ポイズンガールは終わらない ( No.2 ) |
- 日時: 2012/04/28 15:22
- 名前: 月光
- テーマB : 毒
シッポウシティ……それが私のいる街の名前。百年前の倉庫をそのまま再利用していると言えば聞こえはいいが、単に予算がないだけじゃないのだろうか。 この街のジムリーダーであるアロエさんはパッとしない博物館の館長の奥さん、要するに金銭感覚が庶民並み。必要以上に金を使わない。 別にそれならそれで良いのだけれど最近はイッシュ地方全体の就職状況や経済状況がよろしくないのは承知のはず、要らない機材と土地と労働力が余っているのだからもう少しどうにかならないものかしらね。 カフェの窓から見える外の景色を眺めつつ、経済雑誌を読む私は漠然とそんなことを考えていた。よく見てみれば空が曇っているわね、午後の天気は雨かな。 未来の自然環境を察知する力でも持っているのか、マメパトやハトーボーがヤグルマの森へと帰って行く姿が見える。私も彼らみたいに、本能で生きていければ嬉しいんだけど……
「ちょっとアミカ! 何で私のライブに来なかったの!?」 「ん? あぁ、なんだホミカか。ライブも何も、ただ公園で爆音響かせてるだけじゃない。アレはライブって言わない、騒音公害って言うのよ」
現実問題こいつの音楽は聞けたもんじゃない。ベースのホミカが自己主張し過ぎるせいで低音が目立ちまくり、理性を吹っ飛ばすどころか醒めて来てより具現化する。 残念なことに彼女はベーシストをしているよりもポケモンバトルの方がしっかりセンスがあるのよね。適材適所、ホミカの才能ならジムリーダーにもなれる可能性があるのに、不運なことに音タイプなんてポケモンは存在しない。 確かカントー地方にはマチス、シンオウ地方にはデンジ、ここイッシュ地方にはカミツレが電気タイプのジムリーダーとしているわね。 こいつなら多分将来的にジムリーダーやるなら電気タイプになるんだろうけど、それだとかなり競争率が激しい戦いになりそう。あーいやいや、そもそもこいつがバンドを組む可能性だってあるわ。 でも絶対にジムリーダーになった方がホミカのためだと思うんだけどな。人間って自分のことは自分が一番知っているとか思うらしいけど、大多数の人間はそんなの無理。他者の判断方が基本正しい。 人は周りの物を見て自分の価値を判断する。周りを見て周りの価値を判断する。なのに、自分自身のことを知り尽くしたつもりになって、本当は全然知らない人間が沢山いる。
「ホミカはそのタイプかなぁ」 「な、何よ。何の話?」 「別に。それより何の用があって私に会いに来たの? ポイズンガールはお嫌いなんでしょ。それとも、文句を言うためだけに会いに来たのかしら」
ポイズンガール、この呼び方にも慣れて今では自分でも自虐的に使ったりはしている。 私は毒タイプのポケモンが大好きだから、持っているポケモンはペンドラー。毒のことなら何でも知っているつもりで、尊敬する人はカントー地方の四天王の一人、キョウさん。 いつかは弟子入りしようと思っているが、如何せんイッシュ地方からでは距離が遠い。引き取ってもらった家から疎まれる私に、今の両親が金を出すはずがない。
「相変わらず毒々しく陰険だよねアミカって。何でさ、親戚なのにそんなに余所余所しいわけ」 「親戚と言ってもホミカのお父さんのお兄さんの結婚相手の妹の結婚相手の弟さんの娘よ、私は。血縁的には七次も離れているし、殆ど赤の他人じゃない」
どうしようもない私を引き取ってくれたのはホミカの家族。他の近い親戚は尽く私の受け入れを断って、盥回しにされてイッシュ地方まで転がり込んだ。 当たり前である。私の両親は自殺したのだ、毒を使って。いや、一般的なニュースではそのように扱われているが真実は違う。 私が殺したのだ。両親の結婚記念日にケーキを作って、ちょっとした毒のスパイスを使って、本当なら大丈夫なはずだった。知らなかっただけ、父さんと母さんがあの毒に異常なまでに弱かったことを。 世間は私を疑った。親戚も私を疑った。当たり前、疑われて当たり前。だけど私は言えなかった。怖かったから、そして私は今、空っぽだ。虚無を生きている。
