パンドラの匣 ( No.18 )
日時: 2012/05/28 00:01
名前: ??? メールを送信する

テーマ:「毒」


「グダグダと、くだらない事偉そうにぬかしてんじゃないよ…」
 マルコのいるボールからは、声の主の様子を直接伺う事はできない。だが、種族特有の切れ上がった金色の目に険の宿る様、全身を覆う紫の体毛が静かに膨れ上がる様はありありと思い描けた。
「この…」
 長い尾が揺らめく。鎌を象るかのような先端が、白い光を放つ。
「タコ!!」
乾いた音とともに、宙に紅い花が点々と咲いた。

「君のポケモンと話がしたい」
 あの若草色の髪をした男が思いもかけぬ場所でふらりと現れ、突拍子もない言葉をかけてくるのは今に始まった事ではない。マルコたちポケモンも、トレーナーであるトウコも皆いつものようなポケモンバトルが始まるものと覚悟した。後味が悪い事この上ないバトル。
戦っている間は良い。目の前の敵の出方を伺い、それにどう向かっていくか、それだけを考えれば良い。持てる力を揮うのは楽しい。だが、その後が問題だ。
 あの男が手持ちとして繰り出すポケモンの顔ぶれは毎回異なる。自分の事をトレーナーと呼び、連れているポケモンもモンスターボールに入ってはいる。だが、本心ではそのように「あるべき」事、そう「あらなければならない」事に嫌悪を感じていたのだろう。
 奴にとって、ポケモンバトルとは「ポケモンを一方的な都合で傷つける」ものだ。人間は命令を下すだけで、傷を負うのは全てポケモンたちだ。草叢での野生ポケモン相手のバトルも、人間が一方的に棲家に侵入し、住人達を痛めつける自分勝手な所業だ。そのような見方も決してありえなくはない。
 住み慣れた場所での気ままな生活から、無理矢理引き離されて、人間の命令を聞いて戦う。己の思うままに生きる自由を当たり前のように手にしてきた側からすれば、確かに不本意なことだろう。
 それが「わかる」から、戦いを終えたポケモンたちは野に帰す。元の「日常」に戻してやる。人間が、部屋を整理して物をあるべき場所にしまうように。その過程で「不要」と見なして捨てる物もある。例えば多く買いすぎてしまった薬。スペースを圧迫するモンスターボールはまとめて売って、もっと性能の良い物に買いかえた方が良いかもしれない。
 トウコもリュックを整理しながら、よくそんな事を言う。ため込むとキリがない、と幼馴染に指摘されたこともあると何時か漏らしていた。
 必要なもの。不必要なもの。
 それらを分けるのは、結局のところ選ぶ側の恣意だ。
 己のあるべき姿。いるべき場所。
 それらの答えが一つと決めたのは、一体誰なのか。

 あの男の言い分によれば、トレーナーつきのポケモンたちは憐れむべき存在という事になるらしい。本来なら、モンスターボールにも縛られず、人間の手の入らない自然の中で自由に暮らす。それがあるべき姿なのだそうだ。
 だが、マルコには生憎野生で暮らした経験がないから、理解にはひと手間かかる。
タマゴから孵った場所も、カノコタウンの研究所だった。まず目に入ってきたのは白い高い天井だった。隣を見ると、一足先に生まれたツタージャが短い腕を組んだり解いたりを繰り返していた。暫くすると、軽い足音と共にここの主だという明るい色の髪をした女が現れて、これからの事を説明してくれた。
彼ら3匹がここにいるのは、これからトレーナーとなる子供たちの最初のパートナーになるためである、と。
 一緒に旅をして広い世界を見に行く。外でなら、思いっきり技をふるう事だってできる。この研究所周辺にはチラーミィやミネズミなど小型のポケモンと互いしかいないが、外ならもっと他のポケモンとも出会える。バトルをしてトレーニングを積めば、今の自分よりも遥かに大きな相手と渡り合う事だってきっとできる。
 その日の夕方から夜にかけて、最後に孵ったポカブも交え、彼らは各々のやりたい事について語り明かした。
「草叢を思いきり駆けまわってみたい」
「海に行きたい」
「強い技を覚えて思いきり、ぶっぱなしてみたい」
「彼女を作りたい」
 彼ら三匹にとって、人間のパートナーを持つという未来は明るい光に満ちた素敵なものだった。
 そしてそれから数日後、ついにその日が来た。集まった子供は三人。最初にトウコがボールの一つを手に取り、後の二人がそれに続いた。
「よろしく、マルコ」
「ミジュ?」
「あなたの名前。気に入ってくれた?」
 彼女の青い目を覗き込めば、小さく自分の姿が映っていた。
「ミジュジュ?」
 マルコ。
 ポケモンである彼には、トウコと同じようにはそれを発音できない。
「アタシね、初めてのパートナーはミジュマルが良いってずっと思ってたんだ。名前も何にしようかずっと考えてて、昨日やっと3つくらいに絞れたところだったの」
 ミジュマルという種族なら、この世界には他にもいるだろう。種族名で呼ばれるとしても別に異存はない。だが。
「ミジュ〜」
だが、「マルコ」は、今ここにいる彼のために用意されたものだ。彼だけのもの。自分のもの。そう思うだけで、腹部のホタチをつけている部分がこそばゆくなってきた。なんだか落ち着かなくなって、顔を隠すように彼女の胸に顔を押し付けたら、笑いながら頭を撫でてくれた。

