KLOA the Jet Wind (テーマA「10」) ( No.4 ) |
- 日時: 2015/01/24 21:00
- 名前: 朱烏
- クロアは黒いゲッコウガだった。
闇夜に溶け、しかし決して何にも染まらぬ自らの色はクロアの自慢だった。彼が自らの色よりも好きだったのはバトルだった。その情熱のマグマは、ヒードランさえ足を踏み入れることを憚るくらいに熱かった。速さなら誰にも負けない。クロアはそう自負していたし、事実彼のトップスピードについてこれた者はいなかった。だが、先月のことだ。 「クロア、お前はもう自由だ」 トレーナーの下で戦いに明け暮れるポケモンにとって、それは最も苛烈で残酷な言葉である。 『そんな! なぜですか!』 言葉など元より通じない。トレーナーは、クロアを背に手を振るのみだった。傍から見れば薄情な行為のかもしれない。しかしクロアには捨てられた理由に思い当たる節しかなかったものだから、絶望したまま主人だった人を見送るほかなかった。
ミアレシティの14番ゲートと、クノエの林道。その間に、ブランコや滑り台、飛び石などの遊具が並ぶ広い公園がある。彼はその公園のブランコに、独りで膝に頬杖をついて座っていた。公園にはポケモンとそのトレーナーと思しき人間がいたが、落ち込むクロアの目にその姿は入っていない。 クロアは、速さなら誰にも負けなかった。 だが、それ以外は誰にも勝らなかった。 技の威力と防御力は、バトルをしないポケモンと比べてもどうにもならない有様だ。体力は並だが、技を放つタイミングや回避力など、戦いの中で要求される能力は軒並み低かった。有体に言えば、クロアはバトルに向いていない。 彼自身はそれをずっと認めらずにいた。しかし、トレーナーに捨てられるという現実を突きつけられたのはこれでもう三回目だった。 『潮時か……?』 捨てられる度に、新しいトレーナーが「お前のスピード、俺が生かしてやる!」と自信満々に現れるのだ。だから負けるのはトレーナーの腕が悪いのだという、一種の開き直りがあったのは紛れもない事実だった。恐らく、それすらもう期待できない。 この冷えかけた情熱は、どこに向かえばいいのだろう――。 「危ない!」 『ぶぁっ!?』 彼の鼻先に、硬い何かが直撃した。そのままブランコからひっくり返り、地面に頭を打ったクロアは、口を開けたまま呆けていた。 「だ、大丈夫か!?」 クロアのぼやけた視界に、人間の男の顔が映る。彼は自分が技か玩具かの直撃を受けたのだと、しばらく経って理解した。クロアが起き上がってもなお、トレーナーは必死に謝っている。その姿を見て、没入しすぎて危険を察知できなかった自分が悪いと、クロアは思うことにした。 のだが。 『けっ、これくらい避けろよボンクラ』 トレーナーの足元に潜んでいた小さなポケモンが、クロアの顔面に誤射したらしい何かを両手で弄りながら、まったく悪びれる様子もなく言い放った。 『何だと!?』 クロアは立ち上がって激昂した。 「う、ウズマ! また余計なことを……」 ポケモンの言葉を理解しないはずのトレーナーも、ウズマ――ヤンチャムが悪態をついてクロアを怒らせたことを敏感に察知したようだった。 『大してスピードも出てない球を顔面で受けるとか何のギャグだよ。どうせ色違いの自分の体に見惚れていたんだろ』 トレーナーが制そうとしても、ウズマはクロアを嘲る言葉を滑らかに紡いだ。 『貴様! 謝罪もせず、あまつさえ私を愚弄するか! 覚悟はできているんだろうな!』 『お? やるか? 売られた喧嘩は買う主義だぜ、俺は』 『売ったのは貴様だろう!』 ウズマが口に咥えている葉はしきりに上下し、それが余計にクロアの癇に障る。こうなると、両者を止められる者はいない。 「なんでいつもこうなるんだ……」 トレーナーはがっくりと肩を落として、クロアの座っていたブランコに腰を下ろす。もはや自分がこの場において何の役にも立たないことを受け入れているようである。 『位置につけ。貴様の態度は間違いだったと教えてやる。その減らず口から詫びの言葉が出るまでな』 クロアは、ブランコの前にある広場に歩み出した。しかし。 『位置につくのはいいが、俺は別にバトルなんかしねーぜ?』 『何?』 ウズマの言葉に、クロアは呆気にとられる。そして、すぐにその顔は険しくなった。 『喧嘩は買うと言っておきながら逃げるつもりか?』 『逃げる? まさかまさか、滅相もない。俺がやる勝負はこれだけ、って言ってるんだよ』 ウズマの両手には、コマのような形をした、褐色の不思議な物体が乗っていた。いや、コマというよりは円盤の両面に丸みを帯びた突起がついている形状の、UFOさながらの物体という方が正しい。それは先程からウズマが触っていたものであり、そしてクロアの顔面に直撃したものでもあった。 『……意味がわからないな。子供騙しの遊戯などに興味はない。私が望むのはバトルだけだ』 クロアはバトルこそが己の血潮を熱くさせる唯一のものであると信じていた。ゆえに、彼は自分の考えている遊戯というものには露ほどの興味もない。傲慢といえばそれまでかもしれない。しかし、クロアにしてみればコマだか球だかわからないものを持ち出されて、それで勝負しろなどというのは性質の悪いからかいにしか感じられなかった。 『……遊戯?』 だが、馬鹿にされたとより強く感じていたのは、ウズマの方だった。 『遊戯、ねえ。なるほど、お前はそう思うわけだ』 クロアは、わずかに怒気を孕んだウズマの声に振り返る。 『なら俺のレベルに合わせてくれよ。たかが遊戯なんだろ? ちょこっとガキの遊びに付き合ってくれよ』 ウズマは不敵な笑みを浮かべて、UFOを手のひらの上で回転させていた。 『……ふん。いいだろう』 バトルに比べれば球遊びなど容易に決まっている。クロアは当然のようにそう考えていた。バトルができないのは不本意だが、相手を負かせばいいのだ、と。
