そして糸車は回る ( No.5 ) |
- 日時: 2015/01/25 15:20
- 名前: からげんき
- テーマB(糸)
なんだかんだで紡がられるのはこの世からして簡単だったかもしれない。
母は今日も銀の糸を編んでいた。とにかく無言で編んでいた。 何か使い道があるわけではなく、うっすらと伸びている影は、ただひたすら編んでいた。 月明かりに照らされて、様々な模様が呼び覚まされるように浮き上がった。とてもまぶしく輝く太陽のような形、自身のような六本脚をくっ付けている生き物に見える形、あとはしましま、見慣れた網、迷路、お花、本物の葉っぱ、食べてきた残骸、それと透けた羽。自分が知っているものはこれくらいだけど、母の体の何十倍もある織物がこの言葉だけで収まるはずがない。残りはまだ自分が知らなかったり、例えられるものが見つからなかったから。今また見ると、あの形がどこにあるのか、どこかに逃げてしまったようだ。 昨月、いや、何月、いや、何ヵ月?良く分からないけど、母はずっとこの調子だ。母は集中しているものに邪魔が入ると、命の危険さえも感じるぐらい恐ろしいことをする。だから、今までずっと小窓の隅に張り付いて見るだけだった。 けど、少しは聞いて見たい。その好奇心と恐怖心とのいさかいは良くある。大体は臆病な思いが優勢な感じの結果で終わる。でも、今はそこまで弱くない。だから、自ら負けを認めさせたように恐怖心が出て行った形で好奇心が勝った。 そして、そのまま何をしているの?と聞いてしまった。やっぱり、呪いを掛ける勢いがあるぐらいのしかめっ面で、母は睨んできた。 しかし、奇妙だった。母は満足したのか、そのまま作業に戻った。おかしい。鋭く尖ったげんこつがまだ降ってくることも、声だけの雷が落ちてくることもなかった。何事もなかったように、その影はせわしく機械的な動きを続けている。 その時、上から押し潰す勢いで怒られるのとはまた違った、突然非日常に放り投げられたような、不気味な感じの恐ろしさがその影を伝って、身体中に覚えずの震え、つまり、本能的な危険信号が出ていた。 諦めも大事。仕方なく、二、三歩ぐらい後退りして、母に背を向けると、自分の寝床に帰ることにした。 丁度、月が雲の中に隠れたようだ。 辺りは本当の暗闇になった。もっとも、あとちょっとで明け方になる今は、夜でも更に暗くなるから尚更だ。自覚は無いけど、光の乏しい世界に特化していると言われるこの目でも、三歩先までの幹の筋がやっと見えるのが限界。それに、眠いから時々目の前がぼやけて、何もかもがまっ黒に塗り潰されて、脚の感覚だけで歩いてしまうこともしばしば。今だってそうだけど。 本日の収穫は無し。昨日の羽虫の群れの到来のようなことは、昨日限りで終わってしまったようだ。自然の摂理だからしょうがないと言われても、本音はもっと欲張りな感じ。いつもの場所に落ち着くと、いつも通りゆっくりと意識の糸をたどりながら、全てを無に預けた。 その次の月夜の下、目を覚ますと、母は永遠の眠りについていた。
不意に思い出してしまった。その時、ただ狸寝入りをずっとしているだけで、本当に死んでいるとはあまり実感がなかった。時間が経つにつれ、心の余裕をむしばむように、母がいない空っぽの容積は増えて、寂しさが生活の中でこびりつくようになっていって、初めて親の大切さが分かった、気がした。その時の僕のように、織物も未完成のまま残され、沢山の意味不明なことを着せたまま、星空の一員になってしまった。 そういえば、今日もこの月明かりの無い暗い一日で、獲物も乏しい結果で終わったっけ。ただ違うのは体がでっかくなったくらい。結構な時間が過ぎたと身が分かったとしても、頭では相変わらずぴんと来ない。もっとも、生き方が悪いからこうなったんだけど。 今となってはアリアドスとかっていう形に「進化」してすっかり面影もないけど、見た目意外に感じ取れるものはほんのちょっとだけ、力が増したぐらいで期待出来るほどの変化はなかった。むしろ、進化した始めの内は戸惑いばっかりだった。 脚が長くなっているからって、巣作りの効率が上がるなんて大間違い。取れる範囲だけは広がったけで、慣れてない長脚で足場を渡る時は小回りが利かないから、作業がおぼつかなくなったりして、大体巣に歪みが出る。糸だってそうだ。