ラベリング ( No.7 ) |
- 日時: 2012/01/21 19:04
- 名前: 音色
- テーマB:「門」「結晶」「教えて」
「アンタ何してんのっ!?」 か細い声が漏れているドアを開けた。そこには、生まれて間もないであろう小さなドラゴンポケモンの腹を踏みつけている男がいた。 足蹴にしている小さなモノズの声など聞き流しているそいつは、面倒くさそうな視線をこちらに向けた。 「お前誰。目ぇついてる? 関係者以外立ち入り禁止の張り紙、見えなかったの?」 「今日から関係者です。だから問題はないはずです! それより、アンタなにしてるんですか!」 首に下がっている許可証を見せつける様に構える。一瞥だけくれると、男はすぐに子竜の腹に体重を書ける作業に戻った。 「見て分かんない?」 「分かりません」 「モノズの腹に片足乗っけて体重かけてる」 「なんでそんな事をっ……」 「ブリーダーだから」 「え」 帰ってきた言葉の意味が分からずに硬直する。 男は暇そうな片手を頭にやってぼりぼり掻いた。
「俺はブリーダー。ポケモンにラベル貼って売りさばくのが仕事だ」
「嘘、でしょ」 思わず口から洩れた。 「アンタみたいなのが、ブリーダー……?」 「で、お前こそ誰」 偉そうに許可証持ってるけどさぁ、独り言のようにそいつは言う。 「わ、私は今日からここで実習を受けるブリーダー養成学校3年の」 「あぁー、そういやジジィが学校から1人まわしてくるっつってたな。それがお前か」うわ最悪―、聞えよがしにそう言って、そいつはちらりとこっちを眺めた。 最悪、なのは私も一緒だ。ブリーダーってことは、こいつが。 「俺、カツミ。今日からお前の上司ってことだから、よろしく」 呆然とする私を見降ろして、カツミは舌打ちしてそう言った。
私はバトルするよりも育てる事の方が好きで、トレーナーよりもブリーダー志望で、無論ポケモンも大好きで、友達が旅に出るのを見送ってブリーダーの養成学校に進んだ。 知識面の基礎を学んで、実際にポケモンと触れ合って、そうして本格的にプロのブリーダーの元で経験を積む研修を受けて、国家試験を受けて公認のポケモンブリーダーになる。 そんなはっきりした目標を掲げて、人一倍努力して、やっと掴んだ研修先の門の下で、私は早くも心が折れかけていた。
「えーと、シンドウキョウコ、実技Aクラス、知識Aクラス……ふぅん成績優秀なお嬢様か」 養育施設を出て、ひとまず事務仕事をする施設で学校からファックスで送られてきたらしい私の情報を読んで、カツミは興味なさそうな声で言った。 「適当に呼ぶぞ。あぁ、俺はちゃんと『さん』付けしろよ」 さっきみたいにアンタ呼ばわりは禁止だ、と根に持っているような露骨な言い方をする。上辺だけで絶対『さん』なんか付けてやらない、と決める。 「あの、さっきのあれ、なんなんですか」 「は?」 「モノズを踏む意味って、何かあるんですか」 それも、あんなに小さい子を。あぁ、と短く間をおいてカツミは言った。 「しつけ」 「あんなのはしつけと言いません!」 うるせぇな、とカツミはじろりと私を眺めた。 「じゃあ、なんだ?」 「あれはただの虐待です! あんな小さなポケモンを虐めて楽しいんですか!? ブリーダーとしてやること間違ってるでしょう! 私はあんなことをする人をブリーダーとは認めないっ!」 一息に思ったことを吐きだして、息を切らせた。 「で?」 「……?」 「それで」 「それでって、だから」 「俺はお前に認められるためにブリーダーやってないし。何様のつもりだ。それにお前、あれだな」 ポケモンに噛みつかれたこと、ないだろ。そう言ったカツミは冷ややかな目でこちらを見た。 「ポケモンに襲われたことないから、そんな事が言える。よっぽどの温室育ちだな。ジジィも温くなったな、こんな甘ちゃん学生育ててんのか」 「甘ちゃんって……」 「お前さぁ、ポケモン何だと思ってんの?」 あきれ返ったようにカツミは言って、私が何かを言う前に答えを言った。 「ポケモンは、家畜だぞ」 「か、家畜ってそんな言い方っ」 「そんで、ポケモンブリーダーってのは家畜が人間様に逆らわないように調教してやるのが仕事だろうが」 なんか間違ってるか、とばかりにカツミは私に言う。言葉の選択がとても乱暴なものではあるけれど、本質は間違っては、いない。 