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ポイズンガールは終わらない(裏) 作:月光

 ふと空を見上げると、鉛色の雲がどんどん重苦しそうな色に変わりつつある。雨が降りそうだ。念のため傘を持って来たけど、どうやらその判断は正解だったみたい。
 今日は大切な人の誕生日。毎年毎年その張本人は忘れてるみたいだけど、私は忘れるわけにはいかない。だって、私は彼女が好きだから。
 一人っ子でどんなに一生懸命頑張っても、褒めてくれるのは決まっていつもお父さんとお母さん。友達が頑張るとやっぱり友達のお父さんとお母さんが褒めてるけど、姉妹同士の笑顔が私にはとても羨ましかった。
 そんなときにお父さんのかなり遠い親戚だけど、私よりも年上の女の人が私の家にやって来た。両親が死んじゃって、色々と辛いことが沢山あって巡り合えた偶然。
 私はとても嬉しかった。でも彼女の心はどこかいつも悲しそうで、私が必死にライブに誘っても、彼女は見向きもしてくれない。
 今日も今日とて彼女はお気に入りでもさしてない喫茶店でカフェオレを飲みながら、のんびり良く分からない雑誌を見つつ空の景色を眺めていた。
 だけどそんなことはどうでもいいの。私が彼女に会いに来たのは、今日の午前中のライブは私の今までのライブの中でも会心の出来栄えだったのに、誘ったのに見に来てくれなかったことへのクレーム。

「ちょっとアミカ! 何で私のライブに来なかったの!?」
「ん? あぁ、なんだホミカか。ライブも何も、ただ公園で爆音響かせてるだけじゃない。アレはライブって言わない、騒音公害って言うのよ」

 直球も直球、私がどれだけ一生懸命ライブを行ったとしてもアミカの答えは毎回コレ。とりあえず私の刺激的な音楽を騒音として処理して、会話を終わらせようとする。
 二三言葉を交わしただけでアミカはまた私の顔を見ているにも関わらず、どこか浮いているような、捉え所のない虚ろな瞳で私を見ていた。
 本当にいつも何を考えているのか分からない。大方今夜晩御飯は何かなーって考えているだろうけど、今夜は私の作った特製ケーキを食べてもらう。去年の様に塩漬けの失敗はしないわよ。
 もしかしたら去年のケーキが印象的過ぎて、今年のケーキが大惨事にならないか心配しているのかな? それならそれでアミカが誕生日を覚えたってことで嬉しいんだけど。

「ホミカはそのタイプかなぁ」
「な、何よ。何の話?」

 全然関係ないこと考えてたみたい。はい、私の予感外れました。何よ、笑いたければ笑えば良いじゃない!

「別に。それより何の用があって私に会いに来たの? ポイズンガールはお嫌いなんでしょ。それとも、文句を言うためだけに会いに来たのかしら」

 ポイズンガール……誰が言い始めたのかは知らないけど、シッポウシティの子どもたちの間、ついでに大人たちの間でも、もはや彼女の通り名は完全に定着した。
 それもこれもアミカが元々毒について異常に詳しいことに加えて、両親を彼女が毒殺したなんて根も葉もない好い加減な噂話のせい。
 今でこそ本人も大して気にせず――むしろ何故か好んで使ってる気がしないでもないけど――反応しているけど、それでも最初の頃はやっぱり、ちょっとショックを受けてたみたいだった。
 だからって何もそこまで言うことないじゃない。それに私は別に毒タイプが嫌いと言う訳じゃない、ただちょっと怖いだけ。だって毒って危険だし、痛そうなんだもん。

「相変わらず毒々しく陰険だよねアミカって。何でさ、親戚なのにそんなに余所余所しいわけ」
「親戚と言ってもホミカのお父さんのお兄さんの結婚相手の妹の結婚相手の弟さんの娘よ、私は。血縁的には七次も離れているし、殆ど赤の他人じゃない」

 手を払ってからアミカはまた明後日の方向を向いちゃう。本当に彼女は他人行儀、どうしてそんなに他人に無関心で生きていけるのか、本当に不思議。
 でも大切なのは血縁なんかじゃない。そもそも音楽は大衆に向けて発信するものって、好きなギタリストが言ってた! だから、私は皆に、アミカに向けてライブをするの。

「そんなことはどうでもいいのよ! 血縁とかは、心に響く音楽とは関係ない!」

 あ、今絶対に『だったら言うな、紛らわしい』って感じの顔した! 絶対にした!

