ゼノム・アステル (テーマA「10」) ( No.1 ) |
- 日時: 2015/01/03 23:05
- 名前: 水雲
あれから、十年の歳月が流れた。
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水の流れる場所がやがて一連の河川となる。 呼真(コーマ)が先手を奪うのは、それと同じ当然さだった。 兵法は様々、規範とする所も地方によりけりで、基本的に腕っ節の善し悪しが是とされる辻比武(つじひぶ)において、虚を突く先制は序盤の主導権とも言える。若輩の頃からサンダースとして処世してきただけに、その優位性はより盤石となった。油で潤した床を滑るように地を駆け、相手との間合いを恐ろしい速さで潰しにかかる。頼みとする流派は定石からしてかなり古く、呼真をしごいた指南番は一世代前の武術をこころ得た兵(つわもの)に違いない。が、それを察せたのは周囲の野次馬の中で一体何名いたことか。 得物の持ち込みまでいちいち考慮していては見る側も闘る側も興醒めのため、「使いたければ使え」の方針で昔から落ち着いたはずなのだが、あえて呼真は丸腰を選んだ。その身から離すこともしなかった。長くを共にしてきた両刃の剣は呼真にとっては分身とも言い換えられる存在で、それを除けば却って重心が狂うようにまでなってしまったからだ。故に、芥子色にくすんだ大剣は、今も呼真の背中の鞘に納まってある。 対する連掌(レンパ)は反応に数手遅れ、その差はゴロンダとしての経験で埋め合わせた。後手は悪手、その考えに則る勇み足は重厚も重厚、呼真の動きに合わせて己の兵法を開いた。荒事を稼業として乱暴に生き十数年、歳を重ねるごとに体の傷は増え、気はいよいよ短くなっていく。ここ流有州(ルアス)では悪名高さでまあ知られる札付きのチンピラである。今でこそこんな喧嘩場の大将として胡座をかくのが関の山だが、その腹をうっかり口にしようものなら腕の一本では済まされなくなる程には魁偉(かいい)だ。 連掌が五歩、呼真がその三倍近くを進撃しあった時点で、間合いは限界まで詰め寄られた。互いの足が絡みあうようにしてうねり、右に跳んだ呼真からやはり先に出る。体毛の隙間からごく自然と生まれる静電気を弾かせ、乾いた破裂音は何を破壊するでもなく、ただ高音を走らせる。そこに虚実のどちらに意念があったかは呼真次第だったが、連掌には効果が薄く、身の丈がある分、踏み込みの歩幅でもそちらが優っていた。両腕を相手に叩き込む武器として扱えるだけに、連掌が不利を被る道理はない。呼真を確かな足取りで追い、あとわずかの時点で背筋をたわめる。体格差と懐の深さに勢いを任せた右の崩拳が低く繰り出され、逃げを許さぬ必殺の速度で呼真の喉笛を正面から定める。 入った。 が、地(つち)を噛む大樹か、はたまた海底に沈む錨か。呼真の体は四肢を一つと崩さずにその場で踏みとどまった。連掌の拳に手応えはなく、肝心の衝撃の一切は呼真の喉笛から後ろ足、後ろ足から地表へと無情にも流れていく。代わりとばかりに、そこから真円形の波紋が怒涛となって地表を攫った。爆音装う土煙が立ち込めて積雲となり、土俵を形成していた周囲の見物客は目と口に入った砂を払うのに注意をそらされた。 その中、腕を組んだままで瞬き一つせず、濛々たる煙の向こうを半目で見つめるルカリオがいる。後ろ足で上体を支える体型が連掌と似ているだけに、その時紅(シング)が呼真の代わりに挑戦者となっても別段問題なかったのだが、何故今回呼真が前へ出たのかと言えば、単に弾いた銅貨が表を示したからだ。 ――そんだけか?―― どう捉えても刃物が原因と思われる、呼真の鼻背にある横一文字の古い傷跡。その先の青い両目が、そう告げていた。 腕を踏み台に頭を直接叩かれるとでも思ったのだろう。連掌は弾かれた独楽のようにすぐさま引き足で間合いを取り直し、力を奪われて緩みきった右拳を構え直す。が、意識の継ぎ目で呼真は既に姿を消し、刹那が過ぎても、連掌の腕にも肩にも現れない。 足元。 電撃。 恐らく連掌には、それがどこから発したか、まだ判断が追いついていないはずだ。その状況が味方である内に、呼真は思うままにやることとした。連掌の影を死角として、白い鬣(たてがみ)を時計回りになびかせ、地を這う姿勢で旋転。電流で脆くなった連掌の右踵に、渾身の回し蹴りを打ち込む。 三流芝居の役者も顔負けの出鱈目が起きた。蹴り足に誘導された連掌の軸芯が完全に狂い、左の足までもが地を離れて数寸を削った。ゴロンダの巨体がサンダースの足一本で覆り、数尺も宙を舞う様は、傍目でも信じろという方が難しいかもしれない。 地へ引き戻された連掌が派手な尻餅をついて跳ねる。落下の際に後頭部へ付随したのは、受け身を取れなかったための、致命打に成りかねない一撃。それでも気絶しなかったのは、連掌だったからだ。 追い打ちは発せず、連掌が仰向けの無様を晒してからしばらくが過ぎた。戦意の残滓を探るための、呼真なりの空白だった。 降参すんならここで止めにするが―― そう呼真が言いかけた矢先、連掌が怒りの蛮声に合わせて曲線状の掌底を突き出してきた。手相は斧、狙うは側頭。 そこから先、呼真の気持ちはかなり適当となってしまった。間合いを計り直すのも面倒になり、引力が横から働いたような動きで呼真は逃げる。先程よりかは幾分か手ごころを加えた電撃を残し、気が逸れた隙に背後へ回る。 面倒だから抜いてとっととケリをつけてやろうか――と、ひとときだけ思考する。 鬣の裏に潜む、背中の鞘を留める金具に手をかけた時点で、しかし気分が壊れた。当初丸腰で挑んだことに幾らかの矜持はあったし、結局得物に頼ったことで見物客が文句をつけ、賭け金が水泡に帰しては意味が無い。そして何より、たかがこんなやくざ崩れに抜刀せねばならないことが中々に不愉快だった。 考えを初心に戻し、右半身を作る。靠(こう)にも似た形となり、連掌の背中へ目掛けて自身を真っ直ぐ放る。速度と体重を合わせた発勁で、背骨に直接響く打撃を与えた。 縦ではなくむしろ横の螺旋が連掌の全身を襲った。痺れの抜けない右足が崩れ、竜巻に取り憑かれたようにその場で不器用に回る。呼真は親におぶさる子として連掌の背中にしがみつき、縮身を正す。体内にある力の本丸が崩壊する急所を目指して、一歩だけよじ登る。 呼真の右前足に活力が収束する。繰り出す。手相は棍、狙うは頭蓋。 命は殺さず、音を殺しておいた。 呼真が背を蹴って跳躍すると、連掌は夢遊病もかくやの足取りで前進し始めた。肉壁と成していた見物客は恐れ半分で自然と穴を開き、連掌は途中でやがて膝を折る。そのまま土を食らいつくような体勢で昏倒した。連掌が最後に如何な表情をしていたか、呼真には知る由がなかったし、時紅も教えてはくれなかった。 呼真が空中で軽く身を畳ませて着地したのは、それから五秒後。 まあこんなもんかな、とも思う。 まあこんなもんだろ、とも思う。 連掌に対してではない。とどめの絶技に対してだ。 「ああそうだ、すっかり忘れてた」 唾を飲み込む音も聞こえない沈黙の中、呼真はぽつりと呟いた。鉄火場を取り仕切っていた中盆(なかぼん)のヤミラミに、ひどく単純な抑揚で訊ねる。 「こいつの首、幾らだっけ」 時紅は組んでいた腕をようやく解き、うつ伏せの連掌を一瞥してため息をつく。 「いつもより雑だ」
呼真が辻比武を荒らしてからの数刻。流有州に蔓延する熱気は日没と共にようやく緩み始め、防壁の向こうへと西陽は沈みつつある。見物客として見届け、雑踏に紛れる二匹の背後を付かず離れずの距離から追っていた咲花(サキハ)の読みは的中した。時紅と呼真は、万市(よろずいち)の一角に構える飯屋で卓に着いていた。汗臭い荒くれ共が工廠での日雇いの給金で宵を越そうと騒ぐのにはお誂えの場だった。次はここでおっ始めるつもりかと少しばかりの期待もしたが、どうやら単に腹を膨らませるためだったようだ。それが証拠に、二匹の真ん中にあるのは山盛りの芋饅頭。 「強いのね、あんたたち」 実際に闘ったのは呼真だけだったのだが、時紅を含めて「たち」と呼んだのは、相方もきっと拳達なのだろうという生半な目算である。本当に技量を見極める程に肥えた目を咲花が持っているという訳ではまさかない。時紅は椅子に浅く腰を下ろしたまま目前の鈴碗に注がれた白湯(パイタン)を静かに見つめ、呼真も倣って高椅子に狛が如く器用に座っており、卓上の木目を目でまじまじと追っている。 要するに、時紅も呼真も正対しあったまま、若い雌のテールナーにも一顧だにしない。咲花は気にせず続けて、 「だけど調子に乗らない方がいいわ。流有州は広い。たかが一区の辻比武で峰になったくらいでは名は馳せない。鼻にかけてたら今夜にでも闇討ちに遭うのがオチでしょうよ」 能書きは建前で、近づいてみたかったのが本音だ。 間近で観察すると、改めて気づく点も多い。若者と呼ぶには薹が立ちすぎている。体中を巡る生傷は百戦錬磨の誉れに違いなく、逆に手入れのされていない毛並みは白みを帯び始めてしばらく以上だろう。 両者とも、ルカリオとサンダースとしてはおよそ似つかわしくない大剣を所持していた。武器を持つこと自体は別段珍しくないのだが、その大振りさと言ったら、包丁と並べて見せ物小屋に置いたらそれだけで金が取れそうなほどの滑稽さまでも匂わせている。結局抜かれることのなかった呼真のそれは今も木製の鞘に納まったまま背負われている。対する時紅は、着座している今でこそ「座り差し」の形で腰の黒帯に絡め、抜き身を麻布で巻いてある。幼少の時分からちゃんばらごっこに夢中になっていたと見える。小僧が年月を重ねると中年になるのと同じで、傍らにあった棒きれもやがては剣となるらしい。 喧騒をすり抜け、三者の頭上にある提灯がじじりと鳴いた。 呼真がようやく顔を上げる。器量良しの女に褒められて悪い気はしないようだが、一定の警戒心は解かない。 「忠告あんがとよ。けどな、別に俺らは名を挙げたいわけじゃねえよ。あんな他流試合のてっぺんに立ったくれえでは本物の比武(ひぶ)に一歩も及ばねえだろうさ。昼から酒を飲むようなろくでなしたちが暇潰しに始めた辻比武ごときでのし上がれたら苦労しねえ。それこそ井の中の世界だろ」 「路銀を賄うのに利用しただけだ」 適度に熱気が抜けた頃合いだったのだろう。呼真が姿勢を前へ崩し、卓の端に両足をかけてもたれかかる。それでもまだ湯気が濃く立ちこめる芋饅頭に口だけでかぶりつく。右の頬に大きく詰め、咀嚼の隙間からひり出す愚痴が曰く、 「しかし参ったよな。どいつもこいつも、寺銭とあのゴロツキにつぎ込む賭け金だけときたもんだ。いざ結果が狂えば血相変えて塩と適当な金目の物を担保代わりに寄越しやがって。換金するのにまた時間食っちまうぜ」 「あんたたち、ここいらの奴じゃないよね。どこから来たのさ?」 よもや堅気ではないと見目姿が語っている。流浪の日々を上都(ジョウト)と放縁(ホウエン)で繰り返し、徒に過ごしてきたわけでもなさそうだ。行き先々の仕事よりも私闘で体をいじめ、巻き上げた金を旅費にあててきた口だろう。現にその通りだった時紅と呼真は口を揃えて、 「南」 やはり異邦者か。南からだとしたら森を一つと大きな河川を二つを越えてきたことになるから、相当の日数がかかっているはず。ましてや翼屋に頼らず、その足だけで実直に来たというのならば真面目を越えてただの馬鹿である。 「じゃあ、どこへ行くつもり?」 今度も同じく、 「北」 「あのねえ、」 「おっと嬢ちゃん、そこまでだ」 両者とも、剣は抜かなかった。 二対の擦れた眼差しが、咲花をその場に射止めた。なおも荒くれ共がどんちゃん騒ぎをしている中でも、時紅の低い声はよく聞こえた。 「老いた流れ者の素性を知って何とする。兄弟への土産話のつもりか。然らばこれ以上の詮索はやめて早々に立ち去れ。私たちは先を急いでいるのでな。先刻君が告げた闇討ちを企む輩にたれ込むという魂胆ならば、私たちは更に貴重な時間を費やし、君を胡同(こどう)の闇まで追いつめねばなるまい。それはお互い本意ではなかろう?」 ――ぷはっ。 あれほど卓抜した闘いを見せ、しかし根掘り葉掘りされたくないという物言いが無性におかしくて、咲花は奇麗に整った面立ちで笑った。 「違うわよ、違うって」 腹の内が潔白であることを証明するため、軽く肩をすくめる。 「単なる好奇心よ。あたしさ、辻比武が好きであちこちでよく見物してるの。強い男はもっと好き。益荒男に惹かれるのは手弱女の道理でしょ?」 咲花は空席に無遠慮に腰を落とす。大胆な挙動だろうと微動だにしない時紅と呼真。水分の飛んだ竹ならばそれだけで火の粉が爆ぜて燃え上がりそうな目線もはばからず、咲花は尻尾にあった枝で芋饅頭を突き刺し、軽業師よろしく着火。焦げ目も甚だしくなったそれに同じく大口でかぶりつく。どちらもがまだ飲んでいなかった濁酒(どぶろく)にすら最初に口をつけた。 手弱女には到底値しない、場数を踏んできた挙措だった。 枝を手中で遊ばせ、酒に潤った唇をほころばせる。 「いい質屋、知ってるわよ」
文武両道の教えに則らない無法の他流試合が厳しく取り締まられているのは流有州も例外ではなく、事に公僕からの雷は手厳しい。正式な流派にあった道場の門下生とあらば破門はもちろんのこと、閑島(カントー)流しにも等しい面目潰しに遭い、表の通りを歩きにくくなる。端くれながらも稽古に裏打ちされた体力は勤労礼賛の標語に注ぐしか他に方法はなく、余生の盛運はお気の毒としか言いようがない。それでもなお流行病のように毎日ゴタが起きるのは、憂さ晴らしには目の前の奴と拳を交えるのが一番気軽だと皆知ってしまったからだろう――時紅と呼真は、勝手にそう思っている。 そういった理由もあって、事態のこじれを避けたい時紅と呼真は、必要以上の闘いを控えた。ほとぼりが冷める頃には大きく北へと移っている。当時界隈に流れた噂は陽炎と成り果てるのが常で、枯れすすきを幽霊と見紛うのと同程度の信憑性しか持たない。当事者がいないだけに身も蓋もない風評が蹂躙し、二匹の原型はもはやとどめない。それが寧ろ好都合だった。 咲花の言葉に嘘はなく、勝手知ったる案内が時紅と呼真を淀みなく導いた。真っ昼間のような明るさと空気の汚れで星空が見えない夜の万市から離れ、今度は露天の並ぶ路地を右へ左へ進む。道は地割れのように入り組んでおり、区画も何もあったものではない。賑わいをかいくぐって見つけ出すは、胡同の隅から生えたようにぽつねんと佇む一軒家。簡素な暖簾と仄かな灯りで客を迎えるその様は、確かに咲花がいなければ絶対に見つけられなかった。 外見とは裏腹に、店の中は無秩序をそのまま体現したように犇めいていた。雪崩ている骨董品たちに腰を据え、煙管をふかしながら本を嗜んでいた老ドーブルを名は医重(イズー)と言う。時紅と呼真にはてんで使い道のない物品たちを一目見るだけで引き受けた。価値と現金の歩合をかなりの精度で見定め、長い時間をかけて魔窟の奥から銀貨を持ち出し、ゆったりした手つきで袋に詰め、呼真に寄越した。お互い、終始無言を徹した。 目が高いのではなく、単にボケていたのかもしれない。 時紅と呼真は失礼ながらもそう思ったが、予想以上の金を得られるに越したことはなかった。 無意味そうな骨董品で埋め尽くすのは単なる擬態。裏では軍から横流しされている数々の武具を取り扱ったもぐりのハコであることにも、実は気づいていた。もしも口止め料を加算しているというのであれば、この大金にも頷ける。暗黙の了解。 さておき、かさばる荷物をようやくお払い箱に出来たのが多少利いたらしい。脇腹に下げる銭包の重みに、呼真の機嫌は少しだけ直っていた。 「こんだけありゃ十二分だ」 「しばらくは壁と屋根のある宿で休めるな」 どんな生活してきたのよ、と咲花は思う。 「どんだけ苦しくても、それらは質に流さないつもり?」 咲花が枝で指すは、時紅の陽剣と呼真の陰剣。 「――これは特別さ」 「師範の忘れ形見だ」 少しばかりの寂しさを含んでいたように感じる口ぶりだった。 つまり、この者たちの親分はダイケンキを示すのだろうか。だとすれば合点の行く部分もある。運良く居合わせさえしたら辻比武の見物をしていた咲花の記憶の中にも、一匹のダイケンキがいた。名は名乗らなかった。老若男女問わず口元から長く伸びる美髯(びぜん)。一対の剣を携え、水の加護を以って勇猛に立ち振る舞う様は威風凛々、実に印象的だった。残念ながら、そのダイケンキは剣を持っていたために時紅と呼真の師とは一致しないだろうし、そもそもその後の行方を知らない。 「ねえ、あんたたち北へ行くのよね。南の森から来たなら余計なお世話だろうけど、ここを放縁して北を目指すのも結構大変よ」 「それはあの山、故か?」 時紅が北の防壁を見やり、その向こう側から顔を出す山を言葉で指した。 天を衝く、という表現では正確さに欠ける。三者が目を向ける北の山は峻険とは言いがたく、どうにも半端ななだらかさが目立つ。坂道と山地の中間みたいな、ただの巨大な土塊のようでもあった。 「そ。白牙(ハーガ)山は別名『英霊の園』。昔の動乱で没した戦士たちで築かれた山とも言われてる。自慢じゃないけど、流有州の北側が陰都(いんと)として貧困層で構成されているのもそのため」 時紅と呼真は、同時に何かを閃き、咲花をよそ目に顔を見合わせる。それぞれの顔には、疑念と確信の間を思わせる表情が揺らめいていた。 「あたしら平民からすればただ邪魔っ気なものよ。北側とは交易もろくに出来やしないし、とっとと拓けばいいのにね」 他国の情勢まで知らないが、流有州も指折りの底辺だと思っている。貧困層ほどではないにせよ、咲花も相当に苦い肝を舐めてきた身で、文武両道という官衙のお題目を嫌というほど味わってきた。 あの山がいい例だ。『流有州の過ちは白牙にあり』という戒めを盾に野放しにしているが、貧富の差から目をつむっておきたいという不精さからに決まっていた。あれが無くなれば、貧民街が貧民街である理屈も消えてしまうのだ。もしも本当に過ちがあるのならばそれは今に違いなく、政治屋を金看板に豪奢に暮らしている奴らは一匹残らず斬首されねばならなかった。 「悪いこと言わないから、あそこを渡るのはやめときなよ。自然遺産、ましてや霊地に足を運ぶのは不興を買うとされてる。あんたたちの強さはよくわかったけど、公僕に見つかったら事よ。道中の貧民街で小銭袋をじゃらじゃらさせようもんなら、背中にいくつ目があっても足りないし。ちょっと時間とお金はかかるけど、あの山を上手く迂回出来る道順を組めるよう、そこいらの車屋かヒョウ師に頼めば」 「よお、助かったぜ嬢ちゃん」 「礼を言う」 は? 「さて、どうする呼真。書室に篭って歴史の勉強でもするか、今すぐあそこへ向かうか」 「んなの決まってんだろ。お偉方の偏った手で編纂された歴史書なんざ、よちよち歩きのメェークルにでも食わせとけ」 時紅と呼真は再び面を上げ、白牙山を遠い眼差しで見据える。夜の空と昼の地、その絶妙な明るさの中でも、薄く透けた鱗雲を冠とする姿はよく見えた。 「あの日は十年前の、未(ひつじ)の月だったな」 「ああ、忘れもしねえ。十年と申(さる)と酉(とり)の月をかけて、ついにここまで来たんだ」 十。 全く嫌な数字だ、と時紅も呼真も思う。 これから立ち会わねばならない現実も、それのせいだと思えたらどれだけ良かったことか。 「やっと追いついたぜ、青風(ソーファン)」
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銀貨が十二枚。 質屋と山の案内だけにしては不適切すぎるくらいの駄賃だった。色を付けるにしても多すぎる。日常を銅貨で過ごしてきた咲花には持て余す貨幣だ。下手に使えば疑いをかけられて縄を打たれるとまで思う。 金以上の価値となりそうな類の話は終始聞けず終いだった。それ以降の随伴は断固として受け入れられず、咲花は一足先に追い払われてしまった。河岸を変えて飲み直して適当な男捕まえて朝まで仲良く寝てろとまで言われた。そこに時紅と呼真の気遣いがどれだけ含まれていたかは計り知れないが、生憎咲花には全く伝わらなかった。あんまりと言えばあんまりである。 不服を胸に募らせたまま、咲花は再び同じ酒家に戻り、酒を女給に無心した。天井近くの壁に打ち付けられた古ぼけの採譜に目を通し、字面からしてもう既に辛そうな料理を注文する。 あんな山に行って何するんだろ。 あの二匹の「これまで」には興味をそそられるのに、「これから」には何故か不思議と気乗りしない。 真上から覗くだけで鼻と眼(まなこ)を潰しそうな、辛さと熱さで湯気立った赤黒い煮物が咲花の卓上に置かれる。枝先でいじくり回し、欠片にしてからちびちびと口に運ぶ。 ――こんだけありゃ十二分だ。 呼真の言葉と、十二枚の銀貨。 遙か南の国では、十を凶数、十二を吉数とする慣わしがあるという話を、行きつけの飯場のお婆から聞いたことがある。理由も聞いたはずなのだが、詳しくは憶えていなかった。 ま、いっか。 煮物を口にした途端に舌に炸裂する辛味を誤魔化そうと、酒を一気に呷る。
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国に入ること上都と言うならば、離れて野生に戻ることを放縁と言う。市井(しせい)で職に就くか奔放に生きるか。いずれにせよ自己責任だ。 時紅と呼真は、いわゆる放縁の孤児(みなしご)である。まさか木の股から生まれたわけではないだろうが、生みの親も育ての親も記憶が定かではない。朧気ながらも思い出の一番底にこびり付いているのは、お互いの幼き姿と渺々たる空腹感、そして仄蒼い森の寂しさだった。そこから先は、全て青風が埋めてくれた。 青風は雄のダイケンキで、蓬(よもぎ)のように伸びた髭のだらしなさと鼾の五月蝿さといったらなかった。言葉は荒く、目つきは悪く、おまけに食い意地も汚く、夜中に三度も用を足しに起きるくらいに歳をくっていた。 しかしいくら年寄りだろうが、青風は貫禄ポケモンのダイケンキである以上、剣術を始めとする武術の腕前は素人目にも本物だった。剣の手入れは一日たりとも欠かさなかったし、ただの一振りで星を割り月を砕きかねない威圧感が伴っていた。そして何より――それらしいことは何一つとされなかったが――時紅と呼真が唯一「親」や「師」と呼べる存在だったことも間違いない。 北を目指す。 怒涛のスピアーたちから助けてもらった、初対面のあの日、青風はそう口にしていた。 激情にも近い、突き動かされるような強い意志を以って剣を躍らせる様は、時紅と呼真のこころにしかと焼き付いた。それまで生きる目的すら明確に見いだせなかった両者の本能に、初めて血が通った瞬間でもあった。 生きる意志を持ったから強くなれるのか。 強くなれたから生きる意志が持てるのか。 幼気ながらも自問し、堂々巡りの末に得た一つの解は、精神面と肉体面の強さは等号されるということだった。 弱肉強食が鉄則の放縁の世界。鬼一口からその身を助けた以上、二匹の命をどう扱うかの権利が青風にはあった。そして、「ついてこい」とも「ついてくるな」ともはっきり言わなかった。青風の剣に一目惚れし、すっかり息巻いた時紅と呼真は、弟子になることを瞬間的に決意した。 朝から晩までをかけて野を渡り川を越え、国を跨いだ。晩になると腰がうずいてまともに歩けなくなる青風は野宿の支度をし、傍らで時紅と呼真は通し稽古に勤しんだ。リオルとイーブイが型を仕込もうと掛け合う様は、遠目にはじゃれあっているようにしか見えなかったことだろう。行き詰まるたびに惰眠を妨害し、武の教えをせびり、煩わしげながらも少しずつ語られる助言のお陰でやっと形を成してきたのは三年目からだ。四年目からは波導と電撃をも交え始めた。 何千回と套路を踏み、体に通してきたそのおよそ五年間で、青風が剣を持たせてくれることは、ついぞなかった。 仮にも年老いるまで生き延びた剣豪である。二匹の小童なぞ、その気であればあの日のうちに置いてけぼりに出来たはずなのだ。だのにそうしなかったのは、子宝に恵まれなかった青風なりの自身への慰めだったのかもしれないし、深く落とし込まれた武術を死して土に還すのが惜しいという意地の現れだったのかもしれない。付き添いの了を気まぐれだけで済ませていたとは思えない。そういう心境を時紅と呼真は何度も何度も考えた。決意と移り気の隙間に潜む奥深い部分に、青風なりの愛情があったのかもしれないと捉えていた。 だから、五年目の春が過ぎた六年目の夏。未の月。つい昨夜まで野原のそこで寝そべっていたはずの青風が忽然と姿を消したことに対しては、深い失望よりもある種の納得のほうが強かった。置き土産とばかりに、まるで天から落ちてきたように地面に突き立つは、これまで何度せがんでも渡してくれることのなかった芥子色の双剣。 これ以上はついてくるな。 青風の最後の言葉だった。 青風が永年自身の中に蓄え、培ってきたものの「片鱗」に、自分たちはついに足を踏み入れたのだと、前向きな部分では思っていた。 喧嘩になった。 生まれて初めての、本気の殺し合いだった。 昔みたいに、仲良く半分こ―― それが、どうしても出来なかった。 双剣が揃って初めて教えの極北に到達すると、無意識にせよ錯覚した。青風の世界を生きるためには、青風の扱う武術の絶招を閃くためには、番(つが)いでなければならないと固く信じた。 時紅は陽剣、呼真は陰剣。それぞれの手と口に託される。お互いが、相手の剣を求めて全く同じ兵法を開く。 得物の重さが不慣れなのは、当然と言えば当然だった。それでも剣で決着をつけたかった。同じ時を過ごし、同じ飯を食い、同じ師から同じ武を貪ってきた二匹である。相手がどう仕掛けるかなど、自分の方が余程理解している。それ故の判断でもあった。初めて手にする剣の「流れ」のみが、勝敗を明快に分かつ要因だったのだ。
