> オブジェクト・シンドローム 作:水雲
オブジェクト・シンドローム 作:水雲
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<theme>A-Glass</theme>
<title>Object Syndrome</title>
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<li>テーマ</li>
<li> A </li>
<li>ガラス</li>
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 ああ、いきなりどうも失礼した。私的な記録として残すための、ただの定義付けだ。どうか気にしないでいただきたい。
 それでは、どこから始めようか。
 そう。
 最初に打ち明けておくと、私は0378に恋していた。


 時が6を示し、分が0を示す。
 そうすれば、さあどうだろう、体内時計がサスペンドを自動的に解除し、起動回路をキックされ、私は勝手に目を覚ましたではないか。私のメインシステムが『休眠モード』から『活動モード』へと変更される。サブシステムのテストラン。休んでいる最中に体内へたまっていたノイズをスキャニングし、キャッシュをみじん切りにしてパケット化、さっさとこの世から抹消する。人間は朝食を摂ることで一日を始めるようだが、私の場合は一体どういう言葉をあてはめるのが適切なのだろう。それは図書館を調べてもわからない。
 情報インフラが発達したこのご時世、人間にも昼夜などおよそ関係なくなったようで、私が寝ている間にも複数のモノたちがここへ届けられる。「モノを引き出したい」という人間からの要求信号があった場合、私は夜中だろうが問答無用で叩き起こされるのだが、今日は珍しく「モノを預けたい」との要求信号しかなかったようだ。単純な預け入れだけであれば、略式エントリーのプロセスに任せているだけでいい。私がリアルタイムでしゃしゃり出る必要もないので、久しぶりに朝の六時まで休むことができた。
 よし、仕事を始めよう。
 マザーCOMへリクエストを送り、私は新しく入ってきたモノたちのリストを受け取り、まずは新入りのそれらを広場へと呼び出す。早朝に決められた私のルーチンワークだ。
 早速、私は広場へと向かった。
 Rotom : < おはようございます。初めまして、ここ電脳世界-MNDでは、わたしが管理者です。パーソナルネームはRotom-MND、分類ナンバーはΣ-109375。えらく長ったらしいので、気軽にRotomと呼んでください。御用の時にヘッダーに添える名前もそれで結構です。あなたたちの主人に現実世界へ引き出される時までは、わたしが責任を持って管理いたします。ああまだ動かないでください。心配はいりません、大丈夫ですよ。それぞれの友達のところへ、きちんとこちらで誘導しますから。 > : end
 モノたちは少しばかり戸惑っている。住み慣れない世界、モノを相手に堂々と話しかけてくる存在。まあ無理もなかろう。
 私は改めてひとつひとつにチャンネルを合わせて挨拶しながら、不具合がないかを確かめる。ここへ送られた際にオートで割り当てられたパーソナルタグを上書きし、お互いが呼びやすい数字をセットする。マザーCOMのプロセス領域のどこかに不備があるらしい。ここへ来る際にかなりの頻度で文字が化ける仕様は、どうも未だ改善できていないようだ。文字コードの海から探さねばならないほどのすさまじい記号で名付けられる輩も、決して少なくはない。
『ねえねえ』
 突然のコネクション。
 無視した。
 こちらの処理が先だからだ。バックグラウンドでは、「聞こえた」との応答信号が向こうへエコーバックされるはずだ。
 Rotom : < えっと、はい、これで結構です。今日からはここがあなたたちの家となります。主人に呼び出される時までは、その数字があなたたちの呼び名です。6065、0189、1077、よろしくお願いしますね。基本的には自由に行動してくださって結構です。が、ひとつだけ注意事項があります。ここ電脳世界-MNDの領域外、そうですね、近所で言えばPorygon-RIZの管理する電脳世界-RIZなどへは行かないこと。いるんですよ、たまに。本来なら動くことを嫌うモノのはずなのに。あそことは規格が異なっているため、最悪の場合、あなたがたのパーソナルデータが破壊され、わたしたちや主人たち永遠に見つけてもらえなくなります。 > : end
