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ぎょたぬ! 〜四コマ的な日々に化けてみる〜 作:巳佑
【1】
 雨がざぁざぁと歌いながら降る、とある路地に、赤い花柄の傘をさした一人の女が鼻歌交じりで歩いていた。長靴ではなく、素足でサンダルという濡れる気満々のスタイルな、その足取りは楽しげなスキップを刻んでいる。
 腰まで垂れているふわふわとした雲のような白い髪を揺らしながら、その女が歩いていると、その水色に染まった瞳が何かを捉えた。電柱の傍で力なく倒れている一匹の山吹色の生き物がそこにいた。
 体長はだいたい六十センチぐらい。尻尾は山吹色と茶色が縞模様と描いていて、太くて丸みがあるナスを連想させるかのような形。そしてあお向けで倒れている為、お腹がぽこっと膨らんでいるのが分かった。そして目元はやけにこげ茶色に染まっていた。
 この生き物は知っている、狸だ。そう女が思ったときのことだった。
 ぐぅっと、女と狸のお腹から威勢よく虫が鳴いた。
 

【いきなりクライマックス?】
 なんだか温かい空気が身を包んでいる。
 それを感じた一匹の狸がゆっくりと目を覚ました。

 若干、ぼんやりと狸の視界に映るのはどこかの部屋らしきところだった。
 自分が桃色のカーペットの上にいることをとりあえず把握する。

「あっ! ようやっと起きたんか。えらいぐっすりやったなぁ」
 ほんわかとした声がする方に狸が向くと、そこにいたのは一人の人間の女性だった。

 笑顔で包丁を持ちながら。


【いきなりクライマックス? その二】
 自分の方に向けられている鋭利な物体に狸は鳥肌が立った。
 
 もしかして殺される?
 そう本能的な声が一気に、狸の体中に広がった。

 一方、女の方はというと相変わらずニコニコ笑顔でこちらを見ている。
 止めろ、止めろ、そんな危ないものを持ちながら笑うなと狸は泣きそうだった。

「お、おれを食ってもお、おいしくないぜっ!?」
「あー。狸鍋っちゅうのも悪うないなぁ」


【いきなりクライマックス? その三】
 女のその言葉に狸は思わず後ろに飛んで距離を取った。
 背中から冷や汗がたらたらと垂れているのが狸自身でも分かった。

「あ、そういえば、あんさんしゃべれるんやなー。もしや化け狸さんかなんかかいな?」
 
 がくぶると体を震えさせ、ひたすら身の危険に怯えている様子の狸に、女は「食べへんから安心してぇな」となだめる。

 しかし、包丁を持ったままだったなので説得力は皆無だった。


【包丁怖い】
 なおも落ち着いて話を聞いてくれそうにない狸に、女は「うーん」と頭を抱えた。
 このままでは話が進まないし、さてどうしようかと。

 試しに女は包丁を置いてみて、ついでに両手を上げて何もないことと敵意がないことを示してみた。

 すると、狸の口から安堵のため息が一つ漏れた。
 
 それを見逃さなかった女はもう一回、包丁を持ってみると、また狸が怯えた。


【反応がいい子だから困る】
 再び女が包丁を持つと、狸がガクブルと身を震わせて、怯えて。

 また女が包丁を話すと、狸がホッとして。

 もう一度、女が包丁を持つと、また狸が怯えて。
 
 その繰り返しの中で、女の目がキラキラと楽しげに輝いている。
 これは面白いものを見つけたといった感じで、味をしめたようだ。


【いい加減に話を進めよう】
「お、お前、本当に食おうとしてないだろうなっ!? あ、怪しいぜっ!?」
「いやいや、たまたまやったんやって。ほんまやで?」

 そう言うや女は、距離を取ってガクブルしている狸を一旦放置しといて、台所があるところへと向かった。
 
 女が次に戻ってきたときには、その手に包丁の姿はなかった。
  
「な? これでウチは丸腰や。あんさんを食う気なんてさらさらないで?」
 女は手首をぶらんぶらんと振りながら、手持ち無沙汰だということを示していた。


【ふにふに】
 とりあえず、なんとか狸も落ち着いてきたところで女と狸はようやっと互いに面を向きながら座っていた。
 狸はあぐら、女は正座の姿勢で。
 そして、先に口を開いたのは女の方であった。

「そいで、あんさんは化け狸、であってるやろか?」

 一瞬、どうしようかと迷った狸だったが、諸々やってきた為に自分自身をフォローできる隙は全くなかったので、しぶしぶながらも正直に答えることにした。
「そうだぜ、おれはしょうしんしょうめいの化け狸だぜっ。どうだ、驚いたか、人間!」
 最後の方は腰に手を当て、鼻を鳴らしていた狸に女は言った。

「へぇー。ほんまものの狸なんかぁ。中に人入ってへん?」
「ひゃめろーっ! おへひゃ、ひょんみょもの、ちゃぬきだじぇー!!」


【ポンッ!】
 女による頬の引っ張りから解放された狸は、頬を赤くさせながらムスッとした顔になった。
 ちょっと痛かったのか、目頭からちょっぴり涙の粒らしきものが浮かんでいる。

「おれは立派な狸になる為に山から下りてきたんだぜー! なめんじゃねぇぜー! 人間っ!」
「なんや、そいならウチと一緒みたいなもんかぁ」

 狸の顔が一気にきょとんとしたものになる。
 それってどういうことだろうなのだろうと思っていると――。

 ポンっという小気味ないい音が部屋に鳴り響いた。 
  
 
【それはそれは美しい】
 もくもくと上がっていく白い煙にごほごほと狸はせき込んだ。
「すまへんなぁ、毎回、解く度にこれやからなぁ」

 徐々に煙が晴れていくと、狸の目が丸くなった。

 ビチビチと動く桜色のそれ。

 狸の目の前にいたのは上半身は人間、下半身は魚の尾ひれ――いわゆる、人魚と呼ばれる者だった。


【化かされたのは】
「どうや? ウチもあんさんと同じく、立派な人魚になる為に海からやってきたんやで?」
 
 片手を頭の後ろに、そしてもう片方の手を腰に当ててアピールを振りまいている人魚の女に狸はただただぼう然とするばかり。
 まさか自分以外にもこうやって化けることができる奴が目の前にいたとは思えなかったからである。