時紅の先攻。右払いの初動に隠すは左の発勁。手相は槌、狙うは左前足。獲物を逃したとしても、手から発する波導が目に見えぬ激流となって追撃を見舞う。普段なら最初からこんな騙し打ちに任せる時紅ではなかったが、事ここに至っては四の五の言っていられない。あらゆる手段を使わなければ負ける。 ところが、横殴りの波導を呼真に利用された。体内電流で害意を相殺、運動量に変換して離れていく。速さの違いを歩幅で補い、時紅は踏み込んで呼真の背中へ迫る。振り向きざまの回し蹴りは囮、見切って上体を粘らせてかわす、呼真の体から発せられる無数の針も囮、受け太刀で凌ぐ。呼真の本命は恐らく次。横顔の向こうから閃くのは、振り向きの勢い全てを戦意に注いだ一筋の斬撃。肘打ちでの対抗は無謀と判断。右肩を深く入れる。左腰に溜めた陽剣が鋭い逆袈裟を描き、呼真の退歩を刃が追って懐を潰す。電撃の予備動作も許さない。剣一本での太刀打ちに持ち込んだ呼真としてもここで勝負をかけたかったはずで、陽剣に通していた波導までは即座に化かせないだろう。一合の鍔迫りに勝算を見立てる。 罠だった。
逃げ足からの回し蹴りは囮、針も囮。時紅は呼真の仕掛けに乗ってきた。陰剣の威嚇で肘打ちを諦めさせ、誘導した末に時紅が繰り出してきたのは逆袈裟だった。鍔迫りを引き出させ、あわよくば波導を流し込むつもりらしい。退歩でのそれでは旗色が悪く、いずれ勢いで押される。向こうが本命と思っているに違いない、こっちの左払いの横一文字も陽動とする算段を続行。 柄の食いしばりを解き、いっそのこと陰剣を陽剣の軌道に呑ませてやった。剣を放すのだとしても、上下の歯が砕けるような強打が起きても、これからの反撃を加算し、戦況を負から正に戻せるのであれば悪くない取引だ。 衝撃。時紅の波導を一手に受けた陰剣は天高くへ弾き飛ばされ、呼真を波導から引き離す。この一連の動作にて、太刀筋を完全に呼真の剣へぶち当てたという見解では時紅の一撃は曲がりなりにも成功と評せたし、意地悪く見ればどこも負傷させていない失策に潰えていた。 その隙間、残心を取るべきかそうでないかの虚を貰った。 顎を下から打ち抜かれたように後方へ跳び、鼻先を天に向ける呼真は、またも時紅の勢いを利用。両の後脚を振り上げて天地を一回転。踏ん張りが活かせない分、底力で電撃を飛ばし、格好のついている時紅の姿勢を破壊した。正対して着地するが早いか、逃げから一転して踏み込み、何が何でも一手先んじる。この闘いで呼真が一番恐れているのは、時紅が青風の武術を剣術へ適応させる手立てを見つけてしまうことだ。剣に操られている内に鎧袖一触の一手を手繰り寄せねば、勝機は永遠にやってこない。 行く。
剣に固執していたのはお互い様だったが、それでも呼真が自ら陰剣を手放すのは予想外だった。右腕を開いた隙だらけの格好へ電撃が蝕み、時紅はあっけなく姿勢を崩した。陽剣を支えとし、次に目を向けた時には既に呼真が接近し、逃げが間に合わない。 応じる他はないが、やむを得ないという気持ちもない。 初めから命のやり取りだった闘いに、今更躊躇する必要はない。 緩んでいた柄を本気で握り直す。左の肩口に剣を預ける。生きるも死ぬも八卦の担ぎ技。 それ以上は進ませない。むしろこっちから行く。呼真の出足に自分の前進をかち合せる。呼真の侵攻速度に頼って迎え撃つよりも、自分の足一つで入ったほうがずっと意念に沿った斬撃となるはずと信じた。呼真の五歩より、自分の一歩が要る。行く、行け、 届け、 道半ばの見習いである。 青風が語ってきた兵法を、公には駆月(くげつ)流と称する。神髄は、「敵へ力を打つ」ことではなく「敵の力を抜く」ことにある。 しかし、その真意を明確な言葉で説かれることはとうとうなかった。ただ相手を打ち負かせればいいと思い、我武者羅に型を通していた時紅と呼真は案の定本質に気付かず、また辿り着けていなかったりする。つまり、拳と脚と剣、それらを操る力の巡りのどこかに未だ嘘が眠っている。「ここをこう叩けば相手はなし崩しとなる」と、なんとなしに感じているだけにとどまっていた。 拳と剣の食い違い。抜くべき本質と打ち込む意念の食い違い。内三合と外三合の食い違い。生きたいと欲しいの食い違い。あらゆる背反が波濤となって一挙に押し寄せ、内に宿る力が暴発した。時紅は突如として己が信ずる武の「道筋」を立てられなくなり、足の軸芯が折れる。転倒にも近い、深すぎる踏み込みと斬り下ろし。手元が発狂し、ただでさえ不明瞭だった太刀筋の「色」が完全に失われる。時紅の癖を材料としていた呼真も思い掛けず、戦意を感じさせない刃の軌道に一瞬の戸惑いを見せる。回避の判断が追いついていない。
斬り下ろしてくることは百も承知だったが、その一合の合間にて、突如として時紅の太刀筋が狂ったのを見た。頭をかち割られる前に何としてでも腹へ飛び込み、自分の脳天を回してダ法を仕掛けてやろうと思ったのに、不意に駆け足が緩んでしまった。放った時紅すら予期せぬ刃の変化を、呼真がどう応じるも出来るはずがなかった。原始的な恐怖が、とにかく避けろと言っていた。 命には届かなかった。 呼真の鼻背に、事故とも偶然ともまた違う横一文字が斬り込まれた。おびただしい鮮血が扇面のように迸り、己の赤に興奮した呼真の口先から咆哮が溢れ出た。自身を鼓舞した呼真は迅雷に溶けて姿を消し、天地がまたしても逆転。地から空へ落ちる稲妻へ化け、なおも宙を舞っていた自分の剣を追った。剣が持ち主と再び一体となった瞬間から万斛(ばんこく)の雷電が拡散され、それぞれが術者の意思を持ってうねる龍となる。雨が降るにも等しい無尽さで時紅の四方八方へ穿たれ、そこから一歩も動くことを許さない。
呼真の陰剣は、空中から時紅を狙った。 時紅の陽剣は、地上から呼真を定めた。 星を割る下りの一閃と、月を砕く上りの一閃。 横と縦が交わり、もはや何が起きてもおかしくない不吉の十文字。 そして、
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「おいどうした、時紅」 「いや――」 こころの古傷が痛む。青風が消えたあの日、己が刻みつけた呼真の鼻背の傷を、何故か今は正視出来ない。 呼真とはまた違った意味で物怖じしない時紅が、この時ばかりは曖昧に言葉を濁した。目を逸らして隠す表情を察したのか、呼真は正面を向き直す。 「思い出に耽んのは後にしろ。下ばっか見てるとその赤い目を落としちまうぞ」 流有州の熱気はとうに下界。何万回と踏まれて均されていた地面も放縁するとやがては泥田のように柔らかい黒土なり、そこに傾斜が加わるとなると二匹でも重い道のりだ。低く疎らな下生えを足でかき分け、一応奉っているつもりの祠を横切り、獣道を進む。 次の言葉でも探しているのか、先を歩いていた呼真は一度立ち止まる。結局やめたようで、泥で汚れていない足の部分で鼻をこすり、おがあと伸びを一つ。 家鳴りと同じくらいの派手さで背骨が鳴り、ついでに腰ががくんと痙攣した。ルカリオである自分にはわからないが、どうやらまずい部分を痛めたらしい。鞘がかすかに震え、呼真が低く唸っている。 時紅の一笑、 「老いたな、呼真」 呼真の舌打ち、 「お前と同い年だよ」 どうだろう。己の正確な齢すらも知らないくせに、青風と出会ってからどれほど経ったのかははっきりと憶えている。茫漠と過ごしてきた幼少の頃などは死も同然。青風と出会ってからが二匹のまことの生誕とも言えた。十年前、両者を立ち止まらせていた武術の決定的な矛盾も、日を重ねることで解消され始めた。手探りながらも本質を悟った今現在では、意念との同時性をかなり保っている。 整備の行き届いていない――してもしなくても一緒なのかもしれない――道中では、藪を囲いとする霊園が時々左へ右へ切り開かれており、大小様々な墓石が不均衡に並べられてあった。どれもが雨風を受けて風化し、彫られた名も怪しげな段階にまで入っている。何故そこまでわかるのかと言うと、次の霊園へ行く着くたびに一つ一つを観察しているからだ。山頂が目的地だと、明確な意思を抱いていたわけではない。早く見つけたいが、見つけたくない。相反するもどかしい気持ちで成り立つ内心は次第に動悸を高鳴りさせ、二匹を苛立たせていた。 が、先程までの余勢もどこへやら、体は正直なもので、呼真は四つ目の霊園にて砂利にどっかりと尻を落とし、天を仰いでため息。 「畜生、いい加減疲れた。ちょっと休もうぜ」 否定するつもりではないが、賛同の材料もまた不十分だった。時紅は無言で剣を整え、深緑の岩苔にゆっくりと腰を下ろし、同じく天を仰ごうとして両手を後ろへ つっ。 白い痛みと赤い滴りが右手の先にあった。 起き上がり小法師の挙動で時紅が突として立ち上がる。今しがた尻を預けていた岩苔を睨み、苔はともかく、岩ではないと直感が大声で叫んだ。岩にしてはやけに歪だと、後付けながらも思った。 血相を変え、手の血を撥ね散らして苔と闘う時紅の異常さから、呼真も瞬時に勘付いた。 手相は鏃(やじり)、狙うは目前。二匹は揃って緑色の埃を発散し、瞬きすらも惜しみ、一途に苔を払う。 その向こうから、陶器のような芥子色の曲面と、円錐状の角が現れた。 もう見間違えようがなかった。 まともな鏡は愚か、顔が映るほどの水も硝子も数えるほどしか見たことのない半生を過ごしてきた。だからこそか、青風が兜としていた貝の色合いを、角の微妙な曲がり具合を、時紅と呼真は自分の顔よりも知っていた。自分たちが旅を始めるずっと昔から、そこで朽ち果てているようだった。辺りに散らばる白くて小汚い欠片は、まさか白骨のつもりか。 誰が葬ってくれたのかという、墓を探す上でのささやかな疑問。それが一瞬で解決された。 引き攣れたような獰猛な笑い声が、呼真の喉から漏れた。前足で小突く。 「おーおー、やっぱここでおっ死んじまったのかこんくそじじいめ。おら、あの世から見てんだろ。俺ぁとうとうてめえに追いついたんだ。剣もこの通り、ちゃあんと持ち歩いてんだぜ? 使いこなしてんだぜ? どうだ悔しいだろ? あ?」 「師範は――」 苔の少し残った兜を視線でとらえたまま、時紅は片膝をつく。 「あの娘が言っていた動乱の生き残り、だったのであろうか」 「知るか。知ったところで時紅、お前はどうすんだよ?」 時紅は黙して話さない。 「戦友たちに先に死なれて、自分はおめおめ生き残ってしまった。けど、老い先短いからやっぱり世を儚んで自分から死にに逝きますってか?」 どんな動乱があったか、孤児で流れ者である二匹には知る術がない。戦に蹂躙され、肉を斬り、骨を断ち、血を浴び、身を焦がした碌でもない光景というものを、青風はかつて味わってきたというのか。数日に一度、闇夜に紛れて暗い表情を落としていたのは、こころの影の現れだったというのか。 「だとしたらなおのこと許さねえぞ。俺たちはあんたに命を救われたんだ。あんたが俺たちの全てなんだ。あんたの進む道が、俺たちの進む道だったんだ」 二度目の小突き。 「なあくそじじいよお。死ぬなら適当な所で勝手に死んでりゃいいだろうが。妙な部分で見栄張ってんじゃねえよ。どこでくたばろうが、あの世で戦友に会えるって保証はねえだろ。何かっこつけて、死に場所を目指す旅なんか始めちまったんだよ。なんで、なんであのとき、俺たちを助けてくれたんだよ。置いてけぼりにされた苦しみを、俺たちにも同じように与えんじゃねえよ。誰かの命を救った奴が、てめえの命を粗末にしてんじゃねえよ」 呼真の口から、堰を切ったように罵詈雑言がこぼれてくる。自分で自分の言葉に興奮していく様を窘める権利は、時紅には無かった。 「呼真」 「んだよ」 舌と感情を繋げられる呼真が、死ぬほど羨ましかった。これ以上一緒にいると自分も気持ちを抑えきれず、体がばらばらになりそうだった。時紅は腰を落とし、砂利を擦って胡座をかく。呼真を見つめ、お互いの矜持を同時に守れる言葉を探す。 「私はここで夜を明かす。お前は離れろ。私に泣き顔を見られるのは癪だろう」 ちっ、 「お前にじゃねえ。そこのくそじじいに見られたかねえんだよ」 「――そうか」 「特別にだ、その場は譲ってやるよ」 呼真は踵を返し、木霊に誘われるような足取りで藪の向こうへと進む。 立ち止まる。嘘のように大きな月を仰ぎ、薄い暗雲を見つめて呟く。 「お前はそこで泣いてろ」 「そうさせてもらう」 次の言葉でも探しているのか、呼真は苔で汚れていない足の部分で鼻をこすり、 「時紅」 「なんだ」 最後にもう一言。 「――あんがとよ」 「――どういたしまして」
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水の流れる場所がやがて一連の河川となる。
声を押し殺すのに必死だった。慟哭を、呼真に聞かれたくなかった。 時紅は胡座を崩さないまま、腰に差していた師範の陽剣を抜く。麻布を解き、両逆手に持ち替え、地に突き刺す。それを上体の支えとし、両腕の間で顔を伏せた。小刻みの揺れを抑えようと、力を込めれば込めるほど体の震えはいや増し、赤い双眸から滴る生温い雫が視界を曖昧に滲ませる。垂泣の間に吐かれる息は白く漂い、風に吹かれて夜空に舞い上がり、霧散していく。
声を押し殺すのに必死だった。慟哭を、時紅に聞かれたくなかった。 呼真は金具を外して鞘を落とし、師匠の陰剣を抜く。後ろ足を伸ばして地に伏せ、もたれかかる形で抱きしめる。あまりの鋭さにそれだけで肉に刃が埋まり、生血が溢れてきたが関係無かった。この剣に関わる思い出の全てが愛おしかった。青い双眸から込み上げる生温い露が視界の色素を溶かし、綯い交ぜにする。歪んだ口角から剥かれる牙は、月光で白く照らされている。
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――呼真、まずいよ。スピアーたちが近くにいるよ。 ――大丈夫だって。さっと行って、さっと取ってくるだけだよ。僕、足には少し自信あるから。時紅もあれが食べたいんだろ? ――う、うん。 ――じゃあ決まり。ちょっと待ってて。 ――あ、い、いや、僕も行くよっ。ねえ呼真っ。 ――わ、ばか! 大きい音出すなよ! あっ、
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「時紅、起きてるか」 「ああ」 呼真は藪から無遠慮に体を突き出す。時紅の腰にあったはずの陽剣が、兜の前に刺さっていた。時紅なりの弔いのつもりらしい。ガラでもねえことを、と呼真の胸の裏側が少しだけくすぐったくなり、同時に嫉妬した。 「その様子じゃあ、俺と同じで泣き明かしか」 間合いを必要以上に保ったままだった。それより歩み寄ることを、呼真はしない。 「俺、一晩かけて考えたよ。いや、師匠の行方を追うと決めた時からの十年間、ずっと考え続けてた。いつか必ず訪れる瞬間だとは覚悟してたんだがよ、更に先を想像出来なくてな。今日まで先延ばしにしちまった。だけど、お前と旅をし続けて出した結論は、これ以外にありえねえんだわ」 呼真が鬣の裏へ手を探らせ、金具に添える。 薄々気付き始めただろうと呼真は時紅に対して思ったし、自分が気付き始めたことに気付きつつあるなと時紅も呼真に対して思った。 「なあ、時紅」 「なんだ」 かちり、と小さな金属音が、両者の間で鳴った。 通常ならば、呼真の鞘は重に従って滑り落ちるはずだった。 しかし雷声。解かれたと同時に鞘は電の力で質量を翻され、空中へ弾け飛んだ。電流の残る木製のそれが内側から破裂し、それでも無傷の陰剣がその身を現す。宙を縦に舞い、致命の勢いで呼真の額へ落下する。 呼真は一歩として動かず、軽く頭を振るう。陰剣の柄が顎で横ざまに受け止められた。片刃は昨夜誰かが流した血で黒く染まっていた。 水平に構え、歯の隙間から言う。
「やっぱそっちの剣も俺に寄越せ」 呼真は本気だった。
時紅は、視界の外で何が起きていようとも大山の如く動じず、青風の兜を見つめていた。なおもそこから視線を一寸と動かさず、目前の陽剣を順手で握る。月日が巡るような弧を上空に描き、右に開く。切っ先の延長は、確かに呼真の眉間を狙い定めていた。
「断る。『これ』は私のであり、『それ』も今から頂く」 時紅は本気だった。
その返答をどこかで期待していたらしい。得たりと呼真は一度だけ笑ってみせた。 「決まりだな。師匠が消えたあの日の決闘、ここでケリをつけようじゃねえか」 「上等よ」 行きたい所は全て行った。 見たいものも全て見た。 聞きたい話は全て聞いた。 認めたくない事も全て認めた。 「俺たちの道は、どこまで行っても一本しかなかったんだな」 「左様。手を取り合って進むには、いささか狭すぎたようだ」 残るは、なりたい姿になるだけだった。 青風が昔語るに、南の国には十を凶数とする慣わしがあるらしい。 道を違えた者同士がいずれ衝突し、その後も和解することなくそれぞれの方へ進んでしまうこの数字を忌まわしきものとしていた。十一でも足りず、それでは「干」と「土」、すなわち「干からびる」か「土を這う」かにとどまってしまう。どう直しても「正しく」はなれない。今でこそ当たり前の月と時を十二で区分し、「王」の根底としたのも、そこからの名残なのだ、と。 お互いに過ごした十年という数字の、厄を祓いたい。 あの日、お互いで象った十文字に、二画を加えたい。 一つでは足りない。 二つの剣が必要だ。 相手の剣が必要だ。 戦意と殺意が風に絡め取られる。両者の間を中心として大きな渦となる。時紅は波導を、呼真は電圧を剣に注ぐ。陽剣は波導を取り込んで超振動し、周囲の空気が次第に高熱を帯びる。陰剣は電圧を取り込んで白刃となり、そばを過ぎった木の葉が一瞬で砕け散る。 性格同様に不器用な口使いで、呼真が先に告げる。 「大好きだぜ、兄弟」 ああ、と時紅も少年のように笑う。 「私もだよ」 顔こそ老けているものの、その仕草にはかつての面影と幼さが確かに残っていた。 記憶が飛躍し、あの日が蘇る。 異なるのは、そばで師が見守ってくれているという点だった。 生きても死んでもよかった。 死して相手に己が形見を奪われるのだとしても、全幅の信頼を置いているそいつに後を託せるのであれば本望だった。骸と成り果てても、そばに青風がいてくれるのならば何も恥じることはない。霊園が戦場になるなど、何の後ろめたさにもならない。 否応なく軍場(いくさば)に駆られ、自分に嘘を語らず全力を尽くし、それでも負けたのだから死ぬしかない。そういう覚悟を持たざるをえない世の中が、昔には確かにあったのだろう。死期迫る最期の最期で、青風が自分の命を軽々しく扱えたのも、そういう理由だったのかもしれない。 駆月流、第二路。未完成ながらも独自に昇華されあった兵法が静かに展開される。それぞれ足の裏を平らげ、右へ動く。螺旋をゆっくり形成しあいながら、音を殺して擦り寄る。一足一刀の間合いに詰め寄った瞬間から、お互いの体がその場から消え去る。 千に変わり万と化す一合に、今度も己の全存在を注ぎ込む。
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ええい、猪口才な。 もうよさんか。 そんなにわしの剣と髭が珍しいか。これ、無闇に触るでない。しまいには望み通り、剣で斬り捌いて腸(わた)まで食っちまうぞこの餓鬼どもが。 ぬしら、見たところ孤児のようだが、助けたのは単なる気まぐれに過ぎんわ。わしは北を目指して歩いていただけだ。ついてこようが、何の得もありゃあせんぞ。命からがら手に入れたその木の実で、今日の餓えと渇きをせいぜい凌いどくのだな。明日がどうなってもわしは金輪際知らん。 はっ、馬鹿をぬかすな。 わしのやっとうを間近で見たのであろう? それで骨身に染みたはずだ。わしが本気を出せば、この肌に触れてきたその細い腕の重を、そのまま倍以上にして叩き返すことも容易いのだ。もしもわしの不意を突いてこの剣を奪おうとしてみろ。わしの体から漲る張力が剣を伝い、その手足の肉を無残に弾き飛ばすぞ。 ぬう。 弱ったな、このわしもとうとう焼きが回ったか。 昔は威圧しただけでその辺の雑魚を一蹴したものだがな。今ではぬしらのような幼子も追い返せんとはのう。 わかったわかった。もう一度見せてやる。今から抜いてここに突き刺す。しかしだ、それを見るだけにとどめよ。努々(ゆめゆめ)触るでないぞ。そこに映る自分の顔を見て満足したら、とっとと自分のねぐらへ戻れ。良いな? ああ、これ。 ほれ見い、言わんことではないか。 やれやれ、話の聞かぬやつらだ。そんなに派手にすっ転べて満足したか? 柄を持つわしの力が、剣を通じてぬしらに流れたのだ。はよう起き上がれ。ああ、血だ? 生きてるだけでも感謝せんか。わしは確かに歳をくった老いぼれだが、気はまだ確かだし、嘘を言った憶えはないぞ。触るなと再三告げたはずよ。 くどいぞ。わしは北へ行くのだ。そこにな、かつてを共にした戦友たちがわしを待っておる。久々に顔を合わせ、昔話と洒落込もうかと思うているのだ。郷土の飯のこと、練兵に明け暮れた日々のこと、初めて契った女のこと。陽を三巡させても話題に尽きんこと請け合いよ。だからわしは急いでいるのだ。ぬしらにくれてやる時間なぞ一刻もありゃせんわ。 何だと? ふん、痴れ者め。 いくら生きる目的もないその日暮らしだからと言うてもな、老骨の長旅に付きおうたところで、碌な目に遭いはせんぞ。わしは道半ばでくたばる気はないし、ぬしらにこの双剣をくれてやる道理もない。 ああ、勝手にせい。せいぜい足掻いて、わしの道を遮ってみろ。柄を握らせてみよ。間もない命を短いままで終わらせたくば、そうするが良い。ぬしらが力尽きても、わしは決して振り返らんからな。 己の身は、己で守れ。 強くなりたくば、死に物狂いで精進しろ。 欲しいものは、自力で手に入れろ。 それでも、来るというのか。 ――そうか。 つくづくかける言葉もないわい。 ん、 ああ、わしか。 先祖より授かった本名はとっくの昔、ここより南西の国の山で坊主に葬ってもろうた。名もない放縁の集落に生まれてからの半生、方々の国をいくつも流れ、様々な字名をまじなってもらって生きてきたよ。ここ数年では、青風と名乗っている。 どれ、ぬしらは見たところ、幼名を受けたまま今日日生きてきた口であろう。 いい加減、ぬしらでは不都合だろう。名乗るが良い。 時紅。 呼真。 そうか。わしと同じ、頭と尻尾を「天」と「地」でくくっただけの旧式の算命術じゃな。ならば話は早い。略式だがまじなってやろう。戦に明け暮れた恥多き生涯、多くの生と死に立ち会ってものだが、誰かの幼名に咒文を唱え、天地を祓ったのは久しい。 ああ、しかし参った。 あいにく墨が無い。 止むを得ん、わしの血で代用する。手首のでいいだろう。剣を抜く。 ――。 ほれ、そわそわするでない。乾かぬうちに塗ってやるから、おとなしく額を寄越せ。 よし、これでどうだ。 何じゃ。 わしのまじないがそんなに嬉しいのか。 あ? 抜刀の方だと? まったく―― 妙な奴らに好かれてしもうたのう。 こんな所をあやつらに見られたら、あの世でどう弁明すればいいものか。 ぬ。 何でもないわ。
