ばいばい、 ( No.1 ) |
- 日時: 2011/04/30 13:16
- 名前: ¥0
- Bコース
遠くの方から、僕の名前を呼ぶ小さな声が聞こえる。 気のせいだったのかもしれない。あまりに小さな声だったから。けれど僕はその声に引かれるように空を泳ぐ。太陽がまばゆく光り、空はこれ以上無い程鮮やかに青い。どこまでも突きぬけていきそうだ。爽やかで、心を強く叩くその青の下を僕は真っ直ぐ飛んでいく。嗚呼、何と気持ちの良い飛行だろうか。飛ぶことで風を受けるこの感覚は慣れたものだが、いつもより冷たく身体中に少し痛いほど突き刺さる。それがなんとも心地良い。こんな高い位置で僕は未だかつて飛んだことがない。何しろ辺りに散っている真っ白い雲さえ掴めてしまいそうな高さなのだ。下に視線を落としてみると、世界の小ささに感嘆の溜息すら零れそうになる。気分は膨らみ高揚し、少しだけくるりと回ってみたりしながら、方向は変えずに突き進んだ。 こんな上空に僕以外の誰かがいるはずもなく、少し身体を前に傾けて下降体勢に入る。 また耳に一つ紡がれた声が聞こえてきた。――いや、声じゃない。これは音だ、鐘の音だ。静寂の広がる中で遠方の空にまで突き抜ける、優しく強く洗練された音。幾度も幾度も鳴り響き、その度に僕の心は静かに洗われる。遥かなる空に心が躍ったが、それをそっと撫でるように静めていく。初めて聞いた音なのにどこか懐かしく胸が締め付けられる。 少し目下の景色が細やかに分かるようになってきた頃、一際高い真っ白な塔が目に止まった。それこそ空に突き抜けんばかりの高さだ。一層大きくなる音を耳に入れる。間違いない、音はあの塔からやってきてる。そうと分かった途端に僕は大きく広げていた翼を少し畳んでスピードをあげる。受ける風が一層強くなる。 更に塔に近づく。塔の上に視線を向けてみると、そこに誰かいることがようやく確認できた。女の子がいる。その正面にある鐘を鳴らしている。 あの女の子は僕の知っている人だ。根拠は無いけど反射的に分かった。鐘がまた一つ鳴る。一層分厚い波動となって音は僕にかかり、世界中の隅まで届けとばかりに響き渡る。 僕はだんだんとブレーキをかけていき、そのうちに停止する。ぎりぎり女の子の様子が分かるほどの距離がある。そして鐘の創り出す世界に浸り彼女の表情を上空から伺おうとする。けれど彼女は俯いていて顔色など全く分からない。僕は気になって更に近づく。あっという間に飛んでいき、一分もしないうちに彼女の隣にまでやってきていた。ゆっくりと羽ばたいて床に久々に足を下ろすと、改めて彼女の顔を見た。瞬間、僕は息を呑んだ。 涙が一滴二滴と頬から零れ落ちている。 大きな目は充血していて、鼻水も少しだけ覗いている。けれど僕の存在にまるで気付いていないのか、気にする様子は全く無い。拭こうともせずに嗚咽を数回しゃくりあげる。ショートカットの黒色の髪は少し強い風に流れる。青を基調とした軽やかな服装は爽やかだけれど、元気娘を彷彿させるような見た目とは裏腹になんと暗く哀しい表情をしているのだろう。 僕は彼女の少しずつ変わる皺の動きさえも目に焼き付けんとばかりに凝視していた。その時、ふっと脳裏に記憶が走り込んでくる。僕の物心がついた頃から今の瞬間までの道がモノクロでまず甦り、すぐに一気に朝日に照らされたように色づいて映像となる。たくさんの思い出が眩く光る。僕の視線で描かれたスケッチブックの上にはいくつもの笑顔があって、それらの多くは今目の前に居る人と重なっている。ああ、君はやっぱり僕の知っている人。無限に奥まで続いていく大空よりも、好物のチーゴの実よりも、今迄会ってきた人全員よりも、誰よりも何よりも大切なひと。 風が大きく吹いてきて、短い彼女の髪もなびく。垂れていた前髪が払われておでこが露わになり、泣き顔が太陽に照らされる。僕はふと彼女の足元に視線を落とすと、乾いているはずの床に大きな円を描いたしみができていた。 もう一度彼女の顔を見る。 ねえ、気付いて。 僕は君の隣に、いつものように君の隣にいるよ。 鐘の声が僕を叩く。それは、君の声が遠い空には聞こえないから代わりのように僕を呼んだ声だったんじゃないかと思う。そして思わず戻ってきてしまったんだ、懐かしさに惹かれて。 「ヒナ」 彼女の口から僅かな声が出てきたのを僕は聞き逃さなかった。本当に懐かしい、最後にそうやって呼ばれたのはいつ頃だったのだろう。はっきりと思い出すことはできないけれど、今彼女が僕の名前を呼んだという事実が今はかけがえのないくらい大切なこと。単純だと思う、こんなことだけで嬉しくなるだなんて。でも同時に哀しくなる。僕は試しに彼女の名前も呼んでみた。ああやっぱり気付く様子は欠片ほども無い。胸が苦しくなるけれど心臓の鼓動は自分でも分からない。分からないのでは無くて、心臓はすでに息をしていないのだ。 僕はもう、彼女と全く同じ世界にはいない。 僕が高い空を飛んだことないのはずっと彼女と共に旅をしていたからだ。陸を歩く彼女の傍を離れないようにしていた。今、こんな風に死に別れることで彼女の元から解き放たれた。見た事の無いような空の世界に心は存分に踊ったけれど、その要因は彼女から離れたからだったんだ。僕の身は軽くなって自由を手に入れた。自由という言葉の響きは妙に心地良いのに、その代償を考えると皮肉に思える。 記憶を呼び起こしてみると、僕はどうも病死だったようだ。何度も嘔吐し、決して下がらない高熱に押し込まれていたら、いつの間にかもう飛べないと思っていた空を飛んでいた。解放感に満ちた飛行の舞台はこれ以上のものは無いほど楽しかった。全く何も知らずに何も思い出せずに、お気楽なものだ。 いつの間にやらもう大分鐘の音は小さくなっていた。美しくしんみりとした重い余韻が上空に残っている。いつ音が本当に消えてしまったのかあやふやなのは静寂の中で僕の心に響き続けているからだろう。
カナ。
僕はもう一度名前を呼んだ。 その時横風が僕の背後から吹いてきた。偶然にしてはできすぎている風がやってきて、彼女は初めて大きく首を回すと風の在り処を探るように僕の方を見た。 久方ぶりに真正面から彼女の顔を見る。その視界に僕の姿は決して入っていないと分かっているけれど、まるで僕の存在に気がついてくれたように思えて身を硬直させる。本当に涙が溢れていてぐしゃぐしゃでひどい顔だった。可愛い顔が台無しだなんてくさい台詞だけれどそれがぴったりとパズルのように当てはまっている。お願いだ、泣かないで。色んな人を明るくさせる力がある君の笑った顔も戦いに負けて悔しい顔も仲良くなった人と別れる時の寂しい顔も全部僕は知っているけれど、やっぱり笑顔が一番なんだ。僕だけの記憶のスケッチブックの最後のページに泣き顔を描くことになるなんて、そんなのちょっとあんまりだよ。曲の一番最初と一番最後が同じ音で締めくくるように僕は色を塗りたいんだ。 彼女はしばらく呆然と空を見つめていた。 ふと彼女は目を瞑り、白いショルダーバッグからピンク色の彼女お気に入りのタオルを取り出す。それに顔を埋めると鼻をかむ音が聞こえてきた。荘厳な雰囲気とはまるでかけ離れている。また顔を再び現すと、涙は拭かれて鼻水は除かれ少しだけ綺麗になった。 「ヒナ」 その声はまた今にも涙が出てきそうだ。僕は一歩彼女に近づいた。その額に僕の額を合わせて彼女の体温を感じたい。強くそれを願うのにもう叶わない。なんで病気になってしまったのだろう。僕以外の仲間は皆生きているのにどうして僕だけ? どうして仲間内の誰よりも長く一緒にいる僕が一番最初に死んでしまったのさ。運命の悪戯というのは随分と意地悪だな。 彼女は数歩踏み出した。もう動きを止めてしまった鐘に触れる。鐘は彼女の華奢な身体には重たいだろう、それをゆっくりとひいて、少しだけ震えながら鐘を前方に押し出した。向こう側へ鐘が放られた時、はっと目覚めるような音が大きく鳴り響いた。今までで一番大きく一番僕の中に響いた。繰り返す音の波が揺れる僕を落ち着かせる。何故だろう、この音は魔法のように僕を引きこんで離さない。荘重な鐘本体の音を彼女の優しさが包み込んで僕を抱く。 「ヒナ……ありがとう」 鐘の音の中で彼女の声ははっきりと聞こえた。 もう一度タオルに顔をうずめて今度は先程よりずっと長く固まっていた。小さくなっていく嗚咽。鼻をかむ勢いも弱まってくる。少しずつでも彼女の心は落ち着いてきているんだろう。 ありがとうだなんて、僕の台詞だよ。僕はそんなに強くなかったけど決して僕を手持ちから外そうとしなかったね。今迄君の隣にいることは当たり前だったのに、今はこうして隣に居ることは不思議なことに感じられるんだ。できるならこれからも共に旅をしていたいけど、でも分かったんだ。君がこの鐘を鳴らしたのは、僕を呼び戻す為じゃ無くて、僕の心を癒すためなんだろう? 証拠に僕の気持ちは哀しいけれど不思議なほどに落ち着いている。もう君の元から離れる決意はできたさ。今度はもっと高いところまで行くんだ。空を突きぬけ、無限の宇宙へと飛びだして小さな星となろう。僕は宇宙と一つになって、君の旅を見守ることにするよ。そんな決心はついたけれど、やっぱりちょっと寂しいんだ。だから再び羽ばたくことを躊躇ってしまう。 彼女はタオルを折りたたみ鞄に無理矢理詰め込むと顔を上げ、太陽を見た。どこまでも青い空から風がやってくる。風は彼女の頬にある涙の跡を乾かす。 「ありがとう、もう、大丈夫だから」 さっきよりもずっとはっきりと言い放った。 鐘が鳴るのを止め、余韻に浸った後に彼女はちょっと哀しそうに微笑んで鐘に背を向けた。 僕に向けられた君からの言葉は僕の中にしんと沁み込む。深く深く、どこまでも深く。きっとすぐに彼女はまた笑ってくれる。もう前を向いて進み始めたから。それをまた見る前に僕は行くことにしよう。スケッチブックの最後のページには君が僕に向けて送った言葉と鐘の音を描こう。最後には抽象画というのも良いかもしれないよ。君が僕にくれた最後の贈り物なんだから、ここで幕を引こう。 彼女の足音はどんどん遠くなっていき、階段を降りていくと遂に姿は見えなくなった。 少し溜息を吐くと、僕は大きな翼を広げた。未だに僕の耳には鐘の音が響いている。これからもずっと消えることなく、余韻として響き続けるだろう。 ゆっくりと羽ばたき始める。地上から足が離れた。さあ、もう一度空へ向かおう。見た事の無い高みへ自由の証としてどこまでも。どんなに遠くにいこうと僕から彼女の姿が離れることは無い。だから、もう何も怖くないよ。 真っ白な塔を後にし、僕は太陽が待っている遥か上空へと飛び立った。
ありがとう、僕ももう大丈夫だよ。君が僕の背中を押してくれたから、もう大丈夫なんだ。 ばいばい、カナ。 大好きだよ。
− 4434文字。 最初には暗いかなと思い避けていましたが、一向に投稿される気配がないので。 これを期にどんどん作品が増えれば喜ばしいことです。
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Once Again Sound of That Bell... 〜 あの鐘をもう一度…… 〜 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/05/01 13:23
- 名前: ドクターペッパー
- Bコース
タワーオブヘブン……フキヨセシティから若干北東に位置し、そこには大量のポケモンたちがその生涯を終えて安らかに眠りに付いている。 あの鐘の音はガラス細工同士で叩き合ったかのようなとても澄んでいる音を放ち、子どもの頃に聞く度聴く度、遊んでいる最中だと言うのによく聞き入ってしまっていた。 かつてはそんなガキだった俺は今、そのタワーオブヘブンの屋上にいる。 俺が……『あいつ』が……大好きだったこの鐘を打ち鳴らすために、この右手でロープを握りながら……
そんなフキヨセシティを俺が飛び出したのは二年前、切っ掛けは他の人からしたら些細なことかもしれないが、俺にとっては重要なことだ。 現在タワーオブヘブンは墓地が増え過ぎたため場所が無くなってしまい、北東に数十キロ離れた場所にタワーオブヘブンのの数倍の大きさを持つセカンドタワーオブヘブンが建設された。 元々墓地なのだからそれ自体別にどうでもいいのだが、二つ目のタワーオブヘブンの屋上には鐘が設置されておらず、代わりに幻のポケモンの銅像が建っているだけ。 さらにタワーオブヘブンの管理が行き届いて無かったためか次第に強力なゴーストタイプのポケモンが蔓延りだし、建物自体の耐久性は問題は今のところ無いが、イッシュの中でも高ランクの危険スポットになっている。 たった十数年の間にタワーオブヘブンの鐘の音は失われ、現在ではその鐘の音を聞くことはほとんどない。 数年前まではチャンピオンであったアデクと言う人物が一年に一度鐘の音を鳴らしていたのだが、新しいチャンピオンはそのようなことはしていない。 だからと言ってそのチャンピオンを恨んだり、憤りを感じたいはしない。俺はガキじゃないからな。
二年前、フキヨセを飛び出し旅に出て、俺はイッシュの様々な景色と出会い、多くの人と出会い、多くのポケモンと出会った。 最初は『あいつ』のために飛び出したのだが、結果的に俺の人生はかなり充実した。 そう、『あいつ』こそが俺が二年前にフキヨセシティを飛び出し、長い旅に出て、そして再びここに戻って来た俺だけの些細な理由。 現在のタワーオブヘブンはその危険難易度の関係からポケモンリーグで上位の成績を収めたトレーナーしか入ることが許されず、仮に好成績を収めてもこんな辺鄙なところにわざわざ来る人なんて皆無だ。 だから俺は旅に出てポケモンリーグに出場し、ベストスリーになってタワーオブヘブンに入ることが認められるだけの実力を身に付けた。 一年目はベストエイト入りどころか初戦で敗退してしまったが、その時の経験を糧として二年目はこの結果。 俺はただ『あいつ』に聞かせてやりたかったんだ。俺にとって大切な存在である『あいつ』が、昔から大好きだった……タワーオブヘブンのあの鐘を。
フキヨセシティについた俺はまず花屋へと向かって花を買って、その後で地元から少し離れたスーパーで『あいつ』が大好きだったメロンを買ってやった。 地元の人間が普段無意識に思っている以上に地元は狭い上にネットワークが強い、これも旅をしていて行く先行く先で感じたこと。 これからサプライズをプレゼントしようって言うのに地元で買ったんじゃ俺が病院に着くよりも早くあいつの耳に入ってしまう可能性があった、今日は『あいつ』の誕生日でもあるから下手は打てない。 ポケモンリーグからフキヨセシティはかなり離れているが、俺はかなり無茶振りをして何とか間に合うよう三日で帰って来た。 走りたい気持ちを抑えながら病院の廊下を落ち着いたようにみせて歩きながら『あいつ』の部屋のドアを開けた時、『あいつ』は……
……もういなかった
病院の人に聞いたところ、『あいつ』は三日前に息を引き取ったらしい。 そう、俺が連絡した時はまだ顔色も良くて笑っていたのに、その後すぐに体調を崩して、そのまま死んでしまったのだとか。 持っていた花も果物もどこに置いたか落したか知らないが持って無かった俺は、電話する時間も惜しくて自分の家に向かって走った。 本来なら帰って来た俺を歓迎でもしてくれる場面かもしれないが、待っていたのはただただ悲しい空気。 『あいつ』の葬式は次の日に行われた。本来ならさらに三日後に行われる予定だったのだが俺が帰ってきたから予定が早まった。 現実的な話になるが、遺体の保管というのはかなりお金がかかるため少しでも早く葬式をした方が生きている人間にとっても死者に取っても良いことなんだろう。 多分俺は泣いていたのだと思う。『あいつ』にもう会えないことが悲しいのか……それとも、『あいつ』の願いを叶えられなかった俺自に絶望を感じているからか。 恐らくは、両方だろうな。
全ては滞りなく終わりを迎え、俺は三日間ほど何をしたのか覚えておらず、ただ上の空で日々を過ごしていた。 俺は現実を受け入れられずにいたのだと思う。誰だってそうだと思わないか。三日前まで電話越しでとはいえ笑って話していた奴が、帰って来たらい無くなってるなんて。 ふらふらな足取りで歩き続けていた俺は、気が付いたら『あいつ』の部屋に来ていた。 まだ本格的に片付けられていない『あいつ』の部屋はとても綺麗で、きっといつ帰って来てもいいように掃除されていたのだろう。 病院にあった『あいつ』の私物はそれほど多くなかったため一緒に火葬されなかった物以外は机の上にまとめられており、俺はおもむろにおいてあった日記を手に取った。 三年分は書くことができるほど馬鹿でかい日記帳、元々余り力が無かった『あいつ』が持つにしてはかなり不釣り合い。 俺は最初から読んだ。三分の二がしっかりと書き込まれた、『あいつ』の日記を。
そこに綴られていたのは、小説や漫画のキャラのように気丈な主人公の様なものではない。 時には嬉しいことを、時には悲しいことを、その日に起こった何でも無いことを、まるで一つ一つを特別なものであるかのように書き込んでいる普通の日記。 泣いたときもあったのか自分の未来を書く時のあいつのページは滲んでいて、悲しいことだけどそんな『あいつ』の姿が頭に鮮明に浮かんだ。 読んでいて気付いた。俺は『あいつ』の気持ちを分かってやっているつもりでいて、かなり思い違いをしていたんだ。 俺はタワーオブヘブンの鐘を鳴らすことが『あいつ』の願いだと思ってひたすら頑張って、『あいつ』にまた笑ってほしくて必死に旅をしていた。 この行動はもちろん俺自身の気持ちを起点に動いたものだったが、『あいつ』の利己的な願いもあると思っていた。 だが『あいつ』は、『あいつ』は心のどこかで『あいつ』に依存していた俺のことを心配していた。『あいつ』の方が辛い思いをしているのに、それでも俺を気に掛けていた。 『あいつ』がいなくなっても俺が自分の足で歩み続けられるよう、『あいつ』がいなくなっても大丈夫なように……
なんだか、とても申し訳ない気持ちでいっぱいになった
今さらながら涙が流れて来た。 俺は……『あいつ』のために何をしてやれていたのだろうか? 日記を見ている限り、『あいつ』は俺が活躍するのを喜んで、俺が旅の話を聞かせてやるのを楽しみにしていてくれていたみたいだ。 だから何だ? 結局俺は『あいつ』に助けられっぱなしで何一つ返すことが出来ずに『あいつ』は逝ってしまった。 目頭が熱い。ページをめくりながら俺は嗚咽を漏らして、申し訳ないが日記を汚してしまった。あっち行ったら『あいつ』には謝らないといけない。 俺は『あいつ』がどんな気持ちで日記を書いていたのか想像しながら読み、読む度に小さく笑ったり、また泣いたり。
何時間が経っただろう。 『あいつ』の部屋の時計を見ると日時が一年半前で止まっていた。 どうして『あいつ』の時間は止めてやることが出来なかったのか……時間さえ止まれば、『あいつ』はまだ生きていたのに。 体感覚が信用できないので携帯電話を取り出して時間を確かめると、大凡三時間。 結局俺は何がしたかったのだろう。三時間ただ日記読んでしかもかなりページ汚して、俺が『あいつ』にしてやれたことなんて…… 最後のページを読んだ。それと同時に、日記を握り締めて俺は走り出した。 俺が『あいつ』にしてやれたことが、してやれることが無い……だって? 昔からそうだったがどうも俺はネガティブで悲観的な面があって、『あいつ』に心配ばかりかけていた。 安心しろ。お前の願いは、絶対に届かせる。
家を飛び出した俺はウォーグルの背中に乗って北東に向かい、数十分後にようやく目的地に辿り着いた。 タワーオブヘブン……入口にはポケモン協会専属の警備兵がいて止められそうになったが、先日のポケモンリーグでベストスリー入りを果たした証であるブロンズライセンスを叩きつけてやった。 強行突破することもできたが荒事はあまり好きではないし、こんなところで問題を起こしていたんじゃ『あいつ』に顔向けできない。 入ると同時に重苦しい空気と負の感情が一気に俺の中に流れ込み、確かにこれは普通のトレーナーが入ることが出来るような状態ではないのがすぐに分かった。 鐘を鳴らすだけなら屋上から近づけば……とも考えたが上空に行けばいくほど風が強固になり、ゴーストタイプのポケモンが容赦なく襲って来るのだ。あいつら身体が無いから強風があまり関係無いらしい。 とは言え立ち止まるわけにはいかず、時間が勿体無いのでウォーグルとペンドラーとダイケンキのトリプル形式で一気に屋上を目指す。 確かに強い野生のポケモンではあるがポケモンリーグでベストスリーに入った俺からすれば所詮は野生、うぬぼれるわけではないが大会で戦った相手の方が遥かに強い。
戦って戦って……一時間後、ようやく俺は屋上への階段を登り切った。 不思議な光景だった。タワーの中も外もゴーストポケモンたちで跋扈していたのに、この屋上だけはまるで台風の中心の様な穏やかさを感じるのだ。 周りを見ればゴーストポケモンたちがタワーを取り囲んでいるのが見えるが、まるで見えない壁に阻まれているかのように屋上の俺を襲って来れないでいる。 いや、襲って来れないのではない。俺の感はよく外れるが、多分これは間違っていない。 彼らは待っているのだ……俺がこの鐘を鳴らすのを、それが俺の事情を酌んでくれたからなのか彼らの事情からなのかは考えるまでも無いことだ。 俺はポケモンたちをボールに戻し、ゴーストポケモンたちに見守られながら一歩一歩鐘へと近づき、ロープを手に取った。
俺はリュックから日記を取り出し、もう一度最後のページを確認する。 確かに旅に出ることや『あいつ』に依存しないで俺がこの先もやっていけるように配慮してくれたのは、俺のことを心配してくれた『あいつ』の優しさだ。 だが最後のページになってようやくみせてくれた。 最初から分かっていた、だけど俺の旅の口実だと決めつけちまっていた、利己的な『あいつ』の願い……
『もう一度、一度だけでいい……あの鐘の音を聞きたい。できるなら、一緒に……』
セカンドタワーオブヘブンはその広さからポケモンだけではなく人の墓地があり、当然『あいつ』の墓地もある。 天国まで届くと言われるタワーオブヘブンの鐘なら、高々数十キロの距離なんてあってないようなものだ。 大丈夫さ。一緒に聞ける。出来ないわけないさ。ここをどこだと思ってる。天国へすら続く、タワーオブヘブンなんだぞ。
安心しろ……
俺はもう『お前』がいないと何もできないような奴じゃない……
『お前』のおかげで道は見えた……
だから……これ以上心配してくれなくて大丈夫だ……
ゆっくりと眠ってさ、待っててくれよ……
長年整備されて無かったが、ぶっ壊れるんじゃないかと思うぐらいに俺は思い切りタワーのロープを引っ張り、鐘が鈍くゆっくりと動き出す。 そして聞こえた来た。昔と何一つ変わることが無い、心の底から感動を覚えるほど澄み切った、あの鐘の音色。 美し過ぎる鐘の音……まるで数時間もそこにいたような気持ちになりながら最後まで俺はその音色に耳を傾け、全てが終わり、息をついた。 これで『あいつ』の願いは叶ったのだろうか。ちゃんと聞いていてくれただろうか。心配だが、俺が出来ることはこれで全て。
帰ろう――そう思い踵を返し、俺は階段へ差し掛かると同時にもう一度だけ、あの美しい鐘を見る。 別に何か思うところがあったわけではないが、もしかしたら……もしかしたら『あいつ』がいたりしないかとも思ったのだが、やっぱり何も無い。 当たり前過ぎて、また現実的な気分に引き戻された感じだ。 感動的な小説やゲームならここで『あいつ』の声が聞こえて来るんだろうけど、現実は現実、死人に口無し。 だけどそれでいい。態々天国からこんなところまであいつに降りて来てもらっちゃ疲れさせてしまう。 それにこう言ってはなんだが先ほどから誰かに見られている気がしてならないわけで、仮に『あいつ』だったとしてもそう言ったホラー現象は俺はちょっとパス。怖くて仕方ないから。 付け加えて先ほど鐘の方を振り向いたとき誰かがいたような気がしたのだが、それも仮に『あいつ』だったとしてもパス。何度も言うがホラーは苦手だ。 もう一度ここで振り向いたらなんか俺もまで天国に連れて行かれそうな悪寒がする。 いかんいかんホラーゲームみたいになって来た。とは言えこのまま納得せず帰ると言うのも俺の心が納得しないし、『あいつ』に申し訳が立たない。 なけなしの勇気を振り絞って俺が思い切って後ろを振り向くと……当たり前だが、誰もいなかった。 安堵の溜息をついて正面を振り向くと……当然だが誰もいねーよ。 そもそも何を考えてるんだ俺は。『あいつ』が悪霊にでもなって出て来ると思ったのか? 『あいつ』がそんな奴じゃないってのはよく分かってるだろうが。 馬鹿馬鹿しい。疲れたから帰って寝よう。 だけどもし俺に見えないだけでお前が見てるってんなら、さっきも言ったが安心してくれ。
来年も再来年も、必ず鳴らしてやる……あの、鐘の音を……
〜あとがきみたいなもの〜
5600文字ぐらいでした。 パッと思い浮かんだのをただ淡々と書いた感じになりましたね。 他にやることたくさんあるのに無いしてるんだろね俺。
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シンクロケーシィ ( No.3 ) |
- 日時: 2011/05/01 13:31
- 名前: 緑坂 美波
Aコース「リスタート」
最近はポッチャマのシールが流行っている。 たぶんパンかなんかのおまけに付いているシールだと思う。布っぽい肌触りのざらざらしたシールで、それをケータイの裏側に貼るのが、あたしたちのグループでのトレンドだ。 ――グループ。 くだらないと思うだろうか。思うとしたらそれはどんな人が思うのだろう。きっと人付き合いが苦手で、周りの人間を見下しているような人だ。かく言うあたしは非常にくだらないと思う。 人はグループになった瞬間、個人ではなくなる。グループの意思によって色んな決定が成される。グループと違う意見を持ったら修正されるし、もし修正されなければ排除される。とても排他的な集団。 「みっちー、放課後どするー」 ほとんど放課後ではあるけれど、まだ清掃の時間だ。話しかけてきたチカは、二時間メイクの浅黒い肌に凶器のように鋭く光る金髪をしている。制服のスカートはほとんど下着が見えてしまうくらいに短くて、指定のソックスはキャラクターもののくるぶしになっている。サンダルを履きだしてもおかしくない勢いだ。右手から放れることのないケータイの裏側には、怒ったポッチャマのシールが貼ってある。 それでもチカはあたしと同じグループに属している。自然とそこに属する人間も同じような外見になる。あたしもそうだ。気持ち悪い髪と、めちゃくちゃなメイクに、だらしない服装。ケータイはポッチャマ仕様だ。ショッキングピンクに可愛くほほえむポッチャマのギャップがお気に入り。 「またオケとかー?」 オケというのは、言わずと知れたカラオケの略語。正直なところ、こういう略語とか若者言葉みたいなものは好きじゃない。なんだか共通の言葉を作って仲間意識に浸りたいだけみたいな感じで。だからプリクラで丸っこく書かれた「絆」とか「仲間」とか「うちら」みたいな言葉は大嫌いだ。 「オケだるくなーい? うちら――」 教室の戸が勢いよく開け放たれた。チカがあたしの嫌いな言葉を吐こうとしたとき、教室に勢いよく駆け込んでくる女の子。あたしたちのグループのうちの一人。よっしー。よしみ、だから、よっしー。 「ねーぇ、ゆうこが別れたんだってー! まじ泣いちゃって、だるいからうち慰めに行ってくんねー」 「あ、ちょい待ってみ」チカが止める。 「みっちー、うちらも行く?」 「また掃除サボるの? 怒られるよ?」 チカがあからさまに嫌そうな顔をした。 「ゆうこと掃除、どっちが大事? うちら仲間じゃん」 うちら、仲間。吐き気がする。なんでもかんでもグループのために尽くさなきゃいけないなんて、うんざりだ。馬鹿みたい。別れたって、一か月に何回別れれば気が済むんだ。どう考えたって人の恋沙汰よりも掃除のほうが大切だ。一週間しか付き合わないで別れるジェットコースターみたいな恋と、将来のために従事する習慣。こいつらはどっちが大事かも分からないのだろうか。十年たったその時に、残っているのはどっちだ? 「ごめん、ゆうこのほうが大事」 あたしには言い出す勇気なんてないのだ。ハブられたら独りだ。ハブるっていうのは、省くから生まれた言葉だと思う。仲間外れにするっていう意味なんだって。独りは嫌だ。寂しいし、視線が辛いし、なんてたって惨めだ。だからあたしはいつでも従うしかなかったのだ。 「でもやっぱり、さすがに掃除もしなきゃだから、先行ってて。すぐ行くから」 そうしてポッチャマのケータイをかざし、ひらひらと振る。あとで連絡するからっていうジェスチャー。チカとよっしーはだるそうに返事をして教室から出て行った。 教室に残ったのはあたし一人。他の清掃員はみんなサボった。それがほとんど日常だった。 あたしは箒を握りなおした。
ピロティ―でゆうこが泣いている。掃除が終わってからすぐに連絡をしたら、そう返ってきた。 掃除していた教室は三階で、ピロティ―は体育館の横にあるから行くまでに結構な時間がかかる。走ればそんなことはないけれど、たかだか一週間しか付き合わずに別れるような恋愛に付き合ってなんかいられない。あたしはゆっくり歩きだした。 ケータイを取り出す。ポッチャマがほほえんでいる。ポッチャマに罪はないけれど、このシールを見ると、仲間とか絆とか、聞くだけで寒気がするような陳腐な言葉ばかり思い浮かんでしまう。 あたしはポケモンが好きだ。あたしだけじゃない。グループのメンバーはだいたいみんなポケモンが好きだ。ネイルとかハンドクリームでぎとぎとに加工された手を使って、汚いものをつまむかのような手つきでDSを操っている。楽しさの基準はゲームの中じゃなくて、リアルに持ち出される。 あのポケモンがかわいいとか、このポケモンのグッズがほしいとか。 決して四天王に勝ちたいから強いポケモンが欲しいとか、そうしたゲーム内の欲求には結びつかなかった。 あたしは純粋にチャンピオンに勝ちたいと思うし、色違いのポケモンが欲しいと思うし、珍しい木の実を育てようと思ってゲームをやっている。何もかもがグループと逸していて、あたしの意思は集団の中に埋もれていた。 もう、こんなことやめたいんだ。 二階の階段を降りて、とうとう一階に来た。体育館の横の昇降口から外に出れば、そこはピロティ―だ。行きたくない。 気持ち悪い集団意識。排他的で、狭い世界の中でしか生きていくことができない昆虫のような人間。外見ばっかり気にして、恋愛だってファッションで、やがて汚い外面は内面を侵食し始める。言葉づかいとか、価値観とか。あたしはまだかろうじて生きているようなものだ。いつ死んだっておかしくないところに居るのだけれど。 昇降口をくぐる。水飲み場があって、その角を曲がったところに三人はいるだろう。すでに泣き声と必死で慰める安っぽい言葉が聞こえている。 あたしはグループに帰属したくない。いっそのこと、ケーシィみたいになりたい。ケーシィはだって、一日のほとんどを寝て過ごしているのだ。テレポートで空間を移動して、独りだって何の苦になることもない。そもそもグループがないからだ。あたしたちは学校という大きなグループに所属するかぎり、集団の目から逃れることができない。それが孤独になることを恥ずかしいものとして仕立てあげてしまう。本来はケーシィのように、独り気ままに生きていければいいはずなのに。 水飲み場には化粧品やら、染髪剤なんかが置かれっぱなしになっていた。黒の染髪剤は誰かが派手な色にしすぎて生徒指導からお叱りを受けた時に使ったのだろう。時間を稼ぐために水飲み場の蛇口をひねった。一つ、二つ、三つ。全部ひねった。水の勢いを最大にする。水の流れる音が、聞きたくない「仲間」を徐々に薄く隠していく。辺りがびしょびしょになって、あたしの制服の上下もずぶ濡れで、汚い金髪はすっかりわかめみたいになった。 眠い。別に風邪を引いたわけじゃないだろう。いいかげん気づいてくれてもいいと思うけれど、あたしたちの仲間意識がそれくらいのものだったと証明できるなら、このままでもいいかなって思う。 眠い、眠い。あたしは目を閉じた。 陳腐な言葉の数々は、水の音に消えていった。
さらさらと水が流れている。 どうやらあたしは眠ってしまったらしい。だれにも起こされなかったということは、つまり仲間意識なんてそれくらいのものでしかなかったということだろう。 目を開けて辺りを見渡してみると、どうやらそういうわけでもないらしかった。 そこは水飲み場なんかじゃなくて、どころか学校ですらない。見たことがあるような気もするけれど、来たという記憶は欠片もない。 ポケットからケータイを取り出して開く。 ――圏外。 電波が入っていない。そこでケータイが少しも湿っていないことに気付く。全身に手を滑らせると、湿っている部分なんてどこにもなかった。どういうことだろう。 ケータイを裏返すと、ポッチャマがほほえんでいた。やっぱりどこも濡れていない。 やけに草むらの多い場所だった。木があり、ため池があり、近くには掘っ立て小屋のような家があり、誰かを待つように立っている人が何人かいる。 草むらが小さく揺れた。近くにいた人がふっと振り返るけれど、すぐに目を正面に戻す。 こんな自然に満ちた場所にはどんな動物がいるだろう。ここで寝ていた理由よりも先に、あたしはそんな好奇心に駆られた。ケータイを右手に握って、試しに揺れている草むらまで歩いてみる。 そこには草が生えていた。当たり前だ。草むらの中なんだから、草だっていくらでも生えている。 けれどその草は芝色の草むらとは違って、やけに濃い緑色をしている。その上、たいした風もないのに揺れまくってる。がさがさうるさい理由は恐らくこの変わった草だろうと思う。 あたしがその変わった草を掴もうとすると、そいつはひょいっと手を避けて、草むらを揺らしながら逃げていく。あたしはびっくりした。草が動いている――。 草に逃げられるなんて経験は、生まれてこの方初めてだ。まさか草に逃げられることがこんなに悔しいことだとは思わなかった。あたしは悔しさを紛らわすためにケータイを強く握りしめ、臨戦態勢を取った。 ――捕まえる! 短いスカートをはためかせて、あたしは幼いころに戻ったような気持ちで走り出す。遠くにいた緑の草は、ぴょんと小さく跳ねて、草むらの中を逃げていく。足が速いのはあたしのほうだ。雑草を踏みしめて、ほどよく柔らかい土壌を蹴る。突っ立ている人を避け、規則的に立ち並んだ木々の中ほどで追いついた。鮭を捕獲する熊のような動きで緑の草を勢いよく引っこ抜く。 草の割には意外と重いけれど、ついに獲物を捕獲した! 「なじょー!」 なじょーって言った。その草はなじょーと悲痛の叫び声をあげた。泣きそうな赤い点と目があった。あたしの目も点になった。 「ナゾノクサじゃん!」 思わずあたしはナゾノクサを地面にたたきつけた。 再びなじょーと鳴き声が上がる。徹底的におかしかった。ナゾノクサじゃん! とか言っている場合じゃないくらい完全におかしい。だってナゾノクサだ。それ以上説明なんかしたくないくらいにナゾノクサで、それはつまり、あたしの目の前にポケモンがいるということだった。 あたしが持ってるポケモンなんてケータイの裏に貼られたポッチャマしかいない。動くポケモンがいていいものだろうか。 「君! そこのミニスカ! ポケモンになんてことしてんの!」 たぶんあたしが呼ばれているのだ。 振り返ってみると掘っ立て小屋の前で、白衣を着た背の低い男が叫んでいる。腰を手に当てて、いかにも怒ってますよといった格好だ。 あたしは逃げ出そうとしたナゾノクサを引っ掴んで、男の方に走っていく。目をそらされたのは、たぶんスカートがひらひらしていたからだろう。ごめんなさい、この下はスパッツです。 「あの、これ、ナゾノクサ?」 目を回しているナゾノクサを突き出す。 「君にはこのポケモンがマダツボミだとかピカチュウだとかに見えるってのかい?」 そうじゃない。なんでここにナゾノクサがいるのかっていう話だ。 「ほ、ホンモノ?」 あたしがそう言うと、男は怪訝そうな表情を作った。何を言っているんだこいつは、と。 「どっかにジッパーが付いてる? それともスイッチとか?」 ナゾノクサの体中を眺めたり触ったりしても、なじょなじょと笑い出すだけで本当に何もなかった。 「これ、ホンモノです」 「最初から言ってるでしょ」 俄然テンションが上がってきた。ナゾノクサが居るということは、他にも色んなポケモンがいるってことだ。別に夢だっていい。今ここで感覚や思考が生きてるなら、楽しめるんだからそれでいい。あたしは辺りを見回した。 そして、あることに気づく。 このオブジェの配置は、初代のポケモンをやった人ならすぐに気づいてもいいものじゃないだろうか。あたしは恥ずかしことにようやく気がついた。ここはハナダシティの北だ。金の玉をくれるおじさんがいた橋の先。この掘っ立て小屋は、だったら、マサキの小屋か――! 「も、もしかして、マサキさんですか?」 「へ? いや、ここはマサキの家だけど、ぼくは助手なんでね。しゃべり方と外見で気づかないかなあ」 そう言った助手は嫌そうな顔なんて一つもしなかった。きっとマサキの名前が出てきたことで嬉しくなったのだろう。あたしもこの場所を思い出したときは嬉しかったから、似たようなものだ。マサキの顔は思い出せなかったけど。 「あ」あたしは声を洩らした。 「もしかして、この辺にケーシィいますか!?」 「うっ、い、いるけど、ナゾノクサみたいに簡単に捕まったりしないよ」 助手が吠えるをくらったオタマロのような顔をして答えた。対してあたしの方は嫌でもにやついてしまう。ナゾノクサを放り投げたくなるくらいに心が躍った。なじょー! と鳴き声が聞こえたときには、ナゾノクサは本当に宙を舞っていて、助手が慌ててナゾノクサの落下点にダイブする。 「ポケモン虐待!」 白衣を土に擦らせて、ナゾノクサを見事にキャッチする。申し訳ないけど、今のあたしはケーシィを捕まえることで頭がいっぱいだ。 「ごめんなさい! ナゾノクサは任せます!」 走り出したあたしに向かって飛んでくる声なんか無視して、あたしはケーシィの潜む草むらを目指した。
いた。いたいた。まっ黄色のキツネ顔。年中閉じられた目だけを見ても、寝ているのかどうかはさっぱり分からない。不思議なポケモン。あたしの好きなポケモン。 ケーシィはテレポートを使うのだから、何も考えずに寄っていったらすぐに逃げられる。まずは草むらの中に身を隠し、極力音を立てないようにしてゆっくり近づいていけばいい。 足を折って、背中を丸めて、草の背よりも低くなって進む。ケーシィの近くに辿り着いたその瞬間、一気に草むらから飛び出す――! 思わず掛け声を上げて獣のように跳びかかる。跳躍。しかしケーシィはもういない。 あたしは呆然とした。まるでバーゲンのワゴンでおばさんにバッグを掻っ攫われたような気分だ。さっきまでそこにあったのに、次の瞬間にはどこかに消えているのだ。これがテレポートというやつか。ナゾノクサと違ってどっちの足が速いとか、そういう次元の問題ではないということらしい。 あたしはケータイを握りしめた。手の中ではポッチャマがほほえんでいる。
ケーシィはいっぱいいる? その答えをだれが証明してくれるだろう。 時間を忘れるくらいに走り回ったあたしは、未だに複数のケーシィを同時に見てはいない。つまり発見したとしてもそれは一匹ずつで、ケーシィの個体判別ができないあたしには、テレポートで逃げたケーシィとそうでないケーシィの見分けがつかないのだ。ケーシィはケーシィ。一度でいいから捕まえてみたい。 あたしは跳ぶ。ケーシィも飛ぶ。あたしたちの心は一度だって交わされることなどない。なんだか泣きそうになってきた。あたしだってケーシィみたいにグループを脱して生きてみたいんだ。孤独を感じない独りになりたいんだ。ケーシィに触れたらそれができるような気がして、あたしは無謀な追いかけっこを続ける。 「おい、ミニスカ」 助手の声が背後から聞こえた。泣きそうだったあたしは涙目になっているかもしれない。あたしは立ち上がっても振り返りはしなかった。 「なんですか」声が震えた。 「なんですかじゃなくて、なにしてんの」 「見てわかりませんか。ケーシィを捕まえようとしてるんです」あたしは目をこする。 「手持ちのポケモンは? ボールは?」 「いません。ありません」あたしは間をおかずに答えた。 助手はため息をついて、たっぷり黙ってから再び口を開く。 「どうしてもそのスタイルで捕まえたいんだったら、ケーシィの気持ちを考えてみることだね」 ケーシィの気持ち? 理解できないうちに、助手は足音を立てて小屋の方に戻っていこうとするので、あたしは慌てて呼び止めた。 「待って! それってどういう意味ですか!」 あたしは涙目のまま振り返ってしまう。助手の後ろ姿が見える。振り返った。 「わからないかな? ケーシィは独りでいたいんだよ」 助手の冷たい瞳があたしを捉えていた。とうとう堪えきれずに一筋の涙が頬を伝った。その様子を見ても、助手は表情一つ変えず、何の感想も洩らさずに歩き出した。 ポケモンのことをちゃんと分かっている人間だ。あたしはポケモンに気持ちがあるだなんて、そんな当たり前のことすら考えたこともなかった。 ――ケーシィは独りでいたいんだよ。 あたしと同じだ。ケーシィが独りで一日のほとんどを眠って過ごしたいように、あたしだってグループを抜け出して自由に生きたい。ケーシィに憧れていたんだ。だから、ケーシィはあたしの理想の姿勢であるに決まっているじゃないか。ケーシィだって、独りがいいんだ。
それからあたしは追いかけるのを止めた。 草むらの中に大の字で倒れこみ、綿あめのような雲が浮かぶ空を眺めた。その空は現実で見る空と大して変わらなかった。青は青だし、白は白だ。それなのにあっちの世界に戻ってしまったら、空は変わらなくても、あたしはあたしじゃなくて、グループになってしまう。集団だ。塊だ。 あたしにだって意思がある。チカにもよっしーにもゆうこにだってある。もちろんケーシィにだってある。その意思を統一するなんて、されるなんて、あたしには我慢ならない。それじゃあ何人でグループを作ったって、外見が違うだけで中身が一緒の人形が何体もいるだけだ。綿ばっか詰めて勝手に笑わせておけばいい。 あたしは空に向かって精一杯嘲笑を投げてやろうと思った。けれど、それすらもめんどくさい。 ケーシィになろう。ケーシィはきっと周りのことなんか気にしない。周りを罵倒して独りになることは、自分の殻に閉じこもって、結局孤独を惨めだと思う人間であるのと変わらない。それは強がりなのだから。 気にしない。それが一番だ。 今度こそあたしは笑った。嘲笑じゃなくて、心から素直に笑った。傍目から見たら気持ち悪いかもしれないけれど、グループにいるときの作り笑いのほうがよっぽど気持ち悪いに違いなかった。 風が吹き抜けたような気がした。そばの草むらが一瞬だけ音を立てる。 そこにはいつの間にかケーシィが座っていた。キツネ目を閉じて、眠るようにして佇んでいる。 憧れのケーシィがこんなに近くまで来ているのに、あたしの心臓は一秒のペースも乱さなかった。風に触れるような気持ちで、あたしはケーシィに手を伸ばし、金色の身体に指先を当てた。ケーシィも動じない。 眠そうなケーシィの顔に手のひらを添える。この瞬間に、あたしはとうとうケーシィと心を交わせたのだと思った。言葉も声もなく、無音の世界であたしたちはシンクロする。孤独を分かち合ったふたりぼっち。空はどこでも変わらなくて、誰だって自由になれるのだと教えてくれる。すべては自分の意思で。 風が吹き抜ける。ケーシィが消えた。そして、あたしも消えた――。
水の音が聞こえる。 「大丈夫だから、悪いのはゆうこじゃないし!」 ピロティーの方から声が聞こえる。水飲み場には、化粧品やら染髪剤なんかが置いたままになっている。しっかりメイク用具も揃っていた。だれが使ったものだろうか。 あたしはその中にあった正方形の鏡を取って、自分の顔をそこに映した。 気持ち悪い仮面をかぶった自分がそこにいる。 あたしは染髪剤を取って、髪を黒に染め直した。メイク落としで気持ち悪い仮面を剥いで、大人しめのメイクに直す。ピロティーからはまだ泣き声が聴こえていた。 グループの「仲間」たちは、なんて言うだろうか。集団から突き出たあたしを、徹底的に排除しようとするだろうか。 水を止めて、ピロティーの方へ歩き出す。ここからあたしはやり直す。リスタートを切るのだ。 孤独が辛くなったらそのときは、またケーシィとシンクロすればいい。 空を見上げた。 空は青くて、そして、白かった――。
了 (8119文字)
あとがき
読んでくださってありがとうございます。 この作品でいうリスタートって本当に難しいですよね。この世界は集団で満ちているのですから。孤独なあなたも実は孤独じゃなかったり。自分を埋没させないように気を付けましょう。 それでは、よろしくお願いします。
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散りゆく桜が蘇るなら ( No.4 ) |
- 日時: 2011/05/01 20:48
- 名前: 奥野細満
- Aコース
「桜は何時見ても美しい」
私は誰に言うでも無くそんな言葉を呟いた。陽だまりの中、縁側で座っていると心地良い風が吹いてくる。 傍らには誰もいない。この家は私1人のものだ。汗水流して懸命に働きやっとの思いで建てた家―― 縁側から見える庭には私の大好きな桜の木が植えてあり、毎年見事に咲きまた散ると言う事を繰り返していた。 「散るからこそ美しいのかな」 仕事に明け暮れた毎日は私から人間との触れ合いを少しずつ奪っていった。私を訪ねてくる者等今では滅多にいない。 人生に後悔しているかと問われれば正直半々だった。している部分もあれば誇れる部分もある。 それが人生と言うものだろう。100%の成功等ありはしない。勿論その逆も……