「私はアミカに私の音楽を聞いてほしいの。だってアミカ、何かいつも……寂しそうだからさ」
「私は別に寂しくもないし、今の生活に不満があるわけでもない。貴方の様に情熱を捧げられる趣味もないし、ジムリーダーになれるような素質もない」
「ジムリーダー? 何それ」

 さすがにジムリーダーと言う存在は私だって知っているし、ポケモンバトルだって私はするんだから彼らが凄い存在だって言うことも知っている。
 私が聞きたいのはジムリーダーがどういう存在なのかではなく、どうして私がジムリーダーになれるような素質があると言う話しになったのかってことに対して。

「ホミカはポケモンバトルの才能がある。私はそう思っているわよ、貴方がどうかは知らないけど。私にはそれがない。だから……ね、そゆことよ」

 相変わらずどうでも良いところでだけ察しが良いアミカは私の言葉の意味を汲み取ってくれたらしく、『ジムリーダーも知らないの? 馬鹿じゃない』みたいなことは言わない。
 その洞察力の百分の一でも良いから私がアミカに向けて発信しているライブに耳を傾けて欲しいけど、多分口で言っても彼女は分かってくれないと思う。
 そもそもアミカは毒のことに関してはその辺の子どもはもちろん、シッポウシティに住んでいる科学者の人達にすら知識と経験で上回る絶対的な才能を持っているのに、それを使わないなんて勿体無さすぎるよ。
 私は確かに音楽が大好きだけど、アミカの様に勉強が目立ってできるわけでもないし、冷静に物事を見ることが出来るわけでもない。
 昔アミカから教えてもらった諺。確か、隣の芝生は尖って見える……だっけ? なんか違う……そっか! 『青く見える』だ。
 今の状態はきっとそう、それに近い。アミカは本心か冗談か知らないけど私の様に情熱を費やせる趣味を持って無くて、私はアミカの様に頭が良くなかったり落ちついていられない。

「夢がないなー本当に、毎日何考えて生きてるのよ。そもそも私がジムリーダーになると何かいいことあるわけ? ないでしょ」

 頭で考えるより先に口で言葉が出ちゃった。アミカが他人行儀過ぎたからちょっと棘のある言い方になったけど、やっぱりアミカは無表情。

「あるわよ。ホミカが今、一番望んでいることに繋がるわ。ジムリーダーと言えばバトルが強い、バトルが強いと人気者、人気者ならば人が来る。必然的にホミカのライブに人が来る。どう、簡単な方程式でしょ」

 理性が吹っ飛んだ。そうか、ジムリーダーになるってことは人気者になって、人気者になればライブを聞きに来てくれる人も増える!
 そうだよ! 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろ、やっぱりアミカは頭が良い!

「そ、それ本当なの!? ぬうう、そっかそっか、そういう方法もあるのか。分かった、私はバトルでも人の理性を吹っ飛ばせるようになる! じゃあねアミカ、次のライブは来てよ!」
「騒音じゃなければね、少なくとも今のままじゃ行く気にならないわ」

 それは『時間が経てば聞きに行く』と捉えても良いはずね。やった、アミカが私のライブを聞きに来ることはこれで決定したも同然よ。
 ならば善は急げ。ジムリーダーになるためにはポケモンを育てなければならない。さすがに手持ちのヨーテリーだけじゃ心許ないから、あと数匹は揃えて仲間にするべき。
 丁度目の前に止まっていた巡回バスに飛び乗って、一直線にいつもライブをしている公園を目指す。
 鉛色の空がさらに曇って来てさすがに心配になって手元を確認したら、どこで忘れたのか傘が無い。あれ、公園に忘れた? それとも喫茶店に忘れた?
 今はどうでもいいや。雨に振られても音楽が出来なくなるわけじゃない。
 巡回バスでたったの十分、既に定例の子どもたち特製ライブステージが作られているけど、午後はこのステージには上がれそうもないかな。