 脅すことは別に趣味ではないのだが、こうして反応を調べることも私にとっては重要だ。素直なモノには信頼を寄せ、不満を漏らすモノには要注意とマークしておく。モノとしての本分を了解しているのか、今回は全員聞き分けがよく、あっさりと了承してくれて助かった。ヒマワキの木で造られた椅子である6065、カイオーガのピンナップポスターである0189、シェイミ色をした絨毯マットである1077。今日の新入りはこの三つ。『お元気で』との旨をフッターに添え、私は主人のモノたちがたむろしている場所へと各々転送した。
 さて。
 先ほど送り返した応答信号のログを自分で探り直し、私はステイタスに目を通す。パーソナルタグは――
 案の定だった。
 苦笑する。いくらかおかしそうな語気を込めて、正式なレスポンスを飛ばす。
 Rotom : < やはりあなたでしたか。 > : end
 再びのコネクション。
 すると、一体のモノがアバターの姿を借りて広場へ現れた。
『おはよう。ねえ、あたしの声、聞こえてたんでしょ。なんでさっきは無視したの』
 Rotom : < 仕事がありましたから。というより、まだ残っていますよ。 > : end
『休憩しなくていいの?』
 Rotom : < 今し方始めたところですって。電気を食べていればいいだけの話ですから、ここの世界で休憩だなんて、もともとはいらないのですよ。 > : end
 つまんないの、とだけ言い残し、モノはすぐに行方をくらました。
 あのモノこそが、パーソナルタグ0378。現実世界での正式名称「ガラスのオブジェ」だった。


 詳しく話せば長くなる。
 私が「モノ」と対話できるようになったのも、それほど最近の話ではなくなってしまった。モノたちの配置が昨日と比べて若干変わっているのも、私の気のせいではなかったのだ。
 自分で言うのも何だが、ロトムである私はまだ若い。だから、寿命が来てしまったという自覚はない。とするとつまり、私が「生物」ならぬ「静物」としての感覚を徐々に得ていってしまったのではなかろうか、と考えている。そんな私を異常だと客観的にとらえるのも、まあ妥当な判断であろう。しかし、自身にシステムリカバリをかけるつもりもさらさら無いということは、ここで明言しておこうか。電脳世界-RIZのポリゴン――私よりずっと年配だが――も、とっくの昔からモノたちと対話できる力を獲得していたらしい。他の管理者のことまでは知りかねる。
 電脳世界-MNDへ閉じこめられてからの八年間、他の管理者たちと同様、私はずっとモノたちの管理を担っている。ファイルの整理をし、こちらの縄張りへ迷い込んだコマンドに回れ右の信号を送り、暇さえできればモノたちと他愛ない雑談を交わし、そうして私は一日をここで過ごしている。
 現実世界、時の移ろいでモノはホコリをかぶる。
 それと同じだ。
 電脳世界、時の移ろいでモノはノイズにまみれる。
 誰かが定期的に掃除をしてやらねば、いつかはデリケートなデータをノイズに埋め尽くされてしまい、半永久的に見つけてもらえないまま、電脳世界の蒸気に蒸され続けることとなる。
 お局であるマザーCOMからの信号と命令が跋扈するこの世界。外部アクセスによる人間とのフロントエンド。天文学的なまでの電気と数学によってここは成り立っている。高科学文明である今日(こんにち)を鑑みると、マザーCOMは処理能力の精度に欠けるポンコツババアで、しかし思ったよりもずっと秩序めいていた。
 かく言う私も馬鹿が伝染った。荒んだこころはいつか平穏を取り戻すものらしく、人間たちの童心につきあうのもそれほど悪い話ではないと思うようになってしまった。人間は大地のどこかへちょっとした小部屋を作り、モノを好きなように配置し、自分だけの秘密基地を作り上げる。手に余るほどのモノはコンピュータを経由して電子化し、私が預かり、引き出される時まで管理するのだった。人間たちの秘密基地を己の牙城と呼ぶのならば、差し詰めこの電脳世界-MNDが私の城であった。


 ――おい、聞こえてんのか。返事くらいしろよ。
 最初に言葉を交わした相手は、そう、パーソナルタグだけは忘れもしない。0098だ。当初はバグだとばかり思い込み、交信記録の大半を処分してしまったため、残念なことに、データの残滓から想像しうる姿形はもうほとんど憶えていない。0098は果たして椅子だったのか、机だったのか。はたまた皿だったのか、コップだったのか。わずかに残った断片化ファイルだけでも生かしておこうと思って、厳重なロックをかけておいたはずなのに、知らぬ間にパケット化し、電脳世界の海へと還してしまったようだ。0098と初めて言葉で接触したその瞬間から動き続けている記念時計は、ゆうに200メガのセカンドを越える。七年を過ぎた今もなお、情けないことに私は後悔し続けている。
