> そこはまるでヨスガのようで 作:来来坊(風)
そこはまるでヨスガのようで 作:来来坊(風)
 警察官のイケズは本来ならその休日を妹の趣味であるポフィン作りを手伝うことで潰すはずだった。最もイケズはポフィン作りなど毛ほどの興味もないのであるが「力がある男の人のほうが、混ぜ続けられるでしょ」と妹に言われてしまっては仕方がない、最近コンテストに嵌り始めている妹にイケズはあまり逆らえなかった。
 木の実を集めて、不似合いなエプロンをして、さあ始まりだと言う時に、電話が鳴った。タイミングが良いのか分からないなと呟きながらそれを取ると、まだ自分が新人であった頃、随分と良くしてくれた先輩からであった。
 今では国際警察の構成員でコードネームハンサムと呼ばれている先輩は、随分と真剣に切り出した。
『イケズ、久しぶりで悪いんだが少し頼まれてくれるか?』
「ええ、僕に出来ること出れば何でもしましょう」
 その気持ちに偽りは無かった、事実そのくらいの事を先輩にはされているし。この先輩からの頼みとあれば妹だってさほど機嫌を損ねず送り出してくれるだろう。
『実はエヌがヨスガに現れたと言う情報が入ったんだが、あいにく今俺はホウエンに居る。すまないが俺の変わりに軽くで良いから聞き込みをしてくれないか。警察であるお前なら市民も快く協力してくれるだろう』
 エヌ、と聞いてイケズは一つ唾を飲み込んだ。エヌとは何年か前にイッシュ地方で暗躍した組織である『プラズマ団』の『王様』であり、首謀者のゲーチスと幹部の七賢者が保護された後も逃走を続けている凶悪犯である。
 警官と言う立場にありながら、イケズはそのような大犯罪者は自分と関わりがないと思っていた、しかしここに来て自分のふるさとであり勤務地でもあるヨスガにエヌが現れたとなると気が張り詰める。
「分かりました。しかし先輩もいずれ来るのでしょう?」
『当然だ、エヌを追い詰めるまでは殺されても死なないつもりだ』
 電話を切り、畏まった口調だった兄に対して少し緊張した面持ちで「誰だったの?」と問う妹に、電話の相手があの先輩だったことと、申し訳ないがポフィン作りに付き合えそうにない事を伝えたイケズは、こんな物つけていられるかとエプロンを外すと、ポフィンの完成を夢見てみながら寝床にいるであろう相棒のガーディを呼んだ。


 『長身でグリーンの髪を後ろでまとめた早口の男』制服に着替えたイケズはヨスガの市民にその特徴を伝え、目撃情報を聞いて回ったが、エヌの姿を見たものはいなかった。田舎町であればエヌのような格好は目立ったであろうが、電子メーカーのキャンペーンボーイであるピエロが昼間から堂々と闊歩するこの賑やかな町では彼の姿も紛れるのだろうか。
 日が傾いて、もう町を一周しようかというころになっても、たった一つの目撃情報も得る事はできなかった。こりゃガセネタ掴まされたかな、とイケズは頭を掻いたが。その時ふと西にある建物が頭に浮かんだ。
 いぶんかのたてもの、その建築物は一応は様々な人々が行き交うヨスガシティの象徴とされていたものの、殆どの住人が興味を持っておらず、イケズも子供時代に何度か悪戯で入ったくらいで、物心付いてからは入ろうとすら思っていなかった場所だった。
 まあ、一応、行ってみる価値はあるかも知れない、軽い気持ちでそう思い、イケズはその方向へ足を向けた。


 何度見ても、いぶんかのたてものは陽気で華やかな町、ヨスガには似合わない厳(おごそ)かな外見をしていた。煌びやかな装飾でゴテゴテさせてはいるものの、どことなく寂しくて、見ているこっちが複雑な心境になる。
 扉を押して、一歩踏み込む、赤い長椅子がずらっと並び、正面にある剣を持った若者のステンドグラスが、赤みがかかった日の光に着色をしている。
 扉を閉めると、ぞくり、強烈な違和感に背筋が凍った。
 先程までは聞こえていた、歓声、子供の無邪気な笑い、感嘆、大人が何かに感心する声、大人が我を忘れて笑う声、そういうものが一気に耳に届かなくなった。たてものの中を支配するのは、無音、無音。
 イケズは窮屈でたまらなくなって、扉を開いた。再び聞こえる絶え間ない声にほっとする。
