> 枷を -rock'n'roll is not dead- 作:とらと
枷を -rock'n'roll is not dead- 作:とらと
 おいらぁロックンロールだ、ロックってぇのはつまるとこ、誰にも囚われねぇってこった。おいらのフライト、誰ひとりとも邪魔はさせねぇ。ちぃと見てろ。電線と電線の隙間かいくぐってさぁ、ポッポやらマメパトやらがアホ面下げて地面つっついてる間に、真冬の風になって飛ぶぜ。曇天極寒、昨日の晩から雪ってやつがまとわりつくが、おいらの翼にゃ些細な事さ。おいてめぇ、邪魔だそこのけ、おいらが通るぞ。オラオラオラ。
 にしても今日はさみぃな。人間どもの住んでるとこも、雪の色に染められてやがる。哀れよ貧弱なモンさ、おいらぁ誰にも染められねぇ。でっけぇドンファンのいつもボケッと突っ立ってる辺りも白くて、チビの人間どもがキャッキャ群がってやがる。どれ遊んでやるか。おいらぁデカドンファンの禿げ色の頭の上に着地して、よう、とその目を覗きこむ。いつも通りの死んだ瞳だ、返事のひとつもよこさねぇ。まったく人間に飼われるってのは嫌だね。ばさっと翼を振るうと、頭の雪がぼてっと落ちて、くるっとチビ人間が振り向いた。飛び立つ。急降下、超旋回、フルスピード、必殺またくぐり、っとな! やつら雪を丸めて投げてきやがる。ヒョヒョイのヒョイと避けてやって、おいらぁ空へと舞い戻った。
 ぶらぶら飛びながら思う。ここんとこ生きにくい世の中だ。急にさみぃのもそうだが、ちょっと衝撃だったんは、木の上で相方とあったまってるときにさ、相方のダチが飛んできたとき。そいつ、おっかない足取りで枝につかまったんよ。真っ青な顔してさ。相方がどうしたのって問うんさ、そしたらそいつ、ひとつふたつ喘いで、そのままひっくり返って落ちちまった。
 おいらも相方も、心臓の凍る思いがしたね。何が起きたんか、まったく理解に苦しんだ。目下の人間どもの通り道の上で、そいつぴくりとも動かない。人間どもが何か囁き合って、そいつのこと気味悪がって、大仰に避けて通ったりする。汚ぇもん見る目でさ。汚物じゃねぇっつうの。おめぇらの鉄の塊に潰されたチョロ公より、よっぽど綺麗な死にざまだっつうの。やがて白い服着た人間やってきて、そいつを白地の袋につめてさ、ぎゅうぎゅう口縛って、あとになんか液体撒いてやがる。それからおいらたち見上げてなんか言い合ってんの。おいらぁ相方連れて森の方へ逃げた。相方、えんえん泣いてたね。おいらぁそいつを抱きしめて、悔しい思いに駆られてた。
 汚物扱いさ。昔っからそうだったが、特に前の冬か、その前の冬からだったかな、とにかく冬になると特別酷い。何フルがどうとかいうやつがなんかあるらしいが、おいらたちにゃ分かんねぇこった。その分かんねぇことで、なんだか知らず嫌な目で見られるってのは、いくら相手があの人間だからと言え、こっちも良い気はしねぇ。
 でもさ、だからってどうすることもできねぇわけで。おいらぁいつも通り、ぎゅんぎゅん空を行って、たまにちょっと吠えて、そんだけ。寒いも何フルも関係ねぇ。





 相方の待つ森の方へ戻る間に、ダチのレアスとそのツレが飛んできて、ちょいとと声かけてきた。
「オニオ、お前、早く森出ろ」
「なんでぇ急に」
「あそこは長く持たない。やばい病気がはびこってやがる」
「病気?」
 脳裏に焼きついた光景が、スローモーションで再生される。焦点の定まらない瞳、汗ばんで、痩せこけた頬、色つやの悪いばらついた翼が、ゆっくりと、ゆっくりと傾き、ギリギリの表情からふと力が抜けて、何か、どこか、少し、苦しみから解放されたような、そんな顔で。地獄の方向へ落ちていった、相方のダチの姿。
「そんなもんにおいらぁ負けねぇよ」
「勝ち負けの話じゃねぇ。とにかく遠くへ逃げるんだ」
「おいらぁここで生まれて、ここで一人前になったんだ。親父の骨もお袋の骨もここにある。出てなんていかねぇ」
