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リフレイン【あの日に戻れたら】 作:夜月光介

 目覚まし時計の音を聞きながら、俺は布団から抜け出し時計のスイッチを切った。
 (もう、あれから3ヶ月になるんだよな……)
 毎朝起きた瞬間から感じ続けているどうしようも無い空虚な感覚。

 ――彼女が、もうこの世にいないと言う事。

 理解してはいるが納得なんて出来ていない。彼女は交通事故で帰らぬ人となった。
 加古屋未来……真っ直ぐで純粋で、何時も俺の話を笑いながら聞いてくれる相手。
「今まで隣にいるのが当たり前だったからな……」
 今年は受験が控えているのだが、そんな事を考えている余裕は今の俺には全く無い。
 とにかく、逃れたい――今の苦痛、絶望から逃れる事で頭の中は一杯だ。
 だが、未来がいた事を忘れられない俺がこの世にいる事。その事実が無くなってしまうのも嫌だった。
 結局俺は弱過ぎるのだ。諦める事も、忘れる事も出来はしない。目を瞑ればすぐに彼女の姿が思い浮かぶ。
 (未来……)
 俺は制服に着替えながら、彼女と初めて出会った時の事を思い出し始めていた。

 小学校1年の頃から未来とは仲が良かった。何をするにも一緒だった。
 成績も優秀でスポーツも女子陸上部ではトップクラスの実力を持ち、誰にでも好かれる性格。
 非の打ち所の無い彼女は男子生徒からも女子生徒からも慕われ、また頼りになる存在だ。
 そんな彼女が俺の事を好きになってくれた事、一緒にいてくれた事が嬉しかった。それなのに――

「静司、未来が……未来がトラックに撥ねられたって」

 友人がかけてきた電話の内容がとても信じられなくて、でも葬式では信じざるを得なかった。
 冷たくなった動かない彼女の顔を見て、涙をただ流し続けた事をよく覚えている。
 哀しさが溢れた時、人はあそこまで脆くなってしまうものなのだと言う事を知った。
 その後から俺はただ生きてきた。目的も無く、ただ漠然と空虚な毎日をこなすだけ。
 そこに幸せも無ければ喜びも無い。彼女との思い出だけが少しだけ俺を癒してくれる。
 しかし新しい幸せや喜びが無ければ全ては無意味だ。あの日まで自分は生きる屍だった――

 あの日、俺は何時もの様に学校の帰り道を歩いていた。夕暮れ時で自分の他には猫の子1匹姿を現さない、寂しい住宅街をただ歩く。
「ん……」
 ふと道端に落ちていた時計に目が止まった。普通の腕時計にしてはやたら文字盤が大きい、いびつな形をしている。
「なんだこれ。電卓機能もついてんのか?」
 俺は時計を拾い上げ、暫くその時計をいじくってみた。文字盤の下に1から9までのボタンが付いており、西暦から日付設定をする事も出来るらしい。
 壊れてはいない事を確認した後、俺は時間を合わせてみる事にした。
「西暦は2015年、5月の……」
 ゼロを押してから別の数字を押せば日付の入力が完了する。だがその時俺は手が滑り1日前の日付のボタンを押してしまった。
「なんだよ6日になっちまったじゃんか」
 こんな事にむきになっている自分が可笑くて、俺は笑った後溜息をつく。自分もまだ、笑う事は出来たのか。
 そう思っていた時、唐突に周囲が漆黒の闇に包まれ、それが数秒間続いた後また元に戻る。場所は同じ住宅街の中だ。
「何だ今のは!?」
 ワケが解らないまま帰宅した後、俺はテレビのニュースを見てさらに驚愕した。

『5月6日のニュースをお伝え致します』
「嘘だろ……」
 戻っている。間違いなく1日前のさっきと同じ時間に戻ったのだ。
 過去にも未来にも飛べる時計、そんな夢の様な時計が何故か俺の手に握られている。
 (助けに行ける。未来を救える!俺が交通事故さえ止めてしまえば彼女は助かるんだ!)
 その日は興奮して眠れなかった。事故が起きた時間と場所、大体の事は既に把握している。
 明日その時間の前に日付を合わせ、戻ってしまえば助ける事が出来るハズだった。
 (何でこんな凄い時計が道端に落ちてたのかは解らないがコレで解決だ、何もかも!)
 興奮のあまり眠る事も難しい。明日は学校に行かないつもりだった。どのみちそれがズル休みになる事は無い。