さて、思わぬ道草を食うてしもうた。 ゆくぞ。
※注釈 「ヒョウ師」……http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A7%E3%82%A6%E5%B1%80 「ダ法」……http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/cj/24760/m0u/ の(3)
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√10(テーマA「10」) ( No.2 ) |
- 日時: 2015/01/08 20:55
- 名前: オンドゥル大使
「さいしょからはじめる」
臥せっている女の横顔を見ていた。 自分はどうやら女の夫らしい。色白の顔に黒曜石の瞳を持つ女は掠れ声で呟く。もう死にます、と。私はうぅむ、と呻ってから女の相貌を改めて眺める。よくよく目を凝らせば、艶めいた唇はぷっくりとしており、瞳の奥は透き通っている。目の奥に自分の姿が映っていた。自分は白い着物を身に纏っている。驚くほどの痩せぎすでこけた頬は自分のほうが死ぬのではないか、と思わせられた。 本当に死ぬのか、と私は尋ねる。死にますとも、と女は嬉しそうに答えた。はて、このような声が死に際に出せるのだろうか。私は胡乱そうな瞳を向ける。女は私を通り越して庭に視線を投げた。 あの庭の、と目線の先には笹があり、短冊がかけられている。 庭の笹が枯れる頃には、もう死にます、と女は言い直した。やはり死なないのではないか、と私は笑ったが女は真剣な口調である。どうやら笹は今にも枯れるらしい、と私はそこで理解した。 どうしてもか、と再三尋ねる。どうやら私は女が死ぬ事に全く現実味がないのに悲しい、という機能は働いている様子だ。勝手な私の口調に女は、死にます、ともう一度、喉を震わせた。まだ声が出せるではないか、と私は笑い話にしようとしたが女は私の名を呼んだ。恋しいように、私を呼んだ。 「ハルオ」 私の名前らしい。どうやら最後の最後に言っておきたい事があるようだ。私もここまで来ると真剣になって女の名を呼んだ。 「テトラ」 私は女の名を知っていたのか、とその段になって初めて気づく。テトラはこう述べた。 あの赤い日の光が落ちて、また昇ってまた落ちます。その間、千年の間にあなたと私はまた出会うでしょう。 おかしな事を言う、と私は感じた。千年の間、とは。 待てますか、と女は赤子をあやすような声で言う。私はうぅむと呻ってから約束した。 すると女の顔から血色が消え、瞳に映った私の象が急にぼやけたと思うと女は目を閉じていた。長い睫毛が印象的だった。私は女の骸を庭に埋めた。墓石の一つも立てられないらしく、私は木の棒に自分の指先を切ってテトラ、と血で書きつけた。 笹がそのような速さで枯れるものか、と訝しげな視線を向けると笹は瞬く間に枯れてしまった。青々としていたその身は見る影もない。老婆のようにしおれた笹の葉の先に短冊が吊るされている。私はその短冊の一つを手に取った。 千年の間に十の転生をしましょう、と私とテトラの連名で書かれていた。馬鹿な、と私は短冊を笹から外すと日が落ちてまた昇ってきた。日は赤いまま落ちて赤いまま昇ってくる。その速さが分からない。光の帯の連なりが網膜の裏に宿る。私がじっと眺めていると空から何かが降りてきた。目を凝らすと白い身体をした天使である。黄色い頭部に短冊が吊り下げていた。私はその天使が千年に一度、現れるという話を思い出した。 そこで私は、もう千年経ってしまったのか、と実感した。
自分はどうやらイッシュの出らしい、という事が分かった。成人の儀を終え、私は家族の待つテントへと戻る。すると妻が既に夕食の準備を終えていた。 「テトラ」という名前らしい。私は彼女と夕食を共にした。どうやら族長が死ぬらしい、と私は伝え聞いた話をする。 じゃあ、あなたが次の族長になればいいのよ。テトラはいい加減な事を言う。私には族長になる気など全くない。だがどうやら一族は私を族長にしたいらしかった。どうするべきか、と首をひねっていると一族の一人がやってきて私に言った。 逃げれば、族長にならずに済むぞ、と。ならば逃げよう、と私はその友人の声に従った。私は友人と共に魔獣に跨って逃げる事にしたがその途中で突然に空が赤く染まった。はて、とそれを眺めていると地上が炎に包まれた。瞬いた黒い光と、白光に私は目を眩ませる。どうやら乗っていた魔獣は視力を失ったらしい。空中に投げ出された私と友人はしこたま地面に身体を打ちつけた。どうやら友人は打ち所が悪かったせいで死んでしまったようだ。 私は故郷が焼かれていくのを目にしながら佇んでいた。何も出来ないまま世界は一度滅んだ。こんな事ならば族長になるのを拒むのではなかった、と後悔の念が押し寄せてきたがそれさえも包むように炎が私を焼いた。千の刃で貫かれるよりも激しい痛みに意識が消失した。
よぉ、こっちに来いよ。 囃し立てる声に私は振り向く。公園で顔のない子供達が――とは言っても私も同年齢なのだが――めいめいにゲームをしている。私は歩み寄って尋ねた。 はて、それは何かね。 何を言うんだ、これはポケモンだろう。 そうであった。学校ではポケモンというゲームが流行っており、私もご多聞に漏れずゲーム機とソフトを揃えていた。 家に帰って取って来いよ、という声に私は従う。道中、同じクラスの女子とすれ違った。 「テトラ」と名を呼ぶと彼女は片手にゲーム機を持っている。どうやらあの一同に加わる気らしい。 男に混ざって馬鹿にされるぞ、と私は忠告したがテトラは構わず行ってしまった。私は家に帰るなりただいまも言わずにゲーム機を持って飛び出した。公園では既にテトラが加わって対戦が行われており白熱していた。私はその段になって周囲を見渡す。家々が並んでいるわけでもなく、ぽつんと公園があり、半球型の遊具の上で子供達が遊んでいる。 まるで世界から取り残されたようだな、と私は感じた。 子供達の輪に加わって私はポケモンをプレイする。フシギダネ、というポケモンで私は勝ち進んだ。 ハルオのフシギダネすごいな、と賞賛を受ける。 そうか、私はハルオと言うのか。 私はその実感を手にしながら公園で遊びふける。どうしてだか日は中天に昇ったまま、全く動かなかった。永遠の遊びの時間が続く。私はどうしてだかそわそわした。 帰らなくっていいのだろうか、と尋ねると顔のない子供の一人が難しい声を出した。 何を言うんだ。ここは帰らなくっていい場所だろう。 そうであった。帰らなくってもいいのだ。だが私だけだろうか、帰らなければならない気がした。今にも喉を突き破って出そうな叫びが胸の中にあった。帰らなければ。この遊びに興じていてはいけない。 するとテトラが私の手を取った。 帰ろう、と言うので私は従った。公園を出て振り返ると顔のない子供達の姿はなく、そこにいたのは悪鬼羅刹の類だった。 この子供達に混ざっていたら自分は死んでいただろう。遊びふける事は、「遊び」「老ける」事でもある。私は悠久の時間を無駄にするところだった。
自分はいつか消えるのだ、という衝動が先にある。 どうしてだろうか。私と共にいる数十人は消えるためにこの世に存在するのだ、という答えを持っていた。だが誰も怖がる事もない。むしろ、それが当たり前のように回転する。 回る、回る、人間の壁。 踊る、踊る、人間の心。 ある日トレーナーがやってきて、どうしてここにいるんだい、と尋ねた。新米の少女トレーナーであった。 意味なく踊る俺達、意味なくいつか消えるブー。 私はその言葉しか知らなかった。すると少女は目を伏せて、寂しいね、と口にした。 寂しいのだろうか。私は初めて自分の生に疑問を持った。私は訊く。本来、私はこの世界においてエキストラであり、三文役者であり、与えられた言葉以外を喋る事が許されていないのだが口にしていた。 君の名前は。 私はテトラ。
人間を焼こう、と仲間が言い出した。 マグマ団、という団体に所属していると炎タイプのポケモンに愛着が湧くようになる。そのため、そういう衝動があるのだろうか、と私は理解を示そうとしたがやはり抵抗があった。 人間を焼いていいのだろうか。 何を言っているのだ。いいに決まっているだろう。 私がおかしいのか、仲間がおかしいのか、判じる術を持たない。私は、では少し待て、と総帥のマツブサに指示を仰いだ。だがマツブサは難しい顔をするばかりで何も言わなかった。 ははあ、なるほど、総帥は我々には関心はないのだな、と実感した時、私は焼いてしまってもいいのではないのだろうか、と感じた。 仲間に総帥からの許しが出た、と嘘をついた。すると仲間は嬉々として外に出て目についた女性を焼いた。咎められるだろうな、と私は他人事のように感じていた。するとからんと女の名札が落ちてきた。プラスチックの端が焼けているが名前は読み取れる。 テトラ、と。
何もなかった。 自分以外、宇宙すらも創造されていないまっさらな状態である。はて、どうするべきかと私は創造神のように迷った。この宇宙をどうデザインするのが正しいのだろう。意見を仰ぎたかったが、自分以外にいないので困り果てた。仕方がないので私は手持ちの道具で一つのタマゴを創り上げた。私が創ったタマゴから宇宙の大元となるポケモン、アルセウスが誕生する予感がした。よし、この宇宙は大丈夫だ、と感じたがやはり産みの親の情か、宇宙の誕生を見届けたかった。 しかし、何百年と待ったが宇宙は、タマゴは全く孵化する様子がない。これでは時間の無駄だ、と私はタマゴをこつんと叩いたが中でこぉーんという空洞の音がした。まさか、と私はタマゴを割ろうとするがタマゴは外的要因では割れない仕組みに創ったのは私だ。これは困ったな、と私は頬杖をついて孵化を待つしかないと判断する。 しかし待てども待てども、タマゴに変化はない。これはどうした事だろう、と私は相談役を創る事にした。私に性別はなかったが何となく女性がいいだろう、と私は人間をデザインする。宇宙の想像に比べれば個人の創造は容易い。本音を言えば宇宙が生まれ、知的生命体が自然発生するのが好ましかったがこの際順番の前後は仕方がなかった。 生み出した女性は私の知識を詰め込んだ。もちろん、私の知り得る全てを注げば人間の脳細胞では耐え切れないのでちょっとずつである。 やがて目をパチリと開けた女に私は尋ねた。 このタマゴにはアルセウスが入っているはずなのだがどうしてだが宇宙は創造されない。何故だろう、と。 女は顎をさすって呻った後に答えた。 ハルオ様、これはダメタマゴです。 ダメタマゴ、という単語を知らなかったので私は質問する。 ダメタマゴとは。 中に入っているポケモンは中で死んでいます。もうこの宇宙は創造されません。 私はがっくり肩を落とした。まさか宇宙創造の核になるポケモンがダメタマゴだったとは。私は仕方がない、と逆に考えた。この女を中核として自然発生ではないものの知的生命体の発進点としよう。私は女の名前を決めた。 お前はテトラだ、と。 テトラは微笑んで、仰せのままにと一つの生命体の発生源となった。全ての生命体がこのテトラの遺伝子をベースに造られているのだ。私は順番の前後には不満があったが結果的に全ての生命の母を創り出せた事に満足した。 その間に千年経っていたので私は休む事にした。恐らく何億年も、眠りにつくだろう。 神が不在の世界はたった一人の女神の系譜としてそのまま継続した。
円筒状のガラスの向こうで泡沫が上がった。 培養液で満たされたガラスの中で一体のポケモンが胎児のように身体を丸めている。最強の遺伝子ポケモン、ミュウツー。私はようやく造り上げたのだ。人類の禁忌、まだ誰も成し得ていない人造のポケモンの成功。私の事を学会は褒めちぎる事だろう。私の成功譚は既に確約されていた。だが、私にはやるべき事がある。それはミュウツーの製造さえも過程に過ぎないとして置いている私的な計画であった。 私は研究員の不在の間、こそこそと組んでいたプログラムをミュウツーの管理プロセスへと走らせた。ミュウツーがどのような性格になるのかを決める重要な部分である。私は自分で造った人格形成プログラムをミュウツーに移植した。 実を言うと私は疲れ果てていたのだ。最愛の娘を事故でなくし、その最期の言葉を聞きたい、その一心でミュウツー製造計画に乗った。娘は何を言うのだろう。何を自分に聞かせてくれるのだろう。私はうずうずしたがミュウツーに娘の人格が完全に移植されるまで半日あった。私は椅子に座り込んで回顧する。 娘――テトラは私の生きがいである。テトラのいない人生は考えられないし、テトラこそが全ての救済を与えてくれるのだと思っていた。妻とも別れ、私は研究に心血を注いだ。全ての赦しを、テトラの一言にだけ感じているのだ。再生された娘が何を言うのか、それだけのために私は道を踏み外し、人間をやめた。 倫理観や道徳など私と娘の間に横たわる邪魔な感情だ。捨て去ってしまうのがいい。娘に会うには、私自身鬼でも悪魔にでもなる覚悟が必要だった。 半日過ぎていたらしい。カプセルから泡沫が激しく上がり、ミュウツーが培養液の中で目を覚ました。 私は立ち上がってガラスの筒に手をついて声を張り上げる。 テトラ! 私の声にミュウツーの姿の愛娘は答えた。 お父さん。 やはりテトラは再生されたのだ。私は近くにあった鉄材でガラスを叩き割ろうとした。その先を聞きたかった。その先に、娘は何を言いたいのか。テトラの言葉さえあれば、それは天啓にも等しい。 ガラスに皹が入り、培養液が流れ出した。足元を流れるぬるい水の感触を感じながら、私はミュウツーに問うた。 しかし、ミュウツーは何も言わなかった。培養液が全て漏れてから私に気づいた研究員の一人が駆け込んでくる。私を押し退けてミュウツーの生死を判じた。 もう、死んでいる。 私はその時になって、自分の娘を今、自分の手で再び殺した事に気づいた。
旅の準備は万全だった。 モンスターボールは買い揃えたし、トレーナーカードも受け取った。新品のランニングシューズを履いて私は旅に出る。 ポケットモンスターの世界へ。 私は幼馴染に声をかけた。 うるさいなぁ、とテトラは私を疎む声を発したが本心では自分も旅に出たいのだろう。 爛々と輝いた陽射しを浴びて私達は旅に出た。私はジムリーダーを下し、次々とバッジを手に入れる。それに比してテトラはあまりやる気がなかった。自分はトレーナーには向いていない、と何度か愚痴をこぼされた。 私は全てのバッジを手に入れ、ポケモンリーグへの挑戦権を勝ち取った。挑戦前夜、私はテトラと話をした。今まで自分はこのために生きてきたのだ、という実感があった。チャンピオンを制し、この地方の王になる。私の夢物語にテトラはうんうんと相槌を打ってくれた。テトラは、と私は問いかける。旅をしてどうだったのだろう。 テトラは、目的がある、と告げた。 それはポケモンリーグよりも大事なのだろうか。尋ねるとテトラは遠くに視線を投げた。 ある一事のために自分はここにいるのだと。私は身を乗り出して尋ねていた。 一地方を制する以外にポケモントレーナーに生きる目的なんて! 私の言葉をテトラは微笑んで聞いていた。その様子があまりに不思議だったので私は問いを重ねた。 君は誰だ。 私はテトラ。 俺は誰だ。 あなたはハルオ。 君はどこにいるんだ。 ここに。 では俺は。 ここに、とテトラは腹をさすった。その時になって私の脳に電撃的な予感が突き立った。そうか、これは夢なのだ、と。母親の胎内にいるまだ人間にすらなっていない者の見る泡沫の夢。万事上手くいっていたのはそのせいなのだ。 急に世界が暗くなって私の耳には規則的なリズムの鼓動だけが感じられるようになる。 母親の鼓動、夢の終わり。 私は、まだこの世界に生まれてすらいなかった。
私はトキワシティに住んでいた。郊外のトキワの森は危険地帯なので立ち入ってはいけないのだ、とよく聞かされていたがレベルの低いポケモンの群生地帯は私の娘にとって最大の遊び場だ。娘は一体のバタフリーを指差した。 私は聞く。バタフリーと遊びたいのかい。 うん、と娘は答える。今年五歳になる娘のテトラは自慢の娘だ。数々の才能を持ち、私に出来なかった夢を全て叶えてくれそうなほどにエネルギーに溢れている。 どうやって遊ぶ。私の問いにテトラは無邪気な笑みを浮かべた。 むしって遊ぶ。 おぞましい答えだったが、テトラはまだ五歳だ。バタフリーをむしる事など出来るわけがない。私は娘の残虐性を咎めずに軽くたしなめる。 テトラ、ポケモンにも命があるんだよ。 そうだね、とその瞬間だけテトラは急に大人びて答えた。一瞬にしてテトラが成長してしまったような錯覚を覚えているとテトラはバタフリーへと誘われるようについていった。 このままついていけばトキワの森を出てしまう。それはいけない、と私はテトラに追いすがろうとするがテトラは木々を上手く避けて私の手を逃れた。テトラがバタフリーへと手を伸ばす。その瞬間、森が晴れていた。 私は遅れてテトラの姿を探す。 しかし、テトラはどこにもいなかった。はて、と怪訝そうにしているとバタフリーが宙を舞っている。むしられずに済んだのだな、と私はホッとして声をかけた。 そうだよ、とバタフリーがテトラの声で答えた。
【あなた】は一連の物語を読み、その読後感にふける前に立ち上がった。物語の創造主を【あなた】は殺す役目を帯びているのだ。この世に物語が氾濫しないように。並行する世界の枝葉を切るのが【あなた】の役目だ。 剪定者、と駄洒落じみた名称で呼ばれている。【あなた】は黒いロングコートを羽織って、鍔つきの旅人帽を目深に被る。【あなた】は物語の殺し屋だ。可能性の滅殺者だ。この世にあまねく物語を破壊するために、【あなた】は生み出された。 自分の名も知らず、【あなた】は音もなく部屋を出ると九つの物語をこの世に“創造”した人間をサーチし始めた。【あなた】の眼は特別製だ。物語の主を瞬く間に探す事が出来る。【あなた】の耳も特別製だ。僅かな衣擦れの音も聞き逃さない。この全てが管理される世界において、【あなた】の万能性を上回る存在は【あなた】と共に生まれた九人の存在しかいない。 【あなた】の耳はペンを走らせる音を聞きつける。【あなた】は瞬時にホテルを飛び出す。広めに取られた談話室の窓を蹴破り、【あなた】は眼下のタクシーの天井へと足をついた。まるで影のように素早く乗り込み、行き先の住所を【あなた】は事細かに運転手に告げる。運転手がハンドルを切って【あなた】を導く。 お客さん、変わった乗り方をするんですね、という運転手のジョークを聞き流し、【あなた】は行き先の住所からタクシーの通路が外れている事を感知する。 すかさず振り返った運転手の手に握られている拳銃を爪先で蹴り上げる。銃弾が天井にめり込むのと【あなた】が運転手を拳で昏倒させるのは同時だった。コントロールを失ったタクシーが回転し、電柱にぶつかってひしゃげる。【あなた】は問題なく抜け出してちょうど住所の邸宅へと入った。 ペンを走らせる音が聞こえてくる。どうやら【あなた】に感知されても物語の創造主は書くのをやめないらしい。ため息をついて仕事だと割り切り、【あなた】はドアを蹴る。 丸い部屋の中に外套を纏った女が一心にペンを走らせている。【あなた】の存在にも気づいた様子がない。【あなた】は冷徹に告げる。 検査局だ。物語創造の罪で執行する。 すると女はぴたりとペンを止め、【あなた】を見つめた。 失礼ながら、あなたのお名前は。 場違いな女の質問を【あなた】は無視して警告する。 三十秒以内にペンを捨て、物語創造をやめろ。でなければ命の補償はしない。 女はふっふっと笑って一枚のタロットをテーブルの上に差し出した。【あなた】はそれを眼にする。歯車が描かれたタロットだ。 運命を信じますか。 【あなた】は口角を吊り上げる。 生憎、無神論者だ。 ですが、私とあなたは以前に会っているかもしれない。 あり得ない。 ですが、この世に人間という生がある以上、あるいは魂の存在を信じる以上、その人格が渡り歩く世界を否定は出来ません。 主義者の妄言に付き合う主義はない。【あなた】は聞く耳を持たない。 ですが、あなたの耳は、あるいはあなたの眼は、人間のそれではないでしょう。それは人間とは別の種のものではないのですか。あるいは、それは私の描いた物語に登場する種族のものかも。 ポケモン、とか言ったか。 【あなた】は律儀にも女の創作物に触れていた。そうでなくては【あなた】の仕事は成り立たないからだ。創作物に触れ、それでも感情を全く揺さぶられない。それこそが【あなた】と、【あなた】と同時に生を受けた九人に共通する存在の特権である。 驚かないのですね。 あり得ない。 でも、私はこうして対峙している。物語の創造主として。 創造主の作り出す世界は可能性の世界だ。だが自分は可能性を潰す剪定者。可能性と、並行世界の存在を世の中に流布してはならない。それがこの世界の取り決めだ。 あなたは自分の名前すら知らない。 必要ないからだ。 ですが、私はあなたの名前を知っていると言えばどうです。 試すような物言いにも【あなた】は掻き乱されない。何故ならば【あなた】には感情が全くないからだ。怒りも、悲しみもない。戸惑いも、ましてや葛藤など。 千年前に私はあなたと会っています。 千年前。その言葉に【あなた】の、剪定者としての【あなた】の、無慈悲に命を奪うしかない【あなた】の眼の奥が僅かな反応起こした。【あなた】は頬を伝う何かの熱を感じ取る。【あなた】の今までの身体機能にはない異常であった。 これは。 涙です。あなたは感じる心がある。 【あなた】はもちろん信じない。涙など、感情に揺さぶられる人間に取り付けられた不要な身体機能であり剪定者には設定されていないはずだ。 女は立ち上がり、原稿用紙をそっと手に取った。【あなた】は女を殺す事も出来るがどうしてだか動けない。女は【あなた】に原稿用紙を差し出した。書かれていたのは精密な【あなた】の行動の描写だった。それどころか【あなた】がこれから何をするのか、どうするのかが描かれている。【あなた】は「戦慄」する。剪定者にない感情が震え、【あなた】は慄く。 千年前の契りを、私は覚えている。覚え続けている。 女はそっと外套を取った。その顔を見て【あなた】は揺さぶられる。 テトラ。 【あなた】は知らないはずの女の名前を紡ぐ。それは【あなた】が読んだ物語に登場する女の名前だ。どの次元にも存在し、どの次元でも重要な鍵となる女の名前だ。 千年間、待ってくれたのですね、ハルオ。 【あなた】が知らない情報を、誰一人として知らないはずの情報を、テトラは口にする。【あなた】は頬を伝う涙の熱に浮かされたように膝を折った。 その瞬間、【あなた】の同朋である九人の剪定者が出現した。 「物語創造の罪状と、心理的動揺を感知。二つの存在を抹殺する」 【あなた】はテトラに手を伸ばす。テトラの手が【あなた】の、白くしなやかな【あなた】の手に触れる前に、消滅した。跡形もなく、消滅した。九人の執行により、テトラはこの世にいたという証明を消し去られた。九人の同朋は【あなた】が壊れたのだと思っている。【あなた】に触れようとした同朋の一人の頭部を、【あなた】は執行した。 同朋の一人が倒れ、【あなた】は色めき立った同朋達を一人、また一人と執行していく。逃げられないのは分かっている。この世界から逃げられない事は。執行の手が【あなた】の右腕を吹き飛ばすが【あなた】は反応して打ち倒す。だがこの世界を保護する最強の九人から逃れられはしない。同朋によって【あなた】は足を破壊され、その場にうつ伏せで倒れる。九人の剪定者が――もう三人まで減っていたが――【あなた】に問う。 さいしょからはじめるか。 つづきからはじめるか。 最後通告だろう。【あなた】はもう抵抗の気力がない振りをして剪定者の声を聞く。剪定者は【あなた】を初期化するだろう。何も知らなかった剪定者に戻すだろう。【あなた】は選択を迫られている。 さいしょからはじめるか。 つづきからはじめるか。 【あなた】は女が落としていったペンを手に取り、原稿用紙に殴り書きした。剪定者の執行が【あなた】の存在を消し去る。【あなた】が選んだのは――。
