もりのはた おやのはた ( No.17 )
日時: 2013/04/14 23:55
名前: コメット メールを送信する

テーマB:旗


 幾歳の時を経て育ったのか分からないが、そんじょそこらの建物よりは遥かに高く天に届きそうなくらいの年輪を刻んだ大樹がシンボルとなる森がある。突出したその古株の周りには、若々しい木々が取り囲んで広大な森を形成している。この大自然の中には多くのポケモンが棲息しており、大樹の恩恵を授かってのびのびと暮らしていた。そこから離れた位置に人間達が村を構えたのも、昔から大地と共にある大樹は知っている。少しずつ開発が行われ、人間が力を及ぼす範囲が広くなってきている事も。
「あーあ、つまんないなー」
 そんな自然に囲まれた立地の良い一軒の家の中。天気も快晴で出かけるのには申し分ないと言うのに、一人の少年は暇を持て余していた。居間の畳に大の字で寝転がり、雨戸を開放して外から流れこんでくる風を受ける。しかし、野に咲く草花の匂いを運んでくる爽やかなそよ風も、無気力状態の彼を突き動かすほどの影響力は無いらしい。
「何してるんだよ。こんな昼間からだらっとしてさ」
 仰向けになっている少年の顔を覗き込むようにして、別の少年が現れた。突然の来訪者に驚くこともなく、むしろ溜め息と共に膨れっ面をして見せる。いつからそこにいたのだと言いたげだが、それを言うのも億劫なようである。
「本当は父さんが遊びに連れて行ってくれる予定だったんだよ。だけどさ、何か都合が悪くなったとかでだめになって、手持ち無沙汰になったってわけ。まあ、大人なんて勝手だよね」
 手をひらひらとさせて不機嫌そうにする。よほど父親に約束を破られたのが気に入らないのか、言葉の端々には力が篭っている。だが、怒りよりも失望の感情が先行しているようで、そうでなければ、親しい間柄であっても一応客人が現れたと言うのに、頬杖を突いたままそっぽを向いたりなどしない。
「じゃあさ、ちょっと気になる事があるんだけど、おれに付き合ってくれよ」
 ふてくされている少年の事などお構いなく、いきなり遊びに訪れた少年は一層声を張り上げた。ここで追い払っても良いのだが、気晴らしか手慰みにでもなるかと思い、軽く頷いて続けさせる。率直な話、遊び半分の調査に協力してほしいと言う旨であった。実はここ最近、村の中で冷蔵庫内の食料が盗まれると言う事件が多発していた。しかも決まって野菜ばかりがごっそりと消えており、神隠しにあったのではないかと面白がる者もいれば、次は自分の家が狙われるのではないかと動揺する者もいる。しかし、その話題を持ち出すのは子供ばかりで、村の大人達は何食わぬ顔で過ごしている。一部ではコソ泥が周辺に潜んでいるのではないかとの噂も飛び交い、平穏そのものだった集落に波紋が広がっていた。物音が聞こえた時に駆けつけた者もいたが、残っているのは荒らされた跡だけで犯人の痕跡は微塵も無いらしい。退屈凌ぎに良いと思ったのか、ようやく体を起こしてやる気を出す。
「お前は犯人が誰だと思う?」
「犯人かぁ……。案外ポケモンだったりして」
「やっぱりそう思うか? おれも森のポケモンが怪しいと思ってたんだよな。第一さ、大人が何も対策を講じようとしないってのが変なんだけどさ」
 縁側に座って足をぶらぶらさせている少年たちは、事の深刻さには目もくれずに好奇心で心を満たしていた。無地の白い半袖シャツに茶の短パンといった具合に軽装の少年は、床に手をついて前方に軽く飛んでみせる。振り向きざまに見せる真っ白な歯を並べた悪戯っぽい笑み。これにもう一方の少年は見覚えがある。ポロシャツと七分丈のパンツを身に着けた少年は、すっくと立ち上がって同じ表情を鏡のように映して見せる。
「そうなれば、まずは正体を明かさないとね」