「まぁ、全体の姿を変えそうなあんさんと違って、ウチは一部だけやからなぁ」
 そう言いながら人魚の女は尾ひれを振ってみせる。

 すると狸のお腹から虫の鳴き声が響いた。


【お互い様ってやつ?】
「もう、おなかがすいたからってウチを食べへんでなぁ?」
「だれが食うかっていうんだぜっ! だれが!」

 そういう狸に人魚の女が相も変わらずに、尾ひれを振ってみせる。

 また狸のお腹から虫の鳴き声が響いた。

「人魚の肉は不老不死に」
「だからちげぇーって言ってんだぜっ!?」   

  
【白い煙】
「まぁ、とりあえずやな。この調子やと飯も作れへんし、もう出前にするわ」
 
 人魚の女がそう言うと、その身が再びポンっと鳴く白い煙の中に消えていく。
 毎回、あんな感じで変身しているのか、「派手だぜ」と狸は言った。   

 煙が晴れると、またそこには人間の足を生やした女が立っていた。
 
 下半身は丸出しで。


【白い煙 その二】
 目の前いる女の姿に、狸は思わず顔を赤らめて鼻血を発射した。

「いやぁ、白い煙ってこういう風に生着替えの為に隠す役目もあるんやで?」
「そういうことは早く言うもんだぜっ!?」

 顔を真っ赤にさせながら再びこちらに顔を向けてきた狸に、人魚の女は生足をほれほれと見せびからしていく。
 柔らかそうでいい感じの太ももに、スラッとした細い足。

 狸が再び鼻血を勢いよく発射させた。
「ほぉー。初心なんやなぁー」


【腹が減ってはナントカできぬ】
「ははは、すまへんかったなぁ」  
 空腹状態なのにこれ以上やると、流石に狸の体力がやばいかと思った人魚の女は冗談をこれまでとして、近くにあったロングスカートを履いた。一方の狸は鼻血を垂らしながらあお向けに倒れている。

 そして人魚の女は水色のスタイリッシュな携帯電話を取り出すと、ピポパポと目的のナンバーを押した。
「あ、そちらスーパー特急のピザ屋はんですかいな? すまへん、チーズたっぷりハムピザLサイズ二つお願いできへんやろか? 住所は――」

 それから電話を切ると、人魚の女は狸の方に向いてニコっと笑った。  
「おいしいもん頼んだから、それで許してぇな」

 おいしいものという単語に、耳をピクピクと動かした狸はむくりと起き上がる。
「お、おいしいもんっ?」
「そうやで、めっちゃ食わせてやるから、ほな覚悟しぃな」
 相変わらず、狸の鼻からは鼻血がこぼれていた。


【ピザが届くまで】
「さてと、これで準備はできたっと、後はピザを待つだけや」
 折りたたみ式のテーブルに一人と一匹分の飲み物を置くと、人魚の女は座った。
 
 向かい側には狸がピザを今か今かと楽しみに待っている。
 その鼻には鼻血を止める為にティッシュが詰め込められており、白い大きな鼻毛が出ているようなその顔に人魚の女は笑った。

「わ、笑うんじゃねぇぜっ!」
「いやぁ、すまへんなぁ。これは中々のケッサクやで……ぷぷぷ」

 一回、顔を背けてそう詫びていた人魚の女だったが、再び狸の顔を見ると、腹を抱えて笑った。


【ピザが届くまで その二】
「まぁ、冗談はともかくな」
「冗談に聞こえないぜ」

 とりあえず飲み物を一口飲んで、落ち着いた(らしい)人魚の女が狸に尋ねた。
「さて、これからやけど、あんさんはどうするつもりやねん?」

 確かに今は家に上がっている狸だが、これからまた旅に出るかなと思っていると狸は真剣な顔で言った。
「もちろん、おれはまた旅に出るぜっ! 立派な狸になる為にはここで足止めばかりしてても駄目だしだぜっ!」
 しかし、真剣顔と鼻にティッシュ詰めという見事なギャップコンボに人魚の女は口元を一瞬だけ歪ませた。

「……さ、さよか」
「おい、今、ちょっと、お前、笑っていたぜっ!?」


【ピザが届くまで その三】
「まぁ、ともかくや。あんさん、見聞きしたところまだ半人前そうやし、どうや? ここいらでちょいと修行していくっちゅうのは」
「な、何を言ってるんだぜっ!? お前っ!?」

 いきなりの提案に旅を続ける気満々だった狸はもちろん反発を覚えた。
「せやけどなぁ、これからまたここを旅したところでまたお腹空いてばたんきゅーっていうオチが見え見えやで?」
「そ、そんなことやってみなきゃ分からないんだぜっ!? それにおれは早く立派な狸になりたいんだぜっ!?」

 馬鹿にされてたまもんかという勢いでいきり立ってくる狸に、人魚の女はまぁまぁと両手を前に示しながら諭す。
「今回はたまたまウチが通りかかったから良かったもんやけど、これがハンターとかに拾われたらどうするやねん、はく製行きで死ぬで?」
「そ、そんなこと、分かるもんかだぜっ!」

 なおも噛みついてくる狸に人魚の女は両腕を組みながら、うーんと頭をかがめる。
「もしかしたら、鍋マニアモンスターに拾われるかもしれへんしな」
「なんだぜ、鍋マニアって」


【ピザが届くまで その四】
「ええか、鍋マニアモンスターっちゅうもんはな、なんでもかんでも鍋料理にして、究極な鍋を求める奴らのことを言うやねん!」
「そ、そんなのがあんかのだぜっ!?」 

 聞き慣れない単語に思わず聞き入った狸に、人魚の女は更に続ける。
「ウチら人魚族でも大変注意人物にしている奴らなんやで。不老不死になれる鍋なんて、あいつらにとったら最高すぎやろ」

 ずいっと顔を寄せて来た人魚の女に押されるかのように、狸はまゆつばを飲み込む。
 ゴクリと喉が緊迫音を鳴らす。  

「それに狸鍋っちゅうもんも、あいつらにとっては目玉鍋みたいやで?」


【ピザが届くまで その五】
 そんな怖いものがいたのか、そうなのかとその話をすっかり信じた狸はガクブルと身を震わせた。
 
 今の自分のままではきっと食われてしまうというところを無意識に、頭によぎらせた狸は更に額から汗を垂らしていく。 

「な? ここでしっかりと修行して力をつけていかんと、ここから先きついで? ここならウチがおるし、ここを拠点としていっぱい修行すればええやないかなぁ」

 そう微笑んで語りかけてくれる人魚の女に狸はうーんと頭を抱えた。


【ピザが届くまで その六】
 確かにここなら場所も食べ物を確保できるし、なにより先輩らしき存在もある。
 頼りになるかどうか分からないが、少しはマシになるというものだ。