 あの日は、もう一つの誕生日と言って差支えがない。
 トウコのことは、母親のようなものだとも思っている。
 嫌いになるわけがない。離れて生きるなど、考えられない。

―君のポケモンの声を聞かせてもらおう。
 あの男と初めて会った時の事を思い出したら、腹が立ってきた。
―僕にはポケモンの声が聞こえる。彼らの言っている事がわかる。
―はいはい、さいですか。
 その時は、そう返した。
 頭を占めていたのは、男に対する、自分でも理由のよくわからない嫌悪と拒否の感情だった。
 馴れ馴れしい態度。対話をする意志が存在するかも疑わしくなる早口。左右両端を完璧に同じ角度に持ち上げて作った「微笑み」。茫洋とした目は、話しかけた相手を見ているようでいて、その実何も見ていない。訝しく思って覗き込めば、聞き取るのがやっとの早口でもって混沌の奥底へと連れて行き、玩び、砕こうとする。だが、そこに悪意があるわけではない。
 嫌だ。
 全身に鳥肌が立つのを感じた。
 こんな奴、放っておいて早くどこかに行こう。
 トウコにそう伝えようとした。
 しかし、男の方が早かった。
―君のポケモンの声、彼の声を聞かせてもらうよ。
 指が鉤爪のような硬さと冷たさをもって持ち上がり、指差す。静かな声の奥深くで、苛立ちの爆ぜる音がした。

 生理的な嫌悪。そして恐怖。
 それら二つをあの男に対して抱いていたのだと、今なら認められる。
 あの男が、初めて会った時から嫌いだった。
 ポケモンは「トモダチ」であると言って親しげな表情を作り、近づいてきた。
「お前の事は何もかもわかっている」と言いたげな風情は、マルコにとっては神経を逆撫でするものでしかなかった。

『…お前が何をわかっていたと言うんだい?』
低い声が言い募るのが聞こえる。
『そもそも、お前が何かを理解できた例なんてあるの?』
 そう、敢えて言うなら、この男の「理解」は、目の前の存在を分解し、あるいは無理矢理にでも結合し、己の中の公式に全ての要素を収める事だった。
―モンスターボールに入っている限り、ポケモンは完璧な存在になれない。
 確かにトウコがいなければ、「マルコ」という存在は成り立たない。確かに、この世に生まれた時点で、既に彼の進むべき方向は人間の手で決められていた。自然の中で生存競争にさらされるポケモンたちのように、己の力だけを頼みにする生き方など身に着くはずもなかった。
 だが、それが何だ。
 トウコと出会った。名前をもらった。支え合いながら、旅をしてきた。そして今、ここにこうして有る。誇りに思いこそすれ、卑下したり他の生き方を羨んだりはしない。
―ポケモンは人間から自由になるべきなんだ。
 喧しい、と今のマルコなら間髪入れずに返すだろう。
 でも、あの時の、未熟で自分というものについて知らない事の方が多く、考える機会も持ってこなかった自分は、どうすれば良いのかわからず、ただ立ちすくむだけだった。そして、相手はその隙を決して逃がしはしなかった。