「おれに良い考えがある。奏人、手伝ってくれないか?」
「もっちろん。要る物はそれぞれに用意しよう。じゃあ、もう一度夕方に落ち合うって事で良いね、当真」
 互いにやると決めたら行動は早かった。当真はそのまま自宅に向けて一目散に駆け出し、奏人は近くのテーブルの上に置いていたモンスターボールを片手に、当真とは別方向に走っていった。



 空という名の天のキャンバスには、いつの間にか青を塗りつぶすようにして赤紫色が広がっていた。ほんの数時間前までは白い光を放っていた輝く恒星も、遠くの山に降りている間に纏う衣を変えて、昼間とは全く雰囲気の異なる世界を演出している。不気味さを孕んだ美しい夕空の下で、小さな少年達は誰もいない草原に繰り出してじっと佇んでいた。まだ太陽が頭上にある内に仕掛けを作ったのだ。古びて使わなくなった冷蔵庫を借りて台車で運び、仲の良い農家の老人達に余った野菜を分けて貰い、中に半分ほど詰め込んだのである。しかし、これだけでは罠とした冷蔵庫に食いついてくれるとは限らない。だからこそより森に近いところに設置する事で、その確率を上げようとしている。
「上手く引っ掛かると思うか?」
「さあ。でも、やらないよりは良いでしょ。何より、ぼくたちが楽しんでるってところもあるからね」
 時間の経過に伴って、日も傾いて夜の帳が下り始めた所で、二人は近くの茂みへと身を潜める。まだ暮れ始めだけあって周囲の鮮やかな色も視認出来ているが、影の占める部分も増え始めた事で、集落の家々には明かりが灯っていく。幸いにも暗くなっても気温が寒くはならず、夜の見張りにももってこいの気温が保たれている。
「これで来なかったら無駄骨だよね」
「来るさ。ここ最近ほぼ毎日出没しているんだからな。――ほら、噂をすればおいでなすった」
 半ば冗談のつもりでここまでの運びを行っていた奏人としては、まんまと自分たちが作ったものに誘い込まれた者がいる事が予想外だった。胸の高鳴りを抑えきれずに真犯人を見極めようと動こうとするが、脇にいる当真に制止される。
「今ここで動いたら、おれたちが隠れている意味が無くなるだろう。黙って見てようぜ」
 ほんの目の前で影が動いているのは見えるが、その正体までは掴めない。ただ間違いないのは、何者かが半開き状態の冷蔵庫の扉を開け、中をまさぐっていることである。現場に立ち会っていることに興奮してしまうが、本当の目的を突きつけられた事で、奏人も渋々ではあるが了承する。
「でも、あの背格好だと確実にポケモンだよ。一体何のつもりでこんな事をしているのだろう」
「言葉が分かるわけじゃないんだし、おれ達には理解できないさ。おおかた食料の確保とかだろ。それより見ろ、持てるだけ持って移動を始めたぞ」
 冷蔵庫から再び姿を現したその者は、遠目に見てもそのシルエットが現れた時より膨らんでいる。どのようにして運ぼうとしているのかは窺い知れないが、ともかく森に向かって影は進み始めていた。
「まだ早いかな。こっからだと上手く行ったのか見えないんだけど」
「焦るな焦るな。成功はしてると思うんだ――たぶん」
「たぶんって……。まあ、いっか」
鋭い奴だったら尾行しても気づかれそうだから――そんな当真の提案で追跡用に仕込んでいたのが、一個のモモンの実であった。少し切れ目を入れた状態で大きな野菜の中に忍び込ませておき、匂いが外に溢れ出すように細工を施している。しかし、人間の嗅覚では到底遠くからは感知できないため、もちろんそこはポケモンの力を借りる予定であった。当真はポケットから取り出したモンスターボールの開閉スイッチを押した。光の粒が零れ出して姿を形成していく。地面に降り立ったのは朱色の毛並みを持つ犬のような容姿をしている。
「ガーディ、モモンの実の匂いを追ってくれるか?」