両者が向かい合う。ブランコに座るトレーナーは、クロアが座っていたときのように頬杖をつき、行く末を見守っていた。 『さて、ルールだが』 ウズマは指先で器用に球を回している。 『5分だ。5分の間に俺から一度でもボールを奪えばお前の勝ち。それができなかったら俺の勝ちだ。簡単だろ?』 クロアは、ウズマの持つ謎の物体がボールと呼ばれるものであることを知る。 『5分? 1分もあれば充分だが……まあいい。実に簡単だ』 本来クロアは対戦相手を挑発する性分ではない。それは礼を失する行為であると、歴代のトレーナーに散々教えられてきたからである。しかし、今のクロアにそれを思い出させるほどの冷静さはない。それに、自分を愚弄してきたやさぐれパンダに礼を尽くす必要があるなどと初めから思っていない。 『もう一つ付け足すことがある。賭けをしよう。俺が負けたら土下座でもなんでもしてやる。その代わり俺が勝ったら、俺の言うことを一つ聞いてもらおうじゃねえか。なんでも、な』 思わぬ申し出に一瞬窮したクロアだが、それで怯むわけにはいかなかった。 『いいだろう。私が勝ったら、お前のその額が潰れるほど土下座させてやる』 公園という平和な場所には似つかわしくない物騒さだった。 『じゃあ、早速やろうか……!』
空は曇っていた。クノエの林道はよく雨が降るが、ここももうじき降り出してきそうな気配だった。ボールをつく鈍い音だけが、あたりを支配している。 『何をしている?』 クロアには、ウズマの行動が不可解に思えた。右手でボールを地面に何度もついている。言い換えれば、何度も自分の手からボールを手放している。隙だらけではないか。 『見ての通り、ドリブルだ。ずっと手に持っているのは反則だからな』 クロアはドリブルという言葉を知らない。何が反則なのかもわからない。ただ、そんなことはどうでもよかった。ウズマが何をしようと、ボールを奪えばそれで終わりなのだから。 ボールの跳ねる音。間の静寂。 ウズマの指先から、ボールが離れた。 その瞬間、クロアの右手はボールを奪いにかかった。 (獲った!) しかし、クロアの手は空を切る。 ウズマが右手でついていたボールは、いつの間にか左手に移動していた。その左手の下で、ボールは相変わらず上下運動している。 (何だ、今のは……?) 間違いなく、クロアにはボールを奪えるという確証があった。実際、クロアの見切りはほぼ完璧だったし、傍で見ていたトレーナーでさえもその素早さに目を見開いたほどだ。 (お、やるじゃん!) ウズマが嬉しそうに口角を吊り上げる。 『いつまで見惚れんだ? もう15秒だぜ?』 『くっ』 クロアは妙な焦りを感じて、ボールを乱暴にさらおうとする。 『おいおい、大雑把だな。もっと集中しないと、俺のボールは奪えないぜ!』 まるで目の前で奇術でも行われているようだった。 クロアはしっかりとボールを目で追えている。だが、奪おうとするとボールは瞬時にウズマの空いていた手に移っている。 『1分あれば充分じゃなかったのか?』 もはやクロアにはウズマの挑発が聞こえていなかった。ただの遊戯と高を括っていたはずが、予想外の翻弄に、ボールを奪うことだけにしか意識が向いていない。 (落ち着け。タイミングは見切っている。ただテクニックに惑わされているだけだ) ウズマの右手を離れるその瞬間を――狙う。 (今だ!) 手を伸ばす。だが、ボールを奪う段になると、ウズマは指先から離れるボールを通常よりも強く加速させる。だから安直に手を伸ばしただけでは、すでにそこにボールはいないのだ。ボールは地面を跳ね、左手に移ろうとする。 (左手に吸い込まれる前に!) クロアの判断は正しかった。ボールがウズマの左手に吸い付く前に叩けば、それで終わりのはずだったのだ。 『あー、残念。惜しいな』 だが跳ねたボールはウズマの股をくぐり抜け、後ろに回されていたウズマの左手に吸い込まれていた。 (読まれた……!?) 『そろそろサービスタイムは終わりだ!』 クロアが動揺する間もなく、ウズマは走り始める。 『ま、待て!』 ドリブルをしながらでも、ウズマはクロアの想像を超えた速さで走った。だが、速さで後れをとるクロアではない。 (このゲッコウガ、ただのボンクラじゃねーな! あの野郎の代わりは充分務まりそうだ!) ウズマの横にぴったりとついたクロアは、ボールを奪おうと払うように左手を振るう。しかしウズマは軽やかにボールと一緒に跳ね、避ける。そして着地し、瞬時に切り返す。 スピードではクロアの方が上だ。だがウズマの小回りの利く小さな身体と俊敏性には、その大味なスピードは相性が悪い。しかも、ウズマの巧みなボールハンドリングはクロアの手に負えなかった。 『おら!』 唐突にボールを投げるウズマ。切り返し、追いかけていたクロアの後ろに回る。 『何を……!』 ボールは滑り台の側板に当たり、正確にウズマの右手に跳ね返った。自由自在にボールを操るウズマに、クロアはついていくことができない。 それから何度もクロアは仕掛けたが、ウズマはすべてかわした。何をどうしても、ボールを奪えそうにない。 5分などあっという間だった。 『もう5分だ。俺の勝ちだな』 息を切らして座り込むクロアに、余裕の表情で迫るウズマ。 『まあ、この白黒の魔術師(モノトーン・ジャグラー)ウズマ様と渡り合ったんだからそう落ち込むな。約束はちゃんと守ってもらうけどな』 『……ちっ』 こんな小さな子供に、一体何を命令されるのか。ただただ悔しくて仕方がない。 だがウズマの命令は、クロアの考える屈辱的なものとは正反対だった。 『俺の……いや、俺たちのポケモンバッカーチーム、ハクダンウォリアーズに入ってくれ!』 耳慣れない言葉に、クロアは目を丸くした。
