> 集団化するポケモンバトル 作:飛馬
集団化するポケモンバトル 作:飛馬
 情報化社会の波が押し寄せると共にポケモンバトルのパラダイムは大きく変わった。中世のように国がトレーナーを部隊としてまとめて扱う組織的なものでもなく(もっとも、当時は現在のようにポケモンバトルが競技では無く軍事的なモノであったが)、しばらく前までのように一対一で戦う個人的なものでもなく、現代はトレーナーとファーマー、アナリストなどで構成される数人で一つの結晶となる集団化が進んでいる。
 力強いポケモン。経験。勝負勘。かつての三種の神器と呼ばれたこれらも、情報化したポケモンバトルの前では格好の的でしかない。決してこれらが無駄という訳ではない。だが、現在の三種の神器はもっと別のモノへと変容した。精神力。豊富なプール。情報。これらがなぜ現在の三種の神器として挙げられたかを、昨今の状況を整理しながら解説しよう。
 精神力はトレーナーが持つべきものである。ここでいうトレーナーはスタジアムに赴き実際に戦う者を指す。興奮や緊張をし過ぎずあくまで冷静に状況を把握し、ポケモンを操りそれらを処理する精神力。経験や勝負勘もある意味で含む、広義の言葉であるとも言える。
 豊富なプールはファーマーの役割だ。いわゆるファーマーとは、集団の中においてポケモンを育成、コンディションの調整、或いは管理など集団が使うポケモンの管理を司る人を表す。プールとはそのままの意味通り「蓄え」という意味だ。いろんなポケモンがいればいるほど、選択肢が広がる。選択肢が広がれば、バトルで有利になるのは言うまでも無いだろう。その選択肢もとい蓄えをトレーナーのために用意するのがファーマーの仕事である。
 最後に、アナリストの役割である情報。アナリストは対戦相手に関する情報を集め、それをトレーナーに教えて、共に対策を練る集団の中では参謀的存在である。アナリストが姿を見せると共に、この集団化が始まることになったのだが、そこはまた後程触れることにしよう。以上のように、現在の三種の神器はそれぞれベクトルが異なる。一人では補いきれないので、こうして集団化したのだろう。この三種の神器の変容には情報化社会が一枚も二枚も噛んでくる。
 さて、情報化したポケモンバトルでは従来の、オーダーを見てからどう戦うかを考えるという概念はもはや通じない。ゲーム(=試合)はスタジアムに立って、モンスターボールを投げてからではなく、対戦相手のオーダーを組む前から。つまり、スタジアムの外から始まっている。極端な言い方をすれ、いついかなる時でも戦いは行われている。これがどういう戦いであるか、これが情報化とどういう関係を持つか、を話す前に、それを論じる際に鍵となる「メタゲーム」の概念について説明させてもらう。
 現在、「メタゲーム/metagame」という言葉は流布しつつあるが、曖昧な理解が大半である。「メタ/meta-」は、「高次の」という意味を持った接頭語だ。つまり、メタゲームは直訳すれば高次のゲームとなる。とはいえそう言われてもこのままではよく解らない。しかし、メタゲームは身近に存在するのだ。例を挙げれば大会はメタゲームである。一試合ごとの「ゲーム」が大会を構成する要素なので、一試合の「ゲーム」に対して大会は高次の「ゲーム」であると言えよう。まとめると、メタゲームは集合の意味合いを持つ。
 世間一般では、「メタゲーム上で考える」や、「電気タイプをメタるパーティー」などのように使われる。ここで使われるメタゲームは、メタゲームの一番有利な扱い方を指す。その一番有利な扱い方はズバリ、大会で流行するパーティーを予測し、それに相性のいいパーティーを組むことである。これが転じ、相手のパーティーの対策をする意味でメタゲーム、メタるという用語になった。ポケモン育成とパーティー構築。実戦もそうだが、この二つはポケモンバトルの重要な根幹である。ゆえにメタゲームを有利にするための要素のなかで、パーティー構築が注目されるのは特別なことではない。パーティーについて多く語られるうち、「メタゲーム=パーティーの理論」という一般的な式が成り立つようになったのではないだろうか。また、大会で使われるパーティーの分布を予測するという意味で、「メタを読む」という言葉も生まれた。こうしたスタジアムに立つ前から行われるメタの読みあいが、情報化したポケモンバトルなのである。
 簡潔に述べたが、メタを読むという行為は極めて難解である。メタは図書館に置いてある書物を漁ればいいのではなく、常にあちらこちらで生まれ続ける情報なのだから。縁日の、それ自ら動くことのない水風船釣りより、動き続けるトサキント釣りの方が難しいのと同じである。
 情報にも鮮度がある。ヤンヤンマの大量発生があったとする。A番道路で発生したという一週間前の情報と、B番道路で発生したという数分前の情報があった。どちらの道路に向かうべきかは言うまでも無いだろう。これはメタゲームについても同じである。メタを読むためには新しい情報を仕入れ、それらを分析する必要がある。絶えず変わり続ける情報の流動性を説明するには、あやふやなアルファベットではなく事実を列挙するに限る。
 第四十二回タマムシ国際ポケモン大会では、優勝者のアルブス・キーマンが使用したパーティーがバンギラス、ガブリアス、メタグロスの砂嵐を利用したパーティーであった。以下、二位、三位と順に下を六十四位まで確認して、表にする。そうしてみると、なんと六十四人中約半数近い二十五人がガブリアスを使用しているのだ。さらに砂嵐を軸とした構成のパーティーは三十九人。半数を越えている。(用語ではTier1、Tier2(Tier/階層)という言葉を用いる場合もあるが、ここではより一般的に聞き慣れたものを用いる)こうして大会で上位の結果を出したパーティーを「トップパーティー」と呼ぶ。このトップパーティーが生まれた時、ここでトレーナーは二つに分かれる。トップパーティーを模倣する模倣型トレーナー。対して、トップパーティーに対するメタを読む対策型トレーナーの二種類だ。
 模倣型の利点は既に模倣するパーティーが結果を出していることにある。強いパーティーだから結果を残した。その強いパーティーを使えば良い結果を残すと考える人は絶えない。当然と言えば当然だろう。特にこの砂嵐型は、ライモンカップやサイユウシリーズなどでも結果を出している由緒正しいパーティーだ。それに対して、対策型は文字通り「トップパーティー」を対策したパーティーを構築する。トップパーティーに対するメタであるので、この対策パーティーを一般に「トップメタ」と呼ぶ。砂嵐への対抗策としては雨や霰など他の天気を扱うパーティーが有力と見なされた。事実、翌年のタマムシ国際ポケモン大会ではトップパーティーではなくトップメタである霰パーティーが優勝した。この大会の六十四位までのパーティー分布は砂嵐が変わらず二十九人と一番割合が大きい。優勝者のシブカワマサトは取材に対し、「昨今は砂嵐が流行っているので、そこを狙って霰で攻めてみました」とも発言をしている。メタを読んだシブカワが、トップパーティーを下した瞬間だ。
 しかし、その半年後のセキエイ大会ではタマムシ国際ポケモン大会では六十四人中九人だった霰パーティーが、六十四人中四十人にまで爆発的な増加をした。模倣型トレーナーがシブカワが優勝して霰パーティーが結果を残したのを確認し、鞍替えをしたのだ。こうしてトップパーティー<トップメタとバランスが崩れるとある異変が起こる。霰パーティーが新たなトップメタになるのだ。これ以降は霰に相性のいいパーティーを模索しつつ、また新たなトップパーティーが生まれていくだろう。そして新たにトップメタが生まれ、より高次の「メタ・メタゲーム/meta-metagame」へ、さらにより高次のものへと無限に続いていく。流動的な情報を追いかける必要があるため、メタゲームも流動的なのである。
 情報を征する者が試合を征す。模倣するにしても対策するにしても情報は必要だ。情報の処理こそが強いトレーナーとしての登竜門であろう。しかし、この情報化には欠点もある。ポケモンの世話や訓練だけで済んだ昔とは違い、インターネットなどが普及して誰でも情報が手に入る以上、ポケモンの世話などだけでなく情報の処理もこなさなくてはいけない。これはトレーナーにとっては非常に大きな負担となる。その役割を分散することが、ポケモンバトルの集団化の大きな原因になった。
 集団化することで、バトルはより洗練されていった。しかしその反面集団化は欠点も抱えている。一人だけでは集団には敵わないため、集団を作る、あるいは集団に入る必要性がある。集団に入る者が増えればそれだけ一つの集団が巨大化していく。巨大化しすぎると、それは現在のポケモンバトル界を全て飲み込んでしまう可能性がある。飲み込まれてしまえばその大きな集団の秩序がポケモンバトルの秩序となり、独裁的な界隈へと変貌する可能性も否めない。そこには今までのようなポケモンバトルは無くなってしまうだろう。
 これから先のポケモンバトルの未来は果たしてどうなるのか。今後も集団のままあり続けるのか、それとも肥大して組織化するのか。もしくは崩壊して個人化するのか。個人と組織の中間にある現在、我々は岐路に立たされている。
 
> 知恵比べで決めましょう 作:リング
知恵比べで決めましょう 作:リング
 スズナさんが受験勉強の追い込みをかけるためにと、ジム戦をお休みにすると告げられた一月初めの二週間。私はキッサキジムへの挑戦を一時諦め、戦力の補強のためにエイチ湖へ向かい、ユクシーの捕獲にチャレンジしてみることにした。
 たかだか一匹のポケモン、人海戦術で何とかなると思いきや、そんなことはなかった。
 悪タイプと虫タイプのポケモンを多数けしかけて、そのままごり押しで勝てるかと思いきや、あくびの技で眠らせられる。あくびを喰らっていない者が攻撃しようと間合いを詰めればとんぼ返り蹴りで飛ばされ、迎撃される。
 その迎撃で距離をとったかと思えば湿った湖の床に電気を流し、私も巻き込んでしびれさせる。次いで痺れたポケモンをアイアンテールで各個撃破。気付けば、自分のポケモンは全て倒されていた。
 ふわふわと浮き上がり、閉じた目でこちらを見下すよう高所に座し、君臨するは知識ポケモンのユクシー。
 冗談じゃない、こんなのに勝てるわけがないじゃないか。
 全てのポケモンをボールにしまい込んで、とりあえず逃げようとする私をサイコキネシスで浮かせ、トドメとばかりに私の荷物は全て剥ぎ取られていた。
「あ、ちょっと!! 返せよ!!」
 ユクシーはモンスターボールを多数持っていた私のバッグの中から、ユクシーは目ざとく博士から譲り受けたマスターボールを見つける。
「お、おい!! それ大事なものなんだぞ」
 しかし、ユクシーはそんな私の訴えを聞き入れることもなく、口の端を吊り上げにやりと笑った後、なんと岩陰に潜んでいたカラナクシに投げつけ捕獲してしまった。
「嘘……だろ……」
 貴重なマスターボールが、何の変哲もないピンクのカラナクシのために使われてしまった。
 あまりの絶望に、私が跪いてしまっている間にも、ユクシーは祝杯を挙げるようにツナの缶詰を開けて、ペットボトルに入った新鮮な水を呷る。自分の生活を壊そうとした者への見せしめという名の嫌がらせなのか、ユクシーは食料が半分ほど抜き取られたバッグを返してくれた。
 私は、とにもかくにもゲットしてしまったカラナクシを回収して、体勢を立て直すためにもこの洞窟を去ろうとした時、後ろから聞こえてくるのはテレパシーによる声。驚きはしたが、違和感を感じることはなかった。
 伝説のポケモンは多くがテレパシーによる会話を覚えていると聞くし、ましてや知識ポケモンと言うからにはそれくらいの能を備えていてもおかしくはない。
『おや、私をゲットしていかれないのですか?』
「出来るわけねーだろうが、クソ野郎!!」
 私は思わず暴言を吐いてその場を後にしようとするが、ユクシーに回りこまれる。
「うあぁぁぁ!!」
 驚いた拍子に、思わず手に持っていた登山用のピッケルで殴りかかってしまったが、それも難なくかわされてサイコキネシスで私は浮き上げられてしまう。
『知恵比べで私を納得させられれば、ゲットされて上げますよ?』
 性格の悪いユクシーは、口元に食べかすをつけたままにやりと笑っていた。


 私は考える。こいつは性格こそ悪いが命を取る気は無いようだし、知識ポケモンというだけあってバトルよりも問答で心を通じ合わせたいのかもしれない。
 性格が悪いから、絶対に解けないような問題を出してくるかもしれないが、何度も何度もそれが続くようならばこちらも帰ればいい。帰れるかどうかは不明だが、それは今逃げようとしても同じこと。
 今すぐにでも逃げ帰りたい気持ちで外を見てみるが、やはりこのユクシーをゲットしたい思いには変えられない。
「知恵比べったって、私は何をすればいいんだ?」
『簡単ですよ。私の出す問に答えつつ、貴方は私に問題を出して答えさせなければ良いのです』
「……わ、分かった」
 不安を覚えないわけではなかったが、口ぶりはごく普通の知恵比べなようなので、従って見る事にする。こいつがどんな問題を出してくるかは分からないが、危険だということは無いだろう。
『よし、来ました。では問題です……と、その前に、ちょっと目を瞑ってもらえませんか?』
「め、目を?」
 何をされるのか酷く不安であったが、従うしかないのであろうか、逆らったりせずに私は目を閉じた。
 そうして目を閉じると、間髪居れずにもう開けてもいいとの声。怪訝に思いながら目を開けてみると――
「あ……」
 記憶を消す力があると伝わるユクシーの目がまっすぐにこちらを見つめていた。一瞬、くらくらとめまいの感覚。倒れこそしなかったがバランスを崩しかけてよろけたところをユクシーが親切にも支えてくれた。
『今から出す問題の答えを知っていたら面白くないので』
 なんて身勝手な理由で、気付けば私は記憶を消されていた。どんな記憶を消されたのかは分からないが、一瞬くらくらとした際に恐らくは記憶を消されたのであろう。
「え、ちょ……待ってよ」
『待ったなし』
 きっぱりといって、ユクシーはわざとらしく微笑んだ。
『貴方の目の前には天国へ続く門と地獄へ続く門があります。そこには番人が居て、一方は必ず嘘をつき、もう一方は必ず本当の事を言います。
 貴方は、一つだけ番人に質問することが出来ますが、どのように質問すれば貴方は無事に天国へと続く門へ行けるでしょうか?』
「あの、私の記憶……」
『大丈夫です、問題ありません。生活に必要な記憶は消しておりませんので』
「そ、そういう問題じゃないでしょう……」
『ともかく、まずは私の問に答えるか、もしくは貴方も問題を出すか、二つに一つですよ。さて、どうします?』
「え、えーと……それでは、問題を出します。貴方の目の前にはA・B・C・Dと刻印された金塊があります。その金塊は三つが偽者で約5kg。そして一つが本物で偽者より10gほど重く出来ていますが、手に持った感じでは分からない程度の違いでしかありません。
 目の前には秤がありますが、警備の者が来るまでになるべく早い時間で終わらせたい。貴方はどうすれば早い手順で本物を見極めることが出来るでしょう?」
『Aを一つ、Bを二つ、Cを三つはかりに載せて。30kgちょうどならDが本物。10g多ければAが本物、20gならB、30gならCが本物……という簡単な問題では?』
「……ご名答」
『もう少しレベルの高い問題の方がいいですねー』
 即興で作った(というより思い出した)問題だけに、ユクシーはつまらなそうに一瞬で答えてしまった。何ともつまらない問題を聞かされて、ユクシーはつまらなそうにため息をつくばかりだ。
 私は考える。取り合えず、整理するべきは自分が番人に尋ねた際に相手がどのように答えるかである。
『天国へ続く門は?』と尋ねたとして、天国の門が左にあるとすれば正直者の番人は左。嘘つきの番人は右を指差すはずである。結局確率は二分の一なわけで、これで地獄にでも行かされたらたまったものではない。
 待てよ、指差す『はず』? 番人は互いの事を良く知っているであろうから、おそらくは番人同士相手の行動パターンは把握していることだろう。と、なれば、『同じ質問をしたときに相手の行動はどう答えるか?』 という質問をするとどうなるのだろうか。
 マイナスはマイナスだし、プラスはプラス。しかしマイナスかけるプラスはマイナスだし、プラスかけるマイナスもマイナスだ。
 私は意を決する。
「『隣の番人に天国へ続く門はどちらかと尋ねた場合、貴方達は隣の番人がどちらを指し示すと思いますか?』と、尋ね……指し示した方向は地獄を向いているので、逆方向の道に進めば天国への道……だと思います」
『ほう、正解ですよ。ですが、考える時間が私よりも長いので……失格です』
「……どうせ、即興で問題なんて出せませんし、問題解くのも遅いですよ」
『そうですね。問題を出せただけでも褒めるに値します……しかしながら、貴方の思考の早さ、悪くはありませんよ。先ほどの問題、今ま数人のトレーナーがここに来ましたが、その中で一番の早さでした』
「そりゃ、どーも……」
『おや、ご不満ですか? いいのですよ、もっと難しい問題を出しても』
「そんな簡単に問題を考えられるわけないだろうに」
『それもそうですね。では、もう一つ問題を出しましょう……
 ソルロックは月曜、火曜、水曜には必ず嘘をつき、他の日には必ず本当のことを言います。
 一方、ルナトーンは木曜、金曜、土曜には必ず嘘をつき、他の日には必ず本当のことを言います。
 今日、ソルロックは「僕は昨日、嘘をついた」と。ルナトーンは「俺も昨日、嘘をついた」と声をそろえました。
 今日は何曜日でしょうか?』
 ユクシーは空中にわかりやすく文字を浮かべる。いったいいかなる原理か、薄いセロファンのような薄い文字が黒々と空中に浮かんでいるという親切さで、同じくルナトーンとソルロックのシルエットまでついている。
 文字にされて読み返してみると、なるほど簡単だ。まず、日曜日はどちらも嘘をつかない正直な空白の日。そして水曜と木曜は嘘つきと正直者の境目の日である。
 ここでも、先ほどと同じくマイナスかけるプラスとプラスかけるマイナスの理論が通用する。
「木曜だ」
『正解です。簡単すぎましたか?』
 私の即答に気分を損ねることはなく、満足したように口の端を釣り上げている。
「さっきの問題と比べるとね……」
 とは言ってみた物の、ユクシーはまだまだ難しい問題なんていくらでも用意しているのであろう。
『では、もっと難しい問題を出してもよろしいですね?』
 案の定、ユクシーはこうして調子に乗る始末であった。