 主人の頼みに応えようと、ガーディは威勢よく「がうっ」と一吠え。しかし、その元気は好ましいものではなく、慌てて当真が口を押さえる。張り切りのあまり失敗したのだと感じてしゅんとするガーディだったが、当真に頭を優しく撫でられたことで機嫌を直す。
「さあ、気を取り直して頼むぞ」
 また声を上げようとしたところで思い止まり、ガーディは鼻をしきりにひくひくとさせて消息を追い始める。まだ天からの光は届いてはいるが、いつ真っ暗闇になるか分からない。暮れなずむ夕日にしばらくその場に留まって欲しいなどと起こり得ない事を祈りつつ、二人も足元に注意しながら忍び足でガーディの後に付いて行く。辿り着く先は分かっているのだが、普段は家に篭ってばかりで刺激の少ない生活を送っていた二人にとっては、今自分達がやっている事に胸を躍らせていた。むしろ何か起きて欲しいとさえ思うほどである。
「何か冒険みたいでわくわくするな」
「そうだね。でも、もう一時間ほど経ったら暗くなっちゃいそうだけど……」
「どうかしたのか?」
「いいや。親が心配してるかなあって思ったけど、約束を破ったお返しだ。帰るの遅くなっても良いかなって」
 まだ父親に対する不満は消えていなかった。それが無ければここまでしなかったかもしれないが、奏人にとってはそれだけ根に持つものらしい。森への入り口に立った時点で違和感を覚えていた。それが何なのかは分からない。だが、ガーディも嗅覚とは別のところで何かを感じ取っていたようで、すっかり立ち止まっている。
「そんなに深く考え込むなって。ほら、あんまりこうやって探検する機会なんて無いだろ? 少しは楽しんでいこうぜ」
「そうだね。じゃあ、僕の相棒にも出てきてもらおうか」
 せっかくだからと、奏人も手持ちのボールを取り出してポケモンを召喚する。人間と似た体躯をしたリオルという種族で、何もない暗闇の草原に呼び出されてわけも分からず立ち尽くしている。しばらくきょろきょろした後で改めて主の姿が確認できると、ぴったりと寄り添って離れなくなった。
「そんなに戸惑わなくても良いよ。一緒にこの奥に進もうってだけだから」
 俯き加減だった顔を上げると、見上げる状態で、かつ薄暗い中でも奏人の優しい笑顔がリオルの瞳にはっきりと映った。この種族が感じられる波導によって裏付けられた思いを受け取り、リオルは不安げな色を引っ込めて首肯する。二人と二匹は、小道へと足を踏み入れた。



 ガーディの案内の下、細い枝葉によって縁取られたアーチを突き進む。先までどっしりと立っていられた草原とは異なり、森の中は完全に獣道であった。苔で滑りやすくなった地面に加え、ふと道を逸れれば次は茂みに分け入る。目的など今は頭の片隅ほどにしかなく、すっかり散策を楽しんでいた。それぞれの相棒は手助けをして道を切り開いていく中で、少しずつ主人に感化されていく。木と木の細い隙間を抜けようとすれば、イトマルが張ったであろう小さな蜘蛛の巣が顔にべったりと張り付いた。目も開けられなくなって立ち往生していると、当真が後ろからけたけたと笑い声を上げる。
「ガーディの炎で取ってやろうか?」
こっちは必死なのにと奏人は怒りたくなるが、それとは対照的に自らも笑っていた。糸が顔に絡みつくのが気持ち良いわけではない。“べたべた”と“ねばねば”の中間にあるような不快な感覚で、手で払おうとしても今度はそっちにくっついて腹立たしいことこの上ない。楽しいと感じるのは、こうして気の置けない友人とのやり取りが楽しいからであった。家で一人の時間を過ごすようになってから、久しく感じていなかった。一人の時間が良いと思っていたが、今になって気づく。外に出て歩くのも悪くない、何と無駄な時間を過ごしていたのだ――と。
