んできた。
私がまだ少年で、クルマユがまだクルミルだった頃、私は生まれ故郷の森で虫ポケモン達と戯れていた。 キャタピーが構ってくれとばかりにすがりついて、コロトックが上手に笛を吹き、アリアドスが綺麗な蜘蛛の巣を作る。アメタマは近くの湖からシャボン玉を吐いてテッカニンそれをヒュンヒュンと割っていった。 私にとって、そこは楽園だった。 様々な虫ポケモン達のようすを見て、触れて、楽しんでいるといつの間にか日が傾いて家の人に怒られることがしばしばあった。 そんな毎日を送っていたそんなある日、学校の図工の時に虫ポケモンを描いたら皆が注目してくれた。 こんなポケモンがいるんだ。凄い。自分もこの子達と遊びたい。 皆が私の絵を見ているところを見た時、当時の私は胸に熱い何かが込み上げてきた。 絵というのは凄い力がある。色々な人に見てもらい、その思いを感じさせることができる。 私はそれから少し経って、絵で虫ポケモンの素晴らしさを伝えようと思うようになった。それは大人になっても変わらなかったことだ。
本格的に絵を勉強しよう。そう思いヒウンシティに上京しようとした前日、私は既に進化したクルマユと共に河原にやって来た。 都会へ行くという好奇心があった反面、私は不安でいっぱいあった。 たしかに、都会にはここにはないものが沢山あるに違いない。だが、その代わりに何かを失うような気がしてならなかった。 もしかしたら、都会に行っている間に自分が変わってしまうかもしれない。自分の夢を忘れてしまうかもしれない。 私が今更行こうか行かないか悩んでいると、クルマユはある石を拾ってきてくれた。 「クルっ」 私は口に加えたそれを貰うと、よく見えるように近づけた。 それは何の変哲もない石だった。ゴツゴツとしており、変わったかたちをしている。見方によってはクルマユにも見えなくはない。 なぜだが、私はそれを持っていきたくなってしまった。もしかしたら、私は変わってしまうかもしれないことに不安があったから、近くに"変わることのない物"を置いておきたかった持っていったのかもしれない。 次の日、私はクルマユとと共にヒウンシティへと向かった。懐に変わったかたちの石を忍ばせながら。
昔のことを思い出したあと、私は近くにあった鏡を見つめた。周りには絵の具が付着していたが、反射する私の目はかろうじて見えた。 そこに写っていたのは、疲れきって光を失くした目だった。 少年の頃、あそこまで輝いていた目はそこには無かった。 そうだ。私は変わってしまったのだ。ただ皆に認められそうな絵だけを描くことに没頭してしまい、大切なことを忘れていた。 私は、ただ絵を描くんじゃない。 私から溢れ出る虫ポケモンの愛を、皆に伝わるような絵を描きたかったのだ。 私は作品の処分を一時中断して床に座り込んだ。果たして、どうすれば皆にそのことを伝えられるのだろうか。忘れかけていた夢を思い出し、私は夢中で考えた。 やはり思いつかない。そう思いかけた時、手にネットリと何かが張り付く感触がした。手を見ると、そこには先ほど追い出したクルマユが吐いた糸があった。顔に付いていたそれは重力に任せて落ちてきたようだ。 どうやら彼に邪魔された後、顔を洗うことを忘れていたらしい。それにしても、なんて丈夫そうな糸なんだろう。これらを集めて固めたらきっといいカンバスになるに違いない。
……
……?
…………!?
