進化のキセキ ( No.10 )
日時: 2013/11/17 23:02
名前: 穂風湊 メールを送信する

テーマ:B「石」

「進化不全……ですか?」
 ジョーイさんの耳慣れない言葉に、サキはオウム返しに訊ねる。診察してもらったばかりのリザードも、よく状況が飲み込めずにジョーイさんを見上げていた。
「その名の通り、進化が止まってしまう症状よ。稀に報告されるのだけど、原因がわからなくて……治療法もまだ見つかっていないの」
「じゃあ私のリザードは……」
「ごめんなさい、私の手じゃどうしようにもないわ」
 申し訳なさそうにジョーイさんが謝る。
「いえ……ジョーイさんのせいじゃないので、そんなに謝らないでください」
 そうは言ったけれど、このやるせなさをどこにぶつければいいのか。その相手がジョーイさんにならないうちに、サキは一礼すると、リザードを抱えカウンターを後にした。

 何かがおかしい、そう思い始めたのは数ヶ月前のことだ。同じ時期にポケモンをもらい、旅に出た友人は皆、パートナーを最終進化まで育てたと携帯に連絡が入ってきていた。なら自分もそろそろ、そうサキは期待していたけれど、数週間待っても、数ヶ月経っても進化の兆しは全く見られなかった。
 トレーニングは怠ってないし、個体差があるにしても、もうすぐ一年が経とうとするのは遅いのではないか。
 そう思いジョーイさんに事情を説明し、リザードの診察をしてもらうと、結果が先のように出たのだった。
 進化不全、治療不可。四字の言葉が頭の中で反芻される。
 サキは逃げるような足取りで出口へ向かい――誰かに呼び止められた。
「おーい、そこのお嬢さん。ちょっとお話いいかな?」
 声がしたのはポケモンセンター併設のカフェテラス。そこから一人の男性が手を振っていたのだった。背は高く、髪は癖毛。白衣に身を包み、研究者のようだ。
 軟派の類だろうか。サキは怪訝な顔をして、再び出口へつま先を向ける。もともとそういうのは相手にしないのに加え今はこんな気分だ。男性とお茶しようなんて考えられない。
「あー待った待った! 君と雑談するために呼んだんじゃないんだよ。君のリザードのことなんだ!」
 慌てて席を立って呼びかける男性の言葉に、サキは耳を傾ける。「リザードのこと」とは何なのだろう。
 男性はサキの所まで歩み寄ると、一枚の名刺を差し出した。
「自己紹介を先にすればよかったね。僕はプラターヌ。カロス地方でポケモンの研究をしているんだ。このカントーでいうオーキド博士みたいな感じさ」
 受け取った名刺には確かにそう書いてあった。カロス地方、ここからかなり離れた場所だ。そこの博士が一体何の用なのか。
「そうだね――立ち話も疲れるし、座って話そうよ。紅茶でいいかい?」
「えっと……はい」
 流されるままにサキはプラターヌの向かいの席に腰を下ろす。
 腕の中では、リザードが相変わらず不思議そうな顔でサキを見上げていた。