 心を落ち着かせ、今度こそは扉を閉める。ヨスガで育ったイケズにとって、無音こそが落ち着かないものだった。
 この時間帯は何も開かれていないのだろうか、見渡す限り長いすに座っているのは最前列の女性一人だけだった。
 女性は、あたふたと扉を開け閉めしていた警察官に微笑むと、再び正面に向き直り、ステンドグラスを眺めていた。
 イケズは落ち着けと自分に言い聞かせながら、女性の隣に歩みを進め、椅子に座った。
「失礼ですが、今、お時間よろしいですか?」
 こちらを向いた女性に、イケズは一つ息を呑んだ。程々に大きい目に鼻筋通った、端麗な顔つきだった。それでいて艶やかな長髪は大人しいながらもその女性の魅力を引き出している。よく見ればその服装も白がベースの派手さのない物だ。
「ええ、よろしくてよ」
 いかんいかん、警察官が市民にうつつを抜かしてどうする、と頭の中で自分を叱責し、イケズは続ける。
「エヌという人物の目撃情報を求めています。『長身でグリーンの髪を後ろでまとめた早口の男』に心当たりはありませんか?」
「エヌという人物を知ってはいますが、見てはいませんね」
 またか、とイケズは落胆した。どうやら先輩はガセネタをつかまされたらしい。久しぶりに先輩と食事を共にできるかと思ったがどうやら駄目なようだ。
 そうですか、と席を立とうとするイケズに女は続いて言った。
「だけど、きっとここに現れるでしょうね」
 無音なだけに、その声はたてものの中を随分と響きまわってイケズの耳に届いた。始めは意味が分からず、考えをめぐらせたが、やはりよく分からなかった。
「ええと、それはどうしてでしょう?」
「彼のやったこと、存じています。そして彼のやった事は決して人とポケモンの道から外れたことでは無いからです」
 ますます意味が分からない。
「あのステンドグラス」
 女は正面にある巨大なステンドグラスを指差した。右側では剣を持った若者が立っており、左側では折れた剣を握り締めた若者が何かに許しを乞うている。
「あれはトバリの神話なんです。剣を持ってポケモンを狩っていた若者は、逆にポケモンに諭され、その剣を折ると言うもなんですけどね」
 イケズには馴染みのない神話だった。もといそもそもイケズは神話に馴染みなど無い。
「この建物を作った人は、真っ先にこのステンドグラスを設計したそうなんです。それほど思い入れのあるもなんでしょうね」
 一息ついて。
「ところで、ステンドグラスって何の為にあるのかご存知ですか?」
 不意な質問に虚を付かれたが、イケズはそれを知っていた、何年か前にはやった日常生活では先ず役に立たない知識を紹介するテレビ番組で知っていたのだ。
「ええ、文字が読めない人にも神話を伝えるためでしょう?」
「ふふ、正解です」
 笑う女に、イケズは悪い気がしない。
「でも、本当にそれだけですか? 他に理由は?」
 繰り返す質問に、イケズは頭をひねる。
「さあ、綺麗だからですかね」
「そうですね、確かに綺麗」
 女はうっとりとステンドグラスを眺める。イケズもそれに続いた。
 幾許か時間が過ぎて、女が「私は」と切り出す。
「私は、ポケモンにも伝えるためなのではないかと思います。ポケモンだって文字が読めないですから」
 はあ、なるほど、とイケズは答えた。確かにありえる話だが、別にだから何だと言った感じだ。
「そういうこと、考えたことありますか?」
「さあ、あまり」
「あなた、ポケモンは持っていますか?」
 ええ、とボールを取り出す。
「警察官ですから。ガーディをね」
「あなたは、そのポケモンを愛していますか?」
 気恥ずかしい質問だ。
「そりゃまあ、愛しているか居ないかで言えば愛している方でしょう」
「それはどうして?」
 気付けば、女から笑顔は消えていた。
「そりゃ、相棒だからです。強くて、いざと言う時に市民を守れる」
 それなら、と女。
「それなら、強くないポケモンを、愛せますか?」
 ん、と言葉を詰まらせる。
「美しくないポケモンを愛せますか? 賢くないポケモンを愛せますか? 何も無いポケモンを愛せますか?」