「お前死にてぇのか」
「うるせぇ腑抜けが!」
 やめて、と叫ぶのは、ツレの女だった。女は控えておいらを見ながら、目ぇ潤ませて言いやがる。
「オニオさん。もしオニオさんが、アリスのこと、本当に大切に思うのなら……」
 その口元に、す、とレアスの翼が差し出される。なんだよ、言えよ、とおいらが言えども、レアスは諭すように何度か首振って、ツレ追い立ておいらの横を過ぎていく。
「達者でな。オニオ」
「このヘッポコ野郎!」
 聞こえたのか聞こえてねぇのか、およそ聞かねぇフリでもしたんだろうが、レアスはこっちの顔を見もしないまま行っちまった。
 ぺっと唾吐く。胸糞悪い。なんだってんだ、大事な大事な生まれ故郷を、どうして軽々しく捨てられる? 理解したくもねぇ、あんの薄情者なんぞ、二度と顔も見たくねぇ、さっさとおいらの前から失せろってんだ。
 くるりと空を切る。森の方へ。相方の待つ森の方へ。
 女が口にした相方の名。虫唾走るざわめき。うっとおしいもん振り払うように、おいらぁべしんと翼を打つ。
 おいらぁおいらで生きるんだ。誰にも邪魔させねぇさ。
 吹きつける風冷たく、おいらの毛の内から熱を奪っていった。





 嫌な予感が的中した。
 藁敷きのおいらの巣の中で、相方はゼェゼェ息せっていた。降り立つ、相方の奴羽音にうっすら目ぇ開ける。くちばしの間からちろと覗く舌が力無く下がっている。じっとり濡れた体毛。溝色に淀む瞳。認めたくねぇ、でも、目の前のそれが、いつだかの一羽の姿と重なりやがんだ。
「アリスどうした」
 声上ずらせ、一歩寄ろうとしたおいらに向かって、相方はふるふる首を振った。
「来ちゃダメ」
「何言うんだ、調子悪ぃんだろ」
「あんまり近づかないで」
「なんだっておめぇそんなこと……」
「オーちゃん、好きだから」
 びくりと震えが来た。
 相方の力無い微笑み。消え入りそうな声。死神に手ぇ引かれる相方。絶望の闇と現(うつつ)の狭間。その発する言葉の続きが、こんな、こんなに恐ろしく。
「あたし、よくない病気みたい」
 るせぇ言うな、その一言が、粟立つ胸に引っ掛かって出ていかない。
「傍にいるとね、オーちゃん、これ移っちゃうみたいだから、だから、あたしのことは」
 おいらぁその、ごちゃごちゃうるせぇくちばしに、無理やりおいらで栓をした。
 相方の目から滴が零れた。翼で強く抱きしめると、相方を蝕む悪い熱が嫌ってほど伝わってくる。小さく震える相方を、愛おしいその体を、おいらぁこれでもかってほど包み込んだ。
 顔離す。相方の喉から嗚咽が漏れる。まっすぐ見つめる、視線が交わる、その目はもう死んじゃいねぇ。大丈夫。大丈夫だ。
「アリス、腹減ったろ。今うまいビードル捕ってきてやる」
「オーちゃん」
「そこで寝てろ、無理すんじゃねぇぞ。すぐ戻るから。待ってろ」
「オーちゃん……」
「わぁったから、ちったぁ黙れ」
「ありが、とう」
 絞り出した音。そんな声で言うんじゃねぇ。顔も見れず、おいらぁ外へ翼を振るった。
「アリス。――おいらも好きだ」
 そうして飛んだ。一度だけ振り返った。相方は首伸ばしてた。おいらぁ頷いて、その場所を後にした。





 きっと今、おいらぁ世界で一番速く飛ぶ鳥だ。
 急げ。急げ急げ。低く垂れ込めた空の雲から、真っ白いもんが落ちてきやがる。だけど邪魔にも感じねぇ。寒さも痛さもねぇ。ただ翼動かす。ごうごう風切って、雪流れて。心にぽっかり空いた穴が、それ見んのが、怖くて、どうしようもなく怖くて、何かで埋めちまいたくて、なかったことにしたくて、おいらぁ無心に飛び続けた。
 思い出される、レアスのツレの言葉。アリスのこと大切に思うなら、何だって? あいつ置き去りにして遠くへ逃げろってか? んなことできるわけねぇ。苦しむあいつをほっとくなんて、できるわけねぇだろうが!