「うッ!」 突如私を襲った激しい胸の痛みに私は悶絶した。心臓が早鐘を鳴らし、危険信号を送っているのが解る。 その痛みはあまりにも激しい為助けを呼ぶ声さえ出せず、意識がゆっくりと遠のいていく。
私は意識を失った――
「桜庭、授業中だぞ。船を漕いでる場合か!」 何かで頭を叩かれ、私はハッと目を覚ました。周りには懐かしい顔ぶれが揃っている。 「ロク、お前徹夜でもしたのかよ!」 クラスメイト達のからかいが聞こえてくるが、それに反応する事が出来ない。ただ自分の陥った状況が理解出来ずキョロキョロと辺りを見回すばかりだ。 「シャキっとしろシャキっと!」 クラスの担任であった山岸稔が教壇に立ち、授業をしている。私にとっては遥か昔の思い出話だったハズが、今は紛れも無い現実だ。 状況が掴めないまま学校の授業は滞り無く終了し、各自が家に帰宅していく。
「ロク、一緒に帰ろうぜ。帰りに高松屋の駄菓子でも奢ってやるよ」 当時親友だった橋本秀明が私の肩を叩いた。他にも数人の男子が私との合流を待っている。 「……なぁヒデ。今年って何年だったっけ?」 「お前まだ寝ぼけてるのかよ。今年は昭和60年。西暦なら1985年だろ!」 衝撃的な返答だった。そうだとすれば今の私は18歳。高校生の頃に戻ってしまった事になる。 そもそも先程橋本が話に出した駄菓子屋の高松屋も、2000年の時点で既に無くなっていたハズだった。 (魂だけ過去に飛んだのか。そうなると今から起こる事は全部同じだな) 人生を今からやり直すとするならば、勿論成功者としての人生を送りたい。起こる事が解っているのならば、 それを踏まえて人生を謳歌する事は充分に可能だと言えた。
それからたった数ヶ月で、自分の人生は大きく変化していく。 競馬好きの父がいる為記憶を頼りに勝馬を教えた事で臨時収入が入り、勝ち続ける事でどんどん資金が肥大化していった。 テストでも昔の記憶を頼りに範囲をもっと狭めて勉強し、今までの知識も相まって優秀な成績をキープ。 次々と『予言』を行なう事で人が集まり、18歳にして成功への階段を上がり続ける事になる。 「詳しい事は言えないけど8月は航空関係で凄い事件が起こるね。旅行関係は避けた方が無難だな」 「突然バカヅキじゃんかロク。予言も的中しっぱなしだし、家が突然裕福になるとかどうなってんだよ!」 私は笑ってその質問には答えなかった。話すべき内容では無いし、話した所で信じてくれるハズも無い。 人間は金と名誉が手に入れば当然女性関係にも手を出したくなる。都合の良い事に『彼女』もまた、今の自分に興味を持っている様子だった。
二階堂彩香――当時クラスの高嶺の花と言われていた才色兼備の女性。 トップ成績を連発しおまけに美人。中小企業の社長の娘だけあってそれなりに豊かな暮らしをしている。 そんな彼女を魅了する存在など簡単に現れるハズも無く、あの頃はそのまま卒業し離れてしまったが、今は違う。 私が彼女を魅了する事も、今の私なら不可能では無い。
「桜庭君のとこ、豪華な一軒家買ったって言ってるけど……突然どうしたの?それにテストの点も突然良くなったし……」 「人生にはついている時があるんだよ。それがずっと続く奴もいれば続かない奴もいる。俺は……さぁどちらかな」 はぐらかされるとますます気になる。人間ならば誰もがそうなるハズだ。彼女も例外では無かった。 「私にだけ、こっそり教えてよ」 「特別扱いは出来ないよ。でも……俺をもっと近くで見てくれるのなら、解ってくれるかもしれない」 私は彼女を見据え、あの時なら絶対に言う事が許されなかった言葉を告げる。 「俺と付き合ってくれませんか?」 彼女は多少驚いた表情であったが、やがてニッコリ笑うと静かに頷いた。
それからの私の人生はまさに上昇を続ける一方だった。馬鹿売れする商品が予め解っている為彼女の父親が経営する会社は大企業へと成長。 私は大学卒業後高待遇で迎えられる事となり若き役員としてアドバイスを続けた。 結婚も決まり二階堂の名が世間に知れ渡っていた為世間的には二階堂姓を名乗る事となり、次々にヒット商品を連発。 金はどんどんとこちらに転がり込み。娘も誕生。金がある暮らしに破綻があるハズも無く、妻との関係も良好。 遂には30半ばにして二階堂グループの社長に就任。 独創的なアイディアと絶賛される商品も全て誰かがヒットさせた商品だったが、それを知る人間がいるワケが無い。
「桜は何時見ても美しい」 「本当ね。特にこんなに沢山の桜がある場所ですもの」
自宅の庭はあの時よりも一層豪華になり、私の好きな桜は何十本も植えられ咲き乱れていた。 自分の家で花見が出来る事程贅沢な事は無い。私はその嬉しさをゆっくりと噛み締める。 傍らには愛する妻と母譲りの美貌を手に入れた娘、そして会社に向かえば大勢の人間が自分を褒めちぎり賞賛してくれるのだ。 これが人生の成功と言わずして何と言おう。惨めな人生の終了から私は一転して成功者となった。 「……散るからこそ、美しいのかな」 「散らない桜もあるよ御父さん」 娘の綾香が私を指差してそんな事を言うと、妻は微笑み頷く。 「そうか。私は散らない桜か。面白い事を言うな綾香は」 心地良い充足感に包まれ、意識がまたゆっくりと遠のいていく――
「たった今、全ての行程を終了しました。彼は今、幸せの絶頂にいる事でしょう」 どこかから、声が聞こえている。暗闇だ。何も見えない。聞こえてくる声もぼやけている様だった。 「そうですか、これでやっとあいつに恩を返せました。有難うございます」 その声は誰かに似ていた。思い出せない。何がどうなっているのかさっぱりだ。 「なぁロク。俺の事覚えてるか?お互いもういい歳になっちまったけどさ。お前が倒れた事を聞いて飛んできたんだよ。 お前は俺の親友だし色々助けてもらった。俺、脳科学の大教授って呼ばれる程になってな――」 解らない。自分が何処にいるのか、彼が誰なのか、そもそもココは何処なのか。 薄れていく意識。最早それは暗闇ですら無いのかもしれない。無に向かって落ちていく感覚。
私は意識を失った。
親友の墓の前で、俺は静かに手を合わせていた。傍らには彩香がいる。 「無事に天国に行ったのかしら、六郎さんは」 「俺が見せた夢が天国だったんだから、天国が万が一無かったとしても幸せだろう」 俺の友人に夢を自在に操る機械を発明したやつがいた。意識不明の重体であったとしても通用する代物だ。 前々から彩香の事を桜庭が好きな事は知っている。彩香にはその夢の内容は伏せてあるが、自分の成功体験を混ぜた様な内容の夢だった。 「まぁ……天国があるなら、無事天国に行っていると良いが」 新しい花を持ってきた綾香から花を受け取り、俺はその花を供えてやった。綺麗な桜を――
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鐘の唄 ( No.5 ) |
- 日時: 2011/05/02 11:17
- 名前: 命の担い手
- Bコース
歳の頃は15か16と言った所だろうか。1人の青年がタワーオブヘブンを訪れていた。 慣れた手つきで自転車に鍵をかけ、入り口の方へと目を向ける。 「もう5年になるのか……」 彼は誰に言うでもなくそう呟くと、照りつける太陽が眩しい青空を見上げた。
5年前に自分のパートナーであるポケモンを失ってから、彼は自分がポケモントレーナーである事を放棄していた。 自分の相棒がいないまま戦いを続ける事に対する虚無感が彼を包み込み、我慢できなくなった彼は普通に働く道を選ぶ事になる。 そして1年に1度はこの場所を訪れ、相棒の冥福を祈る事にしているのだった。 (ポケモンの寿命は人間より遥かに長い。だが死は必ず訪れる) 祖父の代から受け継がれてきたパートナーであったポケモンも、当時からあまり体調は優れていなかった。
「エリア、あまり無理しないでいいぞ。お前にもしもの事があったら大変だ」 『いいえ、マスターの為に……私最後まで頑張りたいんです。自分でも、そんなに長くない事は解っていますから。 それでもマスターの祖父の代から私は忠義を貫いてきました。戦って恩を返す事が私の全てです!』 見た目は歳を取らないポケモンも、ゆっくりと体は蝕まれ、遂には驚異的な回復力も失ってしまう。 彼の相棒であるサーナイトも例外では無かった。初めて彼が父親から受け継いだ8歳の頃はまだ治癒力がそこまで鈍くなかったが、 2年後には頻繁に息を切らす様になり、最終的には息を引き取ってしまった。 (アイツは丁度人間で言えば150年以上は生きた事になるだろう……俺の祖父がまだ子供だった頃からパートナーとして活躍し、 親父も世話になった……祖父が捕まえた時には既にサーナイトだったそうだから、その時から結構歳だった事になるかな) 青年は洞窟の様に冷えている建物の中へと足を踏み入れた。初夏の日差しが照りつけているにも関わらずこの場所は魂が集う場所の為、 1年中ひんやりとした空気が漂っている。青年は3階にある相棒の墓に手を合わせる為階段を上がっていった。
どの階もポケモンの墓が立ち並ぶ部屋となっており、深い海の色をしている壁が安らかに眠ってくれと願っている様にも思える。 青年は迷う事無く自分の相棒の墓の前に立つと手を合わせ祈りを捧げた。 (お前の為に出来る事は、もう俺の為に生きて俺の為に死ぬ……そんな関係をポケモンに強要しない事だけだった。 だから捨てたよ……トレーナーとしての道を。もう失う事に怯えるのが嫌なんだ。ゆっくり休んでくれよな……) 花を供え、線香に火を付け柄杓で墓に水をかける。それぞれの行程を静かに、噛み締める様に行なうと青年はこの下に眠っている友の事を想った。 「貴方も、大切な人を失ったんですか?」 不意に声をかけられ振り向くと、そこには肩まで伸びた長い黒髪を持つ女性が立っていた。 「ええ。もう亡くなってから5年になります」 「そうですか……お互い、相手を失うと言う事は辛いものですね」 女性は暫く俯いていたが、もう一度青年の顔を見据えて手招きをした。 「私はアリア。タワーオブヘブンに大切な人がいるワケではありませんが、あの場所で鐘を鳴らしたくなったんです。 貴方も一緒に来てみませんか?」 青年は屋上にある鐘の事は知っていたが、実際に登って形を確認した事は無かった。 そのまま彼女と共に階段を上がり、屋上に到着する。爽やかな風が頬に当たった。 「随分と良い風が吹いてますね」 「……私は人生のパートナーを失いました。人間もポケモンも、魂は同じ様に彷徨い続けるのでしょうか? 人が、そしてポケモンが死んだ後の事なんてそれまで全く考えた事が無かったのですが……」 アリアと名乗った女性は彼女の背丈程もある大きな鐘に手を触れた。 「貴方は……ポケモンが死んだ後の世界はあると思いますか?」 「さぁ……どうなんでしょうね。俺は俺に出来る事をやるだけですよ。あいつの為にしてやれる事と言ったらこうしてこの場所に来て、祈ってやる事位しか出来ませんが」 かつての自分のパートナーと似た名前を持つ女性を見つめながら、彼はゆっくりと鐘の方へ近付いていく。 そして2人で同時に鐘に手をかけ、ブランコの要領で勢い良く鐘を動かし美しい音色を響かせた。
澄んだ鐘の音が辺り一帯に響き渡る。それはまるで誰かを送り出す様な、葬送曲の旋律の様に感じられた。 「綺麗な音ですね……」 「でも、何処かとても哀しい音色の様な気がします」 青年はその音が止むまでじっと目を瞑り、耳をすませている様だった。 「そういえば、貴方の御名前を聞いていませんでしたね」 「ええ、自己紹介が遅れましたね。俺はシュウと言います。フキヨセの方で航空貨物の運搬をやってるんですが、忙しい時が一番楽ですね…… 嫌な事を思い出さなくて済みますから。忘れちゃいけない事ですけど、気が滅入る時の方が多いんで」 「近くに住んでいらっしゃったんですね。私はソウリュウから来ました。彼の墓は街にあるんですが、この鐘の音が気になって」 2人はそれぞれの思い出に耽り、沈黙を続けていたがやがてどちらとも無く歩き始めた。
入り口から外に出ると、再び太陽が眩しい青空が広がる。青年は自転車に跨ると、女性に別れの挨拶をした。 「また何時か、機会があれば」 「ええ、私もまたこっちに来る事があるかもしれません。その時には街の方にも出向いてみようと思っています」 一期一会の出会いならば、別れに対して辛い事はあまり無い。しかし青年は今生の別れを経験している。 その辛さは時が経つにつれてどんどんと大きくなっていくものだった。 (時が忘れさせてくれるだなんて、嘘だよな……忘れるワケが無いじゃないか) 自宅へと急ぐ彼の耳に、また美しい鐘の音が聞こえてくる。
人の哀しみの数だけ、鐘の音は聞こえてくるのだろう。今日もまた、大切な相手を失った者達が鐘を鳴らすのだ。
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蔵 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/05/04 14:41
- 名前: スパイダーマン
- Aコース「リスタート」
空はからっと晴れ渡っていたが、蔵の中にいる三吉にとっては何の関係もないことであった。そもそもこの時期この時間に空がすっきりしているなんて特に珍しい事態でもない。雲低く頭垂れる日和の方が、むしろ三吉には望ましい。腐った屋根が雨漏りするからだ。 蔵暮らしの生活と言うのはもっぱら飲むのに困る。食べるのには、時折壁板の間隙から忍び込んでくるネズミやミネズミを仕留めればよい。それ一匹で十日は腹が持つ。けれど飲み水はそういう訳にはいかなくて、生き血だけでは足りない時に三吉はほとほと弱った。弱ると言って、だから特別何かをするのではなく、三吉はただただ乾いて待つのが常だった。心得ているのである。こういう場合、大概が『果報は寝て待て』で丸く収まってしまうのだ。 例えばこんなことがあった。喉をかぴかぴにして死にかけている折、蔵の外にてごとりちゃぷりと音がした。隙間から片目を覗かせると、ひとつ手桶が立っている。そこから水の匂いがするではないか。これ幸いと三吉は足をわさわさ伸ばし、それが届かないと知ると今度は尻を向けぷっと針を飛ばして、ごろんと桶を倒してやった。しぶき散らしたのは神のたもうた水である。その浸み入った土を食むと、なんとも甘い味がした。ありがたや神の水。後になにやら知らない声が怒鳴っていたが、蔵の中にいる三吉には何の関係もないことであった。 今日とて三吉は喉が渇いていたから、蔵の高い所から張り板の間隙を見下ろして、ネズミやミネズミが呑気に来るのを今か今かと待っていた。三吉はそうするのが嫌いではない。光の漏れ入る中を埃があちらこちらと行き交うさまは、眺めて実に愉快である。三吉は本当にそういった、なんでもない日常に些細な楽しみを感じるのを好んでいた。この男、見かけに似合わず、人生平凡が一番と考えている。物事の激しく移り変わるのは良しとしない。つまるところ――何の前触れもなく突然遠慮なし戸が引かれて直射日光が津波のように蔵を襲ってその前に立つ人間がばっちり己と目を合わせて真っ青になって半狂乱で戸を押し戻し日差しが細まってぷつんと消えるさまになんて、ほとんど興味を抱けないのであった。ハプニングは嫌いである。嬉しいハプニングと言うものは、滅多に起こることなどないのだから。 ――それは遡ること数ヶ月前。三吉は森に住んでいた。中でも大きなオリーブに、でたらめに巣をかけて暮らしていた。ある日、ふかふかと積み上がった枯葉の上をうろついている折、三吉は妙な音を聞いた。ごーりごーり。リングマの鼾のようで、違う。ごーりごーり。年老いたギガイアスの説法でもない。怨念めいた低音のもたらす不愉快は、まさに呪いの歌である。瞬間、ずどぉん、ととてつもない音がして、三吉は飛び上がって、集めた数人分の食料をてんやわんやと放り投げ、急いで森を駆け抜けた。確かにあのオリーブの方向であった。見ると、そこに慣れた景色は待っておらず、三吉の巣はでろんと土草の上に落ちており、バンザイと大手を広げて倒れているオリーブのその右腕の下に、妻と娘が潰れていた。 そんな日に限って風重たく、土と緑の中にもうもうと体液の匂いが立ちこめていた。切り株の新鮮な断面が染みだす滴に濡れている。三吉のがくがく震えるのを、前より開けた黒塗りの空が見下ろしている。その時、どこからか再びあの音が響きだしたのである。ごーりごーり。西か東か南か北か。ごーりごーり。突如、どぶ色の悪魔が赤く裂けた口からそれを発して迫りくる幻想が起こって、三吉は叫んで逃げ出した。まもなく空が泣き始めた。泥濘の森地を抜け無我夢中で辿りついたのは人間の多く住むところであった。どこでもよいからと飛び込んだ、そこは薄暗く埃っぽくかび臭く三吉を迎え入れた。雨脚はごうごうと強まる一方であった。その天蓋を打つ音を別の世界に感じながら、三吉はすとんと眠りについた。 それが、この蔵暮らしの始まりである。
そうは言ってもどうせまた来るのだろうと気にかけていた折、埃の流れがふいっと乱されるのを三吉は見た。 がたんと戸が揺れ、開き始めた。溢れんばかりの春の日差しが蔵の陰鬱を浄化していくさまが眩しい。やがて引き戸の向こうから、おそるおそると何かが顔を覗かせた。短い黒髪に小麦の肌。真っ青でこそ無くなっているが、それは先程急に戸を開けて、閉めた、あの人間の少年であった。 「おぉ悪いな、ここは今俺の巣だ。用なら何か言うてみぃ」 久々に発した声は思いのほか潤っていた。三吉は言いながら、ひとまず少年に気を許してみようと考えた。せっかくの話相手なのだ。人間だとてむやみに突き放すことはない。 三吉の試みがどう影響したかは分からないが、少年は何やら考え込んだ様子でぶつぶつと呟いている。こいつがあの時のナンチャラ、どうやってここからカンチャラ。それから顔を上げ、意を決したようにすうと息を吸い込み、あぁいやいや大声出してびっくりさせちゃいけないよなとの面持ちですうと息を吐き、結局いかにも普段通りといった声色で話し始めた。 「……アリアドス、悪いけどここから出ていってほしい」 アリアドス、三吉のようなみかけの生き物のことを人間はそんな名前で呼んでいる。 三吉もこの蔵が人間の使っていたものであるとは知っていたから、いつかこの日が来てもおかしくはないと思っていた。そしてその発言の内容としては、およそ三吉の予想していた通りであった。 「ここは、僕たちの……人間の住んでいる家の一部なんだ。ここに飼われてるポケモンもいるけど、君はそういう訳じゃない。だから、ここにいるのはおかしい」 少年は言い終えると、巣の屑にまみれた蔵の内部をうろうろ見やって、品定めするような懐疑の眼差しを三吉に向けた。 内容はともかく、一言一言選び抜くような少年の喋り方が、三吉はなんだか気に入った。人間と言うのはせかせかとした小賢しい生き物であると度々噂に聞いていたが、どう伝えようかと思案する少年の言葉には、こちらを思いやる気づかいが感じられる。誰かと口を聞くのさえおよそあの雨の日以来である三吉には、それが一層嬉しくこそばゆいものなのであった。 「しかしなぁ人間よ、お前さんらは長いことここを使っていないじゃないか。俺は冬の初め頃からここにいるが、戸が開いたのは初めてだぞ。使わない場所なら、誰が使ったって構わんだろう」 そこまで説いて三吉ははっとする。その巷の噂によれば、人間にはこちらの言う事が通じない。言葉が理解できないのである。これでは相手に何を言ったところで意味もない。念願の話相手を前にがっくり肩部を落としそうになった折、少年はこちらを見つめながら難しい顔で腕を組んだ。 「君の言いたいことは分かるけれど」 ――なんだって? こいつ、ポケモンの言葉が分かるのか。 三吉の驚きをよそに、少年はじっくりと咀嚼するリズムで話を続ける。 「君が出ていってくれないと僕が困る。ここの家主に君のことを話したら、追い出しとけって言われたんだ。ここの掃除も、僕がしなきゃならない。……僕はこの家の人間じゃない。ろくにお金も払わずに、ここに住まわせてもらってる。だから、言われたことくらいちゃんとできないとだめなんだ。君を追い出さなければ、僕がこの家を追い出されるかもしれない」 穏和な日の元でやんわりと拳を握りしめる少年の顔は沈痛であり、低めた声は深刻さを携えている。三吉は唸った。どうやら元住む場所におれなかったらしいという点で、少年の境遇は三吉と似通っている。せっかく得た新たな住処を奪われたくないという気持ちには同情の余地もある。が、しかし……。 「君はポケモンだから、他に住めるところも探せばたくさんあるだろうけれど、僕にはここしかないんだ」 訴えるような少年の言葉に、三吉は頭を持ち上げた。 「おいおいそりゃあ自分勝手というもんだろう人間よ。俺はもう半年近くもここに巣を構えて暮らしてきたんだ。それを後からのこのこやってきたお前さんに出ていっとくれと言われて、アァそうですかホイホイと巣を明け渡す義理があるか? そいつぁ無理な相談だ。分かってくれるか? ん?」 出来うる限りの優しい口調で語ってやったつもりが、少年はむうと黙りこんで動かなくなってしまった。そのまましばらく時が流れた。吹き抜ける風がさわさわと少年の黒髪を撫ぜるのに、こいつは風のある世界、つまり蔵の外、俺とは違う場所に生きているんだなァと三吉はしみじみ思った。もっとも、今しがた開いた戸口からは絶えず新鮮な空気が送り込まれて、三吉の巣網もさわさわ揺れていたのだが。その間もじっと見つめる少年は、なにやら三吉の動きを待っているかのようでもあったが、ふいに痺れを切らしたとでも言わんばかりにくうと体を伸ばした。 「……じゃあこうしよう。君は出ていかなくてもいい。その代わり、ひとまずその巣だけ片付けさせてくれないかな」 「おいてめぇ話聞いてんのか」 思わず三吉は身を乗り出した。 「そういうのが自分勝手だって言ってんだ。だいたい、巣っていうのは蜘蛛の大動脈だぞ。生命線だぞ。それを片すってことは死ねって言うのと同じだぜ。つまるところお前さんは、俺に蔵の中でひっそり死ねと言ったんだ。いいな、巣を片すなんてことしようものなら、俺は相手が人間でも子供でも、容赦はしねぇ」 そしてくわっと前足を上げ毒牙を光らせ臨戦態勢をアピールする三吉の前で、少年はしばし体を竦めた。その状態で向かいあったまま、またしばらくの時間が過ぎた。それは我慢比べであった。むしろ我慢の一人舞台であった。前足を上げ毒牙を光らせた微妙な姿勢を保ちながら、三吉は悠久の流れを感じていた。巣網がぷるぷるぷるりと震え出した折、少年は構えている三吉を見据え、右腰に手を伸ばした。ポケットから取り出したのは、上下紅白に色分けされた手のひら大の球である。ほお、と三吉は感嘆した。噂に聞くモンスターボールとは、ポケモンをこじんまりした空間に閉じ込め、かと思うと解放しては意のままに操ってしまうという、摩訶不思議な道具である。 「お前さんトレーナーだったのか。やるのか? ああん?」 ちょいちょいと前足を動かして挑発する三吉に対して、しかし少年はすぐにそれをしまいこんだ。 「……あんまりこういうことはしたくない。僕だってトレーナーのはしくれだし、野良をむやみに傷つけないってマナーくらいは知ってるつもりだ。でも、全部が全部ポケモンの都合を尊重するべきだなんて僕は思わない。君だって馬鹿じゃないなら分かるだろう。人間とポケモンは、いつだって仲良く一緒に暮らせる訳じゃない。ここは人間の住むところだ。こっちの領域を侵してるのは君の方だ。住み分けなきゃお互いが迷惑する」 「そいつは前提が間違ってる。人間の住むとこ、ポケモンの住むとこ、なんて一体全体誰が決めた? 現に俺はここに住んでいるんだ。人間の尺度で線引きしてもらっちゃ困る」 「新しく巣を作り直すのは億劫かもしれないけれど、ここでじっとしてるよりかは君にとってもいいんじゃないかな。森にいる方が餌や水もずっと手に入りやすい。こんな狭いところじゃなくても、君くらいのポケモンなら、どこでだってやっていけるよ」 「だからそれは人間のわがままだろうよ。自分たちが暮らしやすい場所からポケモンを追い立てるために都合よく勘違いしてるだけだ。蜘蛛には蜘蛛なりに、ポケモンにはポケモンなりに、住み易い場所とそうでない場所がある。どこでもやっていけるなんてのは大間違いだ、人間たちの勝手な思い込みだ。ポケモンと話のできるお前さんなら、分かってくれるだろう?」 ようよう前足を下ろすと幾分落ち着いた心地がしたので、三吉は終盤諭すように言って聞かせた。人間というやつは、ポケモンは皆野山に放っておけばよいと思い込んでいる節がある。この少年も例に漏れずそう述べた。 けれども、三吉は確信している。生身のポケモンの真実を知ることによって、この少年は必ず良いトレーナーに成長できるであろう。ポケモンの言葉を解せる人間などというものはそうそうおるまい。三吉は少年に、人間とポケモンの進むべき未来を見ている気がしたのであった。 三吉は少年に期待した。蔵の外の少年に、美しい人間への希望を込めた。だからこそ、困ったように考えあぐねた結果少年が放った返答に、三吉ははらわたを猟銃でぶち抜かれるほどの衝撃を覚えるのこととなるのである。 「……なあ、無駄な時間だと思わないか。君が譲ってくれさえすれば、お互い傷つくこともない。面倒起こしたくないんだ、分かってくれないかな」 ――無駄。面倒。それは望みとはあまりにもかけ離れた答えであった。 その瞬間、三吉の中で、ぷんと軽快に重石が弾けた。 我慢の、限界であった。 「なぁ、おい、え、そりゃあてめぇ随分勝手がすぎるだろ。どうして俺がてめぇのために住み処手放さなきゃならねぇんだ。どうしてポケモンが人間のために譲ってやらなきゃならねぇんだ。ちょっとばかしヘコヘコ媚びてるポケモンがいるからって調子に乗ってんじゃねぇ。いいか、勘違いするんじゃない、ポケモンのどいつもこいつもにてめぇらの言うことを聞かせられると思うなよ。むしろそんな糞野郎は少数派だっててめぇの胸に刻んどけ。だいたいの野良は人間どもを憎んでいる。あぁてめぇらが偉そうだからだよ! 自分たちじゃあ非力でろくな技も使えないくせに、こうして威張り散らしていやがる。人間ってのはいつもそうだ。チンケな容器の中に閉じ込めて飼い馴らしたり、殺し合いギリギリのところで戦うよう指図したり、ヒラヒラゴテゴテした妙なもん着せたり脱がせたり、それでいてひとたび寄り集まると気味の悪い偽善面晒して『ポケモンは友達! ポケモンを大切に!』、ああまったく嫌気がさすぜ。人間の手慰みで人生めちゃくちゃにされたポケモンたちがどれだけいることか。まずい餌だけ食わせて、てめぇの代わりに喧嘩をさせる! 働かせる! 自分のバロメーターとしてポケモンの強さを誇示する! ポケモンがいなけりゃ生活が成り立たないことは分かりきっているのに、それを下僕としか見ていない。自分たちがポケモンに比べどんだけ矮小な存在か、いつまでたってもてめぇらは気付かない。話し合いの時間が無駄だ? 面倒だからさっさと出て行け? 冗談じゃない! 第一、俺がこんな暗くて狭くてかび臭いところに住まなきゃならなくなったのは誰のせいだ? 虫や木の実を取り、明るい日の元で妻と娘と談笑した森での毎日、それを打ち崩したのはどいつだ? 俺の豊かなあの住処を、平凡で幸せなあの生活を、平気な顔して奪っていったのはどこのどいつだ!? ――てめぇら人間だろうが!」 言い切ってはずみで吸いこんだのは、普段より澄んだ空気であった。 ぜぇぜぇ息つく三吉の脳裏に、次々と記憶が溢れていく。――空。若草。湧水の香。色づき移りゆ森の四季。一目惚れした彼女。抱く娘の温もり。何度も嵐にやられた巣網。ずっと見守っていてくれた、大きな大きなオリーブの木。夢のように浮かんでは消えるすべてを奪ったのは、あの恨めしい音であった。 実はあの音の正体に、三吉はいくらか前に気付いていた。しかし気付いたところでどうすることもできなかった。どうしたところで何も戻らないことは憎たらしいほどよく理解できた。三吉には赤く滾る怒りから目をそらすことしか、講じる術を持たなかったのである。 幸いにしてあの日から始まった蔵暮らしは平穏安息であった。気を落ち着かせるには十分な時間も経過した。十分すぎるほどの空白の時間が、悠々と流れて消えていった。悲しいほどに何もない、得るものも失うものもない堕落した日々であった。埃の往来を眺めることをただ愉快だと決めつけて、自らの感情に蓋をした。板間から漏れる光の屑を延々と睨み続けたのは、認めよう、確かに外に憧れているからだ。しかし、外には無数の悪魔が蔓延っていることを、三吉はよく心得ている。反吐が出るほど厭らしい悪魔の存在が、三吉を惨めな蔵暮らしへと追いやっていたのであった。 あの音。それは切り殺される森の悲鳴であり、同時に、おそらく本当に、悪魔の口からも零れ落ちているのだ。 少年は結局、三吉の思ったような人間ではなかった。他と同じく利己的で、危険な思考を忍ばせている。はなからこちらを理解する耳など持ち合わせていなかったのである。三吉は裏切られた気持ちでいっぱいであった。蔵の内と外とを隔てる見えない膜を、この少年こそ取り払ってくれるのではないかと、心の内に期待していたのだ。 突風が吹きつけ、ばちばちと蔵に小石が爆ぜた。風の唸りの中で少年は動かなかった。少年は三吉を見ていた。三吉は気付かなかったが、前髪の影にちらつく瞳は、猛禽のごとき鋭い光を湛えていた。それは紛うことなく野生の光であった。 「……どうしても、出ていかないんだな」 呻くような少年の声に、三吉は喉がかあっと熱くなるのを感じた。 「まだ分からねぇっていうのか、一体何度言わせれば気が済むんだお前が何を言おうと俺はここから一歩たりとも――」 「水鉄砲」 「え?」 そこで三吉と目を合わせたのは、少年の背後から飛び出してきた一匹のビーダルであった。 ビーダルは一瞬頬を膨らませると、出っ歯の奥からぶじゃあと水を吹き出した。もちもちした腹がどくんと脈打つのを見る間に三吉は水流に飲み込まれた。前足を取られ後ろ足を取られ頭を押され背を押され、千切れた巣網が体じゅうに絡みついて三吉はそれごと吹き飛ばされた。ごんと鈍い音して頭打ち、打った戸棚がぐらりと傾き、引き出し滑り落ちあれやこれやが宙を舞い、壺やら鉢やら分からないものがヒビ入って割れて崩れて流されるのをきらきら光る水玉模様の中に見た。珍品たちのどんがらがっしゃんお祭り騒ぎで身も心も揉みくちゃにされ、意識はああ、はるか彼方の夢幻の園へ…………次に気を確かにしたその折、三吉は思わず前足を目の前にやった。すかんと晴れた青空が眩しい。いつの間にか、蔵の外まで押し出されたのであった。 ついさっきまであれほど有難く思っていた水はぐじゃぐじゃと体を濡らし、しとしと滴り落ちている。腕のひとつもずっしりとしてまるで言うことを聞かない。それはあまりにもあっけない『戦闘不能』であった。 日差しを遮るようにして、少年とビーダルが揃いこちらを覗きこむ。少年は先程より幾分落ち着いた表情で、物言わぬ三吉の隣に腰を下ろした。 「……弱肉強食って、知ってるか」 ずんぐりむっくりがふんふん鼻を鳴らした。構わず少年は続けた。 「君に欲しいものがあって、それが誰かのものだったとしたら、君は戦って勝ち取らなきゃいけない。どこかで手に入れたものにあぐらをかいて、それが奪われたからって誰かのせいにしたり、権利ばっかり主張するのは、ただの『甘え』だ。僕はここに置かせてもらってる以上、ここを守るために戦う覚悟があるし、もし元の家に帰れるなら、そのために最大限の努力ができる」 少年はすくっと立ち上がると、ズボンのポケットからもう一度モンスターボールを取り出した。 「僕は君に勝った。今日からこの蔵は僕のものだ。君がここにいたいと思うなら、僕を倒してみろ」 戸口の前は水溜りとなり、日に光る角を映している。 その時だった。どこからか人間の怒鳴り声が聞こえて、少年ははっと顔を上げた。水鉄砲の一撃に煽られた蔵の内部は、浸水どころか壊滅的な被害を受けている。途端に少年は最初に見た時のような真っ青になって、どうしよう、と早口に漏らすと、慌ててどこかへ駆けていった。 水溜りに映し出された気持ちの良い空合いが、風のリズムで軽やかに揺れる。久方すぎる日向のせいか、はたまた水と一緒に悪いものも流れてしまったのか、三吉はせいせいした気分であった。胸の中にむくむくと、またあの森でやり直せる、という気が起こりだした。元の生活は戻らなくとも、新しい暮らしを、新鮮な気持ちで始めよう。この蔵から脱することで、三吉の人生は今再び動き出そうとしているのであった。 門出に相応しい、美しい日和である。蔵は日差しに鈍く輝き、戸口開け放ち水に洗われた今が一番見事なものと思われた。 「……敗者は去るのみ、か」 三吉の呟きにビーダルはひょいと顔を上げ、もぐもぐ何かを食みながら言う。 「理不尽だろう、人間というのは」 「あぁまったくだ。どうしてこんな生き物の言うことを聞きたがるのか分かりゃしない。お前さんのようなポケモンがいるから、つけあがってしまうというのに」 「野生のには分からんだろうねぇ。やつらはそういうところがかわいくて、魅力的なんだよ」 「……飼い馴らされてるやつの、考えることは」 ビーダルはむふぅと鼻息を立てて笑った。 向かいの家屋から、山のような雑巾を抱えて少年が戻ってきた。ぼろ布をぽいぽいと蔵の方へ放り投げ、瓦礫と化した壺の類を拾い上げおろおろと首を回すさまは、確かにまぬけでかわいいとも見てとれる。 とにもかくにも、腐っていた三吉を蔵から引きずり出したのは、紛うことなくこの少年なのであった。小憎い背中には恩義も感じる。せめてもの報いにと、三吉は体を揺り起こす。じっとりと重い体でも動けないほどのことはなかった。 「立つ鳥跡を濁さず、だ。人間よ、しばらく片づけを手伝おう」 「――なぁさ、野生の」 意気揚々と蔵の内部へ入っていく三吉に、再度ビーダルが声をかける。 「さっきから聞いてりゃ、この坊主にポケモンの言葉が通じるとでも思ってるみたいだけど、とんだ勘違い野郎だね、あんたは」 「え?」 「あたしらの言うことなんざ理解しちゃいないよ」 三吉には最初、ビーダルの言う意味が分からなかった。 振り向くと。蔵の外には少年が、それを見て――ついさっき追い出したアリアドスが蔵へのこのこ戻るのを見て、わなわな拳を震わせて、 「……知ってるんだぞ。ひと月前にここでバケツ倒したのお前だろ。毒針が転がってるの見つけたんだ、あのせいで、あのせいで、僕がどんだけ怒られたか……!」 「い、いや待て、そりゃあしかし俺はだな」 「――痛い目を見ないと、分からないみたいだなっ!」 今日一張りのある声でそう言うと、少年は再三モンスターボールを取り出して――
春めく蔵に、蜘蛛の悲鳴が轟いた。
+++ 約9000字。お付き合いありがとうございました。 木を切ると二酸化炭素温暖化ウワァァって思われがちなんですが、間伐って実は森に働いてもらうためにかなり大事なことなんですね。年寄りの木は二酸化炭素吸収にあんまり貢献してくれないらしいんです。ほんまかいな。 里山の荒廃とかね叫ばれてますよね。ほっときゃいいってもんじゃないんですよね。でも列状間伐とか金かからんやり方では云々。詳しい人いたらどうしようごめんなさい。 そんな、春らしい爽やかな作品に仕上げてみました。
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檻の中の小さなはらっぱ ( No.7 ) |
- 日時: 2011/05/05 13:01
- 名前: 北里ミカ
- A「リスタート」
近頃はポケモンをボックスに放置することが社会問題になっている。 メタモンとくっつけて無限にタマゴを産ませ、孵化させても気に入らなければボックスに閉じ込めたまま。その赤ん坊は草むらを駆ける数多のポケモンを見ることなく、ボックスという檻の中で一生を終える。 テレビのニュースでは連日そんな報道ばかり。ボックスにポケモンを閉じ込めておく者は、もれなく批難の対象となっていた。 そう、その批難は、社会的地位が揺らぐくらいに、大きな影響を与えてしまうのだ――。
彼の通称はキサラギ。本名はメイケ。今となってはメイケと呼ぶ者などほとんどないに等しい。 あまりにもキサラギの名前が広く知れ渡りすぎた。彼はつまり、この地方のチャンピオンで、通算八度の防衛を難なく達成しているからだ。 圧倒的な実力とバトルスピード。烈風のキサラギと呼ばれた。挑戦者は軒並み彼の繰り出すヘルガーに苦戦した。ヘルガーのためにくだらない対策用講座が各地で開かれることもあるくらいだった。 一世を風靡したキサラギであったが、九度目の防衛戦で事件は起こる。 九度目の防衛戦を一週間後に控えた彼にとっては、まだ知るよしもないことなのであったが――。
昼下がりのポケモンセンター。 まだ眠気を拭いきれないトレーナーたちがロビーでくつろいでいる。今日は休日だから、元気がいいのはスクールが休みの子どもたちくらいなものだ。仕方なしに、ジョーイたちもずれた帽子を直しもせず動き回る。 ロビーに設置された大型のテレビではニュースを放送していた。 たいしたニュースはない。ポケモンリーグの挑戦者が四天王を制覇し、来週にはチャンピオンに挑むことが大見出しに来る程度の平和な日常。せいぜい剣呑なニュースはといえば、ボックスの中に多くのポケモンを放置したスクール生が、いじめにあって不登校になってしまったとか。スクールの小さな社会ですらボックス内は誰にも見られてはいけないようだ。 休日の昼下がりの引力に逆らえないキサラギは、ソファに座ってぼけっとニュースを眺めている。一週間後には挑戦者とのバトル。今度の挑戦者は少しくらい骨のある戦士だろうか。四天王を制覇して挑戦してくる者は多いけれど、チャンピオンを目の前にしても強者であり続けた戦士は少ない。残念なことだ。 キサラギが八度の防衛に成功しているのには、それなりの訳がある。 四天王は比較的バトルが多くて、鍛錬の時間をとるのが難しい。けれど、チャンピオンともなると、そんなに頻繁に挑戦者が現れるわけではない。何しろそのバトルがイベントとしてニュースになるくらいなのだから。おかげで、チャンピオンのキサラギは、日々の鍛錬を怠ることなく挑戦者を迎えることができるというわけだ。 もちろんそれだけじゃない。キサラギはバトルの度に手持ちのポケモンを入れ替えていた。得意手のヘルガーはそのままに、そのときのボックスにいる仲間たちの調子を見極めて、パーティを編成する。強くないはずがない。 自動ドアからカウンターまで敷かれている赤絨毯を子どもが駆ける。 小さな足音にキサラギが振り返ると、その寝ぼけた顔も子どもにとっては十分な歓喜の対象になった。子どもが嬉しそうに手を振って、キサラギも嬉しくなって手を振り返す。ロビーでくつろぐ大人たちは、キサラギなんて見慣れているので反応すらしてくれない。あんたらいつか、そこの子どもに追い抜かれるよ。それもきっと、近い未来にね。子どもが手を振る度に、キサラギはそんなことを思う。 子どもがポケモンセンターから出て行くのを見送って、キサラギはパソコンの前に立った。続いてボックスを開く。 主力メンバーがアイコンで並ぶボックスを眺めて、来週に控えた防衛戦の戦略を練る。どうせまたヘルガーの対策とかで、弱点をついたポケモンが出てくることだろう。それがむしろ、キサラギにとっての対策になる。ヘルガーが有名になってくれたおかげで、他にも強い手持ちはいるのに、うまい具合に隠されている。そうしてヘルガー対策のポケモンはあっさり敗れて、悪巧みをしたヘルガーの暴走が始まる。そんな王道で単純な戦略に、挑戦者たちはあっさりと崩れていく。 よし、キサラギは脳内のビジョンにほくそ笑んだ。 そのとき、そんな妄想を壊すかのような敵意がキサラギを刺した。慌てて姿勢を正したときにはもう遅い。横から手が伸びてきて、パソコンが勝手に操作される。 「なんだよ、おまえ!」 カタカタと無機質な音を立てるキーボード。動く手を押さえても、すでに操作は完了した後だった。パソコンの画面に映されているのは主力メンバーの姿ではない。カメラのシャッターを切る音がした。 鳥肌が立った。汗がにじむ。そこに表示されたのは、『ちいさなはらっぱ』だった。草原の壁紙に、びっしりとポケモンのアイコンが並んでいる。その小さなポケモンたちは本物の原っぱを見たことなどない。それならせめて――そう思って名前を付けた。ちいさなはらっぱ。孵化されてすぐにボックスに入ったデルビルたちが、ところ狭しと並んでいる。デルビルが、ボックスを埋め尽くしている。 掴んだ手をゆっくりと視線で辿る。背格好はキサラギとほとんど変わらない。けれど首の上についた顔は悪魔のような笑みを浮かべていた。明確な悪意をもって、キサラギの行く末を刈り取ろうとしている。 思わず腕から力が抜けて、掴んでいた手を放してしまった。 「これがチャンピオンの真実ってとこだな」 その悪魔のような男は、冷たい引き笑いを洩らした。まるで首筋に刃物を突きつけられているようだった。全身が寒いのに汗はとまらなくて、声を出すこともかなわず、震ることしかできない。これからのことを考えると、ますます自由がきかなくなる。 「こんなくだらねぇことで、一生を終わらせたいか? 嫌だろ? ん?」 悪魔のささやき。キサラギは頷くしかなかった。 「分かってるじゃねえか。死にたくねぇもんなぁ」 しばらくの引き笑いのあと、悪魔は続ける。 「来週のバトル、おりてくれよ、チャンピオン。ただおりるんじゃねぇ。おとくいのヘルガーを出して、盛大に負けてくれ。分かってるよな? なぁ、烈風のキサラギくん」 首からはカメラが提がっている。 この条件をのまなければ、八度の防衛に成功したチャンピオンは、九度目を待たずして社会的地位を追いやられるだろう。たとえ、のんだとしても、次のチャンピオン戦は人生最大の羞恥をさらして、チャンピオンという最高位を略奪される。 その選択に悩む時間は、一週間しかない。 悪魔のような男が去って行く。通りかかった子どもが、キサラギを見つけて嬉しそうに手を振った。キサラギは動けなかった。
それからの一週間、キサラギは鬱々とした心情のまま過ごすことになった。 まずは家から出なかった。挑戦者のバトルに使うパーティを準備して、ポケモンはみんなボールから出しておいた。静かに泣きながらヘルガーのごつごつした背中を撫でた。わざと負けることになってしまえば、恥をかくのはキサラギじゃなくてヘルガーの方だ。もちろんキサラギだって多少の被害は受けるだろう。それでもボックスの秘密をばらされるよりは軽い。要は保身に走るか、仲間を売るか。この選択でしかなかった。 答えは二つに一つしかないのに、キサラギは悩み続けた。チャンピオンの地位は、ずっと昔からの夢で、ようやくたどり着いた悲願だったのだ。それに手放さなければいけないのは地位だけではない。それまでに培ってきた努力を何もかも手放さなければいけなくなる。そんな悔しさに耐えられるはずがないではないか。 ただ負けるだけならば、また次に挑戦すればいい。そしてチャンピオンに返り咲いたときに、やつが写真を公開したとしても、作り物だなんだと言ってごまかせばいいだろう。負け惜しみほど憐れなものはないのだから、誰もがチャンピオンを擁護するに違いない。 それなら、仲間を売るのか――? こうして自問自答は堂々巡りを続け、ついに決断の日を迎えてしまった。
やはりと言うべきか、対戦相手はあの悪魔のような男だった。 特徴的な引き笑いで、チャンピオンと対峙している。 多くの観客がスタンドから見下ろす、スタジアムの中央。歓声に満ちあふれた異様な空気の中でも、チャンピオンは静かだった。 チャンピオンの名前が呼ばれた。電光の大画面にキサラギの名前が、整った顔写真と共に浮かび上がる。 続いて挑戦者の名前も呼ばれたが、二人はもう画面の方など見ていなかった。 スタジアムの熱気が最高潮に達し、戦いの火蓋は切って落とされた。 キサラギが出したのはヘルガー。対する挑戦者のポケモンはメガヤンマ。どちらが有利とも不利ともいえない。それでもおそらく、勝つのはヘルガーだろう。持たせている道具が、ヘルガーを持ちこたえるように守ってくれる。 先手必勝――! 一瞬で周囲の空気が熱を帯びた。ヘルガーが全身を赤く火照らせ、最大出力のオーバーヒートを放つ。 キサラギは仲間を守る選択をした。どちらが正しいかは分からない。だが、せめてチャンピオンとしての誇りくらいは守りたかったのだろう。 宙に浮くメガヤンマが業火に包まれる。それでも持ちこたえたのは、ヘルガーがどうぐに守られているのと同じ理由だ。 そのとき、キサラギは悪魔のようにほほえむ男と目が合った。 わかってるよな、口元がそう動いた。 ぞくりと悪寒が走る。やつの首からは相変わらずカメラが提がっていた。 メガヤンマが反撃に打って出たのに、指示を飛ばすことができない。実況の叫び声が意味不明な言葉に聞こえ、スタジアムの歓声が薄れていった。 わかってるよな、もう一度、悪魔の口が動いた。 ヘルガーが倒れた。 観客の声も実況の声も聞こえない。視界がぼんやりしている。 次のポケモンを出した。 チャンピオンは指示を出さなかった。仲間を裏切った。
先に控え室に戻ったのは、元チャンピオンの方だ。 スタジアムでは新たに生まれたチャンピオンが盛大な祝福を受けている。歓声の後にはどよめきが起こっていた。自分が初めてチャンピオンになった時もそんな空気だっただろう、キサラギは記憶を辿る。 あぁ、これで自分はチャンピオンの地位を降りた。でも、まだだ。 またやり直せばいい。いくらでもやり直せる。バトルの実力だけだったら、あんな雑魚よりも自分の方がよっぽど強い。四天王を軽くひねり倒して、それからチャンピオンを倒して、どちらが本当のチャンピオンに相応しいかを証明してやる。 おれが、チャンピオンだ――!