私はそこであることに気づいた。 これだ。これならきっと私の虫ポケモンへの愛が皆に伝わるはずだ。 私はそのまま玄関を出て、がむしゃらに走り続けた。 先ほど追い出してしまったクルマユを見つけるために――
私はいつの間にか近くの公園に来ていた。創作意欲が湧かず、リラックスするために、時々クルマユと一緒に来ていたところだ。そこは都会にしては自然でいっぱいだった。辺りにはレディバやガーメイルが飛んでいて、空気が比較的澄んでいる。 誰もいない、静かな公園で私は叫んだ。 「クルマユ! いるのなら聞いてくれ! 私が悪かった! だからすぐに戻ってきてくれないか!」 遠くのビルに反射して、私の声が返って来た。しかし、クルマユが出てくる気配がない。それどころか近くにいたポケモンすら私の声に驚いてどこかへ行ってしまった。 私はそのまま膝を折り、頭を地に付けた。どうせ周りに見ている人はいないが、もしいたら何もないところで土下座をしている変態としか思われないだろう。 「この通りだ! 私はようやく思い出したんだ! どうして私は芸術家を目指していたのか。どうしてあの石を近くに置いていたのかを! 私は都会に行くことで自分が変わってしまうんじゃないのかと怖がっていた! そして、私は変わったことすら気づいていなかった、 だけど、あの石を見て思い出したんだ! 私は虫ポケモンを愛している! それをみんなに伝えたいがために絵を学んでいたということを! だから頼む! 私の夢のためにお前も協力してくほしい!」 実に横暴だと私でも思った。そんなことを言っても誰もはいとは言わないだろう。 ――しかし、私の頭に誰かがさすっている気配を感じた。私は顔を前に向けた。クルマユがいた。 「クルー」 「クルマユ……私についてきてくれのか?」 「クルッ」 クルマユの元気な声に、私は目に熱い物を感じた。それをクルマユに見せないように私は彼を抱きしめた。クルマユは突然のことに動揺していた。それでも私は抱きしめることを止めなかった。 クルマユのためにも頑張るんだ。 私と彼とならきっとやれる。 たとえ売れなくてもいい。ただ、一人でも私の愛が伝わればいいんだ。 誰のためでもない、私にとっての最高作品を作ってやる。そう天に誓った。
〆
「これだよ! まさにこれだ! これこそ君らしい作品なんだよ!」 数週間後、私は久しぶりに先生からお褒めの言葉を頂いた。周りにいる後輩もどやどやと私の作品を見ていた。 彼らの目の前にあったのは無骨なカンバスだった。 クルマユの糸を丹念に折りたたみ、乾かしてとても頑丈なカンバスを作り上げた。 その上には虫ポケモンの体液から採取した自然の色が塗りたくられている。どこにも売られていないような、独特な色を表現していた。 カンバスに描かれていたのは一匹のクルマユだった。しかし、クルマユにしてはゴツゴツとしており、色も若干暗かった。 作品のタイトルは『変わったかたちの石』。無論、これは私が持っている石を表現して作った作品である。 自分にとって最高だと思う出来だった。それを皆に認めて貰えることはとても嬉しかった。 友人は流れることで自分達は丸くなると言っていたが、私は違う。 私は尖っていた頃を自分を見つめ直し、これを作り上げたのだ。 そういえばあの記事を見てから、彼とは連絡をとっていないな。 彼のことだ。賞を取った喜びの反面、私への後ろめたさから敢えて連絡しなかったのかもしれない。今度お祝いも兼ねて飲みに誘おうか。もちろん、賞金を手にしただろう彼持ちで。 「それにしても、突然どうしてこんな作品を作れたのだい? 何かきっかけでもあったのかい」 先生がそう質問するため、私は平然とした顔で答えた。 「見つめ直しただけですよ。尖っていた頃の自分を」 「? ――まぁとにかく、やっと君も芸術家へのスタートを切り出したというわけだね。アーティ君」 先生の言葉に、私は自然と微笑んだ。 先生としばらく談笑しながら、私は今度どんな作品をクルマユと一緒に作ろうかと胸を踊らせていた。
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御影の意志 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/11/09 20:46
- 名前: みそ汁
- テーマB 「石」