「お待たせ!」
「おっ、ようやく来たなホミカ。お前の番は三番目だけど、最初の方がもう準備終わってるから急いだ方が――」
「ごめんね、ジムリーダーになる準備して来るから今日の私のライブの番は飛ばして!」
「ちょ、ちょっとホミカ! どこ行くの!?」
「ヤグルマの森! 毒タイプのポケモンを手持ちにすれば、アミカともっと仲良くできるかなって思って!」

 大人の人たちが話していたけど、この時期のヤグルマの森は普段より毒タイプのポケモンが豊富に揃って、普段は見ることが出来ないようなポケモンもいるらしい。
 スピアーとかアリアドスとかはジョウト地方から来たアミカにとっては別に珍しくもないポケモンなのかもしれないけど、イッシュ地方では期間限定のステージのようなもの。ここで行かない手はないよ!
 普通の巡回バスで行くには少し時間が掛かるけど、この時間帯になるとヤグルマの森方面に向かうトラックが何台かいる。
 私は小柄な方だから乗り込んでもバレはしない。こうして何度かヤグルマの森の方まで出掛けこともあるし、森に入っても大通りを大して外れなければ迷うことだってない。
 適当なトラックを見つけて……乗り込む! 心臓がドキドキするけど、バレてないみたいね。直通トラックだから数十分も掛からないわ。早く到着しないかな。

「アミカ、喜んでくれるかな。きっと喜んでくれるよね? だって、私だったら嬉しいもん」

 古臭い街並みが徐々に遠ざかり、木々と草花に囲まれた景色が眼前に広がったけど、こうも天気が悪いんじゃ色取り取りの景色も魅力が半減。
 ジムリーダーになればきっとこれだけ広大な場所に大きなステージを構えて、何千何万人の人達の前でベースを弾いて、たっくさんの人の理性を天国の上まで吹っ飛ばせるんだ!
 その最前列にはアミカが立っていて、今まで見せたことも無いような笑顔で私を見上げて、私の音楽に心揺らされて感動する。
 寂しそうにしているアミカだけど、他人行儀なアミカだけど、何だかんだで私の話しにはちゃんと付き合ってくれるのよね。だから私も、彼女に近づく努力をするの。
 そんな明るい未来を想像してたのに、とうとう溜まりに溜まった雨が降り出した。傘を持って無いから、帰りは濡れながら走って帰ることになるんだろうな。

「さて、あのカーブで減速する時に……とりゃあ!」

 飛び出し成功! まだ雨がそれほど強くないし、さっさと森の中に入って雨風をやり過ごそうっと。
 太陽の光が分厚い雲で遮られてるせいで、ただでさえ暗い森はさらに暗く見えて、鳥ポケモンたちの鳴き声も混じってより一層怖く感じられる。うぅ、体中の震えが酷い。
 兎に角まずは行動あるのみ! あまり森の奥深くに行くと強いポケモンが出る確率が高いから、大通りの外れぐらいで良いかな。

「えへへ、何から捕まえようかなーフンフフンフフーン♪ っと、あそこに見えるはフシデかな? 確かアミカはペンドラー持ってたはず、お揃いになれる! よーし、今すぐゲッ……ト……」

 えっ、ちょっと待って。フシデって団体行動するポケモンだったっけ? 一匹だと思ってのに、目の前の数……な、何これ? なんで、なんでホイーガまであんなに沢山いるの!?
 フシデ達だけじゃない。スピアーやアリアドスが沢山って、多過ぎるよ!? しかもなんか良く分からないモルフォンのようなガーメイルのようなポケモンまでいるし、何で皆こんな見るからに気が立ってるわけ!
 聞いて無い、こんなの知らないよ私! 普段より多くの毒タイプのポケモンが生息する時期なのは知ってたけど、こんな沢山いてしかも殺気立ってるなんて教えてもらってないよ。
 た、戦うしかない。でも私はまだヨーテリーしか持って無いし、アミカはポケモンバトルのセンスがあるって言ってくれたけど、さすがに目の前のポケモンは数が多過ぎる。
 そう言えば結構な頻度でヤグルマの森に毒ポケモンの調査とか言って行くはずのアミカが最近は余りこの森に来なかったのは、これだけ大量の毒ポケモンがいるのを知っていたから?
 嫌だ、こんな沢山の毒タイプのポケモンと戦えるわけない。下手したら私、死んじゃうよ。嫌だ、絶対に嫌だよ!
 逃げようとして振り返ったら、もう後ろにはスピアーの群れとホイーガの群れが私を囲んでいた。どうして、私が何をしたって言うの。私はただ、アミカが喜ぶ姿が見たかっただけなのに……