 もちろん、当時の私は衝撃のあまり言葉を失っていた。
 ――驚いた、って、はあ? アホ言え。あのな、おれたちにもはっきりとした意思が存在するんだ。電気(メシ)食って動いている中途半端なやつらなんか特に顕著だろ。微細な電位ひとつひとつに小さな意識を存在させて、人間と直に接するんだ。虫の居所が悪ぃ時にはイタズラして、逆に良い時にはプロセスを早めてやる。ここと向こうを行き来できる、どっちつかずのおまえにならわかるはずだろ。おれたちは現実世界で言葉を持てないから、そうやって人間への意思を己の形で表す。それだけだ。おれたちは、ずっとそうして、あらゆる所から、人間やポケモンを見守ってきたんだよ。
 乱れに乱れた有意信号から察するに、結構ぶっきらぼうでがさつな野郎だった。それは一応憶えている。現実世界では口の聞けぬ物体だけに、電脳世界にて有意信号を扱うのは難しいらしかった。0098は、この他にもまとまりのないぐちゃぐちゃな言葉をたくさんよこしてくれた。それらを、意味を成さない文字の羅列として、マザーCOMが私の記憶領域から消去してしまうのも、今にして思えば仕方のない話だった。
 ――おまえのような生き物は、自分から何かをすることでやっと己の存在価値を示す。はっ、つくづく嘆かわしい。だがな、おれたちは違う。それこそ根本的にだ。静に徹することで真価を発揮する。人間に必要とされる時こそ、されるがままに黙って役割をこなす。他の物体を支え、守り、しかし外力の入らぬ限りは決して自分から動かない。それがおれたちの鉄則であり、掟であり、唯一無二の目的だ。そういう意味では、現実世界の重力ってのは永遠の宿敵でもあるし、恋人でもあるのさ。
 確かに高圧的な態度が0098の特徴であったが、不思議と憎めなかった。
 まるで、自分がモノであることを誇りにしているかのような口振りだった。
 いや、実際に0098は誇りにしていた。
 0098だけではない。0098を初めとするモノたちは次々とそんなことを口にしていた。
 私には納得できなかった。理屈は理解できても、感覚では納得できなかった。今でもその気持ちは変わらない。
 生きる者の性であろう。当然だが私は全ての活動が停まる死期を恐れている。0098たちの理論に真っ向からぶつかる考えだ。みずから動き、物事を成し遂げ、世界の一部に変化をもたらす。それが生きることだと信じてやまない。この電脳世界での服役は、身動きの取れない狭っ苦しいところでじっと過ごすよりかは、よっぽど精神衛生上いいものだった。
 けれど、モノたちは違う。どこであろうといつであろうと、動かないことによって生の全てを主張する。必要とされる時にだけ存在を表し、しかし能動的にはならず、生き物のそばにいる。年を経て朽ち果て、スクラップにされる最期の瞬間だろうと断じて動かず、静かに散っていく。それが、モノたちの華々しい生き様だった。モノの誰しもがそのような考えを根幹に携えているため、善悪をふらふらする人間たちや私よりも、ある意味ではずっと上等な生き方なのかもしれない。
 相容れぬ者とモノが別次元で共存している電脳世界。一言で済ますとなれば――図書館の言葉を借りよう、まさに呉越同舟だった。


 午前中の見回りと掃除を済ませ、広場に誰もいないことを再三とチェック。はやる気持ちを抑えつつ、マザーCOMと繋がっている母線を最低限に絞り、バックグラウンドでアクセサーを立ち上げ、0378へのコネクションを再度図る。
 いよいよ、密会を始めたいと思う。
 Rotom : < 終わりましたよ。 > : end
 さっきよりも反応が早かった。遅いよう、という悪態を第一声に、しかし嬉しそうに0378がやってきた。
 0378はいたずらっぽく笑って、
『やっぱり早くあたしを見たかったんでしょ』
 Rotom : < ええ。 > : end
 あえて否定するほどでもなかったので、私はあっさりと白状する。お互い様なところもあるだろう。
 最近の日課だ。仕事合間の休憩と称し、また品質管理と称し、0378の正体をスキャニングで「見る」ことは、私の密かな愉しみとなりつつあった。普段は簡素なアバターしか与えられていないため、本来の姿を確認するには特殊なやり口を必要とする。「目の前にいるアバター」と「保管されたステイタス」を照合させ、「ここへエントリーした時の形状」を図書館に検索させる。