「おーい、父さーん。」 「ん? おお、ヒョウタじゃないか。どうした? お前が自分からこっちへ来るなんて。」 「実はこの前地下通路で不思議な石を掘り当てたんだ。だけど、この石が一体何なのかわからないんだ。父さんならもしかしたらって思ったんだけど。」 「どれ、見せてみろ。」 「持ち上げるなら気をつけてね、なぜかは知らないけどこの大きさにしてはかなり重いんだ。」 「おっ!? 随分重いな……。こんな密度の石なんてあったか?」 「体積が大体6280センチで、重さが86キロ、86000グラムになるから、密度は……13以上だね。水銀と同じくらい。はっきり言ってこんなことありえないよ。」 「……むぅ、進化の石ではないみたいだし、化石とも違う。ポケモンに持たせるものでもなさそうだな……。だからと言ってただの石でもなさそうだが。」 「うん。こんなにしっかりした模様が入っているんだもの、なにか特別な石としか思えないよ。」 「成分の分析とかはしたのか?」 「してないよ。でもなんとなく、この模様はただ成分の違いからなるものだとは思えないんだ。証拠も何もないけど。」 「ふむ……。この模様、どこかで見たことがある気がするな。」 「ミオの図書館じゃないかな。あそこなら何があってもおかしくないし。」 「いや、図書館にもあるかもしれないが俺が見たのはそれじゃない。俺は図書館にはほとんど行かないし、行って見ていたとしても忘れているだろうからな。」 「ミオシティのジムリーダーなんだからそのへんはしっかりしなよ……。」 「今は別にいいだろ。ナタネだって自分じゃ森の洋館の管理なんてできんだろう。それよりもこの石だ。俺が図書館で見てないとすると一体どこで見たのか。それが検討もつかんのだ。」 「父さんは記憶力があんまり良くないからね。覚えてなくても仕方ないよ。」 「……で、この石、どのあたりで見つけた?」 「地下通路の、たしかノモセとズイの間辺りかな。何番道路だったかな?」 「209番道路だ。あの辺りにはこれといったものは……いや、ロストタワーがあるか。」 「ほとんど関係なさそうだけどね。」 「他はなにかないか?」 「思い当たらないけど……自転車で行ったり来たりする人をよく見るくらいかな。」 「ズイの遺跡は少し遠いから関係を見出すのは難しいか……。」
「あら、トウガンさんにヒョウタくん! こんなところで一体何をしてるんですか?」 「あ、シロナさん。お久しぶりです。」 「久しぶりね。ヒョウタくんがミオにいるなんて珍しいわね。」 「なんだ? 図書館で調べものでもしてたか?」 「はい、おかげさまで必要な情報は揃いました。せっかくミオまできたので少しでもトウガンさんに顔を出していこうかなーと思って立ち寄りました。」 「例なら館長に言ってくれ。俺は何もしてない。ちょうどいい、この石について話していたんだが、なんだかわからないか?」 「これは、かなめいしですね。」 「かなめいし?」 「ええ。重さはどのくらい?」 「昨日計った時には86キロでした。」 「そっか、だいぶ重くなってるのね……。」 「シロナ、あんただけで納得されても困るんだ。一体この石はなんなんだ?」 「これはかなめいし。怨念を集めると言われる石です。」 「怨念?」 「はい。死してなお現世に残り続ける魂を引き寄せ、それを吸収すると言われています。」 「だいぶ重くなっている、というのは?」 「かなめいしが吸収する魂は108個と言われていて、魂ひとつにつき大体1キロ重くなるらしいの。だから、86キロなら86個の魂を溜め込んでいるということよ。魂によって大きさは異なるから多少重かったり軽かったりはするけどね。」 「108個たまったらどうなるんだ?」 「それでも他の魂を引き寄せつづけて、吸収しきれない分の魂はどこへ行くこともできずその周りをうろうろしています。それで、飾っておいたりすると重くなりすぎて床が変形したり、幽霊を見るようになったりするので、呪いの石だと言われていました。」 「ほう。言われていた、というのはなぜ過去形なんだ?」 「それを説明するには少し昔話をすることになりますが?」 「構いませんよ。」 「はい。 昔、108の魂を吸い、呪いの石とされたかなめいしが神凪の地にありました。 その石はたくさんの人に忌み嫌われ、たくさんの地をまわり、たくさんの魂を引き連れていました。 そこでとある一人の祈祷師がなんとかお祓いをしようとその石を引き受けました。 祈祷師は自分の知っているお祓いをすべて試しましたが、効果はありませんでした。 あるとき旅人が祈祷師に、南東に不思議な塔があると伝えました。 祈祷師はそこへその石を運んで行きました。 その塔にはくぼみがあり、見てみると、ちょうどかなめいしが入る大きさでした。 祈祷師はかなめいしを入れ、浄化するように祈りました。 するとかなめいしがポケモンになったのです。 祈祷師はそのポケモンを退治し、呪いを解きました。 そのあとはかなめいしも残らず、ただの石の塔に戻りました。 人々はその塔をみたまのとうと呼ぶようになりました。 