「そんなことはどうでもいいのよ! 血縁とかは、心に響く音楽とは関係ない!」
だったら言わないでよ、紛らわしいわね。
「私はアミカに私の音楽を聞いてほしいの。だってアミカ、何かいつも……寂しそうだからさ」 「私は別に寂しくもないし、今の生活に不満があるわけでもない。貴方の様に情熱を捧げられる趣味もないし、ジムリーダーになれるような素質もない」 「ジムリーダー? 何それ」 「ホミカはポケモンバトルの才能がある。私はそう思っているわよ、貴方がどうかは知らないけど。私にはそれがない。だから……ね、そゆことよ」 「夢がないなー本当に、毎日何考えて生きてるのよ。そもそも私がジムリーダーになると何かいいことあるわけ? ないでしょ」 「あるわよ。ホミカが今、一番望んでいることに繋がるわ。ジムリーダーと言えばバトルが強い、バトルが強いと人気者、人気者ならば人が来る。必然的にホミカのライブに人が来る。どう、簡単な方程式でしょ」 「そ、それ本当なの!? ぬうう、そっかそっか、そういう方法もあるのか。分かった、私はバトルでも人の理性を吹っ飛ばせるようになる! じゃあねアミカ、次のライブは来てよ!」 「騒音じゃなければね、少なくとも今のままじゃ行く気にならないわ」
さっきまでの不機嫌が不思議なほどに無くなってまあ、清々しく出て行くこと。まったくもう、その安直さと素直さが少し羨ましい。 ホミカは気付いていないのね、あの子にはポケモンバトルの才能がある。私だって小さい頃は夢見なかったわけじゃないけど、私にはどう頑張っても届かない領域だった。 それを自覚した時に気が付いた。人には向き不向きがあり、可能と不可能がある。自分に可能なことと不可能なことを知って初めて、人は自分を知るのだと。 不運にもそれは私の両親が教えてくれた。ただの毒ならば中和して解毒できる自信があったけど、極度のアレルギー反応を示してしまったらもう手がつけられない。助からない。私には、助けられない。 同じように引き取られてホミカを初めて見たときに、私は分かった。彼女こそがジムリーダーになれる存在、私はなれない存在。だから、別のことをしようと。
「柄にもなく熟考しちゃったわね。いくら考えたって、知識以上のことを想像することは私には不可能。だってもう、心が死んでいるんだから」
正直な話、私はあまり生きていることに執着していない。考えることが億劫になって、思い出せば吐き気が混沌とする迷路に迷い込んで、私を意識の闇へと誘って行く。 だから私は放棄したのだ。普通の人が望むであろう『一生懸命生きること』を、『夢を持って生きること』を。私は投げ出して、逃げ出した。 そんなことを考えながらストローを啜ったら中身が出て来ない。見るとカフェオレはもうなく、カラカラとプラスチック製のカップの中を、若干凸凹した氷が犇めき合って蠢いている。 私の心はこの氷と同じね。冷たくて、凹凸は滑らかで刺激が無く、欲を失い透明になってしまった哀れな残骸。あら、私としたことが少し詩的な表現になっちゃったわ。
「濡れるのも嫌だし帰ろうかしらね。家にいても良いことはないけど、長居したら店側に悪いって……傘? あぁ、ホミカの奴、忘れて行ったのね」
そう言えば店に入って来た時は右手に傘を持っていたけど、出て行く時は何も持っていなかった気がしないでもない。 午後も公園でライブをいつもやってたっけ……届けてあげるかな。雑誌を本棚に戻して準備完了、お金はテーブルの上に置いておけば厄介なレジをしなくて良いのがこの店のチェックポイントよね。セキュリティ上問題ある気がするけど。 外に出て空を確認すると鉛色の部分がさらに重苦しくなって、これはいよいよ大雨の気配がして来た。残念だけど、午後のホミカのライブは中止ね。 巡回バスに乗っておよそ十分、歩いても三十分、カフェから公園は意外と近い。途中でホミカとすれ違うかとも思って道を確認していたけど、どうやら彼女もバスを使った様だ。見つからなかった。 あの子は濡れると幽霊みたいになる。ただでさえ幼い体形をしているのに、鬱陶しそうな前髪が額に張り付いて幽鬼を思わせるのだ。見た目がアレなのもライブに人が来ない原因の一つではないかと私は推測する。