――ポケモンバッカー。 ポケスロン競技の一つであり、バスケットボールとサッカーが融合したようなスポーツだ。3対3でボールを奪い合い、宙に浮いた正四面体型のゴールにシュートして得点を取る。そのルールのシンプルさとは裏腹に、競技場は窪んだフィールドと、地に突き刺さっている弧を描くような巨大スロープで構成されており、地上戦とスロープ上での空中戦が三次元的に展開される。 記念すべき第1回大会は、2010年にシンオウ地方のクラウンシティで開催された。 その前日に、とある大企業の社長がクラウンシティ全体を欺いて悪事を働き、某少年とゾロアークに阻止されるという一波瀾があったものの、大会はつつがなく催され、エレキッドとその進化形で構成されたチームコトブキレッズの優勝で幕を閉じた。 以後ワールドカップは3年ごとに開催されることが決まり、次回――すなわち来年の第3回大会もすでにカロス地方での開催が決定している。 『夢はでっかくワールドカップ優勝! ってなわけで、よろしく頼むぜ!』 昨日の賭けに負け、クロアは早速公園での練習に駆り出された。ウズマは右手にボールが大量に入ったかご、そして左手には四つの頂点同士がパイプで繋がっている正四面体型ゴールを持っている。 『ふん……それはともかく、彼は一体誰なのだ?』 トレーナー――名前はエリクという――は仕事で忙しく来れないらしいが、その代わりにやたらと存在感を放つギルガルドがいる。黒と赤の刀身、黄金に縁取られた盾、眼光鋭い一つ目。クロアと同じ、紛れもなく色違いのギルガルドだ。 『ふふっ、紹介しよう、我がハクダンウォリアーズの守備の要、キング=ギルガルド! またの名を……邪神の剣(イビル・ソード)!』 漫画ならバァン、という効果音が格好良く彩っていたことだろう。だが、クロアの目に映っていたのは、どう少なく見積もっても百年は生きていそうな老体のギルガルドだった。よく見れば刀身も錆びついている。邪神は彼を長く封印しすぎてしまったらしい。 『これ、年寄りをからかうでない……。君がクロア殿だね? エリクから話は聞いておったよ。儂はキングじゃ。君のような溌剌とした若人とバッカーをプレーできるのは光栄の極みに尽きる。これでまた一つ冥土の土産話ができそうじゃな』 『は、はあ……』 からかうな、と言っておきながら自分で棺桶冗句を飛ばすキングに、クロアは苦笑いをすることしかできなかった。 『儂は攻撃には参加せず、自軍のゴールを守っているだけじゃ。攻撃はふたりで頑張ってくれ』 『また攻撃に参加しないのかよ、つまんねーの』 『そんな体力があったらとっくにしてるわい』 漫談を見ているようだ、とクロアはぼんやりと考える。老体に子供に新参者、これでワールドカップなど夢物語だろう――。 だが、ウズマの目は至って本気だった。
『さて、諸君』 ウズマが似合わない改まった口調で、クロアとキングに向き直る。 『先週、我がチームはブロック予選を通過し、一か月後の本選への切符を手に入れた』 ウズマがわざとらしく咳払いをする。 『ブロック予選後に辞めてしまった阿呆のせいで本選の出場が危ぶまれたが、新たな仲間が加わり事なきを得た』 いきなりバッカーチームに入れと言われたのには大層な理由があったのだとクロアは知る。 『ワールドカップへ進むにはベスト4が絶対条件だ! そのためには練習にはより一層力を入れていくつもりだ。だが、現在エリク監督は対戦相手の解析に加え、本業の仕事も忙しい。そこで、我々はエリク抜きで練習しなければならない』 ウズマが、正四面体についていたスイッチを押す。すると、正四面体はウズマの手を離れ、地面から3メートルほどの高さでゆっくりと回転しながら浮遊するようになった。電磁浮遊という原理で浮いているらしい。 『昨日見せてもらった映像にあったゴールだな』 『そうだ。だだっ広いフィールドの端っこに、こんな小さなゴールが浮かんでいるんだ。チームは原則三匹だが、キングは自軍のゴール付近にしかいないから、実質俺とお前だけでこのゴールを狙うことになる』 たったふたりでゴールを狙う。クロアが昨日エリクに見せられた映像には、三匹のポケモンが華麗なチームワークでゴールに迫っている場面があったが、それよりも遥かに難易度が高いように思われた。 『まずはやってみようか。俺が手本を見せる。キング!』 『はいよ』 キング、そしてウズマが、それぞれゴールから離れた位置に立った。キングは手にボールを持っている。 『ほれ!』 キングがボールを放つ。ボールは緩やかな軌道でウズマに向かっていき――。 『おらっ!』 強く殴られたボールはそのままゴールに吸い込まれた。その間、わずか二秒。 『上々だな。まあこんな感じだ。ボールを弾いたり、殴ったり、蹴ったりして、ゴールに入れる。でも投げたり掴んだりするのは反則だ。簡単だろ?』 クロアにはまったく簡単だとは思えなかった。自分が放つ技を標的に当てるのは難しくないが、この場合は勝手が違う。 『ほれ』 キングが先程と同じように、ボールをクロアに飛ばす。ふわりと飛んでくるボール。クロアは身構える。 『よ、よし……えい!』 手のひらでボールを弾く。しかし――。 『あれ?』 クロアはボールを地面に叩きつけてしまい、ボールは高くその場でバウンドしている。 『お前……ふざけてるのか? 遊びじゃねえんだ真面目にやれ』 『わ、私はっ』 言い返そうとするクロアだったが、青筋を立てているウズマに気圧されて、言い訳もままならなかった。 『キング、もう一度』 『ほい』 苛々しているパンダに従順な老剣は、機械のようなテンポでボールをクロアに投げ込む。クロアはどんどん手で弾くが、すべてがはちゃめちゃな方向に飛んでいった。 『クロア殿、せめて一球くらいは入れてくれんと……』 キングはいつまでも終わらないボールの補給作業に疲弊していた。老躯には拷問である。 『す、すまない……真面目にやっているつもりなのだが、どうも上手くいかない』 『真面目じゃなくて馬鹿正直なだけだ、お前は』 目上のキングには素直なクロアも、毎度毎度馬鹿呼ばわりしてくるウズマには頭に血が上る。 『昨日からボンクラだの馬鹿だの、貴様は何様のつもりなんだ! 右も左もわからぬ素人を虐めて楽しいか!?』 『でもな、お前、俺が見てきた中で一番シュートの下手くそな初心者だぜ』 『こ、これ、ウズマ……』 キングがウズマを諌めようと割って入るが、すでに遅かった。 一番シュートの下手くそな初心者。ウズマの言いようも悪いが、クロアには堪える言葉だった。 『私には……バトルのセンスだけでなく……』 バッカーのセンスもないというのか。おぼろげに、かつてのトレーナーの言葉が蘇る。