「僕は進化の研究をしていてね。今回はカントー・ジョウトでもイーブイがリーフィアやグレイシアに進化出来るか調査しに来たんだ。進化に必要なのはその地域の気候なのか、またはある物質なのか」
「進化……ですか」
「そう。ポケモンの進化は無限の可能性を秘めているからね。新たに進化の経路が見つかったり、進化を越えるメガシンカが確認されたりと、まだまだ研究することはいっぱいだよ」
「メガシンカ?」
 その言葉は聞いたことがなかった。普通の進化とは違うのだろうか。
「トレーナーの心と強く反応して起こるみたいなんだ。メガストーンというのが必要条件らしいけど、それについてもまだ詳しくは解明されてないし、進化はまだまだ奥が深いよ――と話がだいぶ逸れたね。じゃあ本題に入ろうか」
 エスプレッソを一口啜ると、プラターヌは話を続けた。
「さっき君とジョーイさんの会話が聞こえてきてね。何か助けになれないかと思ったんだ」
「けど、治療法が見つかってないって……」
「一つ試してみたい事があるんだ」
 そう言ってプラターヌは脇に置いてあった鞄を膝の上に載せると、中から一つの小さな箱を取り出した。
 博士に促されサキは箱の蓋を持ち上げる。
 そこには丸い黒の石が入っていた。丸く磨かれていて、周囲の光を反射している。
「これは……?」
「進化のキセキといってね、カロス各地の洞窟で偶に見つかるんだ」
「『しんかのきせき』ってあれですよね」
 進化の可能性を秘めたポケモンに持たせると耐久が上がる不思議な石。それが進化不全の治癒とどう関係するのか。これを持たせて、進化しなくても長所はあると慰めるわけではないだろう。
「カロスの石は特異なパワーを持っていると昔から言われているんだ。これもその一種でね、古い文献にこれが治癒法として使われていた例があるんだ」
「『しんかのきせき』なのに、ですか?」
「うーん、同名だけどそれとは異なるものだと僕は考える。現に「キセキ」がどういう意味なのかまだわかっていないんだ。「輝石」なのかもしれないし「貴石」とも考えられる。はたまたもっと違う意味かもしれない」
 だからもし何も頼るものがなければ、試してみてくれないかな。そう言ってプラターヌはサキの方へ箱をそっと押した。石を手に取り、もう一度よく眺めてみる。
 黒曜石に似た吸い込まれそうな漆黒の色は確かに何かの力を秘めていそうだ。相手も危ない人ではなさそうだし、信じてみるのも悪くない。そう決めると、サキは紐でリザードの首に通してあげた。リザードは爪の先で石をとんとんと叩き首を傾げる。
「あの、お礼は……」
「いいよいいよ。成功するかどうかわからないし。連絡さえしてくれれば大丈夫。それじゃあ君たちの成功を祈ってるよ」
 プラターヌに送られて、サキとリザードはポケモンセンターを後にする。
「後は彼女たち次第かな。進化の方法は強さだけじゃないからね」
 残りのカップを飲み干して、プラターヌはふうと息をつく。
「成り行きで研究材料渡しちゃったけど、助手達に怒られないかなあ……」
 その先のことは考えたくなかった。