 近づいてくる。高度落とす。目下、森の中にぽっかり開いた銀の泉。滑り下りる。雪のカーテンの向こうに、怪物みたいなでっけぇポケモンと、水色の犬っぽいポケモンが、何やら見張りをしてやがる。あの泉の向こう、氷の膜で蓋された洞窟の奥まったぬくい場所に、ビードルたちの越冬スポットがあるこたぁ、ここらじゃ有名な話だった。
 水色がおいらの姿見て、怪物の方に何やら吠える。怪物の目がこっち向く。ぶっとい腕広げて、牽制するように、地鳴りみたいな声上げやがる。そんなもんで怯むかってんだ。フルスロットルで突っ込んでくるおいらに、先に動いたのは水色の方だった。
「弱い者いじめのオニスズメめ、ビードルたちを食べに来たな! そうはさせるかッ」
 正義ヅラの水色が、ヒュンヒュンと氷の塊を打ち出した。
 避けようとしたが、なかなか速ぇ、ずばっと左の腹に刺さって、おいらの体ぁグルグル回って降下した。墜落する、でもその勢いだ、負けちゃいねぇ。負ける訳にいかねぇ、その一心で翼振るった。急な方向転換、水色の犬っころはしかし冷静に、体引きながら氷の突風を吹いた。身が切れる。痛くない。おいらの五感は焼け消えていた。
 立て続けに怪物が動いた。強烈な冷気を纏ったハンマーみたいな右腕を、おいらに向かって叩き込んだ。吹っ飛ぶ。ずぶ、と雪に刺さる体。羽が重い。いいや気のせいだ。翼振るった。雪巻き込んで飛び上がった。腹の底から吠えた。二匹はたじろいだようで、しかしやはり水色はすぐさま、次の一手を繰り出した。
「ユキノオー、僕が決める!」
 そう言い、水色は深く息を吸い、猛烈に吐き出した。さっきのそれと違う。大量の雪を乗せた嵐のようなそれが、おいらの翼を煽り、飲み込んで、ぶわっと吹き飛ばした。
 体勢崩したなんてもんじゃなく、翼動かず、おいらぁそのままの流れで落下した。運悪く泉の中へ。どぼんと。体毛へ浸み入る泉の水が。氷のように鋭い水が。冷たいはずだが感じない。息苦しささえ。そんなものより。早く行かねぇと。沈んでいく。だめだ早く。光薄れる。意識も、ああ、しかし、でもだ、相方の、声が、好きだって、言葉が、おいらの、おいらのチンケな全筋肉を、強く激しく刺激する。
 負けらんねぇ。負けらんねぇ!
