Good night, a good dream. ( No.13 ) |
- 日時: 2012/05/27 23:57
- 名前: とらと
- テーマA:タネ
「すいみんのタネをくださいな」 顔を上げると、そこには黄金色のポケモンが座っていた。 「七十ポケですよ」 「はい、どうも」 手渡すのは黄色くて、小さなタネ。黄金のポケモンは九つの尻尾をふさりと揺らして、ありがとう、と笑った。その顔の向こうの空は紺碧に落ち、二匹の頭上も徐々に夕闇に冒されつつある。そろそろ店じまいの時間か。優美で上品に見えるのは専ら商売対象外だが、この彼が、本日は最後の客かもしれぬ。 「オニイサン、探検隊のポケモンで? そういう風には見えませんけど」 「いいえ」 「すいみんのタネなんて、別段旨くもないでしょうに。何に使うんで?」 睡眠剤なら、粉の、もっと上質で安価な奴が、薬屋にも売ってるだろう。ちょっと引き止めて話したい気持ちもあって、商売としては不都合でもそんな雑談を振ってみた。探検に興じている連中が魔窟の最果てに息づいてるようなバケモンを眠らす道具なんかで、自分の眠気を誘うことなど狂気の沙汰。それを知らない非常識には、そこの獣はとても見えない。 九尾の獣は、控えめに肩を竦める。 「コレを必要としてる友人がいるんです」 斜陽の照らす狐の面は、穏やかな語り口とは対照的に、幾分火照ったようにも見えた。どうしても眠らせたい相手がいる、と。成程、何やら事情がありそうだ。しかし、それを無闇に詮索するのも粋ではなかろう。 「眠りって言うのはそう、我々ポケモンの三大欲求と言われるモンのひとつでありまして」 「ええ」 「ま、エライ学者サンのおっしゃってることなんざ、我々にはチンプンカンプンですがねぇ。食べること、眠ること。そして残ったもうひとつをお話しするには、幾分日がまだ高すぎる頃で――」 ウフフッと黄金は微笑む。オニイサン、と呼んだが、その認識はよもや間違っていたかもしれぬ。 「それが満たされて、我々は生きる。満たされぬ人生など、生きた心地もしない。けれど食べること寝ること、これが満たされぬ時と言うのを、我々はなかなか体感できませんなぁ。空気のように当然にそこにあってから、阿呆な我々はそのありがたみを知らんのです」 夕凪の刻で、風はなく。陽光に熱されていた大地も、のろのろと力を失っていく。 微笑んだまま、黄金は揺れていた。美しい毛皮の衣は、しっとりと茜に濡れていた。その、炎のような赤の瞳は、じわじわと時の過ぎるにつれて、冷たい光を帯びていた。 「……これをもって、友人は、眠ることの尊さを覚えるでしょうか」 「そうだとええですなぁ」 九尾の獣はくしゃりと笑う。 「店主、わたくしのこと、オニイサン、て呼びましたが。こう見えてわたくし、もう千年も生きているのよ」 カクレオンは、ぺろっ、と長い舌を出した。 「ありゃ! こりゃあ失礼っ――」
駆けずり回って、大声で笑って、泣いて、お腹いっぱいにご飯を食べて、太陽の匂いがする干し草のベッドで、昏々と眠りに落ちていく。 ……そんな当然の幸福を、彼女は知っているだろうか。
日が落ちきると、土は急速に温かみを失っていった。冷たい感触を足裏に確かめながら、黙々とキュウコンは歩いた。星空が回り始めた。月が昇り始めた。咥え、口に含んだ彼への贈り物を、ころころと舌で弄んで。ひややかな陸風が流れていく。目的の星の降る山頂は、もうすぐそこに近づいていた。 ……眠りに落ちる、幸せ。そんなこともよかった。けれど、そんなことよりも、生きている事の充実さを、もっと噛みしめて欲しかった。彼女は自分なんぞよりずっとずうっと崇高な存在で、本来は手なんてきっと触れてはならぬ高貴なもので、生あるものどもの図々しい希望を叶える、私たちの賭ける『夢』みたいなもので。……けれど、彼女だって生きている。生きて、流れたはずの瞬くような短い時間を、もっと、自分のためにだって使って欲しかった。 キュウコンが生まれたのだって、彼女のおかげだった。それを父母に聞かされてからずっと、こうして幾つもの久遠の年月を待ちわびて、ようやく与えられた報恩の機会。なのに、時間は短すぎた。その限られた時間の中で、彼女に課せられた身勝手な責務は、あまりに重すぎた。どうしようもなく膨大すぎた。 彼女が目覚めてから、今日で八日目の晩。 ――流星の降りそうな高台の頂に、今日も彼女はいた。小さな、赤子のような白い躰であった。星形の頭、ゆるりと地面に這う羽衣は、月夜に咲く幻の一輪花の如く淡い光を湛えていた。それが、本に夜空の星のようにか弱く儚く瞬いていた。時折ぱっと強く、徐々に弱く、消え入りそうなほどに細く、思い出したように強く、強く。……頭にぶら下がった、水色の、数えきれぬほどの短冊に、よろよろと両手を添える度に。何かに声を届けるように、輝く。そして、疲弊しきった表情だども、まだ他人の幸福を慈しむように、切なく微笑んで。 「……ジラーチ」 呼べど、振り返ることはない。 「みんなのねがい、とどいている」 ふわふわとして、幼い、浮ついた、掠れた声で彼女は言う。 「とどいているかな」 「届いているよ」 「かなっているかな」 「十分に、叶っている」 「ああ、それならしあわせだ。ぼくはとってもしあわせなんだ」 「……だから」 もういいよ、と言う前に、彼女はふるふると首を振った。 我儘が過ぎる人々の願いが、まだどれほど残っているのかキュウコンには分からない。ただ、ひとつひとつ確かめるように短冊に触れて、その哀れな願いを聞き入れようとする彼女に、口で分からせることは容易ではなく。また、このまま彼女が壊れていくのを、見届けることなんてできなかった。千年もむざむざと生きてきて、下手に暴力的な手段をとることしか、キュウコンはそれを止める術を得ることがとうとうできなかったのだ。 (……こんな方法でしか報いることができなくて、本当にごめんなさい) 廃人のように願いを叶え続ける『ねがいごとポケモン』の背後で、キュウコンは起立し姿勢を正した。一度瞼を伏せ、微笑み、また目を開けた。頬の端に追いやっていた『すいみんのタネ』を、舌に乗せ、祈るような気持ちで唇に挟んだ。 くつくつと、細かに彼女は笑っていた。キュウコンは目を細める。 「……おやすみなさい。よい夢を」
願わくは。 彼女の千年の眠りを、あたたかで柔らかな星のベッドが、ふっくらと優しく包み込まんことを――。
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