春へ ( No.11 )
日時: 2011/02/12 22:11
名前: あづまくだり

Aコース


 彼等は生まれた国を出て、海を越えて南へ向かう。南で長い冬を越し、春先になればまた自らの国へ帰ってゆく。
 そろそろまた旅に出るころね、と呟いた母の言葉を、子は聞き逃さなかった。
「たび……? 今度は、どこへいくの?」
「生まれた国へ帰るの。あなたは生まれたのが遅かったから、すぐこっち――この島へ来たでしょ? スバメやオオスバメにはこっちの夏は合わないから、涼しい国へ帰るのよ」
「ふうん。ねえ、花は咲いてるの?」
 子スバメは花が好きだった。ときに溌剌とした、ときに安らかな匂い、目が迷うほど色とりどりに咲いては散る花びら、雨に濡れてひっそりと花を閉じる様、光を受けて輝く露、何もかもが大好きだった。
「きっとね。さあ、早く支度しなさい!」
「はーい」
 子スバメは少し投げやりに言った。塒が慌ただしくなりつつあった。長い長い旅に向けて。


 その日、木の葉に落ちる露や屋根を伝う雫さえ凍てつく厳しさで寒気が街を覆った。明けようとしていた冬が、一日だけ最後の力を振るったようだった。
 人々は毛糸で厚く編まれた服を着込み、背を丸めて歩いている。鳥ポケモンたちは頭を丸め、丸裸の木に作られた巣の中で頭上の重い雲が去るのを待っている。地を走るポケモンたちはみな様々な巣にこもって、じっと身を潜めている。
 不意にマメパトの一匹が丸めた頭を空へ向けた。一匹のオオスバメが天高く羽ばたいていった。南から北へ、何十、何百ものスバメや彼等を先へ導くオオスバメが群れをなし重い雲を裂いて飛んでゆく。
 空を覆い尽くすほどの黒いその群れに、マメパトは必死で母を呼ぶ。すぐにハトーボーが飛んできて、空を見上げると言った。
「ああ、怖がらないで、あれはスバメたちの群れよ。彼等が帰ってくると、もうすぐ春がくるってことなの」

「あの辺りで羽を休めよう!」
 先頭を行く若いオオスバメの大きな鳴き声が上がった。下には川が広がり、海が遠く見えた。川の脇には人間が整備した河川敷がある。そこへ次々にスバメやオオスバメが降り立ち、各々毛づくろいをし合ったり川の水を飲んで体を休め、思い思いに過ごしていた。重い雲の下、何匹かは身を寄せ合って震えるものもいた。
 子スバメもオオスバメに寄り添って、体を震わせている一匹だった。
「お母さん、寒い……春なんじゃなかったの?」
「今日はフリーザーが降りてきているのかもしれないわ。きっと山に帰る前に街を見ておきたかったのね」
 河川敷も芝は枯れて、冷たい風に茶けた細い葉を揺らし、その中に見えないほど小さな芽がぽつぽつと潜んでいるのみだった。
「寒いよぅ……あの島はこんなに寒くなかったよぉ」
 オオスバメは首を傾げる。
「うーん、そのうち暖かくなるわ」
「うそだっ! 花も咲いてるって言ったくせに! なんにもないじゃないか!!」
 何もない河川敷を見回し、子スバメは声を荒げると、寄り添っていた母から離れて小さな翼を羽ばたかせると、空高く飛び上がった。
「あっ!」
 一匹が明後日の方向へ飛んでいったのに、オオスバメたちも気づいた。すぐに母が飛び立っていく。残りのオオスバメたちも二匹ほどを見張りに残すと、母を先にして子スバメを追いかけていった。

 川の流れと風の向きに逆らって羽を羽ばたかせる。すぐに河川敷を抜けて、暗い色をしたビルのある街を飛ぶ。ビルにぶつかりそうになりながらすり抜けて、スピードを上げて走る車を下に、遠く見える森へと嘴を向ける。相変わらず重い空の下で子スバメは懸命に飛んだが、羽が疲れて、静かな公園で速度を落とし一本の大樹に止まった。子スバメのほかには誰もない、ひときわ強い向かい風が吹くだけの錆びた公園だった。
 そこへオオスバメがやってくる。彼女もまた、息を弾ませている。
「ふん!」
 子スバメも母が追いかけてきたことに気づいたらしい、そっぽを向いてちょんちょんと跳ねながら枝の先へと歩いてゆく。枝の先には、丸く膨らんだ蕾がひとつ。
 子スバメはふてくされて、気の早いその蕾を嘴でつついた。オオスバメがそれを見て問いかける。
「それ、何だかわかる?」
「ふん……」
「それはね、花の蕾。これから暖かくなって春がくると、その蕾が開いて花が咲くの」
 蕾を見つめる。他の枝にも蕾があったが、この枝の蕾が一番大きくなっているらしい。固そうな皮の下に潜む花びらを思う。
 子スバメはまだそっぽを向きながら、小さな声で言った。
「じゃあ、もう一度お花を見れる?」
 オオスバメは大きく頷く。
「もちろんよ。だからみんなで毎年この国に来るの。もちろん体のこともあるけれど、春がきてこの国にもう一度花が咲くのを見るために。いいえ、この国に春が来る限り、何度でも、何度でもまた花が咲くわ」
 愛する故郷の美しい春。それを求めて、海を越えて危険を冒し帰ってくる鳥たち。本能とひとことでは片付かぬ彼等の想い。
「さあ、帰りましょう」
 オオスバメに促されても、少しだけ子スバメは動かなかった。
 空を見つめる。雲がわずかに明るくなり、太陽が丸く透けていた。春は本当にすぐそこなのかもしれなかった。