キサラギは地元のポケモンセンターに入った。 まずはパーティの編成からやろう。そう思っていた。 しかし、どこか普段とは雰囲気が違う。自分に向けられる視線の種類がいつもとは違う。 これは憐れみの視線だろうか。九度目の防衛戦で醜態をさらしたキサラギに対する、軽蔑か何かだろうか。 わからないまま手持ちのポケモンをカウンターに持って行くと、馴染みのジョーイさんまで嫌な顔をしていた。 見渡すと、誰もが同じようにキサラギを見ていて、中にはひそひそと囁き合っている者までいる。 テレビの画面が目に入った。 チャンピオン戦の録画をやっていて、映像は既にヒーローインタビューを迎えていた。 そこでキサラギは気づいた。 全国に向けて、あの写真が公開されていた。 あの男が高らかに宣言をした。元チャンピオンのキサラギはこんなやつで、保身のためにこんな負け方をしたのだと――。 キサラギは悪魔に裏切られ、最悪な結果を招いたことに、この世界の誰よりも遅く気づいたのだ。 終わった。何もかも。 足が笑っている。その場に崩れそうになるのを必死で堪えて、なけなしの勇気を振りかざしながら走り出した。預けたポケモンもそのままにして、ポケモンセンターを出て行く。 走る。どこに行っても、人の視線がある。冷たくて、攻撃的な。 刺さる視線は鋭くて、走れば走るほど傷は増えていった。どこまで行っても傷は癒えない。新しいチャンピオンがどこかで笑っていて、社会的地位を追われた元チャンピオンに差し伸べられる手はどこにもなかった。 あぁ、あぁ、声が洩れた。涙が流れていった。 やがて森にたどり着き、周囲の視線が一つもなくなった。うずたかく積もった葉っぱの上に倒れ込んで、元チャンピオンは死んだように動かなくなった。 たかがボックスにポケモンを放置していただけで――。 誰もがそうしているじゃないか。ポケモンを強くするなら避けては通れないことだ。それでも人々は批難するのだ。自分がやっていたとしても。 それをあの悪魔は分かっていた。知っていた。恐らくやつも同じことをやっているに違いない。やつはあれだけ強いヘルガーがいるならやっていても不思議ではないと思ったのだろう。その予想を見事的中させて、ポケモントレーナーの最高位を奪っていった。 いや、奪ったのは地位だけじゃない。ただ一人の男の未来も一緒に。 キサラギは仰向けになり、周囲にだれもいないことを確認すると立ち上がった。 よろよろと歩き出す。木に手をつきながら、奥へ奥へと進んでいくと、急に視界が開けた。 そこに広がっていたのは原っぱだ。小さくなんてない。ずっと広がっている、はらっぱ。 こんな綺麗な場所を切り取った箱庭の中に、あのデルビルたちは閉じ込められていたのだ。デルビルも風を感じて、思いっきり走り回りたいに違いないのに。小さなはらっぱは、それを許すことなんてない。まさしく檻だった。 この原っぱに、デルビルたちを放そう。デルビルだけじゃない。ボックスにいる色んなポケモンを放すんだ。 苦しかったろう。冷たかったろう。大丈夫だよ、ここはもう、檻の中じゃないんだよ。 そんな、償いにもならない言葉をささやいて。 キサラギは急いでポケモンセンターに戻り、檻の中に閉じ込められていたポケモンたちを引き出し始めた。一度に持ち出せるわけがない。 だからポケモンセンターと原っぱを何度も何度も往復した。 一日で終わらない。二日でも。三日目でようやく終わった。 もうどんな視線を向けられたってかまわない。 自分がやれることは一つを残して全てやったのだから、あとはあの悪魔のような男に一泡吹かせてやるだけでいい。 キサラギの心身はすでにぼろぼろだったけれど、まだ最後の仕事がある。 初心に返ろう。初めてポケモンリーグの門をたたいたあの時に戻ろう。ただ六匹のポケモンしかいなくて、鍛錬なんて高尚な言葉を使う余裕すらなかったあの頃に――。
スタジアムは歓声に沸いている。 挑戦者の名前が呼ばれた。 彼の名前はメイケ。古い名前は檻の中に捨ててきた。冷たい場所だ。 ――小さな、はらっぱだった。
――――――――――― [6006文字] ボックスの中身を見られないように気をつけましょう。 読んでくれてありがとうございました。
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偽心真心 ( No.8 ) |
- 日時: 2011/05/07 21:51
- 名前: プラネット
- Aコース「リスタート」
僕の事を、人々はなんと言うだろう。 最強のトレーナーとか、天才とか、期待の星とか――はたまた化物という人もいると思う。 僕は――なんなのだろうか。
僕の生まれはジョウト地方のワカバタウン。恐らくだけど、ジョウト一の田舎だと思う。 僕はそこの中の一つの家で生を受けた。そして、僕は十歳になって旅に出る事となる。 道中、色々な騒動があった。
アルフの遺跡の謎を偶然だけど解いた。 ウバメの森では時渡りなんていう超常現象に巻き込まれた。 エンジュシティでは伝説のポケモンと出会ったり、戦ったりもした。 アサギシティでは薬を貰いに行かなきゃならなくなった。 怒りの湖では赤いギャラドスなんてものを見た。 チョウジタウンでは迷惑なお土産屋さんやロケット団のアジトに乗り込んだ。 挙句の果てにはロケット団という組織を解散させてしまった。 その上、何だかジムバッジをくれない強情な人もいた。
そして、僕は快進撃を続けていった。そんなある時、ある人は君は本当に子供なのかい?と言った。 僕は確かに自分のこの力量をおかしい、と思っていた。 三年前にも似たような凄い少年が現れたらしいが、それを十年――いや百年に一人の逸材だと判断すれば、充分に考える事は可能だ。でも、僅か三年で似たような快進撃をする子供がまた現れたとなれば、それは当然おかしいと思う。 僕もそれには同意見だった。でも、彼は違った。コウヤだけは。僕を見据えてこう言った。 「お前はお前だ。他の連中がどう言おうが、お前は俺のライバルだ。天敵でもある。お前ほどのヤツを倒せずにポケモンチャンピオンなど名乗れるか。お前だけは俺が倒す。必ずな」 彼は自分を見失わない。強さをどこまでも求めている。それが、純粋に僕にしては羨ましいし、妬ましい。
そんな時。僕はカントー地方へ招待された。オーキド博士の斡旋だった。 僅か十歳という若き年齢でポケモンリーグを制覇した天才少年、という事でカントーのジムを回る事となった。 そして、それを僕はまたやってのけた。人々は更に化物だという。もう、僕がいつ見ても、客観的に自分を見ても化物だ、としか思わなかった。 そんな中、僕は――シロガネ山へと向かう事になった。 普通のトレーナーの侵入を拒むのだが、僕は二つの地方を制覇した前代未聞のトレーナーとして特別に入ることを許された。これもオーキド博士の斡旋である。
そして――僕は見た。真なる伝説を。 彼はそこにいた。聖なる霊峰――シロガネ山の頂に。一人寂しく。 その瞳は一体、何を見据えているのだろうか。無感情、ともいえる――そんな瞳。 彼は――腰のベルトからモンスターボールを取り出した。彼の右肩にはピカチュウが乗っている。 僕は静かに頷いた。 『生きる伝説』という言葉があるなら僕の目の前の彼が最も当てはまると思う。彼は圧倒的だった。 僕は自分自身を化物と思っていた。だけど――彼は格が、何もかもが、ステージそのものが違っていた。 結論から言おう。僕は――負けた。
何故だろうか、それ以来僕はずっとワカバタウンに篭っていた。周囲は突然の帰郷に驚き、そして閉じこもった僕を不思議に思っていたみたいだけど、僕は全然違う。 あの圧倒的な存在を――僕は恐れていた。 バトルをしようとするだけで彼を思い出し、そして身体が震えてしまう。トラウマ、と言っても過言ではないと思った。 僕はポケモンバトルが出来ない――旅も出来るわけが無い、そう思って帰ってきたわけだ。 彼は僕の全てを破壊した。根底から天上まで、僕の全てを揺るがし、そして完膚なきまでに破壊した。 そして、僕は思った。僕はこのまま――こうして暮らすしかないんだろうって。 僕はもう――戦えない。 数週間が経った。数ヶ月が経ってしまえばいいと思った。 コウヤが僕の目の前に突然と姿を見せに来たのだ。 僕にとって、それは意外な来訪者。コウヤは僕の顔を見るなり、僕を外へ連れ出した。 「何なのさ」 「さあな、お前自身に聞いてみろ」 「バトルならしないよ」 「あぁ、言うと思った。少し付き合え」
コウヤは僕をどこへ連れて行くのだろうか。 近場だった。ウツギ研究所。僕の旅の切っ掛けを作り出した場所だった。 そこにはある来客がいた。間違っても、こんな田舎には来ないであろう人が一人。 橙色のツンツンした髪、黒の革ジャン、薄茶色のジーンズを身に着けた人物――カントー地方、トキワシティジムリーダーのグリーンさんだ。 「よぉ久々だな」 「お久しぶりです」 僕は軒並みな挨拶で返す。グリーンさんを見る限り、暫く会っていなかったけど元気そうだった。 「ところで、何でまた突然篭りだした? ん?」 直球に聞いてきた。 まぁ、大方そうなんだろうなと思う。僕は――何も言えなかった。いや、実際には色々と言えただろう。 だけど、それをできなかった。出そうと思えば出せるのに、その先が言えなかった。 その様子を見て、グリーンさんは言った。
「………その感じ。もしかするとだがお前……会ったな? アイツに」 「アイツ……?」 「あぁ、オレの邪魔をしたヤツがいるって以前言ったろ? ……オレの幼馴染さ」 「……………」 「まさかとは思うがお前、本気でアイツに会ったのか? アイツは三年前から行方知れず。オレだってアイツの所在は知らないんだ」 僕は何も言えなかった。でも分かる。グリーンさんの言っている人物が間違いなく、僕にトラウマを植えつけた張本人である事は。 「ま……焦っても始まらないな。今度また来るわ」 そう言い残して、グリーンさんは研究所を後にした。 残るのは僕とコウヤの二人。暫く黙っていたのだけど、コウヤはやがて我慢できずに僕に聞いた。 「お前、負けたのか?」 コクン、と首を縦に振った。 否定できなかった。いや、彼だからこそだろう――僕はしなかった。 「負けたからお前止めたのか?」 「まさか……僕だって負けた事はある。でも、全てが違っていたんだ」 「全て、だと?」 「根から全てをかき回された。僕は僕なのか。僕は一体何なのか――本当に色々とかき回された。気付いたら……負けてた」 「リベンジは考えなかったのか?」 「考えた。でも、バトルしようとする度に――身体が拒絶したんだ。震えが止まらない」 コウヤは壁にいつのまにか体重を預けて凭れていた。 僕は続ける。 「それだけじゃない。僕はあの人のことばかりを考えるようになった。全てが全て、その人に囲まれて……」 考えるだけで僕の身体は恐怖を感じ、怯えだす。震えだす。 その様子を黙って静観していたコウヤは――こう言った。
「バカじゃねぇのか」 「え……?」 「だからオレはバカじゃねぇのか、って言ったんだ」 流石に僕も目つきが変わる。そしてコウヤの服を咄嗟に掴んだ。 「君は分からない! 僕は知っている! 分からない癖に勝手な事を言うなッ!!」 「いいや、分かる」 コウヤは僕の手を静かに振り払う。何故だか、いつものコウヤじゃない気がしていた。 コウヤは僕を一瞥する。 「お前、オレが今までどんな気持ちでお前と戦っていたか、分かるか?」 「ぇ――」 「オレはずっと言いたかった。お前、人間じゃねぇってな」 「―――ッ!?」 「だが、今回の事ではっきり分かった。お前は人間だ」 「どういう事……!?」 コウヤははっきり、僕に宣告した。僕の恐怖の元凶を。 「お前は自分のポケモンをボロボロにされたくないから、戦いたくないんだ」 「え?」 「お前は今まで、負けたとは言ってもそれは常に自分だけが関与する事だったはずだ。だが、お前は――自分のポケモンを完膚なきまでに叩き潰され、恐怖に怯えているだけだ。臆病者なんだよ、お前」 一瞬、コウヤの言葉の意味を僕は理解しようとは思わなかった。 恐れている? 僕が? でも――考えてみれば、辻褄はちゃんと合う。 コウヤは言う。 「お前らしさって何だ?」 「僕らしさ?」 「あぁ。オレは絶対に諦めないというところだろう。お前は――オレから言ってみるなら」
――ポケモンをとことん信じる絶対的な強さを持っているんだろうな――
コウヤはそう言い、僕はそれを最後まで聞かずに研究所を飛び出した。聞きたくなかった。 僕に、そんな言葉は似合わない。そして、僕はやっと気付けた。 化物と呼ばれていた真の理由を。 家へ帰ると、僕はモンスターボールからポケモン達を出した。
「みんな……ごめんね」
静かに僕は呟くように言う。 「みんなを信頼していたつもりだった――でも、実際は違っていた。僕はみんなを仲間だなんて思っていなかったんだ。僕はみんなを兵士として扱っていた……あの人は一瞬でそれに気付いたんだ。だからっ! だからっ! だからっ! だから、僕は僕をも欺いていたんだ。みんなを信頼しているように自分や周りに見せ付けるために――それすら……それすら……あの人は……」 今まで泣かなかった。泣けなかった。だけど――それは僕自身が言ったように、本当にポケモンを信じていたとは言い難いと思う。 僕は色々な言葉を、謝罪をしたかった。でも、それをみんなはさせなかった。
僕を優しく包み込んでくれた。こんな僕を。みんなは道具として使われていたようなものなのに、そんな僕を許してくれるというのかい? 自然と涙が頬を伝う。 みんなは僕の嗚咽する声を懸命に聞いてくれていた。僕の懺悔を、後悔を、静かに聞いてくれていた。 僕は、僕は、僕は、僕は、僕は――
あれから二週間足らず。 僕は再び、シロガネ山へ来ていた。 もう、迷いは無い。 彼と再び戦うために―――僕はここへやって来た。 そして、彼もまた、僕を待つように頂に立っていた。 足音をわざと鳴らす。 頂には雪が積もっているから、そんな事をしなくてもいい。でも、あえてやったのだ。 彼は音に気付き、僕の方を見る。
口元が微笑む。 嬉しいのだろうか。それはよく分からない。でも、どうやら表情だけで分かったらしい。 この前との変化に一瞬で気づくなんて流石だ、と思う。 彼は言った。 「やっと来たね。もう来ないかと思っていたよ」 「負けませんよ先輩。僕は先輩を、伝説を越えてみせます」 「そう――」
楽しみだ、と彼は静かに言い―― 期待していて下さい、と僕は返した。
さあ、始めよう。 僕は迷わない。僕は歩き出せるし、挫けたってまた立ち上がれる。 僕には――友がいる! 仲間がいる! 親友がいる! この言葉は――随分と久しぶりだ。 でも、僕が僕である今、初めて使う言葉だと言っていい。 さあ、生きる伝説よ、僕はあなたを今こそ越えてみせる! 僕は心の底からその言葉を強く叫ぶように言う。
「頼んだよ、バクフーン!!」
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初めまして、新参者のプラネットといいます。 チャットで今回の企画を知り、参加させてもらいました。 大体4000文字+αです。正直皆さんの作品を読んでると短くね?と思ったくらいです。 世界観の説明は不要でしょう。原点にして頂点の方はとことんすごい事になってますが、まぁそれはそれでいいかもしれません。 春なのに雪という滅茶苦茶季節外れの言葉が出てきましたw 本当に申し訳ないですwww ここまで読了していただいた皆様方、本当にありがとうございました。
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無音の世界 ( No.10 ) |
- 日時: 2011/05/09 23:08
- 名前: ニシカミ リザード
- B「鐘」
ココハ タワーオブヘブン…… タマシイガ ネムル バショ……
俺がタワーオブヘブンを訪れたとき、一階にいた警備員が機械のようにそう告げた。昔の話だ。機械というよりは、人間という殻の中に何か得体のしれない存在が乗り移ったふうだったかもしれない。そいつを見た瞬間、俺はタワーオブヘブンとはこういうものか、と思ったものだ。 薄暗くて気味の悪い場所だというのに、この場所は魂を鎮めるための場所だという。なんでも頂上の鐘がそうした力を持っているのだそうだ。フキヨセのジムリーダー、フウロが言うことには、鳴らす人の心根が音色に反映されるのだとか。それはおもしろいと思った俺はすぐさまに行動を起こした。 鳴らしてみてもいいだろうか、その申し出にフウロは快諾した。 おとなしい野生のポケモンたちと戯れながら、頂上を目指し、辿り着いた場所は浮遊感の漂う神秘的な場所だった。奥には大きな鐘が静かに存在している。 心臓の高鳴りを抑えながら鐘に近づき、厳かな心持で俺は確かに鐘を鳴らした。 音は鳴らない。 鳴らない理由について、ジムまで戻ってフウロに問い詰めてもよかっただろう。しかし俺は鳴らないくせに揺れ続ける鐘を目の前にして、一歩たりとも動くことができなかった。脳裏にはフウロの言葉がよぎる。 ――鳴らす人の心根が音色に反映される。 だとしたら俺の心根には、音色をかき消してしまうような何があったというのだろうか。あるいは、何もなくただ真空が広がっているだけなのだろうか。疑問符に答えを見つけることなどできない。俺は自分の心根など見ることができないのだから。 仕方なしに俺はジムまで戻った。良い場所でした、そう一言だけ感想を述べて去るつもりだった。それが旅人である俺の最低限やるべきことだと思っていた。 けれど言い出すより先に、フウロのほうが口を開いた。 「鐘の音はどうでしたか」 その表情は愛想笑いすら浮かべることなく、タワーオブヘブンにいた警備員のようにどこか機械めいていて、内に秘めた感情を汲み取るなどということはできなかった。 「良い音色でした」 タワーオブヘブンについての感想を述べる代わりに、聞かれたものだから鐘についての感想を述べた。実際は音色など聞いていない。良い音色でした、それはつまり自分の心根が清らかであると言っているのだ。俺は言った後で失言であると気づいた。 「いいのよ、無理しなくて。アタシに聴こえなかった鐘の音が、あなたにだけ聴こえるはずがないんだもの」 フウロはすべてを見抜いていた。俺はこれより先の言葉を次ぐことができなかった。 鐘の音が聴こえない――その不可思議な現象が意味するところはなんだろう。 頂上までの道に生息していたポケモンたちに敗れ、鐘まで辿り着けなかったと思われただろうか、まさかそんなことはあるまい。鳴らしたはずなのに音が出なかった、多くの人々の音色を聴いてきたフウロにはそれくらいの推測もできただろう。 俺は冷たい人間か? 心はからっぽか? 旅の目的に一つの問題が加わった瞬間であった。
鐘が鳴らなかった理由は、未だに分かっていない。 もし原因を何かに無理やり見出すとするのならば、俺が記憶喪失であるということくらいだ。そもそもの旅の目的は、自分の記憶を取り戻すことにある。タワーオブヘブンは完全に寄り道のつもりだった。背の高いタワーの姿を見て、失われた記憶の欠片が表層に浮かび上がらないことからも、寄り道になることは分かり切っていたことだ。それが蓋を開けてみれば結果は全く違うものになった。フキヨセを出てからの俺は、あらゆることを鐘が鳴らなかった理由に結びつけるようになってしまった。記憶を探すのよりも、鳴らない理由を探すようになったのだ。 だから両方とも進展しないまま、俺はイッシュ地方を一周してしまい、最近は専らヒウンシティに居つくようになった。これだけの人がいるのならば、いつか俺を知っている者が現れてもおかしくはない、そんな期待をこめてのことだ。 しかしそんな受け身の姿勢では、本当にやることがなくなり、声が出なくなってしまうくらいの暇を持て余すのだ。暇を潰すためにヒウンシティを歩き通し、辿り着いたのは裏路地にあった怪しげな喫茶店。日の光が入らない陰気な路地では、荒くれ者たちが水を得たサメハダーになって泳ぎ回っているというのに、喫茶店の扉は結界が貼ってあるかのように綺麗なままを保っている。 俺は荒くれどもに睨まれながら、ゆっくりと扉を開く。外の世界とは空気を異にしていて、別の世界に足を踏み入れたような錯覚を覚えた。 ギターの音色が聴こえる。タワーオブヘブンにある鐘が鳴ったら、この音色よりも美しい響きになるのだろうか。まだ聴かない記憶に想いを馳せながら、ギターの音に耳を傾ける。 「一杯どうですか」 喫茶店のマスターが言った。俺はコーヒーをブラックで頼んで、カウンターの椅子に腰をかける。 しばらくすると湯気を上らせるコーヒーが出てきて、俺はその黒い液体を見つめた。 「何か悩み事があるようですね。私でよかったら聞きますが、どうですか?」 悩み事といってしまえばそれまでだが、俺が抱えているのは人生の命題とも呼ぶべき問題だった。それを話すよりも先に、まずは聞くことがある。 「なんで悩み事があると思ったんだ?」 マスターは洗練された動作でコーヒーカップを拭いている。その手が少しだけ止まった。 「こんな陰気な場所に来る人が、悩み事の一つも抱えていないとは思えないでしょう? 事実、私どもの店にいらっしゃるお客様はそうした方ばかりですから」 なるほど。納得して、ブラックコーヒーに口をつけた。口にするに丁度いい温度の液体が喉を通っていく。ほぅとため息が出て、俺はいくらか落ち着いた気持ちになった。 タワーオブヘブンの鐘を知ってるか――。 俺は鳴らない鐘がこれまでにどんな影響を及ぼしてきたかを話し始めた。俺の旅はこいつに出会ってから全く違う道行になってしまったのだと。
そうして話し終えるとき、舞台の歌い手に合わせるバックサウンドのようにギターの音色は引いていった。俺は話しているあいだ、舞台の上に立っているかのように感じていた。この場所がそれほどの雰囲気を保ち、かつギターを弾いている男が相当な実力であったからだろう。 「ちょっといいかな、兄さん」 ギターの奏者が口を開いた。 「記憶がないって言ったね? それに、タワーオブヘブンの鐘が鳴らなかったとも」 俺は頷いて、先を促した。 「恐らく私がやっても同じ結果になるだろう」 奏者は黒いメガネで両目を隠したまま、けらけらと表情を出さずに口元だけで笑った。 「つまり、どういうことだ?」 「私も君と同じだったのさ。記憶がない。鐘は鳴らない。その時フウロは心配そうな顔をしていたさ。けれど、ある場所に行って思い出した。記憶がないことも、鐘が鳴らない理由も、すべて思い出した」 その言葉に食いつかんとする、はやる気を抑えようとした俺はコーヒーを一口飲んで、ため息をしてから口を開く。 「その場所はどこなんだ」 奏者も持っていたギターをスタンドに立てかけ、椅子に座ったまま手を組んで前かがみになる。暗いメガネの隙間から小さな目が見えた。その目が俺を捉えている。 「いいのか? 記憶を取り戻し、鐘が鳴らない理由を知ったとしても、君にいいことは何一つないかもしれないぞ」 それでもいいと、俺はすぐさま返事をした。 奏者はけらけらと笑って、しばらくしてからようやく話を始める。 「デスマスっていうポケモンを知っているか? デスマスは実におもしろいやつなんだ。何が面白いかって、それは見てみれば分かる。だから君が行くべき場所は、デスマスがいるところ――古代の城だ」
言われたとおりに古代の城に足を運んだ。広がっている砂漠を見たときは思わずため息が出てしまったが、歩き出してみるとそんなに苦ではなかった。時おり吹いてくる風が細かい砂を運んできて、それが身体のあちこちを叩いていったが、長い間歩き続けた旅の辛さに比べれば大したことはない。 しばらく歩くと石像やら古い建物が見えてきて、案外あっさりと古代の城に辿り着くことができた。行きやすいこともあってか、砂漠に佇む遺跡は観光地にもなっているらしい。家族連れの観光客だったり、興味深く城を見て回る人が多くいた。その中でもデスマスを見るために訪れたという者は俺くらいだろう。それも単純な興味ではなく、自分の記憶について探るのが目的だ。 一階は観光客やらトレーナーの小さな人ごみがあったので、俺は地下に続く石造りの階段を降りた。 いきなり目に入ってきたのは、マスクを持った全身真っ黒のポケモン。 ――デスマスは実におもしろいやつなんだ。 ギターの奏者はそう言っていた。何がおもしろいポケモンか。俺はデスマスの姿を見た瞬間、全身に電気が走ったように思えた。鋭利な感覚が脳天から突き抜け、首から上を火照らせた。 デスマスは、持っているマスクを見て、涙を流していた。 顔という顔のない真っ黒なそいつは、まるでマスクが本当の顔であるかのように、顔が刻まれたマスクは細部までしっかりと造られている。周囲を見渡して、他のデスマスを見てもそれは同じであるが、マスクに浮かぶ顔はどれも違っている。 人間が決して同じ顔をしていないのと、同じように――。 心臓が早鐘を打っている。薄暗い砂の城で、俺は記憶の欠片の一端を見ているように思うのだ。何がそう思わせるのか、分からない。あと少し。あと少しの何かがあれば、俺は――。 旅だ。イッシュ地方を巡った旅。道中で立ち寄ったタワーオブヘブン。魂を鎮める場所。頂上にあったのは鳴らない鐘。無音の世界で俺が感じたものは何か。俺は冷たい人間か。心が空っぽなのか。 ――鳴らす人の心根が音色に反映される。 あの時フウロはそう言った。俺は今、見つけてはいけない答えを拾い上げようとしている。まさかそんなことはないだろうと、考えることさえしなかったその答えが、俺の眼前に突き付けられている。 鳴らす人の心根が音色に。それなら、音色にならなかった俺の心根は。無音の音色が作り出した世界。それが俺の世界だとしたら。もしそうなら、
――俺は、人間か? 破砕音を聞いた。その音は俺の中で響いているものだろうかと思ったが、それは違う。泣いていたデスマスが慟哭をまき散らしている。持っていたマスクが欠片になって、その場に散っている。血の涙を流したデスマスが吠えていた。顔のない真っ黒な表情を悲痛に歪ませ、顔に当てた両手を震わせながら。 嘆きに反して、デスマスは光に包まれていく。暖かな光だ。 砂の城の中で叫び声は響かない。それでも届いた叫び声が俺の胸を突く。 マスクが割れた――つまり、それは進化の兆しだ。 デスマスの持っているマスクが表すもの、それは人間だったときの自分の顔。生前の自分。進化はそれと決別をし、完全なポケモンへと生まれ変わる儀式。そんな知識が俺の頭の中を駆け巡る。同時に脳裏を飛び交う映像。 真っ黒な両手。砂の壁。石の階段。俺を包み込む光。足元には――。 俺の顔が掘り込まれた精微なマスク。 ポケモンになることを拒んだ。俺は人間でいたかったのだ。ポケモンになんかなりたくなかった。旅を続けていたかった。包み込む光の温度に、俺は一切の優しさを感じなかった。 不意に叫んでいたデスマスの声が止んだ。そこに居たのは進化したポケモンの姿だった。デスカーンが雄叫びを上げて、去っていった。足元のマスクは砂をかぶり、やがて消えていく運命にある。 こうして一人の人間が死ぬ。 あの光は、進化の光ではない。死が人間を迎えるために差し向けた光だ。死の光だった。 思い出したすべての記憶は、確かに俺を幸福になんかしてくれなかった。 分かったことはただ一つ。
俺は死んでいた。
再びタワーオブヘブンを訪れた。そこには相変わらず機械のような警備員がいる。こいつもデスマスだったのだろうか。 頂上に辿り着き、鐘を揺らしてみたけれど、そこに生まれたのは無音の世界だった。 音色は響かなくて、俺の心に生まれるものは何もない。 「鐘の音はどうですか」 後ろからフウロの声が聞こえた。 「無音だ。無音の世界だ」 俺は答えて、言葉を続ける。 「頼みがあるんだ」 振り返ってフウロの心配そうな瞳を見つめる。 「俺の代わりに、この鐘を鳴らしてくれ」 フウロは笑って答える。 「無理ですよ。アタシだって、デスマスなんですもの」 「それは嘘だな。笑顔の綺麗なあんたが、死んでいるはずないじゃないか」 そうしてまた笑う。 「もちろん冗談です。鳴らしてあげましょう。あなたのために」 タワーオブヘブンの鐘が鳴った。無音の世界は光に包まれていく。 俺は目を閉じた。やはり、タワーオブヘブンなのだ。俺が旅の途中に辿り着いた場所は、決して寄り道なんかではなかった。ここが、俺の行きつく場所だったのだ。 光は暖かだった。 頬が緩む。俺は生まれて初めて笑ったような気がした。
そして、俺の旅は終わった。
ココハ タワーオブヘブン…… タマシイガ ネムル バショ……
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みそか成長記 ( No.11 ) |
- 日時: 2011/05/10 13:03
- 名前: ファンシー至上主義
- Bコース テーマ『鐘』
祥子はふわふわ中毒だった。 それと言うのも、小さい頃に迷子だった詩子を助けてくれたシルクハットの青年が、大量のふわふわをプレゼントしてくれたのである。それ以来、祥子はふわふわが無いと生きていけない身体になってしまった。 大学生になって光の街で一人暮らしを始める。初めて足を踏み入れた時には、ふわふわの少なさに愕然としたが、いざ暮らしてみると意外とそうでもないことが分かった。例えば、生協のエントランス。例えば、ビルの曲がり角。あちこちに散らばるふわふわを見つけては、それを拾って生活をしていた。 そんな暮らしを続けて一年弱、雪の降らない街に鐘が鳴る。ぼーん、……。ぼーん、……。除夜の鐘の音だ。祥子の地元では、住職でなくても先着百七人(最後の一回は住職が突く)に突かせてもらえたが、この街ではどうだろう。少し買い出しに出かけただけだったが、それ以外に用事もなかったのでお寺の方へと足を運んだ。 結局、鐘を突かせてもらうことはなく、ただ火を焚いて周りでわいわいとご近所さんが喋っているだけだった。奇麗、と火の粉の先に見とれていたが、ここにはふわふわがそれほど見当たらず、祥子はがっくりと肩を落とした。 その帰り道、道端にふわふわが落ちていた。行きは見当たらなかったのに。ふわふわの塊は、てんてんと路地裏に続いていた。祥子は一つ一つ丁寧に拾いながら、跡を辿っていく。 そして、祥子は溢れる笑みを両手でふさぐことになる。小さな段ボールの中から、今までに考えられない量のふわふわが! 胸のどきどきが抑えきれず、逸る足を抑えきれず、祥子は一瞬でも早く段ボールの中を覗きたい衝動に駆られた。 大量のふわふわに囲まれて、一つのタマゴが眠っていた。ただ生まれる一瞬の為に、ひたすら内へ内へとエネルギーを循環させるタマゴ。見た目は全く動かないが、掌から伝わる温もりが、実態を教えてくれた。 段ボール箱の側面をよく見てみると、「拾ってください」と書いてあった。そう、それじゃあお言葉に甘えて。祥子はタマゴを抱えて、一直線に我が家へ向かった。
家に着いた瞬間、タマゴは割れた。上部だけが割れて頭が飛び出す。その後、タマゴから手足が生えてきた。 祥子はその生き物と目が合った。高い声で鳴いて、つぶらな瞳で見上げてくる。かわいいと思ったのと同時に、不思議な予感があった。この子は、ふわふわを呼び寄せ、生みだす資質がある。その根拠は、段ボールに溢れたふわふわだ。もしかして、あのふわふわの多くはこの子が生み出したのではないか。背中がぞくぞくした。一人暮らしでペットを飼うのも悪くない。 トゲピー。それが、この子の種族の名前だ。大みそかの深夜に出会ったと言う事で、祥子はトゲピーをみそかと名付けた。 トゲピーの育て方を調べる正月を送っているうちに、みそかはトゲチックに進化した。 ポケモンって、こんなに早く進化するものなのだろうか。赤ん坊から見違えて、一気に青年のような顔つきになったみそかは、祥子の目により可愛らしく映った。ただの赤ん坊よりも、智慧のある可愛らしさ。ほれぼれする。 再び大学が始まり、祥子は謝りながら家にみそかを置いて出ていった。みそかをあまり一人ぼっちにしすぎるのも忍びなく、可能な限り早く帰ってくるようにした。遊んでやると、無条件に喜んだ。その顔を見ると、ふっと口角が上がってしまうのだった。 そんな生活も、夏が始まるときに終わってしまった。そろそろ新しいバイトを考えないとなぁ。その一言がきっかけだったのだろうと、祥子は後になって考える。 七月、テスト間際。家に帰ってみると、みそかの姿がない。祥子はいてもたってもいられなくなって、ありとあらゆる物陰を探した。おかしい、今までこんなことはなかった。ベランダの鍵が空いている訳でもない。家の鍵もきちんと締まっていた。じゃあなんでいないの? 祥子は泣きたくなった。 家を出て、辺りを走り回ってみたが、やはりみそかの姿らしきものはどこにもなかった。夜十二時を回ったところで、急に足が重くなり、真っ暗な闇の中をとぼとぼと歩いて、ベッドに倒れ込んだ。 テスト期間中、みそかのいない悲しみに暮れながら勉学に励んだ。暗い気持ちがうまいこと集中力に切り替わってくれたおかげで、無事テストを乗り切ることができた。 夏休みが始まって、祥子はバイト三昧の日々を送った。稼ぎが無かった時期は、親に生活費を肩代わりしてもらっていた。その後れを取り戻さなければ。と言いつつ、それほど精神的に疲れ過ぎない仕事を選んだのは、ふわふわを探しに出かける時間が必要だったからだ。ふわふわを見つけるには、集中力が要る。こんなとき、みそかがいればもっとたくさんふわふわを見つけられたのだろうか。
九月、再び学校が始まる直前。バイトが終わって自分のアパートに帰ると、今までずっと姿を消していたみそかが廊下に立っているではないか。 祥子は十二メートル離れた位置からみそかの名前を呟いた。にも拘わらずみそかは祥子の声に振り向いた。それはそれはとても慌てた様子で、翼を動かさず飛ぶ不思議な浮遊術を使って扉を開き、その中に逃げ込んで、扉が大きな音を立てて閉まった。祥子は締め出しを食らったような気分になったが、良く見るとその扉は祥子の家ではなく、一つ右隣の家だった。 ドアノブを捻ってみようとしたが、既に鍵をかけられて、入ることは出来なかった。 インターホンを鳴らそうと思ったが、今日はもう夜も更け、ためらわれた。安堵と疑問が混ざった不思議な気持ちで、眠りについた。 次の日、再びみそかがいるはずの扉の前に来ると、表札に「みそか」の文字があった。小学生の女の子が、自分の部屋のドアに貼る名前のような、かわいらしいデザインで。 みそかはここに住んでいるのだろうか。深呼吸ののち、思い切ってインターホンを鳴らしてみる。 がちゃ、とは鳴るが、声は聞こえない。祥子は自分の名前を名乗って、みそかに出てきてもらうようお願いした。暫く無言のまま時間が流れ、やがてホンは切れた。 もう少し待つと、ドアがそっと開いた。出てきたのは、みそかだった。本当なら祥子のひざ上ぐらいの身長しかないのに、浮いているせいで祥子の胸ほどの目線となったみそかが、祥子を見上げている。 入ってもいいかと聞くと、みそかはゆっくりと頷いた。 中の様子を見れば、隣の住人がみそかを拾って飼っていたのではないか、という疑念はあっという間に吹き飛んだ。 子供の遊び部屋のような空間だった。カラフルなスポンジのジグソーパズルのマット。木で組まれた漕げない三輪車。赤、青、緑のビビッドなボックスの引き出し。線路のミニチュアが散乱している。 どこに腰を下ろしていいか分からない祥子に、水入りのプラスチックのコップを手渡すみそか。マットの上に散乱した線路は、幾つかが繋げられていた。丁度、運動場のトラックのような円を描こうとしている。だが、それを無事一周させるには明らかにパーツが足りない。それを見るみそかの目が、妙に悩ましげなのが目についた。 一体何をしようとしているのか気になったが、聞いたとしてもそれを教えてもらう術がない。祥子がみそかにできることはないかと考えたとき、ふとこの線路のパーツに見覚えがあることに気付いた。祥子は近所のおもちゃ屋に走り、同じものがないかどうかを探した。しかし、それらしきものは見当たらない。 それからと言うもの、祥子は大学生活の合間を縫って、線路のパーツの売っている店を探した。 インターホンを押せば、みそかは間違いなく応じてくれた。みそかの部屋は時々、レイアウトが少し変わっていたり、中のおもちゃが増えていたりしていた。十二月になる頃には、既にものの置き場と言うものが完全に消滅していた。ようやく、祥子も線路のパーツを売っている店を見つけて、買ってくる事が出来た。
そして大みそか。
厳密には違うが、祥子はこの日をみそかの誕生日として祝ってあげたかった。ケーキを買って、ロウソクも一本だけつけた。みそかの家のチャイムを鳴らす。 誕生日おめでとう、と言うと、みそかはとてつもない気持ちになって、狭い部屋じゅうを飛び回って喜んだ。祥子の顔は自然とほころんだ。 クリームのケーキに、一本ロウソクを刺して、部屋の明かりを消そうとする。すると、みそかは首を振り、祥子を止めた。そして、完成したトラック上の線路の上に電車を走らせる。ジージーとモーターが回転する音が辺りを包み、子供の頃に返ったような気持ちになる。みそかはそれを二台、三台と等間隔に走らせた。みそかはこれでOKの合図を出す。 線路の真ん中にケーキを置き、いよいよロウソクに灯を点ける。部屋の明かりを消して、たった一本のロウソクが部屋をぼんやりと照らした。 祥子は不思議な現象に気がついた。ぽつ、ぽつと全方向の壁をすり抜けて、ふわふわが部屋に集まってくる。そのたびにロウソクの灯は強さを増し、部屋に集まるふわふわの数は加速度的に増えていく。 除夜の鐘が遠くで聞こえる。ぼーん、……。ぼーん、……。その音さえもこの部屋は渦をまいてエネルギーの一部にしてしまうような感じがした。 そして。 みそかはロウソクの灯を思いっきり吹き消した。 ぶわぁっ、とエネルギーの渦が外へと広がっていく。部屋をあれほど埋め尽くしていたふわふわも、風になったエネルギーが吹き飛ばしてしまって、中心にはもうない。 吹き荒れるエネルギーの中でふと気がつけば、線路で囲んだトラックの中は別の時空間と繋がっているようだった。覗いてみれば、海が見え、山が見え、街が見え。かなり高いところを、高速で飛んでいるようだった。右へ左へ、回転しながらランダムに方向を変えて。祥子はめまいがしそうだった。 みそかは祥子の腕を掴んで、浮いた。そして、線路で囲んだ別の時空間の中へと、祥子を引っ張り込む。みそかのあまりの急降下に、祥子はためらう暇もなかった。
みそかの腕を取りながら、祥子は地球のはるか三千メートル上から落下していく。 空は淡い紫と桃色に染められ、雲がまばらに散らばっている。 全身に風を受けながら、空の明るい方に顔を上げた。わたしは今、すごく高いところから日の出を見ようとしているんだ。 不思議と怖くはなかった。みそかがしっかり掴んでいてくれるから。 ふいに、上から叫び声が聞こえた気がした。ふわふわが空中に満ちてくる。祥子は仰向けになって、その声の正体を捉えようとした。 何かが二人より遥かに早いスピードで落ちてくる。スーツを着た、若い男の人だった。彼の身体からは大量のふわふわが放出されていて、それがまるで彗星のように尾を引いている。 彗星の彼は祥子と同じ高さになり、祥子の方を向いて笑った。風で何も音が聞こえないはずなのに、なぜか彼の声だけは鮮明に聞こえる。彼は、石を取るんだ、と言った。指差した下の方を見ると、ケーキが重力に負けて崩れていき、中から光り輝く石が現れる。祥子は必死に手を伸ばした。やがて追いついて、その石を手に取る。掌にすっぽりとおさまるサイズの、緑色と黄色の中間のような石。それをまじまじと見ていると、みそかが手にとって、それを丸のみにした。 みそかの身体が、急に光り出す。その光が眩し過ぎて、祥子は腕で目を覆う。後ろに少し吹き飛ばされていたらしく、彗星の彼が祥子の身体を受け止める。祥子は身体の中が熱く、柔らかくなるような感じを味わった。こんなこと、初めて。もしかして、彼はふわふわそのもの? 紅潮した顔は、彗星の尾のふわふわにうまく紛れた。 みそかの身体は変化して、真っ白い鳥のような姿になった。トゲチックの進化系、トゲキッス。この空中を制するための身体だ、と祥子は思った。さあ、乗ろう、と彗星の彼は言う。祥子の身体を抱えて、少し下方で待つみそかの背中へ。 身体が、ふうぅっと浮き上がるような感覚を味わう。ずっと落ちていたせいだ。みそかは地球と平行に、まっすぐ飛び続けている。朝日の方向に向かって飛び続け、穏やかな風を浴びる。 日の出。最初の数秒は、目を凝らした。巨大なダイヤモンドの指輪が、地球の形に現れる。奇麗、と思ったと同時に、大量のふわふわが祥子の目に飛び込んだ。 すごい! 祥子は声を上げた。みそかと彗星の彼に、ありがとうとお礼を言った。 暫く、三人は太陽の昇る様子を眺めていた。最初に口を開いたのは、彗星の彼だった。 彼は、自分は流星中毒なのだと言った。満天の星空を流れる大量の流星を見てからと言うもの、今までずっとそうなのだという。ある日どこかで祥子とすれ違った時に、瞳に大量の流星を見て、忘れられない存在になったのだった。 彼には人よりたくさんの流星が見えている。祥子と同じように。 何だか分かり合えるような気がして、祥子は彼を見つめた。彗星の彼も、同じように見つめた。
