【テーマB:石】イワガミ様の伝承 ( No.9 )
日時: 2013/11/17 21:12
名前: レギュラス メールを送信する

 それははるか昔から存在していた。洞窟の奥深くにそれはいた。誰にも知られることなく、ただそこに立ち続けていた。
 そこは暗く、深く、生物の気配もなく、ただ沈黙で満たされていた。それの周りには闇と静寂だけがあった。そこに光が差すことなどないはずだった。そこに音が響くことなどないはずだった。
 それは眠り続けていた。何を待つでもなく、目覚めることもなく、存在することだけを目的としているかのように、そこにいた。
 その洞窟に、ゆらゆらと影が揺れた。ほとんど光のなかったそこには影も生まれるはずがなかった。しかし、今は確かに影があった。そう、光が影を生み出したのだ。
 カタン、カタンと洞窟の中に音が反響した。生物のいなかったそこには音を生み出す者もいなかった。しかし、今は確かに音が響いていた。そう、生物が音を生み出したのだ。
 それは揺らめく光を感じ、息づく生命を感じ取った。それは合図のようなものだった。はっきりとした目的も意義もなかったかのようであったそれは、光と音の刺激を受けて深い眠りから微睡みへと移行した。
 ゆらゆらと不安定に揺れる光が近づいた。カタン、カタンと規則正しい音が近づいた。それの前で、光は揺れるのをやめ、音は響くのをやめた。その主は一人の人間と、一匹の獣だった。
 それの姿を、洞窟に持ち込まれた炎が照らしだした。人間は小さく、悲鳴を漏らした。その声が、光にかき消された闇と、音にかき乱された静寂の中を漂って消えたとき、それは永い眠りから目覚めた。

 ざ り ざざざ…………。


 男はやらねばならぬことがあった。それは早急になされる必要があった。男は家族と、友人と、隣人とを守りたかった。男は昼も夜も、どのようにそれをやるのか、考え続けた。そして、一つの案を思いついた。
 男は急いでいた。男は直ちにその案を実行に移すことにした。男は洞窟の存在を知っていた。それはウロと呼ばれていた。村人は皆その洞窟の存在は知っていた。だが、誰もそこには近づこうとはしなかった。なぜなら、その洞窟の入り口は大きな岩で封印されていた。その岩は苔むして、まるで開闢の時からそこにあったかのように厳かに存在していた。だが、誰かがそこにその巨岩を置いたのだ。遠い昔に、その必要があって。
 村では、その洞窟の奥には魔物がいるとうわさされていた。魔物が出てこられないように岩で塞いでいるのだ、と吹聴する者がいた。しかし、本当のところは誰も知らなかった。村の長ですらわからなかった。ただ、その封印を解いてはならない、とだけ言い伝えられていた。
 そうだとしても、男はそうせねばならぬと言った。そうする以外に手段はないと男は思っていた。村の長は危険すぎると男を止めた。男は、どんな恐ろしいモノが中にいたとしても、村の外を覆う恐怖よりはましだろうと言った。男の勢いに、長はうなずくほかなかった。