「けどっ、あんなやり方は」 「あんな? 一体何の問題がある」 「小さい時に植えつけられた恐怖は、それがトラウマになって」 「恐怖を与えないでどうするんだよ。あんなガキンチョの状態だから早いうちに対処しておくんだ」 「対処って……」 「獣の思考回路を持ってる奴等には獣のやり方で対処するしかねぇだろうが。暴れる化け物を押さえつけるには力で捻じ伏せて恐怖を与えるのが一番手っ取り早い。こっちが格下だと思われたらそれこそ指示も何も聞かなくなるからな」 「心を開かなくなったらどうするんですか!」 「馬鹿言え。所詮はただの戦闘用の娯楽道具じゃねぇか。道具は道具らしくしていりゃいい」 「娯楽……道具?」 最初に言ったはずだ、ポケモンにラベル貼って売るのが仕事だって。カツミは続ける。 「俺は主にトレーナーや企業相手に商売してんだよ」
ブリーダーと一口に言っても様々な種類がある。一般に知られているブリーダーはレンタルポケモンを育てる存在だろう。貸し出す相手がどんな人間だろうと指示に従うポケモンを育てる。 それ以外にも、コンテストに適したポケモンを見極めて貸し出すというスタイルもあれば、特別な、たとえば人命救助などを前提としたポケモンを育てるというブリーダーも存在する。 ポケモンを貸し出しではなく、売るという方法をとるブリーダーもいる。カツミは、己が様々な条件下で作りだした能力値の高いポケモンを言っていレベルまで育てて売る、というスタイルだった。
「ポケモンと人間の絆をなんだと思っているですか!」 「そんなもんを紡ぐのはブリーダーじゃない。トレーナーの領域だろうが」 「ブリーダーはポケモンとの信頼関係があればこそお互いを伸ばしていけるって」 「教科書にでも書いてあったのか?」 思わず、詰まった。 「それとも先生にでも言われたか? 黒板に板書されたのか? くっだらねぇ」 そう吐き捨てて、カツミは私を睨みつけた。 「学校が神か、教科書は聖書か。お前さ、自分の頭で考えて物を言ってねぇだろ。習ったことと違う、矛盾しているから噛みついてるだけじゃねぇの。壊れたレコードみたいに繰り返すんならオウム返しの使える音符鳥のほうが何倍もマシだ」 五月蝿いことには変わりはないけどな。そう付け加えて、カツミはゴミ箱に紙を捻じ込んだ。 「ま、ジジィの要請だから受け入れはするけど、正直お前みたいな主張だけの半人前なんているだけで迷惑なんだけど」 迷惑ならこっちから出て行ってやる、と言いそうになるのを飲み込む。ブリーダー研修のチャンスは年に一回、それも卒業の単位に大きく関わる。門前払いならとにかく、行った先が気に入らなかったらいきませんでした、なんて我儘にもほどがある。それに、目の前のカツミという男が、どうしても許せない。カツミのやり方は間違っている。それを証明してやる。 ぎ、と歯を食いしばって決意を固める。 「よろしくお願いします」 そう言って、頭を下げた。
最初に任されたのは、雑用だった。覚悟はしていたけれども、ポケモンの世話ではなく商売相手の顧客リストの整理なんて。膨大な紙の量を見て、これを一人でこなしていたと豪語するカツミがにわかに信じられない。 「判子が押してある奴が売却済み、青色のマークが入ってる奴が調整中、緑の奴は手つかず。とりあえず、それで分けてくれてればいいから」 はぁ、と返事をするとカツミは出て行った。とにかく、目の前の仕事をさっさと片付けれることに専念する。 カツミが商売相手としているのはベテランやエリートと呼ばれるような種類のトレーナーで、要求されている個体の特徴が細やかに書いてある。このトレーナー達はカツミがどのようにポケモンを育てているのかなんて知る由もないのだろう。完成されたポケモンを受け取るだけなのだろうから。 企業向けなのは社長とか、取締役とか、そんな肩書の人間が注文している。見栄を張りたいとかそんなレベルなんじゃないのか。 ぺらり、とめくった先には『宗教法人』の文字。宗教にもポケモン売ってるのかあの男は。青いマーク、という事は調整中。サザンドラの攻撃型で、全能力特化……、都合の良い注文ばかりが並ぶ。 ラベルの張られたモンスターボール。備えている能力の良し悪しで優劣が付けられる。 あんなやり方は間違ってる。どんなポケモンであれ、ブリーダーの腕次第でいくらでも伸びていけるはず。