「お前、スピードは天下一品だけど、それ以外がまるで駄目だ。センスがない。俺には手に負え――」
『お前のバトルセンスなんか知らねえよ』 クロアの心に渦巻くリフレインを、ウズマが遮る。 『ゴールに水手裏剣撃ってみろ』 『水手裏剣?』 ボールではなく、水手裏剣。そんなものを撃ってどうしようというのか。クロアに意図は掴めない。だが、生意気なウズマの真剣な表情に、クロアは素早く水手裏剣を撃つ構えをとった。 『ふんっ』 腿の成水器官に手を滑らせ、水手裏剣を発射した。その様は、まさに忍者が手裏剣を投げるが如く。センスがないと言えど、流石に洗練されている。水手裏剣は小気味良い音を立てて、ゴールフレームに弾けた。 『なんだ、当たるじゃねえか』 『……技だから当然だろう。ボールとは違う』 ウズマはがっくりと肩を落としてため息をついた。クロアの返答が余程意にそぐわなかったらしい。 『お前本当に何もわかってねえな。根本は何も変わらねえ。いいか、よく聞け。お前の今までのシュートは全部フォアハンドだ』 『フォ、フォア……?』 『フォアハンド、利き手と同じ側からシュートを打つってことだ』 ウズマが説明を加えながら、右手で空を払う。 『だがお前が扱う技……特に水手裏剣なんかはバックハンド、つまり利き手と逆の側から技を放つ。その方がお前にとっては自然なんだ』 今度は、ウズマが手裏剣を撃つ真似をしてみせた。クロアはようやくウズマの言いたいことを理解した。 『お前、利き手は右か?』 『……右だが、水手裏剣は左右どちらでも使える』 『ならどこからパスが来ても大丈夫だな。キング、頼む』 クロアの心臓は高鳴っていた。質の悪い緊張だ。これで失敗しようものなら、それこそウズマに何を言われても言い返せない。 『ほれ』 キングの放ったパスが、幾度となく通った軌道をなぞり、クロアの手元にやってくる。 (水手裏剣のように……!) ただ、技を放つイメージを重ね合わせて。 『いけっ』 鋭いバックハンド。クロアの手のひらが、かつてない感触とともにボールを打ち出す。 (入る……!) 瞬間的に確信した。何千回も撃った水手裏剣よりも、ボールの方がずっと手に馴染んでいたもののような気さえした。 正四面体の中に、ボールが絡め取られる。 『や、やった! 入ったぞ!』 クロアは嬉しさに飛び上がった。たかが練習でのシュート一本なのに、まるでバトルに勝利したかのようだ。子供の遊戯と馬鹿にしていたスポーツに、クロアの情熱が移っていたのは疑いようもなかった。 『ようやく決まったな』 『シュート速度も申し分ない。実戦でもすぐ使えるようになるじゃろ』 『さて』 ウズマがクロアに歩み寄る。 『いいかクロア。センスがどうとか言っていたが、そのスピード、そして俺のドリブルを見切る奴にセンスがねえなんて言わせねえ。そんな奴に俺の相棒が務まるかよ』 『相棒……?』 白黒の小さな体から発せられた思いもよらぬ言葉。 『言ったろ。攻撃は俺とお前しかしねえんだ。でもひとりだけじゃ点は入れられねえ。ふたりで協力して、初めて点が入るんだ』 それがスポーツだからな、とウズマが続けた。 クロアは、生まれてからずっとバトル――しかも一対一のシングルバトル――しか知らなかった。協力なんて言葉に聞くのも久々だ。 『……ふふっ』 『何かおかしいか?』 『いや、ウズマから協力なんて言葉がでるのが面白くてしょうがないのだ』 『何だとこの野郎!』 ウズマがクロアに飛びかかる。すぐに熱くなるクロアをいなしていたウズマの姿はそこにはいない。どちらもまだまだ子供である。 (相棒……か) ウズマに頬を引っ張られながら、心地よい響きだ、とクロアは思った。
「残り一週間でどこまで仕上げられるか……」 クロアの加入から三週間が経った。ウズマやキングから教えを請うているクロアの成長は目覚ましい。だが、ついこの前までバッカーのバの字も知らなかったクロアに、前任者と同じだけの働きを期待するのは酷というものだ。 「ボルトはどうしているかな」 ブロック予選後、急に辞めると言い出したポケモンに思いを馳せる。電光石火(ライトニング)という二つ名に恥じない、素晴らしい点取り屋だった。 エリクはミアレシティに新設されたバッカー練習場に足を運んだ。本来ならばウズマたちにはあんな寂れた公園ではなく、設備の整ったこの場所で練習させたかった。しかし、いざ借りようとすればぼったくりも甚だしい金をとられるし、そもそも本選が近いこの季節では、場所は予約ですべて埋まっている。貧乏なトレーナーがするべきことは限られていた。 「少しでもデータをとらないとな」 すり鉢状の、青空が気持ちのよいスタジアム。その二階席にエリクは腰掛けた。思ったよりも多くのポケモンがフィールドにいる。 (メイスイリバーズにエイセツアイシクルズ、あっちは……) エリクは一目見ただけで、すぐにどのポケモンがどのバッカーチームに所属しているのかがわかった。本選に出場するチームのビデオは、穴が開くほど何度も繰り返し見ている。だがら造作もないことだった。だが、ビデオではわからないことももちろんある。エリクは仕事の合間を縫って、生の情報を得るために足繁く練習場に通っていた。 (あのメタング、ビデオで見たときよりもパス精度、シュート精度ともに良くなってるな。リバーズのエレザードは個人プレーに走らなくなったみたいだ) 気づいたことはどんどんメモをとっていく。次々にメモをめくり、5ページ目に突入したときだった。 (あれは……!?) 思わずエリクは立ち上がり、入場口を凝視した。新たにフィールドに入ったトレーナーとポケモンたち。うち一匹は、確かにエリクの見知った顔であった。