 結局、問答は一日では勝負がつかなかった。食料が尽きてもまだやろうとせがむので、結局は私は街まで買い出しに戻ってから、大量の食糧と共に洞窟の中で問答に励む。ポケモンたちは思い切って全員育て屋に預けてきた。
「なあ、ユクシー。お前、本当に知恵比べをして俺の仲間になる気はあるのか? もう一週間だぞ?」
『仲間になる気がないのであれば、二回か三回ほどやって、記憶を消して見限っております。私と知恵比べをしたことなんて、私をゲットでもしなければ記憶に残らないのですよ』
「なるほど。嘘か本当かはわからんが……ユクシーに挑んだやつの記憶があいまいなのも納得だ。だが、俺も他のポケモンを鍛えたりしたいんだが……大会に備えて……色々と。まだ俺の事を見極めることは出来ないかい?」
『貴方が、私をゲットしたい理由を……バトルのためだと言いましたので……それに、育て屋に預けて来たならば大丈夫でしょうに』
 ユクシーは俯き気味にそう漏らす。
『貴方に、知識を知恵に変えるだけの力があるかどうか。こんな論理パズルの問題では、正確に図ることは出来ません……しかし、この知恵比べの中で少しでも素養を見いだせればと思うのです。
 あなたが、私をゲットしたい理由はバトルのためだと仰った。こういう言い方は傲慢かもしれませんが、『私という強い』ポケモンでゴリ押しするような輩に、私が仕える価値はありますでしょうか? 出来るならば私を上手く使ってくれる者に仕えたいのですよ。
 いえ、バトルに限らず。貴方が私の知識を利用して事業に役立てるでも、政治をコントロールするでも……私は知識は与えられますが、知恵は与えられません。先ほども申しましたように、あんな知恵比べの論理パズルで事業に成功する知恵だとか、バトルに勝てる知恵だとかに結びつくかどうか、答えは否ですが、考えるという行動は少なからず頭の回転を速くしますし……頭の回転が速ければとっさの事態に対応することも出来るでしょう。
 そういう者にこそ仕えたい、という……これは我儘ではなく、使われるものとしての当然の権利ですよ』
「そうかい……」
『私の事を諦めたいのでしたら、いつでも構いませんよ。貴方には私が仕える価値がなかった……それだけの話ですので。私をゲットしたいならば、一時の感情に身を任せず、仲間にするまで諦めない意思を持つことです。アグノムじゃありませんが、強い意思もまた、試しております故』
 ユクシーは挑発するように薄笑いを浮かべてこちらを見る。マスターボールを勝手に使ったり、性格の悪い奴だとは思っていたが、今度もまた少しウザったい。

「ともかく、頑張れってわけね……私に」
『そうです。がんばってください』
 くやしいが、このユクシーは半端じゃない強さを持っている。こいつさえ仲間になれば、数いるジムリーダーの突破も不可能じゃないし、私のポケモンのトレーニングにもきっと一役買ってくれるはずだろう。
 それに、このポケモンならば膨大な知識を以ってして、相手の戦略への対応法も教えてくれるはず……なんてこっちの思惑も、きっとユクシーは大体わかっているようだ。そんな風に自分に頼るつもりで、ミックスオレの懸賞で運よく手に入れたマスターボール片手にゲットしに来たような私には仕えたくないと言うのだろう。
 そりゃそうか。無能な奴に力で抑えつけられて従わざるを得ないというのは知識の神であろうとその辺のグラエナであろうと屈辱であることには変わりないのだろう。
 OK、いいだろう。それならそれで、お前が納得がいくまでやってやるさ。お前の問題が枯渇するまで、何度でも何度でも。お前に似合うだけの、お前のお眼鏡に適うだけの頭の回転を手に入れられるまで、知恵比べの百や二百やってやるさ。
「じゃあ、頑張らせてくれ。早速」
『おやおや、やる気満々ですね』
 ユクシーは俄然やる気を出して笑顔になる。こっちは時間が惜しくてイライラしているというのに、こいつはいつなんどきもスローライフを生きてきたせいなのか、気楽なものである。
「では、いきますよ」
 コホン、とユクシーは咳払い。
『ある男が、アルセウスの聖域を侵してしまいました。怒り狂ったアルセウスは、男に対して無理難題を押し付けます。まず、用意したのはゴージャスボール、モンスターボール、ヒールボールと、それぞれどれかボールに入っているユクシー、アグノム、エムリットの三匹。最後に凶暴なパルキア』

 この三匹を一匹ずつ使ってパルキアを倒せと言うのがアルセウスからの無理難題です。しかし、この三匹でパルキアを倒すには少しばかり問題があります。まず、パルキアに唯一ダメージを与えられるのはアグノムの大爆発のみ。それ以外の攻撃ははじかれます。
 しかし、アグノムは耐久性能が紙なので、パルキアの攻撃一発で戦闘不能になってしまいます。なので、まずは耐久能力の高いユクシーに置き土産をしてもらう必要があります。
 また、アグノムの大爆発は強力過ぎて、パルキアのみならず貴方も巻き添えにして再起不能にします。なので、エムリットの癒しの願いであなたの傷を癒してもらう必要があります。
 しかし、貴方はどのボールにどのポケモンが入っているかわかりません。一匹ずつ、ユクシー・アグノム・エムリットの順番にポケモンを出さなければ貴方は遅かれ早かれ死亡と言うわけですが……』
 さすがに一息で言うのは辛かったのか、ここでいったんテレパシーを解いてユクシーは深呼吸。長文の問題なので、ユクシーは空中に文字を浮かべてこちらにわかりやすく問題を示してくれている。
「そのままだと、確率は六分の一……」
『ええ、そうです。続けますよ……
 貴方の言うとおり、このままではあなたが生き残れる確率は六分の一です。それではさすがに大人げないので、アルセウスは「一度だけ私に質問することを許そう」と言いました。その質問は「YES」か「NO」でのみ回答し、「YES」か「NO」で回答できない場合は沈黙する。私はボールの中身を全て知っているから、嘘をつくようなことはしないし、もし沈黙した時はもう一度質問することを許可するとのこと。
 「さあ、質問してみるがよい」と、アルセウスは言いました。貴方が生き残るためには、どんな質問をすればいいでしょうか?』
「簡単だ」
 私は即答する。これまで何十も問題を解かされてきたおかげか、この手の問題についてはだいぶパターンが読めてきた。
「この場合は、『YES』か『NO』で答えられる質問で正解を確信しつつ、答えられない質問でも状況を把握できるようにする必要がある。そうだな……たとえば、まずは真ん中のアグノムを確定要素としておこう。
 『まず、私がゴージャスボールに入っているポケモンを繰り出し、次にアグノムを繰り出し、最後にヒールボールに入っているポケモンを繰り出した場合、私は生き残れますか?』と尋ねたとする。
 アルセウスの答えが『YES』であればゴージャスボールにユクシー、モンスターボールにアグノム、ヒールボールにエムリットがそれぞれ入っていることになる。そして『NO』と答えた場合はゴージャスボールにエムリット、モンスターボールにアグノム、ヒールボールにユクシーがそれぞれ入っていることになる。
 沈黙した場合は、ゴージャスボールかヒールボールのどちらかにアグノムが入っていることになる。なぜなら、その場合は2番目にアグノムを出すことが不可能だからありえない。ありえないことには『YES』も『NO』もないから答えられない……沈黙というわけだ。
 あとは同様の手順で、どのボールにアグノムが入っているかを見極めればいい。そうすれば、俺は生き残れるはず……」
『お見事です』
 感嘆の息を漏らしユクシーが私を褒める。なんだか、妙に嬉しかった。
『では、追加問題と行きましょう』
「なんだって?」
『今の問題で、別の回答を用意してください』
 今までも、幾つか別の回答が用意されていることはあったが、それはその時に逐一ユクシーが教えてくれていた。だが、今回は別の回答も自分で用意しろとの要求だ。
 第二段階と言うべきなのか、ともかく彼女が次のステップに進んでくれたということは、もしかしたら着実にユクシーがゲットされてもいいかもしれないと靡いている証拠なのかもしれない。
 面倒だなんて思わない。こっちの勝利が目前と言うわけではないが、近づいている気がしてやる気が余計に湧いてくる。
「そうだな。この問題は、結局いかに沈黙を使いこなすかが重要なんだ。だから、沈黙させることで状況が判断でき、なおかつ『YES』でも『NO』でも正解を確認できればなんでもいいのだ。
 だから、起こりない状況を上手く作り、質問すればいいわけで……『ヒールボールのポケモンによって私が巻き添えでダメージを受けた場合、そのダメージはゴージャスボールのポケモンで回復できますか?』というのはどうかな? 『YES』ならば、ヒールボールにアグノム、ゴージャスボールにエムリットで確定。『NO』ならばヒールボールにはやはりアグノム。ゴージャスボールにユクシーが入っているのは確実。
 沈黙した場合は、どちらかの回答が得られるまで何回もやり直せばいいわけで……」
 すらすらと淀みなく答えた私を見て(目は開いていないが)、ユクシーは感銘を受けていた。
『本当に見事なものですね』
 そうして、ユクシーは満足そうな笑みを湛えて沈黙する。

「おいおい、問題のアルセウスじゃあるまいし、黙られても困るんだが……」
『いえ、すみません。悪くない、と思いまして……貴方が』
 面と向かって言われて、私はなんだか照れてしまう。そんな私に構わず、ユクシーはこちらにテレパシーを飛ばす。
『少し、昔話に付き合ってもらってもいいですかね』
 仲間になってもいいかもと思ったユクシーは、急にしおらしくなってそう頼んだ。
「構わないが……」
 知恵比べとは違うが、これもまた仲間にするためには仕方がないことかと、私はユクシーの頼みを受ける。
『私は昔、膨大な知識と、強い感情と、鋼の意思を持つ者に仕えた……いえ、従わされたことがあります』
「従わされたということは……ギンガ団の……アカギですか?」
『よく知っておられますね。その通りです』
 感心感心とばかりにユクシーは微笑む。
「まぁ、有名ですから」
『なるほど。人間の間でもあれは有名な出来事なのですね。いえ、ね……彼の持っている知識の素晴らしさは、私がよだれを流したくなるくらいでした。そして、その知識から生まれる知恵も、相当なもので……
 そして、彼の鋼の如き強靭な意思は、アグノムですら平伏するほど。しかし、感情は悲しいことに、怒りとか、悲しみとか、嘆きとか、悔やみとか……説明するまでもなく負の感情ばかりで、暗雲渦巻いているような人でした。
 いかに知識や意思がすごかろうとも、そんなアカギに我々は使役されるつもりはありませんでしたが……彼らの科学力と、行動力の前に我々の抵抗の一切は無駄だったのです。エムリットも、最後まで彼の心を救おうと、テレパシーで語りかけ続けましたが……結局、彼はすべてを捨てて別の世界に旅立ってゆきました。
 ディアルガとパルキアの作った新たな世界で、何の感情にも、生にも死にも、有にも無にも、空にも色にも縛られない涅槃にたどり着くために。
 そのために、多くの者を犠牲にし、多くの自然と建造物を傷つけ、大地を疲弊させました。そういったことを防ぎたいがために、私は心の清いものに力を貸したいですし……だからといって無能なものには力を貸したくはありません。
 ですがまぁ、貴方はそこそこ有能だと認めてもいいでしょうかね……』
「そりゃ、ありがたいが……言い方に棘があるなぁ」
『アカギ以上に有能なトレーナーなんて、そうそういませんもの。あの人の志(こころざし)さえ邪まなものでなかったら、生涯仕えたくなるほどに……それくらい、あの人は優秀でしたもの』
「チャンピオンマスターよりもか?」
『さあ、どうでしょうね? あの人もかなりのものでしたがね』
 ユクシーは目を閉じたまま不敵に笑い、話をはぐらかした。
『貴方はアカギと比べればまだまだ不完全にもほどがある。でも、貴方との問答……なかなか楽しませてもらいましたし、その頭の回転の速さをバトルでも生かしてもらえると信じましょう。そして、貴方は私にとって、志、人間性を含めてアカギ以上と断言できますか?』
「そうありたいです。今はまだ不甲斐なくとも、大成してみると誓います」
『そうですか。では、先ほどのアルセウスの問題と同じく、自分の道に迷いを感じた際に、別の答えを探すことは出来ますか? 信念があるのはいいことですが、意固地になる人は嫌いでしてね』
「大丈夫。私は優柔不断ではないけれど、頑固者でもないつもりだ」
『知識という原石を、知恵という結晶に変えることを、常に怠らないと誓えますか?』
「もちろんだ……勉強して詰め込んでも使わなきゃ宝の持ち腐れだからな」
 力強く宣言した私の言葉にユクシーは満足げに頷きテレパシーを飛ばす。

『わかりました、信じましょう。それでは最後の知恵比べとまいりましょう』
「え……」
『待ったなしです』
 驚き、目を皿にする私に心の準備をさせる間もなく、ユクシーはテレパシーをこちらに送る。
 さて、貴方はこれから私を使役する権利を得るわけですが……貴方の頭の回転の速さに、私は仕える価値を見出しました。しかしそれでは不十分なので、それ以外に貴方に仕える価値を貴方はアピールできますか?
 この知恵比べの最中で許可する発言は一回のみ。そして、「YES」か「NO」で答えられる質問を一度だけ許可します。私の心を掴むアピールを、一発でしてください』
 私は混乱した。なんだその問題は? ある程度選択肢がか限られている問題だからこそ、嘘つきと正直の問題も、その他多数の問題も突破できるのだというのに。アピールする項目だなんて無限にあるというのに、どういう質問で心をつかむアピールを特定しろと言うのだろうか……無理ではないか?
 それはつまり、これは知恵比べではなくただ単にアピールしろと言うことなのだろうか? だとしても、質問をしろと言うのも気になる。だが、質問に対しての補足が全くないということは、質問はやはり一回なのであろう。どうすればいいのかなんて見当もつかないが……どうすればいいのだろうか。
 しかも、発言は一回のみであれば質問をしたらもう発言できないと思うのだが。いや、逆に考えれば……アピールと言うのは言葉だけではないということか。企業の就職面接でもないのだから、一芸をやってみることもありと言うわけか。

 だが、何をすればいいのか悩ましかった。しかしただ時間を消費していてもらちが明かない。私は意を決して、ふよふよと浮いているユクシーを見据え、質問を一つ。
「いいから、四の五の言わずについて来い。いいな?」
 我ながら、おかしな質問であった。しかし、私の考えうる最高の質問がこれなのだが。結果はどうだろう?
『YES』
 と、ユクシーは笑いながら答えた。
 それなら、こちらもアピールタイムだ。私はゴージャスボールを握りしめて投げつける。放物線軌道を描いて吸い込まれるように当たったモンスターボールに、ユクシーは収納される。そして、その中で何の抵抗もなしにユクシーはゲットされた。

「……マジで捕まったのか」
 静かになったゴージャスボールを手にして、私はまだ実感の湧かないままにスイッチを押し、ボールの中からユクシーを繰り出す。
『ご機嫌麗しゅう』
 うっとおしいまでに恭しく畏まり、ユクシーはふよふよと浮いたままこちらを見つめる。
「これからよろしく。ユクシー」
『ええ、よろしくお願いします』
 と、今一度ユクシーは頭を下げる。
『素敵なアピールと質問でしたよ』
 頭を上げてからの第一声はそんなところであった。
「結局、最後のあれって知恵比べではなかったけれど……アレは……」
『知識があり、知恵があっても……野性の勘はわかりませんからね。貴方の出たとこ勝負の強さを見たかったのですよ。そしたら、「四の五の言わずについて来い」ですもの。笑いをこらえるのに必死でしたが……』
「笑ってたじゃないか」
『なかなか面白いので合格にしました』
 私の言葉を無視してユクシーは言い切った。
「面白かったから、『YES』か……」
『そうですよ。それに、この胸もキュンときましてね……貴方の頭の回転に、私の知識。そして出たとこ勝負もそれなりでしたし、貴方の指示を受けていれば楽しいバトルも出来そうな気がしましてね。それに期待して、ゲットされて差し上げました……出世払いでお願いしますよ?』
 ユクシーは空中で泳ぐようにくるくる回りながら言い、不敵な笑みでこちらを見て笑う。
「うん。今はお前ひとりに全滅させられちゃうけれど……こんどは、不甲斐ない結果を出さないように成長させるし、する。だから、ジムバッジを八つ手に入れるまでは、見守っていてくれ。お前の出番はいらないくらい頑張って見せるからさ」
『良い心がけです。では、さっそく行きましょう。貴方の言葉を信じた私を、失望させないでくださいね』
 相変わらず、ユクシーは厭味ったらしく性格が悪い。しかし、実力のあるやつなのだから、それくらい横柄な態度でも問題なかろう。とにかく、大口を切ってしまった以上は後戻りも出来まい。今はこいつを連れて、センター試験を終えたスズナに挑戦するのみだ。

