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勇気のタネ 作:月光

 平凡な人生を過ごしていた。小学校は地元の市立、中学校も地元の県立、高校は成績が特別良くも悪くもなかったから中ぐらいのところ。
 夢ならあった。あるにはあった。父親の影響だろうか、物心ついた時には既に小説家を目指したいと思うようになっていた……らしい。
 尤も父親は主に評論家として本を書いていたので厳密には小説家とは言わないが、若い頃は机に向かい、時が流れればパソコンに向かって自分の想いを現実に書き起こすそのスタイルに、どこか憧れを持った。
 数学と理科の成績は壊滅的――そもそも理解できる方が可笑しいよ――でも、国語と世界史は大好きと言える。日本史は同じ名前が続いて飽きる。許せるのはペリーとザビエルぐらい。
 一応勉強はしていたはずだった。そんな私が髪を染めて、威圧的な言葉を使い始めて、入学当初は屑と蔑んでいた連中と一緒にいる今の現状は、どこから始まってしまったのか。

「でさー、山下沢の禿げの頭に墨付けたて髪生やしてやったらさ、感動したのか体震わせてやがんの! あはは、傑作よね!」
「あいつの授業つまんねーし加齢臭するし、そもそも山下か山沢かどっちかにしろっての、紛らわしんだよねあいつの名字」

 もはや恒例となりつつある授業サボっての屋上でのお喋り、うちの学校は何故か屋上へ扉に鍵は掛けられていない。普通の学校は掛けられてるって聞いたけど、ありゃ嘘か?
 目の前の馬鹿みたいにテンションが高い馬鹿二人を見ながら私と言えば、喋るのが面倒臭いから煙草加えて手摺に寄り掛かってる。
 何もやる気が起きない。いつからだろう、私はいつから屑になったのだろう。そんなの分かり切っている、目の前で夢が呆気なく死んでいったとき。

「今度あいつのロッカーから金でも奪っちゃおうよ。ねえ苗華もやるでしょ」
「っだらね、ロッカーからとか言わず帰り道に本人からぶんどっちまえよ。二三発入れて脅せばどうせ差し出すだろ、あいつ根性ないし」
「わーお、流石は苗華、エグイねー容赦無いねー。そこに痺れるけど別に憧れはしない」

 なら言うなよ。

「しなくていーし……さて、私ちょっと用事あるから帰る」
「まだ授業終わってないけど、一応保健室行って早退扱いにした方が良くね? さすがに学校側五月蠅いと思うよ」
「知らないよ、別に大丈夫でしょ。じゃあな」
「男? あーもしかして男ですかい苗華さん。そりゃ学校なんて来てる場合じゃないよねー」
「ちげーよ、次言ったら鼻の穴から指突っ込んで子宮突き破るよ」
「おー怖い怖い」

 馬鹿の相手は疲れる。どうせ今さら成績とか授業態度とか気にしたって、何も変わらない。そっちは変わらないけど、やらなきゃいけないことはある。
 静かな校舎、授業中なんだから当たり前。静かな校門、さすがに昼過ぎての初っ端授業からサボって帰ろうとする生徒を監視する先生なんていない。

 私の夢は終わった。目の前で父親がトラックに撥ねられて死んだ去年から、私の中にあった何かが壊れて、夢の種は芽吹く前から腐って消えた。
 そもそも冷静に考えてみれば何を私は馬鹿みたいに小説家になろうと思ったのか、趣味で小説書いて掲示板に投稿していたのか。
 父親が死んだのは勿論ショックだったが、同時に自分の夢が全く確立されていない脆い基盤の上に成り立っていることが分かって、全てがどうでも良くなって放り投げた気がする。
 私は達観している。達観している気になっているだけかもしれない。人間なんてどうせ死ぬのに、一生懸命頑張ることに何の意味があるの。
 昔は考える必要すらなかったことなのに、最近そんなことを思ってしまう。思わずにはいられない。私の夢の種は、どこに消えてしまったのだろう、どこかに落ちているのかな。