より丈夫なものを出せるのは良いんだけど、強すぎてその頃の力量だと、逆に扱いにくいし、何か余計な落ち葉とか枝とか巣が目立ってしまう邪魔なものが、一度捉えたら絶対に離さない、をうたい文句に出来るような粘着性を持っている糸から取り外すのも一苦労する。だから、こうなったことに少し後悔していたっていう時期があった。もう、この体に慣れているから何ともないんだけど。 すっかり自立して、母の手を借りなくても立派な一人前のクモの巣を張ることだって出来る。獲物の出来高もなかなかのもの。だから、母の突然の死を乗り越えた今、もう生きることに何一つ不自由を感じない・・・ と、言い切るのは間違いになる。 母が残していった、あの織物を休まず、死ぬまで織り続けた理由、取り憑いたように今でも心の奥を引っ掻いている。 ずっと。まだ生きているように。 それだけで、生きている時間の半分を使いきった気分がするほど、悩まされて、夢でもうなされて、いつもぼうっとしているから、 「よう、ボケすけ。」 こんなあだ名を付けられてしまう。巣の手入れをしていたのに、そんなことも忘れてすっかり考えにふけっていたと、いつもの相手にまた、目を覚まされた。 「本当に固まるの好きだねえ。まあ、アリアドスの狩りは、待つのが本業ってもんだけど、ボケるのはちょっと違うんじゃねの?」 「分かっています。考えことをしていただけです。」 「ほんと、ずーっと考えてる考えてるんじゃ、そのうちそこら辺の木の枝に取り込まれるんじゃね?」 話し掛けてくるこのペンドラーはとことんしつこい。暇さえあればすぐによってたかってくる。しかも、どこにいても僕の側にいられる鬱陶しい能力があるようで、大体すぐ近くにいる、というよりは、探そうとしたらもうすでにいた感じになるのがいつものこと。暇をもて余す時は良いけど、それ以外の場合はちょっとわずらわしい。とりあえず、用件を聞けば大体去って行ってくれるので、決まり文句みたいになってしまった一言を。 「で、何の用事でしょうか。」 「なんか、あんたじゃない別の変なアリアドスがここの森に紛れ込んだんだって。一応、おんなじ種類だから念のため気をつけろって、長老のババアドダイトスからの言っとけとのことだ」 珍しかった。何でもない、と捨て台詞をつまんなそうに吐いてすたすたと地面を這うように歩かず、普通に答えてきた。 もちろん、普通に驚く。ちゃんと受け答えをしてきたのはさておき、 「変なアリアドス、とは?」 なんだろう。自分の姿ぐらい、湖のほとりでみたから大体分かるけど、どこが変なのか。このペンドラーいわく、 「ごめん、よくは聞いてなかったわ。俺もどんなのか見ていねえから、わからん」 らしい。つまりは、自分の目で確かめろと言いたいのだろう。 良いんだか悪いんだか。同じような姿をしている同族と母以外で初めて会うことの期待感と、変な、という話から来る危なげな香りとで、丁度半分同士な複雑な気持ちを味わった。 そちらこそ気をつけてくださいね、と心ではもう帰って、という意味を含んだ言葉を掛けて、放置していた作業に戻った。 「気いつけろよな」 そう言って無事、ペンドラーは去ってくれたようだ。なんだか唯一の話し相手が危機に直面するかもしれないっていうのに、呑気そうにのっしのっしと胴長な体をたゆませながら寝床に帰る様子が、いかにも緊張感がないと、自分すらも少し気が抜けそうになった。 それでも、嫌な予感がしてたまらなかった。
次の日の空は晴天。この星空の形なら、あと一回月が欠けると暦は夏になる。最近は時間が進むのが早くなっているようだ。五月(いつき)で春は終わるらしい。 いつものように巣を見に行った。ちっぽけな蛾二匹といつもの羽虫が力尽きて、風にあおられてるだけの食い物になっていた。今夜はきっちりとかかってくれたようだ。また暴れられたらごくたまに逃げられることもあるので、噛みつき、しっかり唾液を注ぐ。この唾液には毒が入っているとか聞いたけど、よく分からない。これで動けなくなったら、ゆっくりといただく。蛾の羽はとても食べられないので、噛みちぎった後、粉が撒き散らされないように糸にくるんでまとめてから、本体の頭からがぶりといただく。並より少し下だけど、決して悪い結果じゃない。まったくかからなかった、なんてもしばしば。残った羽と要らなくなった糸の玉は、適当に枝葉にくっつけて終わり。 後は巣の手入れ。