ここまでが昔話です。みたまのとうは今も209番道路にありますよ。」 「そのポケモンと言うのは何なんですか?」 「ミカルゲのことよ。」 「ああそうだ! ミカルゲの石の模様と同じなんだ! やっと思い出した。」 「なるほど、言われてみれば確かにそうですね。」 「今でもみたまのとうに魂の溜まりきったかなめいしをはめるとミカルゲが出てきますよ。そのままにしておくと何が起こるかわからないので、カンナギの巫女さんの所へ持って行ってみてはどうでしょうか。きっと安全に処理してもらえますよ。」 「しかし随分詳しいな。うちの図書館にはその話の書いた本もあるのか? よく覚えていないんだ。」 「ミオの図書館にもあったと思いますよ? 目立たない場所に置かれているので知らない人がほとんどだと思いますけどね。」 「図書館に入ってくる本はひと通り読んでいるはずなんだがな……。」 「そういえばシロナさんはカンナギの出身でしたよね。」 「ええ、そのせいもあって子供の頃巫女の修行をやらされて、ちょっとした占いくらいならできるようになったんだけど、あんまりいい思い出じゃないわ。」 「ならシロナにその石頼めばいいんじゃないか?」 「そうですね。」 「あ、いや。私は巫女の資格持ってないから……。」 「おっと、もうこんな時間か。じゃあ俺はこうてつじまに行くから、あとは知らん。」 「いってらっしゃい、父さん。」 「いってきます。」
「それで、その石はどうするの?」 「シロナさんには頼めませんか?」 「私じゃお祓いもできないし、はっきり言ってどうしようもないわ。」 「じゃあやっぱりカンナギまで持っていったほうがいいですかね……。」 「それもひとつの選択肢ね。でも、ひとついいかしら。」 「なんですか?」 「かなめいしは意思を持つ石なの。人を選ぶのよ。自分に合う人間を探して、その人間の前に突然どこからともなく現れる。あなたは彼女に選ばれた。それを考えて行動を決めて欲しいの。」 「彼女?」 「え? ああ、そのミカルゲ、メスよ。」 「ミカルゲって性別があるんですか!?」 「知らなかったの? ちなみに私のミカルゲもメスなの。」 「へぇ……。それで、人を選ぶというのは?」 「言ったでしょう? かなめいしは魂の集合体。命として存在していなくても心が生まれてしまう。」 「そうか……。じゃあ、ミカルゲとして命を持つとどうなるんですか?」 「かなめいしが少しずつ怨念を浄化していき、やがては無に帰るわ。」 「えっ? それならシロナさんのミカルゲはどうして存在しているんですか?」 「ミカルゲは自分の最高のパートナーを見つけると、そのパートナーの魂の一部ごくわずかな量を吸収するの。そうすることで浄化されない魂を作り上げ、命を留める。もちろんパートナーが死ぬとミカルゲもいなくなるけど、逆に言えばパートナーが死なない限りはミカルゲも生き続けるの。」 「へぇ……。パートナーがいない場合はどうなるんですか?」 「何もせずとも浄化は進むけど、浄化の速度は戦いによって加速するわ。周りに好戦的なポケモンが多いとすぐに浄化されてしまう。温厚なものが多ければ消えるまでに時間がかかる。場合によっては生まれて数時間で消えるものもいれば、数年経っても生きているものもいるわ。それと、かなめいしは取り込んでいない周りにある魂も浄化するから、怨念の多い土地にいるものはなかなか消えないわ。」 「……それで、どうするべきなんでしょうか。」 「選択肢ならいくつかあるわ。カンナギに持って行くもよし、みたまのとうに持って行って、戦って倒せば浄化も出来るし、捕まえれば多分あなたのパートナーになってくれると思うわ。あなたがどうしたいか、よく考えることね。」 「…………。」 「……私は、かなめいしを自分で探して、やっとの思いで見つけて、彼女を目覚めさせた。私はなかなか彼女に認められなくて、随分と四苦八苦していたわ。バトルではさっぱり言うことは聞いてくれないし、すぐにどこかへ行っちゃうし……。かなめいしに選ばれる人間はごくわずかなの。あなたはその一人だから、よく考えて欲しいの。」 「と、言われましても。」 「もちろん、それをどうするかはあなたの勝手だけど、私から見れば羨ましいくらいだもの。後悔はしないようにしてほしいの。……なんだかこの言い方じゃ強制してるみたいね。」 「……僕は……。」 「別に、今すぐに答えを出す必要はないし、それを私に教える必要もない。ごめんなさい、迷わせるようなこと言って。私はそろそろ行くわ。その石はあなたの自由に決めて。私が決めていいことでもないし。」 「でも。」 「それじゃあね!」 「あっ、シロナさん! ――行っちゃった……。」