 X。
 Y。
 Z。
 メインメモリをふんだんに使い、あくまでも三次元的に、私は0378をその場で擬似視覚する。
 青々としたガラスで全身を表す0378は本当に綺麗だった。小枝に休む鳥を思わせる滑らかなシルエット。ミルクを薄く塗ったような光沢。精緻な施しがなされた主翼は角度によって反射を変え、内側から幾層もの光をきらびやかに発散させている。首の角度は空。その先の見つめているものが何なのかを訊ねても、0378は内緒だと言って適当にはぐらかす。
 名誉ある品なのだと0378はいつも自慢気だった。ロトムである私は人間で言うポケモンに属されるのだが、そのポケモンコンテストに0378の主人は優勝を連ね、何の因果かホウエン地方のミナモ美術館から贈呈されたそうだ。言われてみれば、なるほど、どこの美術館に飾ってもこのアーティファクトはさまになるだろう。主人が秘密基地でお客を驚かせるのにはもってこいだ。
 変わらぬ日常の中、モノたちの本来の姿を確認するのは、私にとって非常に豪奢な行いである。人間に芸術のこころがあるように、私のシステムにもそれがランダム制御的に備わってある。
 つまるところ、お互いの、こころの慰めだった。
 人間に相手してもらえないモノたちを、私が代わりとなって鑑賞する。私はこれをつまらないなどと考えたことは一度もないし、私に見られることを不服だと告げるモノもいなかった。これまで、数千点に及ぶモノたちを視覚して目を肥やしてきたつもりだが、0378は群を抜いて美貌に満ち溢れていた。0098たちと同じく、0378もこうして私や人間に見られることを喜びにしている節が随所に見受けられた。
 私はふと、不毛な質問を投げかけてみる。
 Rotom : < 見られていて緊張するとか、動けなくてつらいとか、そういうことは思わないのですか。 > : end
 0378はさも不思議そうに、
『どうして? 人間があたしを見ることで感性を動かしてくれる。それが「置物」であるあたしの本来の役目だもん。秘密基地に置いてもらって、自分から何もしなくても、誰かの目に止めてもらう。手入れしてもらう。そしていつか壊れて捨てられる。最ッ高の至福だよ。いい? 単純に「素晴らしい!」とか「泣いちゃった!」とか、そんなことを思うだけが感動じゃないの。正負の感情どちらであれ、こころを強く動かす。それが感動ってもの。人間の言う「薄気味悪い絵」をそのまま「薄気味悪いなあ」と言ってもらったり、「考えされられるなあ」とか言ってもらったりするのが、その子にとって一番嬉しいことなの』
 そういうもの、なのだろうか。モノと対話できる能力を得てしまったとは言え、所詮私は生き物だ。0378の依拠する本質には到底辿りつけそうにない。壊れて捨てられることの、果たして何が満足なのだろう。
『あたしからも質問。前から訊きたかったんだけど、いい?』
 Rotom : < はあ。 > : end
 0378の姿に見とれて生返事となるが、まあどうせあの事だろう。出会う回数がとりわけ多かったはずなのに、今まで0378に訊かれなかったのがかえって不思議なくらいだ。
『きみはなんでずっとこっちの世界にいるの? 毎日毎日飽きもせずにあたしたちの相手をしてくれるのはどうして? 仕事だから? それとも単なる暇つぶし?』
 ほら来た。
 0378だけに限った話ではない。40時間もすれば、私は新入りのモノたちからこのことを訊かれる。必ず訊かれる。
 だから、いつものように返した。
 Rotom : < 昔、調子に乗っていた頃がありましてね。現実世界や電脳世界であくどい事を散々やらかしたのですよ。とっつかまって、今も刑罰を受けている最中なのです。 > : end
 0378はしばらく黙ったあと、
『うっそだあ。昔はワルだったって、なんだか人間くさくて説得力なさすぎ。武勇伝を語るつもりなら、聞き上手の0874を呼ぼうか?』
 ほら来た。
 0378だけに限った話ではない。二秒もすれば、私は新入りのモノたちからこう言われる。必ず言われる。
 だから、いつものように返した。
 Rotom : < 本当ですって。あなたたちには見えていないだけで、実際わたしには二つの強い制約がかけられているんです。時限式ロックで電脳世界-MNDに縛られ、かれこれ八年となりました。仮に自力で手錠を外して外に出られたとしても、三分とたたないうちに自爆プロセスがどかん。だからもうしばらくは、こっちの世界に居座りっぱなしなのですよ。 > : end