 急な質問に答えが出ない、そんなこと考えたことが無かった。
「人と、ポケモンは対等で、助け合う存在。それはトバリの神話も、シンオウの神話もそうなんです」
 女は続ける。
「でも、今の人たちはそれを忘れているんです。自分の都合が悪かったら愛すのを辞め、勝手に自分達のほうが上だと決めて、ポケモンの優しさに漬け込んで増長している」
 そんなことは無い、とイケズは否定しようとした。しかし、上手い言葉が浮かばなかった。
「トバリの神話と一緒、剣を持った若者がポケモンを狩っているんです。エヌの起こした事は確かに犯罪かもしれませんが、その動機は理にかなっているし、人々がポケモンをそうやって扱い続ける限りいつでも起りかねないことです」
 ううん、イケズは唸った。そりゃもちろん、ガーディを愛せるかと聞かれれば、先程のように愛せると言えるだろう。しかし、弱いポケモン。市民を守ることが出来ないかもしれないポケモンを愛せるかと問われれば返答には困る。
「私は、人とポケモンは助け合うことができる存在だと信じています。この建物を作った人だってそう、だからステンドグラスでポケモンに語りかけているんです」
「しかしですね、それとエヌとどういう関係があるんですか?」
 涼しい顔で女は答える。
「私はジョウトの出身なんです。私は体に不自由なところがあったので、ポケモンの力を借りていました。今だってそうです」
 そう言って女が右足を二回ほど叩くと、ももから下の部分がぐにゃりと変形し、二つの目と口が現れた。メタモンだ、メタモンを不自由な場所に化かせるという治療法を聴いた事はあったが見るのは初めてだったので、少し言葉を失う。
「だから私は世間とのズレをずっと感じていました。そして旅行の途中に行き着いたのがここなんです」
 もう一度ステンドグラスを見て。
「私だけでは無く、ここにいる人達の半分は別の地方から来ています。誰もここに来る事を目的にはしていなかったのに、まるで吸い寄せられるようにここに行き着くんです」
 イケズは妙に納得した、確かに、そのような事を考えたことの無い自分はこの場所に違和感を覚える。
「エヌもきっと、いつかここに来ます。確信をもってそう言えます」
 凛とした、女の表情。



 ひどく疲れた。
 イケズが家に帰ったのは日が落ちて直ぐだったが、直ぐにでも布団に潜り込んでしまいたい気分だった。
 妹が、顔色が悪いが大丈夫かと心配したが、大丈夫と答えた。
 そういえば、妹はコンテストに凝っていたが、妹は美しく無いポケモン、可愛くないポケモンを愛せるのだろうか。身内の人間だからきっと愛すだろうと高を括るが自信は無い。
 ガーディーをボールから出して、一つ撫でてから部屋に入る、その時ハッハと息をしていたガーディの口の隙間から見えた牙、その気になれば自分の腕の肉なんて簡単に食いちぎることが出来そうな牙が気分を複雑にした。
 ああ、そうだ、寝る前に先輩に電話をしなければならないのだ。イケズは思い出して、小型のディスプレイに手を伸ばしたが、やめた。
 なんといえば良いのだろう「その情報は恐らくガセネタですが、エヌは間違いなくこの町に現れます」といえば良いのだろうか、よく分からない、もう寝てしまおう。
 横になって目を瞑る。
『ポケモンの優しさに漬け込んで増長している』
 女の言葉が頭を回った。
 ああ、そういえば、ステンドグラスの意味を聞かれたときも『ポケモンのため』などという発想はでてこなかった、それはつまり自然とポケモンを下に見ていたのだろうか。
 あの時、イケズは女に対して『すこし、おかしい』と感じた。
 しかし、こうやって冷静になって考えれば考えるほど、彼女こそが正しい様に思うのだ。
 つまりそれは、自分を含むこの世界の大多数が『すこし、おかしい』事になってしまって。
 やがてイケズはその問答の答えを明日、もしくは明後日、もしくはそれよりずっと後に導き出すことをあいまいに誓って、まどろみに意識を預けた。
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