 そんなことを考える余裕も今の私にはない。父親の代わりに働いていた母さんだが、元々体が強くなかったせいで体調は日に日に悪くなり、先日ついに倒れてしまった。
 医者によればしばらく休養が必要だとのこと。だから私が返って色々と家事をやらないといけないのだが、正直なところ凄く申し訳なく思っている。
 ただでさえ父親が死んでショックを受けているはずなのに、心労を押し殺して私を養ってくれていて、その娘が出来の悪い馬鹿共と絡んでいるのを見て、落胆しない両親なんていない。
 母さんが倒れるまで、そんなことにすら私は気付けなかった。調子に乗って染めてしまったこの金髪が、今はとても鬱陶しく感じる。ついでに耳のピアスも。

「やっぱり、ぶん殴られる覚悟で言うしかないかな」

 これ以上心配かけるわけにはいかない。これは意地だ。父親を失って夢を失って、母さんを心労でぶっ倒れさせる程の馬鹿だけど、私にだって意地はある。
 勉強するしかない。勉強して良い大学に行って、自立して少しでも母さんに楽をさせてあげたい。思い切り授業サボってる癖に今さら何言ってんだよって話だけど、別に良いよね。ただ……

「怖い……」
「ちょっとちょっと、そこの金髪サボり女子高生! そう、お前だよお前」

 声を掛けられた。語調から言ってその辺のチャラけた不良かと思って振り向いてみれば、カラフルなスーツにシルクハット、割と若い男だけどこれだけ見れば何ともシュール。
 これだけで完結していればただの馬鹿だが生憎その男の前には銀色の台に大きな布、近くには箱など様々な道具が転がっている。
 なるほどなるほど、こいつは所謂マジシャンだ。こんな人気の少ない川辺で練習なのか本番なのかは知らないが、あまりにも客が来なさ過ぎて自分の方から私に声を掛けて来たってところか。
 早く帰って家事をしたいから構っている余裕なんてなかったのだが、考えてみれば私はこいつの言う通りサボり女子高生、あまりに早く帰っては逆に母さんに心配を掛けるかも。
 それにこう言っちゃなんだけど、私って意外とこう言うの好きなんだよね。小さい時は父親が良くタネがばればれの手品を良くやってくれたっけ。

「客、全然いないんだね」
「おーっと開口一番に辛辣なことを言うねお前は。こう言うのはアレだけど、授業は受けておいた方が良いぞ」
「今日は午前授業なの。だから早く帰る、それだけよ」
「嘘は良くないな、朝から俺はここで準備をしていたけど、結構な生徒が通っていた。本当に午前授業ならもっと沢山の学生が帰路についてるはずだ」
「ふーん、マジシャンだけあって洞察力はあるんだね。じゃあ数時間後の学生を相手に商売してれば、じゃあね」

 マジシャンの癖に一言多いのよ、構っても仕方ないし別のところで時間を潰そう。

「待て待て待て! なに、お前は手品が嫌いなのか? 百円、いや十円でもいい、とりあえず見て行ってくれ」
「ただなら良いよ。私、そんなにお金持って無いの」
「なんだよ残念だな。まあ他の客が来るまでの練習ぐらいにはなるか、よしわかった! ただで良い、その代わりに俺の手品がどうだったか、感想は聞かせてもらうぞ」
「それぐらいなら良いよ。で、何を見せてくれるわけ。まさか在り来たりな帽子から鳩なんてやらないよね」
「な、何故分かった……」
「マジかよ……」

 いや、まさかそんなに驚かれるとは思ってなかった。え、なに? マジシャンって言うのは客が何も知らない馬鹿の集まりだとでも思ってるの?
 阿呆みたいに驚愕してるけどすぐに咳き込みして表情が戻ると、台の上に足元から取り出した木製の箱を乗せる。何の変哲もないただの箱、これなら少し期待が出来るかも。

「さて、それでは不肖ながら、わたくしミスターマリッコによる手品を始めさせていただきます! ほーら拍手拍手」
「うわー、すっげーパチモン臭い名前なんだけど。何よマリッコって、ミスターマリックのパクリじゃん」
「い、今時の子は知らない物だと思っていたが、意外とあのおっさんは若い子にも有名なんだな。ま、まあいいじゃないか名前なんて。重要なのは手品の質さ」
「この分じゃ、手品の質も期待できないんだけど」
「……相変わらず、一言多い糞ガキだ」
「何か言った?」

 今明らかに『糞ガキ』って聞こえたんだけど。なんか、気のせいかもしれないけど、こいつと私って……どこかで会ったことある?

