七賢者、ヴィオ ( No.4 )
日時: 2011/02/05 22:02
名前: 春野郎

Bコース お題「氷」




 私が始めてホドモエの冷凍コンテナに入ったのは、まだプラズマ団が存在していた頃。
 王であるN様の『友達』を守るため、私と八名の団員は冷凍コンテナの中で震えていた。N様の友達は氷タイプのポケモン、バニプッチ。気温の低い場所を好むそのポケモンのためだけに私達は冷凍コンテナに身を隠していたのだ。
 もちろん王であるN様がそうしろと指示した訳ではない。だが、冷凍コンテナ内に身を隠す事を王であるN様が止めた訳でもない。
 氷の部屋は年老いた私の身には辛く厳しいものだった。皮膚は切れ、歯が鳴り、目が霞む。それに、ボールの中に入っている私のポケモンにも良い環境ではない。私は死を覚悟しながらも王であるN様の『友達』を守った。
 寒さに震えながら私は考えた。今現在、王であるN様の友達であるこのバニプッチは幸せかもしれない。だが、私達はどうなのかと。私と八名の団員、そしてそれぞれが保持しているポケモンは幸せではない。この差はなんなのだ。王であるN様は自らの『友達』を非常に思っていらっしゃる、それは十分に分かっている。だが我々は? 王であるN様にとって私達はなんなのだ?
 それまで考えて、私は自らを戒めた。王であるN様を疑うなんてなんと愚かな事なのだろう。王であるN様は私などより遥か遠くにいらっしゃる方だ、あの方に間違いなど無い。寒さで思考力が落ちている。
「お前達、もっと私を包め、寒くて敵わんぞ」
 私は、自らの中に渦巻いている感情を団員にぶつける事で何とかしようとした。事実、寒かったというのもある。
 だが、そんな事をせずとも良かった。その直後の巻き起こった出来事のおかげで私はそのような事を考える暇など無くなったのだ。
「やれやれ、本当に隠れていたとは。寒いならメンドーだけど外まで案内するよ?」
 それが私達に向けられている言葉だというのはすぐに分かった。声がしたほうを見るとまだ幼い、めがねを掛けた少年と髪をまとめた少女。
 彼らが私達の敵であることはすでにプラズマ団員から聞いていた。
 腰のボールの触れる、王であるN様の友達はまだ其処にいた。
「今預かっているのは王の友達であるポケモン。こんなところで傷つける訳には行かぬ。お前達、こやつらを蹴散らせ」



 そして、今再び私は冷凍コンテナの最後部に居る。
 周りは氷だらけで寒さが私の体を刺すように攻める、寒さに呻いた事で口から漏れた白い息すら凍て付く様に感じる。
 王であるN様が『あの戦い』に敗北し、ゲーチス様が消えてしまわれた事で、私ヴィオを含む七賢者はイッシュの方々へ身を隠した。皆が私と同じことを考えているのならば、それは追われることを嫌ったからではない。誰にも邪魔されず、一人で考えたかったのだ。王であるN様の事、自分たち七賢者の事、理想の世界の事、この世の全ての事。全てがリセットされた今、一人で。
 身を隠すのならばもっと適した場所があったのかもしれない。だが、私はあえてそれを嫌った。
 この寒さ。この老体を亡き者にすることも可能かも知れぬこの寒さこそが、今の私の求めるものなのだと思った。
 空気を吸う、息を吐く、心臓が鼓動を刻む。それらは何でも無い事、それは一つの生命としてただ存在しているだけの事。それでは駄目、それでは生きていると言う感覚が無い、抜け殻なのだ、何かが入っていた空っぽの器。置物、何も考えない置物。空中にふわふわと浮いた存在、何にも触れられる事がないと言う事は、何にも触れる事が出来ないと言う事と同意義。
 楽しかろうと、苦しかろうと、生きていると言う実感は重要なのだ。否、生きているという実感が無ければ楽しみも苦しみも生まれぬ。何も無い、空中に浮いた抜け殻が何を感じる事が出来ようか。
 ゲーチス様は、間違いなく私に生きているという実感をくださった、その結果何をしたかったのか。そんな事はどうでも良い。少なくとも私が王であるN様に従い、お守りしていた頃には間違いなく私は生きていた。私にとって重要なのはそれだけだったのかも知れぬ。
 コンテナの壁は一面が凍りついていた、私は両の手のひらをそれに付ける。
 瞬く間に手のひらの感覚が無くなる、まるで手のひらだけすっぱりと無くなってしまったかのようだ。
 そして、余りの寒さにこれまで以上に体が震える。私は手を離した。
 そう、この震えこそ、この苦しみこそ、私が求めていた生きているという感覚。
 何故あの時、王であるN様を疑ったのか。それはあの寒さ、苦しみによってヴィオという人間がより強く自らの意識に現れたからに違いない。
 そして、王であり、私の生きているという実感そのものであったN様を失った事により、私はこの場所を求めた、この凍て付く氷の世界を求めた。生きているという実感が欲しいためだけに。
 自然と口端が釣り上がる、目頭が熱くなり、涙がこぼれる。だが、それすらも頬を伝う前に凍りついた。
 私は自らの境遇に気づいたのだ。なんと悲しく、愚かなのだろう。私はもはや通常の生活では生きているという実感を得られぬ、ただの抜け殻。
 腰に手を当て、つい最近まではモンスターボールがあった場所を弄る。ここに身を隠す前に私のポケモンは全て逃がした、彼らは全てこの氷の環境に適したポケモンたちではなかったのだ。
 彼らがいればまだ違っていたのだろうか。彼らと共にいればまだ私は生きていただろうか。王であるN様は「ポケモンを完全にしたい」とおっしゃった、未だにそれは高貴な考えだと思う。だが、それは本当にポケモンを開放する事でしか成し得ないのか。現にポケモンを手放した私は苦痛でしか生きている実感を得られない。現状の人とポケモンの関係ではポケモンは完全な存在になれないのだろうか。手放してしまった今、それすらも分からない。
 入り口のほうから、聴きなれない音がした。
 見ると、あの時の少女が其処にいた。何故ここに来たのだろう。妙な少女だ。
 少女は私の存在に驚いた風だったが、すぐに腰のボールに手を当ていつでもポケモンを繰り出せるようにしながら私に向かって歩を進める。
 無駄な心配だ、私はポケモンを持っていないし、そもそも彼女が私の敵であったのは王であるN様とゲーチス様の敵であったからだ。抜け殻の私にとって彼女の事などどうでも良い。
 それよりも、人と向き合うのは久しぶりだ。長らく動かしていなかった唇を動かすと微かに強く白い息が舞った。
 近づいてきる彼女を手で制し、私は言った。
「また ここに来たのか? 物好きなトレーナーよ。その好奇心に応じて少し語ってやるとするか」