 そうやって狸がしばらく考えた後、答えを出した。
「……分かったぜ。しばらくここでお世話になるんだぜっ」

 その答えを聞いた人魚の女の顔が満足そうに頷いた。
「それがええで、それが」

 そして、玄関からピンポンという電子音が鳴り響いた。
 まるで、何かの始まりを示すかのように。


【ピザほくほく】
 テーブルの上に置かれた二枚のハムの上にチーズがたっぷり乗せられたピザに狸が熱視光線を当てている。
 もちろん尻尾は楽しげに揺れていた。

「ピザは初めてかいな?」
「おうだぜっ。話は聞いたことあるけど、実物を見たのは初めてだぜっ!」

 人魚の女がナイフで六等分に切れ目を作ってやると、一切れを狸の皿の上に乗せてあげた。
 香ばしいチーズの匂いが狸の鼻を更にくすぐらせていく。

「よしって言うまで、食っちゃあかんで?」
「犬と一緒にすんじゃねぇぜっ!」

 
【チーズもぎゅもぎゅ】
「熱いから気ぃつけてな?」
 そんな忠告が聞こえているかは不明だが、狸は早速、ピザをがっつき始めた。

 一口食べて、それから伸びるチーズに狸の目がキラキラと光る。

 もう一口食べてみて、また伸びるチーズに狸の目が再びキラキラと光った。

「もぎゅもぎゅ。チーズに恋してしまったようやなぁ」
「そ、そんなことないんだぜっ!?」
 しかし、チーズが伸びる度に尻尾を振らせていたので、人魚の女にはバレバレだった。


【食べ終わって】
「ふぅー。食べた、食べたでぇー。もうお腹いっぱいや」
 そう言いながら人魚の女はお腹をポンポンと軽く平手でたたいていた。

「食べたぜー。うまかったぜー」
 満足そうな狸のお腹もポンポンと膨らんでいた。

 自分も狸になったみたいと言おうとして、人魚の女が狸の顔を向いたときに吹き出した。

「な、なに笑ってるんだぜっ!?」
「ひゃはははっ! チーズで思いっきり泥棒ヒゲができてるでぇー!」


【ようやっと自己紹介】
「ひゃ、ふぅふぅ、すまへんなぁ。まぁ、これからよろしゅうってことで自己紹介でもしようや」
「お、おう、そうだぜっ。なんか怒りそびれた感がある気がするけど、気のせいにしとくぜっ」

 最初に人魚の女の方から、名乗りを上げた。
「まずはウチやな。ウチは白澪沙璃(しらみお しゃり)っちゅうんや。よろしゅうな」

 続けて狸が名乗りを上げた。
「おれは零(ゼロ)って言うんだぜっ!」

 そう狸――零が言った後、沙璃は思いっきり笑った。
「だ、駄目や……! チーズの泥棒ヒゲが受けるでぇ……!! ひゃははは!」
「わ、笑ってんじゃねぇぜ!? コラ!」


【2】
 真っ暗闇の空間に一匹の狸が立ち尽くしていた。
 ここはどこなのだろうか? 誰かいないのか? あちこちと歩いてみるが光は見えず、いるのかいないのかと声をあげてみるが返事はなく、やがて狸は歩き止まってしまった。ただの暗闇で一匹だけ。一匹だけというのは旅でもう慣れている、はず。そう狸が思ったときだった。
「やーいやーい」
「やーいやーい」
 狸が左に右に顔をせわしなく向かせるが誰もいない。むしろ、今、届いた声は耳にというより頭に響いてきた感じが狸にはあった。
「おーちて」
「こぼれちゃって」
 狸は誰だと声を荒げた。なんか馬鹿にされているにしか思えない言葉にいら立ちを募らせながら。
「なんにもないない」
「なんにもないない」
 だけど、聞こえてくるのは嫌みしか言わない何かの言葉。それが歌うかのようにまだまだ続けられていくと、なんだか胸が苦しくなってきた狸は思わず耳をふさいだ。しかし、直に頭へと響いてくるらしい、その言葉が止まることはなかった。
「やめろ、やめろ、やめろ! おれは、おれは……!!」


【目覚め】
 ちゅんちゅんと鳥の声が朝を告げる中、狸はハッと目を覚ました。
 悪夢を見たことを示すかのように額から背中から汗が流れている。

「ゆ、夢か。び、ビックリしたぜ……」
 そう言いながら、依然と高鳴る胸を落ち着かせる為に一杯の水をちょうだいしようと狸は立とうとした。

 しかし、立てない。
 何故だろうと狸が思ったのと、自分の腹の上に何かが乗っていることに気がついたのはほぼ同時だった。

「ぽよよ〜……ぽよよ〜……やでぇ〜……」
「人の腹の上で寝てんじゃねぇぜっ!!」


【狸の腹】
「……ったくよ、本当にあきれるぜ!」
「だからすまんかったってゆうとるやんかぁ」

 朝食の時間。
 夜中閉じられていたカーテンは開かれ、部屋いっぱいに朝日が入り込んでいる。
 その光を浴びながら、テーブルの上に置かれている朝食を人魚の沙璃と狸の零はモグモグと食べていた。

 真白なガラス製の皿に乗っている朝食はスライスチーズと食パンで、飲み物は牛乳。
 零の機嫌を直す為にか、沙璃は零の皿にたっぷりのスライスチーズを乗せていた。

「もっと気持ちええ枕にならんといかんっちゅうのに、ウチとしたことが早すぎたマネを」
「おれの腹を枕代わりにしてんじゃねぇぜっ!!」


【まだまだ】
 この人魚の家に居候させてもらってから一週間、ずっとこんな調子だから困る。
 朝食を食べ終わった後もそんな文句を呟きながら零は頭の上に葉っぱを乗せた。

 そしてくるっと一回転ジャンプを決めると、ポンっという小気味のいい音が響き、白い煙が舞う。

 そして煙が晴れると、そこに現れたのは一人の少年だった。
 背はこれから伸び盛りそうな小学生高学年ぐらいで、上は黒の半そで、下は青いジーンズを履いていて、一見、普通の人間となんら変わりのない姿。

 ただ一つ、頭の上にピコピコと動く二つの分度器みたいなものを除いて。


【尻カクレテ頭カクサズ】
「なぁ、毎回、思うねんけど、なんで狸耳だけが出るんや?」
 零の変身した姿にちょっと残念そうな声をあげた沙璃を見て、馬鹿にされたと思った狸がいら立つ。
 
「おれだって、ちゃんと耳が出ないように努力してるんだぜっ!?」
 確かにまだ半人前だ。ここまで来るのにも人間に化けるときにはちゃんと頭を隠すようにと零は一苦労していた。