「誰か……誰か助けて!」

 死にたくない一心で私は走り出した。だけど逃げられるわけがない。横から突っ込んで来たホイーガに簡単に弾き飛ばされて、地面に倒れて服が泥だらけになっちゃった。
 右手と右足に激痛が走った。スピアーの放った毒針が何本も私の手足に刺さって、リアルに死の恐怖を感じて走り出そうとしたら、今度は左足が後ろから引っ張られる。
 アリアドスの毒が染み込んだ糸、まるで熱で暴走した楽器の機材を直接当てられたかのように熱い。しかもなんだか体全体が痺れて来て、虚ろに見上げると目の前には、あのモルフォンのようなガーメイルのようなポケモンが撒き散らす毒の粉。
 体中が痛い。痺れる。焼ける。アミカはこれを知っていたんだ、だからこの時期のヤグルマの森に近づこうとはせず、私にも興味を抱かせないよう何も言わなかったんだ。まさか、私がこうすること知ってて、黙ってたわけないよね。
 どんどん体の感覚が失われている中で、一際激しい痛みが襲い掛かって来た。ホイーガが放った毒……悲鳴を上げた……気がする……意識が、遠退く……

「ペンドラー、ホミカの周りの奴らを薙ぎ払って!」

 声が聞こえた。聞き覚えがあるけど、こんなに激しくて情熱的な声は初めて聞いた。視界の端に、アミカが居た。何でか知らないけど、凄い慌ててる。
 私の体に刺さった毒針や振りかかった毒の粉をアミカは素手で強引に払って、必死になって私の体の様子を眺めてからその顔が青ざめた。

「死なないでよホミカ、絶対に死なせない。貴方が死んだら……私は……また、一人に……」
「アミカ……?」

 どうしてそんなに震えてるの? どうしてそんなに悲しそうな顔してるの? 何でそんなに、泣いてるの?

「どうして、何でこんな無茶したのよ! どんなに才能あったって、どんなに夢があったって……死んだら、そこで終わりなのよ!」
「泣い……てるの? アミ……カ……」
「当たり前でしょう! 後で覚悟してなさいよ、家で二十四時間説教するわ! アンタが隠し持っているロックバンドの写真集も没収する! やらなきゃいけないことがたくさんあるの! だから、死んじゃ……だめだよぉ……」

 初めて見た。アミカがこんなに私のことを直視して、こんなに大きな声で叫んで、こんなに感情を剥き出しにしたのを、私は今日ここで、初めて見た。
 さすがに二十四時間の説教は嫌だなぁ。それに何で私がお気に入りのロックバンドの写真集を机の中に隠してるって知ってるわけ、没収なんてされたら私の理性どころか良識までぶっ飛んじゃうよ。
 今日だけは、大目に見て欲しいかも。だって今日は、アミカの誕生日だし……ってそっか、アミカ、忘れてるんだね。多分。

「驚かせ……たかったの。私が……一人でポケモン……捕まえってこと……見せたくて。だって今日は……アミカの、誕生日……でしょ?」

 ほら、やっぱり今思い出したような顔した。本当にアミカってば、自分のことですら無関心なんだから。
 ちょっとの間黙っていたかと思うと、アミカの表情が突然なんか逞しくなった。こう言うのなんて言うんだっけ? 勇ましい?