そういえば、ここで昨日は考え事にのめり込んでいて・・・ そうだ。すっかり忘れてた。 ペンドラーに話し掛けられて、この森に新しくアリアドスがやって来たって聞いたんだっけ。それで、よそもので変な感じでおんなじ種類だから気をつけろ、ってまで。そのあと、暇があったら探して見に行ってみようって考えてから寝たんだ。そんなことはさておき、この用事が終わったら、少し手が空くから行ってみよう。 思い立ったが吉日。いつもより手早く掃除だの網が破れてないかの点検だのを仕上げると、一息ついてから糸が掛けてある枝に脚を乗せた。 まずはペンドラーを探そう。 ・・・おかしい。先を越して野次馬に行ってしまったのか?二十八歩進んでも見つからないのなら、もう姿を見せないだろうと見ている。それからは出来る限り速く森の中心に行く以外、頭には無い。そこで情報を探ろう。 どきどき巣から離れるけど、その二十八歩以上となると、集会に呼ばれた事を除くと、覚えている中では一度だけ。帰りの時間もはっきりとは決まってないから、巣の事がとても心配。ただの糸を張り巡らしたものだからと言っても、そう一晩や二晩で作れるものじゃないし、あと脚が八本欲しくなるくらい労力が要る。もしも、価値があるなら、住居を持つポケモンの寝床と一緒なぐらい。それに、いくら丈夫とはいえ、所詮は糸。多分、かなりもろい。だからいつも以上に気にかける。 自身のとても細い脚よりも細い枝を伝い、自身の体の三倍はある大きな葉っぱを押し退けたり引っ付いたり引っ張ったり、それでも無理なら角や鋭い脚の先で切り裂いたり、また頼りないあの細い枝に脚を引っ掛け、たまに太い幹にぶら下がったり、その時にタネボーの脇を通り抜け、途中途中にある好みの木の実で乾いてカサカサになった喉を潤して、一度呼吸を整えてからまた移動。忙しく変わる風景には目もくれず、障害物が少ないのならほぼ全力疾走し、それなりに茂みが多い地帯は素早く切り抜けて、途中、寝ていたカラサリスだかマユルドだかを、踏んで驚かして起こしてしまったことには、いつか謝っておこう。そして、この木だけ、蔦(つた)がびっしりと、木の外側の面影が無くなるまで三重ぐらい丁寧にまとわりついている、この森唯一のまともな目印。 やっと着いた。 とりあえず、さざり、とその蔦にしがみついておいた。ここなら多少なりとも、話し相手になるポケモンがよくいる。 いた。 やっぱりペンドラーもここに来ていた。仲良く同じ色合いを持つドラピオンと雑談している。時々聞き取れる単語からは、やっぱりあのアリアドスのことを話しているようだ。この森ももうそのよそものアリアドスの話題で持ちきりのよう。ドラピオンの後ろにその子ども、スコルピか。ってことは親子なんだ。初めて顔を会わせてから二回季節が巡ったけど、今までは知らなされてなかった。ちょっと意外。 そう気付いた時、葉っぱが擦れ合う音とかなりの風圧を感じたと思うと、 「あら、あのみなしごイトマル、のボケちゃんだよね。ごきげんよう。」 「こんばんは。イトマルじゃなくて今はアリアドスですよ。」 「あら、こんな時でも間違えちゃうなんて、ごめんなさいね、物忘れが多いおばちゃんで。」 いえいえ。 中年のドクケイルだ。このおばちゃんともよく会うけど、ペンドラーよりはしつこくない。生きていた母との付き合いからずっとだから長いといえば長いけど、実際に話をするようになってからだとペンドラーほどじゃない。だけど、よく木の実の差し入れとか、「生き」の先輩として相談に乗ってくれたりと、関係は結構濃いものだ。 まばらに飛び出ている蔓に止まると、話を再開した。 「それで、イトマ、じゃなくてアリアドスちゃんは、あのよそものの話で来たの?」 そうだ。 「はい。情報だけは集めておかないと、思いまして。」 そして本題。 「それで、その僕じゃないアリアドスって見ませんでしたか?」 「見てないわね。」 即答かよ。そう簡単には見つからないようだ。 「私もそのつもりで東の森うろちょろしていたのだけれど、見付かんなかったわね。近所のスピアーの護衛さんにも聞いてみたけど、それらしい影はなかったって。」 羽を持つもの二匹がかりでもいないのか。だとしたら、多分、そこにはまだいないと思う。それから、 「クロバット先生が見つけてら森の住人に注意を促すように、長老に言ったのが最初ですって。」 だ、そうだ。