「いえいえ、滅相もございません。それでは始めますよ。まずはこの箱を見て下さい! 御覧の通り、『タネも仕掛けもございます』!」
「……はぁ?」
「いやだから、見ての通り『タネも仕掛けもございます』って言ったの。今からこの箱を宙に浮かせますよ、見てて下さい。古臭いけど、ワンツースリー!」
「う、浮いた……て言うか、『タネも仕掛けも』もあったらそりゃ浮くでしょ! 何よこれ、私を馬鹿にしてるわけ!?」
「そんなことはない。じゃあ君、この手品のタネと仕掛けがどこにあるか分かる?」
「わ、分かるわけないじゃない。そもそもマジシャンってそう言うのを分から無くするものでしょ、私が見抜けるわけが無いでしょ」
「その通り! 手品師って決まって『タネも仕掛けもない』って言うけどさ、本当はあるんだよ。だから俺は手っ取り早く言っちゃうことにした、でも客はタネも仕掛けも分からない。面白いでしょ」
「面白いのはアンタだけじゃん。でもまあ、アンタが凄いってのは分かった。だから早く他も見せてよ、当然タダで」

 ちょっと小馬鹿にされた気がするけど、やっぱりマジックって見てると面白い。それに何だかこいつ、『タネも仕掛けもございます』なんて、ちょっと面白いじゃん。
 その後もマリッコ――しかし本当にパチモン臭い名前ね――は色々なマジックを披露してくれた。先ほど言った様に帽子から鳥が飛び出して来た。うんまあ、何でか鴉だったけどね。
 人通りが少ないとは言え、不思議なほどに人が来なかった。終始観客は私だけ、ありえないことだけどもしかしてこれもマジックだったりして。
 最初は期待していなかったけどマジックの技術は驚くほど高くて、本当にこいつがどんな方法でマジックをしているのかさっぱり分からない。自然過ぎて、糸口さえ。
 全ての演目が終了したのかマリッコが丁寧に礼をして、私は思わず笑いながら拍手をしてしまっていた。
 笑うなんて久しぶり。父親が死んで母さんがあまり家に居なくなって、会話すら全くかわさなくなって、こんな気持ち……久しぶり。

「あれ、泣くほど感動してくれた? いやー、タダでも披露した甲斐があったわー!」
「え? あ、あれ……」

 目頭の辺りを擦ってみると確かに濡れていた。どうやら私は泣いていたらしい。その事実に気付いた直後から視界が歪んで、世界が一気に現実を失った。
 さすがにいつまでも泣いてると格好悪い。直ぐに涙を拭って顔を上げると、マリッコは真剣な顔つきになって私を見ていた。こうして見ると悪くない男なのに、なんか勿体無い。

「俺の手品を見て感動してくれたのは嬉しい。だけど、その涙の理由はそれだけじゃないだろう」
「別にアンタには関係ないでしょ。マジックは楽しかったよ、さよなら」
「だから何でそうやって帰りたがる! 俺はこう見えてこの商売やる前は学校のカウンセラーだったんだ、相談に乗れると思うぜ。保健室の先生より赤の他人の方が相談し易いだろ」
「アンタがカウンセラー? むしろ適当にプリントだけ配って自分は教科書の豆知識だけ見て満足してそうな、どうしようもない国語の教師みたいに見えるけど」
「悪い、カウンセラーなんて大嘘。でも俺は流れの手品師、ここに長く居ることは無いから必然的に近くの奴に秘密が漏れることもない。話してみろって」

 何で他人のことなのに突っ込んで来るのよ。そりゃ悪い奴じゃないんだろうけどさ、赤の他人に話して解決するなら苦労は無いわよ。

「今さ、『赤の他人に話してなんになるんだ。そんなんで解決すりゃ苦労は無い』って思っただろ」
「……思ってないよ」
「じゃあつまり俺のカウンセリングを受ける気になったってことだな! さぁ、話してみろ」