 私は、何日も夜を明かした洞窟を抜け、バッジを携えて待つキッサキジムへの道を急いだ。
 
> 運命の流れ星 作:BoB
運命の流れ星 作:BoB
一人のポケモンが、この町の高台にやってきた。ちょうど、後ろにはきれいな夕日が出ている、絶景ポイントだ。しかし、彼の目的は景色ではなかった。
「とうとう来たぞ……」
彼の名はマグマラシ。この高台にあるギルドで、探検家を目指して修行するために、はるばる遠い町からやってきたのだった。
彼は大きく深呼吸をすると、大きな門を叩いて声を張り上げた。
「たーのもー!」
全く反応がない。今度はさらに大きな音を立てようと、体当たりすることにした。何度かぶつかり、その後、助走をつけて思いっきりぶつかろうと、少しずつ後ろに下がり、走り出した。しかし、走り出した瞬間に、門が開き、親方が出てきてしまったのだ。もちろん、急に止まることはできず、勢いよく親方にぶつかってしまった。
「いたたた…… あんた、なかなか才能あるみたいやな」
「は、はぁ……」
吹っ飛ばされておきながら、文句一つ言わず、むしろ何故かほめられてしまったことに、彼はもやもやした何かを感じた。
「ところで、なんでわざわざこんなとこまで来たんやな?」
「ギルドに入門するために……」
「ホンマか!? じゃ、さっそく中入って、まずは探検家登録せなな!」
そういうと、親方は早足で、ギルドの建物の中へ、入っていった。マグマラシも後に続こうとしたが、ここでふと違和感を覚えた。何だろうと振り返ってみると、門が開きっぱなしになっていたのだ。
「ここの親方、大丈夫なのかな……」
これからの修行に一抹の不安を覚えながら、そっと門を閉め、親方の後を追った。
 親方の後に続いて到着した部屋は、広い円形で、木造の素朴な作りだった。部屋の右の棚に、なにかきらきらした物が大事そうに置かれている以外は、特に目を引く物は無かった。
「それにしても、よう来てくれたなぁ! あんたがこのギルドに入門した初めての弟子や!」
マグマラシはずっこけそうになった。始めに感じた予感が、こんなにも早い段階で当たってしまったからだ。
「あのー、さっきの門、ずいぶんと古そうに見えたんですが……」
「ああ、それは、もともとここに別の建物が建っとって、その時の門を使い回してるだけやから心配せんでいいで。……あんたまさか、何十年もギルドやっときながら誰も入門してへんのちゃうかとか思ってたんちゃうやろなぁ? まだ半年しか経っとらんわ」
結構経ってると思うのだが、と、マグマラシは思わずツッコミを入れたくなった。想像以上の不安を前に、さっさと出て行きたいとも思ったが、一度入門しに来たと言ってしまったことと、親方の嬉しそうな様子を見ていると、なんだか引くに引けなくなって、固まってしまっていた。
「じゃ、そろそろ登録しよか。あんた、一人やんな? そしたら、名前は{マグマラシ}で登録してええな? 別に違う名前にしてもええで?」
「いえ、そのままでいいです……」
「ほな、それで登録するで! ちょっと危ないから伏せとき!」
「へっ!?」
何が何だか分からないまま、マグマラシは言われた通りに地面に伏せた。次の瞬間、大きな音とともに、強い光が放たれた。
「ふぅ、登録完了! ほな、これからよろしくな!」
「ええ!」
こうして、マグマラシの修行の日々が始まった。ギルドに届く依頼を持ってダンジョンに行き、依頼を達成して戻ってくる。そして、夕方にはギルドに帰ってきて夕食。そして就寝。これが彼の日常となっていった。他の弟子がいないので、親方とマグマラシはどんどん仲良くなっていった。始めに感じていた不安が、まるで嘘だったかのように。
「今日の探検はどんな感じやった?」
「なかなかいい感じでしたよ。まぁ、最後の詰めが少し危なかったですけどね」
「まあまあ、これからがんばってったらええし、あんまり気にせんときや。……あと、お願いなんやけど、誰か弟子になってくれそうなポケモンがいたら、また教えてな?」
「あ、はい、考えときます……」
マグマラシは順調に修行を進め、力をつけていった。ちょうど同じタイミングで、彼は、探検のやりがいも見出し、探検への熱意をさらに強く燃やしていた。探検隊連盟主催のテストにも合格し、有名になることで、徐々に来る依頼も増えてきた。彼の探検隊生活も順調に見えていた。そんなある日、事件が起こった。
「あれ、あれ、あらへんがな、あらへんがな!」
「どうしたんですか!?」
「わいの宝物があらへんねん! ここにちゃんと置いてあったはずやねんけど……」
「宝物って何なのか、教えてくれませんか?」
「ああ、まだ言うてなかったなぁ。あれは、{星の結晶}って言うて、わいが探検家を始めるキッカケになった、大事な物やねん……」
そう言って、親方は、自分の過去を話し始めた。
――わいはその日、いつものようにのんびり星空を眺め取ったんや。その日は流星群の日でなぁ、そりゃあたいそうきれいやったんや。そんで、ぼーっとしとったら、やけに低いとこまで落ちてきた星があってなぁ、目で追ってたら、そのまま地面に落ちてもうたんや! びっくりしたと同時に、落っこちた星を見てみたくなってな、たいした準備もせんと、勢いだけでその星の落ちたとこへ走り出したんや。そしたら、思ったより遠くて、しかも、洞窟を抜けなあかんかってん。すごい怖かったけど、星を見たかったから、強引に突入したんや。案の定、ポケモンたちに襲われるわ、罠には引っかかるわで、散々やったわ。でも、なんとか星が落ちた場所までたどりついたんや。月の光が反射して、この世の物とは思えへんぐらいきれいやったんや。それで、世界には、こんなきれいな光景がいっぱいあんのかなと思って、探検家になろうと決めたんや。――
「その時に拾ったのが、無くなった{星の結晶}なんですね……」
窓から差し込む朝日に似つかわしく無いくらい、雰囲気は暗く沈み込んでいた。しばらく沈黙が続いた後、マグマラシは突然こう言った。
「俺が取り返して来ます」
「そんなんできるんか? どこ行ったかも分からへん状況やのに……」
今分かっていること、それは、星の結晶が突然無くなったこと。そして、他には何も変わっていないことだけだった。犯人像も、結晶の消えた先も、何も分かっていないのだ。おそらく、どんな名探偵でも、この謎は解けない。そう思って、親方はあきらめようとしていた矢先の言葉だったので、親方は自分の耳を疑った。
「どっかありそうな当てでもあるんか?」
「さっき話してた、星の結晶を見つけた場所に行けば、何か分かると思います! どこなのか、地図で詳しく教えてくれませんか!?」
「……しゃあないな。他に手がかりも無さそうやし」
マグマラシが差し出す地図に、親方は印をつけた。その地図を丸めると、マグマラシは大急ぎでギルドを飛び出して行った。
「大丈夫かいな……」
親方の不安とは裏腹に、空には雲一つ無い青空が広がっていた。
親方が言っていた場所へ行くためには、ギルドから草原を越え、そして洞窟を抜けなければならなかった。結構な長旅だ。それでもお構いなしに、マグマラシはひたすら前に進んでいった。
 草原にたどり着いた。草原といえど、立派な不思議のダンジョンとなっている。ここて初めて、マグマラシは何の準備もしてきていない事に気が付いた。しかし、今更戻れないと、そのまま進んでいった。草原は主に草タイプのポケモンが多い。炎タイプのマグマラシにとっては戦いやすい相手のはずだった。しかし、ここで災難が起きた。モンスターハウスに足を踏み入れてしまったのだ。
「ちくしょう! 何だってんだよ!」
相性的には戦いやすくても、数で来られると対処しにくい。そのことは、マグマラシも数々の探検の中で、感覚的に分かっていた。だが、いざとなると、どうしていいか分からなくなってしまうのだ。袋だたきに遭いながらも、どうにか階段まで逃げてきたが、もうマグマラシはへとへとだった。やっとの思いで草原を抜けたマグマラシの前に、小さな村が現れた。
「(意外と、ここまでが長かったな……)」
そう思いながら、町に入り、この先に待つ洞窟へ向けての準備をすることにした。
「おぅ、いらっしゃい!」
「リンゴ2つと、モモンの実1つ頼む」
「あいよ、そういえば、おまえさん探検家みたいだが、これからどこに行くんだい?」
「ここから北に行ったとこの洞窟だよ」
「ああ、あそこは謎が多いからなぁ。一回隕石が落ちてきたんだが、その頃からかなぁ。あの洞窟の先には何かあるって騒がれてるんだ」
「へぇ……」
何となく、行くことを引き留めているかのように、マグマラシには聞こえた。それはまるで、そこが危険であると言うかのようだった。
「お待たせ。代金は110ポケだ」
「ありがと」
店員の話が気になりながらも、マグマラシは町を後にした。何かあるのは確かなようだが、もうちょっと詳しく教えて欲しかったなと、彼はもやもやしたまま、洞窟へと向かって歩き出した。
洞窟に入る頃には、夕日が辺りを照らす時間になっていた。出発から思った以上に時間がかかってしまったことに焦りつつも、深呼吸して落ち着いて、洞窟の中へ入っていった。
洞窟の中は、凶暴なポケモンの巣窟となっていた。しかし、マグマラシは、それをさらりとかわしつつ、軽快に奥へと進んでいった。洞窟という場所だけあって、マグマラシにとっては苦手ないわタイプやじめんタイプとも多く遭遇したが、それもさほど問題にせず突き進んでいった。その時、彼はなにやら怪しい影が後をつけてきているように感じたが、気のせいだろうと、無視して進んだ。
洞窟の奥の方に来ると、突然広い空間が現れた。時々水が落ちる音が聞こえる。何の気無しに通り過ぎようとしたとき、今まで後をつけてきた影が、突然前に飛び出してきた。
「おまえ、誰だ!」
「俺はグラエナ、この奥にある宝目当てでやってきた、トレジャーハンターさ」
「道を塞いで何のつもりだ?」
「……お宝は渡さないぜ」
「やっぱりそうか……!」
二人はこれ以上、言葉を交わさずに、すかさず臨戦態勢に入った。
 先に動き出したのはグラエナの方だった。素早い動きで、マグマラシに迫る。マグマラシは難なくかわして、【かえんほうしゃ】で迎え撃つ。それはうまくグラエナに命中した。
「ふん、どうやらその辺の腰抜けとは違うようだな」
いきなり一撃を食らったグラエナは、またしてもマグマラシに向かっていく。
「一回やられてんのに、また同じ手でくるつもりか? 返り討ちにしてやるぜ!」
しかし、グラエナは避けてどんどんマグマラシとの距離を詰めてきた。さすがに少し焦ったマグマラシは、後ろに下がりつつ攻撃を続行した。しかし、グラエナは攻撃をことごとくかわして、間合いを狭めてくる。とうとう壁際まで追い詰められてしまったマグマラシは、グラエナの攻撃を間一髪でかわし続けるものの、反撃のチャンスがつかめず、完全に防戦一方になってしまっていた。
「ちくしょう、反撃のチャンスが掴めない……」
「この勝負、もらったな」
一方、グラエナの方は、完全にペースをつかみ、マグマラシを追い詰めていた。グラエナの攻撃が、だんだんとマグマラシに当たるようになっていた。グラエナの持ち味である、スピードでたたみかける接近戦は、確実にマグマラシにダメージを与えていった。
「降参すれば、見逃してやってもいいぜ」
「誰がそんなこと……」
マグマラシは【ふんえん】でグラエナをはじき飛ばし、体制を整えた。お互い、相手の出方をうかがって、じっとしている。このままでは、らちがあかないと思ったマグマラシは、小さな炎で牽制を始めた。相手は少しずつ間合いを詰めてくる。相手の攻撃が当たるか当たらないか、ぎりぎりの距離で、マグマラシは渾身の力を込めて【かえんほうしゃ】を放った。グラエナは、避けきれずに直撃し、大きく吹き飛ばされた。
「形勢逆転だ。さあ、道を開けてもらおうか」
「……覚えてろよ!」
グラエナは、あっさりと引き下がり、逃げて行ってしまった。
「なんだ。えらそうにしときながら、度胸はたいしたことないじゃねぇか」
マグマラシは、少しのいらだちを覚えながら、地面を強く蹴って歩いて行った。
グラエナと戦った場所を抜けると、洞窟の中であるにも関わらず、空が見える場所に出てきた。空はすっかり暗くなり、たくさんの星が瞬いていた。
その場所の真ん中に、星の結晶がたくさん積まれていた。一番上には、親方の部屋にあった物と同じ形の結晶があった。マグマラシは、すぐに駆け寄り、結晶を拾い上げようとした。その時、突然、結晶が輝きだした。突然のまぶしい光に、マグマラシは思わず目を閉じてしまった。そして、光が収まり、目を開けると、見知らぬポケモンが浮かんでいた。
「……ふぁあ、まだちょっと眠いや」
「……あんたは、誰だ?」
「ん? 僕はジラーチだよ。君は?」
「お、俺はマグマラシ、親方が持ってた星の結晶が無くなったから、ここに来たら、何か分かるかなと思ったんだ」
マグマラシは、突然現れたジラーチに対して、驚きを隠せずにいた。無意識のうちに、少しずつ後ろに下がっていた。
「これを探しに来たの?」
「あ、いや、そうなんだけど、何か、大事な物だって言うんだったら、別にいらねえよ……」
「別に持って行ってもいいよ。もともと、僕が勝手に持って行ったのが悪いんだから」
「……持って行った?」
「うん。実は、ある目的の為に、星の結晶を集めてたんだ」
「ある目的……?」
「そう。空を見てみて。もうすぐ始まるよ」
言われたままに空を見上げると、大きな彗星が見えた。しばらく眺めていると、突然、光が強くなった。それと同時に、星の結晶も光り出した。そして、その二つをつなぐように、太い光線が放たれた。
「これは一体……」
「エネルギーのやり取りをしてるのさ。この大地に豊かにするために必要なエネルギーを、彗星からもらってるんだ」
「へぇ……」
しばらくすると、光はおさまり、元の星の結晶に戻った。
「なぁ、こんな大事な物、本当に持って行ってもいいのか……?」
「いいよ。それは君にとっても大事な物なんでしょ?」
「ああ……」
「でも、少しだけ、約束してもらってもいいかなぁ?」
「ん、何だ?」
「このことは、誰にも話さないで欲しいんだ。何かに悪用されると困るから」
「ああ、もちろんだよ」
「それと、僕のことを、ずっと覚えていて欲しい。僕は、1000年に一度しか目覚められないから……」
そう言ったジラーチの目には、うっすら涙が浮かんでいた。マグマラシは、あえてほほえみかけながら、声をかけた。
「1000年に一度、か。さみしかった、なんて言葉じゃ片付かないよな…… うん、お前の事、絶対忘れない。口にすると、軽々しく聞こえるのが歯がゆいけどな」
「ありがとう。僕も忘れないから……」
そういうと、ジラーチは光に包まれて、地面に溶け込んでいった。それを最後まで見届けると、マグマラシは、星の結晶を持って、洞窟を去って行った。
 ギルドに戻ると、門の前で親方が待ち構えていた。マグマラシは、持って帰ってきた星の結晶を、親方に手渡した。
「おお、ホンマに取り返してくれたんか!? 正直期待してへんかったけど、すごいなぁ」
「期待してないはないでしょう……」
「いや、状況的にな! 別にあんたに期待してへんかったわけちゃうで!」
「分かってますよ」
マグマラシは、親方と話す間、終始にこにこしていた。
「ん、えらい楽しそうやけど、何かええことでもあったんか?」
「何でもないですよー」
「何やなそれ! 隠さんと教えてーな!」
ギルドの前に、大きな笑い声が響いた。星の結晶の中で、ジラーチも一緒に笑っているような気がした。
 
> ラベリング 作:音色
ラベリング 作:音色
「アンタ何してんのっ!?」
 か細い声が漏れているドアを開けた。そこには、生まれて間もないであろう小さなドラゴンポケモンの腹を踏みつけている男がいた。
 足蹴にしている小さなモノズの声など聞き流しているそいつは、面倒くさそうな視線をこちらに向けた。
「お前誰。目ぇついてる? 関係者以外立ち入り禁止の張り紙、見えなかったの?」
「今日から関係者です。だから問題はないはずです! それより、アンタなにしてるんですか!」
 首に下がっている許可証を見せつける様に構える。一瞥だけくれると、男はすぐに子竜の腹に体重を書ける作業に戻った。
「見て分かんない?」
「分かりません」
「モノズの腹に片足乗っけて体重かけてる」
「なんでそんな事をっ……」
「ブリーダーだから」
「え」
 帰ってきた言葉の意味が分からずに硬直する。
 男は暇そうな片手を頭にやってぼりぼり掻いた。