やっぱり強くて羽を持つやつはこういったことには早い。とりあえず、 「どこら辺にいたってのも聞いた、んですか?」 敬いの語尾をつけ忘れそうになったのはさておき、そのクロバットのことも聞けるだけ聞いておかこう。 「確か、南よりの西とか、っては言っていたわね。」 そこって、巣を張っている場所に結構近いような。 それでも、そこそこ良い情報は得た。今のところ、東の方にいる確率は少ない。あと数匹話を聞いたら自身が住む西の方を見回ってみよう。 「ありがとうございました。気をつけてください。」 「私はもう先が長くないんだからいいのよ。それより、ボケちゃんの方が色々危なっかしいんだから。私よりもっと気をつけて。」 お気遣いありがとうございます。 その後ドクケイルは、紫色の粉と風圧を撒き散らし、そこらじゅうの葉っぱを揺らしながら、どこか闇へと消えるように飛んで行っていった。
それから、ペンドラーとドラピオンにも話を聞いたが、そのよそものアリアドスは自分とは違って態度が悪い、ということが分かっただけで、他の話はさっきドクケイルがこぼしたものと変わらなかった。 そのあと、ドクケイルにまた会って、その時にそのアリアドスを探したら、っていうより協力してくれる?と、言われたからなんだけど、自分でも探すことにした。 一度、あの蔦まみれの巨木に止まってから方向を再確認。そうしないと、この森の住人でも時々迷ってしまうことが。僕みたいにたまにしか外に出ないのなら、尚更気をつける必要がある。もし、マユルドだかカラサリスがいるのなら、謝っておこうと思う。 掴んでいた葉っぱが、みしゃりと音を立てた。脚の裏にちょうど来た小枝を蹴飛ばす勢いで、その枝が折れようがわめこうが後ろなんか見ず、ただ次々に来る足場を捕まえることに専念する。移動の時に糸を出すのは普通はしないけど、急いでいる今は特別に使っているだけ。移動ごときで毎回糸を消費していたら、肝心な時、って言っても巣の修理ぐらいにしか使わないんだけど、その時に糸が出せなかったなんて大変だ。生憎、無限に出せない上に、もちろんだと思うけど戻すことも出来ないし、思うより貴重だからそう多くは出せない。糸を支える枝が僅かに音を上げたり、荒っぽく掻き分けた木の葉が大きく動いて擦れたり、さっきより移動の時に出す音が聞こえるようになった。 結局、またカラサリスだかマユルドには会うことはなかったけど、なんとか自分の巣がある所まで戻ってこられた。だからと言って、安心はまだ出来ない。 一度、巣の状態を確認する。巣そのものを支える外側の大黒糸から、歩く為の縦糸、一度くっついた獲物は二度と離さない周り糸、そんな沢山あるうちの糸一本でも、ちょっとよじれるぐらいのちっぽけな変化があるなら、その時点で大変なことだ。普通なら、誰かがいじるなんて、子供の好奇心でも親とか、その前に本能で差し止められる。つまり、とんでもなく正気じゃない相手か、ただの庭としか見ないアリアドス来た印になる。 なぜだか、自分でも分からない期待もあるけど、確認するだけなのに緊張する、というより嫌な予感が物凄くする。 そのよく分からない期待に対して怯えながらあみだくじをたどるように見回ったけど、とりあえず巣の中では異常と見えるものは見つからなかった。でも、まだ安心は出来ない。この場だけがなんともなくても、見ている所からちょっと離れた所で問題が起きているなら、当たり前だけど見過ごしたのと変わらない。 後悔することはもうしたくなかった。 もう一度、巣を飛び出すのは心なしか面倒だけど、もっと面倒になるよりはましだ。そうしてまた糸を支えるこずえに脚を乗せた。 歩きながら上を見る、右を見る、下と後ろを見る、物陰で見えない所も入念に調べる。怪しげなものを探しているのに、逆にこちらの方が動き一つ一つがとても不審な感じだ。そして、 「ねえ、何しているの?」 こうやって怪しまれても文句は言えない。でも、聞かれても何も答えないのはもっと白い目で見られる。視線を向ける前に言ってしまったけど、ここは正直に話して誤解されることだけは。 「あ、ちょっとパトロールです。なんか変なアリアドスがこの近くに・・・、」 「え?私が変ですって?」