『うそ』
 0378は、今度は早めに打ち消してきた。
『あたし知ってるもん。きみはすごいって。さっきの話が本当でも、そんな時限式ロックとか自爆システムなんか、あっという間に解除できるはずでしょ。あたしたちを大切にしてくれている手際の良さからわかるもん。できるのにしないってことは、何か別の目的があるんでしょ。あたしたちとは違って、きみは黙って過ごすことに喜びを感じるモノなんかじゃない。現実世界で暮らすことが、本来の生き方のはず』
 つくづく返答に困った。
 この時はまだ、私は私自身の気持ちに気づいていなかったからだ。


 それから、凶悪なバグも特に起こらず、強いて言うならマザーCOMの息遣いがうるさいくらいで、穏やかな二日が過ぎた。
 かれこれ、0378と出会ってからちょうど一週間目だった。
 来るべき時が、来た。
 ここは出会いと別れが最初から決定された世界だ。覚悟ならいくらでもしていたが、いくらでもし足りなかった。
 いつものように0378を見つめ、おしゃべりしていた時だ。とある引き出しの要求信号が私に届いた。指名されたモノたちを現実世界へと送り返す作業任務だ。宛名一覧を読み、内心で溜息をつく。
 Rotom : < あなたの主人から、あなた宛です。どうやら新しい秘密基地の場所が見つかったみたいですね。 > : end
 そっか、と0378はにべもなくつぶやく。その淡白さが嬉しくもあったし、つらくもあった。
『これでお別れだね。短い間だったけど、楽しかった。あの人の代わりにあたしを見てくれてありがとう』
 そこで三秒という長い間を置いて、
『誰かがここを去るのを見送るのって、やっぱり寂しい?』
 Rotom : < まさか。モノにいちいち情を持って別れを惜しんでいては、やってられません。今日を限りにあなたの単独ショーに付き合わなくて済むのだと思うと清々しますよ。メモリが軽くなります。 > : end
『なにそれ。きみさあ、最後くらい優しい言葉で飾れないの?』
 胸のふさがるような思いは、何故か意図せぬ言葉を私に選ばせていた。
 嫌われ者として最後を締めくくり、宙ぶらりんの未練を断ち切りたかったのかもしれない。
 私などに見られるより、人間たちに見られることが0378にとっても本望だと、よく知っていたからだ。
 ということで、荷造りが始まった。私は宛名を読み上げ、0378以外のモノたちも呼び寄せた。0378、0379、0380、0381、0382、この五点が今から現実世界に戻る。図書館のファイルを凍結させ、引き出しの際の最終プロセスを済ませる。モノたちに説明することも特に無いし、モノたちも早く主人に会いたいだろうしということで、早々に締めくくった。
『じゃあ、さようなら。元気でね』
 Rotom : < はい。 > : end
 一応のお約束として、『お元気で』との旨をフッターに添えようとした。
 半秒だけ考え、途中でキャンセルした。
 送信相手を選び直し、チャンネルを0378以外のモノたちに限定し、『お元気で』と一斉送信した。
 これまで蓄積してきた記録の箱をひっくり返し、その隙間すきまからにじみ出ている想いを言葉に換え、私は0378だけに送信した。
 Rotom : < ホコリの世界へさようなら、いつまでもお元気で。現実世界の気温があなたを優しく祝福しますよう、電脳世界の片隅からお祈りします。どこまでもクリアで強いこころを持った、あなたはまさにガラスの雛形でした。壮麗で、立派で、本当に美しい方でした。たとえ、今後どれほど魅力的なモノがここへ現れたとしても、あなたと過ごした600キロセカンドを、わたしは一生忘れないでしょう。 > : end
 それ以上は、続けられなかった。
 この期に及んでも、私は私に嘘をつき、最後まで本音を言わせずにいたのだ。
[ <Administrator Rotom-MND> : <Transfer> Cyber World MND <Include> <File 0378> <File 0379> <File 0380> <File 0381> <File 0382> Real World BATE102 : <Ready> : <sec 10.0> ]
 五つのモノたちをまとめてカタパルトに搭載。私は、0378たちを、主人のもとへと転送した。


 その百二十秒後だった。
 0378の、現実世界での姿を考慮すれば、いずれはそうなるだろうと思わなくも無かったはずなのだ。