 しまった、一本取られた。

「もしかして人の心が読めるわけ?」
「読めるわけないじゃないか。ところで、カウンセラーの仕事ってなんだか分かるか」
「んなの、困ってることの解決でしょ」
「違うな、カウンセラーの役割は徹底的に話しを聞くことだ。ネタばれになっちゃったけどさ、まずは叫べ。お前の心の内を、馬鹿みたいに曝け出せ」
「うわ、なんか変態っぽいんだけど。言っておくけど、なんか変なことしたら通報するからね」
「不安や困ったことがない人間なんていない。俺は今までそう言う奴を何人も見て来たんだ、安心して暴露しろ」

 相変わらずの変態チックな言い方だけど、不思議にもこいつは信用できる気がする。赤の他人を信用するって、変な話かもしれないけど……
 私は話した。私の今置かれている状態、私は一体何を夢見ていたのか、どうしてその気持ちを失ってしまったのか。私自身も分からないことをただひたすら話した。
 父親が亡くなったこと、母さんが倒れたこと。これ以上母さんに迷惑をかけたくない。心配を掛けたくない。
 いつの間にか、また泣いていたらしい。目の前が歪む。世界が歪む。体が暑い。鼻を啜る。一度話しだしたら止まらない。不思議なほどに止まらない。
 誰か来たら恥ずかしくて死んでしまうかも。でも誰も来ない。歪む世界の中で、マリッコがちゃんとこっちを見ているのを確認した。



 喋って喋って喋って喋って喋って喋って喋って喋って喋った!



 私は息を切らしていた。涙を流して紅潮して、全てを吐き出した私が最初に感じたのは……胸につかえていた何かが、零れ落ちたような感覚だった。
 目の前のマリッコは黙って聞いてくれた。こいつの言う通りだ。癪だけど、叫んだだけで幾分か心が落ち着いた気がする。
 これだけでさっきまでの不安とイライラが少しは無くなった。多分今の私の眼は充血してるんだろうけどな。と言うか、マリッコいつまで黙ってるの? いつまで私を見てるわけ?
 何でよ。何でそこまで分かっちゃうのよ。そうだよ、私はただ単に話しただけ。それなのに何でこいつは、私の不安が分かるのよ。止めてよ……甘えちゃうじゃん。

「私は、もうお母さんに心配は掛けたくない。気持ちの面でも、お金の面でも。だけど私は、夢を持ちたい。また追いたい!」
「だけど不安が残っている。自暴自棄になったせいで陥った、今の環境から抜け出しにくいってわけだ。そりゃそうだ、不良グループだからな」
「虫が良いかもしれないけど、私はちゃんと勉強したい。今のままじゃ、私はきっと屑のまま終わる。それは嫌だ。絶対に」
「女子高生、お前名前は?」
「苗華、芽吹苗華」
「良い名前じゃないか、考えてくれた父親に感謝することだな。苗華、お前はもう自分の状況を理解している。自分のやりたいことも分かっている。お前に足りない物は一つだけ」
「一つだけ?」

 一つだけ……多分、それは……

「勇気だ。世の中の事柄ってのは大抵勇気と責任、機転が働けば乗り越えられるものだ。今のお前に必要なのは勇気」
「そんなの分かってる。分かってるよ……でも……」
「今行動を起こさなければ、お前の中のタネは永遠に芽吹かない」

 芽吹かない? 永遠に?! 嫌だ、絶対に嫌だ!
 世界が揺れている気がする。優しかったマリッコの視線を直視できない。こいつは、何でこんなに芯があるのよ。
 
「分かった、俺が手品を見せてやる」
「はぁ?」
「俺は今まさに、お前の中に勇気のタネを仕込んだ。それはお前の勇気に反応し、一気に開花させる。勇気を持て。そうすればそれが助けてくれる」
「何言ってんのか訳分からないけど、ありがとう。アンタに会えてよかった。でもまあそんな種が、本当にあればなぁ……」
「あーいたいた! 苗華、ちょっと来いよ」

 嫌な声が聞こえた気がする。無視したいがするわけにもいかない。
 振り返ってみれば案の定、さっきまで人っ子一人いなかったはずなのにいつの間にか正午の二人を合わせてざっと七人の不良面子。
 色々あって腐ってたとは言え、何で私はこんな奴らとつるんじゃったのかなぁ。男三人はチャラ男だし。