ハッと目が覚めて私は庭先にいる自分を自覚した。 どうやら眠っていたらしい。今しがたテトラが死んだのに、呑気なものである。私は庭に埋めたテトラの墓を見下ろして、笹にかけられた短冊を手に取った。 「つづきからはじめる」とそこには書かれていた。 はて、どういう意味だろうか。私には見覚えがない。確か十回転生をするとテトラと書いたはずであるが。 まぁいいだろう、と私は感じた。時間はたっぷりある。まだ千年まで一日を刻み始めたばかりだ。きっとこの身が朽ちるまでも時間はあろう。 待とう。千年の、時のいや果てまで。
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イトコンミラクル (テーマB「糸」) ( No.3 ) |
- 日時: 2015/01/17 02:07
- 名前: 48095
- ……為、モンスターボールの回収をおこなっております。対象製品のシリアル番号は……
このごろ、自主回収のテレビコマーシャルを宝くじの結果発表のような心持で見ている。画面に出される数字の範囲は広すぎて、宝くじよりもアイスの当たり棒よりも、種無しのつもりで買ったきのみに種が入っていることよりも高い確率で当選している。自分のボールが回収対象のものだとわかると、嬉しい。 放送は二か月前からやっていた。具体的な部分は言わずに回収の旨だけを報告するというスタイルは今日まで変わっていないが、回収の理由は誰もが知っていた。問題のボールは、ポケモンでないものを捕まえることができてしまうのだった。 その事実はインターネットで広まった。初めの書き込みはこうだった。 ……ミラクル交換でイトコンが来たんだけど…… ミラクル交換というのは見知らぬ誰かとポケモンを交換するもので、自分の手元に届くまで何が送られてくるかわからない。その性質からミラクル交換で何々が来たという話は以前から掲示板など随所で盛り上がっていた。そんな中でのイトコン、糸こんにゃくが来たという画像つきの書き込みは、瞬く間に話題になった。口を開けたボールから無惨に飛び散る糸こんにゃくの写真が上がるのを、私はリアルタイムで見ていた。 モンスターボールで糸こんにゃくを捕まえることができる。知らない人に糸こんにゃくを送りつけることができる。面白がってみんながやるものだから糸同士で縺れはしないかと心配になるが、交換はするすると滞りなくおこなわれる。面白いように流れていく。 糸こんにゃくが世界を股にかける前から私はミラクル交換を利用していた。送られてくるポケモンが発する、会ったこともない人のにおいや遠く離れた場所の空気を感じるのが好きだった。しかし今では、まっとうなポケモンが送られてくるといっそはずれを引いた気分になる。相手の空気の読めなさに怒りすら覚える。それで私は、ミラクル交換で行き交う糸こんにゃくをなんとか増やすべく、日々奮闘しているのだった。
糸でないこんにゃくや、蕎麦や春雨などこんにゃくでないものではいけない。糸こんにゃくの形状、成分のそれぞれのバランスが、ある時期に製造されたボールにポケモンと誤認識させるのだと専門家が言っていた。選ばれし糸こんにゃく。糸こんにゃくだけが、モンスターボールに入ることを許された。 使えるボールが二十ほど溜まったのでスーパーへ糸こんにゃくを仕入れに行く。近所の公園で、持ってきたポケモンを逃がした。交換でやってきた、糸こんにゃくを捕まえられるボールに入っていたポケモンたちだ。糸こんにゃくを捕まえられるのにただのポケモンが収まっているなんてもったいない。ちなみにお呼びでないボールは中身ごと預かりシステムに預けっぱなしで、そろそろ容量が心配だ。 スーパーへ行く途中の道に、たばこ屋や駄菓子屋などを雑多に兼ねた老人の店があり、いつもそこでボールを調達している。フレンドリィショップではテレビで流れる番号のボールは買えないのだ。きまぐれに休むその店は閉まっていたので、そのまま通り過ぎた。 スーパーに着いてこんにゃくの売り場の前に立った私は、毎回そうしているように溜息を吐いた。糸こんにゃくが、あまり置かれていない。豆腐や練り物の間にそれらより狭くこんにゃくのスペースがあって、さらにその中でも糸こんにゃくとそうでないものというふうに商品が並んでいる。ミラクル交換で多く行き来しているのだから、もっとあってもいいものなのに。この店は儲ける気がないのか。売り場の糸こんにゃくをすべてカゴに入れ、ちょうど見かけた店員に糸こんにゃくを増やすように言ってから会計を済ました。
帰宅。さっそくミラクル交換の準備をする。 フローリングの上にビニールシートを敷く。ミラクル交換で送られてくると自動的に中のポケモンが出てくるので、袋のない糸こんにゃくだった場合には面倒なことになるのだ。 糸こんにゃくは、買ったままの袋詰めのものでも開封したものでもボールに入る。しかし袋に入っていないとボールが開いたときに相手に悪い思いをさせるから、私は袋の状態で送り出している。袋があるとボールが糸こんにゃくを認識する邪魔になるので捕獲率は下がってしまうが、そこがまたポケモンらしくて面白い。 糸こんにゃくの袋を掴んでなんとかボールに入れようと格闘していると、本当にそれがポケモンであるかのように思えてくる。ポケットモンスターというのはポケットのモンスターで、携帯できる生き物だ。色は食品というよりモンスターじみていて、糸状なのは一種の触手のように思え、ボールにはもはや収まってしまっている糸こんにゃくが、むしろどうしてポケモンでないのか。 そもそもこんにゃくというものが、何故この世にあるのだろう。こんにゃくは、専用の芋から作られる。しかしその芋自体には毒があり、加工しなくては食べられない。そこで粉状にし、糊状にし、茹でるのだ。糸こんにゃくならさらに糸状にもする。幾多の手間、形状の変化を経てできるのはしかし、食品にはそぐわない色の、他にはあまりない食感の、味という味のない、こんにゃくである。 未知とか謎とかSFとか、そういった風味が、こんにゃくにはある。異星より出でし食品の擬装をしたクリーチャー。私たちの生活に溶け込んで一体何をしようというのか。ミラクル交換に勤しむことで、彼らの正体は暴かれるのだろか。それともミラクル交換自体が、彼らの思惑に繋がっているのか。 モンスターボールから勢いよく弾けた糸こんにゃくが、思案する私に降り注いだ。
気がくさくさしていた。日が経つにつれ、ミラクル交換で流れてくる糸こんにゃくの量が減っていた。使えるボールもなかなか見つからない。たまに糸こんにゃくが来ても、ボールに戻せないことがある。ポケモンでないものを入れるせいで負荷がかかって壊れるのだと、ネットの掲示板で読んだ。その後、イトコンはオワコンなる書き込みを見つけて猛烈に腹が立った。 ボールを買いに老人の店へ行く。それまでは対象のシリアル番号をメモしていかなくてもいくらでも当たりを引いていたのに、今では一つずつ確かめてもはずれしかない。 糸こんにゃくを捕まえるボールはないが、スーパーに立ち寄ってみる。案の定、糸こんにゃくは増えていない。どういうつもりだと店員に詰め寄ると不思議な顔をされた。何か異常なものでも見るような目で私を囲む主婦、カップル、子供たち。おかしいものを指摘しただけで何故そんなふうに見られるのか。私は糸こんにゃくを買い占め、店を飛び出した。 空きのなくなった預かりシステムを増設するため、ポケモンセンターに入る。待合室の大型テレビが、ポケモンバトルの大会を映していた。 ……両者共に残り一体となりました。彼の最後のポケモンは…… 観客に見守られる中、バトルフィールドで口を開くモンスターボール。カメラがズームする。 そうして飛び出したのは、触手のクリーチャー。ボールを投げた少年が一瞬硬直し、すぐに顔を真っ赤にして俯くのが見えた。 そのとき私は閃いた。 隣の席で寝こけている男性のボールに手を伸ばし、買ったばかりの糸こんにゃくとすり替える。誰にも見られていない、男性も目を覚まさない。 なんだ、ミラクル交換より簡単じゃないか。 私は次に、談笑する少女たちに近づいた。
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KLOA the Jet Wind (テーマA「10」) ( No.4 ) |
- 日時: 2015/01/24 21:00
- 名前: 朱烏
- クロアは黒いゲッコウガだった。
闇夜に溶け、しかし決して何にも染まらぬ自らの色はクロアの自慢だった。彼が自らの色よりも好きだったのはバトルだった。その情熱のマグマは、ヒードランさえ足を踏み入れることを憚るくらいに熱かった。速さなら誰にも負けない。クロアはそう自負していたし、事実彼のトップスピードについてこれた者はいなかった。だが、先月のことだ。 「クロア、お前はもう自由だ」 トレーナーの下で戦いに明け暮れるポケモンにとって、それは最も苛烈で残酷な言葉である。 『そんな! なぜですか!』 言葉など元より通じない。トレーナーは、クロアを背に手を振るのみだった。傍から見れば薄情な行為のかもしれない。しかしクロアには捨てられた理由に思い当たる節しかなかったものだから、絶望したまま主人だった人を見送るほかなかった。
ミアレシティの14番ゲートと、クノエの林道。その間に、ブランコや滑り台、飛び石などの遊具が並ぶ広い公園がある。彼はその公園のブランコに、独りで膝に頬杖をついて座っていた。公園にはポケモンとそのトレーナーと思しき人間がいたが、落ち込むクロアの目にその姿は入っていない。 クロアは、速さなら誰にも負けなかった。 だが、それ以外は誰にも勝らなかった。 技の威力と防御力は、バトルをしないポケモンと比べてもどうにもならない有様だ。体力は並だが、技を放つタイミングや回避力など、戦いの中で要求される能力は軒並み低かった。有体に言えば、クロアはバトルに向いていない。 彼自身はそれをずっと認めらずにいた。しかし、トレーナーに捨てられるという現実を突きつけられたのはこれでもう三回目だった。 『潮時か……?』 捨てられる度に、新しいトレーナーが「お前のスピード、俺が生かしてやる!」と自信満々に現れるのだ。だから負けるのはトレーナーの腕が悪いのだという、一種の開き直りがあったのは紛れもない事実だった。恐らく、それすらもう期待できない。 この冷えかけた情熱は、どこに向かえばいいのだろう――。 「危ない!」 『ぶぁっ!?』 彼の鼻先に、硬い何かが直撃した。そのままブランコからひっくり返り、地面に頭を打ったクロアは、口を開けたまま呆けていた。 「だ、大丈夫か!?」 クロアのぼやけた視界に、人間の男の顔が映る。彼は自分が技か玩具かの直撃を受けたのだと、しばらく経って理解した。クロアが起き上がってもなお、トレーナーは必死に謝っている。その姿を見て、没入しすぎて危険を察知できなかった自分が悪いと、クロアは思うことにした。 のだが。 『けっ、これくらい避けろよボンクラ』 トレーナーの足元に潜んでいた小さなポケモンが、クロアの顔面に誤射したらしい何かを両手で弄りながら、まったく悪びれる様子もなく言い放った。 『何だと!?』 クロアは立ち上がって激昂した。 「う、ウズマ! また余計なことを……」 ポケモンの言葉を理解しないはずのトレーナーも、ウズマ――ヤンチャムが悪態をついてクロアを怒らせたことを敏感に察知したようだった。 『大してスピードも出てない球を顔面で受けるとか何のギャグだよ。どうせ色違いの自分の体に見惚れていたんだろ』 トレーナーが制そうとしても、ウズマはクロアを嘲る言葉を滑らかに紡いだ。 『貴様! 謝罪もせず、あまつさえ私を愚弄するか! 覚悟はできているんだろうな!』 『お? やるか? 売られた喧嘩は買う主義だぜ、俺は』 『売ったのは貴様だろう!』 ウズマが口に咥えている葉はしきりに上下し、それが余計にクロアの癇に障る。こうなると、両者を止められる者はいない。 「なんでいつもこうなるんだ……」 トレーナーはがっくりと肩を落として、クロアの座っていたブランコに腰を下ろす。もはや自分がこの場において何の役にも立たないことを受け入れているようである。 『位置につけ。貴様の態度は間違いだったと教えてやる。その減らず口から詫びの言葉が出るまでな』 クロアは、ブランコの前にある広場に歩み出した。しかし。 『位置につくのはいいが、俺は別にバトルなんかしねーぜ?』 『何?』 ウズマの言葉に、クロアは呆気にとられる。そして、すぐにその顔は険しくなった。 『喧嘩は買うと言っておきながら逃げるつもりか?』 『逃げる? まさかまさか、滅相もない。俺がやる勝負はこれだけ、って言ってるんだよ』 ウズマの両手には、コマのような形をした、褐色の不思議な物体が乗っていた。いや、コマというよりは円盤の両面に丸みを帯びた突起がついている形状の、UFOさながらの物体という方が正しい。それは先程からウズマが触っていたものであり、そしてクロアの顔面に直撃したものでもあった。 『……意味がわからないな。子供騙しの遊戯などに興味はない。私が望むのはバトルだけだ』 クロアはバトルこそが己の血潮を熱くさせる唯一のものであると信じていた。ゆえに、彼は自分の考えている遊戯というものには露ほどの興味もない。傲慢といえばそれまでかもしれない。しかし、クロアにしてみればコマだか球だかわからないものを持ち出されて、それで勝負しろなどというのは性質の悪いからかいにしか感じられなかった。 『……遊戯?』 だが、馬鹿にされたとより強く感じていたのは、ウズマの方だった。 『遊戯、ねえ。なるほど、お前はそう思うわけだ』 クロアは、わずかに怒気を孕んだウズマの声に振り返る。 『なら俺のレベルに合わせてくれよ。たかが遊戯なんだろ? ちょこっとガキの遊びに付き合ってくれよ』 ウズマは不敵な笑みを浮かべて、UFOを手のひらの上で回転させていた。 『……ふん。いいだろう』 バトルに比べれば球遊びなど容易に決まっている。クロアは当然のようにそう考えていた。バトルができないのは不本意だが、相手を負かせばいいのだ、と。
両者が向かい合う。ブランコに座るトレーナーは、クロアが座っていたときのように頬杖をつき、行く末を見守っていた。 『さて、ルールだが』 ウズマは指先で器用に球を回している。 『5分だ。5分の間に俺から一度でもボールを奪えばお前の勝ち。それができなかったら俺の勝ちだ。簡単だろ?』 クロアは、ウズマの持つ謎の物体がボールと呼ばれるものであることを知る。 『5分? 1分もあれば充分だが……まあいい。実に簡単だ』 本来クロアは対戦相手を挑発する性分ではない。それは礼を失する行為であると、歴代のトレーナーに散々教えられてきたからである。しかし、今のクロアにそれを思い出させるほどの冷静さはない。それに、自分を愚弄してきたやさぐれパンダに礼を尽くす必要があるなどと初めから思っていない。 『もう一つ付け足すことがある。賭けをしよう。俺が負けたら土下座でもなんでもしてやる。その代わり俺が勝ったら、俺の言うことを一つ聞いてもらおうじゃねえか。なんでも、な』 思わぬ申し出に一瞬窮したクロアだが、それで怯むわけにはいかなかった。 『いいだろう。私が勝ったら、お前のその額が潰れるほど土下座させてやる』 公園という平和な場所には似つかわしくない物騒さだった。 『じゃあ、早速やろうか……!』
空は曇っていた。クノエの林道はよく雨が降るが、ここももうじき降り出してきそうな気配だった。ボールをつく鈍い音だけが、あたりを支配している。 『何をしている?』 クロアには、ウズマの行動が不可解に思えた。右手でボールを地面に何度もついている。言い換えれば、何度も自分の手からボールを手放している。隙だらけではないか。 『見ての通り、ドリブルだ。ずっと手に持っているのは反則だからな』 クロアはドリブルという言葉を知らない。何が反則なのかもわからない。ただ、そんなことはどうでもよかった。ウズマが何をしようと、ボールを奪えばそれで終わりなのだから。 ボールの跳ねる音。間の静寂。 ウズマの指先から、ボールが離れた。 その瞬間、クロアの右手はボールを奪いにかかった。 (獲った!) しかし、クロアの手は空を切る。 ウズマが右手でついていたボールは、いつの間にか左手に移動していた。その左手の下で、ボールは相変わらず上下運動している。 (何だ、今のは……?) 間違いなく、クロアにはボールを奪えるという確証があった。実際、クロアの見切りはほぼ完璧だったし、傍で見ていたトレーナーでさえもその素早さに目を見開いたほどだ。 (お、やるじゃん!) ウズマが嬉しそうに口角を吊り上げる。 『いつまで見惚れんだ? もう15秒だぜ?』 『くっ』 クロアは妙な焦りを感じて、ボールを乱暴にさらおうとする。 『おいおい、大雑把だな。もっと集中しないと、俺のボールは奪えないぜ!』 まるで目の前で奇術でも行われているようだった。 クロアはしっかりとボールを目で追えている。だが、奪おうとするとボールは瞬時にウズマの空いていた手に移っている。 『1分あれば充分じゃなかったのか?』 もはやクロアにはウズマの挑発が聞こえていなかった。ただの遊戯と高を括っていたはずが、予想外の翻弄に、ボールを奪うことだけにしか意識が向いていない。 (落ち着け。タイミングは見切っている。ただテクニックに惑わされているだけだ) ウズマの右手を離れるその瞬間を――狙う。 (今だ!) 手を伸ばす。だが、ボールを奪う段になると、ウズマは指先から離れるボールを通常よりも強く加速させる。だから安直に手を伸ばしただけでは、すでにそこにボールはいないのだ。ボールは地面を跳ね、左手に移ろうとする。 (左手に吸い込まれる前に!) クロアの判断は正しかった。ボールがウズマの左手に吸い付く前に叩けば、それで終わりのはずだったのだ。 『あー、残念。惜しいな』 だが跳ねたボールはウズマの股をくぐり抜け、後ろに回されていたウズマの左手に吸い込まれていた。 (読まれた……!?) 『そろそろサービスタイムは終わりだ!』 クロアが動揺する間もなく、ウズマは走り始める。 『ま、待て!』 ドリブルをしながらでも、ウズマはクロアの想像を超えた速さで走った。だが、速さで後れをとるクロアではない。 (このゲッコウガ、ただのボンクラじゃねーな! あの野郎の代わりは充分務まりそうだ!) ウズマの横にぴったりとついたクロアは、ボールを奪おうと払うように左手を振るう。しかしウズマは軽やかにボールと一緒に跳ね、避ける。そして着地し、瞬時に切り返す。 スピードではクロアの方が上だ。だがウズマの小回りの利く小さな身体と俊敏性には、その大味なスピードは相性が悪い。しかも、ウズマの巧みなボールハンドリングはクロアの手に負えなかった。 『おら!』 唐突にボールを投げるウズマ。切り返し、追いかけていたクロアの後ろに回る。 『何を……!』 ボールは滑り台の側板に当たり、正確にウズマの右手に跳ね返った。自由自在にボールを操るウズマに、クロアはついていくことができない。 それから何度もクロアは仕掛けたが、ウズマはすべてかわした。何をどうしても、ボールを奪えそうにない。 5分などあっという間だった。 『もう5分だ。俺の勝ちだな』 息を切らして座り込むクロアに、余裕の表情で迫るウズマ。 『まあ、この白黒の魔術師(モノトーン・ジャグラー)ウズマ様と渡り合ったんだからそう落ち込むな。約束はちゃんと守ってもらうけどな』 『……ちっ』 こんな小さな子供に、一体何を命令されるのか。ただただ悔しくて仕方がない。 だがウズマの命令は、クロアの考える屈辱的なものとは正反対だった。 『俺の……いや、俺たちのポケモンバッカーチーム、ハクダンウォリアーズに入ってくれ!』 耳慣れない言葉に、クロアは目を丸くした。