「そうやって笑ってばかりいると、お返しだ!」
 思いを巡らしている間にゆっくり丁寧に回収できた分の糸を、油断しきっている当真の顔にくっつける。思わぬ奇襲にあって、次は当真が苦しむ番であった。助けてくれなかった報いだと奏人が立場を逆転して嘲笑する。ひとしきりもがくのを愉快そうに見ていた後で、助け舟を出してやる事にする。くだらないけど、くだらなくない。ひとつひとつが新鮮で、心を弾ませてくれた。しかし、寄り道ばかりしていられないのも事実で、目的を果たすためにもやっと本題へと戻って先を急ぐ。
開けたところで飛び込んできたのは、首を擡げないと全容が見えない巨木。地面に深々と突き刺さって伸びている根の一本一本だけでも、周囲に立ち並ぶ幹一本分はあろうかと言うほどである。四方に広がる樹冠は天からの暖かな光をことごとく遮る中で、ほんの一部の侵入を許している。その光が空間を明るく照らしており、その一部が降り注いでいる樹木の根元には、明らかに自然の物とは思えない物があった。神秘的な雰囲気に呑まれて先の泥棒の事など忘却の彼方にある奏人と当真は、駆け寄ってその正体を確かめる。
「これ、布切れか?」
「みたいだね。しかもぼろぼろで古い感じがする」
 苔だらけで何色かも分からなくなっている布を恐る恐るつまみあげる。中央には模様が描かれているようであるが、放置されていたために進んだ侵食によって識別は不可能となっている。
「誰か遊びに来た子供が捨てていったのかな」
「さあな。でも、この森に入っていく子供って滅多に見ない気がするけど。そもそもここって何か近寄りがたい場所で、何か別称で呼ばれていたような――」
 当真が記憶の引き出しに手を掛けたところで、奏人の脇に控えていただけのリオルがぼろきれに興味を示し始めた。頻りに触って確かめたかと思えば、次は目を閉じてそれに向かって腕を翳す。集中している時の証として、両耳近くの滴状の房を小刻みに動かしていた。そして一連の行動を終えると、何かに気づいたように大樹の周りを時計回りに歩いていく。ちょうど布が落ちていた位置の反対側まで来た辺りで、不審に思って追いかけた二人も追いついた。リオルが真っ直ぐ視線を向けているのは、誰かがこの幹に力ずくで穿ったのかと疑ってしまいそうな、綺麗にぽっかりと空いた穴であった。
「今度は謎の空洞か。しかもおれ達二人が入っても余裕が出来るくらいの広さだな」
「うん。ところで、君はどうしてあの布をいろいろ見てここに来たの?」
『うふふっ。それはね、その子が何か感じ取ったからだよ』
 風でざわついていた木の葉達が一斉に音を奏でるのを止めた。同時に奏人でも当真でもない声が木霊する。無邪気な子供のように甲高く澄み切った声であった。辺りを見回しても発信者らしき人影も無い。そもそもここに来るまでポケモンの一匹にも出会わなかった事を思い返すと、やけに不自然だった。だが、その違和感を追求する間もなく、二人と二匹は先まで届いていなかったはずの眩い光に包まれた。瞼越しにそれが止んだのを感じて目を開いた時に見えた光景は、それまでと同じく特に何も変わっていない。先程の声の主たる姿もあるわけではなく、不思議そうに視線をあちこちに動かす。
「あ、これはもしかしてさっきの布か……? にしては随分と綺麗になって、竿に付いて立っているけど」
「そんな、同一の物のはずはないでしょ。こっちはどう見たって旗って感じだし」