 村は山間にあった。周囲を山に囲まれた窪地は、もしも上空から見下ろしたなら、まるで地上にぽっかりと空いた穴のように見えた。村の外との交流はあまりなかった。年に数回、物々交換のため、村の若者が山を下りることがあるばかりだった。だから、村人たちは外の変化に気付かなかった。
 だがある時、村に一人の男と、一匹のポケモンが逃げ込んできた。男は傷だらけだった。誰が見てももう助からない傷だった。どうしてこんな深い傷を負ったのかと問う長に、男は答えた。村の外で大きな、恐ろしい戦いがあった。自分はそのために負傷した。
 村人たちにとって、戦いなど聞き慣れぬ言葉だった。驚いた村人たちに、瀕死の男は言った。いつここも攻撃を受けるかわからぬ、用心せよ、と。男はそれきり、村人たちの問いには答えず、最期に自分のポケモンの世話を頼むとだけ言い残して息を引き取った。
 その男は村人ではなかったから、共同の墓地には入れられなかった。村人たちは彼の遺体を村はずれに穴を掘って埋葬した。小さな墓標が建てられ、わずかばかりの花が手向けられた。男を弔った後で、村人たちは途方に暮れた。
 なぜ戦いが起こったのか、なぜこの村までも襲われるのか、村人には見当もつかなかった。推論するには情報が少なすぎ、村人たちは純粋すぎた。誰かが、状況を確かめるべきだと言った。それは賢明な意見に思えた。すぐに、村の若者が山を下りた。村と唯一交流のあった里ならば、外の様相を知ることができるはずだと、誰もが思っていた。
 数日後、村を下りた若者たちのうち、数人は戻ってきた。いくらかは戻ってこなかった。戻ってきた者のうちの二人は、酷い怪我をしていた。彼らは何の情報も手に入れることはできなかった。彼らは山を下り、ふもとの里へたどり着いたところでいきなり矢を射かけられたと語った。それはよく知っていたはずの里のものではなかった。里の者たちは突然現れた若者たちの姿に恐怖し、武器を取り出しポケモンをけしかけてきた、と戻った者は言った。瞬く間に数人が殺され、残った者は命からがら逃げだした。言葉を交わす暇もなかった。彼らが聞いたのは、里の者の怯えた叫び声だけだった。
 村人たちは困り果てた。外で尋常ではない事態になっているらしいということだけがはっきりしていた。同時に、死んだ男は気が狂い、妄想に取り憑かれていたのではなかったことが証明された。男が口にした、いつこの村も襲われるかわからない、という言葉が村人たちに重くのしかかった。できれば信じたくなかった可能性だった。
 戦いを知らぬ村人たちに、外敵から身を守る術はなかった。村に、里で見たような武器はなかった。ポケモンはいるにはいたが、戦闘用ではなくもっぱら生活の手伝いをする、いたって穏やかなポケモンばかりだった。このまま攻撃を受ければみな殺されることは明白だった。実りのない会議が続いた。時間だけが過ぎていった。
 男は終わりのない会議に飽き飽きして、会議を抜けた。男は自分がやらねばならぬと思った。山間の村に逃げ場はなく、身を寄せるべき他の村もなかった。男は、隠れる場所を求めた。あのウロならば、村人が隠れるのに十分な広さがあるはずだ、と男は考えた。だが中に入るにはあの苔むした、大きな岩を取り除く必要があった。人間の力をいくら合せても、あの岩がびくともしないことは男にもわかっていた。だが、男には一つの算段があった。


 男は村はずれへと歩いて行った。小さな石の前にすっかり枯れた花が残っていた。その墓ともいえないような墓の前で座禅を組む、一匹のポケモンがいた。死んだ男が連れていたポケモンは小さいながら、人間とよく似た姿をしていた。男は、ポケモンは身なりは小さくとも人間をはるかに上回る力を発揮することを知っていた。
 男は墓の前に散らばる花を掃除した。ポケモンは警戒するようなそぶりを見せながらも、それを黙って見ていた。男は新たな花を手向け、菓子を墓前に供えた。男は墓に手を合わせた。冥福を祈るため、そして死んだ男への感謝だった。偶然とはいえ外の状況を知らせてくれた。そしてこのポケモンを遺してくれた。
手当ての甲斐もあって、ポケモンの傷はもうすっかり回復していた。男はポケモンに頭を下げ、頼んだ。ポケモンは首を縦に振った。
 そのポケモンは予想以上の力を発揮した。戦うために鍛えられたポケモンの筋力は、巨岩の年月の重みを動かしてみせた。一日がかりになるかと思われた、ウロを塞ぐ巨大な岩を取り除く作業はほんの数十分で終了した。深いウロの入り口が、ぽっかりと開いた。だが、男のすべきことは入り口を開けることだけではなかった。男はウロの奥へと足を踏み入れた。魔物などいないと、証明せねばならなかった。
 男は用意した松明を掲げた。洞窟の空気はひんやりと湿っていた。男の履きものが、歩くたびにカタン、カタンと音を立てた。たいして大きな音でもないのに、その音は洞窟内にやけに響いた。ポケモンは、足音を立てなかった。松明の明かりがゆらゆらと揺れた。それに合わせて、男の背後の影も揺れた。ふと、いるはずのない、男自らそう思っていた魔物が背後にいる気がして、男は時折振り向いた。
 常に何者かの気配があった。周囲の空気は男に重くまとわりついた。洞窟の中は寒いほどだったのに、男はいつしかじっとりと汗をかいていた。男はひたすら歩き続けた。歩くことに集中することで、何も感じないようにした。そうしなければ押しつぶされそうだった。
 そうして、果てしない時間のあと、男はウロの奥にまでたどり着いた。その壁に、何かが刻まれていた。それはとても古く、文字のようなものであったが、かすれてしまい男には読めなかった。
 男は脱力したように軽く笑い、引き返そうとした。ふとポケモンの方を見やると、ポケモンは体をぶるぶると震わせ、ひたいに脂汗を浮かべていた。ポケモンの視線の先に、何かがあった。男はそれを大きな岩だと思った。だが違った。男が松明を掲げると、それの姿が照らしだされた。男はそれを見て、小さく悲鳴を上げた。