 その零の言葉に沙璃は違うと右手を横に振った。

「人間のときやったら、尻尾枕っちゅうのも悪ぅないと思ってな」
「いい加減に枕から離れろよだぜっ!!」


【勉強?】
「これから図書館かいな? 勉強熱心やなぁ」
「まぁな」
 とりあえず沙璃からもらった、狸耳隠し用の黒いスポーツキャップをかぶると零はそういえばと声をあげる。

「前から気になっていたんだけどよ、お前はどこで勉強してんだぜ?」
 一週間前からずっと零は気になっていた。
 沙璃から本がいっぱいあって勉強ができるという図書館というものを教えてもらった零はそこに行っているわけだが、一方の沙璃はその間に何をしているのかが非常に気になってくるというものだった。
 
 その零の問いに沙璃は一つの桃色にカラーリングされた板らしきものを零の前に持ってきて得意げに言った。

「ウチはこのノーツパソコはんがおるから大丈夫やでっ!!」
 零の目がなんだか白くなった。


【湿度事情】
「だってぇー。ウチ、湿度があらへんと外出れへんもんよー。雨が降ってきてくれれば一発なんやけどなぁー」
「なんで、湿度がねぇと駄目なんだよだぜっ!?」
「人魚やから?」

 なんだそれはとでも言いたげに見てくる零に対して、人魚は真面目な顔をしながら答える。
「地上に来るまでは海暮らしやったからなぁー。多分、それが影響されてるんちゃう? とりあえず湿度がないとあれやし、あの加湿器も二十四時間営業や♪」

 沙璃が指で示した先には水色のボディーに白い花柄をまとった一機の加湿器が働き続けている姿。

「湿度70%以下がマイバッドヒューミディティーで、湿度82.5%がマイベストヒューミディティーでな」
「知らねぇぜっ!!」


【見たことないから】
 もういい、このまま沙璃の湿度話になんか付き合ってられないと、零は家を出ようとしたが沙璃に腕ごとグイっと呼び止められてしまう。

「なんだぜっ!?」
「これ、持っていきぃな」
 
 そう言われながら沙璃が零の手の上に乗せたのは赤色に染まった長方形の何か。
 なんか四角いものが埋め込められており、数字が書かれた丸いものもある。

「……新手のノミ取り道具かだぜ?」
「いや、携帯電話やから、それ」


【初心者ですから】
「うお、言葉では聞いたがあるけど、これが携帯電話なのかだぜ」
「使い方、分かるん?」

 もちろんだと言いながら狸は胸を張った。
 しかし、見たときにそれが携帯電話だと分からなかったのだから……というツッコミは沙璃は心の中だけに秘めておく。

「えーとだぜ、確か……」
 そう言いながら、きょろきょろと何かを探すかのように零首が動く。

「糸ってどこかにねぇのかだぜ」
「それは糸電話や、あんさん」


【初めてあるある?】
 沙璃はとりあえず、使い方の説明を零に施すことにした。
「えぇか? この丸ぽちにある数字をな、電話をかける相手の番号通りに押すんや」
「なぁ、先端とかにあるのはノ、ノミのやつかだぜ?」
「いや、それは声を聞く為の穴と、相手に声を送る為の穴やで」

 とりあえず、携帯電話というものがなんたるかを分かった零は適当にボタンを押してみた。

『1、1、0』

 沙璃が慌てて零から携帯電話を奪い取った。


【いい感じ】
 とりあえず繋がる前になんとか切った沙璃はかけてもいい番号、つまり自分の携帯電話番号を零に教えてから見送った。

「さて、ウチも頑張らへんとなぁー」
 伸びをしながら沙璃は居間に戻る。
 あの零という狸はまだまだ抜けているところはあるが、根は真面目で努力屋というのを、沙璃はこの一週間で理解した。

 種族は違えども、一人前になるという志は一緒。
 自分は零より先輩みたいだが、追い抜かれないように頑張らないといけないなと思いながら沙璃は桃色ノートパソコンを開き、左クリック一つ入れる。

「今日もえぇ波がきとるなぁ」


【お互い様というやつ】
 沙璃が家でパソコンを興じている中、図書館に到着した零は早速、勉強すべく本を集め始める。

 人間社会などを知って、この世を渡り歩く為にと零がいき込んで集めた本とは――。

『チーズの歴史を歩もう!』
『チーズ料理レシピ』
『チーズの魅力、教えます!』
『スライスチーズ工場』

 零の口からよだれが垂れたのは言うまでもない。
 

【3】
 雨がしとしとと降る中で、楽しげに揺れている赤い花柄の一つの傘と平坦に歩き続ける黒い星柄が特徴的な一つの白い傘。
「はぁー。テクニシャンな加湿器もええけど、やっぱ雨もええな♪」
「そういうもんかぜっ?」
 ルンルンと鼻歌混じりにステップを決める沙璃のテンションによく分からないと零は首を傾げる。
 本日は雨なので、乾燥嫌いの沙璃も外へ出られるということもあり、今回、彼女と零は少し遠出しようということになった。
「そういう、零やって電車の中ではルンルンやったなぁ。座席に座るなり窓に顔をベタァってつけたりしてたよなぁ?」
「は、初めてだったからしょうがないんだぜっ!」」
「あれは中々の芸やったでぇー」
「うっせいぜっ! そ、それよりもこれからどこに行くんだぜっ!?」
「遊園地や、遊園地♪」 


【入り口なり】
 沙璃と零が住んでいるところの最寄駅から三駅ほどのところに遊園地があったりする。
 人が集まる都会に位置しているそこは休日になると家族連れやカップルや友達同士などで、賑わっているのだが――。

 流石の雨に人も少しまばらである。

「まぁ、人が少ない分、アトラクションも乗りやすいし、まぁええやろー?」
「ぽ、ポジティブってやつなんだぜ……」
 とりあえず沙璃と零は一日中、アトラクションに乗ることができるといった遊び放題のフリーパスを買いに入り口の売り場に向かう。

「大人二枚だぜっ」
「いや、あんさん子供やろ」
「子供扱いすんじゃねんだぜー!」
「半人前のはずなんやけどなぁー」
「バカにするんじゃねぇんだぜー!」
 店員さんは苦笑する他ない。


【早速すぎる】
 だだをこねる零の頭を抑えながら沙璃が大人一枚と子供一枚のフリーパスを購入して、いざ中へと入場する。
 そこまでは口を尖らせていた零だったが、中の様子を見たらそんな怒りもどこへやらと飛んでいった。
 