 たった一つだけ、目立つ違いを見つけた。しっかりと地面に突き立てられた棒に括り付けられている白い布は、二人が見つけた物とは似ても似つかないほどに綺麗なものである。面影は残っていても、同一のものだとは判別しにくい。この綺麗な方の中央には青と黒、赤と白でぐちゃぐちゃに何か描き殴られている。そこまでは分かっても、どうして修復されているのかの糸口にはならない。この謎の現象に頭を悩ませていると、遠くの方から男児のものと思われる高らかな声が聞こえてくる。それは木霊していたのとは異質のもので、徐々に大きくなって二人のところに届くようになる。誰かが近づいてきているのだと分かると、何となく近くの茂みの中に身を隠してしまった。
「今日もここで遊ぼう!」
「いいぜ、ここには俺達の秘密基地があるんだしな!」
 二人組の少年が駆けてきた先は、旗が目印になっている根元の空洞であった。その後ろには奏人たちのように一匹ずつポケモンを伴っている。どちらも見覚えのある馴染み深い種族で、自分達の後ろに座り込んでいる二匹の方を振り向いて何回もしつこく見比べる。見間違えではないと分かると、驚きのあまり声を出してしまいそうになるが、お互いに口を塞いで事なきを得る。しかし、顔を見合わせてぽかんとするしかなかった。とりあえずはしばらく二人を観察することにする。
「それでさ、聞いてくれよ。父さんったらさ、休日だから野球でもしようってこの前から約束してたのに、急に用事が出来たなんて言ってすっぽかしたんだ。だから大人って嫌いなんだ」
 当真はくすくすと忍び笑いをしながら隣にいる奏人を小突いていた。当の本人は小声で「分かってるよ」と言って顔を赤らめる。いつまでもからかおうとしてくるのがうっとうしくなったのか、はぐらかすようにして目の前の少年たちの会話に耳を傾ける。
「まあ、そりゃあ酷いよな。でも、こうやって俺といるのが嫌ってわけじゃないだろ?」
「ああ、当然だ。ちょっとは父さんの代わりになるかな?」
 軽い冗談を飛ばせるのは仲の良い証拠。奏人と当真も羨ましく思えるほどに、会話をしているだけでも、そしてたった二人でもとても楽しげだった。持って来ていた荷物を一旦“秘密基地”の旗の下に放り投げると、ポケットに入れていたボールでキャッチボールを始める。
『さーて、そろそろ良いかな。じゃあ、次に行くよ!』
 二人がひそひそ声で話そうとした途端に、またしても上方から光のベールが降りてきた。為す術もなく身を任せると、盛んに遊んでいた少年たちの姿も声も無くなっていた。あまりに突拍子が無さ過ぎて頭が追いつかないままではあるが、とりあえず元の位置に戻ってきたのかと安心して立ち上がろうとする。
「懐かしいな、ここ」
 だが、次は聞き覚えのある声が耳に届いた事で体が硬直し、結局は再度藪に潜り込む事となった。固唾を呑んで待ち構えていると、背の高い青年二人組が雑木林の向こうから歩いてきた。二人の記憶にある人物とは多少異なるが、今しがた脳裏に焼きつけた姿と照らし合わせてみると、二つあるイメージのちょうど中間くらいであった。言葉に出さずとも、奏人と当真は同時に頷いて相手の思いを確認する。その間にも距離を詰めてきており、立ち止まったのはもちろん神木のような重厚さを放つ緑樹の手前。腕組みをして立つ二人の表情はしかし、先刻の少年達とは正反対であった。そんな気持ちに呼応しているかのごとく森もいささか暗く感じる。
「俺達は忙しくて構ってやれなくなるかもしれないけど、せめてお互いに良い遊び相手になってくれていると良いな」
「ああ、そうだな。本当は親であるオレ達が相手をしてやるのが良いんだろうし、オレ達もずっと傍で成長を見守ってやりたいんだけど」
「まあそこは、俺達は影で支えてやる役目だからって事で我慢我慢。それに、子供のためなら、どんな仕事も苦じゃないよな」
 沈みがちに見えた二人の面持ちは、大木を前にして互いに向かい合った時には晴れやかになっていた。その笑顔は昔のものと全く変わっていない。年を取って大人になっても、精神的に成長しても、本質的なところは同じままである。二人のやり取りを見れば、表に見えるものだけでない事も窺える。