「結局どうしよう……。」 『おね……わた……め………せ…』 「――? 今のは?」 『おねが……たし……ざめさ……』 「まさかこの石が……?」 『お……い……しを………さ…て』 「声を聞かせてくれ! 君の気持ちを!」 『おねがいわたしをめざめさせて』 「……わかった。君の望みを叶えよう。時が来たら君をみたまのとうへ持っていき、君を捕まえてみせる。それでいいかい?」 『はい』 「じゃあ、君のことはしばらく倉庫にでもしまうことになると思う。魂がいっぱいになるその時までだ。」 『わかっています』 「最後に一つ、いいかな?」 『なんでしょうか』 「君は、目覚めたあとの君は、ずっと僕についてきてくれるかい?」 『もちろんです』
「大体、一ヶ月くらい前かな? 君と話をしたのは。 今では君は完全なポケモンになって、僕には君の言葉がわからない。 それでも、気持ちはわかる。きっと、前に話した時と変わらない気持ちで、きっと、ずっと僕についてきてくれる。 僕は、君にミカゲという名前をつけようと思う。 あまりひねりもなくて、他の誰かが同じ名前を付けているかもしれない。 でも、きっと、君はそんな名前を気に入っている。 だって、君は今とても嬉しそうだ。僕も嬉しいよ。 こんな運命みたいな出会いをしたんだ。これから、きっと、君とはずいぶん長い付き合いになる。 だから、僕が君の最高のパートナーになってみせるよ。」
「よろしくね! ミカゲ!」
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メビウスの歌 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/11/10 21:28
- 名前: moon
- テーマ:輪
男は長い間、膝をついて慟哭していた。 低く、地の底にまで届くようなうなり声だった。絶望のすべてを、その大きな背にかつぎ込んだようなうめき声だった。 どれくらいの間そうしていたのかわからなかった。だがある時、男は背後に気配を感じ、ゆっくりと振り返った。 細身の人間が、ゆらりと佇んでた。男がしばらくぶりに見る生きた者だった。彼の背後には黒い人型の獣が、主人と同じようにゆらりと佇んでいた。男はその獣の名前がわからなかった。 彼は言った。
――私は吟遊詩人です。通りすがりに、悲しげなあなたの声を聞いてこちらへ参りました。あなたはなぜ、そんなにも悲しんでいるのでしょう。 男は答えた。 ――私はすべてを失った。いや、すべてを消してしまった。かつて美しかったこの地も。その上に立つ生命も。そして、愛する者も去り二度と会えなくなった。 詩人は男の言葉を受け、彼らの目の前に広がる広大な大地を見すえた。広がるのは地平線の果てまで続く焼け野ばらと、灰と、曇天であった。 詩人は男へ微笑みながら再び言った。 ――ああ、なんと美しい景色でしょう! 男の心に衝撃が走った。思わず涙を流すことをやめ、立ち上がり詩人に迫る。 ――いったいこの景色のどこが美しいというのか! 生きたのは自分だけ、ほかには何も残されていないこの地の、何が美しいというのか! ――それでも、この景色は美しい。きっとこの子も同じ気持ちでしょう。 詩人はあくまでも柔らかな笑みを崩さなかった。そして、一緒につれている黒い人型の獣へ視線を寄越すと、獣は小さくうなずいた。 ――この子は星の動きから未来を視ることができるのです。この子がこの景色を美しいと言っているということは、かつてこの地は豊かな緑と花々が咲き誇るそれは美しい場所であり、そしてこれからもまた新たな生命を宿し、再びこの地に美しさを取り戻すということなのでしょう。なので、その再生の瞬間であるこの景観は、とても美しいものなのです。 吟遊詩人は文字通り歌うように男へ言います。しかし男はその場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。 ――この地がかつての美しさを取り戻せるはずがない。自分の手で壊してしまったのだ。だからわかる。ここは不毛の大地となってしまったのだ。草木など生えぬ。草木が生えねば獣も人も生まれぬ。二度と。 吟遊詩人は男から、深い絶望と、怒りが静まった後の深い悲しみを感じ取った。今の状態の男には、何を言っても無駄なのかもしれないと思った。だが、それでも詩人は歌うように言葉を紡ぎ続けた。 ――あなたは、メビウスというものをご存じでしょうか。 男は放心したまま首を横に振った。 ――メビウスというのは一つの輪。出発点から歩きだしても、一周すると再び々場所へ戻ってくるのです。果てを知らずに巡っては同じ場所へ立ち戻り、そしてまた巡る。 詩人は懐から竪琴を取り出し、美しい音色を奏で始めた。 ――この世の万物はすべてメビウスの支配下にあるのです。たとえば旅路。たとえば人生。たとえば歴史。例えば出会いと別れ。たとえば、生死。旅にでればかいつか必ず家路につきます。人生には回顧がつきものです。歴史は繰り返されるとよく言いますし、別れた者とはいつか邂逅します。 ――私はたくさんの命を奪いすぎた。失った命は二度と戻ってはこまい……。 ――全ての命は輪廻転生します。生命というものは生まれては死ぬことを繰り返すのです。死というのは、巡り巡る人生の一つの幕が閉じただけのことなのです。 詩人は男の肩に手を置いた。 ――そう、あなたの過ちは許されないものかもしれませんが、なにもあまりに悲観すべきことではないのですよ。 詩人は不毛の大地を踏みしめ、手を広げた。 ――そう、幸と不幸が代わる代わる訪れるように! 四季が変わりゆくように! 雨水が川となり海となり再び雨雲になるように! すべては巡り巡って、再び彼の元へ戻ってくるのです! ――愛する者も……。 男はすがるような目で詩人を見上げ、細くつぶやいた。 ――愛する者も、私の元へいつか戻ってくるのだろうか……? ――ええ。いつか、必ず。 曇天に一筋の光が射した。奇しくもそれは男の心を鏡で映したかのような光であった。 ――この世はすべてメビウスの輪の上。あなたが愛する者との再会を願うのなら、その思いは巡り巡って、再び彼の元へ愛する者を誘うことでしょう。そう、あとはその輪の上で立ち止まり、愛する者が出発点へ戻ってくるのを待つか。あるいはみずからが動き、愛する者のいる到着点へと赴くか。それは、あなたの自由なのです。 ――待つか……。動くか……。 男は立ち上がった。曇天はすでに視界の外へと引き上げはじめ、太陽が燦々と灰色の地を照らし始めていた。 ――ああ、美しい。 詩人は目を細めた。 ――この風、この大地、この景色。この土地こそが、カロスと名乗るにふさわしい場所なのでしょう。 詩人はそう言って竪琴で奏でていた曲の最後の一音を鳴らした。
これは、とある旅の詩人が残した、とても古い歌。
それから、長い長い年が流れた。
時代はめまぐるしく変わった。数え切れない生と死が繰り返された。
そして、輪の上を歩き続けた一人の男は、到着点にたどり着いた。
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ミラクル☆サイクル ( No.4 ) |
- 日時: 2013/11/16 15:42
- 名前: みそ汁
- テーマA 「輪」
「この店ももうダメかねぇ……。」 ハナダシティ、町外れ。 おそらく元は派手に塗られていたであろう煤けた楕円形の看板には、大きく『ミラクルサイクル』と書かれている。 『最高の品質をお届け、ミラクルサイクル本店。』そう書かれていたはずの張り紙もいつの間にか剥がれ、テープだけがへばりついていた。 店内には数台の自転車が端に寄せられている。カウンターの上には何もなく、開いたままの引き出しの中に古ぼけた引換券があった。 「あの子も今はもうチャンピオンなんだっけね。思えばここまで繁盛したのもあの子のおかげだもんね。もう4年前になるかね……。そういえばあの子が来た時期、あの頃が一番つらかったからなあ。100万なんて出せるはずもないのに、どこからか引換券を持ってきて……。」
まだ綺麗だった看板が寂れた町外れで一際輝いて見えたあの頃。 歩いている人はほとんど見かけず、いてもこんな店に興味などわかないだろう。看板だけ派手派手で外壁は質素というよりも貧相な古い薄茶色。あの頃から外壁の一部が剥がれたりひび割れたり、はっきり言ってボロい家だった。看板に目がいってもこんな店に入ろうとは思わない。 そんな店に入ってくる少年が一人。 「……すみません、自転車、ありますか?」 ジム巡りでもしているのだろうか。正直、金なんか出せそうもない子供だった。 ――追っ払ってやろうか、いや、どうせ珍しく客が来たんだ。店らしく応対くらいはしないと。 「自転車ならあるけど……一台100万円だよ。君、出せるかい?」 張り紙の通り、最高の品質を追求しているこの店では、一台このくらいの値段でなきゃやっていけないのである。その上その頃は特に景気が悪く、こんな値段になっても仕方のないことなのだ。 ただし、最高の品質を追求しているこの店の自転車は、座り心地、強度、パンク対策、ハンドリング、ブレーキ性能、ライト明度、ペダルの回しやすさ、防犯。何もかもが間違いなく最高であった。 それにしても、100万などという数字を出されては、他のそこそこな性能の安い自転車を買って当然なのである。 少年は目を剥いて、驚いて声も出ないようだった。 「やっぱり払えないよね……。それでもこっちは一円も負けてやれないんだ。引換券でもあれば話は別だけど……ないでしょ? ごめんね、悪いけど……そこにいられても困るからさ……。」 無口な少年は小さく頷いて店から出ていった。