ふと思った。本当に何の前触れもないんだけど、思った。何で私は、ホミカのことになるとこんなに積極的になるのだろうか。 絶望の淵に立たされてれ、突き落とされた私を引き取ってくれたのは確かにホミカの家族だが、私は彼らに何の恩義も感じていなければ悪意も感じていない。 彼らは世間体と家族内優先順位の序列に引き摺られて、自分達の都合で私を引き取ったに過ぎないのだ。だから私を疎ましく思う。 尤も、別にそんなことは私の知ったことではない。だから私も彼らには関心を抱かない。私を疎ましく思ってくれればそれで良い、それで気が晴れるならいくらでも疎んでもらっても構わない。どうせ心がないのだから。 だけどホミカは違う。あの子は空っぽの私の心に気付いているのかいないのか、いつも前向きで笑顔で努力して、まだまだ下手だけど持ち前のライブで必死に私を元気付けようとしてくれている。 これが偽善から来るものなら、きっとそれこそ私は悪意と殺意を思えたはず。だけどそんな気持ちは全くない。 そうか、私はまだまだ私を知っていなかった。こんな些細なことでも人は気付くことが出来るのね。私は……ホミカが好きなんだ。私には無いものを沢山持っている彼女を、私は好きなのね。
「どうして気付かなかったんだろう。そう言えば、去年の今日は私に『誕生日ケーキ作ったよ』って言って、塩だらけの岩塩ケーキ持って来たっけ……ふふふって、なんだ、私もまだ笑えたんだ」
醒め切った心のどこにこんな熱が残っていたのか知らないけど、少なくとも私は、カフェオレの中に残った氷よりは温かい心を持っているようだ。 バスを降りればすぐ目の前には公園がある。きっと騒音を響かせる準備をしているんだろうな。でもまあ、たまには良いよね、騒音も。
「ん? うわ、ポイズンガールが来た!」 「嘘ぉ!? ホミカのライブを騒音と断じて止まないあの冷徹機械毒女が来るなんて、この世の終わりだ! シッポウシティが壊滅するぞ!」 「……アンタら、普段から私のことをそう言う目で見てたんだ。今度から宿題は地力で解決することね」
ここの子どもが学校から出された宿題を、ホミカを通して私に聞いていることぐらいは知っている。あの子は人が良過ぎるのよ、少しは利用されていることを怒りなさい。
「傘届けたら帰ってあげるわよ。それで、ホミカはどこに行ったのかしら。もう着いているんでしょ、ステージ裏?」 「それがね、『ジムリーダーになる準備して来るから今日の私のライブの番は飛ばして』って言って帰っちゃったよ。ヤグルマの森に行くんだって」 「全く、本当に行動が早いわね。それが彼女の良いところなん……だ……けど……ちょっと待って、どこに行ったって言ったのかしら」 「ヤ、ヤグルマの森だけど」 「この時期に、このタイミングで……あの馬鹿! 何で私に一言も言わないのよ!」
走り出していた。このままじゃホミカが危ない。今この時期にヤグルマの森に行ってはいけないことぐらい、普通の大人なら知っていること。 だけど彼女は大人じゃない。まだ子ども、私より小さいくせに私よりアクティブ。いくら夢のためとはいえ短絡的過ぎる。握った傘が握力で折れてしまうんじゃないかと思った、そんな力無いけど。 バスはさっき出てしまった。それに巡回型だからどうしても回り道が増えて遠回り。体力に自信がある方じゃないけど、今はそんなこと言っていられない。 クールで冷徹キャラの私が――別に狙ってはいなかったけど――こんなに走るなんて、いつ以来のことかしら。色々なことに疲れ果てていて、体力がとにかく酷く訛っている。 息が苦しい。肺が痛い。転びそうになる。それに加えて鉛色の空は耐えかねた痛みに涙を流すかのように、大粒の雨を落とし出した。寒さが加わって、手が悴みながら走り続けた。 途中で転んでしまった。服が泥だらけになる。膝を擦り剥いた、だけど止まるわけにはいかない。もう失いたくない、私の心に宿った熱を。大事な人を。
