> SPURT 作:とらと
SPURT 作:とらと
 もう何度目か分からないバトンを受け取って、おれは走り出す。血の滲む足で渇いた地面を蹴り、ひび入った爪で空気を捉え。ぐんぐんスピードが上がっていく。やみつきになる疾走感。歓声の嵐の渦をかいくぐっていく、おれは今、孤高の弾丸トップレーサー。
 チェンジリレーは孤独な戦いだ。三つの敵影を追うおれを助ける味方は傍にはいない。助けだけじゃない、おれには翼もねぇ。長い足でもねぇ。『こうそくいどう』も使えねぇ。けれど、仲間がいる。おれには仲間がいる。バトンを託しあった三匹の仲間と、親のカケルの思いを乗せて、おれはただがむしゃらに速度を上げていく。見ててくれ、これが、おれの渾身のラストラン。
 これが最後の出走だと知ったのは、たった二時間前のこと。遠い所に引っ越すんだ、このレース場ともお別れなんだ、震えながら話したカケルの真っ赤な瞳が忘れられない。おれにとって、おれたちにとって、ポケスロンとは青春で、たったひとつの夢で、追いかけ続ける目標で、本気になれる場所だった。仲間にとっても同じだったろう、おれたちは脳天雷でぶち抜かれたみたいな衝撃の中で、一歩たりとも動けなかった。もう走れない。今日という日が終わってしまえば、ポケスロンの、この舞台に立つことは、もう二度とない。だけれども、おれたちがこれほどショック受けると知って、一人でそのこと抱え込んで、今まで黙って、そんな素振りなど微塵も見せずに今日まで笑ってたカケルの根性には恐れ入った。カケルのその根性は、最後の栄光に向けおれらを奮い立たせるに十分すぎる。
 一周目で頭に位置叩き込んでた障害物を難なくかわし、迫るトップスピード、オタチを抜き、ワカシャモを抜き、目の前に残すはただ一影。眩いばかりの晴天を一点塞ぐ紺色の翼。なるほど。おれは無我夢中でそいつを追う。それは、図ったような粋な演出だ。最後のレースに相応しい。
 おれとそいつとが出会ったのは、それもこんな風に晴れた日の早朝、何の変哲もない草むらの中。おれもあいつも生まれたばかりで捨てられた、哀れなコラッタとスバメだった。温かい人間の手の中で生まれ、その手で冷たい暗い草むらへと投げ捨てられた、満身創痍の赤ん坊だった。はじめは訳も分からず、けれどただ『誰も信用しやしねぇ』と固い決意を結んだばかりの、二匹の幼子の暁の邂逅。おれたちはそこで、程度の低い殺し合いを演じたんだ。
 次に再会したのは、それぞれ親に拾われて、それぞれの立場を手に入れてからだ。内気なガキだったカケルを町へと連れ出し、ポケスロンに夢中にさせていったのは、その頃おれのたったひとつの自慢だった。何か月ぶりかのあいつの姿をそこで見たとき、衝撃だった。レベルも低くて力もなくて、ヘタレで、体力もなくて、技もろくに覚えられなくて、それでもカケルを変える、変えてやると、粋がってばかりの口先ヤローだったおれの前に、あいつの存在はデカかった。ちっぽけなことに満足しておれが随分足踏みしてる間に、あいつは、おれと同じだったはずのあいつは、たくさんの経験をこなし、バトルをこなし、レースをこなして、メキメキ成長して、進化まで成し遂げていた。あいつの翼の風圧がおれの体を吹き飛ばし、あいつがゴールラインへと翔けていく、その背中を、何度も何度も目にしてきた。敵わないのが悔しくて、もう情けなくってしょうがなくて、あんなのちっとも良くねぇとレースを投げかけたことさえあって、おれは本当にバカヤローだ。でも、ある日ランで見た、あいつの砂袋提げて必死の顔して翔けてく姿が、捨てた親に見せつけるような気合いのこもった羽撃きが、命削るような疾走が、びびってんじゃねぇ、びびってんじゃねぇと、おれを立ち上がらせてくれた。あいつは拾ってくれた親のために、揺るがない情熱を抱いていた。仰天するような孝行心と向上心が備わっていた。おれはどうだ。おれみたいな使えないポケモンを拾ってくれた、居場所を与えてくれたカケルに対して、高慢な気持ちを抱いてはいなかったか。カケルをどうこう以前に、自分に甘過ぎやしなかったか。高いギプスなんか買えない、優秀なコーチもつけられない。でもおれたちは、そんなもんなくたって、仲間を、親を、そして自分を信じる心さえあれば、どこまでもバトンを繋げていける。そんなレースの本質を、おれはあいつから教わったんだ。
 おれがあいつに、絶対にお前を抜いてみせる、と言ったとき、あいつはゲラゲラ笑った。そんなのムリだ、お前がオレに勝てる確率は、0.000001パーセントくらいなもんだ、そういって翼を広げたのさ。それでもやってやる、そうおれが食らいついてやると、あいつの目の色が変わったんだ。ちょっとでも可能性があんなら、いいやゼロパーセントだってでもいい、おれはお前を絶対に絶対に抜いてやる。すると、いいか、ってあいつは言った。『エアコンのガンガンに仕事してる、加湿も効いてる、マッサージチェアとアロマ付きの温室みたいなとこで、オレらは育ったんじゃねぇ。そういうエリートにオレらは選ばれるセンスなんてなかった。でもだ。オレらは泥臭いやり方でそいつらに喰ってかかっていける。キレイに均されたとこで育ったあいつらが、度肝を抜くような方法で、オレらはあいつらを追い抜いていける。エアコンも加湿器もブッ壊して、丸裸のあいつらにオレらは、根性一本でぶつかっていくしかないんだ――』
 駆け抜けるフィールド、裂いていく風、風、風、大歓声が聞こえてくる、熱いうねりが迫ってくる。あぁしかし近づかない。一歩前をいく紺色の翼がどうしてもどうしても近づかない。残りタイム示す電光掲示板がついに、最後の一桁のカウントとなる。諦めるのか。諦めるもんか。何度諦めれば気が済むんだ。思い出せ、がむしゃらだったこと、毛がぼろ雑巾みたいになって、足が廃材みたいになって、それでも走り続けたこと。目の前にチーズぶら下げて、フラフラになって、他の選手に笑われながらでも、燃え尽きるまで走り続けたときのこと。感じる、熱狂する観衆のどこかに、カケルの顔、仲間の顔、おれを熱くさせた、変えてくれた大切な存在、声、言葉。
 そうだ。息絶えるまで駆けてみろ。恥も苦しみも撒き散らして。どんな傷だらけでもいい。醜い姿だっていい。前歯が折れても、尻尾がちぎれても関係ない。風を味方にしろ。エッジを効かせて障害を越えろ。翼が近づいてくる。ついに翼が近づいてくる。苛立って、羨ましくって、妬みさえして、ずっと焦がれてた紺色の翼が、射程範囲まで近づいてくる。あと少し。あと少しだ。頭が真っ白になる。感情が焼け切れていく。ついに肩が並んだ。行けるか。行ける。まだ走れんだ。酸素が足りねぇ。息が吸えねぇ。まだだ、まだまだ、おれはまだまだ走れんだ。
 最後に跨ぐゴールラインが、すぐそこまで迫っている。さぁカウントダウンだ。大合唱が聞こえてくる。二匹の息遣いが。ゼロメートルの距離が。行けるか。行け。勝てるか。行け。行け。最後の最後まで駆け抜けろ――サン―――ニ――――イチ――――――!
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