本選を明日に控え、日が暮れかけてもなおウズマたちは修練に励んでいた。 『ちょっと水飲んでくる』 ウズマは休憩がてらの補給にその場を離れた。クロアはその様子を横目で見ながら、訓練で乱れた息を整える。 『相変わらずウズマはパスもドリブルも滅茶苦茶ですね』 『そういうクロア殿もちゃんとウズマに合わせられるようになってきたではないか』 『ま、まあ……』 クロアは頭を掻く。 『ときにキングさん。予選会のあとに抜けてしまったポケモンとは、一体どんなポケモンなのでしょう』 予期せぬ質問だと言わんばかりに、キングは刀身をのけ反らせた。 『気になるのか?』 『いえ……ただ、本選の出場が決定してから辞めるなんて、余程のっぴきならない事情があったのかと思いまして』 『……これを言っていいのか儂にはわからぬが』 老体が一つ目を閉じる。生きているのか死んでいるのか区別がつかないと、不謹慎にもクロアは思う。 『早い話、ウズマと喧嘩したのじゃ。もともとそりがあっていなかったんじゃな。どちらも我が強くて、フィールドでぶつかることもままあった』 『……なるほど』 さもありなん。クロアもすでに何度もウズマと喧嘩している。だが、それがウズマなりのコミュニケーションなのだからしょうがないと諦めると、途端にその回数は減った。ずっと年下のウズマを、大人のクロアが許したというのもある。 しかしそれ以上に、クロアはバッカープレイヤーとしてのウズマを尊敬していた。どれだけ喧嘩しようと、バッカーだけはウズマの方が絶対に正しいのだ。 『素早い動きで敵を翻弄することが得意なスコアラーじゃった。電光石火ボルト……サンダースの彼にはこれ以上ない名だった』 『白黒ナントカよりはずっと洒落た名だと思います』 サンダースは速さに優れた種族だ。スタイルは自分と似ているのかもしれない、とクロアは思う。 『そのサンダースには負けていられませんね……!』 『ほっほっ、その意気じゃクロア殿』 『補給完了! 準備はいいか野郎ども!』 やかましいパンダが、口を拭いながら帰ってきた。 『後は空中戦の仕上げだ! 百連続成功するまで帰れないぜ!』 『ふん、望むところだ』 夕暮れの公園に、三匹のシルエットとボールが行き交った。
そして、試合当日――。 「先程まで行われておりました第一試合、メイスイリバーズとヒヨクグリーンウッズの試合は、17対12でリバーズの勝利で終わりました。続いての第二試合、ミアレエレクトロンズとハクダンウォリアーズは15分後に開始予定です――」 エリクはフィールドの端に浮く監督席で端末のラジオ中継を聴きながら、眼下でパス回しをしているウズマたちを眺めた。 『しかし、なんともやりにくいのう。かつてのチームメイトと対戦とは。しかも優勝候補のエレクトロンズじゃ』 『ていうか……辞めたんじゃなかったのかよアイツは! クソ野郎にも程があるぜ!』 ウズマとキングの会話を、クロアは黙って聞いていた。キングの言っていたサンダースは、フィールドの反対側でチームメイトとパス回しをしている。ブロック予選が終わってから別のチームに移るなんて引き抜き工作か何かとしか思えないが、バッカーの選手移籍の事情やルールを知らない以上、口を挟む余地はない。クロアにできるのは、目の前の試合に集中することだけだった。 クロアはパスを繰り出しながら、フィールドを見渡す。すり鉢状のスタジアムには、満員の観客がひしめいていた。フィールドの形は、二次元的に見れば陸上トラックのような長円形をしている。フィールドは緩やかに窪んでいて異質だが、それ以上に奇特なのは、中央付近から迂回するようにゴールのそばまで延びているスロープの存在だ。まるで、半分に切ったドーナツがフィールドに斜めに突き刺さっているようだ。もちろん、反対側のフィールドにもある。一番高いところは地上十メートルほどで、観客席も近い。 『しまった』 キングのパスが、クロアの遥か頭上を通過する。 『私が取ってきます』 『すまぬ……』 敵陣に飛んでいってしまったボールを追いかける。だが、キングのパスが強かったのか、思いのほか深いところまで行ってしまう。クロアが追いつく前に、相手チームのポケモンがボールを止めてくれた。 『あ、ありが……』 クロアは礼を言いかけて、息をのむ。ボールを持って待っていたのは、ボルトだった。 『ふうん……ちんちくりんに老いぼれ、そして新しく入ってきたのは素人。どうやら僕が出るまでもないみたいだ』 ボールを渡しながら、ボルトはクロアの逆鱗にいとも容易く触れる。 『……私はともかく、元チームメイトを馬鹿にするとはどういうことだ』 『ウォリアーズにいたせいで僕の才能は危うく腐るところだった。その元凶を謗ることの何が悪いのか』 『何を言う!』 『まあ、せいぜい頑張ってよ』 ウズマはこんな奴とタッグを組んでいたのか。激憤に駆られながら、クロアはボールを持ち帰る。言い返したいのは山々だったが、一々相手の挑発に乗ってはいけない。それに――今の自分はバッカープレイヤーなのだから、己を語るならバッカーフィールド上のプレーでのみだ。 『遅かったな、クロア。ボルトと何話してたんだ?』 『……勝つぞ、この試合』 クロアの強い眼差しに、ウズマとキングが顔を見合わせる。そして、不敵に笑った。 『あったりめえだ、馬鹿野郎』 『儂も若人には負けられんぞい』 戦士たちが、手を重ね合わせる。 『行くぞっ!』 『おう!』
試合開始のホイッスルが鳴った。 「さあ始まりました本日の第二試合、ミアレエレクトロンズ対ハクダンウォリアーズ! 試合開始から5秒も経たないうちに、ヤンチャムとワンリキーのマッチアップだあ!」 ワンリキーと対面しているウズマは右手でドリブルをしつつ、視線を速やかにクロアに移す。 (距離は18メートル。クロアについてるマークはリザード一匹。フローゼルはフリーだ) 『おらっ』 ワンリキーの左手がウズマのボールをさらおうとする。しかし、当然のように――空を切った。 ボールはウズマの左手に移っている。同時にウズマの体は、ワンリキーの横をすり抜けていた。 『走れクロア!』 クロアがゴール方向へ音も立てずにダッシュした。 『なっ!?』 その瞬発力に、マークをしていたリザードは追いつけない。 『跳べ!』 ウズマの叫びに、クロアは跳んだ。同時に、ウズマもボールを高く打ち出す。 『何!?』 驚きに声を発したのはワンリキーだったが、それはエレクトロンズ全員の総意――いや、観客も含めた総意だった。超速のエネルギーを変換した跳躍は、スロープの最高点よりも遥かに高い。 