 広がるかぎりのアトラクションの数々。
 コーヒーカップやメリーゴーランド、フリーフォールやジェットコースターといったアトラクション。

 そして飯所や売店なども、この世界に入ってきた人々に向かって手を招いている。
 沙璃は目指すべき方向へと拳を天に突き出し、勢いよく歩き出した。

「よっしゃー。お土産買いに行くでぇー!」
「今なのかだぜっ!?」


【こいつらも?】
「冗談やて、冗談♪」
「ったくだぜ……」
 とりあえず売店から離れた沙璃と零は屋内ジェットコースターなるものに乗ることにした。
 ちなみに屋外のもあったのだが、そちらは残念ながら工事中のようで乗れなかった。

「うお!? なんだぜっ!?」
 屋内ジェットコースターを目指す沙羅と零の前には一匹の大きい白いうさぎが現れた。
 もちろん本物の白いうさぎではない。もこもことした着ぐるみである。ちなみに眼は赤だ

 その白い着ぐるみはしゃべっちゃいけないタイプの方で、必死に腕や足でダンスをしまくってしアピールしていた。

「こ、こいつも化けているんかだぜ……!?」
「うん、そうなんやで。この子も一人前になる為に頑張っとるんや」
 沙璃は子供の夢を壊さないでおくことを選択した。


【一方的な】
 踊り続ける白いうさぎに何を思ったのか零がスタスタと近づいていった。

 やっと来てくれたと白いうさぎは踊りを止めて、腕を広げいつでもウェルカム体勢に。

 零は白いうさぎの前に止まると、人差し指を前に突き出し言い放った。
「かちかち山で勝ったからって、調子に乗ってんじゃねぇぜっ!?」

 その一言だけ置いて去っていく零に、白いうさぎはただただ見送ることしかできなかった。


【制限】
 お目当ての屋内ジェットコースターに到着した沙羅と零だったが、そんな彼らに最大の試練が立ちはだかった。

「なんだぜ? これ」
「あー。これな。この身長よりも低ぅやったら乗れへんっちゅうテストやな、テスト」
 先程の白いうさぎの着ぐるみと同じ、白いうさぎのキャラクターの板が屋内ジェットコースターの入り口立っている。
 確かにその近くには『これより低い人は乗れません』という注意書きがあった。

 身の丈は約百四十五センチといったところか。
 百六十を超えている沙璃はともかく零はギリギリかもしれない。
 意を決して零がその板の隣に立つと、ちょうど同じだった。

「どうして泣いとるねん」
「この白いうさぎと同レベルなんて、おれは認めねぇぜ……」


【震え】
『それではー、皆さん。屋内ジェットコースター、デッド・ブラックホールをお楽しみくださいませー』
 お客達が赤い機体の縦長な乗り物に乗って、安全バーも閉め終わると、そのアナウンスを合図にコースターが動き出した。
 ブラックホールという名にふさわしく、中はほとんど真っ暗である。
 
 沙と零は隣同士に座っており、ニコニコ顔を浮べる沙璃に対し、ガクガクブルブルと零は身を震わせていた。
 どうやら最初のゆっくりと昇る感覚に、何かを感じたようである。
「怖くなってきたいかいな?」
「別に怖くなんかねぇぜ。こ、これは武者震いってやつだぜっ!」
「ほんなら、バンザイしようで、ほなバンザイ、バンザイ」
「は? バンザァ――」

 一気に下降し、風が体を切った。

「アァァァァアアァアアァァァァアアアアアァアアアアア!!!!」
 イがどこか飛んでいったようだ。


【コーヒーカップ】
「うぅ……」
「大丈夫かいな? 零」
 屋内ジェットコースターは無事に終わったが零は無事には終わらなかったようだ。
 あまりの衝撃だったようで、よく変化を解かなかったと沙璃は零の肩を優しくたたいていた。

「こ、こんなところで音を上げちまう、おれじゃねぇぜっ」
「ほんなら次はあれに乗ろうや」
 
 そういって沙璃が指で示したところはコーヒーカップであった。
 屋根にテントが張られているので、雨でもできそうである。

「あそこはなぁ、コーヒー豆になるんやで、ウチら」
「なんだとだぜっ!?」


【挽きすぎ注意】
 沙璃と零が目当ての場所にたどり着くと、そこには可愛らしいコーヒーカップが七、八個ぐらいそこにあり、沙璃と零は水玉模様のコーヒーカップに乗る。

「ここではどうすんだぜ?」
「コーヒーカップがな動き出したらな、この円盤を回して、ひたすら挽くんや」

 ほどなくコーヒーカップが愉快な電子音に乗って動き始めると、沙羅がコーヒーカップの真ん中で棒に刺さっている円盤を回してみせる。
 すると、ぐるんとコーヒーカップに円運動がかかった。

 続いて零も沙璃に習って、円盤を握り、思いっきり回すとぐるんと大きくコーヒーカップが円運動した。


【挽きすぎ注意 その二】
 円盤を回したときに揺れるコーヒーカップに味をしめたのか、零がひたすらぐるぐると円盤を回し続ける。

 ぐるぐるぐるぐるとコーヒーカップの円運動が加速していき、零の視界がぐにゃぐにゃに歪んでいき――。
 
「ありがとうございましたー!」 
 終わった後、零はもちろん気分が悪くなった。まさにコーヒーカップ酔いである。

「零、いまやったらおいしいコーヒーになれるで?」
「なんで、おめぇは平気なんだぜぇ……?」
 一方の沙璃はニコニコ顔を絶やさなかった。 


【ゆっくりとでも】
 ここまでスピード感が満載のアトラクションを体験した沙璃と零はここいらでゆっくりとしたものを乗ることに決める。
 流石にこのままでは慣れていそうな沙璃はともかく、遊園地初体験の零がばたんきゅーと倒れてしまうのは目に見えていた。

「そうやなぁ、せっかくやし、今度は観覧車でも乗ろうで♪」
 そう言いながら沙璃が指さした先には大きな円状にたくさんのゴンドラが実についているアトラクションである。
 
 しかし、それを見た零が何故だかまたガクガクブルブルと身震いをした。
 その様子に気がついた沙璃がどうしたのかと零に尋ねると、今度は素直に答える。

「か、風車みたいにぴゅーって、ぐるーって回るのかぜっ?」 
「ないないで」


【観覧車の中で その一】
 観覧車の搭乗口に沙璃と零が到着すると、スタッフの案内に従うことに。
 ゴンドラに乗る際に、相変わらず零はガクガクブルブルと身を震わせていたので、沙璃は手を繋いでゆっくりと一緒に入った。

「ほ、本当にいきなりぴゅーって動かないだろうなだぜっ!?」
「大丈夫やて、ゆっくり回る、それが観覧車っちゅうもんやで」

 しかしいつ自分を裏切っていきなり観覧車が急加速するか分からなくて、まだガクガクブルブル言わせていた零に。沙璃は春色ロングスカートのポケットから二本の缶を取り出し、零に渡す。
 それは温かい缶コーヒーであった。