誤解されることだけは避けよう、どころじゃなくなった。 お陰で芯の無い腰抜けのウソッキーのような、中途半端な悲鳴を出してしまったじゃないか。なんでこんなにも早くから試練が訪れるんだろう。さっきの、頼りない葉っぱに我先と身を隠した、怯えていた様子には気にとめないまま、その変なアリアドスは話を続ける。 「またかあ・・・。変質ポケモンって他のアリアドスと変わった色合いだから?」 「いやいやいや、周りに変だって話されて、つい・・・」 「何そのいかにも取って食わないで下さいって感じの命乞いみたいな態度。そんなにワタクシのことが怖いですか?」 相当、気が強いんですね。 「そ、そ、そりゃ初対面ですから緊張するなんて当たり前じゃないんですか?ってあなたこそ初対面なんですから敬い言葉を使わなくちゃいけないでしょう。」 「同種の会話にいちいちデスマスくっつけても取り越し苦労するだけじゃない?」 変なのってこれか。さすがに敬い知らずは、自身の視点でも、変わったよそものだとしか見られない。 「変なのって、このだらしの無さってことか・・・」 あ、うっかり口にしてしまった。だけど、 「え、あんた体の色は気にしないの?」 相手のアリアドスも意外だったようだ。 変な、に対する自覚はお互いずれてるようで、相手は言葉遣いに気に留めなかったし、色合いが自分と違うよ、と今言われてもパッとしない。そもそも自分の姿なんて僅かに残る記憶しかないし、その記憶自体も頼れない。 大体こんな意味の自分の返答に、何か困るものでもあるように、相手のアリアドスはどこか心配そうな声で言う。 「まさかだと思うけど、ろくに自分の姿を見たことがないんじゃない?」 冗談のつもりでいたようだったけど、残念ながら本当なんです。 「あ、はい」 「そうなの!?」 またびっくりさせてきた。嘘が本当になったら当然の反応だと思うけど、やっぱり臆病な僕には慣れない。そして、 「ってことは、つまり、親の姿を見たことがないって話になるけど、いいの?」 とことん気遣いがなっていない。気にしないけど、お堅いポケモンが相手だったら、怒られることを通り越して吹き飛ばされそう。 で、親のこと? 「そうじゃない。けど・・・」 「けど?」 この瞬間、失敗してしまったと後悔した。なんで話が続く言葉を言って、相手を食い下がる餌を与えてしまったのか。また驚かされるのも嫌だし、かと言って現実を捏造するのも自分に対して後味が悪い。結局のところ、正義感にならって事実を口に出すことにした。っと思った矢先に、 「やっぱ、なんか聞いたらいかん、ってやつっぽいからもういいよ。」 あれ?ちゃんと気を使えた。意外。 結構な間が開いたからと思うけど、相手に罪悪感を感じれることが出来て良かった。 それから、話題がないからお互いに妙に沈黙してて、そうだ、と思い出した所で、 「あのね」 「それで」 偶然にも相手と同じタイミングで切り出した。相手も何かあるようだから、どんな些細な事よりもどうでもいいような、自身の身の上話はあとでいいか。譲っておこう。 「あ、別にそっちからでいいですよ」 「え、いいの?・・・そう。じゃあさ、」 この間の開け方、相手も僕と同じことを考えていたみたい。というより、なんかいきなり親切になった。 「ここら辺に泊まれるような場所ってある?」 え?自身の住処はないんですか?って聞こうと一瞬思ったけど、冷静に考えたら、他からやって来たよそものなのにって話だから流石にない。でも、泊まれる場所?うーん、 「多分、なかった気がした。」 僕が感情を込めずに言ってしまったのか、ただそうなのか、相手の顔は悲しげな色に染まっていく。いや、本当に自覚は無いんだけど、 「あ、なんかごめん」 条件反射とかって感じで謝った。簡単に言うと考える前に体が勝手に動いたって感じ。 そんなことよりどうしよう。静かにおどおどして冴えない僕に相手は一言掛けた。 「じゃあさ、自分ん家(ち)に泊まっていく?とかにはならないの?小者っぽいあんたが言ってもやましいなんてこれっぽっちも思いませんですが」 それ、二重敬語。皮肉のつもりで言ったんだろうけど、使いこなせていないことが晒されていますよ。 なんて突っ込みは横に置いておいて、 「ちょっと待ってください。」 僕の住処に居候する気?ただでさえ少ない食糧を分け与えるのは一週間でも洒落にならない。 「別に長居はしない。まあせいぜい三日ぐらいあればいいよ。」 森以外のポケモンって月じゃなくて、か、っていう単位にしているっていうのは本当なんだ。 