 何かが砕ける鋭い音と人間の悲鳴が、ノートパソコンのマイクを経由してこんなところにまで届いてきた。
 音に反射した私は、即座にノートパソコンのウェブカメラに電気を通して現実世界を覗く。
 見えてしまった。
 強烈に後悔した。
 私の思考回路に、亀裂のようなものが走った。
 沸騰する勢いで電圧(けつあつ)が上昇した。
 私を制限する光学神経系プロテクトを、全部殺した。無意識だった。
 八年前に封印した現実プログラムのホットスタート。時限式ロックにブルートフォース、強制解除。ゴーストマシンを私の代わりに置いて、マザーCOMからの接続を遮断。最悪の順番で、いっぺんに実行した。脱獄対策の自爆プロセスもパージしたかったが、不可能だった。かつてのどす黒い思惑が、純潔だった神経繊維のあちこちに侵入し、不良システムが八年ぶりに私の中で蘇ったからだ。体内で暴れる乱雑な衝動に振り回され、図書館強盗をし、データをひったくり、誰かの掃除機である9945の名を叫んだ。事情を説明しないまま、問答無用で拉致った。
 カタパルトに乗り込んで待機するも、転送のロード時間が死ぬほど苛立たしい。
[ <Administrator Rotom-MND> : <Transfer> Cyber World MND <Include> <Administrator Rotom-MND> <File 9945> Real World BATE102 : <Ready> : <sec 5.0> ]
 エサを待ちわびたケダモノのごとき獰猛さで、私は八年ぶりに現実世界へと飛び出した。
 一秒、
 0378が、転倒によって上半身を壊されていた。
 二秒、
 0378の主人が、へたり込んで呆然としていた。
 三秒、
 その他の0379、0380、0381、0382は、全員無事だった。
 四秒、
 私は9945にまたがり、自身が電源となって9945のトルクに火を入れた。
 五秒、
 9945を掃除機として働かせ、壊れた0378の回収にあたった。
 六秒、
 0378の破片が、次々と9945の腹に収まっていく。ガラガラとした甲高い音が私の狂気を煽る。
 七秒、
 うっかり0378の破片を触ろうとした主人を、私は慌てて突き飛ばした。
 八秒、
 突如のめまい。
 自爆プロセスが警告信号を発してきた。三十秒もたたないうちから、私の不良システムが異常をきたし始めた。
 頭痛をこらえつつ秘密基地内を駆けまわり、0378の破片を全て9945に食わせきった。画面も割れよの勢いでノートパソコンのモニタを蹴り倒し、仰向けにさせる。
 あらかじめ用意していたコマンドをノートパソコンへ送る。9945の腹をイジェクト。0378の破片をざらざらと流しこんで電脳世界-MNDへ預け入れた。次に、電源コードを巻き戻して9945本体も預け入れた。最後に、破損を免れていた0378の下半身をとっつかみ、ノートパソコンとの連結を私が担う。管理者として私だけに与えられた親鍵をシグナルに乗せて突き刺し、私と0378は、9945から七秒遅れて再び電脳世界-MNDへと戻った。


 先ほどとは逆の順番で、私は全てのプロテクトを修復した。言うなれば、脱獄者がみずから自分の牢屋に戻り、檻に鍵をし、自身の手足に手錠をはめ、聖書を読み始めたのと同等の行為だ。
 その最中、サブシステムのどこかが、9945の声を拾っていた。
『ね、ねえRotom、これ、0378、だよね? ぼく、やらされるがままやっちゃったけど、勝手にこんなことしていいの? ダメじゃない?』
 いいわけがなかった。ダメに決まっていた。
 私は黙って9945を元の場所へと返し、0378をスキャンする。X、Y、Z、
 やはり無残な姿だった。
 0378は、完全に上半身を失っていた。
 マザーCOMに処理される前に、ガラスの欠片たちとガラスの下半身をひっくるめ、私は独断でひとつの0378と再び定義付けた。
 今頃になって感情がキックバックされ、私は恐怖で震えてきた。それは、自分が規則違反を犯したからではなく、目の前にいる0378をかつての0378と認めたくなかったからだ。
 ――秘密基地に置いてもらって、自分から何もしなくても、誰かの目に止めてもらう。手入れしてもらう。そしていつか壊れて捨てられる。最ッ高の至福だよ。
 それでも、これはあんまりすぎた。
 いいわけがなかった。ダメに決まっていた。
 百二十秒前の世界に、戻れるものなら戻りたかった。
 恐怖と絶望に引き裂かれて、私は途方にくれる。
 0378の主人からの要求信号。
 私はしぶしぶ、主人とのコネクションを図る。
