ミラクル☆サイクル ( No.4 )
日時: 2013/11/16 15:42
名前: みそ汁 メールを送信する

テーマA 「輪」

「この店ももうダメかねぇ……。」
 ハナダシティ、町外れ。
 おそらく元は派手に塗られていたであろう煤けた楕円形の看板には、大きく『ミラクルサイクル』と書かれている。
 『最高の品質をお届け、ミラクルサイクル本店。』そう書かれていたはずの張り紙もいつの間にか剥がれ、テープだけがへばりついていた。
 店内には数台の自転車が端に寄せられている。カウンターの上には何もなく、開いたままの引き出しの中に古ぼけた引換券があった。
「あの子も今はもうチャンピオンなんだっけね。思えばここまで繁盛したのもあの子のおかげだもんね。もう4年前になるかね……。そういえばあの子が来た時期、あの頃が一番つらかったからなあ。100万なんて出せるはずもないのに、どこからか引換券を持ってきて……。」


 まだ綺麗だった看板が寂れた町外れで一際輝いて見えたあの頃。
 歩いている人はほとんど見かけず、いてもこんな店に興味などわかないだろう。看板だけ派手派手で外壁は質素というよりも貧相な古い薄茶色。あの頃から外壁の一部が剥がれたりひび割れたり、はっきり言ってボロい家だった。看板に目がいってもこんな店に入ろうとは思わない。
 そんな店に入ってくる少年が一人。
「……すみません、自転車、ありますか?」
 ジム巡りでもしているのだろうか。正直、金なんか出せそうもない子供だった。
 ――追っ払ってやろうか、いや、どうせ珍しく客が来たんだ。店らしく応対くらいはしないと。
「自転車ならあるけど……一台100万円だよ。君、出せるかい?」
 張り紙の通り、最高の品質を追求しているこの店では、一台このくらいの値段でなきゃやっていけないのである。その上その頃は特に景気が悪く、こんな値段になっても仕方のないことなのだ。
 ただし、最高の品質を追求しているこの店の自転車は、座り心地、強度、パンク対策、ハンドリング、ブレーキ性能、ライト明度、ペダルの回しやすさ、防犯。何もかもが間違いなく最高であった。
 それにしても、100万などという数字を出されては、他のそこそこな性能の安い自転車を買って当然なのである。
 少年は目を剥いて、驚いて声も出ないようだった。
「やっぱり払えないよね……。それでもこっちは一円も負けてやれないんだ。引換券でもあれば話は別だけど……ないでしょ? ごめんね、悪いけど……そこにいられても困るからさ……。」
 無口な少年は小さく頷いて店から出ていった。

 その数日後、少年が帰ってきたのである。
 しかもその手には引換券、それはいつだったかどこかのくじの一等の商品になったものだった。
「これで。」
 少年はそれだけ言って引換券を突き出す。
 ――まさか、本当に持ってくるとは。
 引換券を受け取り、間違いがないことを確認する。どうやら本物のようだ。
 少年はこちらを見ている。表情があまり変わらないのでわかりにくいが、おそらく得意げな顔で。
「いやー……こいつはびっくりだ。ホントに持ってきちゃうなんてね。わかったよそれじゃあ、その中から好きなの一つ選んで、もって行っていいよ。」
 その方が自転車も喜ぶだろう。こんな狭い部屋の中でただ待っているより、外を駆け回った方がきっと楽しい。
 少年はすべての自転車をゆっくり見て回り、大分悩んだ末に、ひとつの自転車に手を置き、こちらを向いた。
「……それでいいかい?」
 少年は小さく頷く。
 ズボンのポケットから対応した鍵を取り出す。
「うん。それじゃあ、これがその自転車の鍵だ。なくさないようにね。うちの自転車の品質は最高だからね。きっと君の旅にも役立つ。保証は5年だよ。えーと、じゃあ、お買い求め、ありがとうございました。今後とも、ミラクルサイクルをご贔屓に!」

 それから1年経たないくらい、その少年がロケット団とかいう組織をたった一人で潰したそうだ。ハナダでも事件はあったらしいが、こんな町外れの小さな店には関係のないこった。
 ロケット団を壊滅させた少年が自転車をカッコよく乗り回してくれたおかげで自転車ブーム。もちろんミラクルサイクルも大繁盛。少年のおかげで店を盛り上げることができた。

「しかし、あの時コガネ支店を出してなかったらどうなってたんだろうねぇ……。」

 自転車ブームはさらに広がり、遂にはシロガネ山を越えてジョウトまで伝わった。
 それで調子に乗ってコガネにミラクルサイクルの支店を出した。
 するとどうだろう。ハナダ本店より明らかにコガネ支店の方が売れ行きが良いのだ。
 もちろん支店の収入の一部はこちらにも回ってくるが、流石にこちらの収入は減った。
 またロケット団が現れたとか言ってた事もあったが、こちとら生活がいっぱいいっぱいでそんなこと知ったこっちゃなく、ほとんど何も知らないままに事件も解決した。かと言ってこっちの生活の問題は一向に解決しそうにない。

「今月の収入は  です。……そっちは大丈夫ですか?」
 電話越しでも心配しているのがわかる。というか、本店よりも売れているせいで申し訳ないのだろう。
「大丈夫……とはちょっと言えない状況だね……。」
 控えめに、しかし正直に、そう告げる。
「送る量を少し増やしましょうか? こちらは大丈夫なので……。」
 普段なら『失礼な、僕はそんなにヤワな男じゃないよ。』とでも言って拒絶しているだろうが、今は変にプライドを持っているわけにも行かない状況。お言葉に甘えるしかないのだ。
「そうしてもらえるなら……そうしてもらいたいけどね。あんまりこっちも意地張ってるわけにもいかないし……。」
「わかりました、じゃあどれくらい増やせばいいですかね?」
「そうだね……  円くらいにしてもらえると、助かるんだけど……流石に増やし過ぎかね。」
「いえ。大丈夫ですよ。  円ですね。明日までには送れると思います。それでは失礼します。」
 そう言って電話は切れた。