カツミという男は、ただポケモンを便利な道具としていかに効率的に消費するかにしか注目していない。 私が覆して見せる。あの男の目の前で。半人前だろうとなんだろうと、目の前でポケモンが痛めつけれているのは見たくない。 さっさとこんな雑用を終わらせて、ポケモンの世話がしたい。だから――。 ばさ、と紙の山が崩れた。いけない、せっかく整理したのに苦労が水の泡になる。かき集めているうちに、ふと目にとまった紙を見て凍りついた。 先ほどの宗教法人の名前の所に『プラズマ団』……。これって、最近問題になっている怪しい宗教団体じゃ。ポケモンの解放をうたって、他人のポケモンを無理やり強奪して逃がしたりしてるってテレビでやっていた。 そんな奴等にポケモンを売るということは犯罪の片棒を担いでるってことだから。 カツミも犯罪者ってことになる。 「整理終わった?……って、派手に散らかしてるじゃねーか」 「カツミさん」 「なに」 「これ、どういうことですか」 持っている紙を見せつける。なんか不備でもあったか、とそれを手にとって眺めると、「あのモノズの依頼書か」とカツミは言った。 「あのモノズ、プラズマ団に注文されたんですか?」 「ん?あぁ、教祖様専用らしいぜ。特に念入りにって言われたからな」 「それって、犯罪者に売るってことじゃないですか」 「犯罪者ねぇ」 カツミはアホらしいといいたげな口調でそう言った。 「お金を払ってくれりゃあみんなお客様だ」 「それでも犯罪に加担することになるんじゃないですか」 「ならねぇよ」 分類通りに紙を置き直してカツミは言う。 「プラズマ団は確かにあれやこれや最近問題になっちゃあいるが、それでも列記とした一つの宗教法人だ。俺は注文を受けてそれに見合うポケモンを売る。向こうはポケモンを買う。それだけじゃねぇか」 「その売ったポケモンが犯罪に使われたりしたらどうするんですか!」 「どうもしねぇよ」 冷めた声でカツミは言う。お前、何でそんなに怒ってんの。その言葉に私は言い返す。 「自分が育てたポケモンは、自分の努力の結晶みたいなものでしょう!それが犯罪に関与して、なんとも思わないんですか!?」 「あのなぁ、売った先でどうなるか、ブリーダーが知ったこっちゃないだろうが」 呆れた目でこちらを見る。 「そんなのはポケモンを使う側に問題があるんだろうが。ナイフ相手に裁判を起こすか?拳銃に死刑でも言いわたすか?ポケモンは道具だ。裁かれるのは所詮人間。道具を作った職人が罪に問われることはねぇの」 この男は、罪悪感というものがないのか。だから平気でポケモンを商売道具にする。自分の利益にしか目にいってない。 最低だ。最悪のブリーダーだ。なんでこんな奴が国家資格を持ってブリーディングをしているんだろう。 「お前もういいや。なんか整理任せたらまたあれこれ言いそうだし。あっちの部屋に作業服あるから着替えてきて」 面倒くさそうにカツミがいった。私は怒りを押し殺しながら短く返事をして、荷物を持って黙ったまま扉に向かった。
棚には新品の作業服が袋に入ったまま置いてあった。おそらくカツミの予備か何かだろう。それには目もくれずに自分のカバンの中から自分の作業着を出して着替える。 先ほどの部屋に戻ると、カツミは手早く紙束を整理しながら「そこにある餌を適当に食わせてきて」と顎で指示をした。 台車にのせられたバケツの中にはポケモンフーズとどこの部屋に何がいるのか、バケツのカラーによってどのポケモン用の餌なのか細かく書いてある紙があった。 カツミが事務作業をしている間に、少しでもここのポケモンの様子を見ておこうと台車に手をかける。 思った以上に重いそれを押しながら、施設の方に向かう。牢獄にしか見えないそこは、狭い部屋にポケモン達が押し込められている。 自然の環境下で育てるべきだと思う。こんな狭苦しい所に閉じ込めたって、伸びるものの伸びないだろう。カツミという男は、恐怖を与えて人間に服従させることしか教えないつもりなのか。 最初の部屋のヨーギラスは入った瞬間に部屋の隅まで後退して、慎重そうな目つきでこちらをじっと眺めた。カツミでないと分かっても近づこうとさえしない。餌を入れた皿を見せてもじっと動かない。 皿は後で回収することにして次の部屋に行くと、ヘラクレスは柱に向かって何度もメガホーンを繰り出す動作らしきものをしていた。私には目もくれない。