一月一日の朝日の中、トゲキッスに乗った中毒者たちは密やかなキスをする。
おわり
☆ショートショートのつもりで気楽にやろうと思ったのに伸びに伸びて5246字。どうしてこうなった! ☆ひたすらサイケでシュールな世界を描きたくて、筆を執らせて頂きました。思ったよりそうはなりませんでしたが、楽しかったです。
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夢の野原 ( No.12 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:45
- 名前: 古今南北
- Bコース
テーマ「鐘」
チャイムが鳴る。あいつはやっぱりもどってこない。 お昼後の五時間目。この時間は昼飯を食べた後だとか、休憩でめいっぱい遊んだ後だとかで睡魔が襲って来、授業に集中できなくなる時間だ。無論、俺もその中の一人で、いつも俺の頭の中のムンナと戦っている。 中3の9月にもなって居眠りなんかする余裕はない。ないのだがどうしても、こう……眠くなってくる。うん、眠くなってきた。 しかし、居眠りよりもっと厄介な方が…… 「……今日も夏弥は遅刻か?」 朦朧とした意識の中、教科担当の先生の声が聞こえる。 荒谷 夏弥。クラスのほうでは割と物静かな方であり、成績も安定している。とても、目立たない存在。そして、俺の親友。 その親友が、最近、5時間目の初めには毎回遅刻してくる。 1分や2分ではない。おおよそ15分だ。普通に遅い。 なんでも、昼休みになると突然行方をくらませていなくなるらしい。先生がいくら探しても無駄で、決まって15分くらいで帰ってくるというのだ。 ちなみに俺が何を言っても無駄だ。何も話してくれない。 どこにいってるのか、職員の中で会議になったこともあったらしい。しかし結果は無駄足だった。
と、突然教室のドアが開く。 「スイマセン、遅れました。」 例の夏弥だ。彼はそれとなく息切れていて、なんとなく疲れているようだ。 まぁまぁ悪気があるようで。じゃあ早く帰ってこい。という話になるが。 「……早く席に座りなさい。」 あ、ちなみにこの件は、もう先生には何を言っても無駄だと思われているから最近はなんにも言われてない。兎に角不思議な失踪なのだ。 さて、そこから何事もなかったかのように授業が始まる。やばい、瞼が閉じてきた。 「慎ちゃん」 いきなり後ろから小声で囁いてきた。夏弥だ。俺の席は夏弥の席の丁度前にあるので、こういう時のノート見せてもらい人は大体俺になる。両サイドに見せてもらえばいいのに……。 「なるべく早く頼むな。」 「ありがと。」 俺がノートを貸す。そこには綺麗とも汚いともいえない俺の字がぎっしり書いてあるが、夏弥が読めるからokらしい。 どーせ15分だし、書いてある内容はそれほど多くない。たった数分でノートが帰ってきた。 「……あッ、また……!」 ノートにポケモンの落書きが施されている。ポケモンはプルリルだ。 後ろを振り返ると夏弥が「えへっ」と笑っていた。
しかしいいプルりルである。
放課後、帰宅部の俺はそそくさと教室を出る。 部活に出る集団が明るくて怖い。個人的に俺は集団より2人か3人でつるむ方が好きだ。 「慎ちゃん」 夏弥が話しかけてくる、ちなみに彼は元バスケ部現帰宅部であり、そのため帰りは良く二人で帰っている。 「おう、んじゃあ帰るか。」 帰り道。夏弥との会話が弾む。いろんな話をするが、例の失踪の話はしない。 彼の前ではその話はご法度なのだ。発狂……ではないが軽く空気が気まずくなる。 「にしても、あの場で落書きはやめろよー」 落書き。いいプルリルだったけどノートなので止めてほしい。ついこの前、一度だけ同じことがあったが、2度目とあらば、だ。 「最近プルリルがお気に入りでねー。良く描いてるんだよねー。」 「だからってノートに、……まぁウマかったけどさ」 確かにプルリルかわいいけど。 「じゃあ、この前のミュウ、あれもお気に入り?」 以前描いたポケモンはミュウだった。あれもいいミュウだった。
「あれは……
……うん、お気に入りだよ。」 一瞬、空気が固まった気がした。 「……そうなのか。……でも、やっぱ落書きはよくないぜ。」 「そうだね、今度からはやらないよ。」 夏弥のテンションがちょっと下がった気がする。なんでだ? ミュウが……なにかなのか?お気に入りじゃないとか。じゃあなんで描いた? いやまぁきっと何か考え事でもしてたんだろう。ミュウも基本関係ないし。 「……あー、そういやさ。」 話を変えてみる。夏弥の表情に次第に笑顔が戻り始める。 夏弥、たまにそういう不思議なところがあるんだよなぁ。失踪事件だって謎に包まれたままだし、さっきのミュウといい、プルリルといい……いや、プルリルは関係ないか。 俺と彼は、そこで別れて家に帰った。
次の日、学校。俺も、彼も、いつも通り登校する。 普通にかわす挨拶。いつもの授業。そして5時間目のいつもの失踪。 全てが終わって今日も一日が終わる。 今日は、全ての部活がない日らしい。帰宅部の俺達には知ったこっちゃないが。 「……あ。」 下校する寸前の時、教室に筆箱を忘れていたのを思い出した。 「どした?」 夏弥が俺の顔を覗いてくる。 「ごめん、教室に忘れ物したからちょっと取ってくるわ。」 「? じゃあ僕も行くよ。」 夏弥がついてくる。まぁそこでポツンと待たせるのはあれだし、ついてこさせてもいいか。 俺たちは教室についた。教室は案の定、誰もいない。 早速俺の席に向かう。……あったあった。俺のシンプルでなんの味気のない筆箱だ。 「さて、用も済んだことだし帰るか……ってあれ?」 夏弥がいない。 さっきまで一緒にいた筈だよな? 教室に入るまでは確かに此処に…… ……そういえばさっき、なんか目が泳いでいたような……。 「おーい、夏弥ー?」 叫ぶ、返事はない。どこ行ったんだぁ……? とりあえず、一旦教室から出る。もしかしたら、もう帰ってるのかも? 「夏弥ぁ……?どこにいっ」
目の前に、ピンク色の風。
「ちょっと、どこいくんだ、よ……」 それを追いかける人、夏弥。
「……。」
……確かいつぞやかノートにいいミュウを落書きしてたっけ。 (プルリルもだったけど)そのミュウは、ものすごく生き生きしてて、まるで本物を見ているようだったっけ。 そのことを聞いたら、確かなんか変な反応したっけ。
ミュウが、此処にいる。 ものすごく意味が分からないけど、ミュウがいる。 CG? 人形? でもものすごく動いてる。笑ってる。
「……え? 夏弥、これって……」 「……ミュウ」 「……。うん。まぁミュウだよね。」 「ミュウ。」 ミュウなのは分かってるんだけど。 「……えっと、……なんでミュウが、ここにいる?」 ピンク色の体が、宙に浮かんでる。楽しそうだ。 「……話せば、長くなる。」 確かに、長くなりそうだ。ミュウとか、そういう以前に……ポケモン? ポケモン? なんでポケモン? ポケモンとか、ゲームとか、そういう世界のキャラクターだよな? おかしすぎる。いろいろと。 「……誰にも、言わないでね。」 夏弥がそっと囁く。確かに、言うと大騒ぎになるだろう。 彼も、そういう大人数でわいわいやるのは嫌いな派だ。むしろ俺よりもっと。 いや、それよりまず、学校にポケモンがいる。とかいってしまうと、学校だけじゃない。ネットなどから広がって、全国的に問題になるんじゃないか?いや、きっとなる。 「……分かった。言わない。」 「……宜しく。」 彼の真上には、いまだミュウが元気そうにくるくると回っている。
「ねぇ、慎二君。」 「んー?」 友達に呼ばれる。 俺の名前。慎二。最近は慎ちゃんと呼ばれることが多いから、名前で呼ばれることが懐かしく思える。 「……夏弥君となんかあったの?」 「ん、別に。」 実際はいろいろとありまくったんだが。絶対に人に言うわけにはいかない。 「えー? 絶対なんかあったでしょ。」 「ない。」 とにかく防衛しなければならない。この秘密だけは。 なんとしても。
昼休み開始のチャイムが、鳴る。 夏弥が、そそくさと外に出る。 俺も、そのあとについていく。 昨日ミュウがいる場所はなんとなく割り当てた。なんとなくだけど。 昨日、ミュウが飛んで行くのはなんとなく見えたからそこらへんを探せば見つかる筈だ。
案の定、夏弥の姿を見失った。 でも確かここら辺の筈だ。ここらにミュウは降りてった。 『みゅみゅっ』 「!」 あれは、多分ミュウの声だ。 俺は声のした方に向かう。
「うわあ……。」 そこは、綺麗な、野原のような所だった。何故いままで見つからなかったのだろうか。 「夏弥……」 「あ……っ。慎ちゃん……。」 見つけた。夏弥と、ミュウが、元気よく遊んでいた。 ものすごく楽しそうだ。あんな笑顔初めてみたかも知れない。 「誰にも言って、ないよね?」 「……あぁ。」 心配しながらも、ちょっと満足そうだ。 「夏弥は、毎日此処にいるのか?」 「うん。」 「……楽しいのか?」 「うんっ、楽しいよ。」 おお元気がいい。いつにも増して元気がいいなぁ。 「そうか。楽しいか。それはいい。けど、せめてチャイムが鳴るまでには帰ってこような?」 俺は今、誰もが探せなかった場所にいるのだ。もし、後にも先にも夏弥以外の人間が此処に入るのは自分だけなのかもしれない。 注意せざるを得ない。そんな状況に俺はいるのだ。 「……分かってる。」 「分かってるのか? 現に何回遅刻したと思ってんだ?」 「それは……、ほっといてよ。そんなコト。」 ? 態度が変わった? 「ほっといて……、って、そう言われても……」
「!」
学校中に休憩終了のチャイムが鳴り響く。
「……あ、やばい。次移動教室だった。」 早く帰らないと、遅刻になってしまう。 「ほ、ほら。夏弥も早く帰ろうぜ?」 「……うん。」 ……いや、夏弥は一向に帰る気配がない。頭の上でミュウが回っているのにも気づいてないようだ。 「――、あー、じゃあ先に帰っとくから。あとから絶対来いよ!」 俺は、そそくさとその場を去った。 彼の瞳は、最後まで虚ろであった。
「……で、夏弥を探してたら遅刻しましたー。か?」 先生があきれたように言う。ホントは夏弥に会ったのだが、そんなことは言えない。 「あ、ハイ。そーっス。」 「……、『ミイラ取りがミイラになる』か。まぁいい。座れ。」 俺は自分の席に座った。 夏弥……いつ戻ってくるかなぁ。今、授業が始まって大体3分くらいだから、あと10分ちょっとで戻ってくるか? 俺はとりあえず、夏弥を待ってみることにした。
チャイムが鳴る。あいつはやっぱりもどってこない。
数日後、彼の遊んでいた野原に、花が添えられていた。 もともと心臓の病があったらしく、心身の不安も相まって、心筋梗塞になったらしい。 俺は、そのことで泣き、何故もっと早く気付かなかったのかと悔やんだが、よく考えると、ミュウがいた、ということはそういうことなのかもしれない、と考えた。 もしかしたら、ミュウは彼のイメージだったのかもしれないし、もしかしたら全てが夢だったのかもしれない。 しかし、彼のみた夢は、とても温かなものだった。
この野原は、彼の「夢の野原」であった。
「!」 休み時間時間終了を告げるチャイムがなった。 もう帰らないとな。そう思いその野原を後にする。
どこかでミュウの鳴き声がした。
――――――
4384文字。
お絵かき程度な作品です。 一番酷い。今までで一番酷いや。
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MONK ( No.14 ) |
- 日時: 2011/05/13 15:24
- 名前: 乃響ぺが
- A「リスタート」
1
「お、俺の負けだ、食い物ならいくらでもやる、だから許してくれぇ」 私との勝負に敗れたリングマは、しりもちをつき、慌てて逃げ出した。約束通り、大小様々な木の実を大量に残して。 だけど、許すも何も、負けたら持っている食べ物を差し出すという以外は何のルールもない。 「慌てて逃げることもないのになぁ」 私はそう呟いた。たまに、そういう奴がいるのだ。特に、ガラの悪い奴。一撃で倒されてしまったことが、そんなにショックだったのだろうか。 脇で見ていた一匹のエーフィが、身体を躍らせながら私に寄ってくる。 「いやーさすがライ先輩! 相変わらずお強いですねぇ」 フィオーレと名乗るこのお調子者は、私のことを褒めつつ、私より先に木の実をがっつき始めた。あんたは何もしていないだろうが。きっと睨んでみても、こいつは意にも介さない。エーフィは空気の流れを読めると聞いたが、こいつの図々しさを見ていると嘘なのではないかと疑いたくなる。 リングマから勝ち取った木の実を近くの木まで運び、寄りかかったところでようやく一息ついて、木の実を口に放りこむ。運動をした後の木の実は、普段より格段に美味しい。 「私が強いんじゃなくて、周りが弱すぎるんだよ」 私はフィオーレに言い返す。 「そんなことないですよ。あのリングマも結構やる方だったと思いますよ」 「そうかなぁ」 私は首を傾げた。あのリングマだって、多分に漏れず、一撃で倒れてしまったではないか。 「それにしても、ライ先輩ってやっぱり有名なんですねぇ。この集落に入った時も、みんなすぐにライ先輩だって分かってたみたいですし。カントー、ジョウト辺りで知らない野生ポケモンのグループはいないんじゃないですかね。バトルで負けなし、最強と呼ばれた旅ライチュウのこと」 ふん、と私は言ってやった。 私は自分の力を試すべく、強い相手を求めて各地を旅している。相手のやる気を引き出すために、布に巻いて持ち運んでいるポロックと、相手方の食料を賭けて戦うのだ。今のところ、私は負けたことがない。どいつもこいつも弱すぎるのだ。考えてみれば、生きるだけでほぼ精一杯の野生界で競技としてのバトルなんか楽しんでいる余裕はない。当然のことだ。 ふと上に動くものがあったので、そっちに顔を向けた。何かと思えば、木の枝にしがみついていたコラッタが、一瞬脚を踏み外したらしい。急いで枝につかまり直し、両手両足に力を込めてこちらをじっと見つめる。非常に警戒している。私たちが彼らにとってどういう存在なのかを考えたらすぐに分かることだ。言わば、暴力的な力を持った侵略者。私たちが怖くて降りられない、と言うのは想像がつく。 周りをよく見ると、コラッタだけではなかった。葉の陰から、木の陰から、私たちに視線が向けられている。このライチュウは、どんな危害を我々に加えるのか分からない。そういう疑いと恐怖の視線だ。 私は小さな木の実を一つ選び、木の枝の上に投げて乗せた。 「それ、あげるよ。怖がらなくていいよ」 そう言って、私は立ち上がる。まだ木の実は沢山あったが、両手に一つずつ持つだけにして、私はその場を去る。 「あれ、もう食べないんですか?」 後ろからついてきたフィオーレが言う。 「あんなに視線あったら、気まずくて食べてられないよ。もうお腹もいっぱいだし、これ以上はいらない」 振り返らずに、私は答える。いくら勝ち取ったとは言え、こちらが貰い過ぎても、野生のポケモン達が困るだけだ。一介の旅ライチュウには、重すぎる。 「まぁライさんの噂は『負けたらコミュニティ内の食べ物を全部盗られて、小さなポケモンもさらわれる』っていう広がり方までしてますからねぇ」 「はぁ?」 私は振り返った。そこまでしたことは一度たりともない。 「噂って怖いもんですよ」 これじゃあ本当にただの暴君じゃないか。私はため息をつく。本当にこんな生活を続けていても、意味はあるのだろうか。ただただ悪名を広げて回るだけの旅で、私は何を得られると言うのか。私はここのところ、この旅路の先が見えなくなってきた。
ジョウト地方からカントー地方へ、シロガネ山のふもとに沿って南下していく。そろそろ真南はトージョウの滝だろうか。日は沈みかけている。あっちは西。太陽を右手に、空を見上げた。 太陽が沈み、山に隠れる。鳥ポケモンが頭上を飛び交い、私もフィオーレの姿も影に近くなる。人間の手の入っていない森の中には、電気は一切通っていない。日が落ちれば真っ暗だ。 今日の旅はここまでだ。私たちは手頃な樹のそばで眠ることにした。 「そう言えば、ライ先輩」 フィオーレが口を開く。 「何」 私は目を閉じて言った。 「ライ先輩って、どうして旅をしてるんですか」 私は返答に困った。それだけは、思い出したくない嫌な思い出なのだ。 フィオーレの言葉を聴こえなかったことにして、無視を決め込んだ。 「ねぇ、ライ先輩」 「私知りたいんですよ」 「ねぇ、教えて下さいよ」 フィオーレは一呼吸置きに言ってくる。うるさい。ここまで騒がれては、さすがに眠れない。何だかんだ言いつつ、私は結局このエーフィのわがままには逆らえないのかもしれない、と肩を落とした。 「しょうがないなぁ。話すからさ、黙ってくれないかな」 眠りの世界と現実の狭間で、私の頭はふらふらだった。眠い目を擦りながら、私は何から話そうか考える。 フィオーレは、黙ってくれという言葉を忠実に守っていた。その調子の良さに、妙に腹が立つ。一つため息が漏れた。 「私もね、元々は人のポケモンだったんだよ」 私は一呼吸置いて、話し始めた。
2
私はトキワの森で生まれた、ごく普通の野生のピカチュウだった。 元気にあちこちを走りまわるようになり、そろそろ自立しようかという時に、ヒトカゲを連れた人間と出会った。彼の名前を、レッドと言った。赤い帽子がトレードマークで、いつも深く被って、あまり自分の目や表情を見せない人だった。マサラタウンから来た、と彼は言う。 つい最近旅に出たばかりで、これからポケモンリーグに挑戦するためにジムバッジを集めに行くそうだ。私はそのヒトカゲに次ぐ、二番目のパートナーとなった。 「これからもよろしくな」 入れられたボールから出されて、もう一度握手を求められた。ピカチュウは尻尾で握手する。私は尻尾を出して、彼につまませた。彼の顔は良く分からなかったが、口元の笑みを浮かべたのを見て、この人と一緒ならきっと楽しくなるだろう、と予感していた。 仲間のしるしだ、と言って、レッドは小さな首飾りを私にかけてくれた。レッドの手持ちには、全て同じ首飾りがぶら下がっている。 レッドは勝利に貪欲な男だった。と言うより、負けるのがとことん嫌いだった。 彼の頭の中にはありとあらゆるポケモンの知識が入っていて、勝負の前には緻密な戦略を練り、考えられる全ての状況を考えてから戦いに挑む。そんな彼のやり方が功を奏し、一度たりとも負けることはなかった。 レッドに鍛えられた手持ちの中で、とりわけバトルの腕を上げたのは、ヒトカゲと私だった。ヒトカゲは彼の最初のパートナーでもあり、レッドの考えをいち早く見抜いて忠実に実行することに長けていた。私は私で、戦闘や電撃の扱いのセンスがずば抜けていることに気付き、バッタバッタと相手をなぎ倒していった。 やがて、私とヒトカゲ(二匹とも進化して、ライチュウとリザードンになった)の間にも、力の差が見えてくるようになった。リザードンが少しつまづくようなバトルでも、私は平気な顔して勝つことができた。強い敵と戦い勝つことが、私の喜びだった。身体を動かすことは好きだったし、何よりレッドが褒めてくれるから。「レッドと言うトレーナーに、ライチュウを使われたら勝ち目はない」。カントーのトレーナーの間に、そんな噂が流れ始めた。 最後のジムに挑む頃だっただろうか。私はあるバトルのアイデアが浮かぶと同時に、ふと疑問に思った。ポケモンはトレーナーの指示に従い、自らを鍛え、戦う。――本当にそれでいいのだろうか。 レッドのトレーナーとしてのやり方は、ポケモンの全てを管理しきっている。裏を返せば、ポケモンに自分で考える自由が与えられていない、と言うことにはならないだろうか。 そう思った瞬間、私は何もかもが急に息苦しく感じられた。私は縛られている。このまま、彼の行く道を、黙ってついていくだけ。私が勝負に勝つんじゃない、レッドが勝負に勝つんだ。私でなくても、きっとレッドは勝利を掴むだろう。じゃあ、私って一体何なんだろう。急に全てが分からなくなった。 一度、自分にバトルの全てを任せてほしい、と言ってみようと思ったが、すぐに諦めた。どうせ、彼は受け入れてくれないだろう。自分が全てを管理しなければ気が済まない。旅をしていくうちに、彼のそんな性質が浮き彫りになっていく。私にはそれが嫌で嫌でたまらなかった。 出来る限り気付かれないように、バトルに影響しないように、私は隠し続けた。相変わらず、負ける事はなかった。 カントー地方のナンバー1を決定する、ポケモンリーグ。チャンピオンロードを抜け、会場のセキエイ高原に辿り着いた。大会が始まって、会場が盛り上がっても、レッドも私たちもさほど緊張せずに一回戦をあっさりと勝ち抜いた。 その晩、思い切って私はレッドに、自分の思いを打ち明けてみた。一度だけ、自分の考えた通りにバトルさせてくれないかな? そう、彼の神経を出来るだけ逆なでしないように言ったつもりだった。 「俺が一度でも間違ってたことがあるのかよ」 だけど、レッドは私を怒った。馬鹿なことを言うなと、ぴしゃりと言いつけられた。 事実、彼は間違わない。彼の言う通りにしていれば、負けはしない。その正しさが、彼の強さであると言うことは、誰もが認めるところだった。しかしそれが、私の心を締め付ける。 2回戦。3回戦。私はレッドの指示通りに行動し、相手のポケモンを翻弄し、撃墜していく。 そのたびに、身体の底から苛立ちを感じた。違う、私がやりたいのはこんなことじゃない。こんな戦いじゃ、何にも楽しくない。倒れてモンスターボールに戻っていく相手のポケモンを見ながら、そんなことを考えた。戦いが終わり、控室に戻るたび、自分の思う通りにやらせてくれと、同じことを頼もうとして諦める。きっと何度頼んでも、同じなのだろう。一度でいいのに、一度でいいのに、一度でいいのに! 「今日の動きは、粗っぽかったぞ。勝てたからよかったけど……もっと丁寧に動いてくれよ。分かったか?」 レッドがこの一言を放った瞬間、私の中で怒りの糸が切れた。心の中がどうしようもない気持ちでいっぱいになり、行動を決意する。 準決勝の前夜、全員が寝静まった頃、私はこっそりモンスターボールから抜け出し、ポケモンリーグから脱走した。かばんの中から取り出した、どこかで貰ったポロックケースを布に包んで。 その後、レッドがどうなったのか、私は知らない。それから一切、彼と関わることもなく、思い出すことさえしなかった。
3
「……まぁ、こういういきさつで旅をしてるってわけ」 意外と、細かいところまで思い出せてしまったことが、私は悔しかった。レッドの仏頂面を思い出すだけで、ポケモンリーグ前のあの怒りが甦ってくる。 一人旅を始めてから、身の上話を聞いてくるポケモンなんて誰もいなかった。だから心にふたをすることは簡単だったし、毎日バトルのことだけ考えていれば良かった。 レッドに会ったら、何と言われるだろうか。想像もつかない。あれから3年も経っているのだ。最早他人と言っても差し支えないレベルにまで到達している。逆に、レッドに会ったら何と言ってやろうか。それを考えても、特に何も思いつかなかった。実際に会ったら、何か言うことが見えてくるのかもしれないが、そんなことは万が一つにもないだろう。 そう言えば、途中からフィオーレの相槌は一切なくなった。私は彼女の方を向く。 「ねぇ、聞いてる? って、寝てるし」 横にいるフィオーレは、身体を丸めて完全に眠っていた。話に夢中になって、全然気付かなかった。いつから寝ていたのだろうか。もしかして、これは話し損か? 仕方がない。暗い気持ちを晴らすためにも、私はさっさと寝てしまうことにした。
次の日の朝、日の出と共に目が覚める。大きなあくびを一つして、フィオーレを踏み起こし、また歩き始めた。 「あれ」 ふいに、フィオーレが空を見上げて呟いた。私もそれに倣う。 雲の少ない青空に、大きな鳥が飛んでいる。その影は段々大きくなり、それは鳥ではないことに気付いた。鳥と言うより、竜に近い姿をしている。 「リザードンですかね」 本当だ。野生で見る事は殆どないから、きっとトレーナーを乗せているのだろう。 しばらくして、はたと気がついた。そのリザードンは、明らかにこちらに向かって飛んできている。顔の形でさえ判別できるほど近づいたところで、彼のぶら下げてる首飾りに気付いた。 まさか、このリザードンの背中に乗っているのは。 瞳孔を開き、全身の毛が逆立つ。全身を電気が走り、一瞬にして一触即発の身体になる。 リザードンが私たちから数メートルのところに着陸すると、背中から一人の男が降りた。赤い帽子を深く被った、私の良く知る姿。 「レッド」 私は口から、彼の名前がこぼれた。彼はリザードンをボールに戻すと、私の方に一歩一歩近づいてきた。お互いの目が合う。私は彼を睨みつけた。 「どうしてここが……ってか、今更何をしにきたのさ」 強い口調で、私は言う。睨んでみても、彼はまるで応えない様子で、一歩一歩歩みを進めてくる。 「昨日、連絡があった。お前がここにいるから、今すぐ来いって」 記憶よりも、ずっと低い声でレッドは語りかける。心なしか、背も伸びている気がする。 「誰から」 私は威嚇の姿勢を崩さず、聞いた。レッドは、すっと指をこちらに向けた。いや、私のほうではない。私の隣にいる、フィオーレを指さしている。 「フィオーレ」 「はーい」 彼は名前を呼び掛けた。手を開き、彼女を招き入れるポーズを取る。 「こいつのこと、知ってるの?」 フィオーレは、彼の呼び掛けに応えて、しっぽをぴんと立てながらレッドの元へ駆けよった。 「そりゃあ、俺のポケモンだからな」 レッドは不敵な笑みを浮かべてみせた。私は驚きを隠せなかった。レッドがエーフィを持っていたことなんて、これっぽっちも知らない。 「お前がいなくなった後、仲間になった。テレパシーが使えるから、お前の居場所を調べてもらっていたんだよ」 「幸いライ先輩の名前は広まっていましたから、探し出すのにはそれほど苦労しませんでしたよ」 フィオーレはレッドの脚に頭をこすりつけた。 道理で、こいつが私のことを先輩と呼ぶわけだ。私の話は、大体知ってると言うわけだ。 「昨日ライ先輩のお話を聞いて、あなたがマスターの探しライチュウだって確信したんです。それで連絡させて頂きました」 とどのつまり、私の口からレッドの名前が出るかどうかで、最後の確認をしたかったということだったのか。ぺらぺらと必要以上に喋ってしまって、恥ずかしい。 問答をしているうちに、何だか怒りが冷めてしまった。それはとてもばかばかしいことのように感じてしまう。こいつの策略にまんまとはまってしまったような気分になり、私は肩をすくめた。 全身はち切れんばかりに溜まった電気は徐々に周囲に漏れて、逆立った毛並みも次第に元に戻っていた。 「それで、私に何の用があって来たの」 私は投げやりな口調で聞いた。もしまた仲間に戻れと言われたら、困る。レッドと一緒に居たら、また私は彼に媚び、辛い思いをする気がする。かと言って、この生活を続けていても、先は見えない。 そんなことを考えていたが、彼の答えは全く別のものだった。 「ライ、俺とバトルしてくれないか」 モンスターボールを一つ取り出し、彼はもう一度、私に真剣な眼差しを向ける。
私は頷いた。バトルなら、迷うことは何もない。
4
「全力を尽くすよ。持てる手段を全部使って、お前を倒す」 レッドは宣言する。極度の負けず嫌い。そう言うガツガツしたところは、改めてやはり少し嫌な感じを受ける。だけれど、勝負を挑まれる立場になって、何となく分かった。バトルに一切手を抜かないことは、相手に対する最大の敬意なのだ。私は、全力で戦いたい。レッドの言葉は、私に高揚感を与えた。 「……やってみなよ」 私は口元にだけ、笑みを浮かべた。レッドを見据えて、一挙一動を見逃さない。 「いくぞ」 ずっとレッドの隣にいたフィオーレが先発かと思ったが、どうやら違うらしい。レッドはボールを投げ、一匹目のポケモンを出す。光がシルエットとなって、私より小さな黄色い姿が現れる。そこにいたのは、ピカチュウだった。首から、何やら黄色いかけらをぶら下げている。 「初めまして、ライ先輩。ピカって言います」 私の知らないうちに、レッドも新しい手持ちを増やしていたようだ。ピカは私に挨拶をして、不敵な笑みを浮かべた。 「うん、初めまして。宜しく」 私は笑った。頭の中で、戦いのゴングが鳴り響く。私は再び、全身を電気の力で満たす。 「ピカ、かげぶんしん!」 レッドが指示を出す。ピカの姿が二重にぶれ、三重にぶれていく。その数は加速度的に増え、三百六十度を同じ姿に囲まれた。 「ボルテッカー!」 全てのピカチュウが、私に向かって突撃してくる。なるほど、何処から来るか悟らせない戦法か。電気エネルギーをまとったピカチュウに、黄色い光が見える。 何か様子がおかしい、と私は思った。たかだかピカチュウの身体で、ここまで強い電気を出せるものなのか? 全身に、悪い電流が走る。私はこうそくいどうを使った。感覚を研ぎ澄ませ、一時的に身体能力を強化する。近寄ってくるボルテッカーの輪を飛び越えた。勢い余って、草はらの上を転がった。 影分身が消滅して、相手の姿は一つに戻る。ピカは振り返って、私とまた対峙する。 「どうしてこんな強い電気を出せるかと、疑問に思ってるみたいですね。これですよ、これ」 ピカは胸の黄色いかけらを持った。 「でんきだま、って言って、ピカチュウの電気の力を増幅させる効果があるんですよ。これさえあれば、ライチュウの電撃にだって劣らない」 ピカは自信満々に言う。 「起き上がる隙を与えるな、ピカ! 追いかけ続けろ!」 はいよっ、と答えると、ピカは再び私に向かって突進してくる。 ピカがどう思ってるかは知らないが、彼の動きは私からすればそんなに早くない。私は前方に、ひかりのかべを張った。オレンジ色した半透明の板が、私の目の前に現れる。 「ひかりのかべじゃ、僕の技は止まりませんよ!」 「知ってるよ」 ひかりのかべは、水や火や電気の進行を妨げるが、物理技などの固体は一切貫通する。ボルテッカーは物理技だから、身を守るにはミスマッチだ。だが、私の狙いはそこにはない。 ひかりのかべは、一瞬のうちに長い槍状に変化した。それを右手に巻きつけ、私はピカより速い速度で飛び込み、ひかりのかべの槍を強く振り抜く。 ピカの身体に触れた瞬間、ドン、と雷が落ちたような重たい音がする。強い電撃を喰らわせた時に発生する音だ。 「が……ッ!」 ピカの動きが、空中で止まった。そのまま勢いを失い、地面に倒れる。ピカの方を見なくても、感覚で分かる。戦闘不能だ。 「戻れ、ピカ」 ボールをかざし、レッドがピカを戻す。私はもう一度、軽く光の槍を振った。 「……なるほどね。ひかりのかべは物体を貫通してエネルギーは貫通しない。だけど、エネルギー自体の伝導率は高い。だから、ひかりのかべに電気を流せば、相手の身体を貫いて身体の中から電撃を浴びせられる」 「そういうこと」 レッドの言葉に、私は頷いた。どんなに電気に耐性があるポケモンでも、身体の中から攻撃されてはたまらない。 それに、電気技は強力なもので無ければ空気を伝って行かず、多くの場合近距離で攻撃するしかない。 ひかりのかべを操れば、電気の弱点を二つも克服できるのだ。 胸を張って言える。これこそが、私のやりたかった戦法。自分の感じたように作り上げた、私だけのバトル。 「さぁ、次は誰を出してくるんだい?」 私はレッドにひかりのかべの電気槍の矛先を向けた。
カビゴンのゴンは相変わらずのんきに構えてのしかかってきたが、素早い動きでかわした。技は喰らわなかったものの、種族自慢の体力はすさまじく、槍を四回振るわねば倒せなかった。 フシギバナのフッシーは厄介で、あらゆる植物を操って、近接を妨げてくる。一発入れるのに何度転んだか分からない。フッシーもその巨体によく似合う耐久力の持ち主で、植えつけられたやどりぎのたねに体力を奪われながら、三度目の槍でようやくギブアップしてくれた。 カメックスのメックスには、苦労した。殻にこもって身体を守られると、槍が折れてしまった。全ての技を防ぐ技、まもる。何度も槍を生成し直し、攻撃するもまた槍の方が甲羅に負けてしまう。本当のところ、この技を連続で成功させるには相当な技量が要るらしい。二連続成功すればいい方だ。それなのにメックスは連続六回も成功させてしまった。 攻撃しているのはこっちなのに、相性でも勝っているはずなのに、逆に追い詰められているような気分になるのはどうしてだろう。痺れてひっくり返ったメックスの姿を前にしながら、心の中に焦りが生まれる。 今までレッドと戦ってきたトレーナーは、こういう思いを味わってきたのか。攻撃にも防御にも、一片の隙も見せないレッド。かつて出会ってきた対戦相手の強さの槍は、彼にちょっと動かれただけでことごとくへし折られていく。私も、今多くのトレーナーと同じ脅威を感じている。 レッドは最初に言った。持てる手段を全部使う、と。彼は、手持ちの六匹を全部使うつもりなのだろう。ならば、これは根競べだ。心がくじけた方が負けなのだ。
ラスト二匹。先に出たのは、リザードンのリザだった。 「よう、ライ。元気か」 「君達みんなタフすぎて、そろそろバテて来ちゃったかもねー」 私はおどけて言ってみた。リザはふうとため息をつくように笑った。事実、そろそろ身体から電気を作るのが辛くなってきた。同じ威力で、せいぜいあと一、二回が限界だろう。私は深く息を吸い、乱れた呼吸を整える。全身から溢れんばかりの熱を感じる。冷たい空気と肺の熱気が混ざり合うのを感じる。 「飛べ、リザ!」 レッドからの指示を受けると同時に、リザは羽ばたいて一気に空へと舞い上がった。 槍状の武器を持っている以上、空中に逃げれば手出しできないと踏んだか。かみなりのような巨大な電気を扱う技を使えば、遠く離れた相手にも電撃を当てることは出来ただろう。だが、あいにく私はそういう技を持ち合わせてはいない。電気技は10まんボルト一本だ。 「だいもんじ!」 レッドが空に向かって叫ぶ。リザは口から高音の炎を放ち、私の方へととんでもないスピードで迫ってくる。瞬きする一瞬の差、こうそくいどうで何とか直撃は避けた。だが、この技はこのままでは終わらない。地面に触れた瞬間、炎は五方向に広がるのだ。私はもう一度避けるが、転倒してしまう。起き上がってみたものの、炎の方は激しい熱に目を空けていられない。五方向に伸びた炎は未だに消える気配を見せない。私は空を見上げてリザの姿を探した。空中を大きく旋回している。 もう一度攻撃される前に、こっちから攻めよう。 私は右手から、ひかりのかべを糸のように細く、細く、生成した。ある程度のところまでは生成にとても神経を使うので、大きな隙が生まれてしまう。炎で自分の身体が隠れている今しかできないことだ。 細い糸を自分の身長の半分ほどまで作ったところで、一気に生成は楽になる。人間の言葉で例えるなら、スピードの乗ってきた自転車だ。後は加速度的に伸びていく。 このオレンジ色の光の糸は、完全に私の思い通りに動く。蛇のように伸縮自在の糸だ。 「行け!」 小さく叫んだ掛け声と共に、糸が空へと伸び飛んでいく。リザの飛ぶ方向へ、一直線だ。 「リザ、何か来てる! 急降下しながらエアスラッシュ!」 あともう少しのところで、レッドが叫ぶ。この糸の存在に初見で気付かれるなんて。今まで想定もしていなかったことに、軽いショックを覚える。すぐに気を取り直し、糸に集中する。 リザは頭を地面に向けて、高度を強引に下げる。私は糸を操り、更に伸ばしながらリザの姿を追った。高度を充分下げたリザは私の姿を捉えたらしく、鋭い爪で空気を切り裂き、刃を放つ。 糸を操るのは集中力を要するため、高速移動との併用は今の私には出来ない。かと言って、折角作った糸を解除する訳にはいかなかった。空気の刃が迫る中、私に閃きが生まれる。 伸ばした糸は、今もなお空中に残り続けている。今まで伸ばした軌道が全て固定されているのだ。そして今リザは、最初に一直線に伸ばした糸の真下にいる。つまり、これ以上糸を伸ばす必要はない。 私は、糸を全て下に落とした。その軌道上にいたリザに、糸が触れる。その瞬間、私は思いっきり糸に電流を流しこんだ。パァン、と弾ける音が響いて、くるくるとリザは地面に落ちていく。 地面に触れる前に、レッドはリザをモンスターボールに戻した。戦闘不能だ。 「あと一匹」 私は生成した糸をまとめて、再び槍の形に戻した。
レッドは一切表情を変えなかった。まだ負けたとも、勝ったとも思ってはいない。そういう緊張感に溢れた顔をしていた。 ずっとレッドの足元にまとわりついていたフィオーレが、ついに前に出る。 「フィオーレ。後は頼んだぜ」 紫色のしなやかな体が、ゆったりとした動きで近づいてくる。 ある程度の距離で、フィオーレは立ち止まって腰を下ろした。 その距離は、公式試合のフィールドに描かれているモンスターボールの図形を思い出させる。
「さすがライ先輩、本当にお強いですねぇ」 「そういうの、いらないよ」 フィオーレには申し訳ないけれど、ジョークに笑えるほどの余裕は無かった。フィオーレは普段のように飄々とした顔をして、私の方を見つめた。 まっすぐに行こう。もう体力はあとわずか、次の一発に賭けるしかない。私の心が、信号を出す。 息を吐いて、こうそくいどうを自分にかけた。二度その場で飛び跳ね、確かに感覚が研ぎ澄まされたのを感じる。そして三回目、私はフィオーレの方へと跳んだ。風を切り、フィオーレの方へと駆ける。疲れのせいか、彼女の姿を捉えようとしても大雑把なシルエットしか見えない。彼女の姿はその場から動かなかった。それだけを確認して、私は気にも留めなかった。 自分の身長大に伸ばした槍を、思いっきりフィオーレに突き出す。 しかし。槍はフィオーレの体をするっと通り抜けた。勢い余って足がもつれ、空中で天地がひっくり返る。一瞬、何が起こったか理解できなかった。 電気の弾ける音と衝撃がない。電気が、流れていない!? フィオーレはその場から一歩も動かず、ただ胸を張って私の槍をただ受け入れていた。あたかも、攻撃は失敗すると知っていたかのように。 「今だ!」 レッドの声が飛ぶ。いや、フィオーレの行動はそれよりも一歩早い。振り返って、紫色の目を光らせると、私の体は地面につくことなく、見えない大きな力で空に放り投げられる。無理やり加えられた加速度に体がついていかず、空気抵抗の洗礼を受けて自由を失う。 視界は、虹色の光線が迫ってくるのを捉えた。しかし成す術無く、直撃してしまう。頭の中がぐるぐるとかき混ぜられて、脳が捻じ切れそうだ。ああ、目が回る。 そして、自由落下。私は何の覚悟も出来ないままに、地面に叩き付けられた。ぐえっ、と今まであげたこともないような声が漏れる。 あぁ、もう力が入らないや。ゆっくりと大の字になって、空を見上げた。形の崩れそうな綿雲が、目に見える速さで流れていく。 戦闘不能。私の、負けだ。
そのうち、レッドとフィオーレが駆けてくる。 「大丈夫ですか」 心配そうにフィオーレが尋ねる。 「全身がすごく痛いや。やりすぎだよフィオーレ」 私は文句のように言葉を投げた。 だが、納得いくまで身体を動かせたせいか、やりたいことを全てやりきれたせいか、私の心は妙に満ち足りていた。 「ポケモンセンターまで連れてくよ。立てるか」 レッドが手を伸ばす。にっ、と口を上げて笑った。彼がこんな顔をするのも珍しい。何となく、昔より表情が豊かになっている気がした。私は右手を伸ばす。茶色い手はがっしりと掴まれて、力強く引き上げられた。