クロアの遥か後方から放たれたパスは、クロアが最高到達点に達したタイミングでやってきた。 (水手裏剣の要領で!) クロアは緊張していた。実際、跳ぶタイミングも、ウズマと打ち合わせたときとはズレていた。それでも、何度も練習してきた。ウズマも、ズレたタイミングを察してパスを合わせてきた。ミスをするなんて考えられない。赤く長いが風になびく。 『行けえ!』 体の左側から、右手で弾いてシュートする。動く正四面体のゴールに向かって、それは真っ直ぐに突き刺さった。 「ゴオーーールッ!」 歓声が上がる。電光掲示板のウォリアーズの得点欄に、大きく『1』が表示された。 「何ということだ! 開始から12秒の驚異的速攻! ヤンチャムが放った空中へのロングパスを、跳躍したゲッコウガが弾いてシュートしたあ!」 監督席にいるエリクは拳をぐっと握りしめる。相手は優勝候補。こちらがペースを掴めずに、流れを持っていかれるのは何よりも避けたい展開だと考えるエリクは、ウズマたちに空中を使った速攻を指示していた。 『いいぞクロア。初っ端から最高のシュートだ』 『ウズマのパスが完璧だったからな』 『ったりめーだ!』 クロアの柔らかい拳と、ウズマの小さな拳がぶつかる。息は、今のところ合っている。対して、エレクトロンズは少しペースが乱れていた。 『ちっ、派手な攻撃しやがる』 『あのパンダ、相当なテクだな……』 ワンリキーとリザードは、微妙に弱気な態度を見せていた。 『リキ、フレイム、落ち着いて。相手の攻撃に惑わされちゃ駄目よ。私たちが今までどうやって勝ってきたか思い出して』 フローゼルが二匹を諌めながら、ゆっくりとドリブルで前進する。 『大丈夫、ちょっと面食らっただけだ。サンキュー、ヒオ』 エレクトロンズが態勢を整えている間に、ウズマとクロアは自軍のフィールドについた。 『ここ、抑えるぞ』 『ああ』 せっかく先制できたのだ。すぐに得点を返されるようでは、先制した意味が薄くなってしまう。 『キング、頼んだぜ!』 『任せなさい』 キングは、自軍ゴール付近で浮遊している。ゴールにギリギリまで接近していないのは、ルール上ゴールから半径五メートル以内には入れないからだ。エレクトロンズの三匹が、ゆっくりとパスを回しながら近づいてきた。 そして。 『行くぞ!』 パス回しが突然速度を増した。 「クロア、リザードをマークだ!」 エリクの声が木霊した。リザードはスロープを駆け上がり始めている。指示通り、クロアもリザードを追ってスロープを上った。 『フレイム!』 フローゼルのパスが、スロープの上にいるフレイムと呼ばれたリザードに向かう。クロアはそれをカットしようとしたが、手がわずかに届かない。 『おらあっ!』 リザードはそのまま右足でシュートしたボールは、ゴールに突き刺さらんとする。だが、そこはキングの領域だった。 『ぐっ』 刀身で威力のあるシュートを防いだキングは、ボールを下方に弾き落した。しかし、受け取ったのは味方ではなく敵のフローゼルだ。 『リキ!』 『合点!』 フローゼルのパスは、ゴールの下を通過し、一瞬でフィールドの最端にいたワンリキーへと渡る。すなわち、それはゴールの裏側だ。 「まずい! キング!」 エリクがキングに指示をしようとしたときには、すでにワンリキーの左足から繰り出されたシュートがゴールに入っていた。 「ゴール! ゴール! エレクトロンズ、攻防が繰り広げられていたフィールド中央ではなく、端からゴールの裏を突きました!」 興奮気味の実況の声を聞きながら、エリクは思考する。 (……流石優勝候補の一角。あれだけ広くフィールドを使われると、動けるのが二匹しかいないうちにとってはかなり不利だ。何か策を練らないと) とにかく、まだ試合は始まったばかりだ。焦る必要はない。キングだって一度はシュートを防いだ。機能していないわけではない。 『すまんのう、間に合わなかったわい』 『いいってキング。それよりクロア、もっと積極的に動いていいぞ。少しくらいファールもらったって構わねえ。常にトップスピードで動くつもりじゃねえと到底勝てねえぞ』 『わかった』 クロアは頭ではわかっているが、攻撃と違い相手の動きに合わせなければいけない守備では、思うように自慢をスピードを出せない。 『強気で攻めるぞ!』 『ああ!』 前進するウズマに、クロアが追従する。 「ふたりの攻撃でどこまで保つか……」 エリクは宙に浮く監督席から、祈るような気持ちでクロアたちを見つめた。
それから、両チームが激しい火花を散らした。 『1on1で俺に敵うはずねえだろ!』 とウズマが巧みな高速ドリブルで相手を抜けば、 『とにかくフィールドは広く使って、攪乱させるのよ!』 とエレクトロンズは華麗なパス回しでゴールに近づく。 クロアもチャンスが来るたびにシュートを放つが、激しく動きながらのシュートは難しいのか、命中精度は五分といったところだった。キングも老体を鞭打って相手のシュートを阻むが、やはりすべては防ぎ切れない。 均衡を保ったまま試合開始から20分が経過し、汽笛のようなホイッスルが鳴った。 「ここで前半戦終了です!」 エリクは端末の電源を切り、フィールドに降り立った。電光掲示板には、両方のチームの得点に『6』が表示されている。 「みんな、お疲れ! ここまでいい戦いができてるぞ!」 エリクがウズマたちを労う。疲労は――かなり蓄積している。フィールドを広く使ってくる相手に、攻撃手二匹、キーパー一匹の陣形は厳しいものがあった。だが、キーパー以外の練習をほとんどしていないキングを前線に駆り出すのはリスクが大きすぎる。 「ウズマ、ボールはもっと長く持っても大丈夫だ。たとえふたりがかりでマークされても、君の手から奪われることはないよ。クロアはスロープを使って移動範囲を広げて、相手からブロックを受けないように。キングはよく守ってるよ、後半戦も頼む。それと、全体的に攻撃ペースは緩めよう。こっちの前線は二匹しかいない以上、向こうよりも早く消耗する。焦らず、じっくり攻めよう!」 それぞれが監督であるエリクの指示に頷く。 『クロア、バテてるんじゃねーの?』 『ふん、それはこっちの台詞だ』 軽口を叩き合ってるようなウズマとクロアを見て、エリクは安心した。少し反応の鈍いキングは心配だが、控えがいない以上頑張ってもらうしかない。後半戦開始まで残り一分のホイッスルが鳴る。 『よし、行くぜ!』 見守る監督に背を向け、三匹のプレイヤーがフィールドに飛び出していく。 後半戦開始のホイッスルが鳴った。