とか感心している場合じゃなくて、なんか不安を先回りして三月、っていう期限を与えてくれたけど、まだ心許ない。 「それでも、あなたは貧乏な見知らぬ相手の家に泊まって平気なんですか?」 自慢するほどじゃないけど、本当に寝る為の道具以外、何もない。しかも狭い。風雨をしのげるかどうかの質なのに、客を入れてもいいのかなんて不安もある。 「とりあえず見てみないとどうしようもないし、案内すれば?」 それは確かに賢明なんだけど、そうすると、誤解される危険性は山盛りなぐらいあって、なんて説明には耳を傾けてくれなかった。 「普通に話せばいいんじゃないの?」 あまりの自由度に、もう僕は心が折れたよ。
今また思うけど、やっぱり嫌な予感がする。普通にそんな悪い風が吹いているのが身に感じられる。 とにかく、変に絡んでくるやつに合わないように祈ることで、頭が一杯だった。帰るだけなのに、たった一つ条件が変わるだけでここまで負担が増えるとは、恐ろしい。たまに後ろを振り返ってみると、いなかったり、と思ったらすぐ上にいたり、気まぐれの度がしんどい。おかげさまで家路に着くのが遅くなり、最悪なことに、 「おい、何してんだ?」 あのペンドラーに鉢合わせ。お願いだからこれ以上物事をややこしくしないで。 「これは、その・・・」 ああもう、なんでこういう時に限って良い感じの言い回しが思い付かないんだ、まったく。自分が言葉に詰まって口ごもっているのをよそに、このアリアドスは、 「宿探し。じゃあ行くよ。」 潔く会話を終わらせる。強気に出ても良いんだけどさ、相手考えようよ。上から見ているから分からないと思うけど、そこそこ大柄なんだよ、ペンドラーって。 もちろん、こんなんのが付きまとわれて気が確かなのか心配するよね。ペンドラーはよそものアリアドスに声を返した。 「なんだ?お前がよそもののアリアド・・・」 「しつこい。どっか行って。」 まだ言い終わってもないじゃん。いくらなんでも早すぎる。 本当に大丈夫?今度は種族も違うんじゃない?この切り返しにはあのペンドラーもさすがに閉口。一歩一歩大袈裟にアクションをして歩いて去った。あれ、相当怒っているよ、怒らせちゃったよ。てか本当にこの後平気?とばっちりは嫌だよ。 こうして、また新たに怯えさせられる要因が増えてしまった。 こうなるんだったら遠出なんてしなければ良かった。
いつまで続くんだろう、この不穏な空気。 あの後、少し会話があって、相手のアリアドスは見識を広げたいから旅をしている道中だということを聞けた。他にも性別は僕と違ってメスのようであることが分かったけど、今更?と、そのままの意味で聞かれた。ちょっと恥ずかしかった。 それ以降、彼女を怖がって出てこないのか、誰にも会わなかった。行動が早めに終わるのはいいことはいいんだけど、誰も出会わないと逆に不気味で、迷惑を掛けているんじゃないかって罪悪感が、珍しい来客なのに気分が乗らない他の原因なのかもしれない。 そんなこんなで本当に何事もなく、自分の寝床の木の洞に着いた。 彼女は自分の家のように、お邪魔しますの一言もなく無遠慮に脚を踏み込んで行ったと思ったら、 「何これ凄い!」 なんの前触れもなく驚くのいい加減止めてくれませんか。 彼女が見ているのは、母の残した織物だった。 入ってすぐの壁に掛けているので、わざとらしく目をそらさないと、嫌でも視界に入ってしまう。そもそもかなりの大きさで、ところどころに混ざっている薄羽が月明かりを映し返してきらびやかに見えるから、普通に目立っているんだけど。 「もしかして、自分で作ったの?これ。」 そう聞いているけど、彼女はネイティオが太陽を見ているように頭を一切動かさず、その織物に目線が釘付けで、網目で迷路を作って楽しんでいるもよう。そんなにこの織物は凄いのか。 僕には分からない。こんな謎しか生まないものになんの魅力があるのか。その時の僕にはまだ分からなかった。 「違う。母が勝手に作っているやつ。」 「え?作っている?いなくなったんじゃないの?」 あ、なんか心の部分が変に出ちゃった。うん、何でもない。簡単にごまかそう。 「そうだけど、本当はまだ完成じゃないんだ。僕でもいまいちよく分からない。」 実を言うと、いまいちじゃなくてまったくなんだけど。別にこれぐらいの嘘は気付かれないと思う。 「へえ・・・、凄いよ。」 そこまで音を伸ばすほど、感動するものなのか。