5
最寄りのポケモンセンターに着くまでに、途中何度も休憩を取った。川の水を飲んで、歩ける程度には回復した。リザもげんきのかけらで体力を戻してもらったものの、本調子ではなさそうだ。空に橙と青が混ざる頃、ようやく辿り着いた。 レッドはモンスターボールを六個、トレーに乗せてカウンターに持っていく。 「お願いします」 「かしこまりました。そちらのライチュウはどうなさいますか? 随分疲れてるみたいですが」 受付がレッドはこっちを向いて、聞いてくる。ポケモンの体調を一発で見抜くのは、プロなんだろうなぁとぼんやり考えた。 「どうする?」 私は首を振った。レッドに会えた今日だからこそ、話したいことがたくさんある。治療に当てるのは勿体ない気がした。 「構わないみたいです。こいつと会うの、凄く久しぶりなんですよ」 レッドはそう伝えた。 「かしこまりました、それでは、こちらのモンスターボールだけお預かりしますね」 そう言って、受付はトレーを持って裏手へと戻っていった。
「これ、飲むか」 レッドが、ミックスオレの缶を私に差し出した。私の好きな味だ。両手で受け取ると、ひんやりとした鉄の感触が懐かしい。飲むのは随分久しぶりになる。 ラウンジのベンチに腰掛けて、私とレッドは並んでいた。レッドは手に持っている缶コーヒーのふたを開ける。私も、歯を上手に使ってプルタブを空ける。かこっ、という音を聞くと、何だか彼と一緒に旅をしていた時のことを思い出す。 「やっぱりおいしいなぁ、これ」 オレンジ色した甘いミルクの味が、口の中に広がる。タマムシシティの屋上で飲んで以来のお気に入りで、自販機を見つける度に同じものが売っていないかと期待していた。ポケモンセンター内ではよく見かけるが、道中では殆ど見ないということに気付いて、私はポケモンセンターに着くたびにレッドにせがんでいた。激しいバトルの後なら、必ず買ってくれた。 しばらくの後、レッドはぼそりと呟いた。 「強くなったな、ライ」 私はレッドの顔を見たが、レッドの視線は前のままで、その続きを話す。 「ひかりのかべと10まんボルトの複合技。それに、こうそくいどうによる身体強化。面白い戦い方を考えたな。俺じゃ絶対思いつかないし、仮に思いついたとしてもあそこまで完成度の高い技にはならなかっただろうなぁ」 レッドは素直に感心しているようだった。私を見て、目を輝かせていた。でしょ、と私は胸を張る。 「でも、負けちゃったけどね」 と付け加えて、苦笑する。 「そうだな。弱点はまだまだ沢山あるだろう」 彼は私の言葉をくそまじめに解釈した。私がふてくされないうちに、レッドは続けた。 「今回俺が弱点だと思ったのは、回数制限だな」 そう言われて、フィオーレに技が決まらなかった時のことを思い出す。そういえば。 「最後、フィオーレとバトルした時、私の技が上手く決まらないって分かってたの?」 私自身、電気を放てるかどうか分からなかったと言うのに。私の疑問に、レッドは答える。 「普段バトルって長丁場になるものじゃないからあまり気にならないんだけど、ポケモンの技には使える回数に限度がある。10まんボルトの攻撃回数はどのポケモンも十五回までなんだよ」 「そうなの!?」 「逆に言えば、自分の電気の力を十五等分するようなパワーで打つのが10まんボルトって言う技なわけ。本人の意識に関係なく、ね」 私は驚きを隠せなかった。それは初耳だった。六連戦なんて初めてのことで、今まで気にも留めたことのないことだった。 それで、守りを中心にした戦いをしていたのか。私に技をたくさん発動させる為に。 「まさか、フィオーレと戦う時に十五回になるように調節してた訳じゃ……?」 「それは流石に、まさかだよ」 私の疑いに、レッドは笑った。 「でも、技のエネルギーが消費された回数はしっかりカウントしていた。出来る限り早く技を十五回出させるようにはしたけれど、思ったよりお前の電撃が強かったから、全部使い切らせるのに五匹もかかった。正直間に合わないんじゃないかと、ヒヤヒヤしたよ」 それでも、レッドは強い。彼の戦略は難攻不落だと言う事を、相手にしてみて初めて実感した。
「そう言えば、レッド。ポケモンリーグはどうなったの」 私はふと思い立って、三年前のことを聞いてみた。私は準決勝前日に逃げ出したから、結末を知らない。あぁ、と思い出したようにレッドは言う。 「準決勝で負けたよ。ドラゴン使いのワタルって奴に。ドラゴンタイプのポケモンの強さはケタ違いだったな。お前無しじゃ歯が立たない相手だった。打つ手なしさ」 レッドは肩をすくめた。 「あの時はライがいなくなったことがショックで、三位決定戦にも全く身が入らなかった。それも負けてしまったよ」 そう言って、コーヒーをすする。 「で、そのワタルをグリーンが倒して、グリーンがチャンピオンになった。でも、あいつはやりたいことが他にあるからってチャンピオンの座をワタルに譲ったのさ。それから三年間、ワタルがチャンピオンの座を守り続けているらしい」 グリーンとは、レッドと同時期に旅に出たライバルだ。道中たまに勝負をしかけてきて、一度も私達に勝つことはなかったが、彼の中にはただならぬ強さを感じた覚えがある。話を聞いて、私は納得した。 「それで、レッドは三年間何してたの?」 「殆どシロガネ山に籠って修業してたな。俺のトレーナーとしてのやり方は、本当に正しかったのかが分からなくなって、さ」 少し俯いた様子で、レッドは語る。レッドの戦いは、緻密に戦略を組み、それをポケモン達が忠実に実行するやり方だ。 「本当はもっと、ポケモン達に判断を任せるべきじゃないのか。その方が、よっぽど楽に戦えるんじゃないのか。そう思い始めたら、止まらなくなった」 レッドの迷いの原因は、間違いなく私にあるのだろう。確かに、彼のやり方が気に入らなかったのは事実だった。でも、立場のせいだろうか、今ならあの戦い方を認められる気がしていた。それだけに、話を聞いているととても後ろめたい気持ちになった。 「俺は新しく、ピカとフィオーレを育てた。自由な発想を持って育ったポケモンが、バトルでどんな風に活躍してくれるのか。ピカは、あまり柔軟なタイプじゃなかったから途中で今までのやり方に戻したけど、フィオーレはまさに自由な発想をしたがるタイプだった。俺が指示を出さなくても、何をすればいいかは直感で分かってしまうらしい。だからこいつに関しては、具体的な指示をせずに自分で考えてもらうスタイルを取らせた」 そう言えば私と戦った時も、レッドが出した指示はたった一言、「今だ!」だけだった。 「それでも十分、フィオーレは強かった。その時初めて分かったんだよ。そう言う奴もいるってこと」 レッドは私を見て微笑んだ。私は思わず、目を逸らしてしまう。
「それから、結局俺はお前抜きだと何にもならない、ただのトレーナーだと言うことを思い知らされたよ。カントーとジョウトのバッジを全部集めたっていう男の子が来て、俺と勝負したんだけどさ、俺より年下なのに、かなり強くてな。ギリギリ、ラスト一匹の差で負けてしまった」 「うそ!?」 私は思わず叫んでしまった。ポケモンリーグのことならともかく、レッドが普通のトレーナーに負けるところが、いまひとつ想像出来ない。私からすれば、彼は非の打ちどころのない完璧なトレーナーなのだ。一体どんな男なのだろうか。私は想像したが、レッドと似たような姿しかイメージ出来なかった。 「お前をもう一度探そうと思ったのは、それからだ。ふと、お前ともう一度会いたいと思って、フィオーレに探させた」 「そうだったんだ」 私は言った。ずっと一直線に進んできた彼を、私のわがまま勝手で迷わせ、ひどく傷つけてしまった。そう思うと、胸が痛い。 会話はここで途切れ、知らない人達の絶え間ない話し声が混ざって流れるだけになった。 その時、私は自分の気持ちをはっきり自覚した。私はレッドのことを好きとか嫌いとかいう言葉で語れないほど尊敬しているということ。そして、レッドに対する怒りが、実は私自身への怒りだったということ。
「ねぇ」 周囲の雑音の中、私は改まった。とても恥ずかしいけれど、言わなければいけないことがある。 「何」 「勝手に逃げ出して、ごめん」 私は、言葉を噛みしめるように言った。 言わなければ、いつまでもレッドに対して怒りを抱き、自分自身を許せないままになってしまうことが分かっていたから。きっとこれが、旅の途中で感じていた閉塞感の正体だろう。どんなに忘れようとしても、心の奥底で後ろめたさは消えていなかったのだ。 一体、レッドに何を言われるのだろうか。どんな罵声だろうと、私は構わなかった。 だけど、レッドの言葉はそうではなかった。親指を唇に当て、恥ずかしそうにしながら、 「俺の方こそ、悪かったな」 と言った。 「お前がどれだけあのバトルをやりたかったか、今日手合わせして良く分かったよ。あの時、一度でもお前に任せたらよかった……いや」 レッドは言葉を切って、少し考え込んだ。 「きっと、あれは俺の手を離れる時だったんだ」 その言葉に、後ろめたさは全くない。そうかもしれない、と私は思った。きっと、一度試したところで私は満足しなかっただろう。もっとやりたい、という欲を募らせて、同じことを繰り返していただろう。 彼の手を離れて自立することが、私には必要だったんだ。 「これでよかったんだよ。これで」 彼は笑った。心の深い奥底にある栓が、ぽんと音を立てて抜けた。感情の流れが、一気に溢れ出しそうになる。私は俯いて、それを必死にこらえた。さすがにみっともなくて、レッドには見せられない。 「これで、よかったのかな」 「あぁ」 レッドは頷いた。多分、私の声は震えていたかもしれない。だけど、レッドは見逃してくれた。 ミックスオレの最後の一口は、特別甘い味がした。
次の日の朝。ポケモンセンターで一泊し、出発の準備を整えて建物を出た。レッドはバッグからポロックケースを取り出して、お前にはこれが必要なんだろう、と大きな布に包んで渡してくれた。 「そう言えば、ライ、お前はこれからどうするんだ?」 レッドは尋ねた。目的地は、決まっている。 「最近知ったんだけど、ハナダの洞窟ってところに強いポケモンがいっぱい住んでるって聞いてさ。そこで力を試そうと思う。レッドは?」 「俺は、そうだな……いっそこの地方を離れようかと思ってる。今行こうと思ってるのはシンオウ地方だな。そこで、イチからトレーナーとしてやり直す。今の手持ちも全部預けて、全く新しい仲間と一緒に旅をしたい」 それを語るレッドの目は、輝いていた。朝日のせいかもしれない。そうだ、と、私の中に一つ閃きが生まれる。 「全部預けるんだったらさ、フィオーレを貸してよ」 「フィオーレを?」 レッドは聞き返した。私はゆっくりと頷く。 「うん。一人旅ってのも何だかさびしくってね。それに、いざって時は頼りになるかもしれないし。それに」 言葉を切って、レッドを見上げ、いたずらっぽく笑う。 「いつかまた、あんたと勝負したいから。テレパシーで居場所が分かるんなら、いつでも会いにこれるでしょ」 レッドは少し驚きの表情を見せたあと、ぷっ、と噴き出し、大きく笑った。私もつられて、笑い声を上げた。 「それもそうだな! よし分かった。こんな奴で良かったら、連れていけ」 レッドはボールからフィオーレを出した。大きく伸びをする。 「フィオーレ。ライと一緒に旅をしろ」 フィオーレは急に言われた言葉に驚いた様子で、えぇ!? と言葉を漏らした。 「今までずっとついて来たんだから、今更文句言うことでもないでしょ」 と私は語気を強めて言ってみる。 「分かりましたよう、お供しますとも」 呆れたようにフィオーレは言った。そんな彼女を見て、私とレッドは笑っていた。
旅の途中なのに、何だか新しく旅を始めるような気分だ。お互い、それほど急ぎの用事ではない。気楽なものだ。 レッドはリザをボールから出した。 「送って行こうか」 レッドは聞く。私は首を振って答える。 「いいよ。自分の足で歩きたいんだ」 「そうか」 レッドは言った。リザの背中に乗って、リザに羽ばたきを指示する。 「それじゃ、またね」 私が言うと、レッドは歯を見せて笑った。 「次会う時は、三体だけでお前を倒す」 言ったことは本当に実現してしまいそうなのが、この男の怖いところだ。 「……やってみなよ」 私はレッドと同じ顔をしてみせた。 リザが一気に上空へと浮かび上がっていく。そして、青空の中へとゆっくりと消えていった。 旅の先にはレッドがいる。その先にも、きっとたくさんの強者がいる。 私は、まだまだ強くなりたい。いつかまた会うその日まで、光の槍を折る訳にはいかないのだ。
あとがき
合計16859文字でした。 http://www.youtube.com/watch?v=-tgkoLiQMcQ タイトルはこの楽曲から取ったものです。インディーズですがこのバンドが大好きで、この歌を聞いているうち「これはポケモンの歌だ!」という閃きが生まれました。謝々in my謝!
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きらきら ( No.15 ) |
- 日時: 2011/05/14 17:33
- 名前: (´・ω・`)
- Bコース
冒険の予感がした。 船着き場の護岸ブロックの上に立ちながら、ゾロアはじっと海を見ていた。大きな月に照らされた滑らかな海の真ん中に、悠然と船がやってくる。屋台に売っているきらきらのジュエルボックスをいくつもいくつも重ねたような輝きは子供ながらに見事と思えた。まるで広い海の全てを、あの船がごっそり従えているみたいだ。 白波立てて近づいてくる豪華船に背を向けて、ゾロアはぴょんぴょんとブロックの上を跳ねて行く。夜目が利くから別にいいのだけれど、そうでなくても十分に明るく、足元の見える夜だった。友達のヘイガニが顔を覗かせ、やや、すごいのが来てるね、と言った。皆に報告しなくっちゃ、と返してゾロアははにかみ笑いした。そうしてすぐに駆け出した。 堤防をのぼりきってコンクリートの上をぺちぺち走る。ふいに世界が暗みを増した。お月さまが雲に隠されていく、と空を仰ぐでもなくゾロアは思った。月明かりがなくとも、あの船のライトのお陰だろうか、やっぱり十分明るい夜だった。 けれど、月が隠れたからこそ、見つけることができたのだろう。遠くちらっと何かが光った。あれ、とゾロアは目を細める。星屑のように小さなピンク色の瞬き。発光しているのではない。翻る何かが反射しているのだ。 ゾロアは地面蹴る足の力を強める。ピンクの輪郭が見え始める。それを追い立てる、いくつかの獣の姿も。たてがみを切る風が不穏な熱気を帯びていく。唸り声。続く悲鳴。ただごとじゃない。意図して、ぴんとした体の緊張をほどく。逆立つ毛並みの興奮を静める。冷静に、冷静に。閉じる瞼の裏にひとり、大きな人間の背中を思い浮かべながら――イリュージョン、と呟くと、あっと言う間にちいさなゾロアは大男へと化けていた。 おおおお、と腹の底から叫び散らすと、きゃうんと獣たちが委縮した。長く逞しい四肢を振りかざし、人間は獣とピンクに割って入った。ムーランド一匹、ハーデリア三匹。その首輪に光る『紋』に見覚えがあり、ゾロアは思わず身震いを起こした。それはゾロアだけじゃない、この国に住んでいる生き物ならおよそ誰もが、畏怖を抱く強烈な紋だ。大男の委縮するのを見、ムーランドはくっと険しい表情で姿勢を立て直した。 さてピンクはその隙に護岸ブロックの方へダッシュしていく。視界の端にそれを認めて、目の前に飛び掛かってきたハーデリアのいくつかを、すんでのところでゾロアに戻ってひょいひょいと駆けてかわしてみせた。何か吠え立てたいかり顔のムーランドの額へ、ていっ、とゾロアは蹴りを一発。クリーンヒット! よろめいたムーランドを踏み台に、体翻してすぐさまピンクを追う。闇色の体だ、夜目の利かない相手ならば、少し離れればこちらのもの。 「――ヒメ! ヒメ!」 狂ったうに喚いているムーランドの声の中に、ボォォッ、と地響きのような音が鳴った。豪華船の汽笛だ。 ブロックの隙間と隙間で、ヘイガニの好奇の視線を受けながら、ピンクはぷるぷる震えいていた。よく見ればピンクは服の色で、本体のほうは泥に汚れたねずみ色。服を着たポケモンなんて珍しいよね、というヘイガニの興奮した声を聞いて、あの首輪の『紋』を思い返し、ゾロアはなんだかとんでもないことになっちゃったな、という気がしてきた。しかし乗りかかった船ってやつだ。皆だってそうして、いつもゾロアを助けれくれた。 もう動けそうにもないピンク、改めねずみ色をヨイショっと背負って、ゾロアはもう一度駆け出した。波打ち立てるブロックの上を先程より幾分重い足取りでぴょんぴょん行って、誰も見ていないことを確認すると、そこの合間の深い穴へと飛び込んだ。
*
「――あーさー! 朝だよっ朝! アッサァーホラ起きろネボスケみんな起・き・ろォー!」 「やかましいわアホインコ!」 そんな騒々しいやり取りに耳をやられて、ピンク、改めねずみ色――改め、泥汚れのチラーミィは、ぱっちり目を覚ました。 そしてばっちり目があった。しげしげ寝顔を覗きこんでいたゾロアは、急に瞼を上げたチラーミィの黒目を見て、はぅっ、と鳴いて大げさに体を引いた。それから顔を真っ赤にして、わいわい言いながらどこかへ走り去った。その間にも、インコじゃない! インコじゃない! という甲高いBGMが狭い小屋の中に流れ続けている。唯一の窓のあちらとこちらで、やかましいペラップとやかましいヤミラミが睨みをきかせていた。 チラーミィは額を擦った。こんなに賑やかな寝起きは、もしかしなくても初めてだろう。 かび色の布団を除けながら起き上がると、ベッドの脇に自分のピンク色のドレスが、驚いたことに深緑のゴミ袋と一緒に置いてあって、チラーミィはむっと嫌な気持ちに……あ、いや、よく見ると違う。ポケモンだ。昨日のバトルでほつれて破れてぼろぼろのドレスを、ゴミ袋のポケモンが繕おうとしている。 「あ、おはようヒメちゃん。……えっと、あのね、せっかくきれいなドレスだったから、直してあげようと思って。こう見えて裁縫は得意だから」 可愛らしい声でそう言って微笑むヤブクロンに意表をつかれて、チラーミィはしばらく何も言えなかった。 インコじゃない! インコじゃない! じゃかぁしいッいい加減にしぃや! インコじゃない! インコじゃない! あとアホじゃない! 「……あげるよ」 「え?」 「そのドレス。ぼくには似合わないから」 「本当!?」 ヤブクロンは飛び上がって、胡麻のような瞳をきらりと輝かせた。同時にぷぅんと生ぐさい匂いが鼻をつくのがなんだか可笑しくて、喜んでもらえたのも嬉しくって、チラーミィはくすくす笑ってしまった。 窓辺で言い争っていた二匹が二匹のやりとりに気がついて、ようよう口を閉じて振り向く。二匹はにやっとした。鳥と人型とでも、にやつく顔はよく似ている。 「おぉ、おはようヒメちゃん。気分はどないや」 「オハヨウ! 気分はどう? 気分はどう?」 同時に同じことを言いながらお互い押し合うようにしてずんずん近づいてくるヤミラミとペラップの様子がまた可笑しくて、チラーミィはけらけら笑って肩を揺らした。 「ねぇ、その『ヒメちゃん』って、ぼくのこと?」 一様に、三匹が左へ首を傾げた。 その時、窓の向かいにひとつある扉が吹き飛ぶ勢いで開かれた。 「ゾラが教えたんだよ!」 駆けこんできたちいさなゾロアは、遠慮なしベッドへ飛び乗ってせわしく耳をぴょこぴょこさせながら持ってきたオレンのみを手渡し、やはり気分はどうかと問うた。受け取りながら、悪くないよ、とチラーミィが返すと、残りのポケモンたちは顔を見合わせて再びにやっと笑った。仲の良さそうな連中だ。生まれてからずっと、チラーミィにそんな友達はいなかった。どことなく雑な、もっと言うなら安っぽい味わいのきのみをしゃくしゃく食みながら、チラーミィにはその、通じ合ってるみたいな『にやっ』が少し羨ましくもあった。 「だって、あのムーランドたちに、ヒメ、って呼ばれてたの、ゾラ聞いたよ」 「あー……まぁ、それ以外にあだ名で呼ばれたこともないし、いいけどさ」 「ヒメちゃんって名前、すっごくかわいい!」 そう言ってまたしても跳ねだしたヤブクロンを見やって、ゾロアは楽しそうに耳を震わせた。匂いが気になるのはチラーミィくらいらしかった。 「この子はヤブクロンのブクちゃん。そんでこっちが、」 ベッドから飛び降り、ヤミラミとペラップの周りを忙しく駆けまわって、 「ヤミラミのヤッさんと、ペラップのぺらーり!」 「よろしく頼むわ」 「ぺらーり、ヨロシクッ!」 最後にっ、とベッドにぼふんと舞い戻って、ゾロアは貴族がするような恭しい敬礼をした。 「わたしはゾロア。ゾラって呼ばれてるよ。ゾロアゾロアゾロァゾロァゾラァゾラゾラ、なぁんてねっ」 そうしてくるくる回り始めるゾロア――ゾラの前で、ヒメはすくっと立ち上がった。ベッドから下りて身震いすると、泥やら何やらが床に削げ落ちた。追い回されたこの体、汚れているが外傷はない。そう、大事にされているんだ。自分が置かれている状況を思えば、なんだってできる。歌って踊るゾロアを横目に、ヒメの中にふつふつと熱い感情がこみあげていた。流れる血潮のひとかけらにまで染みついた、強い強い秘密の思いだ。 「ゾラ、きみに頼みたいことがあるんだ」 「なぁに?」 動きを止め、ベッドから見下ろしてくるゾラに、ヒメは思いっきり明るい口調で言ってのけた。 「一緒に、鐘を鳴らして欲しい!」 ヒメが思ったよりもその言葉は、随分とスムーズに滑り出した。 ゾラが小首を傾げる。ヒメの突然の申し出に、残る三匹も不思議そうな目をしていた。 「鐘、って?」 「街の真ん中にある塔の鐘だよ。ぼくのマスターが教えてくれたの。昔から人間に伝わる有名な童話にあるんだけど、あの鐘を鳴らすと、街じゅうのみんなが幸せになれるらしいんだ!」 「うわぁっそりゃ凄いね!」 途端目を輝かせ始めたゾラに、でしょでしょ、とヒメが畳み掛ける。それにブクも興味深そうに頷いていたけれど、ヤッさんとぺらーりの二匹は、互いの顔を見合わせて首を捻っていた。 「大事な鐘だから誰でも鳴らせるわけじゃなくって、塔には厳重な警備が敷いてあるんだ。でも、生きてるうちに一回は鳴らしてみたいなぁって思っててね。ゾラのイリュージョンがあれば、きっと忍び込めるよ!」 「う、うーん、ゾラにできるかなぁ?」 「ははぁ、泣き虫のゾラにぁ、絶対無理無理」 「ムリムリ絶対ムリムリ!」 後ろからはやし立てる二匹に、ゾラはくるんと尻尾を揺らして振り向いた。 「泣き虫じゃないもん!」 「無理なもんか! それどころか、ゾラにしかできないんだからっ」 ヒメはぽんとゾラの背中を叩くと、両手を高く振り上げた。 「そうと決まれば、さっそくしゅっぱーつ!」
*
その日、ラストゥレーヌのどんぐり通りは、いつも以上に魅力的だった。 こんなにたくさんの屋台が連なっているのをゾラは今まで見たことがない。ゾラは屋台というのが好きで、落ちた小銭をこっそり拾っては、人の子に化け出店をうろつくのがいつものゾラの楽しみだった。屋台はゾラにこの上ないワクワク感を与えてくれる。型抜き、的当て、水風船。ほくほくのポテトは塩辛いけど好物で、ちょっと大銭が転がり込んできた日にはりんご飴やらオモシロお面やらを皆に自慢してみせた。例のきらきらのジュエルボックスのお店が目につくとあれが急に欲しくなって、ゾラはそわそわ首を回した。店だけでなく、大小の人足もやけに多い。どんぐり通りとあって潰れどんぐりばかりが見えるけれど、きっとお金もたくさん落ちてるはずだ。 「ねぇねぇヒメちゃん、今日はなんだか、街の全部がきらきらしているみたい!」 前を行っていたヒメは振り向いて、へぇ、そうなんだぁ、とがやがや騒音に負けない大声を張った。 うんそうだねって返事が聞けると思っていたからゾラは少しあれっとなったけれど、そんなふわんとした不思議はすぐにぱちんと消えてしまった。そのくらいにヒメははきはきした気性のポケモンだった。 「ゾラって、女の子?」 「うん? そ、そうだけど……」 頷きながら、改めて確認されるとなんだか恥ずかしい心地がした。確かにゾラは女の子だ。でも、うんと女の子らしいヤブクロンのブクが一緒にいるから、やんちゃなゾラは仲間内ではあんまり女の子扱いされていない。 ゾラがむずむずしている間にも、ヒメはどんぐり並木の雑踏をずんずん進んでいく。次々襲い来る人間の靴を避けながら、ゾラは慌ててねずみ色の背中を追いかけた。 「ヒメちゃんは女の子だよね?」 その問いに、ひょっこりとヒメが振り返り、まん丸の瞳でしげしげゾラのことを眺めた。よくなかったかな、とゾラは見つめ返しながら耳を垂れた。なぜだかヒメは自分のことを『ぼく』って言う。でも、着ていたピンクのドレスもそうだし、名前もそうだけど、何より顔立ちや匂いが女の子のそれなのだ。気分を損ねたのかと思いきや、ヒメは小首を傾げてニッコリと笑った。 「うん、でもぼく、男に生まれればよかったな」 そうしてまた前へと進み始める。ゾロアもてこてこ付いていく。なんでか、聞いてもいいのかなぁ。ゾロアがまたむずむずしている間に、ふわっと焦げたソースの香ばしいのが鼻っちょをくすぐって、二匹は揃って右へならった。それから互いが互いを見合わせて、いたずらっぽくくつくつ笑った。きっと聞いても大丈夫だ。二匹は並んで歩き始める。 「どうして?」 「何が?」 「男に生まれればよかった、って思ってること」 「うーん、じゃあゾラは、女の子でよかったって思ってる?」 こくんとゾラが頷くのを見ると、ふふんとヒメは鼻を鳴らした。額の癖っ毛をぴょこんと揺らし、耳をぷるぷるさせ、箒のしっぽをぴんと立てると、 「だって、――男の子だったら、こんなこともできる!」 そう声高く宣言して、力いっぱい地面を蹴った。 屋台の頭を越えるほど高くジャンプして、すとんっ、と着地したのは、人間の女の頭だった。一拍の後、どんぐり通りをヒャアアアと悲鳴が貫いた。真っ青になった人間の上で対してヒメはけたけた笑って、周りの人間が伸ばした腕をするりにょろりとかいくぐって跳躍、今度は子供の腕へと飛び移り、その衝撃で小さな手から食べかけのやきそばがどさっと落ちた。ウワァッと言って泣きだす子供、つられて大きくなる騒ぎ。ヒメはそこからくるくる回りながらダイブした。落下点のゴミ箱がどじゃっとひっくり返った。そのまま人の群れへと突っ込んでいくのを、ゾラは訳も分からず追いかけた。転がりまわるように人の股の間をすり抜けては飛び逃げては笑い、ついにはヒャッホウと叫びながら屋台の中へ突撃した。どしゃーん、と売り台が倒れて、そこからたくさんのきらきらが飛び散った。あぁっもしかしてあれは、あぁ、あのジュエルボックスのお店じゃないか! 足元に転がってきた可愛らしいきらきらのひとつ、拾ってしまえって悪タイプの本能がうずっと来た瞬間に、ゾラははっと顔を上げた。怒鳴りつける店主、何事かと囲い込む人波の向こうに、濃紺色の帽子が見える。その帽子の真ん中に光る、紋。あの、恐ろしい紋―― 「ヒメちゃん護衛兵!」 ブルーシートの店内を高速でんぐり返しで行き来していたヒメは、ゾラの早口におうっと返事して、瞬く間に路上へ滑り出てカミナリさまのような速さでその場を乗り切った。何が何だか分からない。もう頭は完全にオーバーヒート、ついていくので精一杯だ。ぜぇぜぇ言いながら走るゾロアの耳から、けたたましい人々の怒声はだんだん遠のいていって、代わりにヒメのアッハッハという笑い声が痛快に鼓膜をくすぐった。 「あぁ幸せっ、こんなに楽しいの初めてだよ!」 その言葉を聞くと、呆れとかそういう感情は、ゾラの中から吹き飛んでしまった。 二匹はしばらく駆け続けて、途中公園の銅像に寄りかかって休憩した。ヘビのようなサカナのような変ちくりんな銅像が、精悍な目つきで二匹を見下ろしていた。公園の真ん中には大きな噴水の泉があるが、そこに遊んでいる人間の子供たちは今日はいつもより少ない。皆お祭りに出かけているのだろう。そこまで歩いていって溜まった水をぺろぺろ舐め、喉の渇きを潤した。 ちょっと疲れてしまったのか、二匹ともぼんやりとしばらく水底を眺めていた。今は静かに波打つみなもに、光の泳ぐ噴水の底。所々水色とピンクのウロコ模様のお洒落な底面がきらきらしてきれいで、ゾラはこいつがお気に入りだ。この噴水の秘密のことをヒメに話してしまおうかな、という気が少し起きたけれど、それはやっぱり船着き場で一緒に暮らしてる四匹の仲間だけでの内緒だったから、その気はすぐに失せてしまった。 運動した熱にぼうっとふやけているゾラの横で、街はこんなに賑やかなんだねぇ、とヒメはしみじみ呟く。その時ゾラの頭に、あの、『今日はなんだか、街の全部がきらきらしているみたい!』『へぇ、そうなんだぁ』のやりとりの不思議の答えが、にわかに浮かび上がってきた――ヒメ、この街のこと、多分詳しくは知らないんだ。 「今日はでも、なんだか賑やかすぎるなぁ」 「そうなの?」 「何のお祭りがあるのかな……あっ」 きょとんとするヒメの前で、ゾラはぴーんと尻尾を伸ばした。 「そうだ、思い出した! 結婚式があるんだ。この国の王女さまと、海の向こうのナントカって国の国王さま! そのお祝いで、こんなに盛り上がってるんだね」 ブクがするみたいにその場でぴょんぴょん跳ねながら、ゾラは想像を膨らませた。ラストゥレーヌの王女の顔は、ゾラも写真で見て知っている。ふわっと優しいパーマのかかった金髪の、ふっくらした顔つきの美しい少女だ。一匹のポケモンを大事に育てていると言う、心の豊かな人だとも。そんな王女さまが、女王さまのお目付けでその、ナントカって国に嫁入りすることになった話は、ゾラたちみたいな野良のポケモンでも誰しも祝辞を述べあうくらい有名なことだった。そういえば、昨晩見た、あのきらきらを乗せた大きな船。あれはきっと、どこぞの国王さまが王女さまを迎えに来たのに違いない。ゾラだって女の子だ、きらきらと豪華な結婚式のことを思うと、もう高揚感で爆発して飛んでいってしまいそうだった。 「あぁ、いいなぁ、結婚式! きっとパレードが見れるよ。王女さまのウエディングドレス、きれいなんだろうなぁ。あっ、パーティーがあるなら、お料理のお零れがあるのかな! おいしいものが食べれるかも。ねぇ、楽しみだねヒメちゃ……」 その時、ゾラは、ヒメの顔がみるみるうちに暗くなっていくのに気付いた。 「……ヒメちゃん?」 ゾラは首を傾げた。 突如、黙りこくっていた噴水の筒が、中央から脇の小さいのから一斉にぷしゃーと水を吹き出した。わっと二匹は驚いて、一緒にどてんと尻餅をついた。見る人の子の誰もいない中、噴水はさも愉快そうにくるくる円を描きながら、形のないオブジェを描き続ける。 太陽の光を一身に集めてから水面へ飛び込んでいく水玉たちを、二匹はじっと見て、先にぴょこんと立ち上がったのはヒメの方だった。ヒメは水玉に負けないきらめいた笑顔を見せた。 「さぁっ、そんなことはいいから、早く鐘を鳴らしにいこう!」 踊る噴水に背を向けてヒメは一匹走りだす。あっ、待ってよ、とゾラは慌てて追いかけた。今日はとことん振り回されてる感じ、でも別にゾラはそんなこの日が嫌いじゃない。冒険の予感がした。このお転婆のチラーミィから、ただならぬ冒険の予感がしたのだ。 ヒメとゾラは狭い路地裏を駆け抜ける。細い坂道を上がっていく。
*
あれが、鐘。――国の中央にほど近い民家の赤い屋根の上から、二匹は城を臨んでいた。 気がつけば、どこまでも広がる空と海とは、黄昏の空気に蕩けつつある。くっきりしたオレンジの光陰の筋雲が、夕焼けをすうっと飾っている。 ラストゥレーヌは国全体がひっくり返した浅いお椀みたいな小山の形になっていて、そのてっぺんに王さまの住む城があった。いくつかそびえる高いのの、一番手前に見える塔。とんがった屋根の下の空間に、大きな大きな鐘がぶら下がって、夕陽にぴかっと反射していた。遊んでたら遅くなっちゃったね、とヒメはへへっと笑った。見るもの全てがオモシロイと言わんばかりにあっちこっちと連れ回されて、ゾラは精神的にはともかく、体の方はどっぷり海に沈んだみたいに隅から隅まで疲れていた。 「……本当に、ゾラの力で忍びこめるのかなぁ……」 だからこそぽつりと零したのは本当に弱気になったのもあったし、今日のところはよしておこうよ、というのも暗に含めていたけど、ヒメはそんなのはお構いなしにぶんぶん首を振った。 「大丈夫! 怖がるなって、ゾラならきっと行けるよ」 ヒメはぼんっとゾラの背を叩く。疲れの色なんてちっとも見えない。本当に、びっくりするほどお転婆なチラーミィだ。自分のやんちゃなんて全然敵わないや――ゾラはそんなことを言おうとして、ヒメの方を見上げた。 茜色に染められたチラーミィの頬は、そうでなくてもどことなく上気していた。おしゃべりな口はその時きゅっと結ばれてた。鼻先はつんと上を向いていて、一点の乱れもなく。大きな瞳は炎のような光を湛えて、まっすぐ城を見つめていた。 今日一日で何度も、嫌じゃないけどついていけないな、と彼女に向けたゾラの思いも、その表情を見たときだけは静まって、ゾラは胸をどんと突かれたような心地がした。 「……あの鐘さえ鳴らせば。ぼくらは幸せになれるんだ」 ヒメは潜めて呟いた。 その時だった。ずん、と大げさな足音が聞こえて、二匹ははっと振り返った。屋根の甍の向かい側に、精悍なハーデリアが三匹、そして大きなムーランドが真ん中に、こちらを睨んでいる。その首輪に光る、あの紋――名誉あるラストゥレーヌ警護団の紋章。ゾラは息をのんだ。ヒメがくそっと悪態をつく。ムーランドの眉間に刻まれた皺が深まった。 それは間違いなく、昨夜ヒメを追いかけていたポケモンたちだ。 「……もう終わりにしませんか、ヒメ。こんな無意味なこと」 ムーランドの声は重々しく、じんと空気を震わせる。 無意味なこと、とヒメが反復する。ムーランドはじりじりと間をつめ、ついに甍を乗り越えた。ハーデリアたちがそれに続く。ヒメとゾラとは摺り足で下がり、屋根の端まで追い詰められる。ゾラは目だけ動かして下を見た。少し低い位置に別の家屋の屋根がある。そこからなら入り組んだ路地に逃げ込めそうだ。 「身勝手だとは思われませんか。アザレアさまの気持ちも、少しはお考えになってください。……明日には、あなたの生涯でおよそ一番大切な、『進化の儀』が控えている。王女が嫁ぐ上で無視のできないしきたりだ。ヒメがいらっしゃらなければ、明日の結婚式がどうなってしまうか、そのくらいは分かるでしょうに」 ヒメは何も言わなかった。ひたすら唇を噛みしめていた。ぴりぴりした緊張がゾラにまで伝わってきて、でもそれよりゾラには、ムーランドの言ったことで、頭の中がごちゃごちゃしてきた。アザレアさま、と言えば。ゾラたちみたいな野良のポケモンでも、誰もがきれいな人と口を揃えることができる、ラストゥレーヌの王女の名だ。 「ヒメ。――姫さま。姫さまの判断に、我が国の、ラストゥレーヌの行方が掛かっておるのですぞ」 そのアザレア王女さまは、一匹のポケモンを大事に育てていると言う。 ゾラはヒメを見た。ヒメはぶるぶる震えていた。背後には、明日の結婚式の準備に沸き立っているであろうこの国で一番大きな建物が、その北塔の荘厳な鐘が、ヒメをじっと見つめている。 動かない『姫』に、ムーランドは息をついた。 「……それに、あんな鐘を鳴らしたところで……」 「――うるさいッ、バカムー!」 ヒメはそう叫ぶと、ゾラの首根っこを掴んでその屋根から飛び降りた。
*
積み上げられた雑貨の影からおずおずと、ピンクのドレスを着たゴミ袋がやってきた。 「に、似合うかな?」 頬を真っ赤に染め、胡麻の瞳を若干潤ませながら恥ずかしそうに聞くヤブクロンに、しかし誰もが一瞥をくれただけで、視線を元へと戻してしまった。ブクはしゅんとした様子で、申し訳なさそうにそこに座った。 ベッドの頭の端と足の端に、汚れもぶれのゾロアとチラーミィが一匹ずつ、むすっとした顔で丸まっている。 ヤミラミのヤッさんは仕方なしと言うように立ち上がって、右手の何やら古ぼけた絵本を仰いでみせた。 「遥か昔、ラストゥレーヌの北の塔には、それはそれは醜い容姿の化けモンが捉えらておりました。化けモンは街の連中から酷い迫害を受けておりました。ある朝、化けモンは恨みつらみをとことん乗せて塔の鐘を打ち鳴らし、その音は国全体を不穏の響きで包みました。その翌日、ラストゥレーヌの全土には天地をひっくり返すような大嵐が襲いかかり、幾千の尊い命が失われてしまったのです。その鐘は『呪いの鐘』と呼ばれ、その響きは不吉の前触れとして今でも恐れられております……悪いけどな、その童話、調べさせてもろうたわ」 ヤッさんはびしっ、と絵本でヒメを指し示した。 「何が『みんなを幸せにする鐘』や! とんだデマカセやないかい」 「……知らなかった」 「一国の姫君なら、知らん訳あらへんやろ」 怒らないでよ、と控えめな声でヤッさんをなだめて、ブクが立ち上がった。窓の外に浮かぶ大きな月と船の明かりに、ドレスがちらちら閃いた。 「ちゃんと聞こうよ、理由。……そこまでして、結婚をやめさせたかったの?」 優しく問いかけるブクの声にも、ヒメは顔を上げようとしない。 ふいにゾラが振り向いた。唇を尖らせた不細工な顔でじっとねずみ色の背中を見つめて、それからのっそり起き上がると、とん、とベッドから飛び降りた。 「進化の儀が嫌だったんでしょ?」 ヒメの尻尾がぴく、と揺れた。難しい表情でそれを見ているゾラに、ブクがおどおどと尋ねる。 「なに、それ?」 「ムーランドが言ってたんだ。ゾラも聞いたことあるよ。ラストゥレーヌの王女さまは、一匹ずつ血統書つきのチラーミィを連れていて、結婚するとき、白く光る石をあててチラーミィを進化させるって決まりがある。明日の結婚式で、ヒメは無理矢理進化させられるのが嫌だったんだ。ゾラに嘘ついてまで不吉の鐘を鳴らそうとしたの、それだからでしょ」 いつだってやんちゃで明るかったゾラがそんなふうに声を低めるから、ブクも、ヤッさんも、黙って続きを待っていた。 「……ヒメ。ゾラ、何よりも、ヒメに嘘つかれたのが、一番悲しいよ」 ようやっとヒメは顔を上げた。大きな黒い瞳には、今にも溢れそうなほど涙が溜まって揺れていた。 「……ぼくは、ぼくはただ……」 ガタンッ、とその声を遮るように窓が開け放たれて、飛んできたペラップがくちばしから何か放り落した。 「号外! 号外! 号外だよー!」 一緒に滑り込んできた夜風はいつも以上に冷たくて、ぺらーりの持ってきた新聞もひんやりと凍えていた。ヤッさんが拾い上げ、広げたそれを、ひったくるようにヒメがもぎ取った。 「なにすんねんっ……」 突っ込みでも入れようと振り上げた右手を、しかしヤッさんは引っ込めることしかできなかった。――ついに我慢ならず、大きな瞳から、ひとつふたつと涙の滴が零れ落ちた。 「王女サマの結婚式は、アッシターのアーサー七時からー!」 カラフルな翼ばたつかせて騒ぎ立てるぺらーりに、うるさいっ、とブクが『はたく』を決めた。ぺしーん。それからしばらく、船着き場の小屋はしんとしていた。ぽたたっ、と水滴の落ちる音がして、くしゃっと新聞の潰れる音がして、それからヒメは嗚咽を漏らした。ひっぐ、ひっぐと、押し殺した泣き声が聞こえた。絶え間なく寄せる波の音が、大きく小さく響いていた。 新聞の大見出しの下には、寄り添う王女と異国の国王が、幸せそうに微笑んでいる。 「……ぼくより、こんなことの方が、大事だって言うのかよ!」 そうしてヒメは新聞をべしんと床に叩きつけた。ブクがびくりと震えた。ヒメはそこにしゃがみこんで、呻くようにすすり泣いた。ヤッさんとぺらーりが、困ったように顔を見合わせた。 いつしかゾラも、奥歯噛みしめ、膝の震えるのをひたすら必死にこらえていた。じんわり視界が滲んできた。でもぶんぶんと頭を振った。ずずっと鼻水を吸った。たんっと前足を鳴らした。こんなときだからこそ、自分が奮い立っていないと、だめだ。 開いた窓の向こうに、豪華船のきらきらがある。その後ろに、月はまだ、力強く輝いている。次の朝の七時なんて、残された時間は十分だった。 「――ヒメたちは幸せになるんでしょ!」 ゾラのその、上ずった声に。 ヒメは力強く頷いた。
*