「ホミカ……はぁ……はぁ……絶対……はぁ……無事でいて!」
すれ違う人々に変な目で見られながら、時にはポイズンガールと言うことで避けられながら、私はただひたすらに走り続けた。 私のペンドラーは酷く雨を嫌う。冷たいし体中が痛くなるのだから当然だ。だから私は雨の日にこの子を出さないことにしていたけど、今はもうそんなことを言っている余裕がない。
「お願いペンドラー、貴方のことも私は投げ出していた……はぁ……はぁ……都合が良いと思うかもしれない。けど! 貴方の力を、私に貸して!」
モンスターボールをこんなに勢い良く投げるのって、いつ以来? 何となくで一緒に生きて来たペンドラーをこんなに頼りにして出したのは、何年前? 出て来たペンドラーは何も言わなかった。ただ黙って背中をこっちに向けて、後ろ脚を曲げてくれた。 早く乗れ――そう言っているように瞳は訴えかけている。ホミカは毒タイプのポケモンがあまり好きではないらしく、私がペンドラーと適当に遊んだり接していると、決まって距離を取る癖があった。 だからペンドラーはホミカのことが嫌いだと思っていた。いや、もしかしたら実際に嫌いなのかもしれない。ひょっとしたらそれを通り越して、私が大多数の人間に抱くように無関心かも。 それでも背中に乗せてくれる。私をホミカの所まで、連れて行ってくれる。走り出したペンドラーは早くて、私は必死に胴体に掴まった。
「この時期のヤグルマの森はホイーガやペンドラーの産卵、スピアーやドクケイルみたいに遠くの地方からも毒ポケモンが来る。十分な準備がないと、自殺に行くようなもの」
体に打ち付ける雨が痛かったけど、景色が一瞬にして暗くなると同時に肌を打つ雨が急激に弱くなり、変わりに四方八方からの騒音がその量を増した。 ヤグルマの森はその生い茂る木々の葉で雨と光を遮っていたがそれでも地面は泥濘が酷く、長距離をダッシュして疲れているペンドラーをボールに戻して私は走り出す。
「ご苦労様、後で私のへそくり使って最高級のポケモンフーズ買ってあげる。ここから先は、私に任せて!」
そもそも頼ったのが私なのだから任せてって言うのも変な気がするけど、今はどうでも良い。ホミカの無事、今の私にはそれ以外の何もいらない。必要無い。 とは言えこれだけ広大な森の中で探している人を速攻で見つけるなんて奇跡に等しいレベル、でもまだ子どものホミカが本道を外れて脇道に入ってくとは思えない。必ず、近くにいるはず。
「ホミカ、返事して! どこにいるの!?」 「きゃあああああ!」
聞こえた! 悲鳴だけど聞こえて良かった。 草むらを掻き分けて少し脇道にそれたところにホミカがいた。思っていたようにホイーガやスピアー、ドクケイルとついでにアリアドスまで参加している。 たった一人の子ども相手でも自然は容赦がない。悲鳴を上げて倒れたのか、うつ伏せになったままホミカが動かない。
「失わない……失う訳には、もういかない! ペンドラー、ホミカの周りの奴らを薙ぎ払って!」
本日二度目、雨の中のにごめんね。 長い体を丸めたペンドラーはタイヤの様になってホミカを囲む集団に突っ込み、ポケモンバトルをしない私のポケモンが久しぶりに『ハードローラー』なんて豪快な技を使った。 空白が出来る。ホミカの周りに纏わりついていた虫達が居なくなったのを確認してから体の様子を見たけど、一目で分かる……これは、酷過ぎる。 スピアーの毒針にドクケイルの毒の粉、アリアドスの毒糸にホイーガの吐き出す純粋な毒。体中がとにかく毒だらけ、こんな状態になったらもう普通の毒消しじゃまず確実に対応できない。 何でよ。何でホミカがこんな目に遭わないといけないのよ。そもそも何でアンタはこんなところに来たのよ、手持ちのポケモンなんてまだヨーテリーだけじゃない、何やってるのよ! 仰向けにした彼女の表情はやはりと言うべきか青ざめている。今の私も相当青ざめてると思うけど、それとは比較にならない程に彼女の状態は酷い。 毒針を全て抜く。毒の粉を全て素手で払う。知ったことではない、後で手が腫れるぐらいだ。表皮に付着した毒も手で叩き落とす。死んじゃ駄目、絶対に死んじゃ駄目!