「お前……」
「ほんまは飲食禁止やけど、これでも飲んで落ち着きぃな」


【観覧車の中で その二】
 温かい缶コーヒーで身も心も温かくなった零は気分が落ち着いたらしく、今は興味津津に外を眺めている。
 どんよりとした空であるが、それでも街並みが遠くまで見えた。

 ここまで旅してきたんだなと改めて自分の旅を振りかえった零に沙璃は尋ねた。
「なぁ、お互い大変やな。一人前になる為にここまでやってきて。辛いこともたくさんあったやろ、あんさんにも」

 少しの間、沈黙が流れた。
 確かにと零は思う。ここまでうまく化けることができずコソコソしていたり、中々食糧に巡りあえなかったり、はたまたどうもうな犬に追いかけられることも珍しくなかった。

 そんなことを思ってから零は視線を外に向けたまま言った。
「でも、悪いばっかりじゃなかったぜ。今はちょっとだけ、そう思えるぜ」


【観覧車の中で その三】
 自分の言ったことが恥ずかしかったようで顔を赤らめているのが横顔からでも伺える。
 そんな零に沙璃は思わず微笑んだ。

「ウチもなぁ、立派な人魚になる為にここまで来て初めてのことばかりでな、面白かったこともあれば、戸惑いがちでしんどいときもあったなぁ」
 
 沙璃はゆっくりと立ち上がると、そのまま零の隣に座った。

「隣に誰かがいるってええよな。零が来てから、日々がもっと楽しくなった気ぃする」


【観覧車の中で その四】
 いきなり沙璃が隣に座ってきて最初は驚いていた零だったが、特に嫌がることもなく、そのまま沙璃の隣に座り続けた。

 自分がここに来て、気がつけばもう早二か月ぐらい。
 その間の生活を振り返ってみると沙璃に結構お世話になっているのだと改めて気がつく。

 おいしいチーズをくれたり、色々なことを教えてくれたり、変わった奴だけど、嫌いじゃない。
 どっちかと言われれば――。

「こ、今度、腹枕券でもやるぜ」
「おっ、おおきにな♪」
 できればこれからもこの日々が続けばいいなと零は思うようになっていた。 


【4】
 観覧車も乗り終わり、沙璃と零は一回トイレに向かうことにした。
「ええかぁ? 女子トイレに入っちゃあかんで?」
「そんなこと分かってるぜっ!」
 そんなやり取りの後、男子トイレに入った零は様式トイレに入った。まだこの姿での立ち動作には慣れていないからである。
 これからどんなアトラクションに乗ろうかなと考えている間に無事トイレが終わり、手を洗って、零がトイレから出ようとしたときであった。
 目の前に男が現れた。
 横幅の大きいお腹を携えた、かっぷくの良さそうなタキシード姿の男である。
 こいつ、なんだろうと思った瞬間――。
「零殿、お探ししましたぞよ〜」
 その男が笑って、嫌な予感がした零が逃げようとしたが簡単に捕まり、そのまま布を口にあてがれ、眠らされてしまったのであった。


【待ち】  
「中々、出てこんへんなぁ」
 
 女子トイレから出てきた沙璃は男子トイレがある方へと顔を向けながら、そう呟いた。
 トイレ前で別れてからもう二十分は過ぎている。もしかしてお腹を壊したのだろうか。
 初めての遊園地でテンションアゲアゲだったし、当たっているかもと沙璃はもうちょっとだけ待つことにした。

 しかし、それから更に十分が経過したが、一向に零は出てくる様子はなかった。

「何があったんかいな」


【そりゃ誰だって驚く】
「うーん、様式は誰もおらんし、和式にもおらんなぁ」
「…………」

「あ、もしかしたら、掃除用具の中っちゅうのは……ガチャッとな……んー、おらへんなぁ」
「…………」

「なぁ、あんさん。ここに小学生くらいの黒い帽子を被った少年とかおらへんかった?」
「……えっと、いなかったっすけど……」
「そうか、おおきに♪」 

 去っていく沙璃の後ろ姿を見送りながら、ニ十歳半ばと思われしき通行人Aは呟いた。
「ごめん、おふくろ。俺、お婿さんにいけないかもしれない」


【頼むから嘘だと言ってくれ。(通行人Aの心情より抜粋)】
 立ち小便しているときにいきなりの女性来訪。
 
 これから先、どうしよう。果たして男としてやっていけるのだろうか。

 実家にいるおふくろにこの話を聞かしたら泣くだろうな。友達にばれたら、ゆする為のネタにされるなと通行人Aが思っていると、手洗いがある方のL字壁の先から先程の女性が現れた。
 
「ほんまにおらへんかったよな?」
「いませんよぉー!!」
 流石に泣きたくなってきた通行人Aであった。


【手掛かり】
 男子トイレにはいないようだし、さて、どうしようと模索しながら沙璃は男子トイレを後にする。

 一見、零は勝手にどこに行きそうなところがありそうだが、しかし、今、この状況で勝手にどこかに行くのだろうかと色々と考えていたときだった。

 偶然、目の前に黒い帽子が落ちていた。
 他の者だという可能性があったのだが、沙璃の目は鋭く光り、そして彼女は舌なめずりを一つした。

「これは、事件やな」


【一方、その頃】
 とある森の中に存在する一つの里、そこに一匹の狸が立っていた。
 
 ここは、もしかしてと思いながら狸が歩いていると、一匹の狸は小さい狸が他の狸達にイジメられているところに出くわす。
「やーい、やーい。落ちこぼれー! 落ちこぼれー!」
「お前だけらしいよなー。一族の中でうまく化けられないのって」

 そのイジメの所より自分を挟んで右側からまた別の狸の声が聞こえてくる。
「なぁ、なんでアイツはオレ達の一族にいるんだ? 正直言って、お荷物だぜアイツ」
「本当に落ちこぼれって意味だよな、アイツ。一生この里から出られないんじゃねぇーの?」
「それ、言えてるぅー」

 その狸の目頭が熱くなっていった。


【ココロイタイ】
 泣いてたまるもんかと狸が必死に我慢していると、いきなり里が消え、狸は真っ暗闇な空間に投げ出された。

 すると、その狸の目の前に現れたのは二匹の大きな狸で、大きな腹と尻尾も有していた。一匹は片眼鏡をかけており、もう一匹はキセルを口にしていいて尻尾の付け根には赤いリボンみたいなものが蝶々結びされている。