――ポケモンバッカー。 ポケスロン競技の一つであり、バスケットボールとサッカーが融合したようなスポーツだ。3対3でボールを奪い合い、宙に浮いた正四面体型のゴールにシュートして得点を取る。そのルールのシンプルさとは裏腹に、競技場は窪んだフィールドと、地に突き刺さっている弧を描くような巨大スロープで構成されており、地上戦とスロープ上での空中戦が三次元的に展開される。 記念すべき第1回大会は、2010年にシンオウ地方のクラウンシティで開催された。 その前日に、とある大企業の社長がクラウンシティ全体を欺いて悪事を働き、某少年とゾロアークに阻止されるという一波瀾があったものの、大会はつつがなく催され、エレキッドとその進化形で構成されたチームコトブキレッズの優勝で幕を閉じた。 以後ワールドカップは3年ごとに開催されることが決まり、次回――すなわち来年の第3回大会もすでにカロス地方での開催が決定している。 『夢はでっかくワールドカップ優勝! ってなわけで、よろしく頼むぜ!』 昨日の賭けに負け、クロアは早速公園での練習に駆り出された。ウズマは右手にボールが大量に入ったかご、そして左手には四つの頂点同士がパイプで繋がっている正四面体型ゴールを持っている。 『ふん……それはともかく、彼は一体誰なのだ?』 トレーナー――名前はエリクという――は仕事で忙しく来れないらしいが、その代わりにやたらと存在感を放つギルガルドがいる。黒と赤の刀身、黄金に縁取られた盾、眼光鋭い一つ目。クロアと同じ、紛れもなく色違いのギルガルドだ。 『ふふっ、紹介しよう、我がハクダンウォリアーズの守備の要、キング=ギルガルド! またの名を……邪神の剣(イビル・ソード)!』 漫画ならバァン、という効果音が格好良く彩っていたことだろう。だが、クロアの目に映っていたのは、どう少なく見積もっても百年は生きていそうな老体のギルガルドだった。よく見れば刀身も錆びついている。邪神は彼を長く封印しすぎてしまったらしい。 『これ、年寄りをからかうでない……。君がクロア殿だね? エリクから話は聞いておったよ。儂はキングじゃ。君のような溌剌とした若人とバッカーをプレーできるのは光栄の極みに尽きる。これでまた一つ冥土の土産話ができそうじゃな』 『は、はあ……』 からかうな、と言っておきながら自分で棺桶冗句を飛ばすキングに、クロアは苦笑いをすることしかできなかった。 『儂は攻撃には参加せず、自軍のゴールを守っているだけじゃ。攻撃はふたりで頑張ってくれ』 『また攻撃に参加しないのかよ、つまんねーの』 『そんな体力があったらとっくにしてるわい』 漫談を見ているようだ、とクロアはぼんやりと考える。老体に子供に新参者、これでワールドカップなど夢物語だろう――。 だが、ウズマの目は至って本気だった。
『さて、諸君』 ウズマが似合わない改まった口調で、クロアとキングに向き直る。 『先週、我がチームはブロック予選を通過し、一か月後の本選への切符を手に入れた』 ウズマがわざとらしく咳払いをする。 『ブロック予選後に辞めてしまった阿呆のせいで本選の出場が危ぶまれたが、新たな仲間が加わり事なきを得た』 いきなりバッカーチームに入れと言われたのには大層な理由があったのだとクロアは知る。 『ワールドカップへ進むにはベスト4が絶対条件だ! そのためには練習にはより一層力を入れていくつもりだ。だが、現在エリク監督は対戦相手の解析に加え、本業の仕事も忙しい。そこで、我々はエリク抜きで練習しなければならない』 ウズマが、正四面体についていたスイッチを押す。すると、正四面体はウズマの手を離れ、地面から3メートルほどの高さでゆっくりと回転しながら浮遊するようになった。電磁浮遊という原理で浮いているらしい。 『昨日見せてもらった映像にあったゴールだな』 『そうだ。だだっ広いフィールドの端っこに、こんな小さなゴールが浮かんでいるんだ。チームは原則三匹だが、キングは自軍のゴール付近にしかいないから、実質俺とお前だけでこのゴールを狙うことになる』 たったふたりでゴールを狙う。クロアが昨日エリクに見せられた映像には、三匹のポケモンが華麗なチームワークでゴールに迫っている場面があったが、それよりも遥かに難易度が高いように思われた。 『まずはやってみようか。俺が手本を見せる。キング!』 『はいよ』 キング、そしてウズマが、それぞれゴールから離れた位置に立った。キングは手にボールを持っている。 『ほれ!』 キングがボールを放つ。ボールは緩やかな軌道でウズマに向かっていき――。 『おらっ!』 強く殴られたボールはそのままゴールに吸い込まれた。その間、わずか二秒。 『上々だな。まあこんな感じだ。ボールを弾いたり、殴ったり、蹴ったりして、ゴールに入れる。でも投げたり掴んだりするのは反則だ。簡単だろ?』 クロアにはまったく簡単だとは思えなかった。自分が放つ技を標的に当てるのは難しくないが、この場合は勝手が違う。 『ほれ』 キングが先程と同じように、ボールをクロアに飛ばす。ふわりと飛んでくるボール。クロアは身構える。 『よ、よし……えい!』 手のひらでボールを弾く。しかし――。 『あれ?』 クロアはボールを地面に叩きつけてしまい、ボールは高くその場でバウンドしている。 『お前……ふざけてるのか? 遊びじゃねえんだ真面目にやれ』 『わ、私はっ』 言い返そうとするクロアだったが、青筋を立てているウズマに気圧されて、言い訳もままならなかった。 『キング、もう一度』 『ほい』 苛々しているパンダに従順な老剣は、機械のようなテンポでボールをクロアに投げ込む。クロアはどんどん手で弾くが、すべてがはちゃめちゃな方向に飛んでいった。 『クロア殿、せめて一球くらいは入れてくれんと……』 キングはいつまでも終わらないボールの補給作業に疲弊していた。老躯には拷問である。 『す、すまない……真面目にやっているつもりなのだが、どうも上手くいかない』 『真面目じゃなくて馬鹿正直なだけだ、お前は』 目上のキングには素直なクロアも、毎度毎度馬鹿呼ばわりしてくるウズマには頭に血が上る。 『昨日からボンクラだの馬鹿だの、貴様は何様のつもりなんだ! 右も左もわからぬ素人を虐めて楽しいか!?』 『でもな、お前、俺が見てきた中で一番シュートの下手くそな初心者だぜ』 『こ、これ、ウズマ……』 キングがウズマを諌めようと割って入るが、すでに遅かった。 一番シュートの下手くそな初心者。ウズマの言いようも悪いが、クロアには堪える言葉だった。 『私には……バトルのセンスだけでなく……』 バッカーのセンスもないというのか。おぼろげに、かつてのトレーナーの言葉が蘇る。
「お前、スピードは天下一品だけど、それ以外がまるで駄目だ。センスがない。俺には手に負え――」
『お前のバトルセンスなんか知らねえよ』 クロアの心に渦巻くリフレインを、ウズマが遮る。 『ゴールに水手裏剣撃ってみろ』 『水手裏剣?』 ボールではなく、水手裏剣。そんなものを撃ってどうしようというのか。クロアに意図は掴めない。だが、生意気なウズマの真剣な表情に、クロアは素早く水手裏剣を撃つ構えをとった。 『ふんっ』 腿の成水器官に手を滑らせ、水手裏剣を発射した。その様は、まさに忍者が手裏剣を投げるが如く。センスがないと言えど、流石に洗練されている。水手裏剣は小気味良い音を立てて、ゴールフレームに弾けた。 『なんだ、当たるじゃねえか』 『……技だから当然だろう。ボールとは違う』 ウズマはがっくりと肩を落としてため息をついた。クロアの返答が余程意にそぐわなかったらしい。 『お前本当に何もわかってねえな。根本は何も変わらねえ。いいか、よく聞け。お前の今までのシュートは全部フォアハンドだ』 『フォ、フォア……?』 『フォアハンド、利き手と同じ側からシュートを打つってことだ』 ウズマが説明を加えながら、右手で空を払う。 『だがお前が扱う技……特に水手裏剣なんかはバックハンド、つまり利き手と逆の側から技を放つ。その方がお前にとっては自然なんだ』 今度は、ウズマが手裏剣を撃つ真似をしてみせた。クロアはようやくウズマの言いたいことを理解した。 『お前、利き手は右か?』 『……右だが、水手裏剣は左右どちらでも使える』 『ならどこからパスが来ても大丈夫だな。キング、頼む』 クロアの心臓は高鳴っていた。質の悪い緊張だ。これで失敗しようものなら、それこそウズマに何を言われても言い返せない。 『ほれ』 キングの放ったパスが、幾度となく通った軌道をなぞり、クロアの手元にやってくる。 (水手裏剣のように……!) ただ、技を放つイメージを重ね合わせて。 『いけっ』 鋭いバックハンド。クロアの手のひらが、かつてない感触とともにボールを打ち出す。 (入る……!) 瞬間的に確信した。何千回も撃った水手裏剣よりも、ボールの方がずっと手に馴染んでいたもののような気さえした。 正四面体の中に、ボールが絡め取られる。 『や、やった! 入ったぞ!』 クロアは嬉しさに飛び上がった。たかが練習でのシュート一本なのに、まるでバトルに勝利したかのようだ。子供の遊戯と馬鹿にしていたスポーツに、クロアの情熱が移っていたのは疑いようもなかった。 『ようやく決まったな』 『シュート速度も申し分ない。実戦でもすぐ使えるようになるじゃろ』 『さて』 ウズマがクロアに歩み寄る。 『いいかクロア。センスがどうとか言っていたが、そのスピード、そして俺のドリブルを見切る奴にセンスがねえなんて言わせねえ。そんな奴に俺の相棒が務まるかよ』 『相棒……?』 白黒の小さな体から発せられた思いもよらぬ言葉。 『言ったろ。攻撃は俺とお前しかしねえんだ。でもひとりだけじゃ点は入れられねえ。ふたりで協力して、初めて点が入るんだ』 それがスポーツだからな、とウズマが続けた。 クロアは、生まれてからずっとバトル――しかも一対一のシングルバトル――しか知らなかった。協力なんて言葉に聞くのも久々だ。 『……ふふっ』 『何かおかしいか?』 『いや、ウズマから協力なんて言葉がでるのが面白くてしょうがないのだ』 『何だとこの野郎!』 ウズマがクロアに飛びかかる。すぐに熱くなるクロアをいなしていたウズマの姿はそこにはいない。どちらもまだまだ子供である。 (相棒……か) ウズマに頬を引っ張られながら、心地よい響きだ、とクロアは思った。
「残り一週間でどこまで仕上げられるか……」 クロアの加入から三週間が経った。ウズマやキングから教えを請うているクロアの成長は目覚ましい。だが、ついこの前までバッカーのバの字も知らなかったクロアに、前任者と同じだけの働きを期待するのは酷というものだ。 「ボルトはどうしているかな」 ブロック予選後、急に辞めると言い出したポケモンに思いを馳せる。電光石火(ライトニング)という二つ名に恥じない、素晴らしい点取り屋だった。 エリクはミアレシティに新設されたバッカー練習場に足を運んだ。本来ならばウズマたちにはあんな寂れた公園ではなく、設備の整ったこの場所で練習させたかった。しかし、いざ借りようとすればぼったくりも甚だしい金をとられるし、そもそも本選が近いこの季節では、場所は予約ですべて埋まっている。貧乏なトレーナーがするべきことは限られていた。 「少しでもデータをとらないとな」 すり鉢状の、青空が気持ちのよいスタジアム。その二階席にエリクは腰掛けた。思ったよりも多くのポケモンがフィールドにいる。 (メイスイリバーズにエイセツアイシクルズ、あっちは……) エリクは一目見ただけで、すぐにどのポケモンがどのバッカーチームに所属しているのかがわかった。本選に出場するチームのビデオは、穴が開くほど何度も繰り返し見ている。だがら造作もないことだった。だが、ビデオではわからないことももちろんある。エリクは仕事の合間を縫って、生の情報を得るために足繁く練習場に通っていた。 (あのメタング、ビデオで見たときよりもパス精度、シュート精度ともに良くなってるな。リバーズのエレザードは個人プレーに走らなくなったみたいだ) 気づいたことはどんどんメモをとっていく。次々にメモをめくり、5ページ目に突入したときだった。 (あれは……!?) 思わずエリクは立ち上がり、入場口を凝視した。新たにフィールドに入ったトレーナーとポケモンたち。うち一匹は、確かにエリクの見知った顔であった。
本選を明日に控え、日が暮れかけてもなおウズマたちは修練に励んでいた。 『ちょっと水飲んでくる』 ウズマは休憩がてらの補給にその場を離れた。クロアはその様子を横目で見ながら、訓練で乱れた息を整える。 『相変わらずウズマはパスもドリブルも滅茶苦茶ですね』 『そういうクロア殿もちゃんとウズマに合わせられるようになってきたではないか』 『ま、まあ……』 クロアは頭を掻く。 『ときにキングさん。予選会のあとに抜けてしまったポケモンとは、一体どんなポケモンなのでしょう』 予期せぬ質問だと言わんばかりに、キングは刀身をのけ反らせた。 『気になるのか?』 『いえ……ただ、本選の出場が決定してから辞めるなんて、余程のっぴきならない事情があったのかと思いまして』 『……これを言っていいのか儂にはわからぬが』 老体が一つ目を閉じる。生きているのか死んでいるのか区別がつかないと、不謹慎にもクロアは思う。 『早い話、ウズマと喧嘩したのじゃ。もともとそりがあっていなかったんじゃな。どちらも我が強くて、フィールドでぶつかることもままあった』 『……なるほど』 さもありなん。クロアもすでに何度もウズマと喧嘩している。だが、それがウズマなりのコミュニケーションなのだからしょうがないと諦めると、途端にその回数は減った。ずっと年下のウズマを、大人のクロアが許したというのもある。 しかしそれ以上に、クロアはバッカープレイヤーとしてのウズマを尊敬していた。どれだけ喧嘩しようと、バッカーだけはウズマの方が絶対に正しいのだ。 『素早い動きで敵を翻弄することが得意なスコアラーじゃった。電光石火ボルト……サンダースの彼にはこれ以上ない名だった』 『白黒ナントカよりはずっと洒落た名だと思います』 サンダースは速さに優れた種族だ。スタイルは自分と似ているのかもしれない、とクロアは思う。 『そのサンダースには負けていられませんね……!』 『ほっほっ、その意気じゃクロア殿』 『補給完了! 準備はいいか野郎ども!』 やかましいパンダが、口を拭いながら帰ってきた。 『後は空中戦の仕上げだ! 百連続成功するまで帰れないぜ!』 『ふん、望むところだ』 夕暮れの公園に、三匹のシルエットとボールが行き交った。
そして、試合当日――。 「先程まで行われておりました第一試合、メイスイリバーズとヒヨクグリーンウッズの試合は、17対12でリバーズの勝利で終わりました。続いての第二試合、ミアレエレクトロンズとハクダンウォリアーズは15分後に開始予定です――」 エリクはフィールドの端に浮く監督席で端末のラジオ中継を聴きながら、眼下でパス回しをしているウズマたちを眺めた。 『しかし、なんともやりにくいのう。かつてのチームメイトと対戦とは。しかも優勝候補のエレクトロンズじゃ』 『ていうか……辞めたんじゃなかったのかよアイツは! クソ野郎にも程があるぜ!』 ウズマとキングの会話を、クロアは黙って聞いていた。キングの言っていたサンダースは、フィールドの反対側でチームメイトとパス回しをしている。ブロック予選が終わってから別のチームに移るなんて引き抜き工作か何かとしか思えないが、バッカーの選手移籍の事情やルールを知らない以上、口を挟む余地はない。クロアにできるのは、目の前の試合に集中することだけだった。 クロアはパスを繰り出しながら、フィールドを見渡す。すり鉢状のスタジアムには、満員の観客がひしめいていた。フィールドの形は、二次元的に見れば陸上トラックのような長円形をしている。フィールドは緩やかに窪んでいて異質だが、それ以上に奇特なのは、中央付近から迂回するようにゴールのそばまで延びているスロープの存在だ。まるで、半分に切ったドーナツがフィールドに斜めに突き刺さっているようだ。もちろん、反対側のフィールドにもある。一番高いところは地上十メートルほどで、観客席も近い。 『しまった』 キングのパスが、クロアの遥か頭上を通過する。 『私が取ってきます』 『すまぬ……』 敵陣に飛んでいってしまったボールを追いかける。だが、キングのパスが強かったのか、思いのほか深いところまで行ってしまう。クロアが追いつく前に、相手チームのポケモンがボールを止めてくれた。 『あ、ありが……』 クロアは礼を言いかけて、息をのむ。ボールを持って待っていたのは、ボルトだった。 『ふうん……ちんちくりんに老いぼれ、そして新しく入ってきたのは素人。どうやら僕が出るまでもないみたいだ』 ボールを渡しながら、ボルトはクロアの逆鱗にいとも容易く触れる。 『……私はともかく、元チームメイトを馬鹿にするとはどういうことだ』 『ウォリアーズにいたせいで僕の才能は危うく腐るところだった。その元凶を謗ることの何が悪いのか』 『何を言う!』 『まあ、せいぜい頑張ってよ』 ウズマはこんな奴とタッグを組んでいたのか。激憤に駆られながら、クロアはボールを持ち帰る。言い返したいのは山々だったが、一々相手の挑発に乗ってはいけない。それに――今の自分はバッカープレイヤーなのだから、己を語るならバッカーフィールド上のプレーでのみだ。 『遅かったな、クロア。ボルトと何話してたんだ?』 『……勝つぞ、この試合』 クロアの強い眼差しに、ウズマとキングが顔を見合わせる。そして、不敵に笑った。 『あったりめえだ、馬鹿野郎』 『儂も若人には負けられんぞい』 戦士たちが、手を重ね合わせる。 『行くぞっ!』 『おう!』
試合開始のホイッスルが鳴った。 「さあ始まりました本日の第二試合、ミアレエレクトロンズ対ハクダンウォリアーズ! 試合開始から5秒も経たないうちに、ヤンチャムとワンリキーのマッチアップだあ!」 ワンリキーと対面しているウズマは右手でドリブルをしつつ、視線を速やかにクロアに移す。 (距離は18メートル。クロアについてるマークはリザード一匹。フローゼルはフリーだ) 『おらっ』 ワンリキーの左手がウズマのボールをさらおうとする。しかし、当然のように――空を切った。 ボールはウズマの左手に移っている。同時にウズマの体は、ワンリキーの横をすり抜けていた。 『走れクロア!』 クロアがゴール方向へ音も立てずにダッシュした。 『なっ!?』 その瞬発力に、マークをしていたリザードは追いつけない。 『跳べ!』 ウズマの叫びに、クロアは跳んだ。同時に、ウズマもボールを高く打ち出す。 『何!?』 驚きに声を発したのはワンリキーだったが、それはエレクトロンズ全員の総意――いや、観客も含めた総意だった。超速のエネルギーを変換した跳躍は、スロープの最高点よりも遥かに高い。 クロアの遥か後方から放たれたパスは、クロアが最高到達点に達したタイミングでやってきた。 (水手裏剣の要領で!) クロアは緊張していた。実際、跳ぶタイミングも、ウズマと打ち合わせたときとはズレていた。それでも、何度も練習してきた。ウズマも、ズレたタイミングを察してパスを合わせてきた。ミスをするなんて考えられない。赤く長いが風になびく。 『行けえ!』 体の左側から、右手で弾いてシュートする。動く正四面体のゴールに向かって、それは真っ直ぐに突き刺さった。 「ゴオーーールッ!」 歓声が上がる。電光掲示板のウォリアーズの得点欄に、大きく『1』が表示された。 「何ということだ! 開始から12秒の驚異的速攻! ヤンチャムが放った空中へのロングパスを、跳躍したゲッコウガが弾いてシュートしたあ!」 監督席にいるエリクは拳をぐっと握りしめる。相手は優勝候補。こちらがペースを掴めずに、流れを持っていかれるのは何よりも避けたい展開だと考えるエリクは、ウズマたちに空中を使った速攻を指示していた。 『いいぞクロア。初っ端から最高のシュートだ』 『ウズマのパスが完璧だったからな』 『ったりめーだ!』 クロアの柔らかい拳と、ウズマの小さな拳がぶつかる。息は、今のところ合っている。対して、エレクトロンズは少しペースが乱れていた。 『ちっ、派手な攻撃しやがる』 『あのパンダ、相当なテクだな……』 ワンリキーとリザードは、微妙に弱気な態度を見せていた。 『リキ、フレイム、落ち着いて。相手の攻撃に惑わされちゃ駄目よ。私たちが今までどうやって勝ってきたか思い出して』 フローゼルが二匹を諌めながら、ゆっくりとドリブルで前進する。 『大丈夫、ちょっと面食らっただけだ。サンキュー、ヒオ』 エレクトロンズが態勢を整えている間に、ウズマとクロアは自軍のフィールドについた。 『ここ、抑えるぞ』 『ああ』 せっかく先制できたのだ。すぐに得点を返されるようでは、先制した意味が薄くなってしまう。 『キング、頼んだぜ!』 『任せなさい』 キングは、自軍ゴール付近で浮遊している。ゴールにギリギリまで接近していないのは、ルール上ゴールから半径五メートル以内には入れないからだ。エレクトロンズの三匹が、ゆっくりとパスを回しながら近づいてきた。 そして。 『行くぞ!』 パス回しが突然速度を増した。 「クロア、リザードをマークだ!」 エリクの声が木霊した。リザードはスロープを駆け上がり始めている。指示通り、クロアもリザードを追ってスロープを上った。 『フレイム!』 フローゼルのパスが、スロープの上にいるフレイムと呼ばれたリザードに向かう。クロアはそれをカットしようとしたが、手がわずかに届かない。 『おらあっ!』 リザードはそのまま右足でシュートしたボールは、ゴールに突き刺さらんとする。だが、そこはキングの領域だった。 『ぐっ』 刀身で威力のあるシュートを防いだキングは、ボールを下方に弾き落した。しかし、受け取ったのは味方ではなく敵のフローゼルだ。 『リキ!』 『合点!』 フローゼルのパスは、ゴールの下を通過し、一瞬でフィールドの最端にいたワンリキーへと渡る。すなわち、それはゴールの裏側だ。 「まずい! キング!」 エリクがキングに指示をしようとしたときには、すでにワンリキーの左足から繰り出されたシュートがゴールに入っていた。 「ゴール! ゴール! エレクトロンズ、攻防が繰り広げられていたフィールド中央ではなく、端からゴールの裏を突きました!」 興奮気味の実況の声を聞きながら、エリクは思考する。 (……流石優勝候補の一角。あれだけ広くフィールドを使われると、動けるのが二匹しかいないうちにとってはかなり不利だ。何か策を練らないと) とにかく、まだ試合は始まったばかりだ。焦る必要はない。キングだって一度はシュートを防いだ。機能していないわけではない。 『すまんのう、間に合わなかったわい』 『いいってキング。それよりクロア、もっと積極的に動いていいぞ。少しくらいファールもらったって構わねえ。常にトップスピードで動くつもりじゃねえと到底勝てねえぞ』 『わかった』 クロアは頭ではわかっているが、攻撃と違い相手の動きに合わせなければいけない守備では、思うように自慢をスピードを出せない。 『強気で攻めるぞ!』 『ああ!』 前進するウズマに、クロアが追従する。 「ふたりの攻撃でどこまで保つか……」 エリクは宙に浮く監督席から、祈るような気持ちでクロアたちを見つめた。
それから、両チームが激しい火花を散らした。 『1on1で俺に敵うはずねえだろ!』 とウズマが巧みな高速ドリブルで相手を抜けば、 『とにかくフィールドは広く使って、攪乱させるのよ!』 とエレクトロンズは華麗なパス回しでゴールに近づく。 クロアもチャンスが来るたびにシュートを放つが、激しく動きながらのシュートは難しいのか、命中精度は五分といったところだった。キングも老体を鞭打って相手のシュートを阻むが、やはりすべては防ぎ切れない。 均衡を保ったまま試合開始から20分が経過し、汽笛のようなホイッスルが鳴った。 「ここで前半戦終了です!」 エリクは端末の電源を切り、フィールドに降り立った。電光掲示板には、両方のチームの得点に『6』が表示されている。 「みんな、お疲れ! ここまでいい戦いができてるぞ!」 エリクがウズマたちを労う。疲労は――かなり蓄積している。フィールドを広く使ってくる相手に、攻撃手二匹、キーパー一匹の陣形は厳しいものがあった。だが、キーパー以外の練習をほとんどしていないキングを前線に駆り出すのはリスクが大きすぎる。 「ウズマ、ボールはもっと長く持っても大丈夫だ。たとえふたりがかりでマークされても、君の手から奪われることはないよ。クロアはスロープを使って移動範囲を広げて、相手からブロックを受けないように。キングはよく守ってるよ、後半戦も頼む。それと、全体的に攻撃ペースは緩めよう。こっちの前線は二匹しかいない以上、向こうよりも早く消耗する。焦らず、じっくり攻めよう!」 それぞれが監督であるエリクの指示に頷く。 『クロア、バテてるんじゃねーの?』 『ふん、それはこっちの台詞だ』 軽口を叩き合ってるようなウズマとクロアを見て、エリクは安心した。少し反応の鈍いキングは心配だが、控えがいない以上頑張ってもらうしかない。後半戦開始まで残り一分のホイッスルが鳴る。 『よし、行くぜ!』 見守る監督に背を向け、三匹のプレイヤーがフィールドに飛び出していく。 後半戦開始のホイッスルが鳴った。