「俺はブリーダー。ポケモンにラベル貼って売りさばくのが仕事だ」

「嘘、でしょ」
 思わず口から洩れた。
「アンタみたいなのが、ブリーダー……?」
「で、お前こそ誰」
 偉そうに許可証持ってるけどさぁ、独り言のようにそいつは言う。
「わ、私は今日からここで実習を受けるブリーダー養成学校3年の」
「あぁー、そういやジジィが学校から1人まわしてくるっつってたな。それがお前か」うわ最悪―、聞えよがしにそう言って、そいつはちらりとこっちを眺めた。
 最悪、なのは私も一緒だ。ブリーダーってことは、こいつが。
「俺、カツミ。今日からお前の上司ってことだから、よろしく」
 呆然とする私を見降ろして、カツミは舌打ちしてそう言った。


 私はバトルするよりも育てる事の方が好きで、トレーナーよりもブリーダー志望で、無論ポケモンも大好きで、友達が旅に出るのを見送ってブリーダーの養成学校に進んだ。
 知識面の基礎を学んで、実際にポケモンと触れ合って、そうして本格的にプロのブリーダーの元で経験を積む研修を受けて、国家試験を受けて公認のポケモンブリーダーになる。
 そんなはっきりした目標を掲げて、人一倍努力して、やっと掴んだ研修先の門の下で、私は早くも心が折れかけていた。


「えーと、シンドウキョウコ、実技Aクラス、知識Aクラス……ふぅん成績優秀なお嬢様か」
 養育施設を出て、ひとまず事務仕事をする施設で学校からファックスで送られてきたらしい私の情報を読んで、カツミは興味なさそうな声で言った。
「適当に呼ぶぞ。あぁ、俺はちゃんと『さん』付けしろよ」
 さっきみたいにアンタ呼ばわりは禁止だ、と根に持っているような露骨な言い方をする。上辺だけで絶対『さん』なんか付けてやらない、と決める。
「あの、さっきのあれ、なんなんですか」
「は?」
「モノズを踏む意味って、何かあるんですか」
 それも、あんなに小さい子を。あぁ、と短く間をおいてカツミは言った。
「しつけ」
「あんなのはしつけと言いません!」
 うるせぇな、とカツミはじろりと私を眺めた。
「じゃあ、なんだ?」
「あれはただの虐待です! あんな小さなポケモンを虐めて楽しいんですか!? ブリーダーとしてやること間違ってるでしょう! 私はあんなことをする人をブリーダーとは認めないっ!」
 一息に思ったことを吐きだして、息を切らせた。
「で?」
「……?」
「それで」
「それでって、だから」
「俺はお前に認められるためにブリーダーやってないし。何様のつもりだ。それにお前、あれだな」
 ポケモンに噛みつかれたこと、ないだろ。そう言ったカツミは冷ややかな目でこちらを見た。
「ポケモンに襲われたことないから、そんな事が言える。よっぽどの温室育ちだな。ジジィも温くなったな、こんな甘ちゃん学生育ててんのか」
「甘ちゃんって……」
「お前さぁ、ポケモン何だと思ってんの?」
 あきれ返ったようにカツミは言って、私が何かを言う前に答えを言った。
「ポケモンは、家畜だぞ」
「か、家畜ってそんな言い方っ」
「そんで、ポケモンブリーダーってのは家畜が人間様に逆らわないように調教してやるのが仕事だろうが」
 なんか間違ってるか、とばかりにカツミは私に言う。言葉の選択がとても乱暴なものではあるけれど、本質は間違っては、いない。
「けどっ、あんなやり方は」
「あんな? 一体何の問題がある」
「小さい時に植えつけられた恐怖は、それがトラウマになって」
「恐怖を与えないでどうするんだよ。あんなガキンチョの状態だから早いうちに対処しておくんだ」
「対処って……」
「獣の思考回路を持ってる奴等には獣のやり方で対処するしかねぇだろうが。暴れる化け物を押さえつけるには力で捻じ伏せて恐怖を与えるのが一番手っ取り早い。こっちが格下だと思われたらそれこそ指示も何も聞かなくなるからな」
「心を開かなくなったらどうするんですか!」
「馬鹿言え。所詮はただの戦闘用の娯楽道具じゃねぇか。道具は道具らしくしていりゃいい」
「娯楽……道具?」
 最初に言ったはずだ、ポケモンにラベル貼って売るのが仕事だって。カツミは続ける。
「俺は主にトレーナーや企業相手に商売してんだよ」


 ブリーダーと一口に言っても様々な種類がある。一般に知られているブリーダーはレンタルポケモンを育てる存在だろう。貸し出す相手がどんな人間だろうと指示に従うポケモンを育てる。
 それ以外にも、コンテストに適したポケモンを見極めて貸し出すというスタイルもあれば、特別な、たとえば人命救助などを前提としたポケモンを育てるというブリーダーも存在する。
 ポケモンを貸し出しではなく、売るという方法をとるブリーダーもいる。カツミは、己が様々な条件下で作りだした能力値の高いポケモンを言っていレベルまで育てて売る、というスタイルだった。


「ポケモンと人間の絆をなんだと思っているですか!」
「そんなもんを紡ぐのはブリーダーじゃない。トレーナーの領域だろうが」
「ブリーダーはポケモンとの信頼関係があればこそお互いを伸ばしていけるって」
「教科書にでも書いてあったのか?」
 思わず、詰まった。
「それとも先生にでも言われたか? 黒板に板書されたのか? くっだらねぇ」
 そう吐き捨てて、カツミは私を睨みつけた。
「学校が神か、教科書は聖書か。お前さ、自分の頭で考えて物を言ってねぇだろ。習ったことと違う、矛盾しているから噛みついてるだけじゃねぇの。壊れたレコードみたいに繰り返すんならオウム返しの使える音符鳥のほうが何倍もマシだ」
 五月蝿いことには変わりはないけどな。そう付け加えて、カツミはゴミ箱に紙を捻じ込んだ。
「ま、ジジィの要請だから受け入れはするけど、正直お前みたいな主張だけの半人前なんているだけで迷惑なんだけど」
 迷惑ならこっちから出て行ってやる、と言いそうになるのを飲み込む。ブリーダー研修のチャンスは年に一回、それも卒業の単位に大きく関わる。門前払いならとにかく、行った先が気に入らなかったらいきませんでした、なんて我儘にもほどがある。それに、目の前のカツミという男が、どうしても許せない。カツミのやり方は間違っている。それを証明してやる。
 ぎ、と歯を食いしばって決意を固める。
「よろしくお願いします」
 そう言って、頭を下げた。


 最初に任されたのは、雑用だった。覚悟はしていたけれども、ポケモンの世話ではなく商売相手の顧客リストの整理なんて。膨大な紙の量を見て、これを一人でこなしていたと豪語するカツミがにわかに信じられない。
「判子が押してある奴が売却済み、青色のマークが入ってる奴が調整中、緑の奴は手つかず。とりあえず、それで分けてくれてればいいから」
 はぁ、と返事をするとカツミは出て行った。とにかく、目の前の仕事をさっさと片付けれることに専念する。
 カツミが商売相手としているのはベテランやエリートと呼ばれるような種類のトレーナーで、要求されている個体の特徴が細やかに書いてある。このトレーナー達はカツミがどのようにポケモンを育てているのかなんて知る由もないのだろう。完成されたポケモンを受け取るだけなのだろうから。
 企業向けなのは社長とか、取締役とか、そんな肩書の人間が注文している。見栄を張りたいとかそんなレベルなんじゃないのか。
 ぺらり、とめくった先には『宗教法人』の文字。宗教にもポケモン売ってるのかあの男は。青いマーク、という事は調整中。サザンドラの攻撃型で、全能力特化……、都合の良い注文ばかりが並ぶ。
 ラベルの張られたモンスターボール。備えている能力の良し悪しで優劣が付けられる。
 あんなやり方は間違ってる。どんなポケモンであれ、ブリーダーの腕次第でいくらでも伸びていけるはず。カツミという男は、ただポケモンを便利な道具としていかに効率的に消費するかにしか注目していない。
 私が覆して見せる。あの男の目の前で。半人前だろうとなんだろうと、目の前でポケモンが痛めつけれているのは見たくない。
 さっさとこんな雑用を終わらせて、ポケモンの世話がしたい。だから――。
 ばさ、と紙の山が崩れた。いけない、せっかく整理したのに苦労が水の泡になる。かき集めているうちに、ふと目にとまった紙を見て凍りついた。
 先ほどの宗教法人の名前の所に『プラズマ団』……。これって、最近問題になっている怪しい宗教団体じゃ。ポケモンの解放をうたって、他人のポケモンを無理やり強奪して逃がしたりしてるってテレビでやっていた。
 そんな奴等にポケモンを売るということは犯罪の片棒を担いでるってことだから。
 カツミも犯罪者ってことになる。
「整理終わった?……って、派手に散らかしてるじゃねーか」
「カツミさん」
「なに」
「これ、どういうことですか」
 持っている紙を見せつける。なんか不備でもあったか、とそれを手にとって眺めると、「あのモノズの依頼書か」とカツミは言った。
「あのモノズ、プラズマ団に注文されたんですか?」
「ん?あぁ、教祖様専用らしいぜ。特に念入りにって言われたからな」
「それって、犯罪者に売るってことじゃないですか」
「犯罪者ねぇ」
 カツミはアホらしいといいたげな口調でそう言った。
「お金を払ってくれりゃあみんなお客様だ」
「それでも犯罪に加担することになるんじゃないですか」
「ならねぇよ」
 分類通りに紙を置き直してカツミは言う。
「プラズマ団は確かにあれやこれや最近問題になっちゃあいるが、それでも列記とした一つの宗教法人だ。俺は注文を受けてそれに見合うポケモンを売る。向こうはポケモンを買う。それだけじゃねぇか」
「その売ったポケモンが犯罪に使われたりしたらどうするんですか!」
「どうもしねぇよ」
 冷めた声でカツミは言う。お前、何でそんなに怒ってんの。その言葉に私は言い返す。
「自分が育てたポケモンは、自分の努力の結晶みたいなものでしょう!それが犯罪に関与して、なんとも思わないんですか!?」
「あのなぁ、売った先でどうなるか、ブリーダーが知ったこっちゃないだろうが」
 呆れた目でこちらを見る。
「そんなのはポケモンを使う側に問題があるんだろうが。ナイフ相手に裁判を起こすか?拳銃に死刑でも言いわたすか?ポケモンは道具だ。裁かれるのは所詮人間。道具を作った職人が罪に問われることはねぇの」
 この男は、罪悪感というものがないのか。だから平気でポケモンを商売道具にする。自分の利益にしか目にいってない。
 最低だ。最悪のブリーダーだ。なんでこんな奴が国家資格を持ってブリーディングをしているんだろう。
「お前もういいや。なんか整理任せたらまたあれこれ言いそうだし。あっちの部屋に作業服あるから着替えてきて」
 面倒くさそうにカツミがいった。私は怒りを押し殺しながら短く返事をして、荷物を持って黙ったまま扉に向かった。


 棚には新品の作業服が袋に入ったまま置いてあった。おそらくカツミの予備か何かだろう。それには目もくれずに自分のカバンの中から自分の作業着を出して着替える。
 先ほどの部屋に戻ると、カツミは手早く紙束を整理しながら「そこにある餌を適当に食わせてきて」と顎で指示をした。
 台車にのせられたバケツの中にはポケモンフーズとどこの部屋に何がいるのか、バケツのカラーによってどのポケモン用の餌なのか細かく書いてある紙があった。
 カツミが事務作業をしている間に、少しでもここのポケモンの様子を見ておこうと台車に手をかける。
 思った以上に重いそれを押しながら、施設の方に向かう。牢獄にしか見えないそこは、狭い部屋にポケモン達が押し込められている。
 自然の環境下で育てるべきだと思う。こんな狭苦しい所に閉じ込めたって、伸びるものの伸びないだろう。カツミという男は、恐怖を与えて人間に服従させることしか教えないつもりなのか。
 最初の部屋のヨーギラスは入った瞬間に部屋の隅まで後退して、慎重そうな目つきでこちらをじっと眺めた。カツミでないと分かっても近づこうとさえしない。餌を入れた皿を見せてもじっと動かない。
 皿は後で回収することにして次の部屋に行くと、ヘラクレスは柱に向かって何度もメガホーンを繰り出す動作らしきものをしていた。私には目もくれない。ここでも皿をおいて外にでた。
 ポケモンとの触れ合いなんて何もない。どの子も怯えるか、決して近づかない。こんなのはおかしい。カツミのやっていることは、ただの恐怖支配でしかない。
 ブリーダーとポケモンの関係は、こんなのじゃないはずだ。こんな関係が存在することすら考えなかった。
 ここに来て初めて入った部屋に着く。中にはカツミに腹を踏まれていた幼いモノズがいるはずだ。中に入ると、ぐったりした様子の黒い子竜がうずくまっていた。
 大丈夫?あの男は来ないよ。私は乱暴はしないよ。出来るだけ優しい言葉をかけながら、皿を持ってゆっくりと近づいてみる。びくり、と肩が震えた。モノズは嗅覚が発達している半面、視覚は効かない。目を合わせられなくても、私がいることは感じてくれているはず。
 餌を近くに置く。モノズは動かない。そろりと近づいてみる。あんな目にあわされて、酷く怯えているのかもしれない。ひょっとすると食欲がないかもしれない。全部カツミが悪い。この子に罪はない。
 大丈夫、大丈夫だよ。そういいながら、頭を撫でようと右手を伸ばした。
 鈍い痛みが走った。低く唸りながら、子竜は深く牙を立てて噛みついた。
 声が出なかった。恐怖と痛みが同時に襲って、そしてようやく喉から飛び出した。
 その後の事は、妙にはっきりと覚えている。
 カツミがやってきて、子竜は急に意識が戻ったようにぱっと私の手から離れた。牙が引っ掛かった痛みでさらに呻いてしまう。
 踏み込んだあの男は素早く私を乱暴に押しのけると、モノズの下顎を思い切り蹴り飛ばした。小さな体は吹っ飛んで壁にぶつかる。その仰向けになった腹の上をカツミはここぞとばかりに踏みつぶした。
 最初こそ小さく抵抗していたが、直にピクリともしなくなったのを確認すると、カツミはようやく足を外し、私の方に向き直った。
「初日からやらかすな、お前。立てるか?」
 面倒くさそうにそう言って、右手を庇ってへたり込んでいる私を見降ろす。
「あの、モノズをポケモンセンターに」
「襲われたくせにポケモン優先か。どうみても人間の病院が先だろうが。畜生の世話はそのあとで良い」
 手間かけさせやがって。吐き捨てて、カツミは携帯を取りだした。


 モノズの噛む力は強力でとても危険だと知ってはいた。知っていただけだった。震えが、止まらなかった。
 完治するまでしばらくかかる、と医者はいっていた。それでも、骨が砕かれていなかったのは奇跡に近いとも言っていた。
「モノズがガキで良かったな」
 嫌味とも何とも言えない口調でカツミは言った。救急車を呼んでくれたので一応の礼は言った。ただ、こいつの隣で噛まれた時の恐怖を見抜かれるのがすこぶる気持ちが悪かった。
「不用意に手を伸ばした私が悪いんです」
「その通りだな」
「あの子は悪くありません」
「まだそんなセリフを吐くか」
「恐怖を与え続けたら、いつかそれから逃れようとするに決まってるじゃないですか!」
「そんな気が起きないようにするのがブリーダーだ。ったく、お前が噛まれたりして、あいつが血の味を覚えたらどうするんだよ」
 抵抗する術を知った家畜は厄介なんだよ、そう呟くカツミに対して私は言った。
「いつか、カツミさんは自分が恐怖を植え付けたポケモン達に殺されるような気がします」
「そうかもな」
 帰ってきた返事が肯定のものであったことに思わず面食らった。この男は「そんな事が起こらないようにする」と答えると思ったのに。
「それとも、そんな覚悟がないままブリーダーやろうとでも思ってたのか?」
 目の端でこちらを見て、カツミは言った。
「爪も牙も何もない人間がポケモンの上に立ってられるは一重にモンスターボールって言う服従装置を作ったからにすぎねぇよ。ブリーダーってのはボールだけじゃカバーしきれない部分も含めてポケモンをどう従えていくかってのにかかっていくんだ。友情だの信頼だの上っ面だけの軽い言葉で何もかもやってけるほど世の中が甘かったら、人間はとうの昔に化け物どもの餌だ。強固な意志で生存本能ビビらせて従えないでどうするんだ、向こうの闘争本能を上手く刺激して命令を聞かせなきゃ何の意味もない。あいつらは所詮ポケモンという可愛らしいレッテルを張られて世間の目を誤魔化す化け物に違いはないんだ。ラベルを張る俺達は、いつか家畜に殺される覚悟を持ってやる仕事なんだよ」
 警告なのか、それとも脅しなのか。やめたければやめちまえ、悪魔のようにそそのかしてカツミは立ち上がる。
「どこいくんですか」
「一応モノズをポケセンに」
 派手に蹴っ飛ばしちまったから傷ものになっちまってる可能性もあるわけだしな。少しでも心配する心があるのかと思えば、商品としての心配だった。
 荷物はきちんと回収していけよ。私を辞める前提で見て、カツミは去っていった。