ここでも皿をおいて外にでた。 ポケモンとの触れ合いなんて何もない。どの子も怯えるか、決して近づかない。こんなのはおかしい。カツミのやっていることは、ただの恐怖支配でしかない。 ブリーダーとポケモンの関係は、こんなのじゃないはずだ。こんな関係が存在することすら考えなかった。 ここに来て初めて入った部屋に着く。中にはカツミに腹を踏まれていた幼いモノズがいるはずだ。中に入ると、ぐったりした様子の黒い子竜がうずくまっていた。 大丈夫?あの男は来ないよ。私は乱暴はしないよ。出来るだけ優しい言葉をかけながら、皿を持ってゆっくりと近づいてみる。びくり、と肩が震えた。モノズは嗅覚が発達している半面、視覚は効かない。目を合わせられなくても、私がいることは感じてくれているはず。 餌を近くに置く。モノズは動かない。そろりと近づいてみる。あんな目にあわされて、酷く怯えているのかもしれない。ひょっとすると食欲がないかもしれない。全部カツミが悪い。この子に罪はない。 大丈夫、大丈夫だよ。そういいながら、頭を撫でようと右手を伸ばした。 鈍い痛みが走った。低く唸りながら、子竜は深く牙を立てて噛みついた。 声が出なかった。恐怖と痛みが同時に襲って、そしてようやく喉から飛び出した。 その後の事は、妙にはっきりと覚えている。 カツミがやってきて、子竜は急に意識が戻ったようにぱっと私の手から離れた。牙が引っ掛かった痛みでさらに呻いてしまう。 踏み込んだあの男は素早く私を乱暴に押しのけると、モノズの下顎を思い切り蹴り飛ばした。小さな体は吹っ飛んで壁にぶつかる。その仰向けになった腹の上をカツミはここぞとばかりに踏みつぶした。 最初こそ小さく抵抗していたが、直にピクリともしなくなったのを確認すると、カツミはようやく足を外し、私の方に向き直った。 「初日からやらかすな、お前。立てるか?」 面倒くさそうにそう言って、右手を庇ってへたり込んでいる私を見降ろす。 「あの、モノズをポケモンセンターに」 「襲われたくせにポケモン優先か。どうみても人間の病院が先だろうが。畜生の世話はそのあとで良い」 手間かけさせやがって。吐き捨てて、カツミは携帯を取りだした。
モノズの噛む力は強力でとても危険だと知ってはいた。知っていただけだった。震えが、止まらなかった。 完治するまでしばらくかかる、と医者はいっていた。それでも、骨が砕かれていなかったのは奇跡に近いとも言っていた。 「モノズがガキで良かったな」 嫌味とも何とも言えない口調でカツミは言った。救急車を呼んでくれたので一応の礼は言った。ただ、こいつの隣で噛まれた時の恐怖を見抜かれるのがすこぶる気持ちが悪かった。 「不用意に手を伸ばした私が悪いんです」 「その通りだな」 「あの子は悪くありません」 「まだそんなセリフを吐くか」 「恐怖を与え続けたら、いつかそれから逃れようとするに決まってるじゃないですか!」 「そんな気が起きないようにするのがブリーダーだ。ったく、お前が噛まれたりして、あいつが血の味を覚えたらどうするんだよ」 抵抗する術を知った家畜は厄介なんだよ、そう呟くカツミに対して私は言った。 「いつか、カツミさんは自分が恐怖を植え付けたポケモン達に殺されるような気がします」 「そうかもな」 帰ってきた返事が肯定のものであったことに思わず面食らった。この男は「そんな事が起こらないようにする」と答えると思ったのに。 「それとも、そんな覚悟がないままブリーダーやろうとでも思ってたのか?」 目の端でこちらを見て、カツミは言った。 「爪も牙も何もない人間がポケモンの上に立ってられるは一重にモンスターボールって言う服従装置を作ったからにすぎねぇよ。ブリーダーってのはボールだけじゃカバーしきれない部分も含めてポケモンをどう従えていくかってのにかかっていくんだ。友情だの信頼だの上っ面だけの軽い言葉で何もかもやってけるほど世の中が甘かったら、人間はとうの昔に化け物どもの餌だ。強固な意志で生存本能ビビらせて従えないでどうするんだ、向こうの闘争本能を上手く刺激して命令を聞かせなきゃ何の意味もない。あいつらは所詮ポケモンという可愛らしいレッテルを張られて世間の目を誤魔化す化け物に違いはないんだ。ラベルを張る俺達は、いつか家畜に殺される覚悟を持ってやる仕事なんだよ」 警告なのか、それとも脅しなのか。やめたければやめちまえ、悪魔のようにそそのかしてカツミは立ち上がる。 「どこいくんですか」 「一応モノズをポケセンに」 派手に蹴っ飛ばしちまったから傷ものになっちまってる可能性もあるわけだしな。少しでも心配する心があるのかと思えば、商品としての心配だった。 荷物はきちんと回収していけよ。私を辞める前提で見て、カツミは去っていった。