「死なないでよホミカ、絶対に死なせない。貴方が死んだら……私は……また、一人に……」 「アミカ……?」
返事をした!? よかった、意識があるだけまだ良かった。意識が無い状態ほど幸先不明で不安なことなんてない。
「どうして、何でこんな無茶したのよ! どんなに才能あったって、どんなに夢があったって……死んだら、そこで終わりなのよ!」 「泣い……てるの? アミ……カ……」 「当たり前でしょう! 後で覚悟してなさいよ、家で二十四時間説教するわ! アンタが隠し持っているロックバンドの写真集も没収する! やらなきゃいけないことがたくさんあるの! だから、死んじゃ……だめだよぉ……」 「驚かせ……たかったの。私が……一人でポケモン……捕まえってこと……見せたくて。だって今日は……アミカの、誕生日……でしょ?」
……え? そう言えばそうだった、さっき電車の中で思い出していたばかりじゃない。そうよ、今日は私の誕生日だった。祝ってくれるのって、決まってホミカばかりだったっけ。 そんな大切なことを忘れて、私が毎年毎年忘れてることをホミカはたった一人で覚えていてくれていて。 私は馬鹿よ。今日の今日まで無意識ではホミカのことを大切に思っていたくせに、悲劇気取って自分の心に自分で蓋して、彼女に近づこうと努力すらしなかったくせに。 ホミカをこんなにしたのは、私じゃないの! 死なせない、絶対に死なせない! 誰が言ったか知らないけど、私はポイズンガール……こと毒に関して、私の右に出るものなんていない。 例えそれがキョウさんでもアンズさんでも、私は毒に関して譲ってはいけないの。目の前の大切な少女一人助けられないで、そんなことは語れない。
「安心してホミカ。私は貴方を絶対に助けるよ、なんて言ったってポイズンガール……毒女だからね。品の無い言い方だけど、今は素直に認めるわ。私に任せて、私を信じて!」 「うん……私ね……別に毒タイプ……嫌いじゃ……な……」
意識が弱くなってる。落ち着いて、考え抜くのよ。いつも常備している毒消しはあくまで単体の毒に対してしか効果を発揮しない。 スピアーの毒針とアリアドスの毒糸、まずこれらは通常の毒消しでも問題ないわ。問題はドクケイルの毒の粉、一般にはあまり知られていないけどこれには麻痺の作用も若干含まれている。しかも他の毒と交わることで効果が増す。 毒消しの量は通常の一倍強、麻痺治しも同時に若干量調合する必要があるわね。ただホイーガの毒はまた別モノ、配合量を少し減らさないと駄目。 集中するの、私! ドクケイルの毒の粉は皮膚も荒らすから、軟膏も盛り込んだ方が良いわね。後は右手と左足に毒針……え? あれ、私の右手と左足に、毒針?
「そ、そりゃそうよね。ペンドラーが頑張ってくれても、穴はできる」
振り向いた先では未だに戦っているペンドラーが心配そうに私を見たけど、私は首を左右に振って無視を促した。気にしていたら、ペンドラーまで危機に陥る。 首筋に激痛が走る。ドクケイルの毒の粉が服のスキマを狙って襲い掛かるが、雨のおかげで半分近くは流れてくれた。服に染み込む分で駆け引き零だけど、全体的に見れば良い方ね。 アリアドスの毒糸が左腕に絡まって身動きが取れなかったのを、ペンドラーが気を利かせて切断してくれた。左腕がドククラゲに刺された様に痺れるけど、今はその方が良い。 嘗めてもらっては困る。私はポイズンガール、毒を以て毒を制す。私の体を蝕む毒は、むしろ先ほど以上に私を冷静にしてくれる。 感じて思い出したがアリアドスの毒にもそれなりに麻痺の効果があり、酸を盛り込んでいるのか炎症にも似た症状があるように感じられた。火傷治し入れるべきかもしれない。 ホイーガの毒はただの毒ではない。『どくどく』による猛毒、他の毒の作用をさらに引き出している可能性は十分にある。全てを計算に入れて、作るんだ。調合するんだ!