夜明け前。 船着き場付近の土手を巡回していたハーデリアたちは、護岸ブロックの合間から、何かポケモンが飛び出して来るのを視認した。 三匹のハーデリア隊は目配せを送りあう。白んだ月の明かりを反射してちらちらと光るドレスは、美しく気高いピンク色。あのような発色の洋服なんて、人間のものでも一般の民には手が届かない。三匹は綿密に連携を取りながら、囲い込むようにピンクの光を追っていく。 この場所に姫が現れるのはムーランド隊長の予想通りだ、さすがに女王直々の護衛犬というだけはある。しかし想定外だったのは、姫が城とは逆の方向へと走りはじめたことだった。それが何故だか、彼らには分からない。風に流されてくる生臭いごみの匂いの理由も、彼らにはちっとも分からない。けれどそんなことはどうでもいい。とにかく姫を捉え、式に間に合うよう城へお連れすること、それが彼らの使命なのだ。 だから彼らは、ピンク色のドレスを着たポケモンを捉えて、その胡麻の瞳を拝んだ時、マグマのように煮えたぎっていた使命感が急速に固まっていくのを実感した。 「やぁっ、変なところ触らないでくださいっ!」 頭の『結び目』を掴まれながら、ヒメのドレスを着たブクは可愛らしい悲鳴を上げた。
ここでも夜目が功を奏した。真っ暗闇の街中をゾラの迷いない先導を受けて、ヒメは昼間の公園へと辿りついた。 どこにヒメを追う連中が潜んでいるか分からない。二匹は息を殺しながら噴水の方へと近づいた。同じようにどこからか忍び寄ってきたヤッさんが、掌のものを二匹へ見せる。暗くてヒメにはよく見えなかったが、それは雑踏に踏み潰されたいくつものどんぐりであった。 「『主(ぬし)』は、どんぐりの実の匂いに引き寄せられるんや」 極力まで潜めた声で言いながら、ヤミラミはそれを噴水の泉の方へとぽいぽい放った。ちゃぷんちゃぷんと音を立てて、月を映した水面が揺れる。その底の、月明かりでしっとりと輝くお洒落なウロコ模様へどんぐりの一つが達した時――猛烈なスピードでウロコ模様が動き始めた。ぎゃあっとヒメが大声を上げて、ヤッさんとゾラは慌ててそれを押さえつけた。 ヒメの大声よりももっと大きな水音をざぱぁんと派手におっ立てて、ぬらりと長い何かが泉の底からせり上がってくる。凛とした赤い瞳と耳のたれ、濡れてつやつや光る水色とピンクのウロコ模様があまりにも美しいその大きなミロカロスは、はむはむどんぐりを食べながら、まーたお前ら、こんな時間に何か用、と大して美しくもない声で言った。 「主、いつもいつもすまんけど扉を開けてくれへんか」 「なぁんで」 「このチビたち、城に用事があんねん」 「ふむ……」 ミロカロスは完全に怯えきっているヒメとぺこりとお辞儀するゾラを見て、めんどくさそうに尻尾を上げた。泉の本物の底にはめ込まれるようにされていた尻尾のあった所には、何やら赤い突起が見える。次にミロカロスがめんどくさそうに尻尾を振り下ろすと、ざぱんっ、がちっ、と音がして、次にごごごご、と地鳴りがして……ミロカロスがめんどくさそうに底の模様の一部へと戻っていった頃、腰の抜けていたヒメはようよう起き上がることができた。そして促されて振り向いて、もう一度腰を抜かしかけた。 昼間寄りかかって休憩していた、ヘビのようなサカナのような変ちくりんの銅像が横にスライドしていて、その下にいかにもと言うような隠し階段が続いていた。
こんな簡単に忍び込めるなんて、なんて杜撰な管理体制のお城に住んでいたのだろう、と、ヒメはせわしく人の動き回る厨房を見下ろしながら呆れている。 大きめの通気ダクトにぎゅうぎゅうになりながら、三匹はじっと機会を窺っていた。無理矢理腕を動かして顎を撫でながら、ヤッさんがぼそぼそ言った。 「これは計算違いやったわ……結婚式前やから、いつもより厨房にぎょうさん人間がおる。このままじゃ式が始まるまでに中に入られへん」 「いつもって、いつもぼくのお城に忍び込んでたの、ヤッさん」 「そりゃあ、まぁ……せやかてオレだけちゃうで。そこのアホギツネも、アホインコもゴミ袋も同罪や」 ヒメはゾラをじろっとねめつけて、ゾラはぺたっと耳を垂れた。 広々した厨房には、さすがにお城の御馳走とあって、生唾を飲み込みたくなるゴージャスな匂いが充満している。それを見まわして、ヤッさんはふむ、と頷いた。そして振り向いた。その宝石のような瞳が、ぎらっと悪タイプらしい光を放った。 「アホギツネ、それからアホネズミ」 「ぼくはネズミじゃないっ」 「じゃあただのアホや。そこのアホゥ共、俺がまず先に出て連中を引きつけるから、その隙にこっそり中へ行きぃや」 アニキ分のお手本のような彼の言葉に、二匹はじんわり感動すら覚えた。 ウィィィィィィィッ! と奇声を発しながら、ヤッさんがダクトから飛び降りた。シェフたちの目という目が全て、その紫の影を追った。がちゃんぱりーんと皿やらなんやらの割れる音があちこちから響き始めて、各所火の手さえ上がり始めた。あっという間に厨房は怒号と混乱の嵐に包まれた。さすが、ヤッさんのアニキだ! 小声で言うと共にゾラはダクトを飛び出し、ヒメが降りてくるのと合流すると、そそくさと厨房を抜けていった。 それを見て、ここぞとばかりに、ヤッさんは瞳をこれ以上ないほど輝かせ、運び出されようとしていた料理の群れへと顔面から突っ込んだ。 「――んんっ、うまい!」 満面の笑顔で叫んだヤミラミの首根っこに、人間の手が次々と襲いかかった。
イリュージョン、と呟くと、あっという間にちいさなゾロアは人間の姿へ変貌した。ふわっと優しいパーマのかかった金髪の、ふっくらした顔つきの美しい少女だ。ヒメはうわぁっと感嘆して手を叩いた。 「凄い、よく似てる!」 「ほ、本当に? ばれないかな?」 「大丈夫、ぼくから見てもアザレアそっくりだよっ」 二匹――改め一人と一匹は、急いで物影を飛び出した。この場所で生まれ育ってきたヒメだから、城内の地理にはとことん詳しい。式直前のはずのアザレア王女の慌てて走っていく姿と、お尋ね者となっていたはずのチラーミィの普段より汚れた姿を見て、すれ違う人すれ違う人いちいち皆が振り向いたが、それもどうだっていいことだった。脇目もくれずに絨毯を駆けた。人々がせかせかしている。式の始まりが近づいているのだ。 堂々城を通り抜け、中庭へと飛び出したヒメは、ゾラへとひとつの塔を指し示した。 「あれだよ、あれが、鐘の塔」 ゾラの、人の形の瞳が見上げる。あの屋根から見たときはそうとも思わなかったのに、真下からだと随分高い。鐘の姿も隠れて見えない。――辿りつけるのだろうか。心臓が高鳴り始める。だめだ、落ち着け。ゾラは王女アザレアだ。冷静に、冷静に……。集中力を高める暗示をかけ始めたその時、ずん、と大げさな足音が聞こえた。 分かっていた、と言うように、ヒメはゆっくりと振り返った。ゾラもそれを推し測り、王女たる気風をめいいっぱい取り繕って背中の方を顧みた。 たった一匹、けれど、縮みあがるような最上級の威厳をまとったムーランドが、二匹をじっと見つめていた。 「……わたしの前で、匂いまでごまかせると思いなさんな」 ずし、ずし、と踏みしめるような足音を立てながら、ムーランドが近づいてくる。二匹は今度は引かなかった。一歩として引かなかった。 「姫さま。もうすぐ儀式の時間ですぞ」 ただ、重々しく言い放つムーランドの厳かな瞳を、炎の熱で見返していた。 「あなたは、あなたの主(あるじ)の婚姻を台無しにするおつもりか」 「アザレアの、婚姻?」 ハッ、とヒメは笑った――その時ふいに、彼女を取り巻く雰囲気が一変する。内心ゾラは驚いた。それをめちゃくちゃにするためのヒメの覚悟も執念も、ゾラは知っているつもりだった。けれど、今ヒメが選んだ剣は、違う。男に生まれたかったな、とぼやいた彼女の、小さな一匹のものではない。先祖代々ラストゥレーヌに仕えてきた、姫の血の受け継ぐ『誇り』のような、確固たる力を持つ何か。 「国と国との婚姻、ではなくて?」 急に高圧的になったヒメに、ぐっ、とムーランドは芝を踏みつけた。 ひゅうひゅうと風が駆け抜けた。遠く微かに群衆のざわめきが聞こえた。式は間近だ。人も集まってきている。 「姫さまともあろうものが何をおっしゃるか。我々はラストゥレーヌ家への忠義をもって――」 「忠義? それのどこが? 国の望まない結婚を押し進めることが? 笑わせないで!」 臣下がするよりさらに強く、ヒメは青芝を踏みしめる。 「あれはとんだ男じゃない。女王さまを良いように口車に乗せて無理矢理アザレアを手に入れて、いずれラストゥレーヌの執権を奪おうとしている。アザレアだって分かっている、分かってて結婚を嫌がってた、ムーだってあの男の傍に、アザレアの傍にだっていたのに、すぐに分かったはずでしょう! 女王さまは間違っている。このままじゃラストゥレーヌは終わるのよ!」 「し、しかし……我が護衛団は女王さま直属の部隊であり、その命令に背くなどということは……」 「分かっててこんなことをするなんて、恥を知りなさい!」 あまりの威圧に、クンッ、とムーランドが引いた。 ヒメは二三歩前へ踏み出した。黒く大きな瞳は、淀みない光を宿していた。その場に居合わせた誰よりも、誰よりも小さなチラーミィが、大きく両手を広げ、誰よりも声高く、城を背負って宣誓した。 「ラストゥレーヌの名において! ――わたくしは。これ以上、あいつの好きにはさせないわ」 空はいつの間にか明らみ、青白い朝の光が、小山の国を包み始めている。
*
何万という観衆の見守る中、王城のバルコニーへ、王女とその夫となる異国の王とが姿を現した。 人とポケモンで埋めつくされた会場には、煮沸寸前の恐ろしい熱気が渦巻いている。それは芯からの祝福ムードか、外国へ嫁いでいく王女を惜しむ声なのか分からない。ともかく、全身全霊を持ってその結婚を良しとしないという態度を取っているのは、今のところ、護衛兵に摘まんでこられた二匹のポケモンだけだった。 「あっ、ヤッさん! 捕まっちゃったの」 「ブク、お前もか。無事そうでなによりや」 護衛の方もそんな野良ポケモンに構っている暇はないようで、二匹をぽいっと茂みの方へ放り投げると、人混みの方へと紛れていった。 例のドレスを奪われたところで相変わらず生ごみ臭のブクと、厨房の件(くだん)でおいしい料理の匂いが染みついたヤッさんは、二匹してバルコニーのプリンスとプリンセスを見上げる。手を振っている彼らの笑顔は、ヒメの話を聞いた今となっては、男の方は嫌らしい『わるだくみ』の顔にしか見えなかったし、王女の方は、悲しみを努めて押し隠している、そんな風にも見てとれた。ゾラとヒメちゃん大丈夫かな、とか細い声で鳴くブクに対して、ヤッさんは口をもぐもぐさせながら、うまくやってるとえぇけど、と低くぼやいた。 至る所に備え付けられた大型のスピーカーから、マイクの雑音が聞こえ始める。会場がだんだんと静まっていく。結婚式、はじまっちゃうよ。今にも泣き出しそうなブクに被さるように、スピーカーから誰かの声が聞こえ始めた。 『えー、ご静粛に、ご静粛に。ラストゥレーヌ国民の皆々様、今日という、このめでたき日に、アッ、チョッ、なっ、コラ! こいつ、このインコッ、あぁっ、やめな……』 国を挙げての祭典での、そんな信じられないハプニングに、にわかに会場がざわつき始める。誰かの声がフェードアウトしていくにつれ、騒々しい羽ばたきの音と、甲高い鳴き声が、スピーカーから発信されはじめた。インコじゃなーい! インコじゃなーい! ブクは思わずぴょんぴょん跳ねた。ヤッさんはガッツポーズを決めて、あんのアホインコ! と叫び上げた。 鳥足にがっちりマイクを掴んだぺらーりが、悠々と会場高く飛び立っていく。
*
北の塔入り口に控えていた門兵を、ムーの巨体が『たいあたり』一撃で吹き飛ばした。 ゾラとヒメとがあ然としている前で、ムーは卒倒した門兵の腰の鍵束をいとも簡単に食いちぎると、それをヒメの手の中に落としてみせた。ありがとう、と二匹礼を言うと、ムーはただむすっとしたまま背を向けて、城の方へとのっそりのっそり歩いていく。それだけで、彼の気持ちは十分だ。ヒメは鍵を順にいくつか差しこんで門を開け、早くと急かして飛び込んだ。ゾラもゾロアの姿に戻って、全力の四足歩行で駆け出した。 螺旋の石造りの階段を、ただひたすら登っていく。壁に設けられたいくつもの小窓から見える景色がぐるぐる回っていく。そこから薄暗い屋内へ鋭い光が差し込んでいる。だんだん世界が高くなる。ふいに、イソゲ、イソゲ、と甲高い声がした。流れていく窓辺の中を、なんとぺらーりが追いかけてきている! 二匹を見ながら塔の周りを飛び回っているのだ。おぉッ、まかせて、と二匹は苦しい呼吸で、その声援に必死に応えた。突如、グゲェッ、と潰れたような悲鳴が聞こえて、いかついムクホークに取り押さえられたぺらーりが視界を後ろに流れていった。 急に広い空間に出た。迷うまでもなく一本道だが、突然目の前に、大きな網を構えた門兵のなりの人間が現れた。待ってたぞォ、と嬉しそうにほくそ笑みながら、人間は大仰な動作で網を振り下ろした――ふいに人間の視界の中で、狙うべきチラーミィが二匹になった。え、と言う間に、彼の横を二匹ともどもが駆け抜けていく。片方はもちろんイリュージョンしたゾラだったのだけれど、その階の最後に鉄柵に阻まれた上への階段を見つけて、そっくりの二匹は同じ動作で柵の下をくぐり抜けた。すんでのところで門兵の手が尻尾を掴み損ねた。彼は鉄柵に頭をぶつけて、仰向けにそこへひっくり返った。 二匹はためらわず駆け続けた。上へ。上へ。上へ。上へ。ひたすら石段蹴り飛ばす。のぼれ。のぼれ。のぼれ。のぼれ。十分には取れなかった昨日の疲れの残りもあって、四肢がじんじん痛み始める。あの屋根の上にいる時、ゾラにはヒメが随分元気そうに見えていたけれど、普段ゾラの何倍もぐうたらしているヒメだから、本当は全身泥人形みたいに動かなかった。けれど鳴らしたかった。鐘を。民のために。国の未来のために。ううん、本当は、そんなことはどうだってよくて、何よりも誰よりも、たったひとりの愛するパートナーのために。呪いと言われるあの鐘で。本当に本当に、ヒメは幸せにしたかった。 隣にゾラがいた。ぜぇぜぇひぃひぃ言いながら、がんばれ、がんばれ、と呻いていた。ヒメは何も返せなかった。だんだん酸素足らずに混濁してぐちゃぐちゃになる意識の中に、色鮮やかに昨夜の光景が浮かび上がった。 船着き場の小屋の中。幸せになるんでしょ、とゾラは言った。幸せになりたかった。なりたかったし、アザレアにだけはどうしても、幸せになってほしかった。悪い異国の王のこと、騙された王女さまのこと、素直に事の顛末を話せば、ちいさなゾロアは溜め息をついて、どうして本当のことを言ってくれなかったの、と聞いてきた。ヒメはなんだか恥ずかしくなって、独り言みたいな声を返した。本当のことを言ったら、協力してくれないでしょ。 すると、ゾラと、ブクとヤッさんとぺらーりは、互いの顔を見合わせて、けらけらけらと笑うのだ。 「そんなことないよ。飼い主のために城を飛び出し、危険を冒してまで警鐘を鳴らそうとする勇ましすぎるお姫さま! こんなに応援したくなる事って、他にないよっ」 「乗りかかった船ってヤツや」 皆がそんな風に言った。皆がヒメの肩を叩いた。ゾラははにかみながら、なぜだかちょっと泣きながら、尻尾を振って抱きついてきた。 「ヒメが心を開いてくれれば、皆ヒメに協力しちゃうんだからっ」 ブクがぴょんぴょん跳ねた。ヤッさんが鼻を鳴らした。ぺらーりがばさばさ羽ばたいた。 「――ヒメはもう、大事な仲間だよ!」 そうして皆、にやっと笑って。ヒメは、ちょっとぽかんとして、それからにやっと笑い返して。 すると、声までこらえきれなくなって、ヒメはわんわん泣いたのだ。 生まれてからずっと、ヒメにそんな友達はいなかった。アザレアのことは大好きだ。撫でてもらうのが好きだった。良い子にしてれば、たくさん頭を撫でてくれた。けれど、自分のちいさな胸の中に、どこまでも駆け抜けたくなるような野良っぽい衝動が、こっそり隠れてうずいていること、ヒメはずっと分かっていた。優雅に紅茶を啜る友達もよかった。けれど、引っ掻きあいっこするような友達も欲しかった。泥んこになって笑いあえるような友達も欲しかった。だから、通じ合ってるみたいな『にやっ』が、本当に本当に羨ましかった。 はしれ。はしれ。はしれ。はしれ。今ヒメはひとりぼっちじゃない。一緒に走ってくれる仲間がいる。あがれ。あがれ。あがれ。あがれ。応援してくれる皆がいる。確かに変な奴らだけれど、励ましてくれる友達がいる。 こんなにも簡単なことだった。ただ、ありのままの心を、素直に伝えるだけでよかった。気取らずに、嘯かずに、思った通りに言えばよかった。そうすれば、皆が力になってくれる。あのカタブツのムーだって命令に背いてくれた。それなら、もっと多くの人に、届けることもできるはず。 階段の向こうに強い光が見えてきた。足の裏がこんなにも痛い。蹴るたびに噛みつかれるような引き裂かれるような衝撃が走る。心臓もばくばく早打ちしてる。喉の前と後ろが張り付くみたいだ。蹴りあげる。また一段。蹴りあげる。段を捉える間隔が消え失せていく。蹴りあげろ。溢れ来る光に突っ込んでいく。蹴る。飛んでいるのかも。蹴る。蹴る。呼吸が言う事を聞かない。空気を喉が押し返す。でも一歩。跳べ。跳ぶんだ。見えてくる。朝日を弾く鈍い光の球。呪いの鐘。希望の朝の鐘。前足が震える。泳ぐように蹴った。颯のように跳んだ。その光の中へひとつ下がっている、あの一本の綱めがけて。ゾラが吠えた。ヒメも似たように、吠えた。
出来うる限り、心のままに。めいいっぱいの気持ちを乗せて。 鐘を、鳴らしたい――!
二匹がいっぺんにしがみついて、力いっぱい引っ張り下ろした。 鐘が揺れた。ぶぅんと大きく左に揺れ、ひとつめの音が響き渡った。それに連動するように、隣の鐘が左に揺れた。その隣の鐘が揺れた。綱が引っ張り上げられる力に耐えきれずに二匹はぶわっと空を飛んだ。重力にならって落ちるのに、二匹の重みでまた綱が引かれた。先程より強く。そしてぶわっと空を飛ぶ。その上の鐘が、またその上の鐘が、次々と力強い音を奏で始めた。その響きは幾重にも幾重にも折り重なって、あまりにも賑やかな、荘厳だけど愉快な、複雑だけど単純な、強くて優しくて怖くてきれいで逞しい眩しい響きとなって――
*
結婚式会場だった場所を、二匹は鐘付き堂の高台から見下ろしていた。 結果として二匹が引き起こしたのは、空前絶後の大混乱だった。こんなめでたい日に『呪いの鐘』が鳴らされて、街は本当にどうにかなってしまったかのような騒ぎに包まれていた。でも、それはどちらかというと、『お祭り騒ぎ』に近い、ような。結局のところアザレアの結婚を快く思っていなかった王女さまファンは、国に数知れず潜んでいたのだ。 とんでもないことになっちゃったな、と、ゾラは最初にヒメと会った時のように思っていた。朝日に何が煌めいているのか、街全体が本当にきらきら光ってみえる。大きなジュエルボックスを思い起こした。いいや、ジュエルボックスよりも、ずっとずぅっと良いきらきらだ。冒険の予感、間違ってなかったな、と他人事のようなふんわりした心地で考えながら、ゾラは朝の賑やかな街並みを見下ろしていた。 「……結婚、どうなったのかなぁ」 うつ伏せになって肘をつき、足をぶらぶら揺らしながら同じように街を見下ろしているヒメは、小さくそんなことを言った。ゾラはヒメにぎゅっと寄り添うようにした。朝風はまだ冷たいけれど、全身はぎしぎし痛いけれど、それぞれ隣の体温は、ぽかぽかしてて気持ちいい。 「きっといいようになるよ。ヒメはがんばったもの!」 ヒメはふとゾラの顔を見て、しばらくしげしげ眺めて、それから、にやっといたずらな笑顔になった。 「ゾラって、本当に泣き虫なんだね!」 え、と返して、ゾラははっと顔を拭う。訳の分からない涙が、次から次へと溢れてきた。 うえぇぇなんでぇ、と困惑するようなわめき声で鳴いているゾラの横で、ヒメはけらけら笑って、ぴょんと飛び上がった。皆のところへ行こっ、とやはり疲れの色などなかったように階段のほうへ走っていくヒメに、待ってよぉ、と声だけかけて、ゾラもよろよろと立ち上がる。 でっかい朝日が、ラストゥレーヌの空を昇りはじめた。
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飛び出す○○○と地を逝く××× ( No.16 ) |
- 日時: 2011/05/14 18:31
- 名前: プロジェクトMのやおい系
A「リスタート」
―*―47―*―
アカ・ダイダイ・キ
様々な、色が彼女を照らす。 いや、その色は実際に彼女を照らしているわけではない。その色は、この街の様々な店の看板を目立たせる為に輝くネオンの色だ。 しかし、彼女の目から見ればまるで自分が立つ無骨なビルの屋上をライトアップしているかのようだった。
ビルの安全のために設けられている柵を超え、天井と空との境に足を置く。 下を見れば、大きな通りにポツポツとまばらな黒い点がゆっくりと左右を行きかっていた。 夜分遅いためだろう、人はあまり居ないようだ。 あまり人の迷惑にかけたくなかった彼女にとってはうってつけの時だった。
両手を広げ、彼女はそのまま倒れこんだ。
自由落下の気持ち悪さよりも、一瞬感じた激痛よりも、自身の長髪が風に煽られて体をはたくむずがゆさがなによりも絶えがたかった―――
―*―48―*―
キ・ミドリ・アオ
様々な、色が彼女を照らす。 いや、その色は実際に彼女を照らしているわけではない。その色は、この街の様々な店の看板を目立たせる為に輝くネオンの色だ。 しかし、彼女の目から見ればまるで自分が立つ無骨なビルの屋上をライトアップしているかのようだった。
ビルの安全のために設けられている柵を超え、天井と空との境に足を置く。 下を見れば、大きな通りに様々な色と模様の傘がゆっくりと左右を行きかっていた。 今日が雨のせいだろう、通りがいつもより華やかに見えた。 最期を派手に決めたかった彼女にとってはうってつけの時だった。
両手を頭の上でピッタリと合わせ、彼女はそのまま入水した。
自由落下の気持ち悪さよりも、ぬれた長髪が肌に張り付く気持ち悪さよりも、雨粒を追い抜いていくほどの速度が、絶えられなかった。
―*―49―*―
アオ・アイ・ムラサキ
様々な、色が彼女を照らす。 いや、その色は実際に彼女を照らしているわけではない。その色は、この街の様々な店の看板を目立たせる為に輝くネオンの色だ。 しかし、彼女の目から見ればまるで自分が立つ無骨なビルの屋上をライトアップしているかのようだった。
ビルの安全のために設けられている柵を超え、天井と空との境に足を置く。 下を見れば、大きな通りに黒い斑点がフラフラと左右を行きかっていた。 今日が風邪の強い日のためだろう、風に飛ばされないと必死になる人々が滑稽に見えた。 最期に笑いたかった彼女にとってはうってつけの時だった。
両手を腰にピッタリと合わせ、彼女はそのまま宙に舞った。
自由落下の気持ち悪さよりも、風にあおられてグルグルと回される気持ち悪さよりも、落ちていく彼女を誰かが見つけて叫んだ声が耳につくのが、絶えられなかった。
―*―50―*―
アカ・ダイダイ・キ・ミドリ・アオ・アイイロ・ムラサキ
彼女の上に、七つの色がありありと表されている。 本日は、快晴。雲ひとつなく、風もまったくといって良いほどなかった。 ビルの安全のために設けられている柵を超え、天井と空との境に足を置いた彼女は目の前の景色に圧倒され、ふと思い返した。
この光景を見たのは何度目だろうか?
初めて見るはずの光景なのに、何故か何度も見たこともあるような奇妙な感覚が彼女の胸からあふれ始めた。
姿勢を正す前にもう一度、通りを見る。『いつも』と変わらない通り、大きな道の割に人通りの少ないのが特徴な通りだった。
がさりと、顔に新聞紙が被さってきた。鬱陶しくまとわりつくソレを引き剥がすと一面に書かれた記事が目に飛び込んできた。
『××市に住む、女性 飛び降り自殺。増える自殺、何故?』
と、大きく取り上げられていた。 よく見ると、そこに彼女の名前があった……たった今、死のうとしている自分の名前。
それを見た瞬間、彼女は全てを理解した。
そうかと、息を呑んだ。
「私はもう、死んでいるんだ……」
そう認めた瞬間、彼女は体が軽くなるのを感じた。 それまで、地面に縛られていたのではないかという錯覚にすら覚えた。
両の手を胸の前でだらりと力なくたらし、彼女は空を飛んだ。
地縛霊としてではなく、浮遊霊としての彼女の死が 新たに 始まった のであった。
続く
やあ (´・ω・`) ようこそ、プロジェクトMの小説へ。 このソウルジェムはサービスだから、まず契約して落ち着いて欲しい。
うん、「また」なんだ。済まない。 仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。 今回は、某氏からネタをもらってね。一時間程度でさらさらっと書いてみたんだ。 ネタをくれた某氏には、悪いが一つ言わせてくれ……
こんなの絶対、おかしいよ。
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ダルマッカの為に鐘は鳴る ( No.17 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:12
- 名前: the lost bell
- Bコース
空が広く見えるのは、きっと、視界に映る建物(モノ)が何もないからなのだろう。 平べったい小さなこの町では、空を遮る物なんて何もなかった。だから、空を見上げれば、視界に映るのは青と白のコントラスト、それからたまに空を横切っていくマメパトの群れくらいのものだ。 何もない町だった。旅人達は訪れるではなく過ぎ去っていく、この町はいつも目的地ではなく通過点だ。食事処も宿もいつも賑わっているが、そこに馴染みの顔などいない。たまに「また寄ってみたよ」なんて言う客もいたが、次の日には町を去り、次に立ち寄るのは数ヶ月後か、数年後かだ。その頃には店主も旅人も互いの顔など忘れている。
そんな小さな町に異変が起きたのは、そのポケモンが街に居着いて二年目の事だった。 町の北部にある高台の広場に集まっていた三匹のポケモンは、その様子をじっと眺めていた。 広場に集まった人間達。数台の大型車両に積み込まれた資材は何の為の物であろうか。人間達が何をしているのか興味があったのだが、大きな車両は彼らから見て巨大な化け物にしか見えず、近付く事も出来ずに眺めていたのだ。
なにをしているんだろう、と一匹のダルマッカが呟いた。他の二匹のダルマッカも興味津々であったが、その様子を近くまで確かめに行く勇気はなく、三匹は顔を見合わせる。 「ダルマッカ達も気になるのね」 いつの間にか現れた女の子が、そう笑った。宿屋の娘で今年八歳になるその女の子は、ダルマッカ達がこの街に来て初めて気を許した人物であった。 この町に住む数少ない子供である彼女は、初めて見たダルマッカに、怖がらずに手を差し伸べた。そして、自分のお菓子をわけ与えた。たったそれだけの事であったが、それだけの事でダルマッカ達は女の子を信用したのだ。無邪気な笑顔が、ダルマッカ達に女の子が敵ではないと認めさせたのだ。それ以来、ダルマッカ達はこの町に住み着いている。
「あれはなんなのって? ダルマッカ達はわかんないわよね」 女の子は言う、あれはね、時計塔を作っているの。もちろんダルマッカ達に時計塔などと言ってもわかるはずもなく、丸い身体を傾げ疑問符を浮かべていた。ダルマッカ達は問い掛ける。広場は無くなってしまうの? 女の子にはダルマッカ達の言葉はわからない。だから、楽しみなのと笑い返した。
ダルマッカ達が初めて女の子に出会ったのは、この高台の広場だった。ダルマッカ達がいつも遊んでいたのも、この広場。ずっとずっと、この広場で過ごしてきたのだ。
ソノ広場ガ無クナル?
時計塔ッテ何ナノ?
僕達ハ何処ヘ行ケバ良イノ?
ダルマッカ達の不安をよそに、女の子は期待に胸を膨らませて言った。 「時計塔のてっぺんにおっきな鐘が付くの、明日には届くの、楽しみなの」 何もないこの街の新しい観光名所。ただの中継地点に過ぎなかったこの街に、訪れる目的を与えてくれるもの。この女の子ならずとも、街に住む人間ならば誰もが時計塔の完成を待ち望んでいた。
大キナ鐘?
ソレガ無イトイケナイノ?
ソレガ無クナッチャエバ良イノ?
翌日になって事件は起きた。建築用重機が何者かによって破壊されたのだ。犯行は強力な炎タイプの技で行われた可能性が高い事以外に、犯人の手掛かりとなるものは残されていなかった。 女の子は、事件の話を聞いてすぐに広場へ駆け出していた。ダルマッカ達はいつも広場にいる。犯行現場となった広場にいるのだ。事件に巻き込まれてケガをしているかも知れない。 息を切らしながら広場へ付くと、そこには既に人集りが出来ていた。警察と工事関係者、そして何人かの野次馬の姿。女の子はその中にダルマッカの姿を探す。 見つからない。それは安心して良いのか、不安に思うべきなのか、幼い女の子にはわからなかった。 駆け出す、どこへ? わからない、ダルマッカ達のところへ、どこにいるの? わからない! 思わず泣き出した女の子に、野次馬の一人が駆け寄り優しく声を掛ける。「ダルマッカはどこなの?」と啜り泣く女の子の問いに答えられる者など、いない。 ねぇ、どこ? 応えて! 返事をして! お願いだよ! 女の子の祈りに、彼らは応えない。 そして泣きじゃくる女の子を、宿の女将が迎えに来ると、女の子は泣き付かれて眠ってしまった。眠ってしまった女の子にはもう何も聞こえない。
目醒めたのは、もう日が傾いた頃だった。 「ダルマッカ……探さなきゃ……」 女将に着替えさせられたパジャマのまま、女の子は部屋を出る。すれ違った仲居に声を掛けられたが、それにすら気付かず少女は歩いていく。 どこへ? ダルマッカ達の下へ。 夕方のまだ人通りの多い時間、パジャマ姿で駆ける女の子に道行く人は何事かと振り返るが、それ以上気に留める事はしない。 高台の広場へ続く階段の前で、女の子は立ち止まった。意味がわからない。それは至極当然の事であったが、まだ幼い女の子には何故そんな事になっているのか理解出来なかった。 立ち入り禁止。広場への階段はロープが張られ、中央には看板が一つ鎮座していた。 工事車両の破壊は立派な事件であり、犯罪である。犯人の目的が時計塔建設の中止であれば、再び広場で事件が起きる可能性も高い。調査のためと安全のため、広場が立ち入り禁止になったのは当たり前の事だ。 だが、女の子は納得出来ない。ロープをくぐり抜け、階段を駆け上る。だが、すぐに警備に当たっていた警官が女の子に気付き、その前に立ちふさがった。 「ダルマッカを探してるの、ここにいるはずなの」 ここしかない、ここにいるはず、ここしかダルマッカ達の居場所はなかったから、いつだってここにいた、だから今だってここにいる、きっといてくれる。 支離滅裂に訴える女の子は、警官を押し退け、無理矢理通ろうとしたが、小さな身体で屈強な大人に勝てるわけがない。簡単に抱き上げられるともう女の子には為す術がなかった。 「放して! 行かなきゃいけないの!」 じたばたと藻掻くが、足掻けば足掻くほど警官は女の子を放すわけにはいかなくなる。なんとか落ち着かせようと警官は声を掛けるが、女の子には届かない。 その様子を傍から見れば、まるで女の子が襲われているようにも見えただろう。相手が警官で、そこが立ち入り禁止の区画であったから、人が見ればある程度の状況は理解出来たかも知れないが、彼らにそれは出来なかった。 突然降った火の粉が警官の背を焼いた。制服に焦げ目が付く程度で熱さは感じなかったであろうが、突然の攻撃に警官は驚き、女の子を抱える手を弛めてしまった。 逃げ出そうとする女の子を庇うように一匹のダルマッカが飛び出す。ダルマッカが警官に再び火の粉を浴びせると、もう一匹のダルマッカが現れ、女の子の手を引いて駆け出した。
ダルマッカの低い身長で手を掴まれていたため、女の子は数度転びそうになりながら大通りを東へ抜ける。町外れまで走った所で、ようやくダルマッカは足を止めた。女の子は荒い呼吸でダルマッカを見つめる。良かった、無事だった。安堵に溢れる涙を拭いもせず、ダルマッカの身体を抱き締める。やがてもう一匹のダルマッカも追い付いて来た。三匹目は……来なかった。 「……もう一人は……どう……したの?」 恐る恐る女の子は尋ねた。声が震える。安堵が不安に、歓喜が絶望に代わる。 ダルマッカがいない、一匹足りない、どこにもいない、見つからない、見つからない、見つからない! 感情の波が女の子を飲み込む。限界だった。どうしようもない悲しみに、涙が溢れそうになったその時だった。 ダルマッカが女の子の手を引く。もう一匹のダルマッカが街の外を指差す。言葉はわからなくても、女の子をその先へ呼んでいるのはわかった。女の子は頷く。ボロボロの心で、ダルマッカが誘うままに歩きだす。
その先で、それを見た。 横転した車両。倒れたまま動かない作業服姿の男性と、その彼に呼び掛ける男性。炎上するトレーラーのコンテナには大きな穴が開いていた。 意味が解らない、理解できない。これは何? 何が起きたの? なにが起きているの? 答えは横転した車両の中から帰ってきた。ポケモンの襲撃。微かに聞こえてきた声は確かにそう行っていた。耳を澄ましてその声を拾う。燃え盛るトレーラーと鈍い金属音のせいで音が聞き取れない。それでも、幾つかの単語が女の子にも聞こえた。
「大鐘」と「ヒヒダルマ」
女の子は知っていた。このポケモンはダルマッカ。その進化形はヒヒダルマ。初めて会った時に調べたから覚えている。どんな事が好きなのか、どんな食べ物を食べるのか、ダルマッカ達ともっと友達になりたかったからたくさん調べた。ダルマッカの進化形はヒヒダルマ。そのヒヒダルマが……暴れている。いなくなった一匹と、それを結び付けるのはきっと簡単だった。 同時に気付く。ダルマッカ達は、ヒヒダルマを止めて欲しくて、女の子を連れてきたのだと。 ダルマッカが再び女の子の手を引いた。森の方、響いて来る金属音。その先へ。
赤い巨獣。丸々とした巨体にはダルマッカの面影を感じられたが、発達した両腕はダルマッカのものとはいえ桁違いに力強い。その力強い腕を、馬乗りになったそれに叩きつける。その度に鈍い金属音が響き、両の腕から血が滲む。それでもその行為を辞めようとしない。 ヒヒダルマが何を叩いているのか、女の子はもう少しヒヒダルマに近付くとそれが何なのか解った。 大鐘。ヒヒダルマは大鐘を叩いていたのだ。両腕が壊れてでも、この大鐘をどうにかしたかったのだ。
コノ鐘ガアルカラ広場ガ無クナルノ?
コノ鐘ガアルカラ僕タチハ追イ出サレルノ?
コノ鐘ガ無クナレバイイノ?
「やめて……」 女の子が震える声で呟く。 「もうやめて……」 それでも、ヒヒダルマは大鐘を叩く事をやめない。 「やめてよ!」 女の子の悲鳴に、ようやくヒヒダルマはその存在に気付いた。驚いて両腕を振り上げたまま、ヒヒダルマが硬直する。 「帰ろうよ、ヒヒダルマ」 そう言って両手を差し伸べた。ヒヒダルマも、女の子に手を伸ばす。でも駄目だった。その手は掴めない。この鐘が無くならなければ広場は、ヒヒダルマ達の居場所は無くなってしまう。だから、この大鐘を壊さなければいけないのだ。 ヒヒダルマの全身が炎に包まれて行く。身体を身を焦がす程の炎で覆い突進する炎タイプ最大級の大技フレアドライブだ。 女の子の悲痛な叫びを振り切るように、ヒヒダルマが地面を蹴った。
突如割り込んできた一体のポケモンが、ヒヒダルマの渾身の拳を額で受け止めた。橙と黒の稲妻のような縞模様の毛皮。雄々しいたてがみはまるで王者の風格を漂わせており、凛々しい眼差しからは絵本のヒーローのような力強さを感じさせる。遠い地で伝説にすらなったポケモンの一種、ウインディ。 女の子を追ってきたのか、事件の通報を受けやってきたのか、先ほど広場へ続く階段で出会った警官がヒヒダルマを指差し何か指示を出すと、ウインディはヒヒダルマの懐に飛び込み、強力な体当たりから後ろ足での見事な連撃をお見舞いした。 だが、その一撃はヒヒダルマを倒すには至らない。先制で受けたフレアドライブのダメージが大きく、ウインディのインファイトは本来の威力を発揮できなかったのだ。大きくふらついたウインディの隙を逃さず、ヒヒダルマがその大きな腕をウインディの側頭部に叩きつけた。アームハンマーの強力な一撃をまともに受けたウインディはそのまま地面に崩れ落ちる。 ヒヒダルマは倒れたウインディを一瞥すると、視線を大鐘に戻した。倒れなかったまでもダメージは大きい。もう一度のフレアドライブは使えないとなると、大鐘の破壊はもう叶わないであろう。 破壊を諦めたヒヒダルマは、大鐘を掴むとそれを森の奥へと引き摺って行く。その先にあるのは大きな崖、その下を流れるのがこの地方最大級の大きな河だ。そこに投げ込んでしまえば簡単には拾い上げられないであろう。 「待ってほしいの、ヒヒダルマ」 女の子が懇願するが、ヒヒダルマはそれを聞き入れない。この鐘がある限り広場は無くなる、そう考えているヒヒダルマは聞き入れるわけにはいかないのだ。 ヒヒダルマは広場を、思い出を守りたい一心で、傷付いた身体に鞭を打ち鐘を運ぶ。 「お願いなの、ヒヒダルマ」 それでも女の子は願う。この大鐘は町の希望、それを奪ったら、ヒヒダルマはもうこの町にはいられなくなってしまう。追い出されるか、もしかしたら殺されてしまうかもしれない。 女の子はヒヒダルマ達を、未来を守るためにヒヒダルマを止めようと説得する。 それでもヒヒダルマは止まらなかった。ヒヒダルマは崖縁に立つと、大鐘を両手で持ち上げた。 「ダメなの! お願いだからやめてよ、ヒヒダルマ!」 女の子の願いも虚しく、手は離される。
咄嗟に伸ばした女の子の手が、大鐘を掴んだ。小さな女の子、いや、人間の力で持ち上がる物ではない。大鐘に引き摺られるようにして、女の子の身体が宙に落ちる。
その寸前でヒヒダルマは女の子の身体を掴み上げた。大切に抱きかかえられた女の子は、尚も大鐘に手を伸ばそうと藻掻いている。 その時になって、ヒヒダルマは自分が大変な事をしたのだと気付く。だが、片腕に女の子を抱え、片手では大鐘を支えられない。それ以前にもうヒヒダルマの手はもう届かない。自分の力ではもう間に合わない。河の流れも速い、水の中に落ちてしまえば、引き上げるのは不可能だ。それ以上に、先程の戦いで身体は限界だった。意識が遠退く。大鐘をなんとかしなければ、その想いが微睡みに融けていく。
「だめぇー!」 女の子の叫びが、水音に紛れて消えた。
盛大に上がった水柱に、女の子は項垂れた。間に合わなかった、止められなかった。 「え?」 女の子は瞳に映ったそれに、目を疑った。大鐘が浮いている。川は鐘が沈むには充分な深さがあるはずだ。大鐘は、確かに水面に浮いていたのだ。 「これって……!?」 驚いてヒヒダルマの顔を振り向き、また、驚愕する。ヒヒダルマがまるで石像のように変化していたのだ。ダルマッカについて調べた女の子も、ヒヒダルマについてはあまり知らなかった。 ダルマモード。体力を失ったヒヒダルマが体力を温存し、肉体の回復に努める為の休眠モードとも呼ばれる姿である。そしてこの姿の特徴は、身体を封じる代わりに、精神を研ぎ澄まし強力なエスパータイプの技を使用出来る事なのだ。ダルマモードの強力なサイコキネシスで、大鐘が水没する寸前で食い止めたのだ。 「……ヒヒダルマ」 ヒヒダルマはそのままサイコキネシスで大鐘を引き上げると、そのまま力尽きたように眠りについた。完全な休眠モードに入ったのだ。
ヒヒダルマが目を覚ました時、すべては終わった後だった。通常、町や人間を襲ったポケモンは殺処分となる。ヒヒダルマがそれを免れたのは、この地方のある法律のおかげであった。 ポケモン保護法第十三条ポケモン棲息地開拓についての項目。 女の子達も、ダルマッカ達も、その法律の事はわからなかった。ただわかったのは、ヒヒダルマが助かった事、そして…… 「完成したら時計塔の中にみんなが住めるようになるの」 野生のポケモンを追い出す事は出来ない、法律で禁止されている。その為、計画自体が中止されかけたのだが、時計塔の中にヒヒダルマ達の居住スペースを作る事で再開された。 その時計塔の周りにはたくさんの人が集まっていた。今日が、時計塔の完成式なのだ。もうすぐ正午、十二時を指す。そして、十二時の鐘と同時に、時計が動き出すのだ。
「もうすぐなの」 女の子は笑う。ダルマッカ達も笑う。ヒヒダルマも、笑っていた。
もうすぐ鳴るよ、鐘が鳴るよ。
鐘が鳴るよ、どんな音?