その数日後、少年が帰ってきたのである。 しかもその手には引換券、それはいつだったかどこかのくじの一等の商品になったものだった。 「これで。」 少年はそれだけ言って引換券を突き出す。 ――まさか、本当に持ってくるとは。 引換券を受け取り、間違いがないことを確認する。どうやら本物のようだ。 少年はこちらを見ている。表情があまり変わらないのでわかりにくいが、おそらく得意げな顔で。 「いやー……こいつはびっくりだ。ホントに持ってきちゃうなんてね。わかったよそれじゃあ、その中から好きなの一つ選んで、もって行っていいよ。」 その方が自転車も喜ぶだろう。こんな狭い部屋の中でただ待っているより、外を駆け回った方がきっと楽しい。 少年はすべての自転車をゆっくり見て回り、大分悩んだ末に、ひとつの自転車に手を置き、こちらを向いた。 「……それでいいかい?」 少年は小さく頷く。 ズボンのポケットから対応した鍵を取り出す。 「うん。それじゃあ、これがその自転車の鍵だ。なくさないようにね。うちの自転車の品質は最高だからね。きっと君の旅にも役立つ。保証は5年だよ。えーと、じゃあ、お買い求め、ありがとうございました。今後とも、ミラクルサイクルをご贔屓に!」
それから1年経たないくらい、その少年がロケット団とかいう組織をたった一人で潰したそうだ。ハナダでも事件はあったらしいが、こんな町外れの小さな店には関係のないこった。 ロケット団を壊滅させた少年が自転車をカッコよく乗り回してくれたおかげで自転車ブーム。もちろんミラクルサイクルも大繁盛。少年のおかげで店を盛り上げることができた。
「しかし、あの時コガネ支店を出してなかったらどうなってたんだろうねぇ……。」
自転車ブームはさらに広がり、遂にはシロガネ山を越えてジョウトまで伝わった。 それで調子に乗ってコガネにミラクルサイクルの支店を出した。 するとどうだろう。ハナダ本店より明らかにコガネ支店の方が売れ行きが良いのだ。 もちろん支店の収入の一部はこちらにも回ってくるが、流石にこちらの収入は減った。 またロケット団が現れたとか言ってた事もあったが、こちとら生活がいっぱいいっぱいでそんなこと知ったこっちゃなく、ほとんど何も知らないままに事件も解決した。かと言ってこっちの生活の問題は一向に解決しそうにない。
「今月の収入は です。……そっちは大丈夫ですか?」 電話越しでも心配しているのがわかる。というか、本店よりも売れているせいで申し訳ないのだろう。 「大丈夫……とはちょっと言えない状況だね……。」 控えめに、しかし正直に、そう告げる。 「送る量を少し増やしましょうか? こちらは大丈夫なので……。」 普段なら『失礼な、僕はそんなにヤワな男じゃないよ。』とでも言って拒絶しているだろうが、今は変にプライドを持っているわけにも行かない状況。お言葉に甘えるしかないのだ。 「そうしてもらえるなら……そうしてもらいたいけどね。あんまりこっちも意地張ってるわけにもいかないし……。」 「わかりました、じゃあどれくらい増やせばいいですかね?」 「そうだね…… 円くらいにしてもらえると、助かるんだけど……流石に増やし過ぎかね。」 「いえ。大丈夫ですよ。 円ですね。明日までには送れると思います。それでは失礼します。」 そう言って電話は切れた。
コガネから送られてくるお金での生活が染み付いてきた頃、気がつくとあの少年と会ってからはや4年。 「懐かしいなぁ……。レッド君、今頃どうしてるのかな。」 なんでも、チャンピオンの座を捨てたあと、シロガネ山に山篭りしていると聞いた。全くすごい子だ。 「どうしようかなぁ、この店。いっそコガネの方を本店にして、なんか別の店を始めるとか……。」 ブツブツと小さな声で色々と考える。それはだんだんと小さくなって、頭の中だけで考え始めた。 ――この店から自転車を抜いたら何が残る? ……空気入れくらいか? ならいっそのこと浮き輪屋でも始めるか? 海は近いし、需要はないわけじゃない、はず。 不意に、ドアが開いた。 「いらっしゃいませ!」 反射的にそう叫ぶが、カウンターに突っ伏していたのは間違いなく見られていたはずだ。なんたる失態。 その客はどこか見覚えがあった。赤い帽子、赤い服、そして、赤い自転車を持っていた。 「……パンクを……直しに……。」 その姿は、その声は。間違いなくあの少年、レッドだった。 