何が凄いのか聞きたいけど、長くなりそうだと本能的に思って、彼女の長い感嘆に付き合うことにした。 でも、さすがに僕も限界がある。もう日が上がっちゃうところまで待たされて平気なのって、ノズパスぐらいなんじゃないのかな。 「あの・・・」 「あ、すっかり忘れてた。ここにするかだったの話なんだっけ。」 忘れるほどに夢中にする要素がこの布地にあるのか、何なんだろう。そう悩んでいる最中お構い無しに、 「ここでいいや。もう探すのもかったるいし、後は自由にしていいよ。」 相談すること無く勝手に決定。自由なのはあなたです。 付き合うのがこんなに疲れるのは、彼女だけなのか、ただ自分が反抗しないで振り回されているだけなのか。 正しいのはどっちなのかは分からなかったまま、気が付いた頃にはすっかり寝ていたようだった。
次に目を覚ますと、彼女はまだそこにいた。 「ねえ、」 「何?」 寝ぼけているのに気にしない。もうこれって、なんというか、気にしたら負けみたいなことなのかな。 「これってさ、何で作ったの?」 知らないよ。 「僕にも分からない。何の為に編んでいたのか、ずっと気にはなっていたけど、なんだろうね。」 こんな答えで満足するはずはなく、とっても難しそうな顔を見せて、 「そうなんだ。」 こんな奴、役に立たない奴の典型的なパターンだな、みたいな口調で返した。だけど、これからまた切り出し来たのは、少し意外だった。 「でもさ、もったいないんじゃない?」 どこが。 「こんな面白そうなものを放っておいて。なんか考えたらどう?」 色んな模様にさまざまな解釈をを妄想して、そこから新たに物語みたいなものを紡いでもいいんじゃないとか、もういっそのこと完成させてしまおうとか、色々言ってきた。 「まあ、そうなんだけど、」 そうなんだけどね、 「僕だって色んなこと考えてきたよ。でも、結局分からないよ。何で作ったのか、母のあの不思議な様子は何を伝えたかったのかなんて、僕だって分からないよ。」 あ、またやっちゃった。 こんな奴が突然、熱くなったら相当驚くよね。だって固まっていることなんて、あんまりなかったのに。ってか軽く引いているし、これはまずい。自分でもなんとなく気持ちが伝わってくる。 「な、なんか悪いこと言った?」 悪いことなら沢山していたけど、 今のところは違う。 「いや、何でもない。」 その一点張りにしておけば、まあなんとかなるだろう。けど、その自分の期待には及ばず、 「何でもないの?別にいいけど。」 意外とあっさりと引き上げた。 その後の沈黙に耐えきれず、僕は仕事場へと外に飛び出した。
彼女にさせられるものも特に無く、無駄に揉め事を起こしていく、悪く言うと荷物にしかならないので、置いていった方がいいんだけど、少し気の毒に思う。 とにかく、巣の成果を見に行こう。 結果は、蛾みたいな羽虫三匹。感じることが出来ないぐらいの僅かな風にあおられてくるくる回っていた。二匹は彼女の分に分けておこう。 みりみりと、動いている脚元の糸が音を立てている途中、 「おーい、ボケすけ。」 ここでまさかのペンドラーと遭遇。どうしよう。昨月の件のつけは嫌だよ。怯え気味に体の向きを改めたけど、 「結局大丈夫だったのか?あんな奴に変な事されてないだろうな」 良かった。僕に対しては怒ってはなく、心配をしてくれているようだった。あのペンドラーが珍しく焦っている表情を見せている。 「あの後も色々たじたじだでしたけど、平気ですよ。」 「やっぱりか。鈍くて良かったわ。なんか尻に敷かれるようなことにならなくて、弱気だから余計危なっかしいからって思って心配したんだぜ。」 確かに、強気だったからね。で、 「鈍いって?」 何ですか。自分の返答に、そんなに深刻なことでもあるか、ペンドラーは少し困ったような顔にしてから、何か悩んでいるのか、少し唸っていた。 「やっぱいいや。どうせ教えたところで、分かってくれなさそうだし。」 またそれか。どうせそうですよ。 そして、いつものようにペンドラーは帰って行った、かに見えたが、 「恋の話なんかこれっぽっち通じないお前で本当に良かった良かった。」 最後の置き土産と言わんばかりに、大声で言いふらすようにしてから去っていった。 皮肉なのか知らないけど、良かったじゃないと思うよ。