ざ り ざざざ…………。

 それは動き出した。積もり積もった埃や砂が、それから零れ落ちた。それは何とも名状しがたいものだった。岩でできた、人の形というにはあまりにも不格好な姿が恐怖をもたらした。男はポケモンとともに走り出した。男の理性を吹き飛ばすだけのものが、それにはあった。それはなぜか、男とポケモンのあとを追うかのようにずし、ずしと音を立てて「歩いた」。それには足のようなものがあったが、男はそのことに気付く余裕もなく逃げた。松明も放り投げ、ヒカリゴケが放つ弱い光だけを頼りに男は走った。
 あれほど時間をかけて歩いたはずの距離を、男とポケモンはあっという間に走り抜け、ウロの外へと転び出た。やや遅れて、ずし、ずしという地響きがした。男もポケモンも限界であった。彼らは逃げる気力も失ってその場にへたり込んでいた。そして、それが太陽の光のもとにその姿を現した。それは眩しそうにするでもなく、砂となって崩れ落ちるでもなく、また男とポケモンを襲うこともなかった。それはそのまま歩き続け、男とポケモンの前を通り過ぎた。男とポケモンは、放心してそれの後ろ姿をただ見送るばかりであった。村の方から悲鳴が聞こえた気がした。
 どれくらいの間そうして座っていたのか、男には分からなかった。だが、擦り傷だらけの足は折れたわけではなく、その気になりさえすれば歩くことはもちろんできた。男はふらふらと村へと戻った。ポケモンは再び村はずれの墓の前で足を組んだ。
 男は、岩でできたなにかが村を破壊している光景を見るとばかり思っていたが、実際はその想像とはかなり異なっていた。崩れた家屋も倒れ伏した村人もいなかった。代わりに、村の中央の広場に腰を下ろしたそれがあった。動きを止めたそれはまるで奇妙な彫像のようであった。それは二本の巨大な腕のようなもの、足のようなものを備えていたから、岩の巨人とも見ることはできた。男は、他の家と同様に、やはり壊されていなかった我が家に帰り、そのまま寝床に倒れこんだ。


 翌日も、その翌日も“それ”はそこにあった。動き出したのが嘘だったかのように、身じろぎ一つしないまま、それは村のど真ん中に陣取っていた。村人たちはそれをおそれた。それは見るだに恐ろしく、それでいて畏れをも持ち合わせていた。不気味でありながら、不可侵でもあった。それは瘴気を放っている、という者がいた。それから後光が差している、という者もいた。邪なるものなのか、聖なるものなのか、論争は終わらなかった。前者は家の戸を固く閉じた。後者は毎日のようにそれを拝んだ。ある者は魔物を連れ出した男を罵った。ある者は神を連れ出した男を敬った。ただ一つ共通していたのは、皆がそれをおそれていたということだった。
 一方、男は“それ”の正体を調べていた。魔物のいるウロになど恐ろしくて入りたくない、神のいるウロには畏れ多くて入れないという村人がいたためだった。男はさしあたって、名前のないそれを“それ”と呼ぶことにした。“魔物”とも“神”とも呼びたくはなかった。そんなものを自分が解放したとは思いたくなかった。
 男は再び、あのポケモンを連れてウロへと入った。ウロの奥に刻まれた謎の文字を解読するつもりだった。奥に“それ”がいない、と思うだけで気持ちが楽だった。
 ウロの中を歩くうちに、男は初めてここへ来たときは気付かなかったことに気付いた。ウロの中には生物の気配がまったくしなかった。男と、男の連れたポケモンを除けば、動くものは一切なかった。それが意味することを、男は初め、“それ”がすべて食らいつくしたのではないか、と思った。しかし、“それ”が何かを食べている様子は想像がつかなかった。実際、男の知る限り“それ”はここ数日村で何かを食べた様子はなかった。男はまた、“それ”が瘴気ではなくとも、なにか生物に害のあるものを出しているのではないか、と考えた。だが、そんなものがこのウロの中に充満しているなら、自分もこのポケモンもとっくに倒れているだろう、と男は思い直した。
 最後に、男は結論にたどり着いた。ポケモンたちは皆、“それ”を恐れて近寄らなかったのだ。
 男は不意に寒気を感じた。ウロの空気が冷たいせいだ、と男は思った。