 マイクを通じて聞こえるのは、涙混じりのパニック声。そこから拾える意味は、0378を渡してくれとの訴えだった。
 お互い興奮状態にあったとはいえ、さすがに腹が立った。
 今更どうしようというのだ。現実世界の0378は形を失った。私たちで言う死んだも同然の、無様な格好だ。もはや直せる直せないの問題ではない。
 煩わしさを覚えつつも、私は混線した思考回路を必死に整頓し、電圧を下げる。有意信号を使って言語を作り、私は主人に向かってこう送信した。
[ 彼女はモノだ。あなたと再会し、飾ってもらう日を待ち焦がれていた。わたしはずっと彼女と対話をし、モノとして生きる楽しみを聞いてきた。だが、その願いはここで終わってしまった。そちらが生き物の世界ならば、こちらはモノの世界。どうか、わたしに供養させてほしい。 ]
 さしもの私も冷静さを失っていた。向こうにしてみれば、ひどくシビアな言い方となってしまったことだろう。それは否めない。
 涙腺を持つ人間がこれほど羨ましいと思えた日は、ない。私も残念な気持ちでオーバーフロー寸前だった。
『ねえねえ』
 突然のコネクション。
 無視できなかった。
 Rotom : < ま、まだ生きていたのですか。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
『うん。こんな格好になっちゃっても、あたしはモノだから。だいじょうぶ、形を変えただけ。ごめんね、びっくりさせちゃって。あの人、今どうしてる?』
 迷いに迷ったが、私は正直に告げる。
 Rotom : < 泣いています。あなたを壊してしまったことを、本当に申し訳ないと思っているようです。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
 良かった、と0378は何かに安堵した。
『Rotom、あたしをあの人のところへ戻して。あの人の「世界」に帰りたい』
 今度こそ完璧に思考が停止した。
 八年ぶりに解除した不良システムの余波が、まだ体内のどこかに残っていたらしい。停止した「今の私」の思考を「昔の私」が乗っ取り、全ての指揮権を奪った。
 Rotom : < 何ぬかしてんだ! せっかくあっちの世界に戻れたのにあいつはあんたの体も願いもぶち壊したんだぞ! そんな格好でどうするってんだよどうせすぐごみ処理場へ直行されて捨てられんのがオチだ! 三日もすればあんなやつはあんたのことなんか忘れてのうのうと生きていくに決まってる! あんたたちはモノだけどな、こちとら生き物だ、有終の美なんざクソくらえだ! あっちの世界で酷い目に遭わせるくらいなら、こっちにだって考えがある! あらゆる権限を行使して、あんたにはずっとここで過ごしてもらう! いいか、絶対だぞ! > : end
 そこまで口走ってようやく、私は私の気持ちに気づいた。
 それはまさしく、私の本心であった。
 回路を塗り固めていた嘘が、音もなく溶けた。
『あたし、怖くなんかないよ。Rotomに寿命があるのとおんなじで、あたしたちにもいつか壊れる時があるの。あたしの場合、それが不幸な事故だっただけ。それでも、あたしは最期まであの人のモノでありたい。最初にあたしを受け取った時には喜んでくれて、あたしが壊れた時には泣いてくれた。その気持ちで、もう十分』
 Rotom : < し、しかし。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
『お願い。Rotomならわかってくれると思う。向こうとこっちの世界の架け橋となるRotomなら、あたしたちの気持ちも、理解してくれるって信じてる。あたしは、最期まであたしをまっとうしたい』
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
 私は、生涯の中でもダントツで一位に輝く懊悩に苛まれた。
 0378には死んでほしくない。死んでほしくないが、そんな甘い感情はモノとしての0378を頭から否定するものだった。
 ここは出会いと別れが最初から決定された世界だ。
 モノにいちいち情を持って別れを惜しんでいては、やってられないのに。
 モノと対話できるようになった時から、決意していたことなのに。
 最終的に、二十三秒というとんでもなく長い時間を費やして、私はようやっと、とある一文を主人側へ返信した。