「これからよ、職員室忍び込んで金目のもん貰っちゃおうってんだけどよ、お前も来るよな、とーぜんさ」
「来ないって分けないよなー苗華ちゃん? 最近なんか付き合い悪いけど、まさかグループ抜けたいなんて思ってないっしょ。あんだけ面倒見てやったのによ」

 お前らに見られた面倒なんて殆どなかったと思うけどね。とは言えどうしよう、断りたいけど相手が七人じゃ……断ったら、絶対殴られたり虐められる。

「わ、私は……」
「断りたければ断ればいい。行きたければ行けばいい。だがな苗華、さっきも言った通りだ。腐った土壌で逞しく育つのはあくまで物理的な植物、お前の心は永遠に芽吹かない」
「あんだよおっさん、関係ねーんだからすっこんでろよ。てかなんだそのキショイ格好? マジシャンか? だったら客にへつらって頭から鳩でも出してろよターコ」
「タコの頭から鳩は出ないだろ。何言ってんだお前は、高校生なのにそんなことも分からないのか」
「ッチ、この爺……ぶっ殺してやりてーけど今はほっといてやるよ。どうなんだよ苗華? 来るよな、てか来ないなんてことねーよな」

 行きたくない。もう関わりたくない。でも行かないと私は……誰か、助けて……

「苗華、もしお前が誰かに助けを求めているなら。そりゃ甘えだ。自分でやったことだろうが、自分のケツぐらい自分で拭け。誰かに助けてもらって解決したんじゃ、お前はこれからも誰かに甘える。腹をくくれ、こんなのは人生の一瞬だ!」
「マリッコ……うん、ありがとう。リョウ、私は行かない。今後一切、アンタらの不純な活動には付き合わない。もう誘わないで。私は……正しく生きる」
「フーン、あんだけ一緒に楽しんでおきながら自分は見切り付けてドロップアウトかよ。そこまで清々しく断られると冷静になり過ぎて、いっそ血管ぶち切れてその面原型無くなるぐらいボコボコニしたくなっちまうよ!」
「あぐぅ!」

 殴られた……まぁ、当たり前だけど。こいつらそう言う奴だし。あたしが入って数ヵ月後に抜けた言って行った奴が居たけど、そんときゃ私もデコピン程度だけど混ざってたっけ。
 確か全治三カ月ぐらいだったかな、そいつ。私の場合はどれぐらいだろう。半年ぐらいなら良い方かも。違うよ、軽いか重いかじゃない。こんなことをすることに、されることに問題があるんだよ。
 凄く痛い。気の弱い方だった里香と綾奈と正久は遠巻きに見てるだけだけど、他四人が寄ってたかって私一人を殴って蹴って……
 酷いったらないね。私って今まで、こんなことに参加してたんだよね、形だけでも。こんなにされてどうなるか分からないけど、またやられるかもしれないけど、何でかな……気分に良いや。
 別にマゾってわけじゃない。あ、口の中切った。ただなんだろう、本当に自分のやりたいことを、言いたいことを言った時は清々しい。私一人じゃ、きっと無理だった。

「何笑ってんだよこのブス! 止めて欲しけりゃ今すぐ土下座して靴でも舐めろや豚が!」
「あー学生さん、豚は別に靴は舐めないぞ。そもそもありゃ清潔な生き物だ、それに最近ペットとしても人気があって可愛らしいじゃな――」
「うるせーなオメーはさっきからいらねー雑学垂れやがってよ! お前ら、ブスはまた後でやるとして、こいつもやるぞ」
「でもさリョウちゃん、一般人はマズくね? 警察行かれたら厄介っしょ」
「こいつだって携帯なり名刺ぐらい持ってんだろ。ボコって奪って名前や住所抑えりゃ、また何度でもボコれる。つまり、こいつは通報できなくなる。通報したら何度でもやっちゃうよー俺ら」
「昔の学生も血気盛んだったけど、最近の学生も負けず劣らず血気盛んで良いことだな。ゆとり教育でゆとってると思ったのに」
「テメ、ガチで殺してやろうかコラ!」
「マリ……アンタは、逃げ……」