「安心してホミカ。私は貴方を絶対に助けるよ、なんて言ったってポイズンガール……毒女だからね。品の無い言い方だけど、今は素直に認めるわ。私に任せて、私を信じて!」
「うん……私ね……別に毒タイプ……嫌いじゃ……な……」

 そう言えばアミカって、私が毒タイプのポケモンが嫌いだって思ってるところあったよね。喫茶店の時だってそう言う感じのこと言って来たけど、私は全然嫌いじゃないよ。
 毒タイプは怖いし、痛い。それはやっぱり、今でも思ってる。周りを毒タイプの虫ポケモンばかりに囲まれて、いつまた襲い掛かって来るか分かったもんじゃない。
 目の前が暗い。アミカが必死で何かをやってるのは分かるけど、何をやってるのか分からない。どうしよう、体中が寒い。別に冬でもないのに、雪が降ってるわけでもないのに、体中が寒いよ。
 まるで洞窟に閉じ込められたみたいね……嫌だ、寂しいよ。ねえ、アミカ……

「アミカ……寒い、暗いよ……」
「そりゃ雨が降ってるから寒いわよ! 森の中なんだから暗いわよ! そんなこと気にしてんじゃないの。全く傘を忘れるなんて、ホミカは本当にドジね!」

 声が聞こえた。大きな声で、やっぱり怒鳴ってる。近くで怒鳴ってるはずなのに、まるで遠くから聞こえてくるみたいに音量は小さい。

「あはは……そっか、傘……あの時忘れたんだ。不思議、理性が……ぶっ飛んで来た……」
「馬鹿! 阿呆! 濡れ幽霊! とにかく私を見なさい! 普段の元気はどうしたのよ! 私にライブを聞かせてくれるんでしょ!?」
「ライ……ブ……聞いて……くれるの?」

 なんか色々と酷いこと言われた気がするけど、どれもこれも、アミカが私を元気付けようとして言ってくれていることぐらいは分かる。
 そんなことはどうでも良い。あのアミカが、私のライブを聞いてくれようとしている。アレだけ騒音騒音って言ってたのに、私の勝手な行動だったのに。

「当たり前じゃない! 私は、雑音だらけだけど一生懸命なアンタのライブ……結構、好きなんだよ」

 だったら今すぐ聞かせてあげる!――そう言いたいけど、今の私じゃ、アミカを楽しくさせて理性を吹っ飛ばすことはできそうもない。
 でも大丈夫。アミカが私を助けるって言ってくれた。絶対に助けるって、だから私はアミカを信じる。
 海の底みたいに暗くて、雪山のように寒い。一つ一つ消えて行く体の感覚がまるで闇の中から伸びて来る手の様で、アミカが来なかったら私は、絶対にもう死んでいた。
 きっとアミカが私を助けてくれる。そしたら私は、アミカをライブに誘うの。絶対絶対、アミカが心の底から満足するような音楽を奏でて見せるんだから。
 暗闇の中に浮かんで来たイメージ。いつもの公園だけど聞いてくれる人が沢山いて、最前列にはアミカの姿が見える。夢のような光景が、この先に待っている。

「お願い……神様……創造神、アルセウス……ホミカを……ホミカを、助けて……」

 その瞬間に、光が戻って来た。体中の痛みは完全ではないけど一気に抜けて行って、失っていた体の火照りが脈を打ち始める。
 毒がなくなってる。アミカの言った通りだ、本当に助けてくれた! 信じてた、アミカなら絶対に助けてくれるって!
 まだまだ雨が強いけど、アミカが私の忘れた傘を持って来てくれてるはず。さっさとこんな怖いところをオサラバして、いつもの公園でアミカと一緒に午後のライブに飛び入り参加!
 早くアミカと一緒に……その手を握ろうとして、私は気が付いた。倒れていた私が起き上がるのと引き換えに、今度はアミカが……倒れてた……

「アミカ? あ、あれ。私……何で倒れてるの?」

 嘘でしょ、なんかの冗談でしょ? たまたま今日は色々とテンションが上がってたから、私をからかってるだけだよね? 嘘だよね、こんなの嘘だよね!?
 顔色が青ざめてる。手と足にスピアーの毒針が沢山刺さって、顔や背中には毒の液や毒の粉、アリアドスの毒糸にやられたのか左腕が真っ赤に腫れて皮膚が爛れていた。
 まるで私の毒を全てアミカが引き受けたかの様に、私と彼女の状態が逆転してる。後ろではペンドラーが必死に戦っているけど、私とペンドラーだけじゃアミカを護れない。
 どうしてよ!? 私を助けてアミカが倒れたんじゃ、意味無いじゃん! どうしよう、どうすればいいの? 私は毒のこと、全然分からないのに……