ゴーンって大きな音?
リンゴーンって澄んだ音?
カランコロンて愉快な音?
誰もが、これから刻まれる新しい時間を待ち侘びて、笑っていた。
鳴るよ、鳴るよ。
鐘が鳴るよ。
END
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ハガネイロ ( No.18 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:29
- 名前: 鹿渡 功労
Bコース:「鐘」
鍛冶屋の跡取り息子である事と、技術に幼い頃から触れられていたことから俺は、鍛冶屋の中という限定された範囲で『天才』だった。 自画自賛というわけではない。周囲がそう認め、その期待の視線に答えるためにも己自身が『天才』であるということを自覚する必要があった。
―――と、『天才』の頃ならば淡々と述べられただろう。 今の俺は『天才』ではない。『鍛冶屋の中で』という限界を超えようとして、もっと広い世界へ名を馳せようとして……失敗した。 小さなミスを犯し、時間と共に大きくなったそれがある時、臨界点を超えて爆発した。 気がついたときは、俺は病院のベットの上に寝ていた。
それまで、当然のように答えてきたはずの期待をその時、初めて裏切った。
何も出来ないベットの上で『天才』という言葉の重みが、のしかかってくる。
お見舞いに来る人が期待の視線を向けるたびに首を絞められているかのように苦しくなった。
―――体が震えた。
入院した病院のベットの上で寝て起きての繰り返し、何も出来ず何もしない日の中で、俺は自身が段々と腐っていくのを感じているだけだった。
そんな折、このままではいけないと感じたのであろう主治医の先生が俺に同じような境遇の少女を紹介してきた。 彼女は将来を有望視されていたトレーナーだった。 同じ境遇であるはずなのに、彼女もまた周囲の期待を裏切ったことに負い目を感じているはずなのに…… 笑うのだ。俺には出来ない、純粋な光を放つような笑顔。太陽のような笑顔で……
―*―*―*―
全ての部屋の色を白に統一した無機質な病室。よく言えば、清潔感にあふれている病室の中で、本を読んでいる顔の白い少女の隣に座り、他にすることも特になかったので俺は彼女の手持ちである青い体毛を持つポケモンの尻尾をいじって遊んでいた。 ふいに少女がパタンと読んでいた本を閉じてこちらに顔を向けて微笑んだ。
「ねぇ、知ってる?」
突然、少女に声をかけられて少し驚いた。え?―――と、思わず声を出してしまった。
「昔の人は、ポケモンの殻とかを使っていろんな道具を作ったんだって」 「へぇ、それはすごい」
得意げに語る彼女に、俺は適当な合いの手をうった。ふと彼女が手に持っている本に目をやるとそこには『驚愕! 古代の人々の知恵!』というなんとも奇妙なタイトルがデカデカと張り付いていた。 またそんな奇天烈な雑誌を読んで……と、俺は渋い顔をしたが彼女はその雑誌を大事そうに抱え込む。
「いろんな道具があるんだけど、その中にはね。 大きな鐘があって、旅立つ人を見送る際に鳴らすんだって。 力強さと迷いを振り払うような真っ白な二つの音色が響きあって、旅人の道筋を明るく照らす……」
遠くの出来事に思いを伏せるように彼女は目を伏せ一息つく。
「私も旅をしている間に、一度は聞きたかったなぁ」
昔の自分に思いを馳せるようにそうつぶやいて、彼女は視線を窓の外へと向けた。
「また、旅に出て聞きに行けばいいじゃないか」
そう当然のことのようにつぶやく俺に、寂しそうとも辛そうともとれる苦い笑いを彼女は浮かべた。
「残念なことに、今はその鐘は壊れてなくなってしまったらしいの」
彼女のそんなくらい顔を見たくなかった俺は、どうにかして場を盛り上げようとして―――
「じゃあさ、そのポケモンの鐘を俺が再現してやるよ!」
―――気がついたら、そう叫んでいた。
「ほ、ホントに?!」
彼女は表情を輝かせて、俺の方に振り返った。 入院してから久方ぶりに味わう、誰かに期待されるという感覚―――プレッシャー。 その重圧に、少し押されて肩が震えた。
「任せとけ! なんたって俺は『天才』らしいからな!」
俺は肩の震えを隠すように拳を胸に叩きつけ、半分意地の入った啖呵を切った。
「うん、期待してる」
彼女はいつもの笑顔を俺の方に向けた。太陽みたいな、まぶしい笑顔だった。 その笑顔がうれしくて、その笑顔を向けられているのが恥ずかしくて、つい彼女の顔から目を背けて下を向いてしまった。
「だからさ……お前もさっさと体を治して、出来た鐘の音を聞きに来いよな!」
「うん。 ありがとう……」
という、彼女の柔らかい言葉が届いた。 まるで、遠くまで響く鐘の音のように残響を残して胸の中に響いていくのを感じた。
―*―1―*―
湿った空気が漂う、森の奥まったところにある洞窟。そこは、少し有名な鋼タイプのポケモンが多く生息している洞窟だ。 灰色で無骨な岩によって構成された洞窟の入り口は、俺にはまるで巨大な岩蛇ポケモンが口を開けて、入ってくる餌を待ち構えている姿のように見えた。
―――足が、震える。
無駄なポケモンとの遭遇を防ぐためバックの中から、金色の缶スプレー『ゴールドスプレー』を取り出す。普段旅という物をしていない俺にはこの手のアイテムの事は良くわからなかったから効力の長さに期待して、一番高い物を購入した。 ゴールドスプレーを丁寧に全身に噴出する。スプレーが目にはいらないように瞑っていた瞳を、開き松明に火をつける。 深呼吸を一つし落ち着かせると、俺は巨大な口の中に身を放り込む勢いで、駆け出した。
―*―2―*―
ちょうど5本目のゴールドスプレーの効力が切れたところで、洞窟の大きく開けた場所に出た。 ポケモンが通ったのであろうか、縦に貫通した穴から日の光が漏れている。 松明の火を消して、細部を確認するとおあつらえ向きに湧き水のたまり場が近くにある。
「運がいい。なんておあつらえ向きな場所なんだ」
必要な水を確保でき、なおかつ明るいというこれ以上ない条件のそろった場所を身をつけることが出来、とりあえず安堵する。
「ここからが勝負だ」
バックの中から、鞴や鍛冶屋はしなどの必要な道具を取り出す。普通より大きい特注の入れ槌を握り締めると、腹のそこから力がわきあがるのを感じた。 体の中を巡る血液が通常の流れから、鍛冶場に立ったときのソレに変わる感覚を実感し、―――、よしっと息を吐いた。
バックの中から、金色の缶とは違う鉛色のスプレーを取り出す。フレンドリィショップの店員から無理を言って購入した物だ。効果は、虫除けスプレー類のそれにすこし似ていて異なる。 このスプレーの効果は、『一定以上の水準に達したポケモンを呼び込む』という物だ。 ベテラントレーナーがいくつかの条件を満たした上で使用することの出来るこの代物は当然のことながら一般トレーナーにも劣る俺が通常、目にすることも手にすることもできないものであったが、店員のおかげで何とか手にすることが出来た。 このスプレーを渡す際の店員の渋い顔が、脳裏をよぎった。
―――、手が震える。
「すみません」
無理を強いたことに謝罪し、スプレーを噴出させた。
――――、効果はすぐに現れた。
―*―3―*―
金属と金属をかさねてこすったときに響く音と同じようなザラザラした咆哮が洞窟の壁という壁に反響して、洞窟全体が震える。 冷たい鉄の棒を背中にさしたように背筋がゾッとする。 咆哮がやむのと同時に、洞窟の壁を粉砕し、咆哮を上げたポケモンが飛び出してきた。 固い岩盤を軽々と粉砕する巨大でしゃくれた顎。地中に長いことにいたことで圧縮され鋼鉄の輝きを放つ、無骨な体をもつそれは、ハガネールと呼ばれるポケモンだった。 しかし……
「で、でかい……」
街の中で、トレーナーが連れていたのを見たことがあったがそれをはるかにしのぐ大きさだ。 金属音を混じらせる咆哮が響き、巨体がうねる。
「―――っ!」
舌打ちと同時に、上へ跳ぶ。刹那、鋼鉄の塊が下を薙いで通り過ぎていく。 跳ぶのが一瞬遅れていたらと思うと冷や汗があふれ出した。 奥歯をかみ締め、相手に気後れしないように、仕返しとばかりに手に持っていた槌を振り下ろす。 鋼鉄同士が、かみ合い火花を散らした。そして、音が洞窟内に響いた。
頭の中が、真っ白になった。
ハガネールの放つ金属がこすれるような咆哮からはまるで想像することの出来ない、澄んだ美しい響き。 あふれ出ていた冷や汗の全てがはじけ飛び、それまであった恐怖心を一瞬で振り払うほどの生命力にあふれた力強い響き。 二つの響きが洞窟の中で反響し、何度も何度も俺の体を打つ。
残響の余韻が終わると、俺は体が熱くなるのを感じた。体の中に流れる血に火がついたような錯覚を覚える。
「お前に決めた」
自分でも驚くほど冷静な声をハガネールに投げかけ、腰からモンスターボールを取り出す。 軽い炸裂音と共に、関取のような巨体とそんな体の半分を占める両の手を持つポケモン、ハリテヤマが飛び出した。 新たな敵の出現を察知したハガネールは、今度は鋼の体をしならせ、横になぎ払うように振るった。 それと同時に、鋼の尾が輝きを放ちはじめる。『アイアンテール』の発現を感じる。
「『発勁』!」
俺の指示と同時に、ハリテヤマはアイアンテールの薙ぎ払いに合わせて、体を滑らせるように移動し、ハガネールの体に平手を打った。
衝撃波が、あたりに振りまかれる。ハリテヤマの体を支える地面が陥没し、ハガネールの巨体が中に浮いた。 それによって外れた巨大なアイアンテールが、頭上を通り過ぎた。
「……くそっ!」
悪態をつく私の声に反応してハガネールはにやりと笑い、次の攻撃を放つ為に体をうならせ始める。 カウンターのようにして放った、タイプ相性を考慮した一撃もハガネールの硬さの前にはまるで無力。 追加効果として狙った麻痺もあの巨体の前ではまるで効力がないようだ。
「なら、次だ!」
格闘タイプの技の効果がないならと、ハリテヤマをモンスターボールに戻し次のポケモン、マグマの体と岩の殻を持つマグカルゴに交代する。
「『火炎放射』」
指示を飛ばすと、マグカルゴの口から火が噴出される。オレンジ色の炎がハガネールに向かって伸びる。 しかし、ハガネールはその巨体には似合わない速度で体をうねらせ炎を回避する。
「捉えきれないか……なら、『岩石封じ』だ!」
俺が指示を出すと同時に、マグカルゴがうなずき洞窟の岩に力を送る。 瞬間、地面から岩が飛び出しハガネールの四方を塞ぐ様にしてハガネールの巨体を岩戸の中に閉じ込めた。 勝利の確信を確かに感じ、このまま一気に詰めるためマグカルゴに指示を出す。
「『オー……?!」
俺の指示に合わせてマグカルゴが技を放とうとすると、岩戸の一枚が爆発した。 崩れる岩肌から、わずかに白銀色に輝くエネルギー弾の残光がこぼれた。
「……っ、『ジャイロボール』か」
完全にはまった状態から、抜け出され焦りを感じる。自分の立てた戦術が真っ向から否定され、ザワザワと背中がかゆくなる。 岩戸から抜け出したハガネールが、ニタリと気味の悪い笑みを浮かべた。 その笑みを合図に、吹き飛んだはずの恐怖心が再度、顔をのぞかせた。
ハガネールが巨大な尾を持ち上げる――― 体がまるで釘を刺されたかのように動かない。
重々しい、鋼の尾が高々と掲げられた―――
やっぱり自分には無理だった。という考えが頭の中を駆ける。
そして、金属のこすれる不協和音と共に、振り下ろされた―――
走馬灯のように、見えた彼女の笑顔。
約束を果せなかったことが、たまらなく悔しかった。
………………………… …………………… ……………… …………
「あれ?」
いつまで経っても来ない終わりに、恐る恐る目を開けて現状を確認する。 目の前にポケモンが立っていた。 ウサギのような長い耳、ボンボンのような丸尻尾、青と白の体毛、タマゴみたいな楕円形の体のポケモン―――、マリルリが立っていた。 驚くべき『馬鹿力』を発揮し、ハガネールの巨体な尻尾を悠々と持ち上げている。 マリルリは、こちらの視線に気づくとふっと笑って見せた。 そんな小さな雄姿を見せ付けられ、恐怖心がまたどこかに消えてしまった。
「まだ、諦めるにははやいってか?」
そうつぶやくと、マリルリはフンっと息を吐いて持っていた尻尾を放り投げた。 負けてられないなと、気持ちを奮い立たせる。 ハガネールの方へと視線を向けると、白銀色のエネルギー弾をチャージしはじめていた。 マリルリの馬鹿力を受けて、戦い方を近接型から遠距離型へと変更したのだろう。
「悠長にチャージなんてさせてやるか!マリルリ!」
俺が指示を出すより早くマリルリは動いていた。砕けた岩戸の岩を持ち上げると次々と投げつけ始める。どうやら、俺の作戦もお見通しらしい。 ハガネールはジャイロボールを放って応戦するが、岩をよけながら放った為、見当違いの方向へと外れていく。 マリルリは『馬鹿力』を使った岩投げでけん制しつつハガネールへと近づいていく。 マリルリとハガネールの距離が縮まった瞬間、ハガネールの目がカッと開かれ、尻尾が振るわれた。 今まで、岩をよけながら力をためていたのであろう、その薙ぎ払いはコレまでにない早さだった。 激突の轟音と共に、砂塵が舞った。
「マリルリ!」
俺の口から悲鳴に近い声が上がった。あの速度であの質量の攻撃を受けては先ほどのハリテヤマでさえ吹き飛んでしまうだろう。 ただでさえ体の大きさが違う、マリルリが受けてはひとたまりもないはずだった。
舞っていた砂塵が晴れて、尻尾と激突したマリルリの姿を映す。マリルリの体が、まるで砂のように散っていった。 焦り覚えたが、それが杞憂だということに気がついた。 尻尾と激突したのは本体がHPを削ることによって作ることの出来る攻撃を誘導するための偽者。 散っていったマリルリは本体が作り上げた『身代わり』だった。 マリルリ本体は、身代わりが受けたことによって勢いの落ちた巨大な尻尾をしっかりと掴んでいた。 そして、その尻尾を振り回し始めた。 その小さな体躯に、どれほどの力があるのだろうか? ジャイアントスイングかけられているかのように振り回されハガネールの巨体がゆっくりと宙に浮いていく。 巨体を宙に浮かせられたハガネールは成すすべなくまわされ続ける。 そしてその速度が限界まで達したとき、マリルリは気合の掛け声と共にハガネールを放り投げた。 放り投げた先にあるのは、先ほどマグカルゴが作り上げた岩戸の箱、ハガネールによって砕かれたはずの岩戸はマリルリによって投げつけられた岩によってすでに修復されている。 このまま、あの箱の中に閉じ込めてしまえばこちらの勝利が確定する。
筈だったが、飛んで行くハガネールの軌道が少しずれていた。 どんなに力のあるヤツでも、何かしらのミスは起こす。それはポケモンであっても例外ではないらしい。 手持ちのポケモンが犯した小さなミス。ならここは、トレーナーとして俺が修正する。
「間に合え!」
叫びに近い声を張り上げ、モンスターボールを投げる。モンスターボールが飛んでいくハガネールに追いつくと軽い破裂音と共にハリテヤマが、出現した。
「ハリテヤマ! 岩戸の中に『叩き落とせ』」
俺が指示を飛ばすと同時に、ハリテヤマは両手を組みハガネールの平たい額に振り下ろした。 ハリテヤマの技が激突したことにより、軌道が修正されハガネールの巨体が岩戸の箱の中に納まった。
そして、箱の中には俺の指示を待つマグカルゴがいる!
「マグカルゴ、『オーバーヒート』!!」
これこそが、俺の作戦。そして、ここからが俺にとって本当の始まりだった。 持っている槌にさらに力をこめた。
―*―4―*―
技の発動と同時に岩戸の箱から、巨大な火柱が上がる。 岩戸の箱が炉のような役割を果し、内部の熱量を爆発的に拡大させる。拡大された熱が、ハガネールの体を構成する鉱石を溶かし始めたのだろう、命の終わりを示すかのような絶叫が炉の中から響いてきた。 炉の中でハガネールが熱から逃れようとのた打ち回る。 炉の中からは飛び出したハガネールの眉間に俺は容赦なくマリルリの『馬鹿力』と共に槌を振り下ろす。 怒気に満ちた咆哮があがる。その瞳は、恨みに満ちていてにらまれた瞬間背筋が凍った。 命を奪う手が震える。 だがそれでも、と俺は意識を奮い立たせる。
真っ白な病室で交わした約束と、彼女の笑顔が脳裏をよぎった。それだけで震えがとまった。
「うらんでもらってかまわない」
自分でも驚くほど冷たい声が喉から漏れた。マリルリに目を合わせてうなずく。 もう一度、槌が振う。音が響く。鈍い音が響く。
「のろってくれてかまわない」
ハリテヤマが、広げてあった道具から鞴を取り出し全力で扱い空気を入れていく。 その度に、炉の熱が上がりハガネールが末期の絶叫を上げる。
「これが自分のエゴだって事は解ってる」
マグカルゴが、原始の力を使って力なくうなだれるハガネールを持ち上げる。 それにあわせて、マリルリと槌を振るう。 グニャグニャと、ハガネールであった物が変形していく。
「その命は使わせていただく!!」
命を持った生物を別のモノに変える。 初めての感覚も初めてのことに対する戸惑いも命を扱う恐怖も全て、赤銅色のソレに溶かし込んでいく。 だから、迷いなく槌を振るい続けた。
―*―5―*―
はたから見れば、狂行とも思える作業を終え。ついにそれは完成した。 岩蛇ポケモンの意匠を象った模様。通常の鐘の青銅色とは違う、白金色の光沢を放つ、白い梵鐘が出来上がった。
この鐘の音が届けばいいな。
あの約束が、この鐘を叩くことで果されるといいな。
即席で作り上げた台に鐘を吊るしながら、そんな希望を心の中で祈った。 そして、吊るした鐘に向かって撞木を振るった。 梵鐘の重い音とは違った。明瞭な響きが、体の疲れを癒していく。 あの恨みに満ちたハガネールの表情からもっとドロドロとした音が出るのかと心配したがそんな事は杞憂だったようだ。 鳴らすたびに、体に響く感覚が鋼を打つ感覚と似ていることに気がついた。 ハガネの音色が世界にひびいた。
「願わくば、この音色が君に届きますように」
―*―*―*―
気がつけば私は真っ黒な泥の上に浮いていた。 本能とでも言うのか、直感的に私はこの世界は恨みや辛み何かを呪った黒々とした感情が固まって出来上がった泥なのだということを理解した。 彼とあんな約束をしておきながら、結局私は約束を果すことが出来なかった。 それがとても、恨めしい……―――
そこまで考えて、ふっと私は肩の力を抜いた。 なるほど、最後まで生きることにしがみ付いていた私には……最後の最後で生きることが出来ないことを呪ってしまった私とってここは当然、沈むべき泥ということだ。 やりきれない気持ちにうなだれると、体が黒い世界に少し沈んだ。 冷たい泥が、服の隙間から入り込み体を覆っていく。 気持ち悪いが、抵抗しようにも体がまるで蛇に巻きつかれているかのように動かない。 意識が、泥と同調するように黒く塗りつぶされていく。 力が徐々に抜けていき、感覚が消えていく。 体がズブズブと黒い泥に取り込まれていく。 感情もソレに合わせて泥に取り込まれていく。
「こんなことなら……」
最後に恨み言を口にしようとして、―――……
……―――気がついた。
「……音がする」
すでに耳は黒い泥に沈んでしまって塞がれてしまっているはずなのに、確かに音が聞こえた。 脳の裏側からしっかりと染み渡るように響いて来る。―――、鐘の音。 この世界に似つかわしくない、白い音。 金属と金属が共鳴する澄んだ音が、頭の中を真っ白にする。 生命力を象徴するかのような力強い響きが、黒々とした感情を一瞬で振り払った。 二つの響きが頭の中で反響し、何度も何度も私の体を打つ。 金属の冷たさと、出来立ての鋼の熱さの両方を取り込んだような不思議な音色。
――――わかる。 この鐘は、命を燃やして作られたものなんだ。作り手も命を燃やして造った物。 だから、こんなにも不思議な音色なんだ。
残響の余韻が終わると、私は体が軽くなるのを感じた。 気がつけば、今まで私を取り込もうとしていた黒い泥はどこにもなく、白濁とした世界の上に立たされていた。 この音色は、きっと彼が作り出した物なんだろう。彼は、ちゃんと約束を果してくれたのだ。 そうだ。だから、ちゃんと言わなくちゃ。彼の姿が見えなくても、私の最後の言葉は決まっている。
「うん。ありがとう……―――」
鋼の音色に答えるように、わたしはつぶやいた。
END
(8064文字)
ただ長い駄文で申し訳ない。 とにかくがんばって書いたんで、それだけで満足だー!!
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アラブルアブソル、主人ト離レテ、ブル ブル ブル ( No.19 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:41
- 名前: 鹿渡 功労
Bコース:「鐘」
私の名前は、アブソル。ニックネームは、まだない…… はやくつけてほしいのだが、ポッと出の田舎モノのご主人にはそんなセンスはないようだ。 まったくと息を吐き、目の前をふらふらと歩いているご主人の背中に視線を送ってみる。
視線に気づいたのかご主人がこちらを振り向いた。 若干の期待が私の胸を突く。 が、何を勘違いしたのかご主人はニコリと微笑んで、私の頭をやさしく撫でる。 ご主人の手のリストバンドに飾られた鈴が、私の頭を撫でるたびに、チリンチリンと小気味良く鳴る。
別にかまってほしかった訳ではなかったけれど……、まあいいか
気持ちのいい時間は、意外とあっけなく終わった。ドンッという鈍い音共にご主人に男がぶつかった。 よろめく、ご主人。男は誤りもせず、いそいそと人ごみの中に消えていく。 確かにご主人は、田舎者の能天気者だが人にぶつかっておいて誤らないとは、この町の人間はなんて失礼なんだろうか。 煮えたぎる怒りを視線にこめて男の消えた人ごみをにらみ付けた。
私が災いを呼び込むポケモンとたいていの人間は知っている。 故に私がにらみつけた事で、人ごみがザワッと音を立てて後ろに引く。
そんなに過剰に反応しなくてもいいのに……
周りの反応にすっかり気分を悪くした私は、ご主人に行動を急かそうとして視線を送った。
と、そこで気がついた。 つい先ほどまでご主人が居たであろう場所に、ご主人の姿はなく。 忙しく左右を行きかう人々の山しかなかった。 ゴミのような人しか居ない町でご主人と離れ、私は一人……もとい一匹になってしまったのだ。
うぇあー・まい・ますたー……?
言葉の変わりに、湿った泣き声が喉から漏れた。
―*―*―*―
―――、ココハドコ? ワタシハタワシ?!
……はっ、何てことだ。マスターとあまりに突然、離別に気が動転してしまって、何か変なことを口走ってしまった気がする!
とはいえ、マスターから離れてすでに、二時間が経とうとしている。 私のアブソルという容姿はかなり目立つはずだ、先ほどから周囲の視線が痛いのでそれだけはわかる。 この視線から逃れるためにも、マスター……早く私を見つけてください。
頭を垂れて、トボトボと歩いているとチリンと小気味良い音が草陰から、聞こえてきた。 青天の霹靂とまではいかないが、そのいつもの鈴の音が聞こえたとき、全身の神経に電流が走ったかのような錯覚を覚えた。
なんだ、こんなところに居たのか、まったくちょっと目を離すとすぐどこかへ行って迷ってしまうのだから、マスターには困った物だ。
困らされたお礼に、脅かしてやろうと草むらから飛び出した瞬間、バシンとつめたい何かが私の鼻っ柱を叩いた。
な、なんだぁ〜。こいつはぁ〜!!
という言葉のかわりに、鳴き声が響く。 飛び掛った先に居たのは、マスターではなかった。
そして、そいつはすごく似ていた。 以前マスターが見せてくれた、宇宙関連の雑誌に載っていた『ユーホォー』ってやつにすごく似ていた。 全体の色が驚きの白さ! 頭のてっぺんから、黄色い窓みたいなでっぱりが飛び出している。 極めつけはあれだ、下に向かって光をたらしているかのようにへこんだお腹からベロンと、何に使うかがわからない吹き出しが垂れている。
突然のことに混乱していると、『ユーホォー』がぐるりと回転した。白い部分にある黄色い窓がこちらを覗き込んだ。どうやらそこが顔らしい。 困惑しているこちらを尻目に『ユーホォー』は口が開く。
「チリーン」
鳴き声(?)のような物を上げ、そいつは空中で体を左右に振る。 チリンチリンとマスターのと同じような小気味良い鈴の音が響く。
私は、開いた口が塞がらなかった。 頭の中で久しく働いていなかった野性というものが、カラカラと滑車を回し始めた。 本能に近い何かが、警鐘をガンガンと鳴らす。
コイツはやばい!!
という思考が、頭から全身に稲妻のように駆け巡る。 ウツボットが甘い香りによってえさであるハエを捕らえるように、ランターンが提灯を疑似餌にして小魚を捕らえるように、こいつは音を使って獲物を捕らえるのであろう。 つまり今の私はマスターの鈴の音を疑似餌に使われ、まんまとコイツの罠にかかってしまったというわけだ。
うわぁーっと軽く、自暴自棄になって私は『ユーホォー』に飛び掛った。 罠にかかってしまったときは、どうにかして相手の注意をそらして逃げるんだ。とマスターが、得意げに語っていたのを思い出したからだ。 だが、結果として浅はかな行為であったとしかいえなかった。 私の突進を予測していたのか『ユーホォー』はゆらりと宙を舞って、攻撃をかわす。 しかも、腹から垂れた吹き出しを私の首筋に絡めてきた。
きゅぅっと、首が絞まった。 な、何てことだ。こちらの攻撃を予測し、さらに罠を張り巡らせるとは、コイツかなり出来る!!
食われてたまるかと、必死になって暴れる。 体重がこちらの上のためか、『ユーホォー』もぐららぐらぐらと揺れる。 コレはたまらんと、『ユーホォー』が首の拘束を緩めた瞬間を狙って、私は『ユーホォー』の吹き出しに『噛み付く』を繰り出した。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!?」
と、噛み付かれた『ユーホォー』から奇妙な叫び声があがる。 しめた! 3割の確立で発生する補助効果、『ひるみ』が発動したのだ。
『ユーホォー』の拘束から、まんまと逃れた私は、これ幸いにとその場を全力で逃げ出した。
―*―*―*―
冷静になって考えてみると、先ほどのは『ユーホォー』ではなかったのかもしれない。 マスターが、見せてくれた写真はもっと楕円形でニビ色だったような気がする。
てんぱると状況を冷静に把握できなくなるは私の短所だと、マスターから何度も注意されていることだ。 もっと生じせねばと、そんな考えていると見慣れた赤い屋根が見えてきた。
ポケモンセンター、全国を旅するトレーナーにとって各町の拠点となる重要な場所であり、さまざまな人々が集う場所…… そこまで思い出して、思いついた。ここで待っていれば、マスターも来るのではないだろうか?! おおー、こんな天才的なことを思いつく自分が恐ろしい……
浮き足立ったテンションで、私はポケモンセンターの自動ドアをくぐった。
……予想の斜め上を行く、人の量だ。 マスターがいるとして、一体どこにいるのだろうか?
ポケモンセンターの中をぐるりと回って、あまり人のいない赤い扉の前に腰を下ろした。 人ごみの流れを見る。マスターと思わしき人影はどこにも見当たらない。 手持ちぶさたを紛らわすため、上を見上げると、赤い扉の上に丸い枠が飾られていた。
ああ、これ知っています。
確かこの枠の中にあるボタンを押すと、人がたくさん集まってくるのだ。 身を乗り上げ、枠の中にあるボタンに目をやる。
『強く押す』
コレくらいの文字ならば、ポケモンの私でも読めるのだ。
と、そこで再び電流が走った。
このボタンを押せば、マスターは来るのではないのだろうか? 『強く押す』とも書いてあるし……
特に考えることもなく私はボタンを強く、押した。
空気が、炸裂したかと思った。 ビリビリと私の前にある扉を中心に全身の毛が逆立つほどの警鐘が鳴り響く。 ポケモンセンターの中の人々がざわざわと、騒ぎはじめる。 誰かが「火事だー!!」と叫んだ。それを切り口に、人々が絶叫を上げた。 出口に向かって、次々と飛び出していく……
あれ? 私、もしかしてとんでもないことした?
―*―*―*―
ポケモンセンターから、飛び出すように逃げ出して気がついたら、私は町外れまできていた。 もうこんな街、嫌だ。 街の中では、いやな目で見られるし『ユーホォー』には絡まれるし、ポケモンセンターでは騒ぎが起きるしとにかく、疲れる町だった。
マスター、早く見つけてー!!
と言葉に出したかったが、出てきたのはなんとも情けない鳴き声だった。 泣き叫ぶ私の耳にチリンと心地よい、音が響いた。 また『ユーホォー』が追いかけてきたのかと思いドキリとし、背筋が凍ったが優しい手が私の頭を撫でた。
手の伸びてくる方を見ると、そこには安堵したようなご主人の顔が浮かんでいた。 ご主人はかなり走っていたのか、額から汗が流れ出し肩で息をしていた。
私を放って置くなんて、許されないんだから!
と、言葉にしたかったが私はポケモンだから喋れないので、横についている鎌のような角で、グリグリと押し付けた。
ぐっと、ご主人の腹から声が漏れた。 なだめるように、頭を撫でご主人は私の首に手を回した。 カランと、綺麗な音が響いて私の首に金色の鐘がついていた。
「コレを買いに行ってたんだ。心配かけてごめんね」
とご主人は優しい声をかけ、私の瞼の涙を拭う。 それだけで、うれしくなって、舞い上がってしまって、私はご主人にしがみ付いた。
もう、一生ついていきます!!
そういう感情を全て込めて……
END
(3538文字) ギリギリだー終わったよー ヽ(`Д´)ノウワァァン!! 下手だけど、がんばったよー 拙い文章なのに、ここまで読んでいただいて大変ありがとうございました。 題名で大体わかってしまうって、、、なんでだー!!
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クソ親父 ( No.20 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:59
- 名前: 外野の人
- 荒涼とした瓦礫の山が、見渡す限り続いている。
吹きそよぐ風は不快な湿気と鼻を突く悪臭を帯びて清涼感などまるで無く、深夜の空に浮かぶ月は殆ど欠ける所なく満ちていたが、反ってそれ故に、何も残っていない地上の有様を余す所無く浮かび上がらせる事となり、その惨状を無情なまでに強調していた。
僅か半月ほど前には数十万人が生活し、国内でも指折りの大都市だったこの町も、今では死体と残骸が堆(うずたか)く、嘆きと無気力に支配された、ただの広大な廃墟に過ぎない。 首都近郊を襲った、未曾有の巨大地震。幾万とも知れぬ犠牲者を出し、カントー地方全域に被害が及んだこの大災害によって、住み慣れた故郷はあっと言う間に廃材の陳列場所に成り下がり、見知った顔の大半はその中に埋もれて、二度と姿を見る事は無かった。
しかし、敢えて正直な感想を言えば、赤の他人が何人死んだ所で、俺自身にはそう深刻な問題にはならなかったに違いない。……確かに身近な人間を失うのは辛かったが、それ以外に関しては所詮は他人事であり、苦悩や悲しみがしつこく心を掻き乱す事など、御世辞にも慈しみ深い性格とは言えない俺には、到底有り得なかったからだ。 その日から何十年も経った後に、ある人物が一つの言葉を残している。『一人の死は悲劇でも、集団の死は統計上の数字に過ぎない』と言うものだ。同じ男は、『百人の死は天災だが、一万人の死は統計にすぎない』とも口にしたらしいが、こちらはこの時の惨状には相応しく無かろう。……厳密には、元の言葉の意味するところも若干違うのだが、少なくともこの頃の俺の考え方を表現するには、これで十分である。
はっきりしていたのは、その時の俺には関係の無い連中を悼むような気持ちは全く無かったと言う事と、それにも拘らず、俺はただただ絶望に打ちひしがれて、何の希望も喜びも見出せないままに、死に場所を探してふら付いていたと言う事だけだった。
赤の他人がどうなろうと、俺には知ったこっちゃ無い。……だが、家族や友人の全てが其処に含まれているとなれば、話は根本的に異なって来る。
俺の家族は、一人残らず震災で全滅した。別れ際最後に聞いたのは、親父の「先に行け」と言う叫び声。倒壊した我が家の前で、親父とお袋は中に取り残されている筈の祖母を何とか助け出そうと死力を尽くしており、町内会に伝令にやられた俺だけが、まだ収まらぬ余震の中、こけつまろびつその場を離れた。 丁度昼餉の時刻だったと気が付いたのは、それから少し後。予め決められていた避難場所まで後半町ぐらいの所までやって来た頃、キナ臭い臭いに気が付いて、元来た方角を振り返った直後であった。 息を切らせた俺の目の内に飛び込んで来たのは、折からの風に巻かれて空を圧している夥しい黒煙と、其処かしこから押し寄せてくる火災の波が、必死に逃げてくる避難民達を、情け容赦無く追い立てている光景だった。 最早、走って来た道程は渦を巻く紅蓮の炎によって遮断されてしまっており、血相を変えて逃げ惑う無数の人間達や獣達の向こう側には、烈風に煽られて燃え盛る火炎地獄が、延々と広がっているばかりである。慌てて背を向け、周りの人込みを掻き分けるようにして逃げ始めた俺には、残して来た家族の安否について、『何とか無事に逃げたであろう』と、自分に言い聞かせるぐらいの事しか出来なかった。
本来ならば炎に強い筈の獣達ですら、全く踏み止まろうともしなかったほどの大火災。 その追求を何とか振り切り、漸く安全と思われる場所まで辿り着いた時には、もう周りに家並みは残っておらず、俺は憔悴し切った大勢の避難民達の群れに紛れて、尚も燃え続ける市街地からずっと離れた場所で、放心したように立ち尽くし、黒煙に覆われる空を見上げていた。 やがて夜が訪れると、空を覆った煙の海は何時しか雲を呼び、乾き切っていた大気に湿り気を齎して、翌日の昼頃を境に、被災地周辺に於いて局地的な雨を降らせ始める。
降り注ぐ雨水に力を得た水タイプのポケモン達が、この天の配剤に俄然勢いを取り戻す中――漸くこの頃になって、情勢への危機感が動転した恐怖心に勝り始めた俺達は、これらの水生生物達を中心に据えた幾つかのグループに分かれて、未だに火勢の衰えない町の方角に向け、三々五々に引き返して行く。 雨によって得られた豊富な水気を武器に、遠巻きに消火活動に当たる獣達を上手く用い、俺達生き残りの住民は、既に殆どの建物が倒壊している自分達の町を、どうにか完全な焼失からは、守り通す事に成功した。
……しかし結局、俺がずっと祈り続けて来た家族との再会が、望まれた形で実現する事は無かった。
鎮火してからずっと捜し続けていた家族の変わり果てた姿と、焼け焦げた路上で再会したのが、二日前の事。……その時既に、俺は疲れ切っていた。 復興は、後から振り返って見れば急ピッチで進められたものの、その頃はまだ何も始まってなかったと言っても良く、焼け跡で元住民や連れているポケモン達が細々と作業している他には、再建への動きは全く見られぬままであった。 倒壊した家は完全に焼き尽くされてしまっており、そこにあった筈の物は最早跡形も無い。当時の風向きと火災発生箇所が悪かった為、近所の知り合いも軒並み全滅してしまっていて、行き場も拠り所も失ってしまっていた俺には、頼るものなど何一つ残っていなかった。
辛うじて焼け跡を巡りつつ、口に入るものは何でも拾い集めて凌いで来たものの、しつこく捨て切れなかった最後の希望も絶えた今では、それも馬鹿馬鹿しいだけである。 最早息をし、視線を巡らす事にすら徒労感を覚えるようになっていた俺は、焼け跡から拾った焼き入れの過ぎた文化包丁を懐に呑んで、人気の無い深夜の廃墟をただ当ても無く、体一つでふら付いていた。 瓦礫に紛れて転がっている幾多の屍は、日が経つにつれて腐敗の速度を速め、食う物も無く流離う一部の獣達は、止む無くそれを口にする事で飢えをしのぐ。死骸を貪り歪んだ味を覚えた獣達は目立って凶暴化しており、人の姿を見ると積極的に襲い掛かって来るので、最近では大の男ですら夜歩きが出来ない有様だった。
彼らに目を付けられて、食い殺されるも良し。同じ様に焼け跡をうろついている、略奪目当ての同族に狙われるも良し。 その時の俺の頭の内にあったのは、兎に角この下らない死に損ないが、無事にこれ以上の面倒事から解放される瞬間を、冀(こいねが)う思いだけであった。
ところが、そう言う無情な思いを抱き、重い足を引きずりつつ歩き回っているにも拘らず、その夜に限って、俺は誰にも巡り会う事が無かった。 今までは意識して警戒し、身を隠す意思があったが故に何事も無かったものの、それでも歓迎せざる客人の姿を目にする事は、少なからずあった。……にも拘らず、よりにもよって此方から待ち望んでいる時に限って、何も出て来ないのである。 やがて月と星とが広い夜空を散策し終え、西の空へと引き上げ始める時刻になっても、未だ俺の身には、何の危険も及ぶ気配は無かった。
そしてとうとう、皮肉に満ちた目下の状況に対し、苛立ちを隠せなくなっていた俺の前に、一人の同族が現れた。 前方の焼け焦げたレンガの山の陰から出てきたその人物は、俺の姿を見るなり立ち止まると、風呂敷包みをぶら下げた片手をダラリと垂らして、訝しげな誰何の声を上げる。 「そこに居るのは誰か」、と訊ねかけてくるその声の調子に失望を覚えつつ、明らかに待ち望んでいたタイプの連中とは異なる目の前の男に対し、ぞんざいに返事を返した俺は、そのまま顔を顰めて前進し、脇をすり抜ようとした。
するとそいつは、ずっとヒトの顔を興味深げに覗き込んで来た挙句、いきなりすれ違おうとした俺の腕を掴んで、「良かったら付き合わんか」と声を掛けて来た。 咄嗟の事に唖然としたまま、改めて相手の人相を確認しようとする俺を尻目に、そいつは捉まえた相手の返事も聞かぬまま、「急ぐぞ!」と抜かして走り出す。……意図も目的も全く理解出来ないその男は、見たところ五十も近いかと思われる中年オヤジの風貌をしているにも拘らず、片手に掴んだ俺の手を軽々と引いて、飛ぶように駆けた。 年齢を感じさせない足取りで駆け走る相手の足取りに何とか合わせつつ、俺は戸惑いの声に続いて抗議の意を伝えたが、その男は全く聞く耳持たずに、瓦礫が山を為す廃墟の海を縫うようにして、俺を引き回すのを止めようとしない。……無理矢理にでも振り切ると言う選択肢が浮かんで来なかったのは、長らくまともな物を口にしていなかったお陰で、若くて体力に余裕がある筈の俺の方が、この年齢離れした健脚を誇る元気オヤジに、逆に圧倒されてしまっていた為だ。
やがて、漸くそいつが足を止めた時。その時にはもう既に、辺りは薄っすらと明るくなり始めており、俯いて荒い息を吐く俺の目にも、足元に生えている雑草一株一株の葉の本数が、鮮明に見分けられるぐらいになっていた。 そして、一頻り息を切らせた後、顔を上げて周りの状況を確認した俺は、今自分が立っている場所を把握して、暫し言葉を失ったまま立ち尽くす。 そこは、この町で一番の高所――町のシンボルとも言える広大な港の様子を一望出来る、市街の中心にある小高い丘の頂上であった。 一方隣に立っているオヤジの方はと言うと、あの激しい疾走も小憎らしいまでに堪えておらず、いそいそと風呂敷包みを解き始めると、中から取り出した紙の包みを、俺に向けて突き出して来る。何かを思考する前に、無意識の内に受け取ったその包みの中からは、得も言われぬ様な美味そうな匂いが立ち昇って来て、ずっとろくに食べていなかった俺の鼻腔を、これ以上無いまでに刺激し、擽って来た。
「座れよ。もう直ぐ夜が明けるから。 此処から見る日の出は実にいいぞ! 此処で朝飯を食うのが、私の一番の楽しみなんだ」
自らも早々に座り込んで、握り飯の入った包みを開けながら、そいつは立ち尽くしている俺の顔を見て、人の良さそうな笑みを浮かべる。更に言うが早いが、彼は包みの中から沢庵漬けを一枚摘み上げて、朝日が昇ってくるのを待つ事無く、パクリと口に放り込んで咀嚼し始めた。
……しかし、相手のそんな様子を目にしたその直後――俺の意識を支配したのは、久しぶりにありついた食料への喜びでも、話し掛けて来る相手の心遣いや親切心への感謝の念でもなく、どす黒く湧き上がって来た、憎悪に満ち溢れた怒りの感情だけであった。 それはある意味、当然だっただろう。何せ俺は、直前まで人生に絶望して、ワザワザ死ぬ為だけに疲れ切った体を引きずり、悪臭漂う夜の町を、休息も取らずに彷徨い歩いていたのである。 それがいきなり、見ず知らずの相手に訳も分からぬまま引きずり回され、挙句にこんな辺鄙な場所で、時候も弁えない能天気な誘いを、さも嬉しそうな顔で告げられているのである。……これが果たして、怒らずにいられようか?