[ 1.2メガセカンド。つまり二週間、わたしに時間をいただきたい。大丈夫、悪いようにはしない。パーソナルネームRotom-MND、分類ナンバーΣ-109375の名誉を懸け、彼女をあなたの元へ返すことを、約束する。 ]


 主人の返答が「応」だろうが「否」だろうが、私にはやりたいこととやるべきことがあった。
 神の悪知恵と悪魔の英知で灰色に濁った思考が、その時の私の全てだった。
 脱獄や改竄や無断使用など、現時点ですでに五つ以上の禁則事項を犯してしまっている。追加懲役三年はくだらない。
 そんなの知ったことではなかった。
 考えうる限りの、あらゆる手を使った。
 時間が惜しかった。更なる罪を重ねることを決心した。私は自身のシステムを再度ハックし、先程の脱獄とパーソナルタグ9945無断使用についての顛末をシステムエラーとして適当にでっちあげ、マザーCOMの警告信号を誤魔化すことにかろうじて成功した。
 図書館のデータを徹底的にドブさらいし、座標を一瞬で特定。最短距離を高速演算。ガラスのがらくたと化した0378と共に、私はあらゆる電脳世界を一直線に突っ走った。別の電脳世界が発生させている磁気嵐から守るため、何重にも強固なプロテクトを0378に張らねばならなかった。あまりの処理速度に神経繊維が悲鳴をあげ、それでも私は足を止めない。亜光速にも近いスピードで、私は0378をとある場所へ連れていった。
 刑期があと十五年延びてもよかった。
 二度と0378に会えなくてもよかった。
 私は、何としてでも0378に生きてほしかった。
 人間相手用のメーラーを立ち上げる。ヘッダーに緊急事態の旨を添付。警報レベルはMAX。私はとあるパソコンへ向かって、周囲の電脳世界に届きそうなほどの強度でコールした。


 この物語の終局も、もう間近だ。語ることも少なくなってきたし、いい加減そろそろ引導を渡そう。
 あの日を境に、ガラスのオブジェとしての0378は死んでしまった。
 あの日を境に、パーソナルタグとしての0378は欠番と成り果てた。
 とりあえずだが、現在もなお、私は電脳世界-MNDの管理者として活動している。泥縄で仕掛けたジャマーが運良く効いてくれたのか、マザーCOMからのお咎めも今のところは来ていない。モノを受け取り、管理し、雑談し、鑑賞し、時が来れば引き出させる。何事もなかったかのような日常が、無法者の私をそのまま受け入れてくれた。
 0378は、ここにはいない。
 発狂していたあの日のことを、後になってもよく思い出す。そのたびに私は少々恥ずかしい気持ちになる。いやはや、まったく、つくづく、なんとも、自分らしくなかった。しかしながら――真理なのかは判断しかねるが――急いでいる時ほど、得てして正解を選びやすいらしい。本能の命じるままに敢行したあの日の自分を、私は決して悔やんでいない。
 あの日、私がアクセスしたのはホウエン地方の113ばんどうろ――そこに位置するガラス職人の家の端末だった。
 私はガラス職人をこれでもかというほど拝み倒し、色をつけてもらった。鬼気迫る振る舞い、一触即発の場面だったかもしれないことは、素直に自白しておこう。0378の全身を砕いてゼロに戻し、「きれいなイス」へと生まれ変わらせてもらった。青々とした肌色は相変わらずで、モノのとしての生命を光と表現し、雅やかに照らしていた。形は変わってしまえども、再び主人のそばにいられることを0378はこころから喜んでいた。秘密基地へやってきた客との語らいを、戦いを、生活を、優しく見守っているだろうと私は推測する。
 生まれ変われたその日、0378が私に何を言ったか。主人が私に何を言ったか。
 それは、誰にも教えたくない、私だけの秘密だ。


 0378は、もう恐らくここへは戻ってこないだろう。
 だから、0378が再び死ぬその時に、私はきっと立ち会えない。
 私は、0378との交信記録の全て、約600キロセカンドを、今度こそ厳重にロックをかけて大切に保管している。
 ――ホコリの世界へさようなら、いつまでもお元気で。現実世界の気温があなたを優しく祝福しますよう、電脳世界の片隅からお祈りします。どこまでもクリアで強いこころを持った、あなたはまさにガラスの雛形でした。
 そして、脆く美しく散った0378は、まさにガラスの生き様そのものを描いてみせた。唯一最後まで壊れなかったのは、モノとしての信念だ。
 あのガラスのオブジェにつけられた0378というパーソナルタグを、まるで昔の恋人の写真のように、私は今も欠番として扱っている。


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