 次の日、施設の門をくぐるとカツミは意外そうな目でこちらを見ていた。
「てっきりポケモン恐怖症にでもなって二度と来ねぇと踏んでいたんだがな」
 やはり決めつけられていた。昨日一晩、ずっと震えて、ポケモンが怖いか、それでも好きかと思い詰めて、ここに来た。
「研修期間中である限り、絶対に辞めません。片腕でも出来る仕事をください」
 半人前の怪我人なんて邪魔どころか、お荷物でしかねぇよ。カツミはそう舌打ちして、迷惑そうにこちらを眺めた。
 私がその程度で怯むはずもなく、まっすぐ見返し続けて10秒。しょうがねぇな、と声を漏らした。
「顧客リストの整理ぐらいはできるだろ。やり方は分かってんな?」
「はい」
「あと、俺のやり方にぎゃあぎゃあ口出しするな」
「それは無理です。私はカツミさんのやり方は間違っていると言い続けます」
 餌入りバケツを台車にのせながらカツミが息を吐くのが見えた。
「私は私の、ブリーダーとして正しいと思う方法を試してみたいんです」
「あっそう」
「私にブリーディングをさせてくださ」
「却下」
 そんな余裕ねぇから。怪我人は怪我人らしい仕事をしてろ。正論を叩きつけられる。
「あのな、半人前が偉そうに言うなよ。昨日も言ったが、ブリーダーってのは五体満足が保障される仕事じゃねぇ。俺は俺のやり方を通す。お前はお前の信念ってのをあるだろうが、それを俺の縄張りで振りまわすのはただの妨害行為だ。うちで仕事を曲がりなりにもやろうって言うなら、まずは勝手にポケモンに手ぇ出して怪我したことをよーく反省しやがれ」
 バケツをすべて積み終わり、くるりとカツミがこちらを向いた。
「お前みたいにポケモンとの信頼がどうのこうのと言うのも結構! ただし、それでお前は何がしたい? 理想で飯は食えないんだ。自分が愛情かけて育てたポケモンを手放す意外にブリーダーに収入は無い。値札をつけるその価値は何が決める? 学校はそんな事は教えてくれなかったと言い訳するだけなら誰にだってできるんだよ! 俺を悪者だと勝手にレッテル貼ってるお前はどうだ? 俺の行動、やり方、それが世間一般の道徳に反するからってだけだろう。全くなんにも考えていなかったって言うんなら大馬鹿野郎だ」
 良い機会だ、噛まれた右手を眺めながらじっくり事務仕事してろ。そして考えろ。言い捨てて、カツミは台車を押して行った。
 残された私は、ただカツミにぶつけられた言葉をすべて拾うことはできずにしばらく呆然と立っていた。


 今は、私は何ができる?片腕をモノズに噛みつかれ、ポケモンに対する恐怖に一晩震え、それでもポケモンが好きでブリーダーになりたいと決意を固めてやってきて。
 ブリーダーになって、食べて行く方法を何一つ考えていなくて、そんな思考をめぐらせたこともなくて、ただ育てたポケモンを人に貸し出して暮らしていこうとかそんなレベルだった。
 カツミは、ポケモンを売り出すというブリーダーだけれども。紙の山を見る限り相当優秀なんだろうというのは分かる。カツミの育て方には問題しかないように見えるけれども、カツミが何を見てラベルを張っているのかなんて考えもしなかった。
 学んでやろう、と私は決心した。
 カツミのやり方は気に食わない。はっきりと嫌悪感だって示している。でも、その仕事はブリーダーとしては、一種のプロフェッショナルなのは、間違いないんだろう。
 そして、こんな最悪なブリーダーから学んだことを、私の中で生かしていこう。私の中の、理想のブリーディングに。そう決めた。


 ドアが開いてカツミが戻ってきた。
「カツミさん!」
 勢い込んで立ち上がる私を見て、カツミは一瞬たじろいだ。
「なんだよ」
「改めまして、よろしくお願いします! たくさん教えてください!」
 何だよ急に、と小さくつぶやいた後に。
「怪我が治ったら覚悟しとけよ」
 カツミはそう言って、どこか好戦的な目で私を見た。
 
> 雪舞うこの空の下 作:akuro
雪舞うこの空の下 作:akuro
 「ねえ、教えて。 あなたはどうしてそこから出てこないの……?」

 雪の結晶が舞っている。

 彼がこの門の中に入って、もうひと月経つ。
 天気を変える力を持つ彼は、村の人気者だった。 いつも雨や雪を降らせてみんなを楽しませていた。
 そんな彼が、突然この門の中に閉じ籠もった。
 理由は分からない。 でも、一つ思い当たることがあった。

 彼は、ついこのあいだまで村のトレーナーの手持ちだった。 けれど、捨てられた。
 トレーナーは彼に、「お前みたいな弱い奴いらない。 とっとと消えろ」と言っていた。 

 ーーバトルに惨敗した、と誰かから教えてもらったのはそれから少し後のことだった。


 それからだ、彼がこの誰も住んでいない洋館に閉じこもったのは。

 今日も私は彼に呼びかける。
 
 「ねえ、そこから出てきて……?」



 雪の結晶が舞う空の下、門が軋む音がした。
 
> 惑わせ 作:朱烏 ☆
惑わせ 作:朱烏 ☆
◆1

 ずっと、閉ざされていた門があった。何処ぞの人が『開かずの門』と名付けたその奥には、この町に似つかわしくない大きな屋敷がある。小学校低学年時に一度だけ屋敷近辺まで行ったことがあるが、聞いていた通り、その門を通ることは出来なかった。母が云うには、この町に引っ越してくる前から屋敷に人の気配はなかったそうだ。僕が生まれる前の、遥か昔のことだ。しかし、取り壊されるわけでもなく、屋敷は森の中にひっそりと佇んでいた。取り壊せない理由があるらしいが、僕も、周りの友達も、母でさえも知らなかった。
 けれども何時までも廃墟が残されていることは、僕にとって好都合だった。
「何か考え事?」
 後ろから幼馴染のマリが話しかけてきた。僕が机に突っ伏して寝ているふりをしているにもかかわらず、この幼馴染は無神経に絡んでくるのである。だが、少なくとも僕にとっては、幼馴染は得てしてそういうものだと思っている。「いや、何も」
 僕は振り返らずに答えた。彼女が僕に用があるなら、この反応が一番正解に近い。
「今日、暇?」
「多分」
「じゃあさ、月見が丘に行かない?」
 月見が丘とは、町の外れにある小高い山のことだ。月が美しく見ることのできる丘だからという安直な理由で、そのような洒落た名前がついたらしい。僕は漸く彼女の方に振り向く。彼女はセミロングのまっすぐな髪を、耳に掻き上げる仕草をしていた。
「何で?」
「小学校卒業して以来、一度も行ってないから。なんだか行きたくなっちゃって」そして、バランとギガを戦わせてみたいと彼女は付け加えた。バランは彼女のポケモンのヤジロンのことであり、ギガは僕のポケモンのウインディのことである。
「お父さん、ぎっくり腰が再発しちゃってさ、ポケモンバトルの相手も出来ないみたいだから……」
「僕が代わりに?」
「そう」
 僕のついたため息が、教室の騒がしさに溶けていった。僕が彼女に勝てないのは、物心ついたときから知れたことだ。
「ホームルーム始めるぞ」
 教室に入ってきた先生の言葉で、僕らの会話は途切れた。尤も、此処でこれ以上続ける会話などなかったが。


 学校の正門を出る。家とは真逆の方向。横にはマリ。秋の終わりは空気が澄んでいる。空のオレンジ色は西の彼方に消えゆこうとしていた。
「月、綺麗なんだろうなあ」
 マリはそんなことを言った。此処からでも月は見えていると言おうとしたが、止めた。マリの言うことは理屈じゃないのだ。
 手が凍える。明日からは手袋を準備しようと思った。マリは寒さに頑丈なのか、全く平然そうである。
「スカートって寒くないのか?」
 男から見れば、女子生徒の制服は理不尽な作りをしていると思う。夏ならまだしも、なぜ冬季もスカート着用が義務づけられているのだろう。
「私は平気。ストッキングあるし。他の子はどうだか知らないけれど」
 ストッキングというものは、傍目から見た印象を覆せるだけの防寒機能があるらしい。少なくとも、マリにとっては。
「それよりさ、あの話聞いた?」
「……事件のこと?」
「うん」
 学校中で密かに話題になっていることがある。
 最近、三人の生徒が、何日か日をおいて一人づつ失踪するという事件があった。しかしそれは一日限りのことで、失踪した二十四時間後には彼らはちゃんと帰宅し、無事が確認されている。取り立てて言うほど事件性があるわけではないというのが大人の判断だった。偶発的な家出が一月の間に一極集中しただけだと解釈すれば、大人たちには都合がいい。事実、その四人の生徒は素行不良等の問題を抱えていた。だが、その生徒らが揃いも揃って家出中の出来事に関して口を閉ざしていた。それも、怯えたように。
 教師にとっても生徒にとっても、それはある意味で万々歳だった。不良が勝手に大人しくなってくれたのだから、原因がどうであれ喜ばないわけがない。僕の教室もその恩恵を与っていた。どうにも手のつけられない暴力馬鹿が一匹、教室の後ろの隅に紛れ込んでいるからである。
「でさ……やっぱりあの屋敷と関係があるのかな」
 マリは僕から何か意見を引き出そうとするのは、僕の頭の中を覗き見したからではないかと思った。僕が机に突っ伏して考えていたことは、まさしくそのことだったからである。
 生徒の失踪事件と『開かずの門』の奥に聳える屋敷に関連があるらしいとの噂が、学校ではまことしやかに流れていた。とある人が、不良の一人が失踪する直前に屋敷へ続く道へ入っていくのを目撃したらしい。情報とは何処から漏れ出てくるか分からないものである。
「まあ……関係はあるんじゃないのか?」
 マリは目を輝かせた。
「……可能性は高くないけども」
 たった一人が屋敷に乗り込んだというだけで、失踪事件と関連していると決めつけるのはナンセンスだ。そもそも、屋敷への門は開けられない筈で、その辺りがどうにも腑に落ちない。
「でもなあ、失踪した全員が仔猫みたいに萎縮して大人しくなっちゃうのも可笑しいでしょ?」
 素行不良者を仔猫と喩えた彼女の言に噴き出しそうになった。
「そうだな。……もしかしたら、あの屋敷には得体の知らない何かが潜んでるのかもな」
 信号に引っかかり、僕らは車の往来の前で立ち尽くした。
「得体の知れないもの?」
「たとえば、幽霊とか」
「ああ、それはあるかも」
 僕はふざけて言ったつもりだったのだが、マリは至極真面目な顔で頷いた。掴み所のない幼馴染である。それとも――僕が密かに大きな好奇心をあの廃屋に向けていることに気づいているのか。幼馴染なんだから、きっと気づいているんだろう。
 信号が青になり、再び月見が丘への道程を歩きだした。