「さあ、後半戦は中盤! 8対7でエレクトロンズが一点リード! ワンリキーとリザードの二匹がぴったりとヤンチャムをマークだ!」 後半戦に入って、スタジアムはさらなる熱気に包まれていた。 (くそっ、うざってーな!) ウズマにかけられている圧力は前半とはまるで違うものだった。 『クロア!』 ウズマがパスを出そうとする。が、 『甘いな!』 リザードの出した腕に阻まれた。 「パスカットされた! ウォリアーズ、慌てて守備に戻る!」 ウズマがドリブルしている間は決してボールを取られることはないが、パスを出すとコースを読まれて奪われる。ここにきて、優勝候補が本来の姿を現してきた。フローゼルがドリブルでフィールドを縦に突っ切ろうとする。 『させるかあ!』 「ゲッコウガ、速い! 一瞬でフローゼルの前に立ちはだかった!」 クロアも負けじとフローゼルをプレスする。しかし。 『フレイム!』 フローゼルはかわすと見せかけ、ノールックで斜め前を走るリザードにパスを繰り出す。 『おらぁ!』 リザードは胸でボールをトラップし、強い踏み込みとともにボールを途轍もない力で蹴りつけた。 ごうと唸りを上げたボールは、キングの守りを突き抜け――。 ゴールのフレームに弾かれた。 「ああっと惜しい! 誰もがエレクトロンズの9点目を確信しましたがゴールポストに嫌われたあ!」 (危ねー! 助かったぜ!) 弾かれたボールを掴んだのはウズマだったが、相変わらずリザードとワンリキーのプレスが激しい。 『ウズマ、とにかくフィールドの中まで持っていくのだ!』 『わかってらあ!』 パスもシュートも出さずにいれば、なんとかかわしながら進むことだけはできる。だがそれでは点は入らない。 (考えろ……クロアにどうすればパスを出せる? 地上は駄目だ。序盤みたいに斜め上に打ち上げても読まれて……いや、違え!) ウズマが閃く。 (クロア!) (了解!) 一瞬だけ投げかけられたウズマからのアイコンタクトを、クロアは瞬時に把握する。 『パスを出そうたってそうはいかねえ!』 ワンリキーとリザードが両手を広げてあらゆるパスコースを遮る。しかし、彼らはウズマが徐々にスロープの下方に移動してることに気づいていなかった。 『白黒の魔術師の名は伊達じゃねえんだぜ!』 ウズマは目が回るような高速ドリブルを展開し――ボールを一瞬で消した。 『何!?』 ボールが消滅することは有り得ない。ただ、ウズマがわかりやすいパスを出さなかったせいで、ボールの動きを追えなかったのだ。 『う、上だ!』 エレクトロンズが気づいたときにはもう遅かった。ウズマが思い切りフィールドに叩きつけたボールは、真上に高く跳ね――いつの間にかスロープの上で待ち受けているクロアの手元に届く。 『行けっ!』 クロアが久しぶりに放つシュートは、綺麗な軌道でゴールに絡め取られた。 「ゴール! ウォリアーズ8点目! これで同点です!」 すり鉢状のスタジアムに、歓声と悲鳴が入り混じる。 『流石俺だな! ナイスパスだ!』 『そうだな、ここ最近で一番滅茶苦茶なパスだった』 『褒め言葉どーも……って言いたいところだが』 ウズマが真剣な表情になる。 『そういう場合じゃねーかもな』 同点で、試合終了まで残りわずか。ドラマなら、ここで役者が揃う。 『いよいよ、だな!』 『ああ、真打登場だ』 クロアとウズマの見据える先には――四足の電光石火がいた。
「さあ、後半戦も終盤! 選手交代で戦況は変わるか!?」 ワンリキーが抜けたが、ウズマのマークはリザード、フローゼルと二匹のまま変わらない。ただ、突飛なパスを繰り出すウズマに、安直なプレスはかけにくそうにしている。しかし、ウズマがそれ以上に気になっていたのはボルトの動向だ。クロアをマークするでもなく、ウォリアーズのゴール下で待機してる。 (あいつがキーパーなんてありえねえ……何考えてやがる) ウズマには嫌な予感があった。だが、あんな離れた位置から何かを仕掛けることなど不可能だ。 (うだうだ考えても仕方がねえ! 隙あり!) ウズマは二匹のブロックの隙間から、クロアに向かってパスを出した。コースも速度も、クロアの受け取りやすい形だ。だが。 『ナイスパ……なっ!?』 刹那、クロアの視界からボールが消失する。 否。 「サンダースがスティールしたあ!」 速い。目にも止まらぬ速さというものを体現したかのような、誰をも置き去りにするスピード。 「止めろクロア!」 しかし、クロアもエリクの指示の前に動き出している。 「シュートだあ!」 ボルトが頭突きでシュートした。だが、ギリギリで追いついたクロアの手にボールが触れ、間一髪ゴールから逸れる。 キングは一瞬の出来事にまったく反応できていなかった。 「なんという……なんというスピードだ! エレクトロンズの秘密兵器、ここに躍動するぅ!」 歓声が一段と大きさを増す。皆、ボルトのスピードに圧倒されたのだ。 『僕を止めるなんて……ただの素人じゃないようだね』 蒼い双眸がクロアを見上げる。背を見せ自軍のフィールドに戻るその余裕には、風格さえ漂っていた。 『なんだあれ……うちにいたときはあんなに速くなかったぞ』 ウズマが柄にもなく驚いている。クロアは、試合前にボルトに言われたことを思い出した。 (……腐るはずだった才能が花開いたということか) 確かに、ボルトの言ったことは本当だったのかもしれない。だが、易々とそれを受け入れるほどクロアの心は広くない。 『ウズマ、パスをもっとくれ』 『……ああ』 スピードなら、誰にも負けない。