 二匹――その小さな狸の両親は寂しそうな顔を浮べていた。
 何かに裏切られたとでも言いたげな、そのような解釈にも取れなくない。
 
 その顔に小さな狸の体が震えてしまった。


【アタタカイ】
 もう我慢してきたものが一気に爆発してしまいそうだった。
 歯をギシギシと音を立てながら小さな狸はもう駄目だと思っていた。

 ついに小さな狸は膝をガクンと崩してしまう。もうこれ以上は――。

『どうや? ウチもあんさんと同じく、立派な人魚になる為に海からやってきたんやで?』

 そのときだった。
 そんな声が頭に響いてきたのは。


【マケナイ】
 小さな狸の心から浮かび上がっているのは一つ一つの想い出。
 一緒に一人前になろうと手を取ってくれたあの人魚。
 
 それは一緒に一人前になろうと手を取ってくれた白いふわふわした髪をもった人魚との日々。
 チーズをたらふく食べた日のこと。
 パソコンという機械を教えてもらった日のこと。
 自分の腹を枕代わりに使われる日のこと。
 
 気がつけば、小さな狸は泣いていた。
 その涙に込められている意味は悲しみなんかではない――。

 勇気をくれるものであった。


【ちょっとだけかもだけど】
 小さな狸――零がハッと起きたときにはそこは人知れずな路地裏にある倉庫内であった。
 体には暴れないようにする為にか、しめ縄がぐるぐると零の体にとぐろを巻いている。
 ちなみに変化の方は解かれていて、元の狸の姿である。

「おや、零殿、起きましたぞよ?」
「まぁ、早い起床でありまして。すぐには起きられないように、悪夢の術を一つ入れておいたのですが」

 拘束されている零の前には二匹の狸が座っていた。
 一匹はかっぷくの良さそうな大きな腹を持ち、首からそろばんをかけている狸で、もう一匹は狸にしてはスマートな体つきが特徴的の狸だ。
「お前ら……太村(ふとむら)と、細崎(ほそざき)だな、だぜ……!」

「お久しぶりですぞよ、零殿」
「全く、手間をかけさせてくれましたね、貴方は」 


【ちょっと待て】
「なんで、お前らがここにいるんだぜ!?」
 零がいきなりそう噛み付いてくると、スマートな体つきの狸――細崎は鼻を鳴らしながらすまし顔で言った。

「それはこちらの台詞ですよ、零様。里の掟を破って、何をやっているのですか?」
「見ての通り、修行だぜ、なんだよ、悪いのかだぜ!?」
 零の刃向い言葉に細崎の目がカッと鋭くなったが、零が先に言葉を続けた」

「あのままじゃ、おれは駄目のままなんだって気がついたんだぜ!? おれは一生、半人前のまま里で一生を暮らすなんてごめんだぜ! 自分から行かなきゃ駄目だって、気がついたんだぜっ!!」
 
 その言葉にそろばんを首からかけている狸は号泣していた。
「うぅ、零殿、立派になりましたぞよよよよ」
「分かってくれて嬉しいんだぜ」
「勝手に話を進ませないでくれませんか」


【ようやく】
「いやぁ……零殿、やはりわたくしの見る目は間違いではなかったぞよ、さささ」
「ちょい待ちまなさい、太村」
 縄を外そうとしている太村を止めた細崎はどこからか鞭を一本、取り出した。

「やっぱり、これはお仕置きが必要なようですねぇ……」
「わたくしめもやられるのぞよ?」
「顔を赤らめながら聞かないでください、恥狸が」

 とりあえず、邪魔な太村をどかし、細崎が零にお仕置きをしようと鞭を振り上げようとしたときのことだった。
 細崎の後方から待ったがかかった。
「ちょっと、待ちぃやー!!」

 細崎がその声をだした主の方に向くと、そこには一人の白い髪を持った女がいた。


【色々違う】
「沙璃!!」
「ようやっと会えたなぁー、零。探したんやで?」
「ど、どうしてここが分かったのですか?」

 まさかここまで追ってくるなんてという驚いていた様子の細崎に沙璃は手に持っているものを示す。
 それは赤一色の携帯電話であった。

「へへへ、零に一台、持たせて正解やったわ。GPSっちゅう機能を使わせてもろうてな、ここまでやってきたんや」
「GPS?」
  
 聞いたことのない様子の零に、沙璃はちょっと考えた後――。
「頑張っている、ぽんぽん狸の位置を、探せる。略してGPSや」
「グローバル、ポジィティング システムですよね、それ」


【お約束】
「とにかく、GPSとはこちらも油断していましたね……」
 沙璃からもらった一台の携帯電話は零の尻尾の中に大事に入っていた。
 荷物検査みたいなことをされなくて、零は運が良かったのである。

「さてと、ええ加減に零をこっちに返してくれへんか?」
「そうはいきません。零様は里の掟を破ったのです。早急に帰らせます」

 掟という言葉に首を傾げた沙璃の為に太村が代わりに答えた。
「わたくしたちの里では半人前の狸は里に出てはいけないという掟があるですぞよ。一人前と認められて初めて里を出られるぞよ」
 
 それを聞いた沙璃はフーンと声を上げた。
「ルールは破る為にあるもんちゃう?」
「認めません」


【だって】
 沙璃が胸に手を当てて主張する。
「ウチら人魚やって、半人前から修行っちゅう名目でウチみたいに里から出されている奴がおるで」

「貴方の一族と一緒にしないでください、というか、人魚だったのですね。どおりで只者ではないと思ってましたよ」
「それ、本当かだぜ?」
「かっこつけているだけぞよ、いつも細崎は――」

 細崎が二匹の陰口をたたこうとするのと、ポンっという音が響いたのはほぼ一緒だった。

 白い煙が晴れた先には、一匹の美しい桜色の尾ひれを持った人魚がいた。
「白澪沙璃っちゅうもんや、よろしゅうな」


【太村はそっち系】
「え、白澪ぞよ?」
 そう声を上げたの太村であった。
 沙璃の美しい人魚姿に驚いたのではなく、その名前に驚いているようである。
「そうやで? 白澪やで?」

「こ、これは、ぞよよよよよよよよ」
「落ち着きなさい、細崎、何があったというのですか」

 そう言って細崎が太村に一発、ポンと頭を軽く叩いた。

「弱いぞよ?」
「なら満足するまで、殴ってからお話しますか?」

 
【まさかの】
「えーと、ぞよ」 
 ボコボコにされた後、本当に満足でもしているかのような顔で太村が語り始める。

「かちかち山は知っておるぞよ?」
 太村の問いに残った三匹は同時に頭を縦に振った。 
 かちかち山と言えば、イタズラ好きの狸が老婆を殺して、一人残された翁の為にうさぎが狸に復讐したという物語である。狸は背中に火傷を負ったり、傷口にトウガラシを塗り付けられたり、他にもされた後、最終的には泥舟に沈まされ、死んだという話だ。