「アミカ……寒い、暗いよ……」 「そりゃ雨が降ってるから寒いわよ! 森の中なんだから暗いわよ! そんなこと気にしてんじゃないの。全く傘を忘れるなんて、ホミカは本当にドジね!」 「あはは……そっか、傘……あの時忘れたんだ。不思議、理性が……ぶっ飛んで来た……」 「馬鹿! 阿呆! 濡れ幽霊! とにかく私を見なさい! 普段の元気はどうしたのよ! 私にライブを聞かせてくれるんでしょ!?」 「ライ……ブ……聞いて……くれるの?」 「当たり前じゃない! 私は、雑音だらけだけど一生懸命なアンタのライブ……結構、好きなんだよ」
最初は本当に雑音でしかなかった。人の部屋まで押し掛けてはいきなりベースの低音だけ響かせて勝手に熱狂して、非常識極まる子どもだと思った。 でもそれは違った。ホミカはホミカなりに私を励まそうとしてくれていた。まだ小さくて数学もパソコンも出来ない癖に、私より背も小さくて年下の癖に。 私より小さいその手は、私よりずっと大きなものを持っていて、私よりずっと大きな可能性に満ちている。だから死なせてはいけないの。私の勝手な願いだけど、ホミカには幸せになってほしい! 夢を掴んでほしい! 雨のせいで調合が上手くいかないと思ったけど、自分でも不気味なぐらいに上手くいってる。後は数種類の毒を中和剤として入れればそれで終わ……あ、あれ、目が!? 視界が霞んでる。雨じゃない。これは、ホイーガの毒! 顔に掛かったのね、何でこんなときに!? 耳もなんだか聞こえにくい、鼻も……駄目!
「何でよ、最後の最後で何でッ!? あーもう、噛んだ。血の味って鉄臭くて嫌な……そうだ、味覚が生きてるならまだ行ける!」
毒の瓶は私の体の一部、ラベルを見ないと中身は分からないけど腰の後ろに差していることは覚えてる。後はその毒を……な、舐めるしかない。 中和剤用と言っても毒は毒。今以上に私は毒まみれ、いくらポイズンガールでも毒はやっぱり苦しいの。だけど、毒にだって味はある。幸いなことに、無味無臭の毒は今回必要無い。 片っ端から舐めた。酷く舌がビリビリと痺れたけど、問題ない。中和剤だと思われる毒を見つけたら、それを霞んだ視界で慎重に混ぜる。 落ち着いて……落ち着いて……落ち着いて……私なら出来る。私は毒の天才、ホミカとは違うけど、これは私の領域。 最後の毒を入れて、完成した! まずはこれをホミカの皮膚に、雨で効果が薄れないように木の下に移動したいけど、贅沢は言っていられない。 表皮用でもあるけどこれは飲めるようにも作っておいた。後はこれをホミカに飲ませれば、きっと大丈夫。お願い、目を覚まして!
「お願い……神様……創造神、アルセウス……ホミカを……ホミカを、助けて……」 「アミカ? あ、あれ。私……何で倒れてるの?」
目を覚ました! 良かった、速攻性重視だったけど、ちゃんと効いたわね。私はやっぱり……ポイズンガール。毒に関して、私は誰にも負けない。 私が今作った特別製の毒消し、学会に発表すればきっと高評価もらえちゃうわね。特許もありかも。 ホミカの皮膚の色も良くなってきたし、視界がぼやけてるけど顔色も良くなった様に見える。安心したら、今度は私が眠くなって来ちゃったか。 仕方ないもんね、毒だもん。毒を以て毒を制すって、ははは、そんな馬鹿なことあるわけないじゃない。人間毒をこれだけ喰らっておいて、制するなんて出来るわけないじゃないのよ。 何で私は後先考えず、ホミカのこと助けたんだろ。無視してれば、他の大人に頼ってれば、少なくとも私がこうなることはなかったのに。そう思うでしょ、誰だって。
「ホミカ! 返事をしろ! どこだ!?」 「お父さんの声! お、お父さん! ここ、ここだよ! 早く助けて、アミカが! アミカが……死んじゃうよ!」
あぁ、大人達が来たのね。さすがに耳悪くなっても、これだけ耳元で叫ばれたら分かるわよ。 よかった、ホミカが助かって……あれ、何で泣くの? 助かったんだよ? 嬉しくないの?