次の日、施設の門をくぐるとカツミは意外そうな目でこちらを見ていた。 「てっきりポケモン恐怖症にでもなって二度と来ねぇと踏んでいたんだがな」 やはり決めつけられていた。昨日一晩、ずっと震えて、ポケモンが怖いか、それでも好きかと思い詰めて、ここに来た。 「研修期間中である限り、絶対に辞めません。片腕でも出来る仕事をください」 半人前の怪我人なんて邪魔どころか、お荷物でしかねぇよ。カツミはそう舌打ちして、迷惑そうにこちらを眺めた。 私がその程度で怯むはずもなく、まっすぐ見返し続けて10秒。しょうがねぇな、と声を漏らした。 「顧客リストの整理ぐらいはできるだろ。やり方は分かってんな?」 「はい」 「あと、俺のやり方にぎゃあぎゃあ口出しするな」 「それは無理です。私はカツミさんのやり方は間違っていると言い続けます」 餌入りバケツを台車にのせながらカツミが息を吐くのが見えた。 「私は私の、ブリーダーとして正しいと思う方法を試してみたいんです」 「あっそう」 「私にブリーディングをさせてくださ」 「却下」 そんな余裕ねぇから。怪我人は怪我人らしい仕事をしてろ。正論を叩きつけられる。 「あのな、半人前が偉そうに言うなよ。昨日も言ったが、ブリーダーってのは五体満足が保障される仕事じゃねぇ。俺は俺のやり方を通す。お前はお前の信念ってのをあるだろうが、それを俺の縄張りで振りまわすのはただの妨害行為だ。うちで仕事を曲がりなりにもやろうって言うなら、まずは勝手にポケモンに手ぇ出して怪我したことをよーく反省しやがれ」 バケツをすべて積み終わり、くるりとカツミがこちらを向いた。 「お前みたいにポケモンとの信頼がどうのこうのと言うのも結構! ただし、それでお前は何がしたい? 理想で飯は食えないんだ。自分が愛情かけて育てたポケモンを手放す意外にブリーダーに収入は無い。値札をつけるその価値は何が決める? 学校はそんな事は教えてくれなかったと言い訳するだけなら誰にだってできるんだよ! 俺を悪者だと勝手にレッテル貼ってるお前はどうだ? 俺の行動、やり方、それが世間一般の道徳に反するからってだけだろう。全くなんにも考えていなかったって言うんなら大馬鹿野郎だ」 良い機会だ、噛まれた右手を眺めながらじっくり事務仕事してろ。そして考えろ。言い捨てて、カツミは台車を押して行った。 残された私は、ただカツミにぶつけられた言葉をすべて拾うことはできずにしばらく呆然と立っていた。
今は、私は何ができる?片腕をモノズに噛みつかれ、ポケモンに対する恐怖に一晩震え、それでもポケモンが好きでブリーダーになりたいと決意を固めてやってきて。 ブリーダーになって、食べて行く方法を何一つ考えていなくて、そんな思考をめぐらせたこともなくて、ただ育てたポケモンを人に貸し出して暮らしていこうとかそんなレベルだった。 カツミは、ポケモンを売り出すというブリーダーだけれども。紙の山を見る限り相当優秀なんだろうというのは分かる。カツミの育て方には問題しかないように見えるけれども、カツミが何を見てラベルを張っているのかなんて考えもしなかった。 学んでやろう、と私は決心した。 カツミのやり方は気に食わない。はっきりと嫌悪感だって示している。でも、その仕事はブリーダーとしては、一種のプロフェッショナルなのは、間違いないんだろう。 そして、こんな最悪なブリーダーから学んだことを、私の中で生かしていこう。私の中の、理想のブリーディングに。そう決めた。
ドアが開いてカツミが戻ってきた。 「カツミさん!」 勢い込んで立ち上がる私を見て、カツミは一瞬たじろいだ。 「なんだよ」 「改めまして、よろしくお願いします! たくさん教えてください!」 何だよ急に、と小さくつぶやいた後に。 「怪我が治ったら覚悟しとけよ」 カツミはそう言って、どこか好戦的な目で私を見た。
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