「さあ、残り1分15秒! ウォリアーズはどう反撃する!」 試合終了間際になっても、エレクトロンズのスタイルは変わっていない。ウズマへのプレスと、フリーのボルト。 (あれだけパスカットされてもパスをくれってことは、何か考えがあるんだよなクロア。……任せるぜ!) ウズマが再び魔術を披露する。 『調子上がってきたぜ!』 上下左右に現れては消えるボールを前に狼狽するリザードとフローゼルを尻目に、パスを打ち出す。クロアが受け取る素振りを見せた。 『そんなもの、僕の脚の範囲内だ』 ゴール下から、およそ非常識と思われるほどの初速で飛び出すボルト。 『ふんっ!』 同時にクロアも――ボールに向かって走り出した。 『何だと!?』 ウズマとクロアの距離は20メートルほどだったが、クロアはそれを半分に詰めた。 (パスカットのコースは私の手前……ならそれより遥か前で受け取ればいい!) ボールを手にしたクロアは、そのまま慣れないドリブルで突き進む。 『そんなものが通用するか!』 ボルトは速かった。すぐにクロアの侵入を阻むコースに立ち塞がる。 (回り込まれるのは百も承知!) クロアは、ドリブルでボルトを抜けるとは思っていない。庭は――地上じゃない。 『やあっ!』 地面に思い切り叩きつけたボールが跳ね、空を舞う。 (ウズマのパスを真似した……いや、違う!?) クロアが前方に跳躍し、天空に浮くボールに向かう。 『うおおお!』 クロアの跳躍とボールの描く放物線が重なったとき、バックハンドからボールは放たれた。 正四面体に吸い込まれたボールが、ふわりとフィールドに落ちてきた。 「ゴール! ゴール! これで8対9! ウォリアーズ、序盤以来初めてのリードを奪った!」 『やったぜ!』 ウズマが降りてきたクロアとハイタッチする。しかし。 『……粋がるな素人が!!』 最高潮に達するスタジアムを、怒声が切り裂く。 フィールドを真っ二つに割る電光石火。ゴールから落ちてきたボールは、フローゼルの縦のロングパスにより瞬く間にボルトの手に渡る。 『なっ!?』 虚をつくカウンターだった。 キングも備えていたが、あまりの速さに目が追いつかない。 呆気にとられる間もなく、電光掲示板は同点を知らせた。 静寂と歓声が同居したかのようなスタジアムに、これまで以上の緊張が走る。 『勝つのは僕だ! お前ら如きが僕を止められると思うな!』 天才スコアラーの得点は、瞬く間にスタジアムの空気を支配した。
返されるボール。ウズマはドリブルしながら考える。 (残り32秒……同一チームに許されたボール保持時間は30秒、次のシュートを外したら高速カウンターで返されて終わりだ。たとえゴールを決めてもカウンターを受けたら同点。キングはもうヘロヘロだから延長は無理だ。……30秒を目一杯使って、カウンターにかけられる時間を削るしかねえ!) フィールドを駆けるクロアに一瞬だけ目を移しながら、ウズマは思考を巡らせる。だが、そのわずかな隙が命取りとなった。 『もらった!』 『しまっ……!』 残り15秒。ウズマがボールを、この試合初めて奪われた。 『くそっ!』 『ボルト!』 リザードのパスがボルトに渡る。 (やべえ! 決められたら終わる!) 『これで終わりだ!』 ボルトがシュートを放つ。だが。 『ウズマ!』 疾風の如き速さでボルトの目の前に立ったクロアは、シュートをはたいて直接ウズマにパスを通す。 『なっ!?』 『走れウズマァ!』 パスを受けたウズマがドリブルで直進する。だが、突然のカウンターにもリザードとフローゼルはギリギリ追いついている。地上のパスコースは塞がれた。 しかし。 (ウォリアーズのスコアラーの庭は、地上じゃねーンだよ!) スロープを猛スピードで駆け上がっていたクロアは、その頂上から飛び出している。 『おらぁ!』 空に打ち出したウズマのパスは、クロアにとって最高のタイミングだった。だが。 『無駄だあ!』 『っ!?』 ボルトは、クロアがスロープの上から跳躍することを読み切っていた。クロアの後ろをぴったりとつけて走り、スロープから飛び出すときに強く蹴り出し初速を出す。ボルトの体は、クロアのシュートコースを完全に遮っていた。 (打てない! 駄目だ) 残り4秒でクロアがウズマにボールを返す。だが、ボルトにクロアを任せていたリザードとフローゼルは、ウズマのシュートコースを遮って、カウンターの準備をしている。もう後がない。このままでは同点で延長、すなわち負けだ。 (いや……まだある! 唯一の勝機!) 一条の光を、クロアは見出した。 『もう一度だウズマ!』 勝つには、これしかない。練習はおろか、こんな形のシュートは想像すらしたことがない。一度切りのチャンスだ (……馬鹿だなお前。俺のパスは無茶苦茶だって言っておきながら、お前が一番無茶苦茶じゃねーか! けど、乗ったぜその賭け!) 残り3秒。 『クロアァ!!』 パスが、未だ滞空するクロアに打ち出される。 (馬鹿な! 空中から地上にリターンしたボールをもう一度受けてシュートだと!? ありえない!) 目の前のボルトが落下し始める。シュートコースは――晴れた。 残り2秒。 『うおおおおお!!』 経験不足をからかわれながら、何千回と練習したバックハンドシュート。 不安定な体勢でも、手のひらはボールの中心を叩いた。 『いっけええええ!!』 残り1秒。 クロアとウズマ、そして反対側のゴールで見守るキングの声が、スタジアムに木霊する。
ブザービーター。 電光掲示板には、残り時間00:00と、ウォリアーズの得点『10』が表示されていた。
澄み渡る青空の下に、超満員の巨大なスタジアムがあった。 「さあ入場してきました! 並み居る強豪を撃破し、ついにワールドカップファイナルまでやってきたハクダンウォリアーズ! メンバーをご紹介しましょう! 知将エリクが率いるのは、小さな破天荒ドリブラー、白黒の魔術師ウズマ! 幾多のシュートを阻んだ鉄壁のシールド、邪神の剣キング! そして、ウォリアーズの大躍進はこのポケモン抜きには語れない! 空駆ける超速スコアラー、黒き疾風(ジェット・ウィンド)クロア――!」
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