 やば、リョウの奴ナイフなんて持ってたの? こいつらは一般人でも容赦なくやるし、本当に殺されちゃうかもしれない。だってマリッコ、見るからに貧弱そうでヨナヨナしてるもん。
 もう嫌だ。私のせいで誰かに迷惑をかけるのは。特にこいつは何の関係もない赤の他人なのに、一円にもならない私の話しを聞いてくれた。勇気をくれた。背中を押してくれた!
 だからここは私とこいつらだけでケジメをつけないと駄目! 殴られ過ぎてもう何か体の感覚無くなって来てるけど、動いてよ私の体。せめて、こいつだけは助けさせて。

「困ったな、俺は喧嘩が得意な方じゃない。仕方ないから、手品で相手をしてやるよ」
「くだらねーショー見てる時間も暇もねーんだよ俺らは。そうだな、まずはそのフザケタ帽子と髪の毛と頭皮辺りをザクザクいこっか。頭に真っ赤なバラが咲くぜ」
「さーて、これからミスターマリッコによる手品を始めます! ご注目ご注目! この手品、『タネも仕掛けもございません』!」

 ……あれ、『タネも仕掛けもございます』ってのがアンタの定型句じゃなかったっけ?
 ってそんなこと気にしてる時じゃないのよ。早く逃げろって、私の責任増やさないで、お願いだから。

「まずは手始めに、そうですね……リョウさんと言いましたか、貴方以外のお方の記憶を消させていただきましょう」
「はぁ、何言ってんだお前。電波なサイコさんかよ。アハハハ、聞いたかお前ら。記憶消すってよ!」
「嘘八百で乗り切ろうとしてんのバレバレー必死過ぎワロスーって感じー。マジでキモイんですけどーリョウちん早くそいつ刻んじゃってよー」
「正真正銘『タネも仕掛けもない』手品、さあ私の持つこのハンカチを良く見ていて下さい……とか言っている間に、実は消えてます」
「なんもおきねーじゃん。うわマジキモイこいつ、電波過ぎてうぜぇし。お前ら、さっさとこいつ殺して苗華のリンチ再開すんぞ」
「誰よアンタ、て言うかいつからあたしらと一緒にいたわけ? うわキモ、話しかけないでよ。てか私達もこんなところで何してんだろうね。帰ろ皆、教頭に見つかるとうっせ―から」
「ちょ、ちょっと待てよ葉菜、テメー何勝手に俺に見切り付けてんだよ!? 待てって、おいコラ!」

 嘘、本当に……帰って行った? リョウはこのグループのリーダーなのに、本当に皆、ここに何をしに来たのか、リョウが誰なのか分かってないみたいだった。
 どんなに叫んでも誰も戻って来ない。それどころかあいつらは表面上あからさまにリョウを排他する視線を向けて、さっきまで私が受けていた視線を、今度はリョウ自身が受けている。
 マリッコって本当に、人の記憶を操れるって言うの? ちょっと待って。じゃあ私が絞り出した勇気も、こいつの力なの?
 聞きたい。本当にそうなら、私は絶対にこいつを許さない。体中が痛いけど、私はどうしても今すぐ確かめたいの。私の尊厳、意地は……私が守るんだから!

「さて、記憶が無くなると言うのは恐ろしい。先ほどまでの自分が無くなって、存在が否定される。お前が今まで他者にして来たことだな。良いか、糞ガキ」
「ちょ、軽い冗談じゃねーかよ。そんな、一般人殺すなんて日本で出来るわけねーじゃん。ば、馬鹿じゃねーのお前」
「出来るさ。極論で言えば、消しゴムでだって人は殺せる。何個も喉に詰まらせれば良い。素手なら死ぬまで殴れば良い。そして俺は、お前の記憶を殺すこともできる。いいか、今後も苗華に絡むようなら……お前の精神年齢赤ん坊まで下げてやるよ」
「イカれてやがるこいつ! つ、付き合ってられねーよ!」
「重ね重ね言うがこれからは精々質素に、俺の目を避けて慎ましく生きて行くことだな。記憶を失いたくなければな」

 リョウは性質が悪いことにボクシング部を引退した実力派の不良だったのに、貧弱そうなマリッコがあいつを追い払うなんて……正直、想像出来なかった。
 でも今はそんなことはどうでも良いよ。私が知りたいのは、さっきまでの私の決意が……本物だったのか、偽物だったのかってことだけ。