 自分の通っている高校から大分離れた場所にある交差点。人通りは少ないのだが交通量は非常に多かった。
 近くにある電柱には花束が置かれている。恐らく、誰かが未来の事を思って置いてくれたのだろう。
「全部無かった事にすればいい」
 この場所で日付を変更すれば3ヶ月前の2月3日に戻れるハズだった。事故は昼頃に起きたからその前の時間で待てば良い。
 (でもアイツは……どうしてあの日高校を休んでこんな所に来たんだろう?)
 明かされなかった謎だった。帰宅後に彼女の死を知ったのだがその日彼女が登校してこなかった事に不安を覚えた事を忘れはしない。
 (まぁ解るさ。全部解る。戻って未来を救って……話を聞けば良いじゃないか)
 一抹の不安を無理やり振り払いながら、俺は時を遡る事が出来る時計の日付を変更した。

 周囲が一瞬暗転し、そして元に戻る。怖気が走る程の寒さが突然俺を襲い、俺はセーターを着てこなかった事を後悔した。
「2月に戻ってきたんだ。間違い無く」
 時間は先程と同じ11時半。事故は12時近くに発生したハズだ。電柱に置かれていた花束も消えている。
 寒さに震えながら俺は電柱の影に身を潜めた。この場所に俺がいる事は本来おかしいハズなのだ。
 下手に彼女以外の人間に姿を見られて後々面倒が起こる事は避けたかった。待つのは当たり前だが本当に寒い。
 (晴れだから良かったけど、雨が降っていたら大変だったな。何も考えずに戻ってくるんじゃなかった……)
 そんな事を考えている間にその時間は近付きつつある。彼女の姿が遠くから見えてきた。俺は身を潜めてその機を窺う。
 未来は走ってきたらしく肩で息をしていた。辺りを見回し人がいないかどうか確認している様にも見える。
 交差点の信号が青から赤に変わった。この辺りの車道はスピードを出して通行している車が殆どだ。
 未来はその光景に怯えている様にも見えたが、何を思ったか突然車道に飛び出そうと走り出した。
「待てよ!」
「!?」
 咄嗟に俺は電柱の影から飛び出し、大声を出しながら車道に足を踏み出そうとした未来の腕を掴んで強引に歩道に戻した。
「静司、どうして……?高校に行ってたんじゃなかったの?」
「胸騒ぎがしてお前を探してたんだ。どうしてこんな……」
 事をするんだ、と言おうとした所で俺は言葉を止めてしまった。未来が大粒の涙を零しているのを見たからだ。
「引き止めて欲しくなかった。貴方にだけはこんな土壇場で会いたくなかったのに……」
 泣きじゃくる彼女を慰めつつ、俺は発作的に同じ行動を取らせない様に安全な場所へと誘導した。

 自分でも本当は解っていた。そうじゃないかと思いつつもそう思う事が怖かった。
 自殺――自ら飛び出して死んだ。強かった未来が、そんな道を選択してしまうなんて信じられなかったのだ。
「クラスの女友達と色々あって、周りも自分自身もすっかり嫌になって……消えてしまいたいと思ったの。
 止められたく無かったから誰もいない時間を選んだハズだったのに……」
 未来は詳しい事を俺には話してくれなかった。でも話してくれなくても良かった。全部無かった事に出来るのなら。
「未来、よく聞いてくれ。俺は……とても信じられないかもしれないが、時を遡ってお前を助けに来たんだ」
「えッ……」
 怪訝な顔をする彼女に対して、俺は大きな文字盤がついている腕時計を見せた。
「この時計で過去に戻れる。恐らくは未来にもだ。お前が経験した事はこれを使えば無かった事に出来る。
 何回だってやり直せるんだ。お前が死ぬ必要なんて無い。この時計さえあれば全部変わるんだよ!」
 彼女は涙を止め、俺から時計を受け取ると信じられないと言った表情で俺の顔を見た。
「やってみればいいさ。お前にとって嫌な出来事が起こる前まで戻って、そこからやり直せばいいんだ」
「……本当に、そんな事が出来るの?」
 震える手で彼女は文字盤の近くにある数字のボタンを押し、現在――2015年の2月3日では無くその半年程前にあたる2014年の7月1日を選択した。
「戻ってこいよ。俺は何時でもお前の味方だからな」
「有難う」
 その瞬間、彼女は俺の視界から姿を消した。

 そして、それから何年もの月日が過ぎた。俺達は大人になり結婚をして、幸せな毎日を送っている。
 過去彼女が体験した事については俺も深い詮索はしなかった。もう無かった事になっているハズの出来事だ。
 そんな事より彼女が生きていて、俺の側にいてくれるだけで俺は満足だった。
「静司、宅急便が届いたんだけど」
 未来の声を聞きながら、俺はその荷物を彼女から受け取り自分の部屋に持ち運ぶ。差出人は不明だったが宛名は俺の名前になっていた。
「なんだコレ」
 箱を開けると長ったらしい説明書と何のものか解らない沢山の部品。
 説明書には最初に、こんな事が書かれていた。

『この時計を完成させて、今貴方が持っている時計を『あの場所』に置いてきてください。未来の俺自身より』
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