「さあ、後半戦は中盤! 8対7でエレクトロンズが一点リード! ワンリキーとリザードの二匹がぴったりとヤンチャムをマークだ!」 後半戦に入って、スタジアムはさらなる熱気に包まれていた。 (くそっ、うざってーな!) ウズマにかけられている圧力は前半とはまるで違うものだった。 『クロア!』 ウズマがパスを出そうとする。が、 『甘いな!』 リザードの出した腕に阻まれた。 「パスカットされた! ウォリアーズ、慌てて守備に戻る!」 ウズマがドリブルしている間は決してボールを取られることはないが、パスを出すとコースを読まれて奪われる。ここにきて、優勝候補が本来の姿を現してきた。フローゼルがドリブルでフィールドを縦に突っ切ろうとする。 『させるかあ!』 「ゲッコウガ、速い! 一瞬でフローゼルの前に立ちはだかった!」 クロアも負けじとフローゼルをプレスする。しかし。 『フレイム!』 フローゼルはかわすと見せかけ、ノールックで斜め前を走るリザードにパスを繰り出す。 『おらぁ!』 リザードは胸でボールをトラップし、強い踏み込みとともにボールを途轍もない力で蹴りつけた。 ごうと唸りを上げたボールは、キングの守りを突き抜け――。 ゴールのフレームに弾かれた。 「ああっと惜しい! 誰もがエレクトロンズの9点目を確信しましたがゴールポストに嫌われたあ!」 (危ねー! 助かったぜ!) 弾かれたボールを掴んだのはウズマだったが、相変わらずリザードとワンリキーのプレスが激しい。 『ウズマ、とにかくフィールドの中まで持っていくのだ!』 『わかってらあ!』 パスもシュートも出さずにいれば、なんとかかわしながら進むことだけはできる。だがそれでは点は入らない。 (考えろ……クロアにどうすればパスを出せる? 地上は駄目だ。序盤みたいに斜め上に打ち上げても読まれて……いや、違え!) ウズマが閃く。 (クロア!) (了解!) 一瞬だけ投げかけられたウズマからのアイコンタクトを、クロアは瞬時に把握する。 『パスを出そうたってそうはいかねえ!』 ワンリキーとリザードが両手を広げてあらゆるパスコースを遮る。しかし、彼らはウズマが徐々にスロープの下方に移動してることに気づいていなかった。 『白黒の魔術師の名は伊達じゃねえんだぜ!』 ウズマは目が回るような高速ドリブルを展開し――ボールを一瞬で消した。 『何!?』 ボールが消滅することは有り得ない。ただ、ウズマがわかりやすいパスを出さなかったせいで、ボールの動きを追えなかったのだ。 『う、上だ!』 エレクトロンズが気づいたときにはもう遅かった。ウズマが思い切りフィールドに叩きつけたボールは、真上に高く跳ね――いつの間にかスロープの上で待ち受けているクロアの手元に届く。 『行けっ!』 クロアが久しぶりに放つシュートは、綺麗な軌道でゴールに絡め取られた。 「ゴール! ウォリアーズ8点目! これで同点です!」 すり鉢状のスタジアムに、歓声と悲鳴が入り混じる。 『流石俺だな! ナイスパスだ!』 『そうだな、ここ最近で一番滅茶苦茶なパスだった』 『褒め言葉どーも……って言いたいところだが』 ウズマが真剣な表情になる。 『そういう場合じゃねーかもな』 同点で、試合終了まで残りわずか。ドラマなら、ここで役者が揃う。 『いよいよ、だな!』 『ああ、真打登場だ』 クロアとウズマの見据える先には――四足の電光石火がいた。
「さあ、後半戦も終盤! 選手交代で戦況は変わるか!?」 ワンリキーが抜けたが、ウズマのマークはリザード、フローゼルと二匹のまま変わらない。ただ、突飛なパスを繰り出すウズマに、安直なプレスはかけにくそうにしている。しかし、ウズマがそれ以上に気になっていたのはボルトの動向だ。クロアをマークするでもなく、ウォリアーズのゴール下で待機してる。 (あいつがキーパーなんてありえねえ……何考えてやがる) ウズマには嫌な予感があった。だが、あんな離れた位置から何かを仕掛けることなど不可能だ。 (うだうだ考えても仕方がねえ! 隙あり!) ウズマは二匹のブロックの隙間から、クロアに向かってパスを出した。コースも速度も、クロアの受け取りやすい形だ。だが。 『ナイスパ……なっ!?』 刹那、クロアの視界からボールが消失する。 否。 「サンダースがスティールしたあ!」 速い。目にも止まらぬ速さというものを体現したかのような、誰をも置き去りにするスピード。 「止めろクロア!」 しかし、クロアもエリクの指示の前に動き出している。 「シュートだあ!」 ボルトが頭突きでシュートした。だが、ギリギリで追いついたクロアの手にボールが触れ、間一髪ゴールから逸れる。 キングは一瞬の出来事にまったく反応できていなかった。 「なんという……なんというスピードだ! エレクトロンズの秘密兵器、ここに躍動するぅ!」 歓声が一段と大きさを増す。皆、ボルトのスピードに圧倒されたのだ。 『僕を止めるなんて……ただの素人じゃないようだね』 蒼い双眸がクロアを見上げる。背を見せ自軍のフィールドに戻るその余裕には、風格さえ漂っていた。 『なんだあれ……うちにいたときはあんなに速くなかったぞ』 ウズマが柄にもなく驚いている。クロアは、試合前にボルトに言われたことを思い出した。 (……腐るはずだった才能が花開いたということか) 確かに、ボルトの言ったことは本当だったのかもしれない。だが、易々とそれを受け入れるほどクロアの心は広くない。 『ウズマ、パスをもっとくれ』 『……ああ』 スピードなら、誰にも負けない。
「さあ、残り1分15秒! ウォリアーズはどう反撃する!」 試合終了間際になっても、エレクトロンズのスタイルは変わっていない。ウズマへのプレスと、フリーのボルト。 (あれだけパスカットされてもパスをくれってことは、何か考えがあるんだよなクロア。……任せるぜ!) ウズマが再び魔術を披露する。 『調子上がってきたぜ!』 上下左右に現れては消えるボールを前に狼狽するリザードとフローゼルを尻目に、パスを打ち出す。クロアが受け取る素振りを見せた。 『そんなもの、僕の脚の範囲内だ』 ゴール下から、およそ非常識と思われるほどの初速で飛び出すボルト。 『ふんっ!』 同時にクロアも――ボールに向かって走り出した。 『何だと!?』 ウズマとクロアの距離は20メートルほどだったが、クロアはそれを半分に詰めた。 (パスカットのコースは私の手前……ならそれより遥か前で受け取ればいい!) ボールを手にしたクロアは、そのまま慣れないドリブルで突き進む。 『そんなものが通用するか!』 ボルトは速かった。すぐにクロアの侵入を阻むコースに立ち塞がる。 (回り込まれるのは百も承知!) クロアは、ドリブルでボルトを抜けるとは思っていない。庭は――地上じゃない。 『やあっ!』 地面に思い切り叩きつけたボールが跳ね、空を舞う。 (ウズマのパスを真似した……いや、違う!?) クロアが前方に跳躍し、天空に浮くボールに向かう。 『うおおお!』 クロアの跳躍とボールの描く放物線が重なったとき、バックハンドからボールは放たれた。 正四面体に吸い込まれたボールが、ふわりとフィールドに落ちてきた。 「ゴール! ゴール! これで8対9! ウォリアーズ、序盤以来初めてのリードを奪った!」 『やったぜ!』 ウズマが降りてきたクロアとハイタッチする。しかし。 『……粋がるな素人が!!』 最高潮に達するスタジアムを、怒声が切り裂く。 フィールドを真っ二つに割る電光石火。ゴールから落ちてきたボールは、フローゼルの縦のロングパスにより瞬く間にボルトの手に渡る。 『なっ!?』 虚をつくカウンターだった。 キングも備えていたが、あまりの速さに目が追いつかない。 呆気にとられる間もなく、電光掲示板は同点を知らせた。 静寂と歓声が同居したかのようなスタジアムに、これまで以上の緊張が走る。 『勝つのは僕だ! お前ら如きが僕を止められると思うな!』 天才スコアラーの得点は、瞬く間にスタジアムの空気を支配した。
返されるボール。ウズマはドリブルしながら考える。 (残り32秒……同一チームに許されたボール保持時間は30秒、次のシュートを外したら高速カウンターで返されて終わりだ。たとえゴールを決めてもカウンターを受けたら同点。キングはもうヘロヘロだから延長は無理だ。……30秒を目一杯使って、カウンターにかけられる時間を削るしかねえ!) フィールドを駆けるクロアに一瞬だけ目を移しながら、ウズマは思考を巡らせる。だが、そのわずかな隙が命取りとなった。 『もらった!』 『しまっ……!』 残り15秒。ウズマがボールを、この試合初めて奪われた。 『くそっ!』 『ボルト!』 リザードのパスがボルトに渡る。 (やべえ! 決められたら終わる!) 『これで終わりだ!』 ボルトがシュートを放つ。だが。 『ウズマ!』 疾風の如き速さでボルトの目の前に立ったクロアは、シュートをはたいて直接ウズマにパスを通す。 『なっ!?』 『走れウズマァ!』 パスを受けたウズマがドリブルで直進する。だが、突然のカウンターにもリザードとフローゼルはギリギリ追いついている。地上のパスコースは塞がれた。 しかし。 (ウォリアーズのスコアラーの庭は、地上じゃねーンだよ!) スロープを猛スピードで駆け上がっていたクロアは、その頂上から飛び出している。 『おらぁ!』 空に打ち出したウズマのパスは、クロアにとって最高のタイミングだった。だが。 『無駄だあ!』 『っ!?』 ボルトは、クロアがスロープの上から跳躍することを読み切っていた。クロアの後ろをぴったりとつけて走り、スロープから飛び出すときに強く蹴り出し初速を出す。ボルトの体は、クロアのシュートコースを完全に遮っていた。 (打てない! 駄目だ) 残り4秒でクロアがウズマにボールを返す。だが、ボルトにクロアを任せていたリザードとフローゼルは、ウズマのシュートコースを遮って、カウンターの準備をしている。もう後がない。このままでは同点で延長、すなわち負けだ。 (いや……まだある! 唯一の勝機!) 一条の光を、クロアは見出した。 『もう一度だウズマ!』 勝つには、これしかない。練習はおろか、こんな形のシュートは想像すらしたことがない。一度切りのチャンスだ (……馬鹿だなお前。俺のパスは無茶苦茶だって言っておきながら、お前が一番無茶苦茶じゃねーか! けど、乗ったぜその賭け!) 残り3秒。 『クロアァ!!』 パスが、未だ滞空するクロアに打ち出される。 (馬鹿な! 空中から地上にリターンしたボールをもう一度受けてシュートだと!? ありえない!) 目の前のボルトが落下し始める。シュートコースは――晴れた。 残り2秒。 『うおおおおお!!』 経験不足をからかわれながら、何千回と練習したバックハンドシュート。 不安定な体勢でも、手のひらはボールの中心を叩いた。 『いっけええええ!!』 残り1秒。 クロアとウズマ、そして反対側のゴールで見守るキングの声が、スタジアムに木霊する。
ブザービーター。 電光掲示板には、残り時間00:00と、ウォリアーズの得点『10』が表示されていた。
澄み渡る青空の下に、超満員の巨大なスタジアムがあった。 「さあ入場してきました! 並み居る強豪を撃破し、ついにワールドカップファイナルまでやってきたハクダンウォリアーズ! メンバーをご紹介しましょう! 知将エリクが率いるのは、小さな破天荒ドリブラー、白黒の魔術師ウズマ! 幾多のシュートを阻んだ鉄壁のシールド、邪神の剣キング! そして、ウォリアーズの大躍進はこのポケモン抜きには語れない! 空駆ける超速スコアラー、黒き疾風(ジェット・ウィンド)クロア――!」
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そして糸車は回る ( No.5 ) |
- 日時: 2015/01/25 15:20
- 名前: からげんき
- テーマB(糸)
なんだかんだで紡がられるのはこの世からして簡単だったかもしれない。
母は今日も銀の糸を編んでいた。とにかく無言で編んでいた。 何か使い道があるわけではなく、うっすらと伸びている影は、ただひたすら編んでいた。 月明かりに照らされて、様々な模様が呼び覚まされるように浮き上がった。とてもまぶしく輝く太陽のような形、自身のような六本脚をくっ付けている生き物に見える形、あとはしましま、見慣れた網、迷路、お花、本物の葉っぱ、食べてきた残骸、それと透けた羽。自分が知っているものはこれくらいだけど、母の体の何十倍もある織物がこの言葉だけで収まるはずがない。残りはまだ自分が知らなかったり、例えられるものが見つからなかったから。今また見ると、あの形がどこにあるのか、どこかに逃げてしまったようだ。 昨月、いや、何月、いや、何ヵ月?良く分からないけど、母はずっとこの調子だ。母は集中しているものに邪魔が入ると、命の危険さえも感じるぐらい恐ろしいことをする。だから、今までずっと小窓の隅に張り付いて見るだけだった。 けど、少しは聞いて見たい。その好奇心と恐怖心とのいさかいは良くある。大体は臆病な思いが優勢な感じの結果で終わる。でも、今はそこまで弱くない。だから、自ら負けを認めさせたように恐怖心が出て行った形で好奇心が勝った。 そして、そのまま何をしているの?と聞いてしまった。やっぱり、呪いを掛ける勢いがあるぐらいのしかめっ面で、母は睨んできた。 しかし、奇妙だった。母は満足したのか、そのまま作業に戻った。おかしい。鋭く尖ったげんこつがまだ降ってくることも、声だけの雷が落ちてくることもなかった。何事もなかったように、その影はせわしく機械的な動きを続けている。 その時、上から押し潰す勢いで怒られるのとはまた違った、突然非日常に放り投げられたような、不気味な感じの恐ろしさがその影を伝って、身体中に覚えずの震え、つまり、本能的な危険信号が出ていた。 諦めも大事。仕方なく、二、三歩ぐらい後退りして、母に背を向けると、自分の寝床に帰ることにした。 丁度、月が雲の中に隠れたようだ。 辺りは本当の暗闇になった。もっとも、あとちょっとで明け方になる今は、夜でも更に暗くなるから尚更だ。自覚は無いけど、光の乏しい世界に特化していると言われるこの目でも、三歩先までの幹の筋がやっと見えるのが限界。それに、眠いから時々目の前がぼやけて、何もかもがまっ黒に塗り潰されて、脚の感覚だけで歩いてしまうこともしばしば。今だってそうだけど。 本日の収穫は無し。昨日の羽虫の群れの到来のようなことは、昨日限りで終わってしまったようだ。自然の摂理だからしょうがないと言われても、本音はもっと欲張りな感じ。いつもの場所に落ち着くと、いつも通りゆっくりと意識の糸をたどりながら、全てを無に預けた。 その次の月夜の下、目を覚ますと、母は永遠の眠りについていた。
不意に思い出してしまった。その時、ただ狸寝入りをずっとしているだけで、本当に死んでいるとはあまり実感がなかった。時間が経つにつれ、心の余裕をむしばむように、母がいない空っぽの容積は増えて、寂しさが生活の中でこびりつくようになっていって、初めて親の大切さが分かった、気がした。その時の僕のように、織物も未完成のまま残され、沢山の意味不明なことを着せたまま、星空の一員になってしまった。 そういえば、今日もこの月明かりの無い暗い一日で、獲物も乏しい結果で終わったっけ。ただ違うのは体がでっかくなったくらい。結構な時間が過ぎたと身が分かったとしても、頭では相変わらずぴんと来ない。もっとも、生き方が悪いからこうなったんだけど。 今となってはアリアドスとかっていう形に「進化」してすっかり面影もないけど、見た目意外に感じ取れるものはほんのちょっとだけ、力が増したぐらいで期待出来るほどの変化はなかった。むしろ、進化した始めの内は戸惑いばっかりだった。 脚が長くなっているからって、巣作りの効率が上がるなんて大間違い。取れる範囲だけは広がったけで、慣れてない長脚で足場を渡る時は小回りが利かないから、作業がおぼつかなくなったりして、大体巣に歪みが出る。糸だってそうだ。より丈夫なものを出せるのは良いんだけど、強すぎてその頃の力量だと、逆に扱いにくいし、何か余計な落ち葉とか枝とか巣が目立ってしまう邪魔なものが、一度捉えたら絶対に離さない、をうたい文句に出来るような粘着性を持っている糸から取り外すのも一苦労する。だから、こうなったことに少し後悔していたっていう時期があった。もう、この体に慣れているから何ともないんだけど。 すっかり自立して、母の手を借りなくても立派な一人前のクモの巣を張ることだって出来る。獲物の出来高もなかなかのもの。だから、母の突然の死を乗り越えた今、もう生きることに何一つ不自由を感じない・・・ と、言い切るのは間違いになる。 母が残していった、あの織物を休まず、死ぬまで織り続けた理由、取り憑いたように今でも心の奥を引っ掻いている。 ずっと。まだ生きているように。 それだけで、生きている時間の半分を使いきった気分がするほど、悩まされて、夢でもうなされて、いつもぼうっとしているから、 「よう、ボケすけ。」 こんなあだ名を付けられてしまう。巣の手入れをしていたのに、そんなことも忘れてすっかり考えにふけっていたと、いつもの相手にまた、目を覚まされた。 「本当に固まるの好きだねえ。まあ、アリアドスの狩りは、待つのが本業ってもんだけど、ボケるのはちょっと違うんじゃねの?」 「分かっています。考えことをしていただけです。」 「ほんと、ずーっと考えてる考えてるんじゃ、そのうちそこら辺の木の枝に取り込まれるんじゃね?」 話し掛けてくるこのペンドラーはとことんしつこい。暇さえあればすぐによってたかってくる。しかも、どこにいても僕の側にいられる鬱陶しい能力があるようで、大体すぐ近くにいる、というよりは、探そうとしたらもうすでにいた感じになるのがいつものこと。暇をもて余す時は良いけど、それ以外の場合はちょっとわずらわしい。とりあえず、用件を聞けば大体去って行ってくれるので、決まり文句みたいになってしまった一言を。 「で、何の用事でしょうか。」 「なんか、あんたじゃない別の変なアリアドスがここの森に紛れ込んだんだって。一応、おんなじ種類だから念のため気をつけろって、長老のババアドダイトスからの言っとけとのことだ」 珍しかった。何でもない、と捨て台詞をつまんなそうに吐いてすたすたと地面を這うように歩かず、普通に答えてきた。 もちろん、普通に驚く。ちゃんと受け答えをしてきたのはさておき、 「変なアリアドス、とは?」 なんだろう。自分の姿ぐらい、湖のほとりでみたから大体分かるけど、どこが変なのか。このペンドラーいわく、 「ごめん、よくは聞いてなかったわ。俺もどんなのか見ていねえから、わからん」 らしい。つまりは、自分の目で確かめろと言いたいのだろう。 良いんだか悪いんだか。同じような姿をしている同族と母以外で初めて会うことの期待感と、変な、という話から来る危なげな香りとで、丁度半分同士な複雑な気持ちを味わった。 そちらこそ気をつけてくださいね、と心ではもう帰って、という意味を含んだ言葉を掛けて、放置していた作業に戻った。 「気いつけろよな」 そう言って無事、ペンドラーは去ってくれたようだ。なんだか唯一の話し相手が危機に直面するかもしれないっていうのに、呑気そうにのっしのっしと胴長な体をたゆませながら寝床に帰る様子が、いかにも緊張感がないと、自分すらも少し気が抜けそうになった。 それでも、嫌な予感がしてたまらなかった。
次の日の空は晴天。この星空の形なら、あと一回月が欠けると暦は夏になる。最近は時間が進むのが早くなっているようだ。五月(いつき)で春は終わるらしい。 いつものように巣を見に行った。ちっぽけな蛾二匹といつもの羽虫が力尽きて、風にあおられてるだけの食い物になっていた。今夜はきっちりとかかってくれたようだ。また暴れられたらごくたまに逃げられることもあるので、噛みつき、しっかり唾液を注ぐ。この唾液には毒が入っているとか聞いたけど、よく分からない。これで動けなくなったら、ゆっくりといただく。蛾の羽はとても食べられないので、噛みちぎった後、粉が撒き散らされないように糸にくるんでまとめてから、本体の頭からがぶりといただく。並より少し下だけど、決して悪い結果じゃない。まったくかからなかった、なんてもしばしば。残った羽と要らなくなった糸の玉は、適当に枝葉にくっつけて終わり。 後は巣の手入れ。そういえば、ここで昨日は考え事にのめり込んでいて・・・ そうだ。すっかり忘れてた。 ペンドラーに話し掛けられて、この森に新しくアリアドスがやって来たって聞いたんだっけ。それで、よそもので変な感じでおんなじ種類だから気をつけろ、ってまで。そのあと、暇があったら探して見に行ってみようって考えてから寝たんだ。そんなことはさておき、この用事が終わったら、少し手が空くから行ってみよう。 思い立ったが吉日。いつもより手早く掃除だの網が破れてないかの点検だのを仕上げると、一息ついてから糸が掛けてある枝に脚を乗せた。 まずはペンドラーを探そう。 ・・・おかしい。先を越して野次馬に行ってしまったのか?二十八歩進んでも見つからないのなら、もう姿を見せないだろうと見ている。それからは出来る限り速く森の中心に行く以外、頭には無い。そこで情報を探ろう。 どきどき巣から離れるけど、その二十八歩以上となると、集会に呼ばれた事を除くと、覚えている中では一度だけ。帰りの時間もはっきりとは決まってないから、巣の事がとても心配。ただの糸を張り巡らしたものだからと言っても、そう一晩や二晩で作れるものじゃないし、あと脚が八本欲しくなるくらい労力が要る。もしも、価値があるなら、住居を持つポケモンの寝床と一緒なぐらい。それに、いくら丈夫とはいえ、所詮は糸。多分、かなりもろい。だからいつも以上に気にかける。 自身のとても細い脚よりも細い枝を伝い、自身の体の三倍はある大きな葉っぱを押し退けたり引っ付いたり引っ張ったり、それでも無理なら角や鋭い脚の先で切り裂いたり、また頼りないあの細い枝に脚を引っ掛け、たまに太い幹にぶら下がったり、その時にタネボーの脇を通り抜け、途中途中にある好みの木の実で乾いてカサカサになった喉を潤して、一度呼吸を整えてからまた移動。忙しく変わる風景には目もくれず、障害物が少ないのならほぼ全力疾走し、それなりに茂みが多い地帯は素早く切り抜けて、途中、寝ていたカラサリスだかマユルドだかを、踏んで驚かして起こしてしまったことには、いつか謝っておこう。そして、この木だけ、蔦(つた)がびっしりと、木の外側の面影が無くなるまで三重ぐらい丁寧にまとわりついている、この森唯一のまともな目印。 やっと着いた。 とりあえず、さざり、とその蔦にしがみついておいた。ここなら多少なりとも、話し相手になるポケモンがよくいる。 いた。 やっぱりペンドラーもここに来ていた。仲良く同じ色合いを持つドラピオンと雑談している。時々聞き取れる単語からは、やっぱりあのアリアドスのことを話しているようだ。この森ももうそのよそものアリアドスの話題で持ちきりのよう。ドラピオンの後ろにその子ども、スコルピか。ってことは親子なんだ。初めて顔を会わせてから二回季節が巡ったけど、今までは知らなされてなかった。ちょっと意外。 そう気付いた時、葉っぱが擦れ合う音とかなりの風圧を感じたと思うと、 「あら、あのみなしごイトマル、のボケちゃんだよね。ごきげんよう。」 「こんばんは。イトマルじゃなくて今はアリアドスですよ。」 「あら、こんな時でも間違えちゃうなんて、ごめんなさいね、物忘れが多いおばちゃんで。」 いえいえ。 中年のドクケイルだ。このおばちゃんともよく会うけど、ペンドラーよりはしつこくない。生きていた母との付き合いからずっとだから長いといえば長いけど、実際に話をするようになってからだとペンドラーほどじゃない。だけど、よく木の実の差し入れとか、「生き」の先輩として相談に乗ってくれたりと、関係は結構濃いものだ。 まばらに飛び出ている蔓に止まると、話を再開した。 「それで、イトマ、じゃなくてアリアドスちゃんは、あのよそものの話で来たの?」 そうだ。 「はい。情報だけは集めておかないと、思いまして。」 そして本題。 「それで、その僕じゃないアリアドスって見ませんでしたか?」 「見てないわね。」 即答かよ。そう簡単には見つからないようだ。 「私もそのつもりで東の森うろちょろしていたのだけれど、見付かんなかったわね。近所のスピアーの護衛さんにも聞いてみたけど、それらしい影はなかったって。」 羽を持つもの二匹がかりでもいないのか。だとしたら、多分、そこにはまだいないと思う。それから、 「クロバット先生が見つけてら森の住人に注意を促すように、長老に言ったのが最初ですって。」 だ、そうだ。やっぱり強くて羽を持つやつはこういったことには早い。とりあえず、 「どこら辺にいたってのも聞いた、んですか?」 敬いの語尾をつけ忘れそうになったのはさておき、そのクロバットのことも聞けるだけ聞いておかこう。 「確か、南よりの西とか、っては言っていたわね。」 そこって、巣を張っている場所に結構近いような。 それでも、そこそこ良い情報は得た。今のところ、東の方にいる確率は少ない。あと数匹話を聞いたら自身が住む西の方を見回ってみよう。 「ありがとうございました。気をつけてください。」 「私はもう先が長くないんだからいいのよ。それより、ボケちゃんの方が色々危なっかしいんだから。私よりもっと気をつけて。」 お気遣いありがとうございます。 その後ドクケイルは、紫色の粉と風圧を撒き散らし、そこらじゅうの葉っぱを揺らしながら、どこか闇へと消えるように飛んで行っていった。