「何抜かしてやがる、このクソ野郎! 他人様の気も知らずによ!!」
自分でも驚くほどに、その時の罵りには悪意が篭っていた。……後から思い返して見ても、あの時自分が抱いていた憤懣や憎悪の強さは理解し切れる様なレベルではなかったし、その感情の激しさは、今から思い返してみてもゾッとする他に無い。 はっきりしているのは、漸く捌け口を見つけた自分の心が、溜まっていた鬱憤と怨嗟の全てを、対象に向けてぶつけようとしたと言う事だ。
「折角ヒトが楽になろうと思ってたってのに、下らねぇ道楽で邪魔しやがって! 世の中皆があんた見たいにお気楽な御身分でいられる訳が無い事ぐらい、この有様を一目見りゃ分かるだろうが!?」
目の前のクソ親父に向けて、俺は今までの鬱憤の全てをぶちまけるかのように、声を涸らして喚き散らした。 「てめぇに俺の気持ちが分かるってのか!?」、から始まったそれは、死ぬ事を邪魔された事実に対する怒りから、現状にそぐわない相手のその慎みに欠けた行いに対する批判に飛び火し、やがては被害者としての心理を声高に叫ぶと共に、目の前の相手の人間性自体を否定すると言う、極めて攻撃的な論理に発展していく。 その内自分が、まだ手に渡された握り飯を掴んだままの状態である事に思い当たると、俺は尚も口調を緩めぬままに、足元の地面に向けて、それを力一杯に叩き付ける。……しかしそれでも、そいつは顔色一つ変えないままで、まくし立ておらび立てる俺の顔を、黙って見詰めているばかりであった。
やがて俺が喚き疲れて口を閉じ、一旦息を吐いた所で、漸く目の前の男は手に持っていたものを脇に置いて立ち上がると、俺を真っ直ぐに見返しつつ、穏やかな口調でこう呟いた。
「なら、今から死になさい」
一瞬その台詞の内容に固まった俺は、次の瞬間相手に後ろ手を取られ、背中をぐいぐいと押されるようにして、近くに口を開いている、土砂崩れの爪痕に向けて連れて行かれる。地震によって大きく崩れたその場所は、ずっと下の方まで険しい斜面が続いており、切り立った崖の様な様相を呈していた。 思いがけない展開に焦り、必死に抵抗する俺の怒鳴り声も物ともせずに、相手は手馴れた物腰で俺をその端にまで誘導すると、間髪を入れず突き放すようにして、俺の体を崖下に向け放り出す。 体が平衡を失った瞬間、俺は恐怖の叫び声を上げると共に目を瞑り、気が付けば一瞬の後に後ろから体を支えてくれた存在に、全身を使って抱きついていた。
「やっぱり、まだ死にたくは無いんじゃないのか?」
身を乗り出して俺の体を支えてくれたオッサンは、へばり付いている俺の情け無い姿にも全く頓着せずに、寸分変わらぬ穏やかな声音で、そう口にした。 そんな彼の言葉に、俺は最早何も言い返す事が出来ず、すっかり意地気の無くなった情け無い表情で、引っ張り上げてくれる相手の腕に、素直に身を委ねる。 そのまま元居た場所まで俺を引っ張って行った彼は、先ほど座っていた場所に再びどっかりと胡坐を掻くと、「どうにか間に合ったみたいだ」と呟いて、此方の方へと笑みを向ける。「兎に角座りなさい」と重ねて口にするオッサンの言葉に、俺が渋々ながらも応じたところで、夜が明けた。
遠くに見える東の海の水平線の辺りから、新しい一日の到来を告げる一抹の光が、しぶとく残る夜の影を切り裂いて、俺達の目に飛び込んで来る。 それは、眼下に広がる荒涼とした廃墟を明確に浮かび上がらせつつも、つい先ほどまで世界を支配していた月の光とは違って、其処に蟠り続けていた溶けきれぬ闇を、冷たい夜気と共に洗い流し、拭い去って行く。 時が経つにつれ輝きを増す曙光を浴びつつ、静かにその様を眺めていた俺は、ふと隣に視線を向けて、自分を此処に連れて来た男の顔を、複雑な思いで見詰める。……目を細めて握り飯に齧り付く、クソ親父の髭を豊富に蓄えた頬が、差し込める朝日で金色に輝くのを見詰めながら、俺は柔らかな温かさに包まれつつ、今自らも同じ様な色に染まって見えているのであろう事を、ボンヤリと頭の中に思い描いた。 不意に相手の顔が此方に向けられたのを受け、慌てて視線を逸らす俺に対し、彼は地面に落ちて拉(ひしゃ)げている紙包みを指差して、「まぁ食べて見ろ」と重ねて誘う。「何なら俺のと代えてやってもいいぞ?」と付け加える相手の言葉を無視し続ける事も出来ず、仕方無しに俺は手を伸ばして、その包みを拾い上げた。
と、すると其処へ、視界の端に見える茂みを割って、一匹の子犬ポケモンが、フラフラと姿を現した。 どうやら食べ物の匂いに誘われて来たらしいそいつは、相当腹を空かせている様であり、両の瞳は飢えている者に特有の、どんよりとした曇りを帯びている。……しかしその一方で、余程人に慣れているものと見え、それほどまでに追い詰められているにも拘らず、此方を見詰めるその目付きには、敵意の様なものは欠片ほども無い。
「また客が増えたな」と口にしたオッサンは、次いで俺に向け視線を戻すと、俺が手にしている紙包みに目をやりつつ、「食べないのならあいつに分けてやったらどうだ」と、二個目のむすびを取り出しながら言う。 それを聞いた子犬ポケモンの表情の変化と、保持しているだけでいっかな食べようとしない後ろめたさとが相まった事もあり、俺は改めて手に持った紙包みを開けると、中に並んでいた三個の握り飯の内一個を取って、じっと此方を見詰めているガーディに対し、空いた片手で手招きしてみせた。 パッと目を輝かせると同時に、千切れんばかりに尻尾を振りつつ殺到して来たそいつに対し、手に持ったそれを少し離れた雑草の群落の上に乗っかるように投げてやると、赤い子犬はあっという間にそれに飛びついて、咳き込む様な勢いで食べてしまう。あっという間に食べ尽くし、舌を名残惜しそうにペロペロやっているガーディに向け、更にもう一つを投げてやろうと手に取ったところで、俺の視線は指先に掴んだそれに対して、束の間の間釘付けになった。 表面に荒々しく味噌が塗られ、軽く炙られた焼きむすび。……漂ってくる香ばしい香りに、自分が如何に空腹であるかを、改めて思い出したのだった。
しかし一度素振りを見せたものを、今更引っ込めるわけには行かない。期待して尻尾を振っている子犬ポケモンの手前もあるし、先ほどまでずっと意地を張り続けていた、自分自身へのプライドもある。 結局矜持が逡巡に勝利を収め、痩せ我慢が手の内にあるものを送り出す決意をしたところで、傍らに座っていたクソ親父が、『クックッ……』と笑いながら声をかけて来た。
「大したものだな。お前はいい『親』になれるだろうよ」
感心半分からかい半分と言った感じのその言葉に反発しつつ、無言で相手を睨み付けた俺は、今度こそ自分で消費するべく、最後に残った焼きむすびと、三枚の沢庵漬けが入った紙の包みに視線を落とした。 先に沢庵漬けに手を伸ばすと、苛立ちを込めてむんずと引っ掴み、三枚纏めて口の中へと、勢いをつけて放り込む。……途端に、懐かしい味と優しい甘みが、今日此処まで抱いてきた憤懣と反感の全てを、一瞬で無意味な存在へと変えてしまった。 一噛みごとに広がる味わいと、それに応じて湧き出てくる、喜びと唾(つばき)。本能の齎すその素直な反応に、些かの苛立ちと戸惑いを覚えながらも、俺は結局手を止められないままに、握り飯を口に運ぶ。
尚も昇り続ける旭日に目を向け、全身に感じる温かさに包まれて口にしたそれは、ただただ美味かった。
ゆっくりと惜しむように、手の内にあるものを味わい終わった後。 改めて周囲に目をやってみれば、既にガーディもオッサンも食べるものは食べ尽くしており、すっかり明るくなった朝の日差しの中で、気の抜けるような欠伸をしている最中であった。
やがて首を鳴らして立ち上がった彼は、生じたごみを元の通り風呂敷の中に包んだ後、立ち上がった俺に対し、「まだ何か言いたい事はあるか」と訊ねて来る。 その悠々とした態度に、再び反発心が込み上げて来た俺は、喉元まで出て来ていた感謝の言葉を飲み下し、代わりにその口で、精一杯に憎まれ口を叩いて見せた。
「言いたい事は山ほどあるけど、飯を馳走になった事だし、今日はもういい」
「そうか。なら、今日の所はもう終わりだ。 もしもまた用があるのなら、その時はそっちから訪ねてくればいいさ」
そう言うとオッサンは、自分の住んでいる場所を簡単に説明した後、更にこう付け加えた。
「そいつは今日からお前が面倒見てやれ。……後、お前はもう死んだのだから、もうこれ以上死にたがったりするんじゃないぞ」
それを聞いた時、俺は一瞬訳が分からずに、目の前の相手の顔を、戸惑った表情で見詰め返した。 するとそいつは、にやりと意味ありげに笑った後に、続いて真面目腐った口調でこう続ける。
「お前はさっき、其処から下に落とされてくたばった筈だ。……言ってみりゃ、今のお前は幽霊みたいなもんだな。 一度死んだのだから、もう残りの人生はオマケみたいなものだ。どうせオマケの人生ならば、少しは有意義に生きるんだな。捨て犬一匹拾って育てるだけでも、それだけの意味はある。せいぜい頑張ってくれ」
「ちょ、ちょっと待て! 俺が死んだのなら、あんたは当然殺人……」
「私は警察署長でね。 それに、誰にも見られていないなら完全犯罪だ。足は付かないし、証拠も残っていない。あるのはただ、お前が死んだという事実のみだな」
俺の意味も無い突込みを軽く遮って受け流すと、目の前のクソ親父は高らかにカラカラと笑い、最早俺なんかには構わずに、スタスタと元来た道を引き返し、丘を下って去っていく。 対する俺は、完全に気を飲まれて為す術も無くその背中を見送った後、背後を振り返ったところに待ち構えていた子犬ポケモンに、嬉しそうに体を摺り寄せられて、困惑したまま立ち尽くすのみだった。
『お前はもう死んだのだから、残りの人生はオマケみたいなものだ――』 そんな彼の言葉を幾度と無く頭の中で転がして反芻する内、今度は降り注ぐ朝の日差しに温められた俺の体の奥から、何か言葉に出来ない様な、新しい活力が生まれて来るのを感じた。 尻尾を振りつつ頭をこすり付けてくるガーディの、汚れた背中に腕を伸ばしつつ、俺は改めて目の前に広がっている瓦礫の荒野を、新たな気持ちで見詰め直して見た。
そうだ――俺はもう、死んでいるのだ。
この町が瓦礫の山と化し、家族や友人が遠い所へと旅立ったのと同じ様に、今や俺は一度死んでいなくなり、積み上げて来た一切のものも、一度全て清算された状態にあるのだ。 それは究極的な喪失を意味するものかもしれないが、同時に全ての柵を取り払い、自らを過去と過剰な自意識の呪縛から解放する、自由への最高の切り札でもあるのでは無いのだろうか。
『オマケの人生』と言う言葉も、今の自分になら、すんなりと受け入れられた。……何故なら、嘗て過ごしていた人生を、俺は心から愛していたから。 両親も兄弟も、知人も友人も。赤の他人が全く眼中に入らないほどに、俺は自分の知るコミュニティの中だけに神経を使い、それに見合った愛情を、自分の見知っている世界の内に見出していた。 しかし、最早それは、何処にも存在してはいない。俺の生きていた世界を構成していた彼らが、この地上から完全に消滅してしまった時点で、既に俺の本来の人生は、事実上終わりを告げていた。
俺は一度死んだ人間としてオマケの人生を歩みつつ、改めて自分に出来る事を、考え直していく事にした。
それから後、俺はカントーのあちこちを回りながら、瓦礫の撤去作業や遺体の埋葬と言った、震災の後始末で糊口をしのいだ。 炊き出しや支援物資は確かに受け取る事が出来たが、食い盛りのポケモンを連れたまだ若い男が生活して行くには、それだけでは物質的にも精神的にも、全く足りなかった。
やがてそれらが一区切り付くと、今度は幾十万とも知れぬ罹災者達の為の、仮設住宅の建設に携わる。 けれどもそれにしたって、空き地と言う空き地にバラックを建て増ししたところで、数量的には到底追いつくものではない。勢い住む所にも事欠いていた俺達は、結局震災直後と同じく各地を流れながら、雨露が避けられるところを探して、草に枕の生活を送るしかなかった。 そんな中、漸くだんだんと生活が安定し始めるに従って、俺は徐々に新しい捨てられポケモン達を受け入れ、世話をするようになって行く。……あの時諭された、『オマケ』と言う人生観。それに対する俺なりの答えが、捨てられたポケモン達を受け入れて、共に生活して行くと言う選択であった。
また、幾度かはあの時世話になったクソ親父のところに、顔を出した事もあった。 別れ際に話したところに嘘偽りは無く、事実彼は町の警察署長であり、訊ねていけば快く迎え入れて、土方の紹介状を書いてくれたり、当時立ち上げたばかりの、捨てられたポケモンを保護して訓練すると言う事業に対し、行政的な手続きに手を貸してくれたりした。 しかし、最終的には幾度かに渡って助力を願ったものの、基本的に最初に尋ねた時以外は、どうにも手が塞がっている時場合の他、手を借りる事は無かった。何故なら、彼は何時顔を見せても急がしそうで、また多くの問題を抱えていたらしく、初めて訊ねた時から、頼り続けるのは良くないと憚らせる何かがあった。
それが何だったかは、彼が死んだ時に明らかになった。 逝去の伝聞を聞いた当時、時代は既に戦争一色に塗り潰されつつあり、俺は自らが保護している捨てられたポケモン達に、『御国の為に』役立てるよう様々な訓練を課すべきだと言う周囲の圧力に晒され、苦悩している最中であった。 それでも何とか時間に折り合いをつけて、事業所の切り盛りをボランティアの職員達に任せ、葬儀の営まれている場所へと駆け付けた俺の目に飛び込んで来たのは、何十人何百人と集まった、異国の言葉を口にする参列客達の姿だった。……其処で俺は、既に本当の死人となって棺桶の中で眠っていたあのオッサン―最後まで、『クソ親父』と言う呼び方を改められなかった、あの恩人―が、あの大震災の直後、デマが元で狂乱した千人近い暴徒の群れから、保護を求めて逃げ込んで来た数百人もの異邦人達を匿って、たった一人命がけで守り通したのだという事実を聞かされたのだった。
「彼らを殺すと言うのであらば、先ずこの私を殺していけ!」
荒れ狂って武器を携え、殺気立ったポケモン達を率いて警察署を包囲した暴徒達を前に、彼は我が身を盾にしてそう叫ぶ事で、怯え慄く数百人の無辜の命を、無事に騒乱が収まるまで匿い切った。
その話を聞かされた時の衝撃は、生涯忘れ難いものとなった。 また、同時にそこには、あれほど簡単に現実から目を背け、自分を見失ってしまっていた、己自身への羞恥の念も含まれていた。 「何処の誰であろうとも、人の生命に変わりは無い。それを守るのが自分の役目である――」 最早記憶の中の人間となってしまった彼は、生前そう口にした事があったのだと言う。 その『何処の誰』と言うものの中に、自分と言う恐ろしくちっぽけな存在が含まれていた事が、堪らなく申し訳なく、またそれ以上に思い出深く、忝かった。
結局一度も、はっきりとした礼を言えぬずくだった。 あの時口にした焼きむすびの美味しさも、無意識の内に縋ったその手の頼もしさも、水平線から昇る朝日が、一度は死に絶えた町のあちこちに築かれ始めた、拙い造りのバラックを照らし行く際の言葉に出来ないほどの感動も、遂に伝える事が出来なかった。 ……しかし、彼がその様な言葉を必要とはしない人物である事も、短い時間であれ共に過ごした俺には、良く分かってもいた。
それから、また数年が過ぎた。 世の中はもう完全に戦争一色に染まり切っており、俺が拾い育て、共に暮らして来たポケモン達の多くも、各種召集令状や拠出命令によって次々と引き抜かれ、過酷な戦場に向けて旅立って行った。 周囲は熱狂的に総力戦を叫び、俺自身もそれが避けられない運命だとは諦めていたものの、それでもやはり一匹でも多く、無事に帰って来る事を祈らずにはいられなかった。
やがて戦局は傾き、戦いが不利になるに連れて、各地の都市は爆撃を受け、次々と焦土と化していく。あの震災から漸く立ち直ったカントー各地の都市も、再び見渡す限りの焦土となり、俺達やポケモン達、それに亡きおやじさんらが流した汗も、再び一握の灰燼に帰した。 掘り返された土の中に身を寄せ合い、腕の中で震える小さなポケモン達や、怯えて泣きじゃくる幼い子供達を励ましつつ、俺は再び前に向けて歩み出せる時が来る事を信じ、残された仲間達共々、辛抱強く耐え続けた。
そして遂に、戦争が終わった。 各地から大勢の人間やポケモン達が復員し、再会を喜ぶ歓声が町を覆う中、それと同じか或いはそれ以上の規模で、失った者達の存在を嘆く、遺族の慟哭が木霊した。 俺達の周囲も、やはり似たようなものであった。嘗て共に笑いあい、夢を語り合った職員の多くは帰らぬ人となり、またそれ以上のポケモン達が、二度と住みなれた我が家の敷地に、羽を伸ばす事が出来なかった。 ……その中には、一番最初に知り合って、それからずっとパートナーとして俺を支え続けていてくれた、あのガーディも含まれていた。
けれどもあいつの死は、決して無駄にはならなかった。 戦争が終わった翌年、漸く再建の糸口をつけたばかりの俺達の事業所に、前線であいつの最期を看取ったという、一人の復員軍人が尋ねて来てくれた。 不自然なほどに痩せていて、あまり顔色も良くないそんな彼の話によると、『最悪の激戦場』と呼ばれた南方の孤島に送られた彼らの部隊は、既にウィンディに進化していたあいつの活躍のお陰で奇跡的に全滅を免れ、無事撤退に成功して生還出来たのだと言う。 装備も物資も不十分なまま、殆ど体一つで上陸させられた彼の部隊の兵士達は、時を移さず食糧不足に陥って、激しい戦闘が続く未踏のジャングルの中、敵との戦闘すら待たぬままに、次々と行き倒れて行った。……やがて戦いの帰趨が完全に定まった時、漸く撤退命令が出たものの、既に飢えさらばえて体力も残っていない彼らには、遥かに優勢な敵の追撃を振り切り、脱出の為の艦船が集う遠く離れた海岸線にまで後退するなど、到底不可能な事であった。
そんな中、身動きの取れない友軍の撤退援護の為に派遣された殿部隊に、あのウィンディがいたのだ。 数百キロを越えるスピードで疾駆する事が出来る伝説ポケモンは、前線で孤立していた彼らの下に駆けつけてくれたその日から、押し寄せてくる敵軍を先頭に立って食い止めつつ、その合間に歩く事も出来ない兵隊達を遠く離れた終結地まで運んだり、帰りに最早目にする事すら夢となっていた配給食料を届けてくれたりと、部隊の全員が後退し終えるまで、あらゆる面で彼らを支え続けた。 ウィンディに助けられたのは、彼の部隊だけでは無い。孤島のあちこちに取り残され、最早二度と生きては帰れないと絶望し、悲嘆に暮れていた多くの傷病兵達が、ウィンディを始めとするポケモン達の献身的な働きによって、瀬戸際の所で危うい命を拾う事が出来た。
しかし、そうやって奔走してくれたポケモン達の大半は、表情を曇らせて語る彼の見ている目の前で、その活躍が報われる事無く命を落とした。 いよいよ撤退が始まり、最後の艦が浅瀬にのし上げたまさにその時、遂に敵軍の最前線が、撤退活動を察知して、収容地点に殺到してきたのだ。 砲撃が激しくなり、収容予定者達がパニックに陥りかける中、突如収容を待っていたポケモン達の一団が、敵弾の飛来する方角に向け、一斉に進軍を開始したのである。……その先頭に立っていたのは、間違いなく彼をこの浜辺まで運んできてくれた、あの伝説ポケモンであった。 やがて激しい戦闘音がジャングルの中から聞こえ始め、それに応じて敵の砲弾の着弾位置が、フネの停泊している海岸線から離れたその隙に、残っていた者達は、一人も余さず乗船を完了した。 彼ら命を助けられた陸兵達は必死に懇願したものの、そんな状況で待機行動が取れる筈も無く、人員を満載した駆逐艦は、必死に人柱となって戦っているポケモン達を残して、『地獄』と呼ばれたその島を後にしたのだった。
「あのポケモンがいてくれなかったら、私達はこうして祖国の土を踏む事も無く、全員があの孤島の片隅で、骨を埋める事になっていたでしょう」
「彼らが、我々の命を救ってくれたのです――」 すすり泣きながらそう口にする、目の前のやせ細った人物を他の職員達と共に慰めつつ。 俺は一人頭の中で、あいつとの思い出を遡りながら、誰にも気付かれぬようそっと顔を俯けて、寂しげな笑みを浮かべていた。
初めて出会った時の、あいつの顔が思い浮かぶ。 限界まで腹を空かせても、絶対亡骸には手を付けようとせず、一度は無くした人との絆を、求め続けていた子犬。 住む所も無く野宿を繰り返していた時には、板に噛み付いた時に出る小さな火の粉を借りて暖を取り、寄り添って眠る寒い夜には、何時の間にか懐に潜り込んで来ていた。 小さな見た目によらず力持ちで、瓦礫の撤去も進んで手伝い、作業の合間の休憩時間には、近所の子供らが投げる木の板やボールを、喜んで追い掛け回していた。
ホンの小さな偶然から繋がれた、一コの命。 あの時やせ細って、思い詰めた表情で焼きむすびに釣られた一匹のポケモンが、今こうして大勢の人間達の運命を変える事になろうとは、一体誰が予想し得ただろうか――?
今では婚約者も決まり、こうして遠隔地まで御礼を伝えに行く事も出来るようになったと話す彼の言葉を聞きつつ、俺はあいつが生きた『オマケの時間』の、確かさな力強さを感じていた。
その時の縁が元となり、改めて嘗ての戦友達の間を巡って彼が奔走した結果、戦争で活躍したポケモン達を支える基金が、俺達の事業所を基盤に設立された。 長く激しい戦の間に、ポケモン達によって救われた人間は数知れず、やがてその動きは大きなうねりとなって、犠牲になったポケモン達を追悼する、記念碑の建設へと発展していく。
建設予定地は、シオンタウン。 俺達が切り盛りしている事業所の近くに、その記念碑は建てられる。 ……当初は石碑程度のものになる予定だったのだが、全国から寄せられる寄付は引きも切らず、やがてそれは建築物に姿を変え、最終的にはポケモン達の慰霊を祭る、巨大な塔として完成を見た。
現在はカントー各地のポケモン達が眠っており、すっかり歳を食ってしまった『私』は、本来の福祉施設の経営の傍ら、この塔の管理人の一人として、毎日参拝も兼ねて其処に足を踏み入れている。
……今私は、一人の客人が尋ねて来てくれるのを、じっと待っている。 昨日塔で起きていたいざこざに際して、非常に世話になった彼に対し、御礼をしなければならないからだ。
やがて長い年月を経て、既に骨董品と化しつつある施設のインターホンが、古き時代の名残もそのままに、建物の中に響き渡った。 それを聞いた私は、腰掛けていた椅子から「よっ」とばかりに立ち上がり、建物と同じく時代物めいた机の引き出しを開けて、中から一本の笛を取り出し、利き手に持ったまま歩き出す。 玄関口から入って来た客人―赤い帽子を被った、一人の少年―に声をかけると、私はそちらに歩み寄って、彼に改めて昨日の礼を言った後、こう切り出した。
「さて、レッド君! ポケモン図鑑を完成させる為には、ポケモンへの深い愛情が無くてはならない――」
END
(14093字)
何とか滑り込みです。…お陰で、見事にストーリーが破錠してしまいましたが……
まぁそこは置いといて…… どうも初めまして。外野の人です。ポケスコの審査員をやっております。 本来は所謂『余所者』なヒトなのですが、大勢の方の熱心な参加への御礼も込めて、此方からも参加させていただきました! 皆さん、本当に有難う御座います!
作品の出来自体は最早末期ですが…… そこは何卒お許しを。 時間がですn(以下略!)
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全てが君の力になる ( No.21 ) |
- 日時: 2011/05/14 23:59
- 名前: フォルテシモ
- Aコース
「ウソつきゲーチスめ。皆をたぶらかそうと必死に弁舌を振るっておる」 僕の隣でこのイッシュ地方の頂点に立つポケモントレーナー、チャンピオンのアデクさんはそう毒づいた。 僕たちの目の前では下っ端を従えたゲーチスがお得意の演説を披露しているところだ。 「そうなのです!」 ゲーチスはわざとらしく両手を横に広げ、民衆の注目を一挙に集める。 「我らが王、N様は、伝説のポケモンと力を合わせ! 新しい理想の国を創ろうとなさっています! これこそイッシュに伝わる英雄の建国伝説の再現!」 強い語調でそう言い切ると、興味本意で演説を聞きに来ていた街の人たちも驚きを隠せないようで、各々思ったことを口に出している。 「え、英雄だって?」 「ドラゴン!? そんなことが……」 「伝説! す、すげっー!」 そんな反応をゲーチスは見渡すと、体を九十度捻らせて二歩進む。アスファルトに鳴り響くゲーチスの靴の音は、硬いものを打ち付けるような、やけに大きい音がする。 「ポケモンは人間とは異なり、未知の可能性を秘めた生き物なのです」 演説の続きが始まれば、再び辺りが静まり、ゲーチスの声が計画的に並んだビル街に響き渡る。 ほどなくしてまたゲーチスは体を捻らせ左に四歩歩く。この響く靴の音も、きっと注目を惹かせるための演出なのだろう。 「ポケモンは我々が学ぶべきところを数多く持つ存在なのです」 話の抑揚、強弱に合わせ、ゲーチスが歩く靴音の強さも上下する。その様相はまるで舞台の上で行われるショーだ。 「その素晴らしさを認め、我々の支配から解放すべき存在なのです!」 そこまで言って、ゲーチスは奇妙かつ大きな法衣から左手を出して突き上げる。二メートル近くもあるこの大男のその挙動は、見るものをすくませる威力がある。知り得ている。何をすれば人はどういう感情を取るかを。 「か、解放だと?」 「ポケモンを……?」 ポケモンたちと共に長く暮らしていたはずの大人たちが、可哀想なくらいにも動揺している。僕だって何も知らなければ彼らと同じようなことになっていたかもしれない。 「我々プラズマ団とともに新しい国を! ポケモンも人も皆が自由になれる新しい国を創るため、皆さんポケモンを解き放ってください。というところでワタクシ、ゲーチスの話を終わらせていただきます。ご清聴感謝致します」 続けて街の人たちの不安を煽るだけ煽ると、ゲーチスは下っ端を引き連れて街の向こうに消えていった。 残された聴衆は皆がみな、今の演説に戸惑っている。 「そうか、わしらは……ポケモンを苦しめていたのか……」 「うぐぐ……。プラズマ団の言う通り、ポケモンを解き放とうか……」 「……そんなぁ。ポケモンがいないとあたし、寂しくてダメになっちゃう!」 悲鳴に近い声を聞くたび、胸が苦しくなる。悲しそうな顔を見るたび、心が痛くなる。 僕がそう思うくらいなんだ。隣にいるアデクさんもきっと同じことを思っているだろう。 あいつらの言っていることは嘘っぱちだ! そう言いたかった。ただ、僕みたいな子供がそう確証ないことを言ったところで、大人の心さえ揺るがしてしまったゲーチスの演説に勝ることなど叶わない。 人々が悲しげに普段の営みに戻っていく中、僕はただ拳を握りしめるしかなかった。 「なんなのよう! 今のお話おかしーじゃん!」 聴衆が立ち去った後、聞き覚えのある幼い声が耳に入る。声の方に目をやれば、そこには白髪の老人とその隣に立つアイリスがいた。彼女はヒウンシティで幼馴染みのベルのボディーガードをやっていたんだっけ。 僕たちに気付かない老人は、アイリスをなだめるように声をかける。 「……このイッシュは、ポケモンと人とが力を合わせ創りあげた。ポケモンが人との関係を望まぬというのであれば、自ら我々の元から去る……。たとえモンスターボールといえど、気持ちまで縛ることなど出来ぬ」 しんみり語る老人の言葉に耳を傾けているとふと、右肩をアデクさんに叩かれた。 「行こうかトウヤ」 そう言って老人とアイリスの方に歩き出すアデクさんに僕は続いた。 「久しいな。アイリスにシャガよ」 「あっ! アデクのおじーちゃんにあのときのおにーちゃん!」 「……どうした。ポケモンリーグを離れ、各地をさ迷うチャンピオンが一体何の用だ?」 厳しく言い放つシャガと呼ばれた老人に対し、アデクさんは突然、迷うことなく頭を下げた。 「ずばり! 伝説のドラゴンポケモンのこと教えてくれい!」 頭を下げて頼み込むアデクさんに、シャガさんはいささか虚を突かれたようだ。 「ゼクロムのこと? それともレシラム? どーしたの? いきなり」 「先程の演説でゲーチスなる胡散臭い男が言っていたな。Nという人物がゼクロムを復活させたと……」 とたんにアデクさんは頭をあげ、右手の拳で左手の平をぽんと叩く。 「おうよ! そのNというトレーナーが、ここにいるトウヤにもう一匹のドラゴンポケモンを探せ! と言ったらしいのでな」 アデクさんがそんなことを言ったがために、シャガさんが僕の方を見る。まるで品定めをされるような視線に、たまらずたじろぎそうになった。 一通り僕を見るとまるで興味なさげに僕から目を離し、アデクさんに向き直る。 「……解せぬな。自分の信念のため、二匹のドラゴンポケモンをあえて戦わせるつもりか、そのNとやらは……?」 シャガさんがその疑念を口にすると、驚いたアイリスはその場で軽くジャンプして、大きな声を出す。 「えっー! ドラゴンポケモンたちはもう仲良しなんだよー!」 「そうだよなアイリス。ポケモンを戦わせるのはトレーナー同士……。そしてトレーナーとポケモンが理解しあうためだよ」 慈愛に満ちた目でアイリスを見つめたアデクさんは、そっとアイリスの頭を撫でた。その姿はまるで本当の孫と爺だ。 「さてと……」 アイリスの頭から手を離したアデクさんは、僕の方を向く。 「わしはポケモンリーグに向かう! いや、この場合は戻ると言うべきかな……?」 今までアデクさんは僕が見ていた限り、いつも子供を見守るような優しい目をしていた。だけど今の彼は違う。誇り高き戦士の目だ。覚悟を持って戦う人間の目だ。 「もちろんNに勝つ! トレーナーとポケモンが仲良く暮らしている今の世界の素晴らしさ、きゃつに教えてやるのだ!」 僕の両肩に、アデクさんのごつごつした両手が乗る。 「そしてトウヤ! チャンピオンとしてお前さんを待つとしよう! だからソウリュウのジムバッジを手に入れてリーグに来い。もっとも、ソウリュウのジムリーダーは手強いぞ!」 ニッと少年のように笑うアデクさんに、僕もつられて顔がほころぶ。 「じゃあな、頼んだぞシャガ、アイリス!」 最後にそう言ってアデクさんは徒歩で街の向こうへ消えて行った。 「……あーあ、おじーちゃん行っちゃった。大丈夫かなあ? なんだか怖い顔してたけど」 「……アイリス、心配ないよ。彼はイッシュで一番強いポケモントレーナーだからね」 不安がるアイリスに、シャガさんが優しく語りかける。アデクさんはゼクロムを連れたNと戦う覚悟を決めた。僕も、託されたホワイトストーンからゼクロムと対となると言われているドラゴンポケモン、レシラムを蘇らせて少しでも手助けをしなくてはいけない。まずは彼らからそのヒントをもらわなければ。 「さて、トウヤと言ったか。私の家に来なさい。アデクの言う通り、伝説のドラゴンポケモンについて教えられることをお教えしよう。アイリスや、案内してあげるんだ」 シャガさんが僕にそう言うと、一足先にヒウンシティ程ではないがビルの並び立つ街に消えていった。僕にドラゴンポケモンについて教えてくれることから察するに、どうやら僕のことを認めてはくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろす。 「ゼクロムとレシラム、二匹のお話! あたしたちが教えてあげる! ソウリュウなら案内出来るし! こっちだよ!」 ズボンの裾を小動物のようにじゃれるアイリスに引っ張られる。その勢いでポケモンセンターの側の交差点を曲がると、その突き当たりにはとりわけ周囲よりも立派な建物が聳え立っている。またもや跳ねるようにはしゃぐアイリスにその入口まで引っ張られると、ここだよ! と言って建物の中に一足先に入っていく。 追って建物に入ると、暗めの照明が点いている室内でシャガとアイリスが待っていた。 「……では話そう。君が持っているのはライトストーンだな。ライトストーンから目覚めるだろうレシラム、既に目覚めたゼクロムは、元々一匹のポケモンだった――」 シャガ、アイリスの口から語られたのは、イッシュに伝わる英雄伝説だった。 僕が幼い頃に母から聞かされたことがある話よりも、より詳しく語られた。理想と真実。レシラムとゼクロム。そしてイッシュの、成り立ち。 「……確かにポケモンはものを言わぬ。それゆえ人がポケモンに勝手な想いを重ね、辛い思いをさせるかもしれぬ」 シャガさんの口調は徐々に重く、深く、そして強くなっていく。 「だがそれでもだ! 我々ポケモンと人は、お互いを信じ必要とし、これからも生きていく……」 「そーなのッ! だから、だからねっ。ポケモンとあたしたちを別れさせようとするプラズマ団なんか絶対許さないんだからッ!」 そうだ。僕がここ、ソウリュウに来るまで歩んだ長い道のり。その中で人とポケモンは互いに足りないところを補いあい、笑顔で暮らしていた。その素晴らしい姿勢を見て、僕はより互いの存在が不可欠なものだと改めて気付かされた。 プラズマ団はポケモンと人とを別れさせ、ポケモンを完全な存在にすると言った。そうではない。真の完全とは、互いに互いを支えあう、共存していく世界なんだ。それをなんとしてもNに伝えなければならない。 「……すまない。最後、話が逸れてしまったが私たちが知っていることは以上だ。残念ながら伝説のドラゴンポケモンを目覚めさせる方法は分からぬ……」 チャンピオンのアデクさんが頼るほど、ドラゴンタイプに精通しているはずのシャガさん達が分からないのであればもう八方塞がりか……。いや、それでももしNと戦うことになっても、僕と共に旅を続けてくれたポケモンが、仲間がいる。僕たちの未来のためにも負けない。負けられない! 「……さて、アデクとの約束だったね。君はソウリュウポケモンジムのジムバッジを手に入れねばならない。ではトウヤ、ポケモンジムにて君の挑戦を待つ!」 そうだ。まずは目の前に立ちはだかる試練を乗り越えなくてはならない。僕の横を通り過ぎ、先にジムに向かったシャガさん。まずはこのシャガさんに僕の、僕たちの力を見せつけてやらねばならない。 ここまで歩いてきた僕たちの絆を、力を。
ドリュウズの渾身のシザークロスを受け、オノノクスは大きい音をたてながら前に崩れていく。 ジムの時が止まったかのような沈黙がしばし流れた。 シャガさんは倒れたオノノクスをモンスターボールに戻すと、称賛の拍手を送る。僕もワンテンポ遅れてバトルが終わったことに気付き、最後の一匹となっても戦い抜いたドリュウズをボールに戻す。 「素晴らしい。君と出会い戦えたこと、感謝する」 僕の目の前までゆっくり歩いてきたシャガさんは、これがレジェンドバッジだ。と、竜の頭を象った細長いジムバッジを手渡す。最後の、八番目のジムバッジ。これで僕のバッジケースは全て埋まった。ついでにシャガさん曰くお気に入りのドラゴンテールのワザマシンも受け取った。 礼を言おうと手元からシャガさんに視線を戻したが、そこにはらしからぬ暗い表情があって、思わず怯んだ僕は礼を言うタイミングを失っていた。 「……君に頼みがある。アデクを追いかけてポケモンリーグに向かってほしい」 そう言ったシャガさんの表情は弱々しく、先ほどまでいた屈強なドラゴン使いのトレーナーは目の前からいなくなり、ただの一人の老人がそこにいた。 「ポケモンリーグはソウリュウから繋がる10番道路の先。チャンピオンロードを越えたところにある。アデクの強さは知っているが、Nという男の強さ、底知れぬのだ」 そうか。Nはチャンピオン、アデクさんを倒すと言った。その過程でジムリーダーのシャガさんとも既に一戦交えていたのだ。 ――Nという男の強さ、底知れぬのだ。 今までの旅の中、僕とNは幾度となく戦って来た。確かに彼は強敵だった。とはいえ、シャガさんにギリギリで勝てた僕なのに、そこまで言わせたNともし戦うことになっても僕は勝てるのだろうか。……いや、僕が弱気になってどうするんだ。信じなきゃ。僕のポケモンと、僕の力を。 そう思いながらジムを出たときだった。 「……ハーイ。シャガさんはたくましかった?」 聞きなれた明るい声。顔を上げれば正面にはアララギ博士がいた。 「あっ、伝説のレシラムを復活させる方法についての報告に来たんだ。ライブキャスターで伝えるのもなんだか申し訳ないしね」 Nのゼクロムに唯一対抗出来うると言われるレシラム。その復活方法の報告……。固唾を飲めば、ごくりと喉を通る音が聞こえた。 「で、結論をいっちゃうと……。まだ解明出来ていないの。きっとポケモンが誰かを認めたときに目覚めるのね……」 沈黙が流れる。僕もなんだか申し訳なく、顔を伏せる博士に何を言って良いのか分からない。 すると博士は暗い話を止めようと、すぐさま笑顔になって口を開く。 「それよりも凄いじゃない! イッシュのジムバッジを八個揃えたんでしょ、すごくたくましくなったよね! 自分では実感ないかもしれないけど、カノコを出たときとは大違い!」 それは決して作り笑いやただの誉め言葉じゃなく、博士は本気でそう言ってくれたということが目で分かる。嬉しかった。ここずっとプラズマ団のことで必死だったから、そう言ってくれた博士の言葉がなおのこと優しく響く。 「では、ポケモンジム巡りを終えたポケモントレーナーが次はどこへ向かうべきか、わたしが案内するわね」 そう言ってジムから東に進むアララギ博士の後を追えば、ソウリュウ北のゲートまで案内された。ゲートの向こうにはチャンピオンロードと呼ばれる切り立った崖が挑戦者を拒むかのように聳え立っている。 「あのゲートをくぐり、10番道路を抜ければバッジチェックゲート。その先にあるチャンピオンロードを越えてようやくポケモンリーグよ」 この先には全てのトレーナーの目標がある。そう考えると、自然と目が乾き拳に力が入る。 「カラクサのポケモンセンターを案内したこと、思い出しちゃった」 僕たちが初めて生まれ故郷のカノコから隣のカラクサに着いたとき、博士は僕たちにポケモンセンターの使い方をレクチャーしてくれた。確かに、あのときと同じだ。 「ねえトウヤ。ポケモンと一緒に旅立ったこと、後悔している?」 そんなことはない! 僕はポケモンと旅が出来て、辛いこともあったけども楽しいこともいっぱいあった! 他にも伝えたいことがいっぱいありすぎて、うまく舌が回らない。とにかく首を強く横に振れば、博士の歓喜の声がする。 「ありがとッ! 最高の返事よね! わたしも君たちにポケモンをプレゼント出来てすごく嬉しかったの! だって、また人とポケモンのステキな出会いが生まれたから! トウヤ、これ。プレゼントよ」 アララギ博士から手渡されたのは、紫に輝く究極のモンスターボール、マスターボールだ。その存在自体は聞いたことがあるが、実物を見るのはこれが初めて。 「そのマスターボールはどんなポケモンも絶対に捕まえられる最高のボール。こんな形でしか応援出来ないけれど……」 そこまで言って、博士は言葉を区切る。 「トウヤはトウヤ。どんなことがあっても迷わずにポケモンと進んでね!」 博士はこれ以上ないくらいの笑顔でそう言った。きっと、本当は復元に関してなんかではなくこれを伝えに来たかったのかもしれない。お陰で張りつめていた緊張も、表情と共に自然とほぐれた気がする。 「じゃーねー!」 と去っていく博士の背中を見送ってから、僕は再び手元で妖しく輝くマスターボールを見つめる。 ……博士には悪いけど、僕はこのマスターボールは使わない。もしもレシラムと戦うことになっても絶対に使いたくないんだ。マスターボールを使うっていうことは、マスターボールという道具の性能に頼るということだ。 それじゃあダメだ。僕とレシラムの真剣勝負に水を刺すのと同等だ。互いに全力をぶつけあうことに本当の意味があると僕は思う。 僕はソウリュウのポケモンセンターに戻り、マスターボールをダゲキに持たせてユニオンルームに入った。 そこには、あらかじめ連絡をしておいた僕と同年齢の女性トレーナー、トウコがいる。僕は、この親愛なる彼女にこのマスターボールを託す。博士には悪いけども、僕じゃあこのマスターボールは扱えない。身に余る贈り物だ。彼女は僕より優秀なトレーナー、彼女の方がきっと有用に使ってくれる。ポケモン交換装置にモンスタ ーボールをセットすれば、マスターボールを持ったダゲキは彼女の元に。そして彼女のズルッグが僕の元に。 交換が終わると彼女は満面の笑みでありがとう、と僕にだけ伝わるようにひっそりと言った。そして、お疲れ様。とも。
ゲームの電源は消された。マスターボールを手放したトウヤのソフトの記録を消して、再び新たなトウヤの冒険が始まる。 マスターボールを集め、それをトウコに渡す作業という名の冒険が今。
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