 男は村へと戻った。結局あの文字は読めなかった。文字がかすれていたせいもあったが、それはどうも普通の文字ではなく、暗号めいた点字だったのだ。
 村の中央には相も変わらず“それ”がそびえたち、一部の村人たちがそれを拝み、奉っていた。“それ”の前には供え物の団子やら饅頭が積まれていた。彼らは“それ”に石神(イワガミ)様という名をつけていた。男が何をしているのか、と問うと、救いの神に村を守っているようにお願いしているのだ、と彼らは答えた。男は何も言わなかった。
 男がウロに言っている間に、村からはひと気がなくなっていた。“それ”を戦乱よりも恐れる者たちが、荷物をまとめ他の村へと逃げ込んだ後だった。他の村へ行けば殺される可能性もあった。それでも彼らは村を去った。その多くが、体力のある男だった。残った者のほとんどは山を下りる体力のない、女子供と年寄りだった。男は己を呪い、“それ”を呪った。男のしようとしたことは裏目に出た。外からの攻撃を待つまでもなく、村は崩壊してしまっていた。そしてその原因の一端を担ったのは間違いなく男自身だった。
 村に残ったわずかな男と、女子供、年寄りたちは“イワガミ様”を崇め続けた。供え物の数は日に日に増え、うずたかく積み上げられていた。村人たちにできることはもう、祈ることだけだった。
 男は毎日酒を呷っていた。村の長が男を訪ね、古びた紙切れを置いていった。男は見向きもしなかった。いまさら“それ”のことを知ったところで、どうすることもできなかった。それでもときどき、ウロの壁には何が刻まれていたのだろう、と男は考えることがあった。だが男にはもう、ウロに入っていくだけの気力は残っていなかった。村はもう、全滅を待つばかりだった。攻められるが先なのか、食料が尽きるのが先か、どちらでもいい、と男は酔った頭で思った。


 どん、どんと騒々しい地響きが村の外から聞こえてきた。“それ”の足音ではなかった。“それ”の足音はもっと不快な、鳥肌の立つようなものだった。だからこれは、攻めてきた敵軍の足音だろう、と男は思った。遂にその時が来たのだ。
 最期に飲もうとした酒はとっくに尽きていた。仕方なく、男は村の最期を見届けようと家を出た。ふと、あの死んだ男のポケモンはどうしているのだろうと思った。やはり殺されるのだろう、とも思った。
 広場の中央には姿勢一つ変えずに“それ”が陣取っていた。周りに信者たちはいなかった。供え物の団子も饅頭も黴が生え、腐っていた。男は乾いた笑い声をあげた。
 音はますます大きくなっていた。戦闘用に鍛えられたポケモンの雄叫びを聞き分けられた。軍勢が視界に入っても、なお男はへらへらと笑い続けていた。
 宙に舞う竜に乗った者がいた。ぎらぎらと赤い鋏を振りかざした虫、胸から果実を生やした獣、鋼の化け物、大きな口を開けた怪獣、たくさんのポケモンがいた。そんなに大挙して現れずとも、この村を踏みつぶすには十分だった。抗う者もいない、あるものと言えば動かない岩の塊があるだけのこの小さな村を滅ぼすには、あのポケモンたちのうち一匹でもいれば事足りただろう、と男は思った。
 軍の先頭には見知った顔の男がいた。だが、かつて同じ村に住んでいたその男の名前を、男は思い出せなかった。名前のわからぬその男は、意気揚々として軍の指揮官らしき、髭を生やした男に話していた。名を知らぬ男は、“それ”を破壊してほしい、と言った。そしてその男はあれほど恐れていたはずの“それ”へと歩み寄った。彼は供え物の腐った饅頭を拾い上げると、“それ”に向けて投げつけた。饅頭は“それ”に命中し、音を立ててつぶれた。彼は笑った。男は笑うのをやめた。男は自分の体ががたがたと震えるのを感じた。
 男は、ひんやりと冷たい空気を感じた気がした。