「でもな、そのせいで子供に嫌われるのは嫌だと思わないか? 仕方ないと言えば仕方ないだろうし、オレ達も子供の頃に経験した身ではあるから、別段問題は無いけどさ」
 遅れて付いてきていた相棒のポケモンも、各々一段階上に進化を遂げていた。見た目は変わろうとも、人間もポケモンの方も、互いの関係は変わらない。主人が溜め息を吐いて不安そうな色を浮かべているのを見て、ルカリオは黙って寄り添っている。子供の事で心を悩ませ、哀愁を漂わせている青年を目の当たりにした奏人は、飛び出さずにはいられなくなった。どんな結果になろうとも良い。今は難しい事を考えるのはなしにして、思いを伝えることが先決だと腹を括って。
「あ、あの、おじさん!」
 しかし、“父さん”と呼びかけなかった辺りは冷静だった。
「他人の僕が言うのも何だけど、たぶんその子は嫌ってなんかいないと思うよ。言葉には出せないかもしれないけど、でも、心の中ではすごく感謝してるはず」
「ほう、君にそんな事が分かるのか?」
 盗み聞きしていた相手に対しても、動揺せずに柔らかい物腰で問いかける。悟っているのか、単に付き合ってあげているだけなのか。奏人には知る由も無かったが、どちらにしてもやる事は変わらない。激しい胸の高鳴りを感じつつ、からからに乾いた口から必死に言葉を紡ぎだす。
「あっ、それは、その――上手く言えないんだけど、僕も同じ事を経験したから何となく分かると言うか……」
「――そっか。ありがとな、坊主」
 奏人が口篭ったところで、穏やかな口調で一言。相手は自分の事など知っているはずもないのに。ましてや見ず知らずの子供が戯言を並べているだけと捉えられてもおかしくないのに。勢いだけで声を掛けてしまって後悔していたのも、その一言で吹き飛んでしまった。
「じゃ、じゃあ、失礼しました!」
 逃げ帰るように樹木の後ろに走っていく奏人。当真とガーディ、リオルの待つところに戻った瞬間に、見計らったように光の筋が現れ、奏人達はもう疑うことなく飛び込む。視界が開けた時に、既に二人の大人の姿は無く、目の前にあるのは一度目に光に包まれた時に置いてきたぼろきれ――もとい旗だった。今度こそ元に戻れたはずだが、いまいち実感が湧かない。それでも緊張の糸が解けたのか、奏人は地べたに座り込む。当真はその頭を上からぐしゃぐしゃと力任せに撫でる。
「まったく、随分と危ない事をしてくれるな」
「ごめんごめん。つい言いたくなっちゃってさ。面と向かって言うのも恥ずかしいし……」
「まっ、何事も無かったから、そこは一安心だ」
 当真も過ぎた事を責めるのは止めにしたらしい。頭から手を離すと、足元に落ちている旗を拾い上げる。元の姿を見た後だと、おぼろげにではあるが同じものであると認識できる。
「結局今のは時渡りをしたって事か」
「そうみたい。俄かには信じがたいけどね。ところでさ」
「ああ、分かってる。楽しい探検も出来た事だし、今日は帰るか」
「うん、でもまた来よう。今度は僕達の秘密基地にするための旗を持って、ね」
 長年生きてきた大樹に宿ると言われる妖精の悪戯か気まぐれか。訪れた者を時を越えて過去の世界に誘うと言う。通称“子供返りの森”と呼ばれている。童心に返るという意味か、子供時代に遡って過去を振り返ると言う意味か、細かいところは定かではない。大人達も一度は同じ経験をしており、村での悪戯もその兆候であると言い伝えられている。それも定かではないのだが、ただ一つだけ言える確かな事は、二人にとってはこの上なく貴重な経験だったということ。大人を理解するための、そして自分たちが大人へと近づくための一歩として。ほんの短い時間ではあったが、彼らにとっては大事な過去を垣間見て、二人は家路へと歩みを進めるのであった。