突然の出来事に戸惑っていたためかその声だけを聞き、言葉を理解できなかった為、すぐに動き出すことはできなかった。数秒の空白をおいてから、やっと口が動き出した。 「前輪? それとも後輪?」 「後輪。」 「わかった。」 ミラクルサイクルの自転車の保証期間は5年、そんな長い期間を設けても修理の依頼が来ることは滅多にない。それだけ頑丈に作られているのだから当然だ。 少年の自転車はひどく傷んでいた。無理もない。きっとシロガネ山のゴツゴツとした岩肌を跳ね回り、深い雪を踏みつけてきたのだろう。ペダルの緩み方、ハンドルの色、そしてタイヤの傷、見る限りでは、どうやらとんでもない使い方をしていたようだ。雪の上では乗るなと書いてあるのに。 後輪のパンクは確かにあった。小さな穴があいていた。だが、それ以前にタイヤは傷だらけだった。一度目のパンクでチューブを取り替えるなど、普通ではありえないことだが、これだけの傷をつけられて交換しないわけにもいかない。前輪もパンクこそしていないが、傷だらけなのは後輪と同じだった。 「これはちょっと時間がかかりそうだね。きっと君も久しぶりに街へ降りてきたんだろう? 待たせるのも嫌だし、この4年で変わった街の様子でも見てきたらどうかな?」 レッド君は小さく頷いて店から出ていった。 店の奥から真新しいチューブを二本、他にも研磨剤やスパナなど、色々な工具を持っていく。別に頼まれたわけでもないのに、自転車全体をきれいにするつもりだった。 タイヤのチューブを付け替え、緩んだペダルを締め、傷だらけのボディを磨き、剥がれた塗装を塗り直し……。小一時間程度で修理は終わった。質のいいミラクルサイクルの自転車は、傷のつき方も浅く、修理が比較的楽だった。 その自転車は新品と見紛うほど綺麗になった。 ちょうど、レッド君が帰ってきた。 「お、ちょうどいいところに来たね。今終わったところだよ。」 表情の薄い彼だが、流石にこれには驚いたらしく、目を少し見開いた。自転車に近寄り、じっくりとその姿を見る。新品と取り替えられたとでも思ったのだろうか、今まで傷があった場所を指でなぞったりして確認していた。 そして、前輪の付け根の傷跡に気づいたようだ。そこの傷はどうやらわざ――おそらく彼のピカチュウのアイアンテールで付けられたようで、とても深く、隠すことができなかった。その傷を見て、その自転車が自分の愛用していたものだと確信したらしい。彼は立ち上がり、一言、こう言った。 「ありがとうございました。」 「どういたしまして。」 やはり、こう返すのが一番だろう。 彼はおもむろに財布を取り出す。 「お? 保証期間はまだ過ぎてないからタダでいいよ?」 そう言ったが彼はお金を差し出す手を止めない。5000円を突き出し、こう言った。 「チップです。」
ハナダシティ、町外れ。 二つの輪が転がっていった。 赤い少年を見送る中年の男が、大きく伸びをして、看板を見上げた。 おそらく元は派手に塗られていたであろう煤けた楕円形の看板は、夕日に照らされて見事な橙に染まっていた。 『最高の品質をお届け、ミラクルサイクル本店。』そう書かれた張り紙を店内から取り出し、薄茶色の外壁に張り付けた。 ――今ミラクルサイクルの自転車に乗っている誰かのためにも、この店をやめるわけにはいかない。浮き輪屋なんて冗談じゃない。それに、こっちは支店と違って、品質に妥協はしない。レッド君のような無茶をしたって4年も使えたんだ。丈夫さじゃ誰にも負けない。それを売りにして戦ってやる。そしてミラクルサイクルを最高の自転車屋にしてやる。 男はチップにしては多すぎる5000円をしっかりと鍵付きの棚にしまう。
「……とりあえず、看板でも塗り直すか!」
ミラクル☆サイクル ミラクル☆サイクル ミラクル☆サイクル みんなで来てね ポケットに入るミラクル スピードたった2倍 さぁ行こう このサイクルで 最高の 自転車を 軽快な音楽とともに自転車を漕ぐ少年の姿が画面に映し出された。 「ミラクルサイクル、ハナダ本店。お電話はこちらまで!」
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結果発表 ( No.5 ) |
- 日時: 2013/12/06 21:17
- 名前: 企画者
- ◆結果発表◆
(敬称略)
☆1位 【B】変わったかたちの石 9pt/天草かける 内訳:2+1+1+2+2+1
☆2位 【A】ミラクル☆サイクル 6pt/みそ汁 内訳:1+1+1+2+1
☆3位 【A】メビウスの歌 3pt/moon 内訳:1+2
☆4位 【B】御影の意志 0pt/みそ汁
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