 プラターヌとの会話から数週間が経ち、そして一ヶ月が過ぎてもリザードに変化は見られなかった。変わった点といえば、リザードの耐久が上がったこと。けれどそれは「しんかのきせき」本来の効果であり、進化が出来ない現実を間近で突きつけられるようでいい気分はしなかった。
 しかしそれに代わる案は一つも知らない。だからこれに頼るしかない。そんな皮肉的な状況ができ、心に負担を与え――サキは負の循環に陥っていた。
 旅をしていても勝負をしていても、前のような興奮を得られることが出来ない。魅力を感じなくなっていた。
「ねえリザード」
「?」
 手頃な岩に腰掛け、リザードを膝に乗せてサキは言う。
「帰ろっか」
 もう疲れたの。だから帰ってゆっくり休もう。優しく頭を撫で、サキはリザードの答えを待つ。
 リザードは振り返り、サキの顔を見上げ――静かに頷いた。それは旅立ちの時のサキの面影を残さない表情だった。希望は天に吸い取られ、興味心は既に燃え尽きていた。そんな表情、見たくなかった。
 サキがこうなってしまったのは僕のせいなのか。
 リザードは思案する。
 僕が進化さえ出来ればサキはこうはならなかった。なら僕がいなくなればサキは元に戻るのだろうか。……いやそれはない。そうだとしたらとっくに見限られているはずだし、しんかのきせきを持たせ続けたりはしないだろう。
 結局の所、こちらもまた皮肉なことに、サキの側にいて彼女を悩ませることでしか、サキを安定させられなかった。
 旅を止めよう。
 そうと決まると後は早かった。
 乱雑に荷物を鞄の中へ突っ込むと、地図と方位磁針で向かう先を確認。自宅を目指しサキとリザードは足を進めていく。
 故郷へ至る道には二つあった。一つは険しい山を越える近道。もう一つはかなり遠回りとなってしまうが安全な迂回路。普段なら迂回路を選んだけれど、サキは迷わず真っ直ぐ進んでいった。もう早く投げ出したかった。
 急な坂を上り、不安定な岩道を乗り越え、崖に接した狭い道を抜ける。
 道中は互いに一言も言葉を交わさず、聞こえるのは谷を抜ける風の音。そして地響き。
 ――地響き?
 続いて轟くのは獣の雄叫び。この鳴き声は確か、
 リザードが記憶のデータベースを探るのと、その主が姿を現すのはほぼ同時だった。
 鎧の巨体、バンギラスが鋭い目つきで見下ろしていた。怒(いか)る瞳に燃えるのは、領地を犯されたと考えたのか、虫の居所が悪いのか。どちらにせよ、臨戦態勢であることは間違いない。
 凄腕のトレーナーなら、ここで迎え打ち対処するのだろうけれど、サキの手持ちはリザード一体のみ。相性は悪く、勝てる見込みはあまりない。
「逃げようリザード」
 力では負けていても、足の速さなら勝っている。そう考えサキはリザードに声をかけ、来た道を引き返す。
 轟音とともに放たれる破壊光線を、身を捩って躱しなんとかやり過ごす。反動でバンギラスはしばらく動けないはずだ。
 今の隙に一人と一匹は逃げ出していく。角を曲がればきっと大丈夫、直角カーブを靴のエッジを利かせて岩陰に飛び込んで――足下が大きく揺れた。振り返ってみれば、バンギラスが地団太を踏んでいる。
 地震。
 追い打ちの一撃に、サキの体は谷底へ投げ出される。下に見えるのは光の届かない暗い闇。あそこに落ちたらどうなるか。直に答えは身を以て知るだろう。
 上に取り残されたリザードは顔を乗り出し主に叫ぶ。
 もし進化が出来たら。
 もし力があったら。
 もし翼を持っていたら。
 サキを助けたい。これまで描いた軌跡を消させてたまるか!
 リザードは最後にバンギラスを強く睨みつけると、自ら谷へ飛び降りていった。
 この石が進化不全を治す奇石なのだとしたら、その奇跡が今起きなくていつ起きるのか。効果が無いのなら僕達はこれで終わりだ。飛び降りたことは後悔していない。ひとりだけ残されるなんてのは御免だった。ならこのまま終わっていいのか。いや、希望を捨てて死ぬなんて格好悪い。
 きっと目を見開きリザードは下を見る。闇底まではまだ距離がある。リザードは胸に提がる「キセキ」を強く握りしめた。固かったはずのそれは、薄いガラス玉のように砕け散り――破片がリザードを取り囲んだ。
 カケラの各々が光を放ち、リザードは白に包まれる。
 力が溢れてくる。
 次に世界が黒に染まった時、リザードは――リザードンは咆哮を上げた。勇ましい呼び声は谷全体に響き渡り、より輝かしくなった焔の尻尾は闇を紅に照らす。リザードンは翼を折り畳み、頭を下にして急降下する。
 間に合え。
 仄かな明かりの中、サキを探し出す。落下する少女の姿を視認するとリザードンは彼女を追い抜き、体勢を弧状に90度変更する。衝撃を和らげるため正の放物線上にコースを取り、リザードンはサキを背中で受け止めた。
 体に確かな重みと温かさを確かめると、新しい両翼で一気に浮上する。
 光の世界に入り、崖を超え、雲まで手が届きそうになる。
「ありがとう……よかった……」
 背中から聞こえるサキの声に、リザードンは歓喜の炎を空に向かって放つ。

 「進化のキセキ」はその身にしっかりと残されていた。

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プラターヌ博士へ

 博士の「キセキ」のおかげで、私のリザードがリザードンに進化することが出来ました。
 ただ、進化の時何が起こったのか、私は気を失っていたのでよく覚えていません。それに石を壊してしまいました。折角大事なものを頂いたのにすみません。協力出来ることなら最大限の力になりますので、遠慮なく言ってください。
 今はリザードンと一緒に実家でゆっくりしています。十分休んだら、バトルやジム戦はしばらくやめにして、リザードンと世界を見て回ろうと思います。ふたりで願っていた翼が生え、リザードンもいっぱい動かしたいようなので。
 カントーを周遊したら、次はカロスを観光したいと考えているので、その時はミアレの研究所にお邪魔したいと思います。進化したリザードンをぜひ見てください。

 P.S. あの時ポケモンセンターで会えたのも「キセキ」なのかもしれませんね。

――サキより