「まぁ、実際にイタズラが過ぎただけで人の命までは手を出してないぞよ、だけど、うさぎに色々された内容はほぼ一緒ぞよ。これはその後の続きと思ってくれればいいぞよ。それでぞよ、うさぎの策略で海に身を投げ出された狸は人魚に助けてもらったんぞよ」
 え、という言葉が三匹から漏れたのは言うまでもない。

「それでぞよ。そこで人魚姫の白澪燈夜(しらみおひよ)という者と仲良くなった狸は、二度と命を奪うような悪さをしないことを誓って、元の場所へと戻っていったんぞよ。あ、ちなみにその狸は零殿の母君ぞよ」
「マジかだぜ!?」


【まさかの その二】
「白澪燈夜……ウチのかあさまの名前や。ということは、ウチのかあさまは零の一族の……」
「そうぞよ、命の恩人ぞよ。天祇(あまし)というのが零殿の母上殿の名で……わたくしたちの里の姫様なんぞよ。助けてもらえなかったら、一族は終わってしまっていたかもぞよ」

 まさかの真実に場は水を打ったかのように静かになった。
 無理もない、狸たちにとっては一族を救った命の恩人の娘が目の前にいるし、当の本人もまさかの接点に驚いている。
 ただ、雨の音だけが室内に運ばれてきていた。

「……ウチは人魚の姫に、零は一族の王様を目指して……か、面白いやん」
 やがて、そう最初に呟いたのは沙璃だった。

「なぁ、これも何かの縁やと思うねん。お願いや。零と一緒にいさせてくれへんか?」
「あ、おれもお願いするんだぜ!!」


【一応、決着?】
「……ですが……うーん」
「いいじゃないかぞよ、細崎。わたくしもそれが面白いと思うし、何より、零殿の為になると思うぞよ」
 未だに悩んでいる細崎に、太村が背中を優しく叩いた。

「半人前なのに掟を破り、だけど、里に戻ってくるときは一人前……というのもかっこいいぞよ? 正直言って、人を化かしたりする、わたくしたちにとっては、そういう常識破りな者についていった方が楽しいし、安泰するとおもうぞよ?」
 里だけという狭い世界ばかりでは、本当の意味で成長などできはしない。
 こうやって、荒波を超えながらの方が強くなれるというものである。

「そう、ですね……」
 細崎はやがて悩みが少し晴れたかのような顔を浮べた。その様子に太村も一安心する。

「使えるコネは色々と増やした方がいいですしね」
「わたくしの全力な説得の時間を返して欲しいぞよ」


【はやすぎ】
 しめ縄を解かれ、沙璃の元へ戻った零は太村と細崎の方に向いた。
「あ、ありがとうだぜ。それと、おれは頑張っていくから心配しなくても大丈夫だぜ!」
 
 その言葉に感動して涙ちょちょ切れを見せているのは太村である。この旅や沙璃との出会いなどで、ちょっとだけかもしれないが本当に大人になったと、そう思えたのだ。細崎も今までとはちょっと違う零の様子に自分の観察眼の甘さに舌を打った。

「沙璃様……零様のこと、よろしくお願いします」
「細崎はん」
 お辞儀をし終えてから細崎は目付きをキリっとさせながら言った。

「ぜひ、将来は零様の子供を四、五匹ほど」
「色々とツッコミが追いきれんからスルーでえぇか?」 


【昔を知っている者】
 やがて、その場を去っていく沙璃と零の背中が見えなくなるまで、細崎と太村は見送った。

「ふぅ……終わったであるぞよ。さてこれから天祇殿にどう報告するか考えなきゃぞよ」
「そうですね……全く、本当に手間のかかる子ですよね」
 そういう細崎の顔はなんだか楽しそうなものであった。

「こうやって、零殿を見送っていると、わたくしも昔のことを思い出すぞよ」
 ちなみにだが、太村は細崎よりも一回り、二回りも上の古株狸である。
 だから、あのような昔話を知っていたわけで。
 そういうことはつまり――。

「昔の天祇殿はあれ以上にすごかったぞよ〜。零殿にはぜひ、天祇殿を超えて欲しいぞよ」
「……人魚の他にもあったりですか」
 親も親なら子も子か、けど、それはそれで楽しみだったりする細崎がそこにいた。
 

【一つの終わりは何かの零からの始まりなり】
 ひとまず、零の強制送還騒動に無事、決着がつき、雨が降る中、人間に化けている零と足を生やした沙璃が歩いていた。
「な、なぁ、沙璃」
「なんや、零。そないにかしこまって」
 顔を赤くさせて、もじもじしながらも、零はなんとか言った。
「助けてくれて、ありがとだぜっ」
「ん、どういたまして」
 ニコっと笑いながらそう返す沙璃に、零は一息ついた。
 今回は捕まってしまって、しかも助けてもらって……本当に沙璃には助けてもらってばかりでカッコがつかないと、零は自分自身に舌を打っていた。これじゃあ、まだまだ一人前になるのは先の話ということも今回のことで分かった気がすると零は思っていた。すると、零の心を読んだのか、沙璃がいきなりこんなことを呟いた。
「あのままじゃ、おれは駄目のままなんだって気がついたんだぜ!? おれは一生、半人前のまま里で一生を暮らすなんてごめんだぜ! 自分から行かなきゃ駄目だって、気がついたんだぜ、やな♪」
 その台詞を聞いた瞬間に、零は思いっきり目を丸くさせた。その言葉は確か、細崎と太村に向かって言い放ったものだ。それを何故、沙璃が知っているのだろうか。知っているということはまさか――そう思いながら、零が隣を見ると、沙璃がニヤっと笑っていた。
「かっこよかったで♪」
「聞いてたのかだぜ!?」
「だって、あんなに大きな声で言うてたら、そりゃ、外まで丸聞こえやで」
 やられた、今非常に穴があったら入りたい気分に零が陥ったときだった。

 両方の腹から虫が鳴いた。

 その鳴き声にお互い、見やると、思わず笑ってしまった。
 零が感じた先程の恥ずかしさもどこかへと飛んでいったようである。
「今からおいしいチーズを使ったピザ屋に行くんやけど、どうや?」
「も、もちろんだぜっ!」

 これで終わりというわけじゃない。
 まだまだこれから。
 ゼロから一人前になる修行はまだまだ続いていく。

 けど、ちょっとだけ、大人になった子狸がそこにはいた。
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