それから、ペンドラーとドラピオンにも話を聞いたが、そのよそものアリアドスは自分とは違って態度が悪い、ということが分かっただけで、他の話はさっきドクケイルがこぼしたものと変わらなかった。 そのあと、ドクケイルにまた会って、その時にそのアリアドスを探したら、っていうより協力してくれる?と、言われたからなんだけど、自分でも探すことにした。 一度、あの蔦まみれの巨木に止まってから方向を再確認。そうしないと、この森の住人でも時々迷ってしまうことが。僕みたいにたまにしか外に出ないのなら、尚更気をつける必要がある。もし、マユルドだかカラサリスがいるのなら、謝っておこうと思う。 掴んでいた葉っぱが、みしゃりと音を立てた。脚の裏にちょうど来た小枝を蹴飛ばす勢いで、その枝が折れようがわめこうが後ろなんか見ず、ただ次々に来る足場を捕まえることに専念する。移動の時に糸を出すのは普通はしないけど、急いでいる今は特別に使っているだけ。移動ごときで毎回糸を消費していたら、肝心な時、って言っても巣の修理ぐらいにしか使わないんだけど、その時に糸が出せなかったなんて大変だ。生憎、無限に出せない上に、もちろんだと思うけど戻すことも出来ないし、思うより貴重だからそう多くは出せない。糸を支える枝が僅かに音を上げたり、荒っぽく掻き分けた木の葉が大きく動いて擦れたり、さっきより移動の時に出す音が聞こえるようになった。 結局、またカラサリスだかマユルドには会うことはなかったけど、なんとか自分の巣がある所まで戻ってこられた。だからと言って、安心はまだ出来ない。 一度、巣の状態を確認する。巣そのものを支える外側の大黒糸から、歩く為の縦糸、一度くっついた獲物は二度と離さない周り糸、そんな沢山あるうちの糸一本でも、ちょっとよじれるぐらいのちっぽけな変化があるなら、その時点で大変なことだ。普通なら、誰かがいじるなんて、子供の好奇心でも親とか、その前に本能で差し止められる。つまり、とんでもなく正気じゃない相手か、ただの庭としか見ないアリアドス来た印になる。 なぜだか、自分でも分からない期待もあるけど、確認するだけなのに緊張する、というより嫌な予感が物凄くする。 そのよく分からない期待に対して怯えながらあみだくじをたどるように見回ったけど、とりあえず巣の中では異常と見えるものは見つからなかった。でも、まだ安心は出来ない。この場だけがなんともなくても、見ている所からちょっと離れた所で問題が起きているなら、当たり前だけど見過ごしたのと変わらない。 後悔することはもうしたくなかった。 もう一度、巣を飛び出すのは心なしか面倒だけど、もっと面倒になるよりはましだ。そうしてまた糸を支えるこずえに脚を乗せた。 歩きながら上を見る、右を見る、下と後ろを見る、物陰で見えない所も入念に調べる。怪しげなものを探しているのに、逆にこちらの方が動き一つ一つがとても不審な感じだ。そして、 「ねえ、何しているの?」 こうやって怪しまれても文句は言えない。でも、聞かれても何も答えないのはもっと白い目で見られる。視線を向ける前に言ってしまったけど、ここは正直に話して誤解されることだけは。 「あ、ちょっとパトロールです。なんか変なアリアドスがこの近くに・・・、」 「え?私が変ですって?」
誤解されることだけは避けよう、どころじゃなくなった。 お陰で芯の無い腰抜けのウソッキーのような、中途半端な悲鳴を出してしまったじゃないか。なんでこんなにも早くから試練が訪れるんだろう。さっきの、頼りない葉っぱに我先と身を隠した、怯えていた様子には気にとめないまま、その変なアリアドスは話を続ける。 「またかあ・・・。変質ポケモンって他のアリアドスと変わった色合いだから?」 「いやいやいや、周りに変だって話されて、つい・・・」 「何そのいかにも取って食わないで下さいって感じの命乞いみたいな態度。そんなにワタクシのことが怖いですか?」 相当、気が強いんですね。 「そ、そ、そりゃ初対面ですから緊張するなんて当たり前じゃないんですか?ってあなたこそ初対面なんですから敬い言葉を使わなくちゃいけないでしょう。」 「同種の会話にいちいちデスマスくっつけても取り越し苦労するだけじゃない?」 変なのってこれか。さすがに敬い知らずは、自身の視点でも、変わったよそものだとしか見られない。 「変なのって、このだらしの無さってことか・・・」 あ、うっかり口にしてしまった。だけど、 「え、あんた体の色は気にしないの?」 相手のアリアドスも意外だったようだ。 変な、に対する自覚はお互いずれてるようで、相手は言葉遣いに気に留めなかったし、色合いが自分と違うよ、と今言われてもパッとしない。そもそも自分の姿なんて僅かに残る記憶しかないし、その記憶自体も頼れない。 大体こんな意味の自分の返答に、何か困るものでもあるように、相手のアリアドスはどこか心配そうな声で言う。 「まさかだと思うけど、ろくに自分の姿を見たことがないんじゃない?」 冗談のつもりでいたようだったけど、残念ながら本当なんです。 「あ、はい」 「そうなの!?」 またびっくりさせてきた。嘘が本当になったら当然の反応だと思うけど、やっぱり臆病な僕には慣れない。そして、 「ってことは、つまり、親の姿を見たことがないって話になるけど、いいの?」 とことん気遣いがなっていない。気にしないけど、お堅いポケモンが相手だったら、怒られることを通り越して吹き飛ばされそう。 で、親のこと? 「そうじゃない。けど・・・」 「けど?」 この瞬間、失敗してしまったと後悔した。なんで話が続く言葉を言って、相手を食い下がる餌を与えてしまったのか。また驚かされるのも嫌だし、かと言って現実を捏造するのも自分に対して後味が悪い。結局のところ、正義感にならって事実を口に出すことにした。っと思った矢先に、 「やっぱ、なんか聞いたらいかん、ってやつっぽいからもういいよ。」 あれ?ちゃんと気を使えた。意外。 結構な間が開いたからと思うけど、相手に罪悪感を感じれることが出来て良かった。 それから、話題がないからお互いに妙に沈黙してて、そうだ、と思い出した所で、 「あのね」 「それで」 偶然にも相手と同じタイミングで切り出した。相手も何かあるようだから、どんな些細な事よりもどうでもいいような、自身の身の上話はあとでいいか。譲っておこう。 「あ、別にそっちからでいいですよ」 「え、いいの?・・・そう。じゃあさ、」 この間の開け方、相手も僕と同じことを考えていたみたい。というより、なんかいきなり親切になった。 「ここら辺に泊まれるような場所ってある?」 え?自身の住処はないんですか?って聞こうと一瞬思ったけど、冷静に考えたら、他からやって来たよそものなのにって話だから流石にない。でも、泊まれる場所?うーん、 「多分、なかった気がした。」 僕が感情を込めずに言ってしまったのか、ただそうなのか、相手の顔は悲しげな色に染まっていく。いや、本当に自覚は無いんだけど、 「あ、なんかごめん」 条件反射とかって感じで謝った。簡単に言うと考える前に体が勝手に動いたって感じ。 そんなことよりどうしよう。静かにおどおどして冴えない僕に相手は一言掛けた。 「じゃあさ、自分ん家(ち)に泊まっていく?とかにはならないの?小者っぽいあんたが言ってもやましいなんてこれっぽっちも思いませんですが」 それ、二重敬語。皮肉のつもりで言ったんだろうけど、使いこなせていないことが晒されていますよ。 なんて突っ込みは横に置いておいて、 「ちょっと待ってください。」 僕の住処に居候する気?ただでさえ少ない食糧を分け与えるのは一週間でも洒落にならない。 「別に長居はしない。まあせいぜい三日ぐらいあればいいよ。」 森以外のポケモンって月じゃなくて、か、っていう単位にしているっていうのは本当なんだ。 とか感心している場合じゃなくて、なんか不安を先回りして三月、っていう期限を与えてくれたけど、まだ心許ない。 「それでも、あなたは貧乏な見知らぬ相手の家に泊まって平気なんですか?」 自慢するほどじゃないけど、本当に寝る為の道具以外、何もない。しかも狭い。風雨をしのげるかどうかの質なのに、客を入れてもいいのかなんて不安もある。 「とりあえず見てみないとどうしようもないし、案内すれば?」 それは確かに賢明なんだけど、そうすると、誤解される危険性は山盛りなぐらいあって、なんて説明には耳を傾けてくれなかった。 「普通に話せばいいんじゃないの?」 あまりの自由度に、もう僕は心が折れたよ。
今また思うけど、やっぱり嫌な予感がする。普通にそんな悪い風が吹いているのが身に感じられる。 とにかく、変に絡んでくるやつに合わないように祈ることで、頭が一杯だった。帰るだけなのに、たった一つ条件が変わるだけでここまで負担が増えるとは、恐ろしい。たまに後ろを振り返ってみると、いなかったり、と思ったらすぐ上にいたり、気まぐれの度がしんどい。おかげさまで家路に着くのが遅くなり、最悪なことに、 「おい、何してんだ?」 あのペンドラーに鉢合わせ。お願いだからこれ以上物事をややこしくしないで。 「これは、その・・・」 ああもう、なんでこういう時に限って良い感じの言い回しが思い付かないんだ、まったく。自分が言葉に詰まって口ごもっているのをよそに、このアリアドスは、 「宿探し。じゃあ行くよ。」 潔く会話を終わらせる。強気に出ても良いんだけどさ、相手考えようよ。上から見ているから分からないと思うけど、そこそこ大柄なんだよ、ペンドラーって。 もちろん、こんなんのが付きまとわれて気が確かなのか心配するよね。ペンドラーはよそものアリアドスに声を返した。 「なんだ?お前がよそもののアリアド・・・」 「しつこい。どっか行って。」 まだ言い終わってもないじゃん。いくらなんでも早すぎる。 本当に大丈夫?今度は種族も違うんじゃない?この切り返しにはあのペンドラーもさすがに閉口。一歩一歩大袈裟にアクションをして歩いて去った。あれ、相当怒っているよ、怒らせちゃったよ。てか本当にこの後平気?とばっちりは嫌だよ。 こうして、また新たに怯えさせられる要因が増えてしまった。 こうなるんだったら遠出なんてしなければ良かった。
いつまで続くんだろう、この不穏な空気。 あの後、少し会話があって、相手のアリアドスは見識を広げたいから旅をしている道中だということを聞けた。他にも性別は僕と違ってメスのようであることが分かったけど、今更?と、そのままの意味で聞かれた。ちょっと恥ずかしかった。 それ以降、彼女を怖がって出てこないのか、誰にも会わなかった。行動が早めに終わるのはいいことはいいんだけど、誰も出会わないと逆に不気味で、迷惑を掛けているんじゃないかって罪悪感が、珍しい来客なのに気分が乗らない他の原因なのかもしれない。 そんなこんなで本当に何事もなく、自分の寝床の木の洞に着いた。 彼女は自分の家のように、お邪魔しますの一言もなく無遠慮に脚を踏み込んで行ったと思ったら、 「何これ凄い!」 なんの前触れもなく驚くのいい加減止めてくれませんか。 彼女が見ているのは、母の残した織物だった。 入ってすぐの壁に掛けているので、わざとらしく目をそらさないと、嫌でも視界に入ってしまう。そもそもかなりの大きさで、ところどころに混ざっている薄羽が月明かりを映し返してきらびやかに見えるから、普通に目立っているんだけど。 「もしかして、自分で作ったの?これ。」 そう聞いているけど、彼女はネイティオが太陽を見ているように頭を一切動かさず、その織物に目線が釘付けで、網目で迷路を作って楽しんでいるもよう。そんなにこの織物は凄いのか。 僕には分からない。こんな謎しか生まないものになんの魅力があるのか。その時の僕にはまだ分からなかった。 「違う。母が勝手に作っているやつ。」 「え?作っている?いなくなったんじゃないの?」 あ、なんか心の部分が変に出ちゃった。うん、何でもない。簡単にごまかそう。 「そうだけど、本当はまだ完成じゃないんだ。僕でもいまいちよく分からない。」 実を言うと、いまいちじゃなくてまったくなんだけど。別にこれぐらいの嘘は気付かれないと思う。 「へえ・・・、凄いよ。」 そこまで音を伸ばすほど、感動するものなのか。何が凄いのか聞きたいけど、長くなりそうだと本能的に思って、彼女の長い感嘆に付き合うことにした。 でも、さすがに僕も限界がある。もう日が上がっちゃうところまで待たされて平気なのって、ノズパスぐらいなんじゃないのかな。 「あの・・・」 「あ、すっかり忘れてた。ここにするかだったの話なんだっけ。」 忘れるほどに夢中にする要素がこの布地にあるのか、何なんだろう。そう悩んでいる最中お構い無しに、 「ここでいいや。もう探すのもかったるいし、後は自由にしていいよ。」 相談すること無く勝手に決定。自由なのはあなたです。 付き合うのがこんなに疲れるのは、彼女だけなのか、ただ自分が反抗しないで振り回されているだけなのか。 正しいのはどっちなのかは分からなかったまま、気が付いた頃にはすっかり寝ていたようだった。
次に目を覚ますと、彼女はまだそこにいた。 「ねえ、」 「何?」 寝ぼけているのに気にしない。もうこれって、なんというか、気にしたら負けみたいなことなのかな。 「これってさ、何で作ったの?」 知らないよ。 「僕にも分からない。何の為に編んでいたのか、ずっと気にはなっていたけど、なんだろうね。」 こんな答えで満足するはずはなく、とっても難しそうな顔を見せて、 「そうなんだ。」 こんな奴、役に立たない奴の典型的なパターンだな、みたいな口調で返した。だけど、これからまた切り出し来たのは、少し意外だった。 「でもさ、もったいないんじゃない?」 どこが。 「こんな面白そうなものを放っておいて。なんか考えたらどう?」 色んな模様にさまざまな解釈をを妄想して、そこから新たに物語みたいなものを紡いでもいいんじゃないとか、もういっそのこと完成させてしまおうとか、色々言ってきた。 「まあ、そうなんだけど、」 そうなんだけどね、 「僕だって色んなこと考えてきたよ。でも、結局分からないよ。何で作ったのか、母のあの不思議な様子は何を伝えたかったのかなんて、僕だって分からないよ。」 あ、またやっちゃった。 こんな奴が突然、熱くなったら相当驚くよね。だって固まっていることなんて、あんまりなかったのに。ってか軽く引いているし、これはまずい。自分でもなんとなく気持ちが伝わってくる。 「な、なんか悪いこと言った?」 悪いことなら沢山していたけど、 今のところは違う。 「いや、何でもない。」 その一点張りにしておけば、まあなんとかなるだろう。けど、その自分の期待には及ばず、 「何でもないの?別にいいけど。」 意外とあっさりと引き上げた。 その後の沈黙に耐えきれず、僕は仕事場へと外に飛び出した。
彼女にさせられるものも特に無く、無駄に揉め事を起こしていく、悪く言うと荷物にしかならないので、置いていった方がいいんだけど、少し気の毒に思う。 とにかく、巣の成果を見に行こう。 結果は、蛾みたいな羽虫三匹。感じることが出来ないぐらいの僅かな風にあおられてくるくる回っていた。二匹は彼女の分に分けておこう。 みりみりと、動いている脚元の糸が音を立てている途中、 「おーい、ボケすけ。」 ここでまさかのペンドラーと遭遇。どうしよう。昨月の件のつけは嫌だよ。怯え気味に体の向きを改めたけど、 「結局大丈夫だったのか?あんな奴に変な事されてないだろうな」 良かった。僕に対しては怒ってはなく、心配をしてくれているようだった。あのペンドラーが珍しく焦っている表情を見せている。 「あの後も色々たじたじだでしたけど、平気ですよ。」 「やっぱりか。鈍くて良かったわ。なんか尻に敷かれるようなことにならなくて、弱気だから余計危なっかしいからって思って心配したんだぜ。」 確かに、強気だったからね。で、 「鈍いって?」 何ですか。自分の返答に、そんなに深刻なことでもあるか、ペンドラーは少し困ったような顔にしてから、何か悩んでいるのか、少し唸っていた。 「やっぱいいや。どうせ教えたところで、分かってくれなさそうだし。」 またそれか。どうせそうですよ。 そして、いつものようにペンドラーは帰って行った、かに見えたが、 「恋の話なんかこれっぽっち通じないお前で本当に良かった良かった。」 最後の置き土産と言わんばかりに、大声で言いふらすようにしてから去っていった。 皮肉なのか知らないけど、良かったじゃないと思うよ。
二匹の羽虫を携えて寝床に戻ると、彼女がいきなり話掛けてきた。 「ちょっと思い付きなんだけどさ、」 「何?」 長くなりそうだから、とりあえず近くに引っ掛けておこう。 「将来ってどうしていると思う?」 え?本当にいきなりなんだ。 「将来?何をしているか?分かんないよ、そんな・・・」 「そうじゃなくて、どんな雰囲気になっているかって想像してほしいの。これで分かりますでしょうか。」 イラつくとどうしてか、二重敬語を使うのって何で? いいや、気にしないで、想像してみないと。 ・・・なかなか難しい。さっき一瞬ひらめいたのは、今の時とほとんど変わっていない印象が少し頭をよぎっただけ。しかも、先のことなんか考えたこともなかったから、今触れている分野も新鮮な感じがする。 でも、なぜだろう。執拗に母のことを思い起こされる。そして、この織物は特別にどこかで重要な役割を持っているようだと、本能が直接語り掛けるような現象も起きた。 何だ。一体何だ。僕は必死に頭を振って絞り出そうとしたけど、まだ一つ、あと一つ何かが足りない。もうすぐ繋がるといのに何かが足りない。どうして出てこないんだ。答えはすぐそこだというのに。どうしてだよ・・・ 不思議なことに、その答えを知っているのは、彼女だった。 「なんの為に生きていた?まずそこから考えないと、想像するのも難しいと・・・」 彼女の言葉を最後まで聞き取るか取らないかのところで、何故か、勝手に体は動いていた。
次に気が付くと、湖のほとりにいた。 そこに移るのは自分の顔、体、足、そして、目。間違いなく、自分だった。 でも、その姿は母親にも似ていた。今思えば、あんなに立派な姿も、中身が違うだけでこんなに威厳無く見える。 本当に今まではなんだったのか。織物の意味をずっと考えてふけって、振り回されてただけじゃないか。その為にしか生きていないじゃないか。本当にそれだけじゃないか。 じゃあ、あの織物がなかったら。 ・・・やっと意味が分かったよ。お母さん。 その時に初めて、母親が持つ強みが分かった。気がしたとか、中途半端ではなく。 あの頃、生きていくことに目標は無いということは、母親にはばればれだったんだ。そして心配した母は生きる目標として、子供に謎を課すことを決めたんだ。そして、付き離す為にも、死を選んだ。 次に残せるものがそれしか無かったとしても、あれは遠回しすぎるよ。 「はあ・・・やっと追い付いた。いきなり飛び出して。なんなの?」 ごめん、すっかり忘れてた。 そう言いかけた瞬間、後ろから突き飛ばされて、今度は突然鉄砲水が来たと思ったら、既にそこは湖の中だった。
あの日々に気付かされた。 流れに紡がれること、それはごく自然で、とても簡単だったんだと。
そして、今日も僕は編んでいる。あの後、そのよそものアリアドスは去って行ったが、なんとなく生まれ変わったような感覚になって、その勢いで糸車を引くことを始めた。 「またあみあみしている。」 あのスコルピがやって来たようだ。 「こら、邪魔してはいけませんって何回言ったら分かるの。・・・すいませんね、毎回毎回うちの子がお世話になっていまして」 いえ。 次に来たのは母親のドラピオン。あのペンドラーの紹介というか、とにかくそんな感じでここに遊びにくるようになった。そのペンドラーは恋が実らずに、とか自分を羨むことをよく言うようになった。別に何も思っていなかった。それがペンドラーが言う自身の残念さを生むはめになったのが分かったのは、あのドクケイルとの井戸端会議から聞いて分かったことだ。でも、何がもったいないのかは、今でも謎。 それにしても、子供の好奇心は旺盛だ。不思議と、飽きないことにはとことん食らい付き続けるから、時に厄介になると思うけど、まだこれぐらいなら微笑ましい光景だから平気だ。 この織物が持つ意味、次の世代にはどう目に映るのか、ここからどのような物語を紡ぎ出すのか、楽しみだ。 「それにしても、すごくお上手ですね。それにしても、なんでずっとこのようなことをしているのですか?」 「今残せるものを残しているだけです。」 そのドラピオンは半分くらい疑問が残ったまま、はいと頷いた。その子のスコルピも不思議そうに様子を伺っていた。 今はまだ分からなくてもいい。 ただ、この編物を織り続ける。それが今の生き甲斐なんだから。
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貴方へ テーマB(糸) ( No.6 ) |
- 日時: 2015/01/25 22:50
- 名前: ???