「おい、無理するなよ。骨折は無いようだが、内出血が激しいぞ」
「聞きたいことがある。さっきの私の勇気は、偽物だったのか? 私を……私の記憶を……操ったの?」
「はぁ? お前馬鹿か、人間の記憶なんて素手の人間が操れるわけねーだろ」
「だ、だって目の前で現実に――」
「あいつらもお前と同じだ、心の底では何かを感じていたみたいだ。リョウってガキにも付き合いきれないところがあったんだろ。一人当たり三十万円でな、芝居を打ってもらうことにしたんだ」
「そうなんだ……あ、あはは、心配して損しちゃったよ。ってちょっと待って。その言い方だと、アンタは今日の出来事を予想してたってこと? なんで、その、私を助けてくれたの?」
「……隠しても意味無いか。お前の亡くなった父親、俺の伯父さんなんだよ。お前とも……そうだな、十年ぐらい前に会ってたと思うぞ」

 十年前、まだ小学生になって間もない時か。さすがにちょっと覚えてないかも。
 でもどこかで会ったことがあると思ったのは間違いじゃなかったのね。そう言えばうちのお父さん、車とかバイクが苦手だったから親戚の家に行くってことは殆どなかった。
 どう言う理由で手品師なんてやってるか知らないけど、この人は偶然か必然かここに来て、私を助けてくれたのね。
 正直、なんか色々と納得いかないところは多い。こんな漫画や小説みたいな展開が実際に起きるなんて、実は夢じゃないの?
 頬を抓ろうとしたけど全身の痛みの方がリアルに現実を教えてくれる。安堵が緊張を上回ったのか、途端に足が笑って膝が地面に着いちゃった。

「そっか、親戚だったんだね。ごめん、名前忘れちゃった」
「昇陽、芽吹昇陽だ。ちなみに手品の基礎はお前の親父に教えてもらった、あの人の手品は正直上手じゃなかったけどさ、アレが俺の原点だ」
「あっ、名前で思い出した! 『考えてくれた父親に感謝しろ』って、普通は『両親に感謝しろ』って言うよね。そっか、昇陽は私の名前を考えたのが父さんって分かってたのよね」
「あの時は思わず口が滑ったと思ったが、バレなくてよかったよ。昔と同じで鈍くて助かったけど」
「に、鈍いって言うな! でも、ありがとう昇陽。格好良かったぞ、金の力だけど」
「だから一言余計なんだよお前は! しかし女子高生に言われると中々気分が良いな、親戚じゃなかったら彼女にしちゃうところだ」

 さすがにその発言は……ちょっと、引く。さすがに近親相姦とかそういうのは、ない。

「おい、何で少しずつ離れるんだよ」
「だってさ、久しぶりに会った親戚がロリコンだったらショックでしょ。私のことも少しは考えてよ」
「ロリコンじゃねーよ」
「……ねえ、昇陽の手品には『タネも仕掛けもある』んだよね?」
「当たり前だ。『タネも仕掛けもない』手品なんてこの世にあるもんか。て言うか、あってたまるかっての。そりゃ手品じゃなくて魔法だ」
「納得。私、家事があるからそろそろ行くね。昇陽は、まだしばらくはこの辺にいるのかな」
「確かに俺は親戚だが、あくまで流れの手品師だ。明日には別の場所、明後日にはさらに別の場所、一ヶ月後には地球の裏側にいるかもしれない。だけどまあ、たまに顔を出すよ」
「うん、分かった……それとさ、最後に教えて。私は、自分で勇気を出せたんだよね。操られてなんて……ないよね」

 やっと学生が帰路につき始めて客が増える時間だって言うのに、昇陽は台車に機材を載せて場所を変える準備をしようとしてた。ひょっとして、私が見に来ると思って恥ずかしがってる?
 振り向いた昇陽の表情は一瞬『何言ってんだこいつ?』って言いたそうな顔だったけど、すぐに微笑みに変えてくれた。どうしよう、ちょっと……マジでカッコいいかも。

「勿論、『タネも仕掛けもございません』」


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