「なん……で……?」 「馬鹿! 何で、何でアミカがそんなにならないといけないの!? 嫌だよぉ……ねえ、死なないでよぉ……」
そっか、今度は私が死にそうなんだ。失敗したな、ホミカ助けることだけ考えてたから自分の分の毒消し作ってないわ。他の人に作れるわけないし。 まあ良いか。どうせ私は生きてても大したことしないんだし、ホミカが生きていてくれなければ、私の心は今度こそ死んでいたわけでしょ。 だからこれで良かったのよ。もちろん死ぬのは怖いわ、でもそれ以上に残念。ホミカのライブを聞けなくて、ホミカがジムリーダーになる姿が見えなくて、ホミカの笑顔が……もう、見れなくて。 赤の他人みたいな関係を勝手に作ってたけど、私はホミカが大好き。本当の妹みたいで、可愛くて、自分の意志を貫ける子。大丈夫、ホミカなら大丈夫。 泣かないで。私は別に、後悔はしていない。むしろ感謝している。考えてみれば、私は誰かに愛されたかった。 両親を間違えて毒で殺してしまったのも、構って欲しかったから。関心を持ってほしかったから。私の両親もホミカの両親も、誰も彼も私に大した関心を向けず、自分達の世界から私を排他し続け、私は拒絶され続けた。 ホミカ、貴方と出会えたことはこれ以上ないほどの奇跡なの。毒ってのは私にとって毒にも薬にもならないものだったけど、最後の最後で、私は毒に救われたのね。
「泣くな……ホミカ……」 「アミカ! よかった! 今お父さん達が来るから、きっと助かるから! だから、助かるよ! 大丈夫だよ!」 「ねえ、顔良く見せてよ……」
そんな泣き顔、アンタには似合わないって。あぁもう、最後の最後までその前髪が鬱陶しいって思っちゃうな。可愛い顔なのに、台無しじゃん。 動け、私の両手。どうせ最後の仕事なんだから、口より楽な仕事なんだから、動きなさいっての。 私の後ろ髪の髪留め。ついてる二つの珠が紫色に濃い水色、これってなんて言う名前の色だっけ? あーいやいや、今はそんなのどうでも良い。どうでも良いけど、なんか毒っぽいなぁ。 ホミカはもしかしたら嫌がるかもしれない。さっきは意識が朦朧としてて本心を言った可能性は大きいけど、私を心配させまいと意地張っただけかもしれないしさ。 動いて私の上半身。無駄に発育した胸は今は要らないから、もう少し……ほら、やっぱりだ。ホミカの前髪、上げた方が断然可愛いわね。
「こ、これってアミカが大切にしてる髪留めでしょ。な、何で今なの? ねえ」 「ほら……やっぱり……ホミ……上げ……が……」 「アミカ! 嫌だ! 目をもっと開けてよ! 私を見てよ! ライブを聞いてよ!」 「ねえ、ホミ……カ……お願い……聞いてくれ……る?」 「うん! 聞くよ! 何でも聞く! だから、死なないでってば!」
私は死ぬ。だけど、私は私の生きた意味ぐらいは残したい。それと欲を言ってはアレだけど、ホミカに忘れられたくない。
「ジムリーダーになった……らさ……毒タイプ……使って……くれない?」 「アミカだってなれるよ! いま私見てたもん! アミカのペンドラー、凄い強いじゃない! だからそれは、アミカが――」 「あぁ、そうだった……」
まだ、口に出してなかったっけ?
「ホミカ……大好き……だよ……」 「ア、アミカ? ねえ、嘘でしょ? ねえ……アミカ!?」
私の世界は、ここで終わる。だけど私は、私の存在は、この世界に残り続ける。 知ってるでしょ、毒ってしぶといのよ。私の毒は、アミカがきっと引き継いでくれるはずだから、まだまだこれから。 もう雨の冷たさも感じない。ホミカが何を言ってるのかも分からない。彼女の顔は、もう見えない。 見えなくて良い。ホミカが泣く顔なんて、もう見たくない。 大人達が来てるからもう大丈夫でしょう。ホミカは生きて、きっとジムリーダーになる。私は、信じている。
そう、終わらない
ポイズンガールは……終わらない……
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