「ホミカ! 返事をしろ! どこだ!?」
「お父さんの声! お、お父さん! ここ、ここだよ! 早く助けて、アミカが! アミカが……死んじゃうよ!」

 森の奥から聞こえたお父さんの声に、私は縋る様な想いで必死に叫んだ。ハトーボーやウォーグルが飛んで来て、私達を囲んでいたスピアーやホイーガーを牽制して遠ざけて行く。
 お願い。死なないでアミカ……私が音楽を必死で頑張ったのは、アミカと一緒に大空まで吹っ飛ぶぐらいにハイテンションになりたかったからなんだよ。だから……死なないでよ……

「なん……で……?」
「馬鹿! 何で、何でアミカがそんなにならないといけないの!? 嫌だよぉ……ねえ、死なないでよぉ……」
「泣くな……ホミカ……」

 まだしっかりと意識がある! よかった、確かアミカが昔少しだけ言ってた気がする。意識が無いよりは、意識がある方が断然助かる確率が高いって!

「アミカ! よかった! 今お父さん達が来るから、きっと助かるから! だから、助かるよ! 大丈夫だよ!」
「ねえ、顔良く見せてよ……」

 凄く泣いてたらしい。涙でゆがむ視界の中でアミカは弱々しく自分の髪をいじり、大切にしていた髪留めを外して私の頭に手を伸ばした。
 普段から前髪が顔に掛かり過ぎてどうのこうの、濡れると幽霊みたいだのと言われてた。そんな私の前髪をアミカは上の方で束ねて、持っていた髪飾りで一か所にまとめる。

「こ、これってアミカが大切にしてる髪留めでしょ。な、何で今なの? ねえ」
「ほら……やっぱり……ホミ……上げ……が……」
「アミカ! 嫌だ! 目をもっと開けてよ! 私を見てよ! ライブを聞いてよ!」
「ねえ、ホミ……カ……お願い……聞いてくれ……る?」
「うん! 聞くよ! 何でも聞く! だから、死なないでってば!」

 本当に何でも聞く! また私が毒に侵されたって構わない! だからアミカは死んじゃ駄目! 絶対に死んじゃ駄目なの!

「ジムリーダーになった……らさ……毒タイプ……使って……くれない?」
「アミカだってなれるよ! いま私見てたもん! アミカのペンドラー、凄い強いじゃない! だからそれは、アミカが――」
「あぁ、そうだった……」

 言葉を遮られた。アミカの手が震えながら私の顔に近づいて来るけど、もう何も見えてないのか、その手が私の横をただ虚しく通り過ぎて行く。
 知らず知らずの間に、私はアミカの手を力強く握っていた。普通なら痛いぐらい強く握ったのに、アミカの表情は変わらない。
 握っているはずの手はまるで鉄パイプでも握ってるかのように人の熱を感じない上に、人の手を握っているのとは何か違う、無機物を持ってるかのように酷く重かった。
 私は分かってしまった。アミカは分かっていた。助からない。助けられない。でも私はその事実を認めたくなかった。
 お父さん達が来たのか、後ろの茂みが揺れる。私は絶対に振り向かない。例え後ろにいるのが危険な毒タイプでも、人を呪い殺すゴーストタイプでも、凶悪なドラゴンタイプでも、私は絶対に振り返らない。
 目の前のアミカが私を見ている。だから私はアミカを見る。神様、私はアミカに助けてもらった。私もアミカを助けたい! 一度で良い、人生に一回で良い! お願い、助けて……

「ホミカ……大好き……だよ……」

 初めて言われた。アミカが私の家に来てから、今日この瞬間まで、彼女が私のことを『好き』だと言ってくれたのは、今日が最初で、そして……最後になった。
 握っていた手が崩れ落ちる。アミカの瞳から光が消えた。消え入るような呼吸が聞こえなくなった。アミカが……死んだ……