◆2

 腕時計を確認すると、長針は零時を回っていた。家からだいぶ離れても、なお歩き続けている。僕は上下黒のジャージに栗色のコートを羽織るという特異な格好をしていた。背負っているリュックサックには使えそうなものをあれこれ詰めこんできた。
 中学生の深夜徘徊を警察が許すはずはないが、所詮は田舎を辛うじて抜け出したような町だ。目立つ行動をしなければまず捕まることはない。僕の後ろを歩くギガが、くうん、と鳴いた。ただ歩き続けることに退屈さを感じているのか、それともこれから廃墟に向かうことに不安を感じているのかは判らない。
「あんまり怖がらないでくれよ、そんなに大きな体してるんだから」
 僕の背丈よりも高く、伝説ポケモンの名に違わぬ雰囲気を持つこのギガというポケモンは、僕とは正反対の性格の持ち主だった。気が小さく、臆病。鳴き声のか弱さはガーディの時から変わっていない。バランとの戦いの結果はほとんど不戦敗だった。せめてその図体に似合うだけの心を持ち合わせてくれれば、バトルでも苦労しないのだが。
 車が一台通り過ぎる。名称は知らないが、黒いオーソドックスな形をした四輪車だ。排ガスが白く霧散する。吐く息も白い。手袋している両手を、コートのポケットに突っ込んだ。
「寒いな……」
 こんな冷たい夜道を歩くより、ギガを抱いて眠る方が好い。それでも歩き続けるのは、素知らぬ顔で湧いてくる興が手招きするからである。
「ギガ、こっちだ」
 公道に別れを告げ、右手の砂利道に入る。道の先には、腐った木製の電信柱の上部に取り付けられた灯が点在している。屋敷へ向かうためだけに作られた私道。普段、こんな道を通る人間はいない。行き着く先は屋敷であり、行き止まりであるからだ。
 暗い小道に入り込んで暫くすると、四方が木々に覆われた。森へ立ち入ったのだ。弱々しい街灯も後方に消えてしまった。僕は背負っていたリュックから懐中電灯を取り出した。スイッチを入れると、黄色がかった光が前方の地面を照らした。廃墟の敷地への入り口となる門は未だに見えない。ギガが不安そうに鳴いた。
「大丈夫だって」
 砂利道にだんだんと茶色い土が混じるようになり、背丈の低い草もそこかしこに生えるようになった。地面を照らす懐中電灯の光を、遠く前方に向ける。
「あれだ」
 まるで山のように聳え立つ、黒くおどろおどろしい影が、先の樹木の隙間から覗いていた。そしてまた、僕の背の二倍ほどありそうな門扉が、待ち構えるように立ちはだかっていた。
 西洋画によく出てくる、上部がなだらかな凸状になっている扉をそのまま黒い鉄格子に置き換えたような、わかりやすい形状の門扉。一度来たことがあるとはいえ、圧巻だった。門の端は蔓植物が複雑に絡み合っていて、所々の塗料が剥げた部分は金属の腐食が激しい。錠は、僕の胸と同じ高さにある金属製の閂と、金具に掛かった錆びた二つの大きな南京錠がその役割を果たしているようだ。一番初めのステージとしては上々だ。
「入るぞ」
 僕の後ろに隠れるように立つギガにそう言うと、僕は一歩前に踏み出て、門に手をかけてよじ登ろうとした。しかし、あることに気づく。
「鍵が……」
 門扉の裏側についている南京錠が外れている。どういうわけかわからないが、幸運には違いない。『開かずの門』は、廃すべき名称なのかもしれない。敷地内に入れるためにギガを一度モンスターボールに戻すという作戦も省けた。
 閂についている取っ手を思い切り右にずらすと、それは不快な金属音を立てて抜けた。開錠を済ませ、重い鉄格子を体重をかけて押した。ギガは手伝いもせず、後ろで傍観しているだけだった。錆びついた門は、派手な音を立ててゆっくりと開いた。屋敷の方から冷たい風が僕らの間を強く吹き抜けた。
「よし」
 敷地内に踏み入る。道はほとんど無いに等しく、僕とギガは屋敷へと続く五十メートルほどの距離を、茫々と生えている草を踏みつけながら進んだ。森の中は、この屋敷とその敷地のために円形に切り取られていた。敷地は高い鉄柵で囲われていて、その中央に――幅五十メートルはありそうな屋敷が建っている。
 接近すればするほど、月明かりに映し出されるその巨大さは僕たちを圧倒した。こんな辺鄙な町には不釣り合いの、立派な屋敷である。が、どうにも奇妙な景色だった。廃墟と云われている割には大量にある窓は一つも割れていないし、絢爛な装飾は欠けている部分もなさそうだ。本当に誰も住んでいないのかと疑わせるような外観である。
 ギガは帰りたいと言わんばかりに鳴いた。僕は何だか申し訳ない気持ちになったが、ギガへの慰め方は自己中心的だった。
「大丈夫、ちょっと探索したらすぐに帰るよ」
 僕はギガについてくるように言い、屋敷の玄関に近寄った。勿論屋敷の中に入れるとは思っておらず、玄関の扉を少し調べたら、此処の広庭を少し漁って帰るつもりだった。
 でも。
 観音開きになっている扉の隙間からすり抜けてくる微風が、その気を削いだ。
 此処の、見渡せるほど広い庭には、風が渦巻いている。本来ならば、微風になど気付けるはずもなかった。
 けれども、気づいてしまった。理由は分からない。何処かしらにその要因はあるはずだが。
 僕は扉に手をかけた。
「開いてる……」
 あの門と同じだった。鍵の掛かっている気配がない。僕の心に漸く、不気味だ、という気持ちが芽生えた。
 ギガが僕のジャージの裾に噛みつき、後ろに引っ張る。もう帰ろう。早く。そんな意思が伝わってくる。
 だが、僕は構わず右側の扉の取っ手を引いた。静かに、しかし力強く。ギガが唸った。
 緩く、しんと冷える空気が入り口の向こうから流れてくる。中の様子は暗くて窺い知ることが出来ない。僕は下に向けていた懐中電灯を、屋敷の中に向けた。
 景色が止まる。
 ギガも唸るのを止めた。
 一面の雪。光を白く反射する雪。僕は息を呑んだ。
 こんなことがあり得るだろうか。季節は晩秋だ。雪が降ってもおかしくはない気温である。
 けれども――建物の中に雪が積もっているのはどういうわけか。しかも、まるで冷凍庫の中に入ったのかと錯覚するほどに寒い。シンオウ地方の北部でもここまで寒くないだろう。
 三歩、玄関内に立ち入った。ギガも渋りつつ、すごすごと僕についてくる。積もった雪に、浅い足跡がついた。懐中電灯の光を拡散状態にして、辺りを見渡す。多分エントランスホールと云われる場所だと思った。天井を見上げると、三階まで吹き抜けになっている。その天井からは、ちらちらと雪が降り続けている。
 ホールには、左右へ廊下が通じている。三十メートル程前には、二つの螺旋階段が左右対称に、広々とした間隔をもって鎮座していた。二階と三階に通じているそれは、何処となく神々しさを感じさせた。それぞれの階には空中廊下が連結されていて、左右の廊下に延びていた。二つの階段の間から覗く正面奥には、重々しい雰囲気を醸し出している扉もあった。
「凄いな……。こんなの映画でしか見たことないぞ……」
 尤も、映画では雪など降り積もっていなかったが。ギガもギガなりに何か感じているのだろう、吠えることなく天井を見上げている。僕達は雪に大小の足跡をつけながら、ゆっくりと前へ進んでいく。ホールの壁を懐中電灯で照らすと、興味深いものが並べられていた。
「燭台か……」
 幾多もの燭台が壁に取り付けられている。高い所、低い所に構わず配置されているそれらは壮観だった。後ろを向いて、入り口付近にまで丁寧に並べられていることを確認する。きちんと蝋燭まで挿げられている。
「圧巻だな」
 ギガも僕に頷くようにわうんと鳴いた。しかし、僕もギガも、すぐに驚嘆と恐怖の表情に変わった。
 突如、全ての蝋燭に灯りが点った。
 息が止まる。ギガも、失神寸前だったことだろう。僕達は立ち尽くす以外に何も出来なかった。
『よくぞ……』
「え……?」
 声がした。透き通るような、それでいて冷気を感じさせる声だった。しかし、届いたのは耳に響いたわけではなく。
 心の中に響き渡る声だった。わけもわからず辺りをぐるぐると見渡す。すると、左手の螺旋階段上、三階の高さの所に、白く揺れる何かがいるのを見つけた。それはそっと滑るように降りてくる。ポケモンだ。
 僕とギガは止まった時間の中で過ごすように、ただそれを見つめ続けた。酷く現実味を欠いた、不可思議な光景だった。降りゆく雪が、蝋燭たちの放つの光を幽かに反射して煌めき、その白いポケモンを彩る。実際に見たことはないポケモンだったが、学校図書にあったポケモン図鑑を捲っている途中で、一度だけ出会ったことのあるポケモンだった。この雪だって、あの白いポケモンの仕業だと考えれば合点がいく。それでも、やはり夢の中に紛れ込んでしまった感覚は抜け切らない。非現実的な、幻に囚われたと思い込んだ方が――心地良いのだ。
 白いポケモンが、僕たちのいる階に降り立つ。鬼のような短い氷の角。頭の側部から伸びる、着物の振袖のような長い腕。腰のような場所に締められている真っ赤な帯。紫色の顔は、白い雪のような仮面で覆われている。
 半開きの目が、僕達を捉える。ギガが僕の小さな背中の後ろに隠れた。
『よくぞ御出で下さいました』
 矢張りとは思った。エスパータイプやゴーストタイプ、悪タイプのポケモンはテレパシーを使って人間と会話することがある。このポケモン――彼女も、テレパシーを使えるのだ。
『どうぞ此方へ』
 彼女はすうっと、螺旋階段の間を通り抜けた。僕は躊躇しつつも、彼女の後を追った。ギガは戸惑いながらも、置いていかれるのが嫌なのか、悲痛な顔をしながら僕についてくる。僕は何をやっているのだろう。伝説では、雪山の奥深くに棲みつき、人を氷漬けにして喰らうなどと云われるポケモンである。警戒などしてもし足りない程だ。
 にもかかわらず。
 僕は彼女についていっている。
 惹かれるのだ。自発的にそうしなければいけない理由はない。彼女が僕の心をけしかけているのかもしれない。それなら、僕は彼女に操られていることになるが。
 ギガには申し訳ないけれど、それでもいいかなと思った。。靴に入り込んだ雪の冷たさだけが、辛うじて僕を現実に繋ぎ留めていた。
 彼女はエントランスホールの奥にある、重厚で華美な扉を念力のような力で開けた。
『どうぞお入り下さい』
 扉の奥は暗く、入ることは憚られた。しかし、僕の心を察するかのように、中でぽつぽつと光が点っていく。この部屋もまた、エントランスホールのように燭台が至る所に取り付けられていたのである。
 橙色の柔らかな光が、僕とギガを優しく誘う。一歩踏み入ると、そこは奥行きが甚だしい程大きく採られているダイニングルームだった。ダイニングルームだと判断したのは、金持ちの家でよく見かけそうな何十人と座れる縦長のテーブルが、部屋の中央を割っていたからである。そのテーブルの上には三つ又の燭台が等間隔に七つ置かれていて、全てに火が揺れている。
 僕は何も言わぬまま、部屋の奥へと歩いていった。ギガも諦観したように僕にくっついて歩く。幸いにもここには雪が積もっていない。それどころか暖がとられていて、歓待されているような気分になる。
 テーブルの最奥端には、豪華に彩られている椅子がこの部屋の出入り口に正対するように鎮座している。テーブルに据えられている、それぞれが向かい合わせになるよう置かれた他の椅子とは一線を画す――多分、この屋敷の主が座る場所であるのだろうと思えた。
『奥の椅子は主人が座られる椅子でありますので、その隣にお座りくださいませ』
 後ろをついてきた彼女が、僕に声を掛ける。言われたとおりに、テーブルの端の普通の椅子に座った。ギガは僕の椅子のそばに大人しく座った。羽織っていたコートを脱ぎ、椅子の背凭れに掛ける。リュックサックも下に降ろした。
『お食事をお持ち致しますので、少々お待ちください。……シャドウ』
『はい』 
 また僕の中で声がしたかと思うと、テーブルを挟んで向かい側にポケモンが突如として現れた。黒紫色の塊の中に光る赤い目が、僕をぎろりと睨む。ゲンガーだった。ギガが委縮しつつも激しく吠える。こんな吠え方をしたのは初めて見た。
『大切なお客様です。お持て成しなさい』
『仰せのままに』
 他人の会話が胸の中で響き渡るのはおかしな感触だと思った。この場合はポケモンだが。
 ユキメノコがふっと消える。部屋には僕とギガ、そしてシャドウという名のゲンガーが取り残された。沈黙が暫く続いて、その間シャドウは僕のことをじっと見つめ続けた。よく見ればシャドウはなぜか単眼鏡を装着している。人間の真似をするのがそんなに面白いのだろうか。シャドウが僕のそばに移動する。僕は体を硬直させた。
『あなたも物好きですね。わざわざこんな所に』
 シャドウが話しかけてくる。
「いや……はは、何というか、成り行きで……」
 シャドウがわざとらしくため息をついた。僕も僕で同じようにため息をついた。
 周りを見渡せば見渡すほど、自分はなぜこんな場所にいるのだろうと思う。紛れもない現実だが、人間が住んでいないはずの屋敷に入ることが出来たり、ポケモンと会話したり、どうにも幻想の中にいるとしか思えなかった。
『いつまで隠れているのです? 出てきなさい』
 シャドウが単眼鏡に手を掛けながら宙に向かって言う。いったい何だというのか。
『はーい』
 ダイニングルームの至る所から声が一斉に降りかかってくる。突然テーブルの上の七つの三つ又燭台が浮き上がり、宙を縦横無尽に舞い始めた。
「うぇ……」声にならない声が出ると同時に、ギガに飛びつかれて椅子ごと倒れた。ギガの心境を、鈍いながらもようやく理解できた気がする。
 視界を埋め尽くすゴーストポケモンたち。ムウマ、カゲボウズ、デスマス、ヒトモシ、ゴース、フワンテ……みんな小さなポケモンだった。それらが、何十という数で群れている。
「はは……」
 とんだ幽霊屋敷だ。此処は間違いなく――現実じゃない。


◆3

 悪夢に近い状態であることは違いない。現にギガは部屋の隅で耳を折りながら目を瞑って伏せている。ゴーストポケモンが部屋中で舞い遊び始めたのだから無理もない。
 僕は夢現でその様子を眺めていた。危害を加えてくる様子もないから、ぼうっとしていても問題ないと、漠然と思った。思考は完全に毒されていた。
『して、玲太様……』
 ゲンガーが僕の名前を呼ぶ。
「何で僕の名前を?」
『そこのウインディをちょっと脅かして聞き出しました』
 僕が知らない間になんてことを。
『そろそろお帰りになられてはどうです? もう幽霊屋敷も十分に堪能したでしょう』
 落ち着いたようでありながらも、僕を急かすような口調。
「でも、さっきのユキメノコが食事を――」
『雪奈様は気が狂れておられるのです』
 あのユキメノコ、雪奈という名前なのか。
『最近むやみやたらと力を振りかざす所為で玲太様のような子供達が迷い込んでいますが、私も大変焦燥しているのです。あの方と人間が関わると碌なことが――』
『シャドウ、何を話しているのです?』
 あ、とシャドウが目を見開く。雪奈がシャドウの背後に現れた。音もなく現れるのは卑怯だと、柄にもなく思った。浮遊していたゴーストポケモンたちは、雪奈の登場と共にテーブル周りに並んだ。
 雪奈は何か言いながら、僕の目の前に料理と食器を置いた。そしてテーブルの端から端まで、丁寧に皿を置いていく。僕はシャドウの『気が狂れて――』という言葉を頭の中で反芻していた。確かに雪奈は妖しい雰囲気を湛えたポケモンではあるけれど……。
 
 雪奈が、テーブルを挟んで僕の前に座る。そして口を開いた。
『では皆でいただきましょう』
 ゴーストポケモンたちが一挙に食物に齧り付いた。一気に賑やかになるダイニングルーム。ただ一匹、シャドウだけは食事せずに雪奈の後ろに控えていた。僕もフォークとナイフを持った。
 が、僕は皿に手をつけなかった。何かが僕の手を留めている。
 引っ掛かる。
 拭いきれない違和感が押し寄せる。
 そして、気づいた。
 僕の右斜め前、主人と呼ばれる人が座るはずの席には誰も座っていない。にもかかわらず、料理は律儀に置かれていた。
 唐突に母の言葉が想起される。屋敷に人の気配はない――。
「あの……」
 この妙な屋敷に持つ雰囲気に流されるように、何の疑問も抱かずにこの場に座っていることに恐怖を覚えた。多分、主人と呼ばれる人間は此処にいないのだ。
「この席には誰も座らないのでしょうか」
 豪華に装飾された椅子を指差して、僕は雪奈に尋ねた。刹那、雪奈の陰にいたシャドウが瞠目した。
『何を仰られますか。主人はちゃんと座っておりますよ』
「え……」
 全身の毛穴という毛穴が閉じた。冷や汗も出ない。戦慄する。
 未だに部屋の隅で縮こまっているギガの気持ちに、僕は漸くシンクロした。
『如何致しましたか? お顔色が悪いようですが』
「いや……」
 雪奈の眼を見る。決して狂人のそれではない。むしろ普通で、ありふれていて、自らの言ったことに何の疑いも持っていない。
 気が狂れている――。
 目を伏せると、ごちゃごちゃと盛りつけされた料理が目に入った。一言で形容できないような可笑しな色合いをしていて、肉なのか野菜なのかも判別できない。途端に気持ち悪くなって、僕はフォークとナイフをテーブルに置いた。
『お気に召しませんか』
 雪奈が僕の顔を覗き込むように尋ねる。
「食欲が湧かなくて」
 咄嗟の嘘に罪悪感は湧き起こらなかった。
『それは残念です』
 雪奈は構わず食事を続ける。心なしかダイニングルーム全体が静かになったような気がする。いや、実際に僕が雪奈に余計なことを訊いてから、ゴーストポケモンたちは騒がなくなっていた。皆、どこか悲しみを纏った瞳を虚空に向けていた。

 やがて料理がなくなって、雪奈は大量の食器と共に何処かへ消えた。ゴーストポケモンたちが再びざわめき始める。
『だから言ったでしょう。余計なことをしなかったからよかったものの、一歩間違えればここに来た子供達と同じような目に会っていましたよ』
 テーブルの向こうにいるシャドウが僕を戒めるように言う。シャドウが繰り返す子供という言葉に、僕は此処へ来た理由を思い出す。不良達は本当に此処へ来たのだ。「そいつらが何か?」
『雪奈様の言葉を戯言だ、と嘲笑したのです。雪奈様は烈火の如くお怒りになられました。彼らの命を奪おうとしなかったことだけが不幸中の幸いです』
 彼らを殺してしまったら、それこそ事件だ。いくら僕でも喜べない。
『玲太様がそのようなことをなさるとは到底思えませんが、それでも私は心配なのです。だから早くお帰りに……うわっ』
 シャドウの体が浮く。部屋を見渡すと、天井に張り付いているムウマの一匹が笑いながら光っていた。念動力でシャドウを浮かせているのだ。
『シャドウ遊んでー』
 子供のような声だった。もしかして、ここにいる未進化のゴーストポケモンはすべて子供なのだろうか。天井に吸い込まれていったシャドウを何匹かのポケモン達が取り囲んで騒ぎ出す。
『こら、止めなさい!』
 シャドウは抵抗虚しく、いいように玩ばれていた。その光景が微笑ましくて、一瞬此処が幽霊屋敷であることを忘れた。ギガも隅で固まっているのが疲れたのか、げっそりとした顔でやって来た。椅子に深く腰掛けて、シャドウの忠言を潔く受け入れるべきか考えた。そのうちに、一匹のデスマスがふわりと僕の前、テーブルの上に着地した。
『帰らないで』
 デスマスは一言そう言って、涙を流しているように見える赤い目を瞬かせた。
「え?」
 此処の屋敷のポケモンは皆テレパシーが使えるんだな、と暢気に構えていた。
『雪奈様に教えてあげて欲しいの』
「教える? 何を?」
 デスマスの目がより一層赤く濡れた。
『もうダイジロー様はこの世にいないんだよって、教えてあげて欲しいの』
「ダイジロー様?」
 僕は訊き返した。天井の喧騒が遠くに聞こえる。
『此処の屋敷の主人。もうずっと前に亡くなってる。でも雪奈様はまだダイジロー様の影を追ってるの。雪奈様にはダイジロー様の姿が本当に見えてるのかもしれないけど、そんなのゴーストタイプの私達にだって見えてないよ。だからみんな雪奈様のことを怖がってる』
 先程の狂気じみた芝居にはそんな理由があったのかと、判断力の鈍った頭で納得する。
「でもどうやって?」
『……私にもわからない。でもシャドウが一度だけ言ったことがあるんだ。雪奈様はダイジロー様が天国に行ってしまわないように、ダイジロー様の魂を屋敷のどこかに縛り付けてるって。どうやってそんなことをしたのか分からないけど、それで雪奈様にはダイジロー様の姿……姿だけじゃなくて声とか、食事する様子だって見えてるんだって』
 どんどん話が突飛なものになる。魂を縛りつけるなんて。
『シャドウは雪奈様が飽きるまで続けさせればいいなんて言うけれど、もう二十年以上前からずっとこんな調子らしいし……』
「らしい?」
『今は沢山のポケモンがここに棲みついているけど、ほとんどはダイジロー様が亡くなった後に棲みついたの。私もそう。初めからここに住んでいるのは雪奈様とシャドウだけ。だから詳しいことはよく分からないし、雪奈様にどう付き合っていけばいいかも分からないの。でも、雪奈様が冥界に還るその時までずっとダイジロー様を追うつもりなら、それは間違ってると思う』
 デスマスは決然と言ったが、その鬱々とした瞳にギガが重なった。
「でもそれって僕に頼むことか? だいたい魂を縛りつけてるって、それこそゴーストポケモンの君や上で遊んでいる彼らがどうにかできる問題じゃないのか?」
『それならとっくの昔に解決しているよ』
 デスマスが落胆した様子で僕の鼻先に近づいた。
『私達はこのダイニングルームを出られないの。雪奈様は此処に棲みついたゴーストポケモンをダイニングルームに誘導して結界を張ったんだ。多分雪奈様は無意識に私達と縛りつけている魂を離そうとしているんだと思う。ダイジロー様の姿を追い続けるのに、私たちは邪魔にしかなってないから。だから雪奈様が此処に惹きつけてきた外部の人間に頼むしか方法が――』
「ちょっと待って」
 僕はデスマスの話を遮る。
「惹きつけてきたって……うん、確かに僕はこの屋敷に勝手に惹かれたんだと思う。他の不良達も。でもそれってその……雪奈さんが僕をここに呼び寄せたってことでしょ? それって雪奈さんの行動と矛盾していないか?」
『そうだよ、矛盾してる。でも何で雪奈様がそんなことするのかさっぱり分からないの。結界と同じように無意識でやってるのかも……あ、来た』
 ギガがくうん、と怯えるように鳴き、再び部屋の隅に縮こまった。デスマスは消え、代わりに僕の後ろには冷たい空気が立った。
『私は主人に寝室まで付き添います。玲太様はご自由にお寛ぎ下さいませ』
 ダイジローさんが立った、ような気がした。頭を振って僕は振り返り、「分かりました」と雪奈に言った。雪奈は妙な動きで大きな椅子のそばへ行き、それからゆっくりとした足取りでダイニングルームを出ていった。
 シャドウはまだ天井で揉みくちゃにされていた。単眼鏡が落ちてきて、からんと床を鳴らした。