「もっと」
 怖かった。
「もっと聞かせてくれ」
 トレーナーの命令に従い、攻撃してくるチョロネコの爪の向こうに、見えた別の何か。
『そぉれっ!』
 長い尾に鼻を叩かれて怯んだ隙に、回し蹴りが入る。一発一発の威力は軽いが、如何せんスピードに対応できない。反撃しようにも隙がなく、焦りばかりが募る。先ほど足を引っかけて転ばされた時の擦り傷がじくじくと傷む。
 起き上がり、目の前の敵を睨みつける。
『手ごたえのない奴…』
 チョロネコは腰に手を当て、足を組んだり解いたりを繰り返しながら、こちらを見ていた。
『このままじゃ、あたしの勝ちだよ?ねえ』
 意地悪く、目を細め、歌うように呟く。
『おまる』
 そのたった一つの単語で、全身を支配していた恐怖は、瞬時に怒りにとって代わられた。
 許さない。
ホタチに触れると、全身に力と熱とが満ち始めるのを感じた。
許さない。
よくも俺の名前を。俺の名前を馬鹿にするのは、つけてくれたトウコを馬鹿にするのも同じだ。
許さない。
「マルコ?」
「ミジュ!」
 コイツだけは許さん。俺だけではなく、トウコを馬鹿にしやがったこの猫だけは。
「わかった。行こうか」
 ああ。
同じ負けるにしても、一発殴らなければ気が済まない。

 おまる。
 今でもあの件は思い返すだけで腸が煮えくり返りそうになる。一度、詳しい事情も知らないままに、その呼び名を使った仲間を反射的にアシガタナで殴った事もあった。
どうも自分はキレやすい性質らしい。すぐに頭が熱くなる。口よりも先に手が出る。厄介だとは思う。
最近は、仲間の死角からの「ふいうち」で不発に終わる事もある。その後にちょっとした説教を食らう。自分なりに自制を覚えてきたつもりだと反論すると、レパルダスは鼻で笑った。
『よく言うよ。筋肉お馬鹿が』
『おい…』
『あれ、駄目?』
 当たり前だ。
『あたしはお前を尊敬してつけたつもりなんだけど?』
 どこがだ。
 第一、尊敬される要素が自分には見当たらない。むしろ、自分は彼女にひどい事ばかりをしてきた。
 彼女が、あの男の「トモダチ」だったから。それだけで十分な理由になった。
 カラクサタウンからサンヨウシティへと向かう草叢から、まるで幽鬼のような足取りで現れた理由については、考えようともしなかった。あの男と別れ、その代替品にトウコを、マルコにとってもう一人の「母親」を選んだとしか見えなかった。
 許せなかった。苛立ちと怒りは、全てイザベラに向かった。些細な事柄が起爆剤となって、取っ組み合いに発展した。生傷のできない日はなかった。彼女が声を失くしていた事も、喧嘩を激化させる一因になった。彼女の後頭部には今でも小さな傷が残っている。注意して見なければわからない程のものだが、その周辺に目をやるとやはり存在を無視できない。
 
「君のポケモンと話をさせて欲しい」
 あの男の申し出に、トウコが腰のボールに目をやった時、イザベラは無言のまま前足を伸ばし、ボールを揺らし始めた。
『ベラ姐…』
奥歯を噛みしめ、壁の一点を見つめ、ひたすら殴りつける。その鬼気迫る様子に隣のボールにいた仲間が怯えと焦りの混じった声をあげた。何とかしてくれ、とマルコにも必死で訴えてきた。
だが、何ができるというのか。
他の仲間では、十中八九相手のペースに巻き込まれる。マルコではひと騒動起こしかねない。いや、きっとそうなるだろう。しかもここはジムの前だ。
となると、選択肢は一つしかない。
 
 あの男は、まさか用済みになって逃がした「トモダチ」がこうして現れるなど、「トモダチ」と呼び心を通わせたと信じた存在に詰られるなど、想像もしなかっただろう。そして、イザベラにとっては、奥深くに押し込め封じてきた過去のしがらみを、開ける事を禁じてきたパンドラの匣を解き放つきっかけになってしまった。自分の中に巣食い、彼女を毒し続けてきた過去を。