「ア、アミカ? ねえ、嘘でしょ? ねえ……アミカ!?」

 分かっている。私がいくら叫んだところで、私がいくらアミカの体にしがみ付いて泣いたところで、アミカが私の名前を読んでくれることはもうない。
 何気ない日常はもう戻って来ない。簡単なおしゃべりもできない。アミカをライブに誘って騒音と言われるやり取りも、もう出来ない。アミカにライブを聞かせることは……



 あのあと、大人達がやって来た。虫ポケモン達を追い払ってくれたおかげで私は無傷だったけど、毒を受けたことに変わりはないから病院に連れて行かれた。
 大した日数も掛からずに私は退院を許されて、今は普段通りの日常にいる。私がどんな毒を受けたのか医者に教えたら、『そんな状態では数分放置されただけで、普通は絶対に助からない』と教えてくれた。
 毒の知識でアミカの右に出る者はいない。私は思い知らされた。アミカが死に際に私に頼んだ『願い』がどれほど途方も無い目標で、どれだけ長く険しい道のりなのかを。
 こんなことを考えている今でも、私はずっと現実から逃げる術を抱いてしまっていた。
 本当はアミカは生きていて、私を驚かせようとしているだけなんだ。もしくはこれは夢で、目が覚めると目の前でアミカが私のお気に入りのバンドの写真集を没収しようとしてたり、二十四時間説教を始めようとしてたり……
 そんなあるはずのないと分かっている希望や妄想は、全て壊される。私の足は自然とシッポウシティの外れにある墓地に向かっていて、気がつけば……アミカのお墓の前に立っていた。

「……アミカ、言ってたよね。私のライブを聞きたいって」

 こんなところで話したって、アミカに聞こえていないことぐらいは子どもの私でも知っている。でも、言っておきたかった。

「私はジムリーダーになって、ベーシストとしてもイッシュで一番になって見せる。イッシュ全土に私のロックを奏でて、皆の理性をぶっ飛ばして見せる。どこにいるか分からないけど、アミカにもきっと届けるから……待っててね、必ず届けるから……」

 持ってたお花を供えて、私は帰ることにした。あまり長くこの場所にいると、また泣いちゃいそうだから。



――頑張れ、ずっと待ってる……



「えっ?」

 声が聞こえた気がした。振り返ってみるけど、当然ながら誰も居ない。でも確かに、私にはアミカの声が聞こえた。
 ただの気のせい? 妄想の産物? 幻聴? そんな不確かなものじゃない、私には確かに聞こえたの。
 私は胸に手を当てて、大きく深呼吸をして前を見た。シッポウシティへと続く長い道のり、その先に見える古びた倉庫と建物の屋根、空を真っ赤に照らす太陽。
 先ほどまで泣きそうになっていたのに、今は勇気と喜びが私の心の中を走り回っている。眼を見開けば、こんなにもしっかりと道が見えるんだ!

「必ず届ける。その時まで、のんびりしててよ。アミカ」





 欠伸をしてソファーから上半身を起き上がらせる。何年も前の出来事を随分とリアルに夢見ながら、私は寝ぼけ眼を擦って脇に置いてあるベースの様子を確かめる。
 本日も絶好調。アミカの持ってたペンドラーに因んで、私のベースはペンドラーの形にしている。そう言えばペンドラー、いつの間にかどこかに消えてしまっていた。

「どこ行っちゃったんだろうね、たまには私のライブを聞きに来てくれて良いのにっと、挑戦者来てるの?」

 ポケモンバトルが繰り広げられてる音が聞こえる。最後のジムトレーナーを破ったのか、一人の少女が私の立っているステージの前までやって来た。
 ちなみに今の私が居るのはシッポウシティではなく、ここ数年で大きく開拓が進んだ全く別の街だから、探してくれていても見つからないって可能性がなくはないけど。

「ふぅん、見た感じ新人トレーナーだね。とんとん拍子でここまで来るなんて、これは久しぶりに白熱したライブが出来そうね」

 見ててねアミカ。もう少し時間が掛かるだろうけど、きっと届けて見せるから。

「いくよ! アンタの理性、ブッ飛ばすから!!」



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