 コガネから送られてくるお金での生活が染み付いてきた頃、気がつくとあの少年と会ってからはや4年。
「懐かしいなぁ……。レッド君、今頃どうしてるのかな。」
 なんでも、チャンピオンの座を捨てたあと、シロガネ山に山篭りしていると聞いた。全くすごい子だ。
「どうしようかなぁ、この店。いっそコガネの方を本店にして、なんか別の店を始めるとか……。」
 ブツブツと小さな声で色々と考える。それはだんだんと小さくなって、頭の中だけで考え始めた。
 ――この店から自転車を抜いたら何が残る? ……空気入れくらいか? ならいっそのこと浮き輪屋でも始めるか? 海は近いし、需要はないわけじゃない、はず。
 不意に、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ!」
 反射的にそう叫ぶが、カウンターに突っ伏していたのは間違いなく見られていたはずだ。なんたる失態。
 その客はどこか見覚えがあった。赤い帽子、赤い服、そして、赤い自転車を持っていた。
「……パンクを……直しに……。」
 その姿は、その声は。間違いなくあの少年、レッドだった。
 突然の出来事に戸惑っていたためかその声だけを聞き、言葉を理解できなかった為、すぐに動き出すことはできなかった。数秒の空白をおいてから、やっと口が動き出した。
「前輪? それとも後輪?」
「後輪。」
「わかった。」
 ミラクルサイクルの自転車の保証期間は5年、そんな長い期間を設けても修理の依頼が来ることは滅多にない。それだけ頑丈に作られているのだから当然だ。
 少年の自転車はひどく傷んでいた。無理もない。きっとシロガネ山のゴツゴツとした岩肌を跳ね回り、深い雪を踏みつけてきたのだろう。ペダルの緩み方、ハンドルの色、そしてタイヤの傷、見る限りでは、どうやらとんでもない使い方をしていたようだ。雪の上では乗るなと書いてあるのに。
 後輪のパンクは確かにあった。小さな穴があいていた。だが、それ以前にタイヤは傷だらけだった。一度目のパンクでチューブを取り替えるなど、普通ではありえないことだが、これだけの傷をつけられて交換しないわけにもいかない。前輪もパンクこそしていないが、傷だらけなのは後輪と同じだった。
「これはちょっと時間がかかりそうだね。きっと君も久しぶりに街へ降りてきたんだろう? 待たせるのも嫌だし、この4年で変わった街の様子でも見てきたらどうかな?」
 レッド君は小さく頷いて店から出ていった。
 店の奥から真新しいチューブを二本、他にも研磨剤やスパナなど、色々な工具を持っていく。別に頼まれたわけでもないのに、自転車全体をきれいにするつもりだった。
 タイヤのチューブを付け替え、緩んだペダルを締め、傷だらけのボディを磨き、剥がれた塗装を塗り直し……。小一時間程度で修理は終わった。質のいいミラクルサイクルの自転車は、傷のつき方も浅く、修理が比較的楽だった。
 その自転車は新品と見紛うほど綺麗になった。
 ちょうど、レッド君が帰ってきた。
「お、ちょうどいいところに来たね。今終わったところだよ。」
 表情の薄い彼だが、流石にこれには驚いたらしく、目を少し見開いた。自転車に近寄り、じっくりとその姿を見る。新品と取り替えられたとでも思ったのだろうか、今まで傷があった場所を指でなぞったりして確認していた。
 そして、前輪の付け根の傷跡に気づいたようだ。そこの傷はどうやらわざ――おそらく彼のピカチュウのアイアンテールで付けられたようで、とても深く、隠すことができなかった。その傷を見て、その自転車が自分の愛用していたものだと確信したらしい。彼は立ち上がり、一言、こう言った。
「ありがとうございました。」
「どういたしまして。」
 やはり、こう返すのが一番だろう。
 彼はおもむろに財布を取り出す。
「お? 保証期間はまだ過ぎてないからタダでいいよ?」
 そう言ったが彼はお金を差し出す手を止めない。5000円を突き出し、こう言った。
「チップです。」


 ハナダシティ、町外れ。
 二つの輪が転がっていった。
 赤い少年を見送る中年の男が、大きく伸びをして、看板を見上げた。
 おそらく元は派手に塗られていたであろう煤けた楕円形の看板は、夕日に照らされて見事な橙に染まっていた。
 『最高の品質をお届け、ミラクルサイクル本店。』そう書かれた張り紙を店内から取り出し、薄茶色の外壁に張り付けた。
 ――今ミラクルサイクルの自転車に乗っている誰かのためにも、この店をやめるわけにはいかない。浮き輪屋なんて冗談じゃない。それに、こっちは支店と違って、品質に妥協はしない。レッド君のような無茶をしたって4年も使えたんだ。丈夫さじゃ誰にも負けない。それを売りにして戦ってやる。そしてミラクルサイクルを最高の自転車屋にしてやる。
 男はチップにしては多すぎる5000円をしっかりと鍵付きの棚にしまう。

「……とりあえず、看板でも塗り直すか!」



  ミラクル☆サイクル ミラクル☆サイクル
  ミラクル☆サイクル みんなで来てね
  ポケットに入るミラクル
  スピードたった2倍
  さぁ行こう このサイクルで
  最高の 自転車を
 軽快な音楽とともに自転車を漕ぐ少年の姿が画面に映し出された。
「ミラクルサイクル、ハナダ本店。お電話はこちらまで!」