◆4

 これは断じて此処に棲みつくゴーストポケモン達のためではない。そもそも何かを頼まれたとして、その具体的な解決方法など知りはしない。僕の好奇心を満たすための、下らない探索の延長なのだ。そう思わずにはダイニングルームを後にすることはできなかった。
 雪奈がご自由にと言ったのだから、僕はその言葉に最大限に甘えさせて貰おうと思った。ホールはまだ雪が降り続いていた。入り口からつけてきた足跡は微かに残っている。真っ白に光るホールの天井を見上げ続けていると、やはり自分は幻想の中にいるのだと再確認させられる。
「いくよ、ギガ」
 僕の後ろをつけるギガにそう言い、僕は玄関から向かって右手の螺旋階段を上り始めた。雪で滑ってしまわないように、氷のように冷たい手摺を掴みながら上った。ギガも滑ったり転んだりしながら健気に階段を上った。こんなトレーナーで申し訳ないと心から思った。朝になる頃には此処から出るよと声を掛ける。
 二階を通り越して一気に三階まで上る。上り切ったそこには空中廊下が左右に延びていたので、僕は右側の廊下を辿った。廊下には灯りが点っておらず、薄暗かった。僕はリュックサックから懐中電灯を取り出して、この屋敷へ来た時と同じように散策体勢に入る。
 凍えるような寒さは変わらないが、廊下に雪が積もっていることはなかった。雪奈の気紛れなのかもしれない。ホールと同様に、廊下も全体的に装飾が施されていた。燭台、壁にあるわけの分からない出っ張り、緋色のカーペット。いずれも庶民の趣味とは大きくかけ離れていた。左右には幾つも扉があり、見えることのない廊下の奥まで続いている。僕は歩くのを止め、適当に左手の部屋に入り込んだ。扉を開け、ギガも招き入れる。
 部屋全体を照らす。さほど広くない部屋だった。
「あれ……?」
 高価そうな家具や装飾品などが設えてあるのだろうと思っていた僕は、がらんどうの部屋に拍子抜けした。大きな窓から無味乾燥な月の光が差し込んでいた。
「外れ……みたいだな。行こう、ギガ」
 廊下へと踵を返した。そのまま向かいにある部屋へと入る。しかし此方にも何もない。
「豪華なのは外面だけなのか」
 雪奈や、この屋敷の主人とやらが聞けば怒りそうな台詞を吐きながら探索を続ける。ひとつ、またひとつと扉を開け、何も得ないままついに廊下の端まで来てしまった。右手の扉を開けて、矢張り何もないことを確認した。
「あとこの廊下に残っているのは此処の部屋だけだな」
 ギガを見遣ると、さっさと探検を終わらせろと言いたげな顔をしていた。それに背中を押される形で、左手にある扉を開けた。機械的に、こなれた動作で部屋を懐中電灯で照らす。
「……お」
 そこは今まで見てきたような空っぽの部屋ではなかった。ざっと見渡すと、壁全体が大量の本で覆われていて、入り口から見て右奥隅には簡素な作りの机が置かれている。此処は所謂書斎と云われる所だろうと思った。この部屋には窓が存在せず、採光能力というものが欠如していた。天井まで届く本棚の存在感も相まって部屋が僕達を威圧してくる感覚に襲われた。
「入ってみよう」
 僕はギガに声をかけ、大きく中に踏み出す。
「うおっ……」途端に、何か変なものを踏んだ。慌てて地面を照らす。
 ギガもそれに気づいたようで吠えた。
 床一面に散乱している夥しい数の本の残骸。部屋の隅から隅まで、その異様な光景は広がっていた。これらを踏ん付けていっていいものなのだろうか。頁が破れていたり、背表紙が剥がれたりしていたから恐らくごみに違いない。構わず部屋に踏み入ると、がさがさと音が立った。不安定な足場にバランスを崩しながら、暗い部屋を掻き分けていく。俄然探検しているという気分になった。
『何をしているんですか』
 例のテレパシーが聞こえた。ギガもそれを聞いたのか、驚いて僕に飛びかかってきて、僕はその場に尻餅をついてしまった。部屋の照明が点く。天井に豪華なシャンデリアがぶら下がっていて、それが強い光を放っている。同時に、僕の目の前にシャドウが立った。
『いつの間にかいなくなったと思ったらこんな下らないことを……』
 シャドウは部屋を見渡した後、僕の方を向いて単眼鏡に手を掛けながら嘆息した。
「あのデスマスに頼まれてさ。ダイジロー様の魂がどうのこうのって。……って、さっきのダイニングルームって結界張ってあるんじゃなかったの?」
 シャドウは驚いたような顔で僕達を見遣り、その後引き攣ったような微笑みを見せた。
『あの子たちは抜け出す術を知らないだけです。それをいいことに玲太様に余計なことを吹き込んだみたいですが……。私は生まれてこの方雪奈様と共に暮らしているので、クセはすべて知っているのです』
「だ、だったら、魂が云々って、君が解決できる問題じゃないの?」
『私も一度解決を試みたことがあるんですがね、無理でした。結界は抜け出せてもダイジロー様の魂は解放できませんでした。色々と危険も伴います。ですから雪奈様が寿命を迎えるまでは諦めるしかないと思っていましたし、面倒事が起こらないように玲太様を帰そうともしました』シャドウは一度単環境を押し上げた。『しかし……玲太様が協力してくれるのであれば話は早い。幸いにも連れているポケモンはウインディ……望みはあります。あの机の上にある物を見ていただけますか』
 シャドウが早口に捲し立てながら部屋の隅に寂しく置かれている机を指差す。目を凝らすと、白い紙が一枚乗っているようだ。僕は足元を掻き分けて、机のそばへと歩み寄った。
「これは……」
 何か文字が書かれているようだが、埃が降り積もっていて判別できない。埃を何度も払うと、黄ばんだ下地の上に掠れた文字が浮かび上がってくる。しかし、はっきりと黒々とした色で『遺書』と紙の右手に書かれているのを見て、僕はどきりとした。これはつまり……ダイジローが書いたものなのだ。僕の周りだけ、時間が巻き戻ったように感じた。


  雪奈へ

  この遺書を雪奈が読んでいる時には、私はもう死んでいるだろう。
  もう僅かな時間も残されていないので、此の遺書を認めている次第だ。
  思えば、私が君に文字を教えたのは正に此の遺書を読ませる為だ。

  さて、私は死よりも恐れていることがある。
  私が死ぬことに縁って、君との絆が消えてしまうことだ。
  然し、私は既に君と永遠の絆を手に入れる方法を知っている。
  世間が幾ら馬鹿にしようと、君に読んで聞かせたことは全て真実だ。
  敢て此処に記す必要は無いだろう。私の言った通りのことを実行すれば好い。
  もう地下室に準備はしておいてある。
  手順通りに私の魂を保存す


 彼の遺志は半ばで途切れていた。怪しげな雰囲気を纏う遺書を気味悪がっていると、またしてもシャドウが語りかけてくる。
『ダイジロー様は遺書を書いている途中で亡くなりました』
 もう一度遺書を見遣ると、風化して薄くなった紅色のシミが文字の隙間に点在していた。多分病魔に巣食われていたのだろうと思った。
 僕は足元に散らかっている紙片を手に取った。見たこともない文字で書かれている。どれもこれもそうだ。更に、不思議な形をした紋章やら記号やらが埋め尽くされている頁もある。
『雪奈様がおかしくなった原因は、半ばダイジロー様のせいです。晩年、狂ったように黒魔術の研究をして、魂の保存など云うわけの分からないものにも手を付け始めました。本人は良かれと思ってやったこのなのでしょう。肉体が消えても、雪奈様と永遠に暮らせるのですから。ですが副作用については何も理解されていなかったようです。雪奈様はダイジロー様の魂に憑りつかれてしまったかように変わってしまった。……いや、実際に憑りついているんでしょう。雪奈様は自分が取りつかれていることに気づいておられない。だから余計に……可哀相なお方なのです』
 いよいよこの屋敷は化け物じみてきた。雪奈よりも、この屋敷の主人の方が気が狂れている。死後も雪奈に憑りついているなんて。それを雪奈が幸福に感じているのかは僕が判断できることではない。が、その所為で雪奈が変な力を使って屋敷に人間を呼び寄せたり、ゴーストポケモンたちを閉じ込めているのだとしたら、それは良くないことだと思う。
『この部屋の惨状も、既に冷たくなっていたダイジロー様を発見した雪奈様が取り乱した際に……』
 ダイニングルームで僕をもてなした雪奈からは想像もできなかった。
『事情が呑み込めたなら、早く行きましょう。雪奈様はもう寝ている筈ですから』
「それって……」
『地下室ですよ』
 シャドウが身を翻して部屋を出るのに続いて、僕とギガも書斎を後にした。


◆5

 純白の雪に彩られ歩きにくくなっている螺旋階段をゆっくりと下りる。シャドウは浮遊しながらするすると下りていく。ギガは上るよりも下りる方が大変らしく、四足を四苦八苦させていた。
『なんでホールには雪が積もっているのだと思います?』
 シャドウが不敵な笑みを浮かべながら僕に振り向く。暗闇だったら、さぞ不気味な顔だろうと思った。と同時に、シャドウの表情の意味を察した。「もしかして地下室って……」
『その通りです』
 降り積もった雪の下に地下室が隠れているのか。さながら謎解き中心のアクションアドベンチャーゲームのようだ。階段を下りきって、白く染められた床を見渡す。
『しかも雪の下には硬い氷が張ってあります。用心には用心を、ということでしょうね』
 シャドウ、僕、ギガと順番に一階に降り立つ。しかし、雪の積もったこの床の下に地下室があるというのは何とも不思議な話だ。死人の魂が眠っていることも、此処が眩惑的な空間でなかったら間違いなく信じてはいけない話だろう。
「で、地下室の入り口はどこに隠れてるんだ?」
『二つの螺旋階段を結んだ線上……その丁度真ん中です。ウインディ君、出番ですよ』
 書斎でシャドウがギガに言及していた意味がやっと分かった。ギガならば積もった雪や張られた氷も楽に溶かすことが出来る。僕はシャドウの示した方へ歩いていき、ギガに指示した。
「ギガ、此処に向かって火炎放射だ」
 ギガは露骨に嫌そうな顔をした。間接的にシャドウの言いなりになるのが嫌なのかもしれない。しかし、僕の指示とシャドウの間で板挟みになるのが耐えられないらしく、やがてのそのそと地下室の入り口があると思われる場所へ歩みだした。
『そうそう、主人の言うことはちゃんと聞くべきですよ』
 シャドウのおちょくるような言葉に、ギガが振り向きながら唸る。普段ギガの臆病な姿しか見てこなかった僕には、ギガがここまで敵意を剥き出しにする様子を新鮮に感じた。
「これが終わったら帰るからな」
 ギガの頭を優しく撫でると、ギガは安堵したような表情を僕に見せた。そして、積もった雪に向かって勢いよく炎を吐きだした。雪は一瞬で溶け、姿を現した氷もみるみるうちに溶けていく。硬い氷と言っても所詮はただの氷で、ギガの火力の前には大した障害にもならない。これくらいならギガの力を借りなくても何とかなったのではないかを疑問を抱いたが、すぐに立ち消えた。
 ギガが炎を吐き終わった後に溶けた氷の下に現れたのは、地下室の入り口ではなく大理石の床だった。てっきり巨大な穴でも登場するのかと思い込んでいたが、そうではないらしい。
『あとは絡繰りですよ』
 シャドウは小さなシャドウボールを作り始める。『玄関付近に挿げられている蝋燭を一つだけ吹き飛ばすんです』、と言いながらエネルギー弾を発射し、燭台ごと蝋燭を壊した。
「乱暴だな……うおっ」
 燭台を破壊するとスイッチが入る仕組みなのか、床が轟々と音を立てながら凹み始めた。階段を形作るように段々になり、地下への入り口が開ける。
『ダイジロー様も随分と面倒な方法で地下室を隠したものです』
「広い入口……ギガでも楽に入れそうだな」
『さあ行きましょう。暗いのでお気を付け下さい』
 僕とギガは一抹の不安を抱えながら、シャドウに続いた。

 長い螺旋階段だった。下りれば下りるほど、より寒さがしみる。手をポケットに突っ込んでも何の意味もなかった。寒さを凌ぐ為に、ギガにくっつきながら歩いた。暗闇の中、懐中電灯の光だけが僕らを勇気づけた。そういえば、具体的にどんな方法でダイジローの魂を解放するのだろうか。今まで有耶無耶にしてきたものの、やはりイメージが湧かない。
『もう懐中電灯はいらないですよ……地下室は常に灯りが点ってますから』
 確かに、下方から灯りが漏れてきている。僕は懐中電灯を仕舞い、いよいよ気を引き締めた。
 階段を下りきると、まるでエントランスホールの階段を下りた時のような既視感に見舞われた。あまりにも広い地下室だった。空気が肌を直接叩くような寒さだ。そして、思わず声を上げた。
『これがダイジロー様の魂を保存している容器です』
 立方体のうつろで大きな部屋の中央に、六角柱の巨大な水晶が真っ直ぐ天井に向かって生えていた。そして、その中で何か丸いものが青白く光っている。
『そして、あの光こそがダイジロー様の魂です』
 今の今まで、完全には信じることが出来なかった。しかし、目の前に現れた幻想的な光景が、怪しい話に信憑性を持たせた。皆でそのオブジェに近寄り、まじまじと観察する。するとその結晶から強烈な冷気が押し寄せ、体中の細胞組織が氷つくような感覚に陥った。
「もしかしてこれって……氷?」
 摩天楼の様に立ち塞がる結晶を前に、シャドウに尋ねる。
『そうです。雪奈様が魂を閉じ込めるために作った器です。これを溶かしてください』
 漸く、ギガが必要な理由がわかった。巨大な氷塊を溶かし切るだけの火力は、ギガのような体の大きな炎ポケモンでなければ出せない。
「ギガ……これを炎で散らしてくれ」
 ギガは恐れ戦いているという風に僕を見つめている。怖がっているのは明白だが、この状況で落ち着かせるのは厳しい。だが、やらなければいけない
「振り回してごめんな。これが最後だから」
 こういう時に相棒の不安を取り除けるようなトレーナーでなければならないのだけれど、未熟な僕にはそれが出来ない。ただ、そんな僕の気持ちを推し量ってくれるのがギガである。ギガは心の奥に潜む恐怖を押し込めて、僕に『頑張ってみるよ』と微笑みを向けるのだ。
『健気ですねえ』
「ギガ、火炎放射!」シャドウの冷やかしを無視し、ギガに指示を与える。しかし、ギガは炎を吐きだすことが出来なかった。
 ギガを氷の礫が襲う。ギガの悲鳴を聞くまで、何が起こったのか分からなかった。
「ギガ!」
『ゆ、雪奈様!?』
 いつから後ろにいたのか。シャドウが、雪奈はもう寝たと言っていたので、全く油断していた。
『一体何をなさっているのですか? 主人の墓に悪戯なさるのはお止し下さい。シャドウ、貴方も何故此処にいるの?』
 靭やかな歩調で歩み寄ってくる雪奈は、彼女の背景さえ知らなければ、優雅な振舞いをする淑やかなポケモンにしか見えない。しかし、今の僕には彼女の背中にダイジローの亡霊が張り付いているように見えて仕方ない。
『そ、それは――』
「雪奈さん、もうこんなことは止めにしましょう」シャドウが雪奈に話しかけるのを制し、シャドウに言われたことや書斎で読み取った真実を頭の中を整理して、雪奈の逆鱗に触れないように慎重に語りかける。
「雪奈さんがこんな風になるなんて、ダイジローさんも思ってなかった筈だ」
『何を仰っているのですか』
「いつまでも死んだ人に縋りつくのは――」
 一欠片の氷の礫が頬を掠める。
『貴方まで私と主人の絆を愚弄するのですか! 此処を訪ねてくる人は皆そうなのですね!』
 雪奈の宿した狂気が露顕して尚、僕は口を開く。
「無理矢理繋がっているものを絆とは呼ばないよ。デスマスも言ってたけど、僕がここまで難なく辿り着けたのは偶然じゃなかった。門の錠がされていなかったのも、玄関の鍵が掛かっていなかったのも……。それって、雪奈さんに何かの目的があって、外部の人間を招き入れたんじゃないの?」
 雪奈が口を閉ざす。まるで彼女の心の中で、相反する二つの何かが鬩ぎ合っているように見えた。
『雪奈様……私は二十余年、雪奈様の側にお仕えしてきましたが……なぜあの男が死んでも囚われ続けようとするのです? もう雪奈様を蝕む脅威はなくなったのですよ?』
 シャドウがダイジローを『あの男』と呼んだことに、僕は驚いて目を見開いた。それに構わず、シャドウは淡々と雪奈を諭し続ける。
『もう苛烈な虐めを受けることもないんですよ……』
 突如語られた真実は、僕を混乱に陥れた。雪奈が虐められていた?
『それでも……それでも私は主人を――』
『愛故の暴力など存在しません。貴方は長年此処に閉じ込められて精神や考え方が歪んでしまっているのです。あの男の暴力を自分にとって都合よく解釈するくらいに……』
 雪奈は震え、俯き、何かをぶつぶつと呟いている。
「虐めていたって……そんなことが」
 一人の人間が犯した過ちは、一匹のポケモンを哀れな傀儡へと変えていたのだった。
『申し訳ありません玲太様。あまり雪奈様の汚点をお見せすることはしたくなかったのですが……魂の方を宜しくお願いします』
 シャドウの言葉で、なぜ自分が此処にいるのかを思い出す。
「ギガ、火炎放射!」
 ギガは僕の顔を見遣った後、いつもとは違う精悍な顔つきで、炎を操り氷を溶かし始めた。シャドウや雪奈の話を聞いて、恐怖を超える何かに背中を後押しされているようだった。
『止めてください!!』
 雪奈が此方に手を伸ばしてくる。その表情は、怯えた子供そのものだった。シャドウが素早く雪奈を地面に押さえつけて尚、雪奈は此方に向かって来ようとする。
『止めて、お願い……主人に怒られる……お願い……』
『そんなことはありません! 貴方は幻想を見ているんです!』
 涙を流しながら訴える雪奈の姿が可哀相で、僕は思わず目を背けた。僕や不良達を屋敷に呼び込んだのは、雪奈の深層意識の底にある悲鳴だったのかもしれない。
 時間が経過し、氷柱はもう大部分が溶けていた。一気に片づけてしまった方が、雪奈を苦しませずに済むのかもしれない。
「ギガ、最大火力でオーバーヒートだ!」
 地下室に雪奈の叫び声が木霊する。この屋敷の主が犯した罪は、今、漸く消え入ろうとしていた。