二匹の羽虫を携えて寝床に戻ると、彼女がいきなり話掛けてきた。 「ちょっと思い付きなんだけどさ、」 「何?」 長くなりそうだから、とりあえず近くに引っ掛けておこう。 「将来ってどうしていると思う?」 え?本当にいきなりなんだ。 「将来?何をしているか?分かんないよ、そんな・・・」 「そうじゃなくて、どんな雰囲気になっているかって想像してほしいの。これで分かりますでしょうか。」 イラつくとどうしてか、二重敬語を使うのって何で? いいや、気にしないで、想像してみないと。 ・・・なかなか難しい。さっき一瞬ひらめいたのは、今の時とほとんど変わっていない印象が少し頭をよぎっただけ。しかも、先のことなんか考えたこともなかったから、今触れている分野も新鮮な感じがする。 でも、なぜだろう。執拗に母のことを思い起こされる。そして、この織物は特別にどこかで重要な役割を持っているようだと、本能が直接語り掛けるような現象も起きた。 何だ。一体何だ。僕は必死に頭を振って絞り出そうとしたけど、まだ一つ、あと一つ何かが足りない。もうすぐ繋がるといのに何かが足りない。どうして出てこないんだ。答えはすぐそこだというのに。どうしてだよ・・・ 不思議なことに、その答えを知っているのは、彼女だった。 「なんの為に生きていた?まずそこから考えないと、想像するのも難しいと・・・」 彼女の言葉を最後まで聞き取るか取らないかのところで、何故か、勝手に体は動いていた。
次に気が付くと、湖のほとりにいた。 そこに移るのは自分の顔、体、足、そして、目。間違いなく、自分だった。 でも、その姿は母親にも似ていた。今思えば、あんなに立派な姿も、中身が違うだけでこんなに威厳無く見える。 本当に今まではなんだったのか。織物の意味をずっと考えてふけって、振り回されてただけじゃないか。その為にしか生きていないじゃないか。本当にそれだけじゃないか。 じゃあ、あの織物がなかったら。 ・・・やっと意味が分かったよ。お母さん。 その時に初めて、母親が持つ強みが分かった。気がしたとか、中途半端ではなく。 あの頃、生きていくことに目標は無いということは、母親にはばればれだったんだ。そして心配した母は生きる目標として、子供に謎を課すことを決めたんだ。そして、付き離す為にも、死を選んだ。 次に残せるものがそれしか無かったとしても、あれは遠回しすぎるよ。 「はあ・・・やっと追い付いた。いきなり飛び出して。なんなの?」 ごめん、すっかり忘れてた。 そう言いかけた瞬間、後ろから突き飛ばされて、今度は突然鉄砲水が来たと思ったら、既にそこは湖の中だった。
あの日々に気付かされた。 流れに紡がれること、それはごく自然で、とても簡単だったんだと。
そして、今日も僕は編んでいる。あの後、そのよそものアリアドスは去って行ったが、なんとなく生まれ変わったような感覚になって、その勢いで糸車を引くことを始めた。 「またあみあみしている。」 あのスコルピがやって来たようだ。 「こら、邪魔してはいけませんって何回言ったら分かるの。・・・すいませんね、毎回毎回うちの子がお世話になっていまして」 いえ。 次に来たのは母親のドラピオン。あのペンドラーの紹介というか、とにかくそんな感じでここに遊びにくるようになった。そのペンドラーは恋が実らずに、とか自分を羨むことをよく言うようになった。別に何も思っていなかった。それがペンドラーが言う自身の残念さを生むはめになったのが分かったのは、あのドクケイルとの井戸端会議から聞いて分かったことだ。でも、何がもったいないのかは、今でも謎。 それにしても、子供の好奇心は旺盛だ。不思議と、飽きないことにはとことん食らい付き続けるから、時に厄介になると思うけど、まだこれぐらいなら微笑ましい光景だから平気だ。 この織物が持つ意味、次の世代にはどう目に映るのか、ここからどのような物語を紡ぎ出すのか、楽しみだ。 「それにしても、すごくお上手ですね。それにしても、なんでずっとこのようなことをしているのですか?」 「今残せるものを残しているだけです。」 そのドラピオンは半分くらい疑問が残ったまま、はいと頷いた。その子のスコルピも不思議そうに様子を伺っていた。 今はまだ分からなくてもいい。 ただ、この編物を織り続ける。それが今の生き甲斐なんだから。
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