- コレを手に取る時にはかなり月日が流れ、私が居た頃とは別の世界になっていることだろう。今手元にある、自分のランクを示す『探検隊バッチ』や、ボロボロの『探検隊バック』そして、救助隊と探検隊は別々で活動しているこの時代とは。未来はどうなるのか、どうなるのか、どう進むのか、今の私には見ることが出来ないけれども、きっと良い方向に向かうことを祈っている。
これを書き始める一週間前、この世界は暗闇に閉ざされ、時間が停止した。スバメやポッポやマメパトの囀りは聞こえなくなり、太陽を見ることが出来ず、微風一つも吹かず、制するのは闇と無音しかなかった。みんな日々怯え、家から出る事なく、する事もなく、かと言って外に出ても目の前は真っ暗で懐中電灯を使っても視界は晴れなかった。可視距離はせいぜい半径1m程で、直ぐに自分のいる場所が分からなくなる程だった。いつも歩く道も完全に別世界で、どこに向かってるのかすら分からなかった。 オマケにギルドで決まっている討伐目標である『自我を失った者』が町中関係なく出現していて、この町全てが不思議のダンジョンと同じ状態に陥っていたから尚更外を歩くことは叶わなかった。っと言っても私は構わず外へ出向き、色々な家を回り、助け続けていた。戦えない者為に、探検隊だからという枠に囚われず動き回っていた。 そして数日後、ギルドの集まりでこの原因を聞くこととなった。この世界がこうなってしまった理由、それは... ・ ・ ・ 「んー、やっぱり歴史系の本って重要だろうところ全て破り取られてるのですね...。 シャーラさん、何か分かりました?」 「こちらも全然ダメ...ルミと全く同じ......。 にしてもなんで親方は昔の情報なんて知りたいんでしょうね?今起こってる事との『糸口』を知りたいだなんて...」 「繋がるはずないと私は思うのですけどね...けど、なにかきっと引っかかることがあるのでしょう親方様には。 その何か分かってる親方様本人が調べればいいと思うのですが...」 「そうよね、分かってない私達に調べてきてって言われても絞り込めないし、歴史関係の本はしっかり読めないし。 ...って、ルミが持ってるの私前調べた本だし。本の一番後ろを見て見なさいよ」 「へっ? あ...」 ルミは言われた通り確認すると、そこにはシャーラの手書きで済書かれた紙切れが入っていた。それを見た後、ゆっくり読んだものが積み重なっている所へと戻して、まだ読んでない歴史本を読み始めるのだった。
ルミ:シルバーランクの探検隊で、種族名はラルトスの女の子。チームのトラブルメーカー兼ムードメーカーである。少しおっちょこちょいなとこがあるが、やると決めたらチーム一番の頑張りっ子さん。 シャーラ:同じくシルバーランクの探検隊でリーダー。種族名はピカチュウで、同じく女の子。チームの頭脳であり、瞬間の判断力に優れ、数々の困難を冷静に乗り越えてきた。実は涙もろい性格だったりする。ちなみにチーム名はレイスターである。 ラン:道に迷っていた所を二人に助けられていつの間に仲間になっていたブイゼルの男の娘...。木の実に詳しく、料理や裁縫が得意で、甘いものが大好きという性格で、因みに助けられてからは救助隊として活動している。
「ふぅー...あれ、もう四時間経っちゃったのね。ルミ、そろそろ行きましょ」 「も、もうですか?三時...こんなに私達居たのですね。少し驚きです。 ランさんは何時に何処で集まるんでしたっけ?」 「ナルトタウンのテレポートステーション側にあるカフェ屋さんよ」 「少し先のカフェ屋さんでも良かったと思うのは私でしょうか...あそこのお店、少し騒がしいじゃないですか」 「それくらいが丁度いいのよ。静かすぎても話しにくいでしょ? しかもあの子の希望なんだから仕方無いしゃない」 「にしても、よくあの容姿でフラフラ出来ますよね...女の子から見てもあの身体付き羨ましいですし...」 「そうねー...アレで自覚してないのが辛いというか、何というか...紹介するときが一番困るのよね、あの子。 よいっしょ...コレで片し終わりかしらね」 「それは私もですよ...っとと、忘れ物するところでした......」 「忘れ物って調べたレポート忘れてどうするのよ。ルミったら本当におっちょこちょいねー?」 その言葉にルミは少し申し訳なさそうな顔をしながら、今まで書いたレポートをB5サイズのクリアファイルに入れて、それが横向きでぴったり入るほどの小さなポーチの中にしまう。ポーチの中は既に色々なレポートや少量の本が入っていて、後は、細長い筒に入っているオレンジ色の回復薬が内側の専用ポケットに12本ほど縦に入れてあった。 一昔前はオボンの実やオレンの実が体力回復兼水分補給になっていたのだが、単品では効果は低く、長くは持たない為、買い置きはまず出来なかった。けれど最近になって、さっきの木の実をその他材料と兼ね合わせて回復力が上がった回復薬がお店で出回るようになって、長期保存も効くようになった。一番に、一口で飲み干せるようになっているので、戦闘中でも回復出来るのが強みでもあった。ただ少しだけ高いのが難点だが、長い目で見たら安いのでみんな切り替え始めている。それに関してのもう一つの欠点としては、食べた事が全くしない事。お腹が空いてしまえば身体は元気でもドンドン力は出なくなっていくもので、最終的には倒れてしまう。
因みにナルトタウンとは、ビルが立ち並んでいて道路と歩道まで補整されている、諸島の首都に当たる街である。街の中は草木が少ないと思われがちなのだが、この街は常識を覆して緑が一杯あって、道路の脇には木が逞しく生え、色取り取りの花が咲き乱れる花壇があって、場所によっては小川があって緩やかに流れ、底が見えるほど透き通り、釣り人が20cmくらいの魚を沢山釣り上げていたりする。 そして『テレポートステーション』とは、一言で言うと駅で、ココから色々な町に瞬時に行くことが出来る。これは医療でも重要な枠割りをしており、患者を緊急搬送する時や、大きい病院に即時送らないといけない時などなど、医療の場でも大きく貢献している。ただ、作成者の情報が公開されてはおらず、分かっているのは『ギラファ』というワードだけで、名前なのかプログラム名なのか、開発チーム名なのか、装置自体の名前なのか、そもそも言葉自体間違えているのか...答えは誰も分からないし知らない。 「それにしても、この街は本当にハイテクよね。っと言っても、私達の町は美術力のアルトマーレ地方だから、比べる物が違うけど」 「あれ、シャーラさん知らないのですか? 最近出来た水上マーケットは、どうやらナルトシティのセントラルパークの設計者さん達が建てたみたいですよ?」 「えっ、ホントなのそれ!?噂話では無くて!?」 「気になって調べたら出てきたんです。本当にビックリしました。 ...じゃなくて、そろそろココを出て向かわないと時間に遅れますよ!?予定時刻よりニ時間も早く私達は指定しちゃったのですから!!」 「そ、そうだったわね。 じゃあ行きましょうか」 そう言って、ルミはもう一度忘れ物がないか振り返ってから二人は図書館を後にする。テレポートステーションは、今居る場所からバスで一時間のところにある、セントラルパークの北側出口真ん前のセントラル病院側に存在する。 バス停に着くと、まず何時にセントラルパーク行きのバスがあるかを確認する。行き先は三つあって、一つは今向かうセントラルパーク行き、二つ目は住宅地エリア、三つ目は西地区に新しく出来たばかりの駅に向かうバスだった。話を戻して現在時刻は三時少し過ぎ、電光掲示板には五分後に目当てのバスが来て、到着予定時間が四時と示されていた。ちょっぴりギリギリの時間に到着予定だが、余程の事が無い限り充分に間に合う時間だった。 「直ぐ来るみたいですね。 うぅ...風が寒い......」 「大丈夫? ...ほら、コレを着てなさい」 そう言ってシャーラは自分が羽織っていた上着をルミに掛けてあげた。 「え、それじゃあシャーラさんが風邪引いちゃいますので...」 「良いの、返さなくて。私は体毛あるから多少なんとかなるし。 けど、ルミの場合は無いし、寒いのはキツイでしょ?」 「そこまででは...」 「チームメンバーの体調管理もリーダのする事よ。 風邪引かれたら可哀想だし。それに、ルミは風邪とか拗らせたら中々治らないじゃない」 「うっ...」 「...っている間にバス来ちゃったじゃない。ふう、じゃあバス降りたら着てちょうだいね」 「分かりました...」 「よしっ。 えっと、二人料金でセントラルパークまでお願い致します」 乗って直ぐ、目的地と人数を言いって精算箱にお金を入れる。料金は170ポケ×二人で340ポケで、途中20個の停留所に止まり、約10kmほど走るのにコノ値段は破格で驚きである。因みに中は二段構造の真ん中仕切りになっており、前側一階が全長60cm以下のポケモン、後ろ側は1mを超えて横幅もある者達が乗り、二回はそれに当てはまらない全てが乗るような大型タイプ。小型サイズは一階だけの仕切り無しで、身体の横幅が広い者は乗れない構造になっている。 「このタイプのバス乗ったの2回目ね。 ...あれ、ルミ?」 「後ろに居ます。えっと、確か二回目だったはずです。 あの、お隣良いですか?」 「はい、良いですよ」 「すみません、ありがとうございます」 「いえいえ。ほらルイ、ちゃんと座らないとダメでしょ。跳ねようとするのはもっとダメです」 「失礼しますね。 ルミ、ちょっとさっきのレポートを見せて」 「はい。えっと...どうぞ」 「ありがと」 「どう致しまして。 うぅ、ふぁぁ...」 「ん、眠いなら寝てて良いわよ。昨日は大変で休みの筈だったのに、変わらず間違えて叩き起こされて調べ事させられちゃったものね...」 そう言いながらレポートを閉じ、ルミの頭を優しく撫でる。何度か撫でて居ると、シャーラは右肩に重みを感じて、見ると既にルミは夢の世界に入っていた。気持ち良さそうな寝顔に軽く眠気を誘われたが、そこは我慢して、今までずっと調べて書き留めたレポートを読み始める。内容は全て、この諸島における異常を調べた事だった。 ダンジョンの肥大化、凶暴な者の出現、時空間の狭間に吸い込まれと行方不明...ほぼ毎日何処かで誰かの家族が、親友が、友達が、仲間が...そして自分に関係する人...。現状何も出来ていなく、少しでも改善できる『糸口』を探してギルドは全力で動いている。けれど、何一つ見つけだすことは出来なかった。けど今日二人が調べたことは凄い収穫になった事が一つ、一つだけ見つけることが出来た。それは
『前にも同じような事が起こり、回避していた』
という事。時間の停止と時空間の乱れ、これらは約3000年前の災厄で、既に架空生物と語られている人間が消滅した1年後の事だった。その書物が今、ルミが掛けているショルダーバッグの中に入っていた。けれども、書かれている文字はかなり古い言語で書かれているらしく、二人には理解不能で、大きい収穫したことは微塵たりとも思っていなかった。
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しばらくして、バスは目的地であるセントラルパーク手前の停留所に到着してアナウンスが流れる。それに反応し、シャーラは読んでいたレポート用紙を束ね、ルミを揺さぶって起こす。すると大きな欠伸を一つして、眼を閉じたまま伸びをしながら、 「んっ...おはようぉ......着いたん...ですか...?」 「違う、一歩手前の停留所よ。 良く眠れた?」 「はい...まだ眠いですが......」 「寝起きだからよ。 えっと、時間は問題無いわね」 目をゆっくり開け、擦り、ぼーっとシャーラを見つめる。けど、目的地に着く頃には完全に覚醒はしているだろうと予想した。
そして5分後、しっかりと目が開いたルミが運転手にお礼を言いながら降り、続いてシャーラもバスを降りた。空は綺麗は夕焼け空で、けれど途中雲があったりして味付けをする。その空を見上げながら二人はカフェ店に急ぐ。時刻は四時過ぎで、待ち合わせ予定時刻は五時を回るか回らないかの時間帯である。 「うーん、セントラルパークの中を突っ切っちゃおうかしら。 その方が早いわよね?」 「たぶん。 それに外は寒いですし...」 「それじゃあ中から行くって事で良いわね。 時間があれば買い物してみたかったわ...」 「最近は忙しくて行ってませんからね...でも、もう少しでクリスマスに入りますし、その時で良いと思いますよ?」 「それもそうだけど、タイミング的に今行きたいのよね。クリスマスに入ると混むし」 「確かにそうですよね。私達と同じ探検隊や救助隊も一斉に休みになりま...あれ、あの人凄くランちゃんそっくり......」 「え、どこ?」 「あそこです」 ルミが指差す方向、それはクレープ屋さんだった。そしてその先頭、今まさに注文しているブイゼルを指差していた。身体は通常より少し背が低めで、白色の毛糸帽子を被り、肩から救助隊のショルダーバッグを掛けていた。そして、確信した。 何故なら救助隊や探検隊のバックは非売品であり、しかも余程のことが無い限りは持ち歩いてはいけないと言う暗黙ルールが存在するから。そしてバッチは絶対携行品なのだが、コレはバックに付けるのが一般的。それに加えて種族が『ブイゼル』の救助隊は知っている限りランしか知らないし、ここのクレープ屋さんはお気に入りのお店。さらに時間帯もピッタリと...このまで来たら本人しか思えないからだった。 けれど一応、違うかもしれないと思いながら... 「ランちゃん?」 っと小さな声で呼んでみた。すると食べている手が止まり、声がした方向を振り返った。男とは思えない華奢な身体、しなやかな毛並み、クリッと大きな目、どっから見ても女の子ですと言わんばかりのブイゼルが、びっくりしたような顔で二人を見つめていた。そして、口の中の物を急いで飲み込むと、 「ど、どうしてここに居るの!? なんでココにいるって分かったの!?」 っと、慌てた感じで聞いてきた。それに対してシャーラは至って普通に、 「どうしててって、それはコッチのセリフよ。 ランこそなんでココに居るのよ。まぁ、あっちまで行く手間が省けて良かったけど」 っと、素っ気ない感じで答えた。因みにシャーラは何時もランと直接話す時は何故か素っ気ない言葉になってしまう。自分でもよく分かってないが、最近は考えていてもキリがないので考えない事にしていた。 「えっとね、予定より一時間も早く着いちゃって、時間潰しに見回って居たらお腹すいちゃったから食べてたんだー。 あ、二人の分も買ってくるねっ」 「あ、良いわよ自分で買ってくるから。ルミは何時もので良いのかしら?」 「はい」 「あ、二人で待ってて。 じゃあ行ってくるわ」 「お願いします。 えっと、ランちゃん」 「うん? どうしたの?」 「あ、いや...早く来たなら教えてほしかったと。 そっちも忙しいと思いますし」 「確かにね。けど、余韻は偶には必要だと思う。 人を助けることは凄く良いことだけど、逆にお世話になっちゃうことは避けないと。シャーラさんも同じ思いで動いていると僕は思うよ? 思ってなくても、無意識にやっていると思う」 「...確かに思い当たる節がありますね」 そう言われて、バス停での出来事を思い出す。あんなこと言ってたけど、実はランちゃんが言った事も同時に思って居たのだと感じた。確かにその通りかもしれない。 「でしょ? 因みに今の話は体験談」 「...え?」 「いや、実はね...微熱がある時に救助依頼を受けて、ダンジョン途中で高熱出して倒れた事があって...。 そのまま倒れてたら偶然救助者に接触出来て...と言うか助けられてギルドに戻った事があってすっごく怒られちゃって...」 「あはは...」 返す言葉が見つからず、とりあえず笑うしかなかった。そして、それからの沈黙...ランがその時の状況を思い出したようでショボンとしていて、ルミもそれに対してどう慰めと言うか、声かければ良いのか迷っていた。そんな時、 「なーにしてるのよ、二人は。 ほら、ルミの分買ってきたわよ。ラン、早く食べないと溶けてベッタベタになるわよ」 「あっ...う、うん。そうだね。早く食べないとね!」 「あ、ありがとうございます。 シャーラさんは何頼んだのですか?」 「私? 私は違ったものを頼んでみようと思って、前から気になってたイバンの実とイアの実が入ってる、甘酸っぱいクレープにしたわ」 「あっ、ソレ当たり! 私食べたけど凄く美味しかった!」 「ランが言うなら間違い無いわね。 ルミも一口食べる?」 「はいっ」
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それから約10分後、三人はクレープを食べ終えて、何処か話が出来そうな場所を探した。ココは分類的にアウトレットモールとデパートがくっ付いたような所なので、カフェ屋やファミレス、フードコート、屋上庭園、座って話せる場所は一杯ある。けど、やっぱり内容的にギルドで話そうっという事になり、プクリンのギルドに向かった。プクリンのギルドは『ナルト中央病院』と言う島で一番大きな病院の近くに併設されている。ただ、今現在親方はトゲチックでプクリンでは無い。理由は最近起きた事件で、この事はギルド関係者しか知り得ない極秘情報であった。因みに、その日に色々な情報がギルドの親方だけで話し合い、訂正をしている。本当は『ギルド協会』という場所を通さないといけないのだが。どちらにせよ、何故なのかはココで話すことでは無いだろう。
「ふぅ...本当にココの階段は辛いね...足が痛くなりそうだよ......」 「ランちゃんは多少問題無いのに、何言っているのですか...私が一番辛いのですよ......?」 「こんくらいの階段でへこたれてどうするのよ。 さっさと行くわよ」 「...シャーラさんは良いよね、ほぼ常時四足歩行で」 「四足歩行しか出来ないって案外辛いことがあるって知ってる? 二足歩行出来た方がよっぽど便利で、前の手も使えるのよ?生活には不便だわ」 「...言われてみれば確かにだね。ごめん。 そう言えばなんだけど、階段での事故治ったの?」 「はい、もうバッチリです。テーピングも一週間前に外せましたし」 「あれねー...本当に私、心臓止まるかと思ったわよ。呼びかけてもピクリとも反応しないし、息は浅いし...。 今はちょっとした笑い話で済むけど、動かないルミを病院に慌てて運び込んだ時には心肺停止してたんだから...」 「でも、その糸を繋ぎ止めてくれたから私が居るんです。 ...改めてありがとう」 近ずいて抱きしめられ、シャーラの顔が一気に真っ赤っかになった。そして、呂律が回らないままランが代わりに応対し、モニター越しに抱き付いている二人を見てレズビアンと思われ、軽くそっぽ向かれながら扉を開けて、そそくさと退散してしまった。
離れ、それでもまだ顔が赤いシャーラをランが「熱大丈夫?」気にしながら聞いてきた。違うと出掛かったが、言っている本当の意味が分かって「まだフラフラするけど大丈夫...」と返した。それを丁度さっきのモニターしていた人が見て、走ってまた何処か行ってしまったが直ぐに戻り、その手には濡れタオルを持っていた。どうやら先程のことを抱きついたのではなくて、倒れ込んだと思ってくれたようだった。 「濡れタオルです。あんまり意味ないかもしれませんが、少しでも熱を下げてください。 保健室は空いていますので、行ってきますね」 「大丈夫。あの、親方は居るのかな?」 「居ますよ。あと、親方と呼ばないでリンネさんと普通に呼んで欲しいみたいなので、それで」 「分かったよ。ありがと」 「いえ、このくらいは普通です。それとシャーラさん、毎度ながら無理はしないようにして下さいね?」 「ええ、分かってるわ...」 「...そうですか。ところでランさ...あー、誰か来ちゃいましたので行きますね。では!」 何か聞きたげだったようだが、金タライを叩いた音に反応して急いで行ってしまった。どうやらこの音が人が来た合図のようだった。取り敢えずシャーラは額に当てていたタオルを取って溜息を吐くと、 「...じゃあ取り敢えず空いてる部屋探そうかしらね。ルミは荷物置いて、今までの資料を持ってきておいて。 ランは私と一緒よ」 「了解っ」 「分かりました。あ...んん、やっぱり何でもないです。部屋、お願いします」 「...分かったわ。そっちは頼んだわよ。 さてとラン、ここの紹介は必要?」 「うーん、要らないかなーっ。でも言うならば、このギルドの図書室に行ってみたいかも」 「図書室?あそこは色んな意味で凄いところよ。とにかく埃まみれで、しかも不使用物入れ部屋として使ってるし、尚且つ、奥は前の地震で雪崩状態になってるから行けないのよね。 おまけに窓がないし、換気もできないから、開けた瞬間に埃が外に流れこんで掃除するの面倒だし、出たらお風呂行きたくなるほど身体汚れるし。それでも行きたいなら行くけど...」 「あーうん、遠慮しとく」 「そう、良かったわ。それじゃフリールームが空いてるか確認するわよ。空いてなかったら私達の部屋って事で。 因みにそうなった場合、部屋は男子禁制だったりするから女の子の振りしててもらうから」 その言葉にランは「うぅ...///」と、顔を背けながら答え、その反応を見てやはり無問題だったかもと察した。けれ一応バレないために、自分がたまに使っている水色のカチューシャを手渡した。そして反応は予測通り帰ってきた。 「コレ、付けて。 ランは普通の雄のブイゼルより背中の模様が少ないからバレないとは思うけど、念の為」 「カ、カチューシャ!?/// 私、女装趣味は...///」 「そのまま行ってもバレないかとしれないけど、女装してそれっぽくした方が身のためよ? 一人腕っぷしが強い子が居るし」 「そ、それって殺られるって事...?」 「殺られるというか、半殺しかしらねー。 っと、話してたら到着ね。えーと...」 スクリーンに映し出された部屋の状況、予約一覧、時刻を見ながら使える時間を割り出す。部屋は四部屋あるが三つは使用中で、空いてる部屋も数分後に使用者が来て使えなくなる。少ししたら直ぐに時間はあるが、やはり30分くらいしか間隔が開いておらず、話し合いするんだったら
そして考えている時にルミが両手に資料と本を抱えてフラフラとやってきた。 「はうぅ...重い......。 シャーラさぁーん...もうランちゃんを私達の部屋に連れ...ひゃあっ!?」 「きゃっ!? ルミさん大丈夫!?」 「なんとか...いたた......」 「足首捻って青アザになってるわね...ラン、ルミをおぶって。患部冷やすくらい私達の部屋でも出来るし」 「うぅ、結局部屋に行くんだね......ふう、ルミさん乗って。 あ、私も荷物を...」 持つ?と聞こうと、おぶってから振り返ると、平然とした顔で両手に抱え、全く振れずに頭へ乗せてバランスを取っているシャーラの姿があった。これくらい普通と言わんばかりに。 「どうしたのよ? 早く行くわよ」 「う、うん」 ちょっと引っかかることがあったが、流石にそれは無いかなと思って思考を捨て、シャーラについて行く。不安しかランは無かったが、もう何かが吹っ切れたようで、演じ切ろうと言う思考に切り替わっていた。そして、そのエリアに足を踏み込んだ...。 「ココよ。ランちゃん、部屋に着くまでお願いだから気が付かれないで。 実は私も結構危ない吊り橋渡ってるから」 「う、うんっ。分かった」 「じゃあ、さっさと行くわよ。私達の部屋は突き当たり左、つい最近になって三人部屋に移動したから狭くは無いはずよ」 「三人部屋に? でも、あたしはメインあっちだよ?」 「え、あた...あー、うん。実はそろそろコッチに移動してもらおうかなと考えてるのよ。 ラン、貴方を」 「あたしを? でも...暗黙ルールで探検隊になるには救助隊のランクをゴールドにしなくちゃいけ...」 「そんなことは無いわよ新人さん」 「あっ、レイエルさん! 随分とお久しぶりですね!」 扉直前、後ろから声がして三人が振り返ると、そこには白いオカリナを首から下げたムウマが居た。そして、ランを下から上に舐めるように見て、 「久しぶりね、ルミちゃん。会ったのは夏だったかしら?」 「確かそうだったかと。 あれ、レイエルさんは確かアーシアさん達と長期でギルドを離れるって...」 「ちょっとね、持って行ったほうがいいと思ったものがあったから回収しに来たのよ。だから、すぐにまた居なくなっちゃうわ。 さてと、シャーラさんちょっと話し良い?そこの子とルミは自分の部屋に入ってていいわよ」 「は、はい」 「し、失礼します」 そう言いい、二人はゆっくり部屋に入って扉を閉めた。それをしっかり確認し、耳を貸してとシャーラに一言。言われるがまま、シャーラはレイエルに近づいて... 「シャーラさん、どうして男の子連れて来ちゃったの?ココって男子禁制って知ってるわよね?」 っと、一言。けれど、その声は全く怒ってるような感じでは無く、寧ろ楽しんでるような感じだった。それを心の中で疑問に思いながら、 「し、知ってます」 と答えた。すると、少し笑って。 「なら良いのよ。 ほんと、見事なまでな女の子ね?しっかり見ないと分からなかったわ。私にバレるのは問題ないけど、姉さんに見つからないようにね。 じゃ、私は戻るわ。無理し過ぎる癖があるんだから、気を付けながら頑張りなさいよ」 「はい。レイエルさんこそ、頑張って下さい」 「ええ。じゃあね」 ぐるっと一回りして、ニッコリと笑顔でレイエルは去って行った。その笑顔に軽く元気になったような気がして、同じくニコニコした顔で部屋に入った。中では既にランが調べた事と、レミとシャーラが今さっきまで調べていた事を照らしあわせて、レポートに書き写していた。 「あら、もう始めてたのね」 「はい。あの…大丈夫でした?」 「ん? よーく見ないと分からなかったようよ。つまりバレた」 「えっ!? バレちゃったの!?」 「ええ。けど、もう行っちゃったわよ。 なんか荷物取りに来ただけだったみたいで、周りには秘密にしとくって」 「よ、よかったぁ…」 「まあ、そういう事だから。 じゃあ早速…と言っても始まってるけど、やりましょうか」 「はい。 では...」
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どうも???です(そりゃそうd 投稿時間がかなーりギリギリになってしまったので、申し訳ないですが投票期間終了後に続きを載せようと思います。では。
文字数:11106
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結果発表 ( No.7 ) |
- 日時: 2015/02/14 00:38
- 名前: 企画者
- 参照: http://pokenovel.moo.jp/f_awase2015w/index.html
- ◆結果発表◆
(敬称略)
☆1位 【A】「√10」 12pt オンドゥルさん >>2 3+3+3+2+1
☆1位 【A】「KLOA the Jet Wind」 12pt 朱烏さん >>4 3+3+2+2+1+1
☆3位 【A】「ゼノム・アステル」 11pt 水雲さん >>1 3+2+2+2+1+1
☆4位 【B】「イトコンミラクル」 8pt 48095さん >>3 4+2+1+1
☆5位 【B】「そして糸車は回る」 2pt からげんきさん >>5 1+1
☆6位 【B】「貴方へ」 0pt ???さん >>6
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