◆6

「で、その後ユキメノコは人が変わったように大人しくなった。憑き物が落ちたんだろうね。何事もなかったかのように帰されたよ。未だに実感がわかないけど」
「ちょっとした人助け……いや、ポケモン助けだね。そういえば、その閉じ込められいてた魂はどこ行ったの?」
「さあ……ギガのつけた炎が消えたら氷もろとも消えてたし。大体、あそこはお化け屋敷みたいなもんだから……魂って云ったってただの光るボールだったし、鬼火か何かを見間違えただけかもしれないしね」
 僕とマリは下校途中の道で、例の探検の話をしていた。
「なんだか不思議な話だけど、私は信じたいな」
「僕はあんまり信じられないかな……」
「どうして? 体験したことなのに?」
 ポケットに手を突っ込む。
「今朝、あの屋敷に戻ってみたんだよ。……もぬけの殻だった」
「え?」
「何もなかったんだ。雪も、遺書も、ポケモン達もね。屋敷だって、手入れされている立派なものだと思ってたけど、ただのぼろぼろの廃墟に成り下がってた。だからきっと、夢だったんだと思う」
 右手に冷たいものが触れる。
「……幽霊が玲太を楽しませるために見せた幻だったのかもね」
「そうだといいんだけど」
「あ、そういえば寄る所があるんだった。また明日ね」
「あ、ああ」
 慌ただしく駆けていくマリを見送りながら、僕はポケットからある物を取り出す。
 氷で出来たような歪な五方結晶。僕が夢から醒めることを妨げ、惑わそうとする冷たい結晶。
 僕とギガが見た筈の彼らは、一体何処に行ってしまったのか。
 僕は再びそれをポケットに仕舞い込んで、寒空の下を歩いた。


 了
 
> ゲートキーパー 作:音色
ゲートキーパー 作:音色
 ここを通りたければキミが今まで勝ちとってきたバッチを示せ。
 そう、8つのジムで手に入れた、ジムバッチさ。
 チャンピオンロードへ続く、チャンピオンゲート。この大いなる門をくぐるには、バッチケースにきらりと並ぶそれらを示す必要がある。

 それらはどうやって手に入れた?
 キミと、キミのポケモン達の努力の結晶だろう?
 傾向の違うそれぞれのジムリーダーに、実力を認めてもらって渡されたものだろう?


 ワタシはただの門番にすぎない。
 ここから先の過酷な道は、それすらもただの通過場所にすぎない。
 そして、四天王も、チャンピオンでさえも、君にはもしかしたら、ただの関門にしか過ぎないかもしれない。
 辛く厳しかろうが、予想していたものより楽だろうが、それはキミがここをくぐらなければ分からない。

 キミはもう『教えてくれ』とは言えない。
 己で切り開いていけ。


 トライバッチを持つ者よ! いかなる時も挑戦せよ!

 ベーシックバッチを持つ者よ! 得た知識を発揮せよ!

 ビートルバッチを持つ者よ! むしのようにかっこよく戦え!

 ボルトバッチを持つ者よ! しびれる戦いを繰り広げよ!

 クエイクバッチを持つ者よ! 相手の心も揺さぶれ!

 ジェットバッチを持つ者よ! その勢いのまま進め!

 アイシクルバッチを持つ者よ! 氷柱の鋭さを表せ!

 レジェンドバッチを持つ者よ!

 この先のチャンピオンロードを突破し ポケモンリーグに向かい

 そなたの存在感を示せ!
 
> ウインディもふもふ 作:一葉
ウインディもふもふ 作:一葉
 むかしむかし、人間とポケモンは仲良く暮らしていました。
 人間の王様とポケモンの王様はお互いに協力しあい、支え合ってきました。
 ですが、ある時人間の王様は言いました。
「ポケモンの力があれば暮らしはもっと豊かになる」
 人間の王様はポケモンの力で炎を扱う知識を手に入れました。
 人間はもう自分で炎を起こす事が出来ます、炎ポケモンは火を吐くから危ない、と追い出されてしまいました。
 人間の王様はポケモンの力で水を治める術を手に入れました。
 人間はもう水害に怯える事もありません、水ポケモンは水の中で暮らすから水を汚す、と追い出されてしまいました。
 人間の王様はポケモンの力で作物を育てる知恵を手に入れました。
 人間はもうお腹を空かせて困る事もありません、草ポケモンは地面を痩せさせる、と追い出されてしまいました。
 人間の暮らしはどんどん発展していきます、もうポケモンの力なんて必要ありません。
 いつの間にか、ポケモンはみんないなくなってしまいました。
 ポケモンの王様は言いました。
「もう僕たちの居場所はここにはない」
 人間の王様は尋ねました。
「どこに行くんだい?」
 ポケモンの王様は悲しそうに答えました。

 そう……



「林田くーん、授業中はお休みの時間じゃありませんよー」
 目が覚めた、それはもうすっきりと。先生の口元は引きつっているし、教科書を持つ手は震えている。本気で起こってる、そう思ったら眠気なんてどっかに逃げていった。
「嫌だな先生、眠ってなんてないっすよ」
「寝言、言ってましたが?」
 満面の笑みに怒気を乗せる。そうか、寝言なんて言っていたのか。もはや弁解の余地はない、素直に謝って置いた方が良いのかもしれない。先に反省して見せた方が罰も軽くなると言うものだ。
「サーセンでしたーっ!」
 勢い良く頭を下げる。その直後、ゴッという鈍い音がして目の前で星が舞った。殴ったよこの教師、それもグーで。
「やっぱり寝てたかこの野郎」
 言葉遣いに地が出てますよ先生。文句を言いたいところだが、体罰だなんだと訴えて勝てるレベルの一撃に完全に沈黙してしまっている。頭の中がぐわんぐわんとしていてまともに働かない。
「テスト範囲、後で友達から教えてもらっておけよ」
 最後まで男言葉のまま、先生は教室を出ていく。その辺りで、せっかく目覚めた意識は闇の中に沈んで行った、気絶的な意味で。


 学校から少し離れた山の中に、今は使われていない山小屋の秘密基地がある。
「ハヤシも大変だったな」
「大変なんてもんじゃねーよ、見ろよコブが出来た」
 頭の後ろの方を指差して見せる。先生の拳骨でそこには見事なコブが出来ていた。
「寝てるヤツが悪ぃだろ、しかしバカだよなー」
「なにが?」
「寝言なんて言ってなかったぜ、あのまましらばっくれてりゃ本当に寝てたかなんてわかんなかったのに」
「なん……だと? てことは騙されたのか!?」
「だな」
 ゲラゲラと大笑いする友人にとりあえず身近にあったスナックの空箱を投げつけておく。他人事だと思いやがって。
「ああ、くそ、テストなんて忘れてバトルしようぜ」
「俺を赤点に巻き込むな」
 パタパタと手を振り拒否する友人のカバンを漁り、3DSを取り出す。
「おまえな、ノート見せてくれって言うから来たんだぞ、遊ぶんなら帰るぞ?」
「良いだろ少しくらい、おまえのポッカピにリベンジしなきゃやる気が出ない」
「前もそう言ってて結局最後まで遊んでたじゃん」
 それでもノリの悪い友人はバトルに付き合う気はないらしい。面白くない。
「いいから、ほらDS投げるぞ、取れよ、ちゃんと取れよ」
 念を押して二回繰り返す。おまけにもう一度投げるからなと念には念を入れて、投げる。軽く放った。距離は遠くないし、普通に受け止めれば落とすような強さでもない。そう、普通に受け止めれば。
「あ」
 友人は振り向きもしなかった。受け止める相手のいないDSは、そのまま友人の背中に直撃し、さらにガチャンと大きな音を立てて地面に落ちた。
「あ?」
 振り向いた友人の顔が茫然とし、驚きに変わり、怒りに染まる。
「な、投げんなバカ!」
「バッ、取れって言っただろちゃんと!」
「本気で投げるバカがどこにいんだよ! このバカ!」
「またバカって言ったな! 二回もバカって言ったな!?」
「バカだからバカって言ってんだろ! バカをバカ言って何が悪い!」
「バカバカ言うなこのカバ!」
「今の暴言を俺とカバさんに謝れ! あとDS投げたこともごめんなさいしろ!」
「うっせ! あーうっせ!」
 詰め寄る友人を手で追い払う。なんでこいつはこんなにしつこいんだ。
「萎えた、帰る」
「てめ、人呼び出しといて帰んのかよ、ハヤシィ!」
 友人が後ろで叫んでいるが関係ない。そのままカバンを手に山小屋を飛び出した。

 やることもなくなったが、家に帰れば母さんが勉強しろとうるさいから山中をぶらつく。目的はないけれど、またぐちぐちとうるさく言われるよりはまだマシだ。
「あーくそ」
 ただ歩いていても手持ちぶさたで、カバンから自分のDSを取り出してみる。友人には勝てなかった自慢のポケモン達。なんで勝てないんだろう。
 不意に、足が沈んだ。身体がそのまま傾く。倒れる、そう思って堪えようとした足が空を踏んだ。

 目の前が真っ暗になる。何が起きたんだ。くらくらとする頭を揺すり、目を開ける。
「……くそ」
 目の前には小さな崖、崖と呼ぶには申し訳ないようなニメートルくらいの段差がそびえ立っていた。つまりあれか、DSの画面を見ながら歩いてたら足を踏み外したと言うことか。なんてマヌケだよ、くそ、誰がバカだこんちくしょう。
 落ちた時にぶつけたのだろう、尻が痛い。それでも我慢して立ち上がると、思い切り崖を蹴り付けてやった。
 ズボッ。
「んあ!?」
 すると、蹴り付けて足が膝の辺りまで埋まる。何だこれ。恐る恐る足を引き抜いて見ると、どうやら中が空洞になっているようだった。ゲシゲシと周りを蹴り壊し、人が通れるくらいまで拡張する。
「やべぇ、テンションあがってきた」
 それは洞窟だった。結構奥まで続いている。ハヤシは岩砕きを使った、洞窟が通れるようになった、てとこか。
 洞窟内は意外と明るかった。野生のダンゴロとかイシツブテが居そうなフインキだ。あれ、フンイキだっけ、どっちでもいいか、そんなもんじゃワクワクは止められないぜ。
 さらに進むと、洞窟は少しずつ広くなり、最後には大きな空間に繋がっていた。
「うっは、すげぇ、マジかよ」
 それが驚かない訳がない。洞窟の終点、いや、まだ終点じゃないか、行き止まりには、十数メートルはあろうかと言う巨大な鉄の門が口を閉ざしていた。門には左右に一体ずつ、どこかで見たことがあるような竜が描いてある。片方は二本足で立つ肩に珠のある竜、もう一方は四本足で胸に珠を持つ竜。
「開くのか、これ?」
 重厚な鉄の門を思い切り押す。びくともしない。こんにゃろ、と思い切り蹴り飛ばす。
「痛……ってぇー!」
 当然足が痛かった。思わず足を足を抱えて跪く。すると、あれだけびくともしなかった鉄の扉がわずかに開く。
「お?」
 狭いがギリギリ通れるだろうか。無理矢理身体を通して行く。そして、門を抜けた。

 言葉を失う。空が見えた。洞窟を抜けたらしい。あんなどでかい門があるくらいだから金銀財宝でも隠してあるのかと思ったら拍子抜けだ。
 「なんだ、外に繋がってるだけか」
 急に熱が冷めていく。ここがどの辺りなのか、探索を続けようと思えば出来たけと、もうその気にはならなかった。帰ろう、そう思った瞬間だった。
「ピカ?」
 鳴き声がした。意外と低音で、「ピ」と言うよりは「ヴィ」に近い音だったけれど、それはやっぴり「ピ」だ。
 赤いほっぺ、黄色いシャツ、ギザギザ尻尾のあんちくしょう。
「ピカ……チュウ?」

 ピカチュウ、かわいいキャラ作りポケモン、初代からで未だしゃばり続けいい加減降板を期待されている……じゃなくて、ポケモンだと。
 ポケットモンスター略してポケモン、延々とシリーズを重ねついに育成出来るモンスターの種類六百を越え誰がそんなにやりこむんだと言わざるを得ない時代に名を残す名作ゲームである。育成や対戦が熱く、目の前にいるピカチュウと同種族のポケモンを友人が使っており、どうしても勝てないので大嫌いだ。
 そのピカチュウが逃げていく。逃げられると追いたくなるのがポケモントレーナーとして当然、と踏み出し掛けた一歩をそれが止めた。
 燃え上がる焔に似たたてがみは伝説ポケモンと呼ばれるが普通に草むらから飛び出してくるポケモンを進化させれば手に入る伝説でもなんでもないポケモン、ウインディだ。
「イケメン……だと!?」
 さすがウインディかっこいいよウインディ伝説じゃないのに伝説名乗る辺りがシビれる憧れる。落ち着けそうじゃない。なんでポケモンが実在しているか、そうだろう? つまりあの門は現実世界とポケモン世界を繋ぐ門、ようこそポケットモンスターの世界へ、オーキドどこだ!? アララギでも構わん、御三家を寄越せ!
「ここも人間に見つかってしまったか」
 ぽ、ポケモンが……
「喋ったぁー!?」
 冷静になれ、ポケモン世界ならポケモンが喋ったところでニャースだと思えば大丈夫だ。クールになれ、と言い聞かせている間にウインディが背を向ける。逃げる、そう思ったとき、ウインディから何かが落ちた。
「なんか落としたぞ?」
 そのまま走り去ろうとしたウインディを呼び止める。無視して行ってしまうかと思ったがウインディは数歩駆けたところで足を止めていた。ウインディが落としたそれに駆け寄り、拾い上げる。
 親愛なる我が友へ。半透明に光る水晶のような石を埋め込んだブローチだった。
「何だこれ? 友へって書いてあるけど、大事なものじゃないのか?」
 こういうのは本当に大切な親友に贈るもんだ、それくらいはわかる。
「……大切なものであるものか」
「でも、友達からもらったもんだろ?」
「友達などではない、人間など、利用するだけ利用し、都合が悪くなれば裏切る、それが人間であろう」
「な、なんだよそれ……」
 人聞きが悪い、人間として反論してやろうと、そう思ったのに、言葉が出なかった。

「おまえな、ノート見せてくれって言うから来たんだぞ、遊ぶんなら帰るぞ?」
「てめ、人呼び出しといて帰んのかよ、ハヤシィ!」

 なんだよ、くそ。友人の言葉が頭を過る。
「信頼の証? 友情の結晶? 笑わせる!」
「お、おい!? どこ行くんだ? 教えてよ!」
 再び背を向けたウインディに尋ねる。ウインディは一言、哀しげな瞳で答えた。


 ポケモンの王様は言いました。
「もう僕たちの居場所はここにはない」
 人間の王様は尋ねました。
「どこに行くんだい?」
 ポケモンの王様は悲しそうに答えました。


「人間のいないところへ」



「おい、ハヤシィ! しっかりしろよハヤシィ!」
「……ゆぅ……と?」
 目を開けると、友人が泣きそうな顔で叫んでいた。
「よかった……生きてた……」
「なんで……」
「そこから落ちたんだろ、上にDS落ちてて、拾おうとしたら、下に倒れてるのが見えて」
「……夢?」
 崖の洞窟もない、今までのは全部夢だったのだろうか。

『人間など、利用するだけ利用し、都合が悪くなれば裏切る、それが人間であろう』

 ウインディの言葉が蘇る。なんだよそれ、全部……言い様に友人を利用して、都合良くいかなきゃ逆ギレして……
「俺みたいじゃん」
「どうした?」
 友人の顔が涙でぐちゃぐちゃだ。それだけ、心配してたんだ。なのに、俺は……
「あのさ、友人、さっきはごめん」
「は……なんだよいきなり、頭でも打ったか?」
 友人が泣きながら笑う。だからそういう事にしておこう。ふと握った手には、あいつが落としたブローチがある。夢だけど、夢じゃなかった。この出会いは、きっと信じてもらえないと思うから。
 
NiconicoPHP