 ざ り ざざざ…………。

 ぐしゃり、と饅頭がつぶれたような音がした。昔村を出て行った男は、自分の村に帰って死んだ。男は、その男の名を最期まで思い出せなかった。
 “それ”が動き出した。村の広場に黙って鎮座して、動くことのなかった“それ”は、いまやその大きな腕らしきものを無造作に振るっていた。軍勢はみな、なにか喚き散らしているようだったが、男には聞き取れなかった。彼らはめいめいのポケモンで“それ”を攻撃した。“それ”の体から、ぼろぼろと岩石が崩れ落ちたが、“それ”は一向に気にする様子もなく、ただ腕を振り回しては軍勢をポケモンも人も屠っていった。男はそれを黙って眺めていた。ポケモンの悲鳴、人間の叫び声は次第に小さくなっていった。まるでそうすることしかできないように、男は震えていた。
 たくさんの人とポケモンが斃れたあとで、遂に、生き残りの軍勢は退却を始めた。統率を取る者はおらず、それは退却というより逃走だった。すると、“それ”は大きな光を集め、彼らに向けて放った。閃光が走り、男はたまらず目を閉じた。目を開けた時には、そこには人もポケモンの姿もなく、抉れた地面だけがあった。男は嘔吐した。
 軍勢を残らず抹殺すると、“それ”はゆっくりと移動を開始した。歩くたびに、ぼろぼろと小石や砂がその体から落ちた。“それ”は戦いで酷く損傷していた。男はよろよろとその後に続いた。何も考えはなかったが、“それ”がどこへ行くのか見届けようと思った。“それ”は村はずれの方角を目指しているようだった。
 墓の前で、あのポケモンはいつも通り足を組んで座っていた。ポケモンは“それ”の姿を見、静かに男のあとをついてきた。歩くうち、男は“それ”がどこを目指しているのか見当がついた。ウロだ。“それ”はウロへ戻ろうとしていた。“それ”はゆっくりと歩き続けた。ウロにたどり着くと、男の予想した通り、“それ”はウロの中へと入っていった。ざ、ざという音、カタン、カタンという音がウロに響いた。奇妙な行列は三者ともに無言だった。
 ウロの一番奥、“それ”が元々いたところで、“それ”は手近な岩を拾った。男とポケモンが見守る中、“それ”は拾い上げた岩を自らの体につけ始めた。“それ”は自らの体を修復していた。半刻もしないうちに、“それ”は元通りになっていた。元の姿に戻った“それ”は、男が初めて“それ”を発見した時と同じ姿勢で動きを止めた。“それ”はまた長い眠りについた。
 男はふと、村の長からもらった紙切れを取り出した。受け取ってから懐に入れたままだった。ヒカリゴケの薄明かりで、男はそれを読んだ。それは点字の読み方だった。
 男は刻まれた点字をしばらく眺めたのち、“それ”に背を向けた。

 長い長い時の間に、何もかもが忘れさられ、風化し、消えてゆくだろう。それでも“それ”は眠り続ける。それは永遠のポケモンだから。いつまでも、誰かがまた偶然にそれを発見するまで。そしてその誰かは壁に記されたあの点字を目にするかもしれない。そこに記されているのは悔恨と、謝罪の念。村を守りし者への懺悔の言葉。

 男はウロをあとにした。陽射しがまぶしかった。男はポケモンに頼み、再びウロの入り口を封鎖した。“それ”はまた封印された。
あてもなくとぼとぼと歩くうち、言葉が口をついて出た。それはあの壁に刻まれた言葉だった。

わたしたちは この あなで くらし せいかつ し
そして いきて きた
すべては ポケモンの おかげだ
だが わたしたちは あの ぽけもんを とじこめた
こわかったのだ
ゆうき ある ものよ
きぼうに みちた ものよ
とびらを あけよ
そこに えいえんの ポケモンが いる


 点字を読んだ今でも、“それ”が何を考えて行動していたのか、男にはわからなかった。わかったのは、あれが神でも魔物でもなくポケモンだということだけだった。
 男は空を見上げた。もう少しだけ、ポケモンに貰った命を生きてみるのも、悪くは無いような気がした。