 オウアアァァァ、と奇声を上げながら、おいらぁ水中から飛び出して、目玉落としそうになってる二匹の間を抜け、漲る、親父から、お袋から学んだ必殺奥義が、全身に力走って、熱い、熱い、熱い! ひとつ弾丸のおいらの体が、洞窟入り口氷の壁を、ド派手に一瞬で蹴散らした。
 視界が真っ暗で、頭ぁ真っ白だった。おいらぁぼとりと墜落した。脳天の先の方から、甲高いうっとおしい鳴き声が、幾重にもビィビィ聞こえてきた。ビードルなのか? においも何も分かんねぇ。慌てた足音が近づいてくる。ああでも、情けねぇ、おいらぁ限界だった。ここまできたってぇのに、首も、翼も、何一つとも動かせねぇ。相方の顔が浮かんだ。元気なあいつの、優しい笑顔だった。幻かき消すように、誰かがおいらの尾羽を、ぐいと掴んで持ち上げた。
「グレイシア、こいつだ。動かない」
「ちょっと手焼いちゃったかな? でももうさすがに体力ゼロか。まったくさ、オニスズメってのは野蛮で困るね」
「ああ」
「他に食べるものもあるのに、なんでビードル食べたりするんだろうね?」
「外に放っておく」
「うんお願い、僕はチビたちの面倒みるよ」
 ずしずし足音と同じタイミングで、頭がぐわんぐわんと揺らされる。やかましい鳴き声が遠のいていく。そのうちにおいらぁ、ずぶ、とまた雪の中に刺さっていた。動けねぇ。やっと開いた瞳で見やると、ユキノオーとか呼ばれた怪物は、おいらのこと、同情するような目で眺めてやがる。
「……お互い、生きるためだ。許せよ」
 そうしてのしのしと去っていく背中に、おいらぁ何も言わなかった。
 いくらかの時間が過ぎ去った。いくらの時間が過ぎ去った?
 気がかりだ。相方のことばかり思い出す。出会った夕べのこと。並んで夜明かした。じゃれついて飛んだ森。あんときはなんでケンカしたんだっけか。星見上げ、顔見合わせて、笑いあって、初めて抱きしめた時の匂い。ああ。守りてぇんだ。おいらの身など気にせずに、てめぇのことだけ心配しやがれ。そう言いたい。言えるだけの器量が、けれどおいらにゃなかったのか。
 這いずってその場を離れた。飛び慣れた森も雪景色と、知らねぇ下からの眺めとで、どこ行ってんのかいまいち分からなかった。気だるさ。体の内側から、むくむく熱が膨らんでくる。嫌な感じだ。ぼんやりして気持ちが悪い。何にも縛られたくねぇと、常々思っていたが、おいらぁ今ぐずぐずに濡れて、空飛ぶことさえ叶わない。それでも、相方のこと笑わせられれば、それでちったぁよかったのに。
 しばらく這って、ついに倒れた場所がどこだか分からなかったが、雪はしんしん降り続けた。
 誰か来る。サクサク軽い二つの足音だ。でも動けねぇ。頭も回らねぇ。チラチラ瞼に光が映る。なんだ。空の方で、二つの声が交わし合う。
「また鳥の死体か。ついてねぇ」
「処理して帰るぞ、どうせまた来なきゃいけないんだ。ホラ手袋」
「消毒液はどこやった」
「こっちだ。よっと――うわっ、こいつ、まだ生きてる」
「嘘だろ! 最悪だな……」
「おい、どうするよ」
「で、でも……どうせすぐ死ぬだろ。袋入れろ、持って帰るぞ」
「まじかよ……」
「この天気だ、また来るよりマシだろうが」
 そうしておいらぁ、どさっと、何かの中に入れられた。
 狭い密封された袋の中だ。運ばれる。森が遠のく。痺れ。意識が。翼の端から凍てついていく。どうして。どうして自由に飛べない。なんで動けねぇ。凍っていく。邪魔できねぇ翼のはずだ。凍りついて、いく。なにが邪魔しやがんだ。どいてくれ。飛びたいんだ。相方が。相方は。どうしてる。雪に降られて凍えてるか。まだ、首を伸ばして、おいらの帰りを待ってるか。
 待たせて、ごめんな、と囁いた、声に、声にならないその声に。
 いつもの、笑顔が。
 いいよ、と返事を、くれた気がした。
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